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2024年2月20日火曜日

判例紹介:原告が被告を特許侵害で提訴、被告は原告が被告の営業秘密を特許化したとして反訴

今回紹介する裁判例(東京地裁令和5年3月7日 事件番号:令3(ワ)26762号)は、今後も起こりそうな事件です。
この裁判の概要としては、まず、原告(個人)が被告(三菱ケミカル株式会社、三菱ケミカルインフラテック株式会社)に対して特許権侵害(特許第6350985号)で提訴(本訴)したものの、被告が本件特許は原告の冒認出願によりされたとして反訴しました。

本事件の原告(特許権者(出願人)と発明者は同一の個人)は、昭和39年から平成12年1月15日まで、被告企業である三菱ケミカル(社名変更前の三菱レイヨン時に日東化学を承継)において勤務しており、中央研究所の研究部長を務めていたとのことです。そして原告は、退職から14年後の平成26年7月2日に本件特許の出願を行い、平成30年6月15日に設定登録を受けています。

本事件において被告は、以下のように、本件特許発明は日東化学の従業員が完成させた本件硬化剤発明とが同一であるとして、本件特許発明は特許を受ける権利を有しない者による出願であるとして反訴を行っています。
ア 本件特許発明は、日東化学の従業員であったBⅰ及びCⅰが平成3年10月に完成させたものである。
すなわち、Bⅰ及びCⅰは、GS硬化剤の開発に関し、平成3年10月度月報において、「エヌタイトGS」という銘柄の処方(以下、同処方により特定される硬化剤に係る発明を「本件硬化剤発明」という。)を完成させた。本件特許発明と本件硬化剤発明とは、一部の構成要件において形式的な相違があるものの、これらは、以下のとおり、いずれも実質的な相違点ではなく、両発明の同一性を損なうものではない。
・・・
イ 原告は、日東化学の研究所において、Bⅰ及びCⅰの上司に当たる地位にあり、両名が完成させた本件特許発明を同人らから直接又はその他の日東化学の書類や従業員を介して知得したにすぎず、本件特許発明の発明者ではない。そして、Bⅰ及びCⅰが完成させた本件特許発明に関する特許を受ける権利は、本件職務発明取扱規程に従って日東化学に承継されたのであり、原告がこれを譲り受けたことはない。
ウ 仮に本件特許発明と本件硬化剤発明が同一でないとしても、本件硬化剤発明をその範囲に含む本件特許発明は、本件硬化剤発明に関する日東化学の営業秘密(●(省略)●)を利用した発明であることは明らかである。これに対し、原告は、日東化学従業員として、就業規則及び本件誓約書に基づき、日東化学及び三菱レイヨンの営業秘密を退職後も自己の目的に利用したり第三者に開示したりしてはならない義務を負っていた。そのような原告が、被告らに権利を行使する目的で本件特許発明について特許出願をし、本件特許権を取得したことは、就業規則及び本件誓約書において禁じられた「自己の目的」への利用そのものである上、特許出願に伴う公開を通じた第三者への開示にも該当する。
このように、本件特許発明が本件硬化剤発明に関する日東化学の営業秘密を利用してされたものである以上、原告は、本件特許発明について、特許を受ける権利を有しない。また、原告の秘密保持義務違反によってされた利用発明である本件特許発明についての特許を受ける権利は、条理上、本件硬化剤発明に関する営業秘密の保有者であった日東化学、ひいてはその権利義務を承継した被告三菱ケミカルに帰属するというべきである。


しかしながら裁判所は、原告の本件特許発明と被告の営業秘密(本件硬化剤発明)とを対比してこれらが同一でないとしたうえで、本件特許は冒認出願ではない、として被告の主張を認めませんでした。

なお、被告は、原告が日東化学の研究所において、本件硬化剤発明を完成させたBⅰ及びCⅰの上司に当たる地位にあり、両名が完成させた本件硬化剤発明と同一の本件特許発明を知得したにすぎないと主張したものの、裁判所は、これも下記のように認めませんでした。
・・・原告は、遅くとも平成3年初め頃以降、日東化学の中央研究所の研究部長を務めており(前提事実(1)ア)、平成3年4月度月報及び同年10月度月報には、原告の姓を示す「Aⅰ」との印が押されていることが認められる(乙12、22)。そうすると、原告は、平成3年当時、Bⅰらによる本件硬化剤発明に係る報告内容を把握し得る立場にあったとはいえるが、本件硬化剤発明は、複数の含有物を異なる割合で混合するというものであるから、上記各月報を一瞥しただけでその内容を完全に記憶することは必ずしも容易ではないと考えられる。そして、本件証拠上、原告が、上記各月報を具体的にどのような態様で閲読したのかは明らかでなく、Bⅰらによる研究内容をどの程度具体的に把握していたのかも明らかではない。
したがって、原告が本件特許発明をBⅰらから知得したと認めることはできない。
また、被告は、本件特許発明は本件硬化剤発明に関する日東化学の営業秘密を利用した発明であるから、原告は本件特許発明について特許を受ける権利を有しないとも主張しました。しかしながら、裁判所はこの主張も以下のように認めませんでした。
・・・原告は、従前、日東化学及び三菱レイヨンにおいて、地盤安定化剤、床用石膏プラスター組成物の研究開発に携わっており、その過程で、自らが発明者又は研究従事者として、①珪酸ソーダ水溶液からなるA液と、石灰、Ⅱ型無水石膏及び界面活性剤の混合物の水性スラリーからなるB液とを混合した薬液を地盤中に注入して硬化させる地盤安定化法(甲17)、②フッ酸副生無水石膏に、苛性カリ(水酸化カリウム)、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)、消石灰、炭酸カルシウム等のアルカリ性物質を添加して中和すること(乙48、49)、③●(省略)●といった、本件特許発明を構成する具体的な技術事項を把握するに至っていたと認められる。
しかし、上記①及び②に係る技術事項は、特許公報等により公開されているものであるし、本件証拠上、本件特許発明を構成するその余の技術事項が日東化学及び三菱レイヨンの営業秘密に属するものと認めることができないから、原告が、三菱レイヨンを退職した後に、公知の刊行物等を参照しつつ、日東化学及び三菱レイヨンの営業秘密に属しない技術事項を組み合わせるなどして本件特許発明を着想し、それを具体化して本件特許発明を完成することができたとしても、直ちに不自然であるとはいえない。
なお、原告による特許権侵害という主張は、被告の製品(GS硬化剤等)は本件特許の技術的範囲に属さないとして認められませんでした。このように、原告による本訴、被告による反訴は共に棄却されました。

このように、前職企業を退職した従業員が、転職先等で前職企業における職務内容と同様の発明を行うことは当然あり得ることだと思います(本事件では特許権の権利者と発明者とが同一の個人であるため、原告が他企業に転職していないのかもしれませんが)。
そうすると、本事件のように前職企業は、転職した発明者が自社の営業秘密を持ち出して転職先で特許出願をしたのではないかという疑念が生じさせる可能性あるでしょう。特に特許出願の発明者は明確であるため、自社の元従業員が転職先企業で特許出願をしたか否かが容易に判断でき、かつ特許出願に係る技術内容が元従業員の職務内容と同様であるかも容易に判断できます。

すなわち、転職先企業は、転職してきた者(転入者)が前職企業の営業秘密に基づいて特許出願をしたのではないかと疑念を持たれる立場となります。万が一、前職企業の営業秘密に基づいて特許出願をしたとなれば、転職先企業による営業秘密侵害であり、民事的、刑事的責任を負う可能性が生じます。
転職先企業では、このような事態に陥ることは避けなければなりません。このため、転職先企業(の知財部)は、発明がどのようにしてなされたかの確認が必要となるでしょう。例えば、発明の着想から具体化までに至る資料(研究ノート)を確認し、当該発明が自社においてなされたことを確認することが必要です。特に、転入間もない従業員に対しては、前職企業の営業秘密が混在していないことを十分に確認するべきでしょう。
また、万が一、本事件のように前職企業から発明の成立過程について疑念を持たれた場合に反論できるように研究ノート等や各種データを保存する必要があるでしょう。

なお、不正競争防止法第6条では具体的態様の明示義務として、以下のように規定されています。
第六条 不正競争による営業上の利益の侵害に係る訴訟において、不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがあると主張する者が侵害の行為を組成したものとして主張する物又は方法の具体的態様を否認するときは、相手方は、自己の行為の具体的態様を明らかにしなければならない。ただし、相手方において明らかにすることができない相当の理由があるときは、この限りでない。
この規定によると、例えば、営業秘密の不正使用が疑われる製品や物の製造方法等において、営業秘密保有者は当該製品や製造方法等の具体的態様を明らかにすることを求めることができます。これにより、当該製品や製造方法等に自社の営業秘密が使用されているか否かが明確になることが期待されます。一方で、この規定は物や方法を対象としており、特許に係る発明の成立過程等を明らかにすることを求めることはできないと解されます。
しかしながら、上記のように、自社からの転職者が転職先等で自社の営業秘密を使用して特許出願等を行う可能性があることを鑑みると、特許に係る発明の成立過程を明らかにすることを求める規定が設けられても良いのではないかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年8月9日水曜日

特許出願件数と審査請求件数の推移

このブログでも適宜更新している日本の特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移を示すグラフに、審査請求件数の推移も追加しました。
特許出願件数が減少していることはあらためて言うまでもないことですが、その一方で審査請求件数は特許出願件数ほど減少していません。
特に、2009年のリーマンショック以降は特許出願件数が減少しているにもかかわらず、審査請求件数は多少の増減はあるものの年間約24万件でほぼ横ばいです。

さらに、コロナ禍においても審査請求件数に有意な変化はないように思えます。
これは、コロナ禍における特許出願件数の減少がおそらく経費削減を目的としたものであろうことからすると意外とも思えます。すなわち、企業はむやみやたらに特許に係る費用を削減しているのではなく、審査請求費用は経費削減の対象とはしなかったということなのでしょう。

一方、これとは対照的な時期がリーマンショックではないでしょうか。審査請求は出願から3年以内に行う必要があり、多くの場合はこの期限末に審査請求が行われます。すなわち、特許出願件数と審査請求件数とには3年弱のタイムラグが発生するはずです。
にもかかわらず、リーマンショックの影響がある2009年には特許出願、審査請求共に有意な減少がみられます。このことは、本来必要な審査請求が、新規の特許出願と共に経費削減の影響によって減少した可能性が考えられます。

このように、2009年以降の近年の審査請求は特許出願の減少とはかかわりなく、ほぼ一定であり、経済動向に左右されていないと考えられます。
このことは、企業の特許出願動向として、真に特許権を必要とする技術に絞って特許出願を行う傾向がより強くなっているのだと思われます。すなわち、技術を公開するだけの特許出願は減少しているのでしょう。そして、そのような技術は各企業において秘匿化されているのだと思います。

一見すると、特許出願件数が年々減少傾向にあることは好ましくないようにも思えます。しかしながら、審査請求件数に変化がないということは、特許権を欲する技術のみを精査して特許出願しており、その結果無駄な特許出願が減少しているので、とても好ましい傾向にあるのかもしれません。
そして、審査請求件数は特許出願件数よりも多くなることはなく、理想的な特許出願としては、全ての特許出願が審査請求されることでしょう。現状のような傾向が続くのであれば、特許出願件数はそろそろ下げ止まりで、年間30万件前後で推移するのかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年4月29日土曜日

グローバルファウンドリーズが企業秘密侵害等でIBMを提訴

先日、半導体製造を行っている米国のグローバルファウンドリーズ(GF)がIBMを企業秘密(Trade Secret)等の侵害で提訴したという報道がありました。
より具体的には、GFの知的財産や企業秘密をIBMがインテルや日本企業のラピダスとの間で共有したとしてIBMを提訴したとのことです。


そこで、GF、IBM、ラピダスの関係をWikipediaや報道内容を参考に簡単にまとめてみました。

2009年    GF設立(AMDが2008年に半導体製造部門を分社化した「The Foundry Company」が母体)。
2015年    GFがIBMの半導体事業を取得。GFはIBMの半導体関連特許も取得、IBMは半導体の微細化加工技術などの研究開発は継続。
2018年8月  GFが7nmプロセスの開発無期限延期を発表
2021年6月  IBMが2nmチップを発表。
2022年8月   ラピダス設立。
2022年12月  IBMとラピダスが2nmの半導体製造で提携。ラピダスは2nmの製品の技術ライセンスをIBMから受ける。
2023年4月  GFがIBMを企業秘密侵害で提訴。

このように、GFはIBMの半導体事業を取得したものの、IBMは半導体の微細化加工技術の研究開発を続け、最先端技術となる2nmプロセスを開発しています。そして、設立間もないラピダスは2022年12月にIBMとの間で2nmの半導体製造に関するライセンス契約を行いました。そして、その直後といってもよい2023年4月のタイミングでGFがIBMを企業秘密侵害等で提訴したことになります。

なお、GFは2018年には7nmプロセスの開発無期限延期を発表したとのことなので、現在のGFは2nmプロセスの技術は有していないと思われます。
さらに、GFが7nmプロセスの開発延期を決定したことに対して、IBMがGFに対して契約不履行で提訴との報道も2021年にありました。

上記のように、IBMから半導体事業を取得したGFは微細化技術に遅れがあり、その一方でIBMは微細化の最先端技術を有しています。そして、そのIBMがラピダスやインテルに微細化技術のライセンス提供を行うことにより、GFは市場競争力を失いつつあるのが現状であり、このような市場環境でのIBMに対するGFの提訴です。


ところで、GFによるIBMの提訴は、確たる証拠があってのことでしょうか。
また、GFは、IBMがラピダスとの提携以降に元GFの技術者を積極的に採用していると主張しており、GFはその採用の停止も求めています。GFとしては、そのような元GFの技術者が自社の情報をIBMへ不正に持ち込んでいるとも主張したいかのようです。
しかながら、IBMとラピダスが提携を発表したのは2022年の12月であり、GFが提訴した2023年の4月において、どの程度の情報がIBMからラピダスに提供されたのか疑問です。そもそも、IBMがラピダスに提供する情報は主に2nmのプロセス技術でしょうから、既に7nmプロセスの開発すら行っていないGFの技術が混在している可能性は低いと思います。
また、IBMがGFの特許権を侵害しているのであれば、GFは特許権侵害として提訴した方がよいようにも思えますが、そのようでもないようです。
このようなことを考えると、GFによるIBMの提訴は勝ち目が薄そうな気がします。
そうであるならば、やはり他の目的があっての提訴でしょうか。

ここで、GFとIBMとの報道を目にして、思い出した報道がありました。
ボンバルディアによる三菱航空機の提訴です。
これは、ボンバルディアの元従業員を複数人採用した三菱航空機がこの元従業員からボンバルディアの機密情報を不正に入手したとして、ボンバルディアが三菱航空機を提訴したものの、その後に、三菱重工がボンバルディアの小型機事業を買収したことにより、この提訴も取り下げられたというものです。

なお、客席が数十人程度の小型機(リージョナルジェット)は競争が激しく、ボンバルディアもこの市場では苦戦していたようです。そのようなことを考えると、ボンバルディアは事業買収の交渉の席に三菱重工を座らせるために、営業秘密侵害を用いた提訴をまず行ったのではないかとも思えます。

そもそも、競合他社の元従業員を採用したら、この元従業員を介して当該競合他社の営業秘密が流出・流入する可能性は想定されることであり、確たる証拠が無くても人材の移動という事実だけで、勝敗は別として提訴を行い易いようにも思えます。
そして、ボンバルディアによる三菱航空機の提訴の例のように、GFも他の目的があってIBMと交渉するために元従業員の採用停止も含む企業秘密侵害で提訴したのではないかと思えます。
その目的とは、GFもラピダスやインテルのように2nmプロセスの技術提供をIBMから受けるということではないでしょうか。
もし、IBMから技術提供を受けることができれば、自社開発を断念していた最先端の微細化技術を手に入れることができ、自社の競争力を確実に高めることができるでしょう。IBMは、ラピダス、インテル、その他の企業にも技術提供を行っているようなので、GFへ技術提供を行う可能性もあるのではないでしょうか。

以上のように、GFによるIBMの提訴はその経緯からしてGFが勝訴する可能性は低いように思えます。そうであるならば、ラピダスがIBMからの技術提供を受けられなくなる可能性も低いでしょう。しかしながら、もしGFがIBMから技術提供を受けるとのようなことになると、ラピダスの競争相手が増えることになり、それはそれでラピダスにとっては好ましくない結果となるかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年4月18日火曜日

判例紹介:特許に包含される技術情報の秘密管理

ある技術の特許が取得されると特許公報が発行されます。第三者はこの特許公報を参照して当該特許に係る技術を知ることができます。しかしながら、特許公報に記載内容だけでは、当該技術を再現することは難しい場合が多々あり、特許公報に記載されていないノウハウが必要だったりもします。そのようなノウハウも重要であるにもかかわらず、ノウハウが適切に秘密管理されていない場合は多々あると思います。
今回はそのようなことに関連した裁判例(大阪地裁令和5年1月26日 事件番号:令2(ワ)8168号)を紹介します。

本事件は、原告が美容院、ビューティーサロン、エステティックサロンの経営等を会社であり、被告(P1~P3の3名)はこの会社の元従業員であり、まつ毛エクステンションの施術担当者であったものの、原告会社を退職後にまつ毛のエクステンションの施術を行う店舗を開業しました。

また、原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を主力商品としており、P7は発明の名称を「まつ毛エクステンション人工毛の装着方法」とする特許出願(特願2019-123)を行い、この特許出願は権利化されており(特許第6957040号)、現在も権利は存続しています。
なお、当該特許権の請求項1は下記の通りであり、従属項として請求項2~6があります。
❝【請求項1】
  二本又は三本のエクステンション用人工毛と一本の支持用人工毛を用意する第一のステップと、
  前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第一のエクステンション用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第二のステップと、
  前記第一のエクステンション用人工毛の付け根をまつ毛の上方からまつ毛の付け根の左右いずれか寄りに固定する第三のステップと、
  前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第二のエクステンション用人工毛の付け根を前記まつ毛の上方から前記第一のエクステンション用人工毛が固定されていない左右いずれか寄りに固定する第四のステップと、
  前記一本の支持用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第五のステップと、
  前記第一のエクステンション用人工毛と前記第二のエクステンション用人工毛が固定された前記まつ毛の上方から、前記まつ毛の付け根に一回接着剤を付ける第六のステップと、
  前記まつ毛の略真下に前記一本の支持用人工毛を回り込ませ、前記支持用人工毛の水平面との角度を前記まつ毛の水平面との角度に略一致させた状態にて、前記まつ毛の下方から前記まつ毛の付け根のみに前記支持用人工毛の付け根のみを固定する第七のステップ
を含む、まつ毛エクステンション人工毛の装着方法。❞
裁判所は、この特許(本件特許情報)を❝主に美容目的でまつ毛のボリューム感を増大させ目を大きく見せるためにまつ毛に装着されるまつ毛エクステンション人工毛の装着方法であって、人工毛を装着する位置や順序(請求項1~4)、使用する人工毛の形状(請求項2)、接着剤の付け方(請求項1、2、5、6)などの情報からなる。❞と認定しています。

そして、P7及び原告と被告らは下記のような秘密保持契約を結んでいました(甲がP7及び原告であり、乙が被告です。)。
❝第1条(定義)
 「本件の商標・特許」とは、本件製品の名称及び施術に関して、甲が所有している次の商標及びこれについての特許技術をいう
 登録商標
 【ロングキープラッシュ/Longer Keep Lash】
 役務の区分
 第3類及び第44類に属する
 第2条(使用の範囲)
 ●乙は甲の指定業務以外で、本件の商標・特許の使用は一切できないものとする
 ●乙は甲の承諾なくして、退社後も本件の商標・特許について、【入社時の機密事項承諾書・私は、貴社就業規則および秘密管理規程に従い、業務上の機密は在職中は勿論退職後といえども一切漏洩いたしません】に基づく技術漏洩を一切禁止する❞

ここで、本件秘密保持契約上の債務不履行について、被告は被告店舗において「ロングキープラッシュ」とは異なる「バインドラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を実施しており、これは本件特許情報とは異なる装着方法である、として認められませんでした。
なお、本件特許情報の装着方法である「ロングキープラッシュ」は、地まつ毛の上部に2本又は3本の断面が扁平で付け根に凹みのある人工毛(フラットラッシュ)を装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する装着方法とのことです。
一方、「バインドラッシュ」は、「ロングキープラッシュ」において使用するものとは形状の異なるフラットラッシュ1本を装着し、地まつ毛の下部にフラットラッシュ1本を装着して地まつ毛を挟んで固定する装着方法とのことです。


次に、原告が営業秘密であると主張する情報(本件手技情報)は、下記の通りです。
❝本件手技情報は、本件特許情報を実施するために必要とされる手技であり、使用する人工毛の形状、接着剤の付け方及び人工毛を装着する位置や順序に係る情報である。❞
また、本件特許情報と本件手技情報とが異なる点は、下記であり、本件手技情報は本件特許情報に包含される関係にあるとされています。
①本件特許情報では接着剤を「球状に付ける」とされているところ、本件手技情報では「球状にすくい」とされる。
②人工毛(フラットラッシュ)2本で地まつ毛を挟み込む手技(本件付加情報)については、本件特許情報にはなく、本件手技情報のみにある。

原告は被告らの原告在職中、本件特許情報を利用した「ロングキープラッシュ」と称するまつ毛エクステンションの装着方法をまつ毛エクステンションの施術を担当する従業員に教示し、原告の経営する各店舗において一般顧客に対し施術をする際に利用していたものの、原告は被告らに対し、本件手技情報のうち本件付加情報を教示したことはなかった、とのことです。

そして、原告は、このような手技の秘密管理性について下記のように、手技に関して文章化は行っていないものの、講習によりマスターさせて非公開としていたと主張しています。
❝原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」という名称の長持ちするまつ毛エクステンションを主力商品としており、本件特許出願以前から「ロングキープラッシュ」を営業秘密と指定し、従業員との間で秘密保持契約を締結してきた。
「ロングキープラッシュ」の技術は、本件特許出願において文書化されているものだけで習得できるものではなく、実際に施術できるようになるためには、原告において講習を受けて手技をマスターしなければならないが、その手技は非公開である。❞
上記原告の主張に対して裁判所は下記のように判断しています。
❝本件では、本件秘密保持等契約書以外に営業秘密を具体的に明示した文書はなく、原告が被告らに対し「ロングキープラッシュ」の施術方法を教示するに際して本件特許出願の願書や明細書その他の添付書類等を示しておらず、まつ毛エクステンションの装着方法に関して具体的にいかなる範囲が秘密とされるのかを明らかにした書面もない。しかも、「ロングキープラッシュ」は、被告らの原告在職当時、原告の各店舗において、不特定多数人に対して何らの制限もなく公然と施術されていた。また、まつ毛エクステンションの業界においては、まつ毛エクステンションの装着方法が全て秘密にされるわけではなく、新規の装着方法であっても、公開され、他のアイリストに教授されることもあり、装着方法を秘密とするか否かや装着方法のうち具体的にどこまで秘密にするかは、自明なものではない。
そうすると、本件秘密保持等契約書に規定された「特許技術」以外の本件特許情報及び本件手技情報は、原告において適切に秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったといわざるを得ない。また、原告は、被告らに対し、「ロングキープラッシュ」を教示したのであって、本件特許出願に係る願書等を示したわけではないから、本件秘密保持等契約書の「特許技術」は、その文言どおり、「ロングキープラッシュ」についての本件特許情報、すなわち、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報を意味するものと解される。
そして、当該情報は、不特定多数の顧客に対して公然と施術される装着方法であり、施術を受ければ視覚的に認識できるものであるから、やはり秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったということになり、結局、本件秘密保持等契約書上の「特許技術」も、不正競争防止法上の営業秘密とはいえない。❞

また、文書化されていない非公開の手技について、それを含めて営業秘密と指定し、秘密保持契約を締結したので秘密管理性があるとの原告の主張に対しては、裁判所は下記のようにして認めませんでした。
❝原告の主張する文書化されていない非公開の手技については何ら具体的な主張立証がなく、前記イのとおり、本件秘密保持等契約書の対象は、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報であって、文書化されていない非公開の手技や本件付加情報は含まれないから、採用できない。❞
結局のところ裁判所は、原告が主張する非公開の手技等は、文章化もされていないし、それが秘密であることを従業員に認識させていなかった、ということで手技等の技術の秘密管理性を認めなかったことになります。また、特許権についても、被告は特許権の技術的範囲に含まれない技術を実施したのであるから、秘密保持契約の債務不履行にはならないとされています。

この裁判例における手技のように、自社開発技術について文章化等せずに従業員に実施させる一方、当該技術は秘密であるとの認識を持っている会社は多いと思います。
しかしながら、本ブログでも度々述べているように、文章化等しなければ秘密として管理もできず、裁判において秘密管理性が認められることは無いと考えられます。
このように、営業秘密とする情報は、営業情報や技術情報にかかわらず、文章化、リスト化、その他の手法によって従業員が認識できる形とし、それを秘密管理する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年3月28日火曜日

営業秘密刑事事件数の推移

先日、警察庁生活安全局から「令和4年における生活経済事犯の検挙状況等について」が公表されました。

これによると、営業秘密侵害事犯の検挙事件数は昨年度29件であり、他の事件に比べると数は少ないものの、過去最多であり下記グラフのように右肩上がりに増加しています。
これは、転職等による人材流動が増加していることに伴うと考えられますが、企業も営業秘密の不正な持ち出しは犯罪であるという認識が高まり、不正な持ち出しを監視するシステム構築が進み、不正な持ち出しの発見が多くなっていると想像されます。



営業秘密の侵害事件が報道されると、被害企業の情報管理体制等を問題視する傾向があるように思えますが、それは間違いと考えています。当然、営業秘密の不正な持ち出しが全く無いことが理想ですが、それでも持ち出す人は必ず存在します。これに対して、情報管理体制が適切であるからこそ、営業秘密の不正な持ち出しを発見できているとも考えられるためです。

一番良くないことは、営業秘密の不正な持ち出しを発見する体制が整っておらず、営業秘密を持ち出されているにもかかわらず、それを発見できないことです。そのような企業は、「自社からの営業秘密の流出はない」とのような誤った認識を持つことになります。

また、下記は主な営業秘密流出事件の判決の一覧です。

一昔前は、顧客情報等の販売を目的とした営業秘密の流出が多かったようにも思えます。典型例としては、携帯電話の加入者情報でしょう。近年では、このような販売等を目的とした営業秘密の流出少なくなっているようです。この理由は、販売目的とした営業秘密の流出は、直接的な金銭の授受があるため、犯罪意識を高く感じるためかもしれません。

一方で、近年では上記のように転職先で開示・使用することを目的とした営業秘密の流出が多くなっています。これには、直接的な金銭の授受は発生しませんし、場合によっては自分が作成した、自分が業務に用いていた、という意識があり、モラルとしては良くないけれど犯罪ではない、という誤った認識があるのかもしれません。

さらに、転職時の流出ということもあいまって、近年では技術情報の流出も多くなっているようにも思えます。これは知財の観点からすると、転職者が前職企業の技術情報を持ち込んだ結果、違法に流入した他社技術と自社技術とが混在する可能性があります。もし、このような状況に陥って他社の営業秘密侵害となり、差し止めとなると特許権の侵害よりも困ったことになります。
特許権の侵害でしたら、当該特許の存続期間が経過するとそれまで侵害であっても、その後は自由に実施できます。しかしながら、営業秘密には存続期間の概念がありません。そうすると、差し止めの状態が何時まで続くのか分かりません。
このような、営業秘密の流入リスクは、今後顕在化してくるでしょう。そうならないためにも、営業秘密の流出・流入には細心の注意を払う必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年3月21日火曜日

トヨタFCV特許開放を考察

トヨタ自動車のFCV(燃料電池自動車)に関する特許のオープン化について下記ブログに書いたように、2023年現在においても、FCVが普及しているようには思えません。

参考ブログ

このような特許の無償開放があってもFCVが普及しない理由は、そもそも水素ステーションの数が少ない、水素ビジネスの不透明性といったような環境要因が大きいかと思います。
しかしながら、トヨタによるFCV特許の無償開放にはもっと良いやり方があったのではないかと思います。

まず、トヨタによるFCV特許開放は、下記を参照すると以下のようなものです。

1.対象特許の数:5680件
2.期限:2015年~2020年(後に2030年までに延長)
3.提携先にはノウハウを提供
4.無償開放を受けるためにトヨタへ申し込みを行い契約書の締結が必要

まず、対象特許の数が5680件という点ですが、具体的にどのような特許(特許出願番号や特許番号等)が無償開放されるのかという情報は公開されていないと思われます。このため、特許の無償開放を受けたい企業は、トヨタに問い合わせて対象特許の情報を貰う必要があるようです。そのうえで、トヨタとの間で契約締結です。このため、無償開放を受けようと考える企業のハードルはある程度高くなっていると感じます。

さらに、当初は2020年までが無償開放の期限でした。これは、無償開放を受ける側としては、2020年以降はどうなるのか分からないというリスクがあります。一方で、トヨタとしては、無償ライセンスを受けた企業に対して、2020年以降は有償ライセンスへの切り替えや、当該企業が開発した新規技術とのクロスライセンスといった方向に誘導する思惑が有ったようにも思えます。ただ、2030年まで延長となっている現在は、無償開放する特許権の存続期限が切れるか残り僅かとなるので、このような思惑が当初有ったとしても実行することは難しいと思います。

では、FCVの普及を促進すると共に自社利益を得るための知財戦略(戦術)はどのようなものが考えられるでしょうか。以下に他社による過去のオープン・クローズ戦略を参考にして立案してみたいと思います。

まず、5680件という膨大な数の開放対象とされる特許の選定です。
実際には、日本だけでなく外国での権利及び出願も含んでいると思われるので、発明としてはこの数分の一の可能性がありますが、それでも1000件はあるでしょう。
これらの特許を基盤技術と差別化技術とに分けます。5680件という特許の全てが基盤技術(又は差別化技術)ではないと思え、これらの特許は基盤技術と差別化技術に分けることができるでしょう。

このような基盤技術と差別化技術とに分け、オープン・クローズ戦略を行った事例としてQRコードが挙げられます。QRコードでは、QRコードそのものを基盤技術と捉えて特許権を無償開放する一方、読取装置に関する技術を差別化技術と捉えて、特許権やノウハウをライセンスしています。

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ここで、FCVを開発した国内自動車メーカーはトヨタの他にホンダもあります。おそらく、トヨタとホンダは、各々の特許を回避した技術を用いた独自のFCVを開発しているかと思います。そこで、トヨタ式のFCVを製造できる最低限の技術を基盤技術と捉え、この基盤技術に係る特許(基盤特許)を選定します。

そして、基盤特許を無償開放の対象とします。無償開放を行うにあたって、対象となる基盤特許を少なくともリスト化し、契約を必要とせずに誰でも閲覧可能、かつ実施可能とします。これにより、トヨタ式FCVの普及を促進させます。

このような方法は、ダイキン工業が冷媒R32を用いた空調機を普及させるために用いた知財戦術とも同様です。なお、ダイキン工業も当初は、契約締結により特許の無償開放を行っていましたが、その後、契約不要として特許を無償開放して冷媒R32の普及促進を図りました。

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しかしながら、ダイキン工業は、完全に無条件で特許を無償開放したのではなく、他社がダイキン工業に対して特許権侵害を主張する一方で、当該他社がダイキン工業が無償開放した特許権を実施している場合には、当該他社に対して当該特許権の無償開放を取消すことも明言しています。すなわち、ダイキン工業は、無償開放した特許権を実施した当該他社に対して特許権侵害を主張するということです。
このように特許権を無償開放する場合に、防御的取消の規定を設けることは自社を守るためにも有効かと思います。

一方、基盤特許に選定されなかった特許が差別化技術の特許(差別化特許)となります。
差別化特許は、無償開放されたトヨタの基盤特許を用いたFCVを製造する企業が複数存在する場合に、これらの企業が他の企業が製造したFCVに対して競争力を得るための特許となります。なお、この複数の企業の中には、トヨタ自身も含まれます。

差別化特許に対しては、無償開放するのではなく、有償ライセンスとすることで、自社利益とできます。また、差別化特許の有償ライセンスと共にノウハウを有償で提供したり、有償とする代わりに共同研究等も可能かもしれません。
さらに、差別化特許は、他社のFCVとの差別化のために、有償ライセンスもせずに自社実施のみとしてもよいでしょう。

このように、特許を無償開放するというだけで、他社が飛びつくわけではないため、相応の準備が必要です。
仮に、無償開放した特許権に係る技術を実施する他社が現れなかったら、無償開放の意味がありません。それどころか、自社のみで普及が難しいにもかかわらず自社が特許権を保有していたら、他社は当該特許権に係る技術を実施できないので当該技術は普及することはありません。
このため、特許に係る技術の普及を目的とした無償開放は、可能な限り条件を付けずに、他社にとって無償ライセンスを受け易くする環境作りが必要でしょう。
無償開放を受けるための条件が多いと、結局、他社に特許権者の下心が見透かされ、無償開放した特許権に係る技術を誰も実施しないでしょう。このため、上述のように、基盤特許と差別化特許とを明確に切り分け、それぞれについて本来の目的を達成できるように戦略(戦術)を明確にするべきかと思います。

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2023年2月8日水曜日

QRコードとPDFの知財戦略の共通性

前回までは、Adobeが開発したPDFの知財戦略について考えてみました。

また、以前にはデンソーが開発したQRコードの知財戦略についても知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えています。

QRコードとPDFとは、説明するまでもなく、技術分野や市場が全く異なります。
しかしながら、新たなフォーマットの技術を広く普及させるための事業戦略・知財戦略は良く似通っているとも思えます。その類似点について述べてみようと思います。

まず、QRコードとPDFとはシステムとして考えた場合には処理の流れが以下のように同じとも思えます。

<生成装置>
・QRコード:QRコードの生成ソフト
・PDF:PDFファイルの生成ソフト
<生成物>
・QRコード
・PDFファイル
<読取装置>
・QRコードの読取装置
・PDFファイルの閲覧ソフト

QRコードを開発したデンソーは、QRコードそのもの(QRコードの生成)について特許権を有していまいたが、QRコードの生成については無償許諾しています。このため、デンソーは、生成ソフト及びQRコードそのものからは収益を得ることができません。
一方、デンソーは、読取装置に関する特許権を他社にライセンスしたものの、自社が技術的優位性を保つために画像処理技術に関しては秘匿化しています。

また、PDFについて、AdobeはPDFに関する特許権を有していましたが、PDFファイルの閲覧ソフト(Acrobat Reader)をエンドユーザに無償提供しています。このため、AdobeはPDFファイルそのものや閲覧ソフトから収益を得ることができません。
さらに、Adobeは、PDFファイルに関する仕様書であるPDF仕様書を無償公開しているので、他者はPDFファイルの生成ソフトを製造販売することができます。しかしながら、Adobeは他社に対してPDF仕様書に準拠することを要求しており、PDF仕様書を超えた優れた機能はAdobeしか実施できないようにすることで、自社の技術的優位性を保っています。


このように、QRコード、PDF共に、エンドユーザが使用して最も多量に生成されるQRコードとPDFファイルに対して基本的に権利行使の対象としておらず、これらから収益を得ていません。
一方で、QRコード、PDF共に、自社が収益を挙げることができる技術が何であるかを見定め、そこに知財を活かしています。すなわち、QRコードでは優れた画像認識機能を必要とする読取装置、PDFではPDFファイルの生成や編集等の様々な機能が付加される生成ソフトで収益を得ています。

また、QRコードは、読取装置に関する特許権の有償ライセンスを行うと共にノウハウの開示を行っています。これは、QRコードは画像認識により再現性高く読み取る必要があるものの、企業によっては読み取りに関する技術が不十分な可能性があります。このため、ノウハウ開示は、他社の読取装置の性能や品質が最低限に確保できるようにするという目的があります。仮に、QRコードを正しく読み取れないような他社製品が市場に出回ると、QRコードという技術の信頼性が大きく損なわれ、QRコードの普及を阻害することになるでしょう。

一方で、AdobeはPDF仕様書を無償(ライセンスフリー)で開示していますが、QRコードのようにノウハウの提供までは行っていないようです。PDF仕様書には、十分な情報開示がなされており、他社もPDF仕様書に基づいてPDF作成ソフトを製造することで当然に再現性の高くPDFを作成できるということなのでしょう。そもそも、PDF仕様書は無償開示されているので、さらにAdobeが他社にノウハウ提供を行うことは考えられないでしょう。

ここで、QRコードもPDFのようにQRコードの読取装置に関する仕様書を無償開示する一方で、仕様書に準拠しない読取装置を製造販売した他社に権利行使を行うという方策(知財戦略・戦術)を採用したらどうなっていたでしょうか。
仕様書の無償開放を行うと、上記のように他社に対してノウハウの提供を行うことを前提としません。このため、QRコードの開発当時である1990年代は今ほど画像認識技術が一般的ではないため、性能や品質が劣る読取装置が市場に出回る可能性が高いのではないでしょうか。従って、ノウハウの提供を行うという前提に立つと、QRコードの読取装置の特許権に関して有償でライセンスすることは、非常に理にかなっているように思えます。

しかしながら、仮に現在のように、ある程度高いレベルの画像認識技術を比較的容易に取得できる環境、さらにはスマホ等を用いることで取得した画像を認識できる環境においては、仕様書に読取装置の技術内容を記載することで特段のノウハウ提供をおこなうことなく、他社は性能や品質が十分な読取装置を製造できるのではないでしょうか。
すなわち、当該技術を取り巻く環境(又はビジネス環境)に応じても、当然に知財戦略・戦術は変わってくるということになります。すなわち、技術環境やビジネス環境を見誤ると、適切な知財戦略・戦術を選択できない可能性があります。

以上のように、QRコードやPDFと同様の新たなフォーマットの技術を開発した場合に、当該技術を普及させるためには、これらの知財戦略・戦術が参考になるかと思います。

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2023年1月30日月曜日

PDFの普及から考える知財戦略(2)

今回は前回の続きであるPDFの普及に関する知財戦略・戦術について考えます。

PDFの普及に関する事業戦略・戦術は以下のようなものでした。

<事業目的>
PDF市場を大きくする。
<事業戦略>
(1)誰もがPDFを無料で閲覧可能とする。
(2)PDF作成ソフトを他社も開発可能とし、他社によるPDF市場参入を促す。
(3)自社製のPDF作成ソフトの販売で利益を得る。
<事業戦術>
(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。
(2)PDF仕様書を無償で公開する。
(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。

上記事業戦術における「(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。」については、知財戦略というよりもAcrobatの販売戦略の色合いが強いとも思え、知財戦略の立案対象ではないとします。
そこで、知財戦略としては「(2)PDF仕様書を無償で公開する。」及び「(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。」に対応するもの考えます。すなわち、事業戦術の(2),(3)は、知財なくして実現できないものであり、知財の使い方を誤ったら自社が利益を挙げることができなくなるかもしれません。

事業戦術(2)と(3)とは、PDF仕様書を無償公開しつつ、そのPDF作成ソフトで利益を挙げるという、表裏一体ともいえるものです。そこで、事業戦術(2)と(3)とを組み合わせたものを知財目的「PDF仕様書を無償公開しつつ、高機能のPDF作成ソフトを販売。」とし、知財戦略・戦術を以下のように考えます。

<知財目的>
PDF仕様書を無償公開しつつ、高機能のPDF作成ソフトを販売。
<知財戦略>
PDF仕様書の技術範囲に係る特許権や著作権を無償開放しつつ、PDF仕様書には自社のPDF作成ソフトに実装する高機能は記載しない。
<知財戦術>
(1)PDFに関する特許権(PDFそのものの機能、PDF作成ソフトの機能)を取得し続ける。
(2)プログラムの著作権の管理。
(3)自社の優位性を保つための高機能技術に係る権利は無償開放しない。
(4)PDF仕様書に準拠しない技術を開発した他社には権利行使。
(5)新たな技術を追加してPDF仕様書を更新する。
上記のように知財戦略は、「PDF仕様書の技術範囲に係る特許権や著作権を無償開放しつつ、PDF仕様書には自社のPDF作成ソフトに実装する高機能は記載しない。」となります。
ここで、PDF仕様書を無償公開としても、その技術範囲に係る特許権や著作権も無償開放としなければ、他社はPDF作成ソフトの製造に躊躇することとなります。そこで、知財戦略としては、上記特許権や著作権の無償開放となります。なお、著作権とは、ソフトウェアのプログラムになります。
その一方で、PDF作成ソフトの高機能については、PDF仕様書には含まないようにします。この高機能は、Adobeにとっての利益の源泉となるため、他社による実施は許諾できません。

次に、このような知財戦略に基づく知財戦術としては、まず「(1)PDFに関する特許権を取得し続ける。」は必要かと思います。特許の対象はプログラムなので、特許出願しなければ他社による模倣を防止できるかもしれません。しかしながら、知財戦術の「(5)PDF仕様書の更新」を考慮に入れると、更新する仕様書には新しい技術を記載することとなるため、仮に特許権を取得しないと知財戦術「(4)PDF仕様書に準拠しない技術を開発した他社には権利行使。」ができないこととなります。
また、PDFの開発を進めることで必然的に関連する著作権も得ることとなります。そして、知財戦術(4)を行うためには、自社がどのような著作権を有しているかを管理する必要があります。これが知財戦術の「(2)プログラムの著作権の管理。」となります。

また、知財戦術として「(3)自社の優位性を保つための高機能技術に係る権利は無償開放しない。」が挙げられます。これは、自社のPDF作成ソフトの優位性を保つために必要なこととなります。従って、この知財戦術(3)は、非常に重要な判断を要します。この判断を誤るり、高機能技術をPDF仕様書に加えてしまうと、自社利益の源泉となる技術を他社に与えることとなります。その一方で、PDF仕様書の更新の際に、PDF仕様書に加える新たな技術を出し渋ると、他社のPDF作成ソフトが陳腐化し過ぎ、PDFに替わる新たなフォーマットのドキュメントファイルの台頭を許すことになりかねません。

また、知財戦術として「(4)PDF仕様書に準拠しない技術を開発した他社には権利行使。」が挙げられます。PDF仕様書の公開と共にこの条件を加味しないと、他社はAdobeよりも高機能なPDF作成ソフトを製造販売する可能性が有ります。この方策があるからこそ、他社はPDF市場に参入するものの、PDFに関連する新しい技術開発ができずに、常にAdobeよりも劣る機能しか実装できないこととなります。仮に方策が無ければ、Adobeは他社に対する優位性を保つことが難しくなるでしょう。

さらに、知財戦術として「(5)新たな技術を追加してPDF仕様書を更新する。」が挙げられます。具体的には、Wikipediaの「Portable Document Format」に記載があるように、PDF仕様書は複数回の更新が行われており、その都度、新機能が追加されています。
これにより、他社は、Adobeの製品よりも劣るものの、PDF仕様書が更新されると新たな機能を自社の製品に追加することができ、自社製品の陳腐化を防止できます。そして、それがPDFそのものの陳腐化を防止し、新たなフォーマットのドキュメントファイルの台頭を防止します。

以上のように、PDFを普及させつつ、Adobeが利益を挙げるための事業戦略及び知財戦略は、自社開発技術のオープン・クローズ戦略の良い例であり、このような戦略は、新たなフォーマットの技術を開発した場合に、当該フォーマットの普及とそこから利益を挙げるための手法の参考になると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年1月23日月曜日

PDFの普及から考える知財戦略(1)

AdobeのPDF(Portable Document Format)は説明するまでもなく世界中に広く普及しています。このPDFファイルを閲覧するためには、専用のソフトウェアが必要ですが、AdobeはAcrobat Readerを無償提供することで、誰でもPDFファイルを閲覧可能としています。
また、Adobeは、PDFに関する特許を多数取得し、現在ではPDFの仕様はISOの規格になっています。
では、AdobeはこのPDFをどのような戦略によって広く普及させたのでしょうか。
今回も知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えてみます。

まず、PDF普及の概要については、以下のようなものです。なお、上記のようにPDFに係る技術は現在では規格化されているので、下記のPDF普及の概要は普及戦略の初期段階ともいえるでしょう。

まず、Adobeは、PDF作成ソフトとしてAcrobatを販売しました。また、Adobeは、PDF閲覧ソフトとしてAcrobat Readerを無償提供することで、誰でもPDFファイルを閲覧可能としています。
Adobeは、AcrobatやAcrobat Readerを市場に投入する一方で、PDF仕様書を公開しました。また、PDFの作成に係るAdobeの特許権は無償許諾されます。これにより、Adobe以外の他社もPDF作成ソフトを自社で開発して販売したり、PDF作成機能を自社のソフトウェアに組み込むことができます。
このような方策により、PDF市場が大きくなることが期待でき、実際に大きくなりました。

しかしながら、誰でもPDF作成ソフトを開発可能とすると、Adobeよりも優れたものを他社が開発する可能性があります。そうすると、PDF市場におけるAdobeの優位性が失われる可能性があります。
そこで、Adobeは自社の優位性を保つために、他社によるPDF作成ソフトの開発に対して「仕様書に準拠しなければならない」という条件を設けることで、他社が独自技術を開発することを禁じたようです。仮に、他社が独自技術を盛り込んだPDF作成ソフトを製品化すると、Adobeは特許侵害とするのでしょう。
さらに、プログラムの著作権も無償開放する一方で、他社による当該著作権に係る技術を用いた独自技術の開発を禁じていたようです。

以上のことを知財戦略カスケードダウンに当てはめます。
まず、事業戦略ですが、下記のように考えます。
<事業目的>
PDF市場を大きくする。
<事業戦略>
(1)誰もがPDFを無料で閲覧可能とする。
(2)PDF作成ソフトを他社も開発可能とし、他社によるPDF市場参入を促す。
(3)自社製のPDF作成ソフトの販売で利益を得る。
<事業戦術>
(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。
(2)PDF仕様書を無償で公開する。
(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。

事業目的は、「PDF市場を大きくする。」、換言すると、PDFを世界中に普及させることになります。

この事業目的を達成するための事業戦略は、上記のように(1)~(3)です。
事業戦略の「(1)誰もがPDFを無料で閲覧可能とする。」は、実際にPDFを使用するエンドユーザを意識したものになります。すなわち、PDFの閲覧ソフトが有料であると、エンドユーザはPDFを使用する意欲が必然的に低くなるでしょう。一方で、PDFを無料で閲覧可能とすると、エンドユーザはPDFの閲覧に対する抵抗感は非常に低くなるでしょう。
この事業戦略(1)に対応する事業戦術が、「(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。」となります。すなわち、閲覧ソフトの無償提供は、他社に頼ることは難しいため、まずは自社開発ソフトを無償提供するということになります。

次に、事業戦略の「(2)PDF作成ソフトを他社も開発可能とし、他社によるPDF市場参入を促す。」ですが、これはPDFの事業戦略の一番の特徴です。PDFを広く普及させることは、自社だけでなく他社も巻き込んだほうが実現し易いでしょう。
しかしながら、それは他社が容易に市場参入可能とする環境整備が必要です。その環境整備が事業戦術の「(2)PDF仕様書を無償で公開する。」です。他社は、Adobeが提供するPDF仕様書に基づいてPDF作成ソフトを制作すればよく、開発コストは当然低くなり、PDF市場への参入も容易となるでしょう。

上記(1),(2)のような事業戦略・戦術によってPDF市場の拡大を図りますが、AdobeはどのようにしてPDF市場から利益を挙げるのでしょうか。それが事業戦略の「(3)自社製のPDF作成ソフトの販売で利益を得る。」となります。
ここで、上記(2)のように事業戦略・戦術としてPDF仕様書を無償公開しているので、他社は安価にPDF作成ソフトを制作でき、場合によっては自社の既存ソフトの機能の一つとしてPDF作成機能を組み込むこともできます(マイクロソフトのWordには現在機能の一つとしてPDF化があります。)。すなわち、他社はエンドユーザに対して低額又は実質的に無償でPDF作成ソフトを市場に投入してエンドユーザに提供できます。
このため、Adobeは、低価格のPDF作成ソフトを市場に投入して利益を得ることは現実的ではないでしょう。
そこで、この事業戦略(3)に対応する事業戦術は、「(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。」となります。高機能化により他社のPDF作成ソフトと差別化し、より高い利益を求めるという事業戦術です。

次回は、このようなPDFの普及に対する事業戦術に対応する知財戦略・戦術について考えます。

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2023年1月15日日曜日

インテルのMPU普及から考える知財戦略

パソコンのMPU(CPU)メーカーとして最も有名なメーカーはインテルでしょう。インテルが何を製造しているのか知らなくても、「Intel inside」というキャッチコピーを聞いたことがない人は殆どいないのではないでしょうか。
そのインテルのMPUは、パソコン本体の製造メーカーにかかわらず、パソコンに搭載されて世界中に普及しています。

インテルによるMPUの普及戦略は、オープン・クローズ戦略として紹介及び解説されています。そこで、インテルによるMPUの普及戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えてみます。
なお、本ブログではインテルの戦略として、小川紘一 著「オープン&クローズ戦略 日本企業再興の条件」、立本博文 著「PCのバス・アーキテクチャの変遷と競争優位―なぜ Intel は、プラットフォーム・リーダシップを獲得できたか―」を参照しています。


まず、インテルは、主にパソコンメーカーに自社製MPUを個別に搭載してもらうことで、MPUから売り上げを得ていました。
しかしながら、そのような状況では、インテルがより性能の高い新たなMPUを開発しても、パソコンメーカーが新たなMPUを搭載したパソコンを製造販売するまでに時間を要することとなり、インテルとしてはビジネスが思ったように進まないという課題があったようです。また、当然、競合他社性のMPUとの開発競争もあり、インテル社製のMPUが市場で優位に立てる環境を構築する必要がありました。

このため、インテルは自社製のMPUを搭載したマザーボードを製造販売することで、自社製のMPUを搭載したパソコンの製造を容易にし、それにより自社製のMPUを普及させようとしました。しかしながら、インテルによるマザーボードの製造数は市場規模からすると小さく、自社製のマザーボードによって自社製のMPUを広く普及させることは困難でした。
そこで、マザーボードを多く安価に製造していたメーカーが台湾メーカーであったことから、インテルは台湾メーカーに自社製のMPUを搭載したマザーボードを製造させて自社製のMPUをより広く普及させるという戦略を取りました。

このような経緯から、インテルが最新の自社製MPUを広く普及させるという事業目的に対して選択した事業戦略・戦術は下記のようになります。

<事業目的>
最新の自社製MPUを広く普及させる。
<事業戦略>
最新のMPUを搭載したマザーボードを市場に供給
<事業戦術>
台湾メーカにマザーボードを安価に製造させ、マザーボードに自社製MPUを搭載することで、MPUの販売量を増加させる。

すなわち、インテルが他社に比べて優れたMPUを開発すると、早期に台湾メーカーがこのMPUを搭載したマザーボードを安価に製造販売します。
これにより、パソコンメーカーはこのマザーボードを用いた高性能なパソコンを次々と市場投入することになるので、マザーボードの販売数が増加し、台湾メーカーは売り上げを増加させることができます。
インテルは、台湾メーカーのマザーボードの販売数が増加すると、当然に自社製のMPUの販売数も増加することとなり、MPUによるインテルの売り上げも増加することとなります。
そして、インテルによるこの事業戦略は実際に成功を納めています。


次に、インテルによる上記事業戦略を実現するための知財戦略についてです。
この知財目的・戦略・戦術は下記のようになります。

<知財目的>
自社製MPUを搭載したマザーボードを台湾メーカに安価に製造させる。
<知財戦略>
自社製MPUに対応した技術(特許権やノウハウ)をマザーボードメーカに提供。
<知財戦術>
・提供するノウハウは、放熱技術やノイズ抑制技術。
・ライセンスする特許はローカルバスに関する特許。しかし、特許権に係る技術の改版については認めない。
・MPUの技術は秘匿化。
・マザーボードの外部インタフェース等の標準化。

インテルは、自社製MPUを搭載したマザーボードを台湾メーカーに安価に製造させるために、台湾メーカーに特許権のライセンスを含む技術供与や提供することを知財戦略としました。ライセンスされた特許権は、ローカルバスに関するもの、提供されたノウハウは、放熱技術やノイズ抑制技術のようです。
台湾メーカーはインテルからの特許権やノウハウ等の技術提供により、インテル製のMPUを搭載するための技術開発を自社で行う必要がなくなり、インテル製のMPUを搭載することを前提としたマザーボードを安価に製造できるようになります。
また、インテルは、独自又は他社と協力して、マザーボードの外部インタフェース等を標準化しました。これにより、パソコンのコモディティ化が進み、その結果、パソコンそのものが安価になって普及することになり、さらにマザーボードの販売数を増加させることができます。
一方で、インテルはMPUの技術は秘匿化することで、他のメーカーにインテル製のMPUと同様のMPUを製造させることを防止します。
このように、インテルは、自社製MPUをマザーボードに搭載するための技術をオープン化する一方で、MPUそのものについてはクローズ化するという戦略を取っています。

さらに、インテルは、自社製MPUに対応するローカルバスの特許権をライセンスするものの、その改版については認めませんでした。これにより、仮にインテル以外のメーカーのMPUをマザーボードに搭載しようとすると、当該特許権に係る技術を改良する必要があるため、インテル製のMPU以外を搭載できなくなります。
実際に、インテルはライセンス契約の無効を主張して訴訟を台湾VIA Technologies社に行うと共に、VIA社との取引を停止しました。VIA社が、インテルが用いたバス仕様のDRAMとは異なるバス仕様のDRAMを使用したマザーボードを製造したためです。

このように、特許権をライセンスするもののその改版を認めないことは、インテルに限らず他社でも行われています。例えば、デンソーによるQRコードの無償ライセンスやAdobeによるPDFフォーマットの無償ライセンスです。
このような特許権をライセンスするものの改版を認めないことにより、特許権を有している自社よりも優れた技術開発を抑制し、自社優位性を保つということが可能となります。

オープン・クローズ戦略は、自社だけでは自社製品を広く普及させることが困難な場合に、他社の力も借りて普及を実現させることを目的として採用させる戦略です。
このため、オープン化した技術を採用する他社も利益を挙げて貰う必要があります。
その一方で、この他社が自社のビジネスを脅かす存在となり得る可能性もあります。このため、他社の事業活動が自社を脅かすことを抑制するための方策もセットで構築する必要があります。

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2022年12月31日土曜日

特許出願の公開前取り下げと秘匿化

特許出願をすると1年6か月後に公開されます。
しかしながら、特許出願しても公開前に取り下げることで、自社開発技術の秘匿化を保つという知財戦術をとる会社もあるようです。

その理由の一つとして、特許出願した自社の技術開発スピードが他社よりも十分に先行しており、特許化によるメリットよりも公開リスクの方が大きい場合でしょうか。
このような場合には、特許出願を取り下げた直後に再び特許出願を行います。このような出願と取り下げとを、他社開発技術が自社開発技術に近くなるまで繰り返し、他社開発技術が自社開発技術に近くなったと思われるタイミングで当該特許出願を取り下げることなく、審査請求します。
これにより、他社に自社開発技術を知られることなく、かつ他社よりも先んじて特許取得を可能とします。
とはいえ、他社開発技術がどの程度まで進んでいるのかを知ることは難しいため、さほど現実的な知財戦術ではないと思います。

異なる知財戦術として、公開前の特許出願の取り下げと早期審査とをセットにすることが考えられます。
特許出願とほぼ同時に早期審査を行い、特許査定を得られる可能性が低いようであれば、公開される前に当該特許出願を取り下げることで他社に自社開発技術を知られることを防止するというものです。
これは実際に行っている企業もあるようで、このような知財戦術は有効かと思います。


ここで、気になる点は、特許査定を得られないのであれば、営業秘密でいうところの有用性又は非公知性もないのではないかということです。
仮に拒絶理由が新規性違反であり、それを覆すことができないのであれば、非公知性は喪失しているのでで、当該特許出願に係る技術を営業秘密とすることはできません。

しかしながら、拒絶理由が進歩性違反である場合には、必ずしも営業秘密の有用性が無いとは言えません。
営業秘密の有用性の判断として、特許の進歩性と同様の判断を行った裁判例がいくつもありますが、近年の刑事事件の裁判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)として下記のように裁判所が判断したものがあります。
❝不正競争防止法が営業秘密を保護する趣旨は,不正な競争を防止し,競争秩序を維持するため,正当に保有する情報によって占め得る競争上の有利な地位を保護することにあり,進歩性のある特別な情報を保護することにあるとはいえないから,当該情報が有用な技術上の情報といえるためには,必ずしもそれが「予想外の特別に優れた作用効果」を生じさせるものである必要はないというべきである(そもそも何をもって「予想外」「特別に優れた」というのかが曖昧であり,その意味内容によっては,不正競争防止法が所期する営業秘密保護の範囲を不当に制限する可能性がある・・・)。❞
このような裁判例があることを鑑みると、特許の進歩性がないと判断された技術情報が営業秘密の有用性もないと判断されない可能性もあります。

ここで注意が必要なことは、「特許出願の取り下げ=秘密管理性」ではないことです。取り下げの目的は特許出願に係る技術を秘匿化したいというものですが、取り下げ自体は秘密管理意思を示すものとはみなされない可能性があります。
このため、取り下げた特許出願に係る技術は、適切に秘密管理を行う必要があります。特許出願の請求の範囲及び明細書等をそのまま秘密管理してもよいかと思いますが、明細書には公知の技術も多数書かれています。また、特許請求の範囲も場合によっては公知の技術がトップクレームとなっている場合もあるでしょう。このため、どの技術が秘密管理の対象となっているのかを請求の範囲や明細書中に明示した方が秘密管理としてはより万全かと思います。

公知の技術情報と非公知の技術情報とが混ざった状態で秘密管理されていると、秘密管理の対象となっている情報を従業員等が認識できないとして、非公知の技術情報の秘密管理性までもが否定される可能性があるためです。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月26日月曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(有用性)

前回の判例紹介の続きです(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)。
この事件は、原告が被告から宅配ボックスの開発・製造の委託を受けたものの、被告が本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめ、原告の営業秘密である本件データを使用して被告製品を製造・譲渡したというものです。
この事件は、被告は原告の営業秘密である本件データを不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求が認められました。

前回は本件データの秘密管理性についてでしたが、今回は有用性と非公知性についてです。
まず、本件データの有用性について、裁判所は下記のようにして認めており、この判断は至極妥当であると考えられます。
❝本件データは,前記(1)のとおり,本件新製品の最終試作品の製作のために原告が作成した3Dデータであり,3次元の空間における部品の構造(部品の長さ,形状,厚みなどの全ての構造)が詳細に記録され,本件データがあれば本件新製品の試作品を容易に製造することができるものであるから,原告の事業活動において有用な情報であり,有用性が認められる。❞
一方で、被告は❝本件データは,本来であれば被告製品の基となることが予定されていたものであるから,原告の事業活動において有用な情報であるとはいえない❞とのように主張したようです。しかしながら、裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データについて,被告製品の製造以外に用いることができないといった事情はうかがわれないから,被告製品の基となることが予定されていたことをもって原告の事業活動における有用性が否定されるとはいえない。❞
この裁判所の判断からすると、本件データが被告製品の製造にのみ用いるものであれば、有用性が否定されるとも解釈できます。1つの企業でしか用いることができないデータが存在するのか分かりませんが、そのようなデータは有用性が認められないということでしょうか。そのような理由で有用性が否定され得るのか、少々疑問に感じます。


また、被告は❝本件データの内容に技術的な特殊性及び革新性はなく,公知情報の組合せであって,予想外の特別に優れた作用効果を奏するものでもない❞とも主張したようです。しかしながら、これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データは,具体的な試作品の作成が可能な程度に部品の構造や寸法が詳細に記録されたものであり,単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したものではないから,本件データが公知情報の組合せにすぎないとはいえない。❞
この裁判所の判断も妥当なものと思われます。
しかしながら、上記判断では、本件データは❝部品の構造や寸法が詳細に記録されたもの❞であるから有用性を認めるとしており、仮に本件データが❝単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したもの❞であれば有用性は認められないとも解釈できます。このことは、営業秘密が有用性を満たすか否かの判断において重要なことを示唆していると思われます。
すなわち、他の裁判例でもあったように、特許で言うところの進歩性が低い情報については有用性が認められない可能性を示唆しています。なお、原告は、被告の主張に対して❝有用性と特許制度における進歩性の概念とを混同したものであって,失当である❞とも主張しましたが、この原告の主張に対して裁判所は何ら述べていません。
また、被告の上記主張は非公知性としても述べられていますが、非公知性としても同様の判断で裁判所は被告の主張を認めませんでした。

さらに、被告は❝本件データには原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれているから,原告にとっての有用性は非常に低い❞とも主張しました。これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件新製品の仕様等について原告と被告は打合せを繰り返したが,弁論の全趣旨によれば,本件データの作成自体は原告が単独で行ったものと認められるから,この点も本件データの有用性を否定するものとはいえない。❞
このように裁判所は、❝本件データの作成自体は原告が単独で行ったもの❞であるとして、被告の主張を認めませんでしたが、この判断はどうでしょうか。仮に、本件データを原告が被告と共に作成しても本件データの有用性は否定されないと思います。

なお、被告は❝本件データは樹脂製品及び宅配ボックスについての知識経験を豊富に有する被告の助言・監修の下で作成されたものであるから,原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれている。❞とも主張しています。これに対して、原告は❝本件データの作成過程において,原告が被告の意向を踏まえてデータを作成することがあったとしても,その意向は抽象的な要望やアイデアにすぎなかった。❞とのように反論しているものの、本件データに被告のアイデアが含まれていることは否定していません。

このようなことから、被告は本件データを共同作成したことを有用性の有無で争うのではなく、本件データは原告と被告とが共同作成したものであるから、本件データの保有者には被告も含まれることで主張した方が良かったように思えます(この主張が認められる可能性は低いかもしれませんが)。もし、この主張が認められたら、本件データは原告と被告とが共同で保有しているので、被告も使用可能であり、被告による営業秘密侵害にはならない可能性があるのではないでしょうか。

ここで、発明については「具体的着想を示さず単に通常のテーマを与えた者又は発明の過程において単に一般的な助言・指導を与えた者」は発明者とはなりません。すなわち、原告と被告の共同作成を発明に当てはめると、被告が原告に抽象的なアイデアを与えただけでは発明者とはなり得ないでしょう。一方で、「提供した着想が新しい場合は、着想(提供)者は発明者」とされます。もし、被告が原告に与えたアイデアが新しい着想である場合には、被告は発明者となり得、当該発明に対して特許を受ける権利を有することとなります。

特許と営業秘密とを同様に考えることは必ずしも適切ではないと思います。しかしながら、原告が作成した本件データが、仮に被告が独自に着想した新規(非公知)のアイデアに基づいて図面とされているものであれば、本件データは被告のアイデア無くして作成できたものではありません。そうであれば、被告も本件データの保有者という主張も議論の余地があるのではないかと思います。
なお、仮に被告が本件データの保有者であると認められ、被告の営業秘密侵害が否定されたとしても、被告は原告に対して少なくとも本件データの作成費用の支払い義務はあるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月4日日曜日

特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移

下記は近年の日本における特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移を示したグラフです。(日本企業の研究開発費の推移は科学技術指標2022を参照)
2020年は特許出願件数が307,969件(2019年)から288,472件に大きく減少しています。その減少率は6.3%です。また、PCT出願件数も2020年には52,665件(2019年)から48,314件に減少(減少率8.3%)しています。そして、2021年になっても特許出願件数とPCT出願件数は若干増加していますが、大きく回復することなくほぼ横ばい状態です。
日本企業の研究開発費も19兆5757億円(2019年)から19兆2364億円に減少しています。しかしながら、その減少率は1.7%であり、特許出願件数の減少率6.3%に比べて小さいといえるでしょう。
個人的には、2020年の研究開発費の減少率はもっと大きいと思っていたのですが、さほど大きくなかったことに少々驚きました。一方で、特許出願件数は誰もが予想できたでしょうが、大きく減少しています。

ここで、特許出願件数が大きく下がった2009年の場合と比較します。2009年の減少はリーマンショックの影響によるものと考えられます。この年の特許出願件数は2008年の391,002件から348,596件に減少しており、減少率は10.8%です。また、研究開発費は2008年の18兆8000億円から17兆2463億円に減少しており、減少率は8.2%です。このときも、特許出願件数の減少率の方が研究開発費よりも大きいですが、乖離の度合いは2020年に比べて小さいです。

2009年と2020年との違いが意味するところは、2009年当時に比べて現時点において、日本企業の経営層は特許を財産ではなく、コストと認識しているということかと思います。
すなわち、経営層が特許をコストという側面を強く感じているために、景気悪化が予測される局面では真っ先にカットの対象とされ易くなっているのでしょう。そして、そのカットによる悪影響を感じないために、それが維持されます。この繰返しによって、日本の特許出願件数は00年代半ばから減少の一途となっているのでしょう。そして、コロナ禍によってそれがより顕在化したのでしょう。

現状の特許出願件数は2001年の439,175件をピークに2021年は289,200件とのように、実に66%にまで減少しています。特許業界をビジネスと考えた場合、とても大きな減少率です。
ここで、特許事務所は国内の特許出願件数が減少傾向にあっても、PCT出願、すなわち外国出願が増加してきているので、これにより利益を挙げることができていたという状況でしょう。しかしながら、2020年にはPCT出願件数も減少し、2021年でも大きく回復してはいまっせん。もしかすると、PCT出願件数も減少する傾向にあるのかもしれません。
そうすると、特許出願代理を主の業務とする特許事務所としては厳しい状況となるかもしれません。

一方で、研究開発費が減少することなく特許出願件数が減少するということは、特許出願されない新規技術が増えていると考えられます。この傾向は何年も前から生じていると思いますが、コロナ禍の影響による特許出願件数の減少も相まって、その傾向はより強くなるかと思います。
そうであれば、今後の知財活動として、技術情報の秘匿についての知見、事業戦略に応じた権利化又は秘匿化に対する適切な判断もより重要となるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年7月3日日曜日

トヨタ自動車のFCVに関する特許のオープン化について

少々古い話ですが、2015年にトヨタ自動車は燃料電池自動車(FCV)の普及を目的として、単独で保有している世界で約5,680件の燃料電池関連の特許(審査継続中を含む)の実施権を無償で提供することを発表しました。
これは大きく報道もされ、話題となりました。

しかしながら、下記の記事にもあるように、この取り組みはうまくいかなかったと思われます。

なぜうまくいかなかったのでしょうか?
前回までのオープン・クローズ戦略の成功要因の検討に照らし合わせて考えてみたいと思います。

まず、トヨタによるFCV関連の特許開放(オープン化)は、FCVの普及という目的からして直感的に分かり易く、効果が出るようにも思えます。
ところが、そもそもトヨタ自身は、FCVをビジネスとして成功させているとは言い難いでしょう。トヨタはFCVとしてMIRAIを製造販売していますが、2015年当時でも街中でMIRAIをほとんど見ることはありませんでした。
オープン・クローズ戦略としてのオープン化を成功させるためには、自社だけでなく「他社も利益を得やすい」という条件を満たす必要があると考えます。もし、ライセンスにより他社が利益を得られる可能性が相当に高ければ、無償ではなく有償でも他社はライセンスを求めるでしょう。一方で、利益を挙げられないと判断したならば、無償でも他社はライセンスを求めることはないでしょう。これは、企業の行動原理は利益の追求であることを考えると当然のことです。
そのように考えると、トヨタですら利益を得ているとは思えないFCVについて特許を無償開放したからといって、他社がFCVの特許権の許諾を求めるとは考え難いと思えます。

また、トヨタによる「これらの特許を実施してFCVの製造・販売を行う場合、市場導入初期(2020年末までを想定)の特許実施権を無償とする。」というのも引っ掛かります。
2020年以降はどうなるのでしょうか?ライセンス料を支払う義務が生じるのでしょうか?ライセンス料の支払いを拒否したら、当然、ライセンスを受けられず、ビジネス化が頓挫します。そのようなリスクを負ってまで、他社はトヨタの特許権を実施するでしょうか?


さらに、「これらの特許実施に際しては、特許実施権の提供を受ける場合の通常の手続きと同様に、トヨタにお申し込みをいただき、具体的な実施条件などについて個別協議の上で契約書を締結させていただく予定である。」とのように、特許権を無償で実施するためにはトヨタに申し込みを行わないといけません。
これもハードルが少々高いかと思います。すなわち、ライセンスを希望する他社は、自社の事業動向をトヨタに少なからず教えることになるからです。
これが有償であれば逆に他社は個別協議も良しとするでしょう。その理由は、有償でライセンスを受けたいほど自社でビジネスモデル・プランが出来上がっており、最終関門が有償ライセンスとなり得、それを受けることができれば当該ビジネスから利益を生み出すためです。
一方で、無償ライセンスということは、他社にとってもこの無償ライセンスに基づく研究開発を行っても、その後利益を生み出すビジネスとなるか不透明でしょう。そのようなビジネスのシーズの段階で、トヨタと個別協議をすることは、トヨタと協業したいと思わない限り、他社にとって望ましいとは思えません。

このように、トヨタのFCVに関する特許のオープン化は、オープン・クローズ戦略の視点、すなわち「他社も利益を得やすい」という条件を満たしているとは思えず、この取り組みがうまくいかなかったことも理解し易いかと思います。

とはいえ、上記のように、トヨタはFCVについてビジネスとして確立できていないからこそ、なんとかしようと特許の無償開放を行ったのでしょうから、根本的にオープン・クローズ戦略に当てはめて考えることがナンセンスなのかもしれません。

現在、トヨタは水素を燃料とする自動車として、FCVの他に従来のレシプロエンジン(又はロータリーエンジン)に対して、ガソリンの代わりに水素を用いることを考えているようです。
レジプロエンジンの燃料として水素を用いることは、必ずしも新しいものではありません(2005-2007にBMWがHydrogen 7を限定的に販売しました。)。そして、これはFCVのように新しい技術ではなく、従来のエンジンの延長線上にあるものです。
似たようなものとして、LPガスを燃料としたタクシーが既に広く普及しています。LPガスのタクシーが広く普及していることを考えると、例えば、レシプロエンジンの燃料として水素を用いたタクシー等が広く普及する可能性もあるでしょう。もし、このようなタクシーが普及すると、水素ステーションの数も多くなり、自家用車としても普及し易くなるのではないでしょうか。そこまでできると、トヨタとしても水素燃料自動車によって利益を得る状態となるでしょう。
もし、トヨタが水素燃料のレシプロエンジンに大きく舵を切れば、利益を出せるFCVの普及の足掛かりとなり、特許開放が機能するかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年6月23日木曜日

オープン・クローズ戦略におけるオープン化の成功要因 その2

前回はQRコードとCC-Linkの戦略を検討し、利益を直接的に挙げにくいフォーマット技術と他社が利益を挙げやすい一部技術をオープン化して自社開発技術の普及を図り、その一方で、他社との差別化が可能であり自社の直接的な利益に直結する技術をクローズ化する戦略(フォーマットビジネス戦略)がオープン・クローズ戦略の成功事例の一態様であることを述べました。

当然、オープン・クローズ戦略の成功事例はこれだけではなく、幾つもあります。今回はダイキンによる「冷媒R32」とTOTOによる「光触媒」の成功要因を検討します。

(3)冷媒R32

まず、ダイキンの冷媒R32について検討します。
ダイキンは環境負荷の低い冷媒R32の特許権を無償開放する一方で、冷媒R32を用いた空調機の差別化技術をクローズ化して利益を得る、というオープン・クローズ戦略を取っています。

冷媒R32は温暖化を抑制できる優れた冷媒です。しかしながら、これ以外の冷媒も競合として存在しており、ダイキンが冷媒R32を無償ライセンスした理由は、冷媒R32以外の冷媒の普及が拡大するおそれを想定してのことでした。この無償ライセンスには、「冷媒単体ではなく空調事業も含めたトータルで利益が確保できればよい」との考えがあったとのことです(経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】(p.40~p.47))。
また、想像するに、冷媒R32は環境負荷が小さいという技術的な特徴はあっても、この特徴が強い顧客吸引力、換言すると直接的な利益の創出という機能を有するものではない、という考えもあったのではないでしょうか(もし、強い顧客吸引力を有していれば後述の光触媒のように有償ライセンスでも技術を普及できるとも思えます)。
すなわち、冷媒R32は、前回のブログで説明したフォーマット戦略でいうところの、”フォーマット技術”に当たるとも考えられます。そうすると、ダイキンの冷媒R32とこれを使用した空調機に対するオープン・クローズ戦略は、QRコードやCC-Linkと同様であると考えられます。
特に、冷媒R32の特許権を開放することで、冷媒R32を使用した空調機メーカーを増やすというやり方は、三菱電機がCC-Link協会を通じて自社と”仲間”となるメーカーを増やすというやり方と通じるものがあると思います。


次に、光触媒について検討します。
TOTOは、超親水性の光触媒に関する特許権を他社へ有償ライセンスするライセンスビジネス(技術を公開してビジネスパートナーを募り、共同開発により新規分野を開拓)という事業戦術を立案しています。
なお、ライセンスという事業戦術を選択した理由には、超親水性の光触媒が持つポテンシャルは極めて広範囲であり、TOTO一社で市場開拓が可能な範囲は限られていると、との考えによるものです(オープンイノベーションによるプラットフォーム技術の育成 ー光触媒超親水性技術のビジネス展開のケースー p.61)。この事業戦術を達成するために、TOTOは超親水性の光触媒に関する技術について、網羅的に特許出願を行い権利を取得しました。
その結果、TOTOによるライセンス契約は2011年には国内81社、海外19社にまでなったとのことです。(参照:我が国ベンチャー企業・大学はイノベーションを起こせるか?~『戦後日本のイノベーション100選』と大学発イノベーションの芽~ 光触媒のイノベーション Innovation of Photocatalysis p.6の"TOTOの光触媒展開の経緯")

このように、超親水性の光触媒について、TOTOは有償ライセンスという形でオープン化してライセンスによる収益も得ることができています。また、このライセンスには、”1業種につき1社だけが光触媒を利用した製品を販売できる”(参照:江藤学「標準化ビジネス戦略大全」日本経済新聞出版社 p.212 )という条件があったようです。この条件は、同様の製品を複数社が製造販売することで価格競争が生じることを防ぐ目的であろうと思われます。
なお、超親水性の光触媒の普及の成功に伴い粗悪品が発生したので、TOTOを含む複数社によって光触媒のセルフクリーニング機能の存在を確認するための試験方法が規格化された、という経緯があります。

ここで、TOTOのオープン化の成功要因はどこにあるのでしょうか?
特に、TOTOは超親水性の光触媒に関する技術を無償ライセンスではなく、ライセンスビジネスと位置付け、有償ライセンスとしています。この成功要因は、当然ですが、ライセンスを受ける他社が比較的容易に利益を挙げることができる、ということにあるでしょう。
このような他社でも利益を挙げやすい技術の有償ライセンスという選択は、QRコードにおける読取装置の有償ライセンスという戦略と同じです。逆に、他社にとって利益を挙げにくい技術を有償ライセンスとしたら、それは失敗する可能性が高くなります(前回触れたCPコードが例)。

また、技術が普及すると粗悪品も発生します。それを光触媒の例では試験方法を規格化するという手法を取りました。一方で、QRコードの例は無償化したコードの特許権に基づく権利行使を行っています(コードを規格化しているのでそれも粗悪品抑制となるでしょう。)。なお、CC-LinkはBtoBビジネスなので粗悪品が発生する可能性は低いとも思え、規格化は粗悪品を意識したものではないでしょう。

以上のように、デンソーのQRコード、三菱電機のCC-Link、ダイキンの冷媒R32、TOTOの光触媒から見えてくるオープン・クローズ戦略の成功要因は、自社だけでなく他社にも利益を創出させる、ということになるかと思います。
このためには、他社がどのようにしたら利益を得ることができるのかを自社で想定し、他社のために実行しなければなりません。それは、他社に対する無償又は有償ライセンスであったり、技術的な支援等です。その一方で、自社が利益を挙げるための算段を行います。換言すると、他社に実施させる技術と自社で利益を挙げるための技術、この使い分けがオープン・クローズ戦略の肝であり、このために特許を取得し、ビジネスを成功させます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年6月14日火曜日

オープン・クローズ戦略におけるオープン化の成功要因 その1

今まで、知財戦略としてのオープン・クローズ戦略について、下記のようにいくつか事例を検討してきました。
(1)QRコード
(2)CC-Link
(3)光触媒
(4)冷媒R32

オープン・クローズ戦略におけるオープン化の目的は、自社開発技術を普及させることで事業を拡大するというものです。このような目的を達成するためには、そもそも他社に自社開発技術を使用して貰わなければなりません。
このためには、自社開発技術が魅力的、換言すると他社が利益を得ることができなければなりません。しかも比較的容易にです。
では、上記のオープンクローズ戦略では具体的にどのようにしたのでしょうか。

まず、QRコードですが、QRコードそのものは無償開放されました。しかしながら、QRコードを無償開放しても、他社はQRコードからどのようにビジネス展開をして利益を挙げることができるのでしょうか?QRコードは各種サービスの利便性等を向上させることはできても、QRコードそのものから利益を得るためには、相当の工夫が必要に思えます。

そのためか、デンソーはQRコードを無償開放するだけでなく、QRコードの読取装置の特許を有償ライセンスしました。QRコードが無償開放され、広く使用されることになれば、当然、読取装置の需要も増加します。そうすると、他社は有償ライセンスであっても、読取装置の製造販売に関するビジネスモデルを構築し易くなります。

QRコードの普及は、この読取装置の有償ライセンスも大きく貢献していたのではないかと思います。もし、QRコードそのものを無償開放したとしても読取装置をデンソーが独占し、他社を排除していたら、いくらQRコードが普及しても、利益を得る企業がデンソーだけになるでしょう。そうなれば、他社はQRコードの特許を回避しつつ、新たな二次元コードを開発して普及を図るかもしれません。そうすると、相対的にQRコードの普及率は低下するでしょう。
なお、デンソーは読取装置において他社と差別化するための技術を特許化又は秘匿化し、これにより自社の利益を挙げています。

このように、デンソーは自社だけでなく、他社も利益を挙げることが可能なように特許の無償開放と有償ライセンスを組み合わせて開放しています。


一方で、QRコードよりも以前に開発された二次元コードとして、CPコードがあります。しかしながら、CPコードは評価されたようですが、広く普及するには至りませんでした。このCPコードもCPコードそのものと読取装置を特許化し、オープン・クローズ戦略を選択しています。しかしながら、それは有償ライセンスによるものでした。
CPコードに関する資料が少ないため、どのような特許を有償ライセンスしていたかは定かではありません。もし、CPコードそのものも有償ライセンスの対象としていたら、上述のようにCPコードそのもので利益を挙げることは難しく、これが普及を阻害したのかもしれません。

次に、CC-Linkのオープンクローズ戦略についてです。
CC-Linkは、三菱電機が開発したオープンな産業用ネットワークであり、マスタ局とスレーブ局とがオープンフィールドネットワークであるフィールドバスで接続され、マスタ局とスレーブ局との間でデータ通信を行うものです。
CC-LinkとQRコードは技術分野が全く異なります。しかしながら、CC-Linkのオープン・クローズ戦略とQRコードのオープンクローズ戦略は非常に似通っていると考えます。

このようなフィールドバスの仕様やフレームワークは、産業用ネットワークにおいては製品そのものではなく、これらそのものから収益を挙げることは難しいでしょう。
そうであれば、これらに関する特許権を無償開放や規格化によりオープン化することは、三菱電機にとってもリスクが小さく、かつ自社のCC-Linkを普及させるために有効と考えられます。

そして、三菱電機はCC-Link協会を通じてパートナー企業を集め、パートナー企業はCC-Linkファミリー仕様書を入手でき、CC-Linkファミリー技術を用いた製品(マスタ局やスレーブ局)を製造、販売することが可能となります。これは、パートナー企業にとって、CC-Linkに関するビジネスを容易とします。一方で、三菱電機は、他社との差別化技術については特許権や秘匿化によりクローズ化し、それにより収益を挙げる等しています。
また、三菱電機はCC-Link協会を通じて仲間づくりを行っています。これにより、CC-Linkは、産業用ネットワークの競合に対して対抗し、一定のシェアを確立することができるようになります。

このように、QRコードとCC-Linkは同様のオープン・クローズ戦略を行っていることが分かります。すなわち、利益を挙げにくいものの技術的にコアとなる、QRコードやフィールドバスの仕様といった”フォーマット”を自由技術化し、このフォーマットを用いる製品(読取装置、マスタ局やスレーブ局)を他社が製造販売可能とする環境を作り、自社で製造販売する製品に対しては特許権等のクローズ化した技術で他社との差別化を行っています。

また、技術分野は異なるもののQRコードやCC-Linkと同様のオープン・クローズ戦略を採用したものにAdobeのPDFがあります。
Adobeは、他社がPDF作成ソフトを開発可能とするために、一部の特許権を無償開放し、PDF仕様書を公開しました(現在では規格になっています)。これは、PDFというフォーマットの無償開放とPDF作成ソフトを開発するための技術の公開となります。
一方で、Adobeは、自社の優位性を保つために、PDF作成ソフトの開発に対して「仕様書に準拠しなければならない」という条件を設けることで、開放しない特許権等も用いて他社が独自技術を開発することを禁じました。

このように、オープン・クローズ戦略の一態様としては、利益を直接的に挙げにくいフォーマット技術(普及の足掛かりとなる技術)と他社が利益を挙げやすい一部技術をオープン化することで、自社開発技術の普及を図り、その一方で、他社との差別化が可能であり利益に直結する技術をクローズ化するというフォーマットビジネス戦略があることが理解できるかと思います。
次回に続きます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年6月6日月曜日

判例紹介:特許における公然実施と秘密保持との関係

今回は、特許権の侵害訴訟において、秘密保持義務の有無が争点の一つとなった裁判例(東京地裁令和3年10月29日 平31(ワ)7038号・平31(ワ)9618号)について紹介します。

本事件において、原告が被告に侵害されたとする特許権は、特許第5697067号(グラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材)の特許に係る特許権1、及び特許第5688669号(グラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材,これを含有するグラフェン分散液及びグラフェン複合体並びにこれを製造する方法)の特許に係る特許権2です。

特許権1の請求項1は下記の通りです。
❝【請求項1】
  菱面晶系黒鉛層(3R)と六方晶系黒鉛層(2H)とを有し、前記菱面晶系黒鉛層(3R)と前記六方晶系黒鉛層(2H)とのX線回折法による次の(式1)により定義される割合Rate(3R)が31%以上であることを特徴とするグラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材。
  Rate(3R)=P3/(P3+P4)×100・・・・(式1)
  ここで、
  P3は菱面晶系黒鉛層(3R)のX線回折法による(101)面のピーク強度
  P4は六方晶系黒鉛層(2H)のX線回折法による(101)面のピーク強度
である。❞
特許権2の請求項1は下記の通りです。
❝【請求項1】
  菱面晶系黒鉛層(3R)と六方晶系黒鉛層(2H)とを有し、前記菱面晶系黒鉛層(3R)と前記六方晶系黒鉛層(2H)とのX線回折法による次の(式1)により定義される割合Rate(3R)が40%以上であることを特徴とするグラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材。
  Rate(3R)=P3/(P3+P4)×100・・・・(式1)
  ここで、
  P3は菱面晶系黒鉛層(3R)のX線回折法による(101)面のピーク強度
  P4は六方晶系黒鉛層(2H)のX線回折法による(101)面のピーク強度
である。❞
上記請求項からも分かるように、本件発明は素材に関する発明であり、発明を実施した製品が販売等されても、一見して当該製品が各特許権に係る発明を実施したものであるか否かの判断が難しいものです。

そして裁判所は、被告の製品は本各発明の技術的範囲に属すると判断しています。
しかしながら、被告は、本件特許出願前から現在と同一の被告製品を製造販売しているから、本件各発明が公然実施されていたと主張しています。

これに対して、原告は下記のように主張しています。
❝ ア 公然実施の成立要件について
 公然実施とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいう。したがって,明示的な秘密保持契約(秘密保持条項)がある場合はもちろんのこと,黙示ないし信義則上の秘密保持義務がある場合や,工場内等の狭い領域でしか認識できない場合には,公然実施は成立しない。
 また,実施品を外から見たり入手したりしても,発明の内容を知り得ない場合には,公然実施に該当しない。例えば,発明の実施品が市場において販売されたものの,実施品を分析してその構成ないし組成を知り得ない場合には公然実施には当たらない。
  イ 秘密保持義務について
 被告各製品などの黒鉛粉末製品は,いずれも企業同士で取引されるものであり,一般消費者に販売されるような市販品ではない。企業同士の取引では,通常,秘密保持契約を締結するか,基本契約等において秘密保持条項が設けられることは,周知の事実である。そして,原材料は製造業において営業秘密そのものであり,黒鉛製品のような原材料の売買契約等においては秘密保持条項が設けられている(甲A82)。取引当事者双方がこれにつき秘密保持義務を負わない場面は通常は想定できない。
 実際,原告と日本黒鉛工業が平成25年10月31日に締結した機密保持契約(甲A95)では,「受領者は,開示者の書面による承諾を事前に得ることなく,機密情報を分析または解析してはならない。また,機密情報の分析結果および解析結果も機密情報として取り扱うものとする。」(4条)と定められており,リバースエンジニアリングが禁じられていた。また,被告らは,本件訴訟において,多くの主張書面や書証の一部について,営業秘密であることを理由に閲覧等制限の申立てをしている。
 そうすると,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛が本件特許出願前に本件各発明を実施した製品を製造販売していたとしても,取引の相手方は秘密保持義務を負っていたから,本件各発明が公然と実施されたとはいえない。
  ウ 本件各発明の実施能力について
 取引の相手方は,たとえ被告らから黒鉛製品を入手したとしても,X線回折法による測定及び解析を行わなければ,Rate(3R)を内容とする本件各発明の内容を知り得ないから,公然実施が成立するためには,X線回折法による測定及び解析ができる者でなければならない。
 しかし,企業が費用や労力,時間をかけてまで外部の専門機関に測定及び解析を依頼するには,相応の必要性の説明の下,社内の相応の決裁を受ける必要があり,そのような手続を経ることなく依頼することはないから,専門機関にX線回折法による測定及び解析を依頼する具体的可能性はなかったというべきである。
 したがって,第三者が被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛から本件各発明を実施した製品を取得したとしても,当該第三者は,本件各発明の構成ないし組成を知り得なかったから,本件各発明が公然と実施されたとはいえない。❞

しかしながら、裁判所はこのような原告の主張をいずれも認めませんでした。
まず、裁判所は、公然実施の判断基準を下記のように述べています。
❝ア 判断基準について
  法29条1項2号にいう「公然実施」とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい,本件各発明のような物の発明の場合には,商品が不特定多数の者に販売され,かつ,当業者がその商品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん,外部からそれを知ることができなくても,当業者がその商品を通常の方法で分解,分析することによって知ることができる場合も公然実施となると解するのが相当である。❞
そして、原告が主張する「実施品を分析してその構成ないし組成を知り得ない場合には公然実施には当たらない。」という点に関しては、以下のように判断しています。
❝本件特許出願当時,当業者は,物質の結晶構造を解明するためにX線回折法による測定をし,これにより得られた回折プロファイルを解析することによって,ピークの面積(積分強度)を算出することは可能であったから,上記製品を購入した当業者は,これを分析及び解析することにより,本件各発明の内容を知ることができたと認めるのが相当である。❞
これをもって裁判所は、本件各発明は、その特許出願前に日本国内において公然実施されたものであるがら、いずれも無効である、と判断しています。

また、原告が主張する秘密保持義務については、下記のように認定し、被告等への黙示又は信義則上の秘密保持義務の存在は認めていません。
❝証人Zは,日本黒鉛工業が黒鉛製品を販売するに当たり,購入者に対して当該製品の分析をしてはならないとか,分析した結果を第三者に口外してならないなどの条件を付したことはないと証言するところ,この証言内容に反する具体的な事情は見当たらない。また,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛が,その全ての取引先との間で,黒鉛製品を分析してはならないことや分析結果を第三者に口外してはならないことを合意していたことをうかがわせる事情はない。❞
また、裁判所は、被告製品の販売等に関連する契約書には各々下記の記載があることを認めています。
・取引基本契約書(甲A82)の38条
甲および乙は,本契約および個別契約の履行により知り得た相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)を,本契約の有効期間中および本契約終了後3年間,秘密に保持し,相手方の書面による承諾を得ることなく第三者に開示または漏洩せず,また本契約および個別契約の履行の目的以外に使用しないものとする。
・機密保持契約書(甲A95)の3条1項
受領者は,開示者の書面による承諾を事前に得ることなく,機密情報を第三者に開示または漏洩してはならない。
・取引基本契約書(乙A123)の9条
甲および乙は,相互に取引関係を通じて知り得た相手方の業務上の機密を,相手方の書面による承諾を得ないで第三者に開示もしくは漏洩してはならない。

しかしながら、裁判所は各契約書に記載の「相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)」、「機密情報」及び「相手方の業務上の機密」に、購入した被告製品が含まれるかは明らかではなく、黒鉛製品をX線回折法による測定により得られた回折プロファイル、さらにはこれを解析して得た積分強度が秘密として管理されてきたことや有用な情報であることをうかがわせる事情は見当たらない、として、被告製品を分析することについて契約上の妨げがあったとはいえない、と判断しています。

このような裁判所の契約書に対する判断は、営業秘密侵害における秘密保持契約書に対する判断と同様であると思います(本事件は被告に秘密とする意思はなかったものですが)。すなわち、取引先との契約書において、秘密とする対象が明確でなく包括的な契約書によってはその秘密保持義務が認められ難いということです。換言すると、包括的な秘密保持契約のみを締結し、その後、恣意的に秘密保持の対象を定めようとしても、それは裁判において認められないということでしょう。

なお、もし被告製品に対して分析を禁止して秘密保持義務を課すような契約が締結されて販売等されていたら、公然実施とは判断されない可能性があるのかもしれません。しかしながら、その場合であっても、少なくとも被告には先使用権が認められるでしょう。なお、本事件では、被告は先使用権についても主張していますが、裁判所は公然実施による無効理由があるとして、先使用権の判断は行っていません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信