2020年9月7日月曜日

判例紹介:日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決 -他社の営業秘密流入リスクー

しばらく前に日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決(名古屋地裁令和2年3月27日 平28(わ)471号 ・ 平28(わ)662号)が出ていました。日本ペイントの営業秘密を持ち出したとされた被告人は、一審地裁判決では懲役2年6月(執行猶予3年)及び罰金120万円となっています。

この事件は、塗料の製造販売等を目的とする当時の日本ペイント株式会社(判決文ではa社)の子会社であるb株式会社の汎用技術部部長等として、被告人が商品開発等の業務に従事していました。そして、被告人は、a社の競合他社である菊水化学工業株式会社(判決文ではc社)にa社の営業秘密を漏えいし、自身もc社の取締役に就任したというものです。なお、被告人は、a社の元執行役員でもあったようです。


この刑事事件判決文は営業秘密を理解する上で参考になることがいくつかあり、今回は他社の営業秘密の流入リスクについて考えてみたいと思います。

まず、どのようにして被告人がc社に営業秘密を漏えいさせたのでしょうか?

判決文によると、被告人はb社に在籍中、同社本社内において本件情報(a社の塗料である○○及び△△(本件各塗料)の原料及び配合量)が記載された商品設計書を取得して、これを基に本件各塗料の原料及び配合量の情報についての電磁的記録(○○に関するものを「完成配合表①」、△△に関するものを「完成配合表②」)を作成しました。

そして被告人は、c社において完成配合表①を基に作成した「●●:ホワイト」と題する書面(以下「推奨配合表①」という。)をc社の従業員Aらに手渡しました。さらに被告人は、完成配合表②を基に作成した「▲▲:ホワイト」と題する電磁的記録(以下「推奨配合表②」)を添付した電子メールをc社の従業員Bに送信しました。

なお、被告人はc社に配合表を提供する前に、自ら提案書を持参してc社に赴き、被告人がb社を退職して塗料ビジネスコンサルタントを始める予定であることを伝え、被告人とのコンサルタント契約の締結を持ち掛けていたとのことです。すなわち、当初、被告人はb社を退職した後にc社のコンサルタントとなるつもりだったようです。

そしてc社は被告人により開示された○○に係る情報を用いて塗料「●●」を,△△に係る情報を用いて塗料「▲▲」を,それぞれ開発製造して販売しました。
その結果、被告人はa社から営業秘密の領得等により刑事告訴され、c社はa社から民事訴訟を提起されています。さらに、報道によると「事件を受け、菊水化学は住宅向け塗料など一部製品については昨年3月から販売を中止している。」(Sankei Biz 2017.7.15「日本ペイントが菊水化学を提訴」)とのことです。

まさに、c社(菊水化学)は他社の営業秘密が流入したことにより、訴訟となり、自社製品の販売停止まで至っています。これが他社の営業秘密流入リスクの典型例です。


では、c社はどうするべきだったのでしょうか?
被告人からコンサルタント契約の打診を受けるまではいいでしょう。このようなことは、少なからずあることでしょうし、コンサルタント契約の打診だけでは営業秘密の開示を受けたことにはなりません。

一方、被告人から推奨配合表①,②を受け取ったことは非常に良くないことです。
この時点で、推奨配合表①,②には被告人の所属企業であったa社又はb社の営業秘密が含まれていることをc社は想定するべきでした。

具体的には、推奨配合表①は手渡しだったので、その場で被告人に返却するべきでした。
また、推奨配合表②はメールで送付されたので返すことはできません。そこで、このメールはc社内で不特定の従業員の目に触れないように管理したうえで、被告人にa社又はb社の営業秘密が含まれていないことを確認するべきでしょう。
もし、営業秘密が含まれていないと被告人が主張するのであれば、a社又はb社にそれが事実であるか否かを確認することの同意を被告人から得るべきでしょう。そこまでやれば、被告人の反応から営業秘密が含まれているか否かが分かりますし、もし、含まれているという確信があればa社又はb社へその事実を通知し、c社は被告人による営業秘密の領得には関与していないことを伝えるべきでしょう。
営業秘密の領得等は犯罪ですので、そのような犯罪行為があったことを被害企業に伝えることは当然の行為です。また、それにより、自社の潔白を被害企業に認識させることにもあるでしょう。

上記のことを考慮する必要があるにもかかわらず、被告人から受け取った情報をもとに、製品を製造販売するということは最も悪手であり、c社が当該製品の製造販売の停止にまで追い込まれることは当然でしょう。

ここで、被告人から推奨配合表①,②を受け取ったc社の従業員A,Bがどのような立場の人物であったかは判決文からは分かりません。技術開発を行う人物であったかもしれませんし、経営に携わる人物であったかもしれません。しかしながら、どのような立場の人物であったも、他社の営業秘密の流入リスクは認識し、対応できるようにしなけらばならないでしょう。

昨今、人材の流動性は高まっており、この流れは益々促進されるでしょう。さらに、SNS等により、個人間のやり取りも容易です。すなわち、自社に他社の営業秘密が流入するルートは会社の公の窓口(人事、転職サイト等)だけでなく、あらゆる可能性があります。
そうすると、全従業員が営業秘密についてある程度の理解を有する必要があります。
自社の営業秘密を漏えいすることが違法であるだけでなく、他社の営業秘密の使用が違法であることを正しく認識させる必要があります。
これを怠った結果がまさにc社の結果でしょう。

なお、c社はa社から民事訴訟を提起されています。提訴は2017年であり、営業秘密の民事訴訟は2年前後で一審判決がでる傾向があるので、すでに判決が出る頃かと思いますが出ていません。このため民事訴訟は既に和解している可能性もあるかと思います。c社は既に当該製品の製造販売を停止していますし、a社が納得する賠償金を支払うことに同意していれば、和解には至るでしょう。また、この刑事事件の判決文を見ると、c社が刑事事件に対して協力的であったとも思えます。
次回は、被告人がリバースエンジニアリングによる非公知性の喪失についても主張していますので、その点について検討したいと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年8月30日日曜日

自社技術の公知性管理

自社技術の公知性管理、分かるような分からないタイトルです。
何を言いたいかといいますと、自社技術は何が公知となっているか、換言すると営業秘密でいうところの非公知性を保っている自社技術は何かを正確に把握することです。

案外これを正確に把握している企業は多くはないのでしょうか?
その理由は、自社製品のリバースエンジニアリングによって、自社技術の何が公知となっているかを判断することは難しいと思われるからです。

ここで、特許出願を行う場合、製品化により新規性が失われるので製品化の前に特許出願を行うことが一般的です。そして、特許出願から一年半後に特許公開公報という形で特許出願に係る技術情報は公知となので、特許出願では自社技術の何が公知となっているかは一目瞭然です。

では、営業秘密として管理されている技術情報はどうでしょうか?
営業秘密として管理している技術情報が公知となったか否かも、主に当該技術情報を用いた製品の販売の有無に依存します。このため、自社製品のリバースエンジニアリングによる非公知性喪失の判断基準の理解が必要不可欠となります。


この技術情報の非公知性判断を誤ると、既に公知となっている技術情報であるにもかかわらず、そのような技術情報を秘密であると扱い、その後の判断を誤る可能性が有ります。

例えば、秘密保持契約を締結して他社に開示した技術情報(ノウハウ)です。既に非公知性を失っているにも関わらず、非公知性を有していると誤って判断して開示し、当該技術情報を当該他社が目的外利用したとして裁判を提起した挙句に敗訴してしまうとか・・・。

また、逆の場合もあるでしょう。
本来、営業秘密としての非公知性を喪失していないにもかかわらず、自社製品のリバースエンジニアリングによって非公知性を喪失していると誤った判断を行い、秘密保持契約を締結しないままに当該技術情報を開示してしまうとか・・・。

私は2年前に「リバースエンジニアリングによる営業秘密の非公知性判断と自社製品の営業秘密管理の考察」という形で、リバースエンジニアリングによる非公知性喪失をまとめました。そこで分かったきたことは、機械構造に関する技術情報は自社製品のリバースエンジニアリングにより非公知性が喪失していると判断され易いことです。その理由は「計測すれば比較的簡易にわかる」とうことです。

また、合金の組成に関しても分析により非公知性が喪失していると判断された裁判例がありました。しかしながら、物質の組成に関する裁判所の非公知性判断は未だ多くはありません。このため、どのような物質の組成が製品化のリバースエンジニアリングにより非公知性を喪失するか否かは、裁判所の判断からは一律には分かりません。
そうすると、やはり自社でその判断を行う必要があるでしょう。少ない裁判例を拠り所とするものの、当該物質に対する分析手法を理解し、その分析手法によって非公知性を喪失しているといえるか否かを判断する必要があるでしょう。

そして、その結果に応じて当該技術情報を営業秘密として管理するか否か?それとも製品化の前に特許出願をするのか?あるいは、敢えて自由技術化して他社の使用を促して市場拡大を目指すのか?何が適切な技術情報管理であるか考えどころです。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年8月23日日曜日

営業秘密の特定について 特許庁オープンイノベーションポータルサイトから

特許庁がオープンイノベーションポータルサイトを開設しました。
このオープンイノベーションポータルサイトでは、オープンイノベーションを行うにあたり必要な各種契約書のモデルを開示しています。
このモデル契約書は、オープンイノベーションによってノウハウ(営業秘密)を相手方に開示する場合等に参考になるかと思います。このブログでもオープンイノベーションについて取り上げることが有りますが、オープンイノベーションに限らず、取引先に営業秘密を開示することによって、開示先が営業秘密の目的外使用等を行い、裁判に発展することがあります。そのようなことを未然に防ぐためにも、営業秘密の開示先となる相手方との契約書は大変重要になります。

ここで、営業秘密を開示するために相手方と秘密保持契約を締結する際には、秘密保持の対象とする技術を特定する必要があります。秘密保持の対象を特定しないまま、相手方に営業秘密を開示すると、開示した内容のうちどれが秘密保持の対象であるかを相手方が認識できない可能性が有ります。そうすると、当該営業秘密を相手方が目的外使用したとしても、秘密保持の対象が特定されていないことにより、不法行為とは認められない可能性があります。
このため、秘密保持の対象を特定することは非常に重要です。なお、秘密保持の対象を特定することは、取引先だけでなく従業員に対しても需要なことであり、営業秘密管理の基本といえるでしょう。

この点について、モデル契約書_秘密保持契約書(新素材)の10ページには以下のような記載があります。
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秘密保持契約締結前に自社が保有していた秘密情報のうち特に重要なものだけでも秘密保持契約の別紙において明確に定めておくことが考えられる。
 ・ これにより、自社の重要な情報を確実に秘密情報として特定できるとともに、上記リスクを回避することができる。なお、秘密保持契約の別紙において定義をする際には、弁理士に対して、特許請求の範囲を記載する要領で作成を依頼することも考えられよう。
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上記下線で示したように、営業秘密を特許請求の範囲を記載する要領で作成することが推奨されています。今までも、営業秘密を特定する場合には、特許請求の範囲のような記載が提案されていましたが、行政による推奨は初めてではないでしょうか。また、その作成を弁理士に依頼することまで言及しています。これは、弁理士の仕事の幅を広げることになるので、我々にとっては好ましい一言でしょう。


「特許請求の範囲」を記載する要領とはいえ、やはり営業秘密を特定するにあたっては3要件を理解する必要があります。
このうち、「秘密管理性」については他社への営業秘密の開示であるので、秘密保持契約がその役割を担うことになるので、営業秘密の特定という点ではさほど強く意識することはないでしょう。一方、「有用性」と「非公知性」については技術情報を営業秘密とする上では、意識する必要があるかと思います。

まず、有用性に関しては、有用性が満たされる程度に技術情報を特定する必要があります。すなわち、あまりにも漠然とした技術情報で営業秘密を特定すると、その有用性に疑義が生じます。特に、その構成から有用性、換言すると効果が理解し難い化学等の分野では、技術情報をどのように特定するかが重要になるかと思います。

また、製品が販売されることによって、それまで営業秘密であった技術情報の「非公知性」が失われることになるかもしれません。すなわち、当該製品のリバースエンジニアリングによって当該技術情報の非公知性が失われる可能性があります。このため、製品化によって非公知性が失われる技術情報と、製品化しても非公知性が失われない技術情報は分けて特定するほうがいいでしょう。
その理由は、一般的な秘密保持契約において、秘密保持の対象となる情報は公知となるとその対象から外れるためです。このモデル契約書にも下記のような条項があり、下記⑤がそれにあたるでしょう。

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2前項の定めにかかわらず、受領者が書面によってその根拠を立証できる場合 に限り、以下の情報は秘密情報の対象外とするものとする。 
① 開示等を受けたときに既に保有していた情報 
② 開示等を受けた後、秘密保持義務を負うことなく第三者から正当に入手した 情報 
③ 開示等を受けた後、相手方から開示等を受けた情報に関係なく独自に取得 し、または創出した情報 
④ 開示等を受けたときに既に公知であった情報 
⑤ 開示等を受けた後、自己の責めに帰し得ない事由により公知となった情報
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もし、非公知性が失われた技術情報と非公知性が失われていない技術情報とを同じ項目で混在させて特定した場合、当該項目が秘密保持の対象となったか否かが不明確となり、トラブルの元になる可能性があります。このため、営業秘密とする技術情報が、製品化により公知となるか否かの把握は重要な作業であると考えます。

オープンイノベーションは、自社にない技術や自社だけでは開拓できない市場を手に入れるチャンスであるため、今後、より高い事業効率を求めるために広まることは間違いないでしょう。
しかしながら、自社の営業秘密(ノウハウ)の相手方への開示は高いリスクを伴う行為です。そのようなリスクをいかに低減するのか、また、営業秘密として守ることができる技術情報と守ることができない技術情報を明確にするためにも営業秘密の特定は重要な作業となります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信