2022年7月3日日曜日

トヨタ自動車のFCVに関する特許のオープン化について

少々古い話ですが、2015年にトヨタ自動車は燃料電池自動車(FCV)の普及を目的として、単独で保有している世界で約5,680件の燃料電池関連の特許(審査継続中を含む)の実施権を無償で提供することを発表しました。
これは大きく報道もされ、話題となりました。

しかしながら、下記の記事にもあるように、この取り組みはうまくいかなかったと思われます。

なぜうまくいかなかったのでしょうか?
前回までのオープン・クローズ戦略の成功要因の検討に照らし合わせて考えてみたいと思います。

まず、トヨタによるFCV関連の特許開放(オープン化)は、FCVの普及という目的からして直感的に分かり易く、効果が出るようにも思えます。
ところが、そもそもトヨタ自身は、FCVをビジネスとして成功させているとは言い難いでしょう。トヨタはFCVとしてMIRAIを製造販売していますが、2015年当時でも街中でMIRAIをほとんど見ることはありませんでした。
オープン・クローズ戦略としてのオープン化を成功させるためには、自社だけでなく「他社も利益を得やすい」という条件を満たす必要があると考えます。もし、ライセンスにより他社が利益を得られる可能性が相当に高ければ、無償ではなく有償でも他社はライセンスを求めるでしょう。一方で、利益を挙げられないと判断したならば、無償でも他社はライセンスを求めることはないでしょう。これは、企業の行動原理は利益の追求であることを考えると当然のことです。
そのように考えると、トヨタですら利益を得ているとは思えないFCVについて特許を無償開放したからといって、他社がFCVの特許権の許諾を求めるとは考え難いと思えます。

また、トヨタによる「これらの特許を実施してFCVの製造・販売を行う場合、市場導入初期(2020年末までを想定)の特許実施権を無償とする。」というのも引っ掛かります。
2020年以降はどうなるのでしょうか?ライセンス料を支払う義務が生じるのでしょうか?ライセンス料の支払いを拒否したら、当然、ライセンスを受けられず、ビジネス化が頓挫します。そのようなリスクを負ってまで、他社はトヨタの特許権を実施するでしょうか?


さらに、「これらの特許実施に際しては、特許実施権の提供を受ける場合の通常の手続きと同様に、トヨタにお申し込みをいただき、具体的な実施条件などについて個別協議の上で契約書を締結させていただく予定である。」とのように、特許権を無償で実施するためにはトヨタに申し込みを行わないといけません。
これもハードルが少々高いかと思います。すなわち、ライセンスを希望する他社は、自社の事業動向をトヨタに少なからず教えることになるからです。
これが有償であれば逆に他社は個別協議も良しとするでしょう。その理由は、有償でライセンスを受けたいほど自社でビジネスモデル・プランが出来上がっており、最終関門が有償ライセンスとなり得、それを受けることができれば当該ビジネスから利益を生み出すためです。
一方で、無償ライセンスということは、他社にとってもこの無償ライセンスに基づく研究開発を行っても、その後利益を生み出すビジネスとなるか不透明でしょう。そのようなビジネスのシーズの段階で、トヨタと個別協議をすることは、トヨタと協業したいと思わない限り、他社にとって望ましいとは思えません。

このように、トヨタのFCVに関する特許のオープン化は、オープン・クローズ戦略の視点、すなわち「他社も利益を得やすい」という条件を満たしているとは思えず、この取り組みがうまくいかなかったことも理解し易いかと思います。

とはいえ、上記のように、トヨタはFCVについてビジネスとして確立できていないからこそ、なんとかしようと特許の無償開放を行ったのでしょうから、根本的にオープン・クローズ戦略に当てはめて考えることがナンセンスなのかもしれません。

現在、トヨタは水素を燃料とする自動車として、FCVの他に従来のレシプロエンジン(又はロータリーエンジン)に対して、ガソリンの代わりに水素を用いることを考えているようです。
レジプロエンジンの燃料として水素を用いることは、必ずしも新しいものではありません(2005-2007にBMWがHydrogen 7を限定的に販売しました。)。そして、これはFCVのように新しい技術ではなく、従来のエンジンの延長線上にあるものです。
似たようなものとして、LPガスを燃料としたタクシーが既に広く普及しています。LPガスのタクシーが広く普及していることを考えると、例えば、レシプロエンジンの燃料として水素を用いたタクシー等が広く普及する可能性もあるでしょう。もし、このようなタクシーが普及すると、水素ステーションの数も多くなり、自家用車としても普及し易くなるのではないでしょうか。そこまでできると、トヨタとしても水素燃料自動車によって利益を得る状態となるでしょう。
もし、トヨタが水素燃料のレシプロエンジンに大きく舵を切れば、利益を出せるFCVの普及の足掛かりとなり、特許開放が機能するかもしれません。

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2022年6月23日木曜日

オープン・クローズ戦略におけるオープン化の成功要因 その2

前回はQRコードとCC-Linkの戦略を検討し、利益を直接的に挙げにくいフォーマット技術と他社が利益を挙げやすい一部技術をオープン化して自社開発技術の普及を図り、その一方で、他社との差別化が可能であり自社の直接的な利益に直結する技術をクローズ化する戦略(フォーマットビジネス戦略)がオープン・クローズ戦略の成功事例の一態様であることを述べました。

当然、オープン・クローズ戦略の成功事例はこれだけではなく、幾つもあります。今回はダイキンによる「冷媒R32」とTOTOによる「光触媒」の成功要因を検討します。

(3)冷媒R32

まず、ダイキンの冷媒R32について検討します。
ダイキンは環境負荷の低い冷媒R32の特許権を無償開放する一方で、冷媒R32を用いた空調機の差別化技術をクローズ化して利益を得る、というオープン・クローズ戦略を取っています。

冷媒R32は温暖化を抑制できる優れた冷媒です。しかしながら、これ以外の冷媒も競合として存在しており、ダイキンが冷媒R32を無償ライセンスした理由は、冷媒R32以外の冷媒の普及が拡大するおそれを想定してのことでした。この無償ライセンスには、「冷媒単体ではなく空調事業も含めたトータルで利益が確保できればよい」との考えがあったとのことです(経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】(p.40~p.47))。
また、想像するに、冷媒R32は環境負荷が小さいという技術的な特徴はあっても、この特徴が強い顧客吸引力、換言すると直接的な利益の創出という機能を有するものではない、という考えもあったのではないでしょうか(もし、強い顧客吸引力を有していれば後述の光触媒のように有償ライセンスでも技術を普及できるとも思えます)。
すなわち、冷媒R32は、前回のブログで説明したフォーマット戦略でいうところの、”フォーマット技術”に当たるとも考えられます。そうすると、ダイキンの冷媒R32とこれを使用した空調機に対するオープン・クローズ戦略は、QRコードやCC-Linkと同様であると考えられます。
特に、冷媒R32の特許権を開放することで、冷媒R32を使用した空調機メーカーを増やすというやり方は、三菱電機がCC-Link協会を通じて自社と”仲間”となるメーカーを増やすというやり方と通じるものがあると思います。


次に、光触媒について検討します。
TOTOは、超親水性の光触媒に関する特許権を他社へ有償ライセンスするライセンスビジネス(技術を公開してビジネスパートナーを募り、共同開発により新規分野を開拓)という事業戦術を立案しています。
なお、ライセンスという事業戦術を選択した理由には、超親水性の光触媒が持つポテンシャルは極めて広範囲であり、TOTO一社で市場開拓が可能な範囲は限られていると、との考えによるものです(オープンイノベーションによるプラットフォーム技術の育成 ー光触媒超親水性技術のビジネス展開のケースー p.61)。この事業戦術を達成するために、TOTOは超親水性の光触媒に関する技術について、網羅的に特許出願を行い権利を取得しました。
その結果、TOTOによるライセンス契約は2011年には国内81社、海外19社にまでなったとのことです。(参照:我が国ベンチャー企業・大学はイノベーションを起こせるか?~『戦後日本のイノベーション100選』と大学発イノベーションの芽~ 光触媒のイノベーション Innovation of Photocatalysis p.6の"TOTOの光触媒展開の経緯")

このように、超親水性の光触媒について、TOTOは有償ライセンスという形でオープン化してライセンスによる収益も得ることができています。また、このライセンスには、”1業種につき1社だけが光触媒を利用した製品を販売できる”(参照:江藤学「標準化ビジネス戦略大全」日本経済新聞出版社 p.212 )という条件があったようです。この条件は、同様の製品を複数社が製造販売することで価格競争が生じることを防ぐ目的であろうと思われます。
なお、超親水性の光触媒の普及の成功に伴い粗悪品が発生したので、TOTOを含む複数社によって光触媒のセルフクリーニング機能の存在を確認するための試験方法が規格化された、という経緯があります。

ここで、TOTOのオープン化の成功要因はどこにあるのでしょうか?
特に、TOTOは超親水性の光触媒に関する技術を無償ライセンスではなく、ライセンスビジネスと位置付け、有償ライセンスとしています。この成功要因は、当然ですが、ライセンスを受ける他社が比較的容易に利益を挙げることができる、ということにあるでしょう。
このような他社でも利益を挙げやすい技術の有償ライセンスという選択は、QRコードにおける読取装置の有償ライセンスという戦略と同じです。逆に、他社にとって利益を挙げにくい技術を有償ライセンスとしたら、それは失敗する可能性が高くなります(前回触れたCPコードが例)。

また、技術が普及すると粗悪品も発生します。それを光触媒の例では試験方法を規格化するという手法を取りました。一方で、QRコードの例は無償化したコードの特許権に基づく権利行使を行っています(コードを規格化しているのでそれも粗悪品抑制となるでしょう。)。なお、CC-LinkはBtoBビジネスなので粗悪品が発生する可能性は低いとも思え、規格化は粗悪品を意識したものではないでしょう。

以上のように、デンソーのQRコード、三菱電機のCC-Link、ダイキンの冷媒R32、TOTOの光触媒から見えてくるオープン・クローズ戦略の成功要因は、自社だけでなく他社にも利益を創出させる、ということになるかと思います。
このためには、他社がどのようにしたら利益を得ることができるのかを自社で想定し、他社のために実行しなければなりません。それは、他社に対する無償又は有償ライセンスであったり、技術的な支援等です。その一方で、自社が利益を挙げるための算段を行います。換言すると、他社に実施させる技術と自社で利益を挙げるための技術、この使い分けがオープン・クローズ戦略の肝であり、このために特許を取得し、ビジネスを成功させます。

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2022年6月14日火曜日

オープン・クローズ戦略におけるオープン化の成功要因 その1

今まで、知財戦略としてのオープン・クローズ戦略について、下記のようにいくつか事例を検討してきました。
(1)QRコード
(2)CC-Link
(3)光触媒
(4)冷媒R32

オープン・クローズ戦略におけるオープン化の目的は、自社開発技術を普及させることで事業を拡大するというものです。このような目的を達成するためには、そもそも他社に自社開発技術を使用して貰わなければなりません。
このためには、自社開発技術が魅力的、換言すると他社が利益を得ることができなければなりません。しかも比較的容易にです。
では、上記のオープンクローズ戦略では具体的にどのようにしたのでしょうか。

まず、QRコードですが、QRコードそのものは無償開放されました。しかしながら、QRコードを無償開放しても、他社はQRコードからどのようにビジネス展開をして利益を挙げることができるのでしょうか?QRコードは各種サービスの利便性等を向上させることはできても、QRコードそのものから利益を得るためには、相当の工夫が必要に思えます。

そのためか、デンソーはQRコードを無償開放するだけでなく、QRコードの読取装置の特許を有償ライセンスしました。QRコードが無償開放され、広く使用されることになれば、当然、読取装置の需要も増加します。そうすると、他社は有償ライセンスであっても、読取装置の製造販売に関するビジネスモデルを構築し易くなります。

QRコードの普及は、この読取装置の有償ライセンスも大きく貢献していたのではないかと思います。もし、QRコードそのものを無償開放したとしても読取装置をデンソーが独占し、他社を排除していたら、いくらQRコードが普及しても、利益を得る企業がデンソーだけになるでしょう。そうなれば、他社はQRコードの特許を回避しつつ、新たな二次元コードを開発して普及を図るかもしれません。そうすると、相対的にQRコードの普及率は低下するでしょう。
なお、デンソーは読取装置において他社と差別化するための技術を特許化又は秘匿化し、これにより自社の利益を挙げています。

このように、デンソーは自社だけでなく、他社も利益を挙げることが可能なように特許の無償開放と有償ライセンスを組み合わせて開放しています。


一方で、QRコードよりも以前に開発された二次元コードとして、CPコードがあります。しかしながら、CPコードは評価されたようですが、広く普及するには至りませんでした。このCPコードもCPコードそのものと読取装置を特許化し、オープン・クローズ戦略を選択しています。しかしながら、それは有償ライセンスによるものでした。
CPコードに関する資料が少ないため、どのような特許を有償ライセンスしていたかは定かではありません。もし、CPコードそのものも有償ライセンスの対象としていたら、上述のようにCPコードそのもので利益を挙げることは難しく、これが普及を阻害したのかもしれません。

次に、CC-Linkのオープンクローズ戦略についてです。
CC-Linkは、三菱電機が開発したオープンな産業用ネットワークであり、マスタ局とスレーブ局とがオープンフィールドネットワークであるフィールドバスで接続され、マスタ局とスレーブ局との間でデータ通信を行うものです。
CC-LinkとQRコードは技術分野が全く異なります。しかしながら、CC-Linkのオープン・クローズ戦略とQRコードのオープンクローズ戦略は非常に似通っていると考えます。

このようなフィールドバスの仕様やフレームワークは、産業用ネットワークにおいては製品そのものではなく、これらそのものから収益を挙げることは難しいでしょう。
そうであれば、これらに関する特許権を無償開放や規格化によりオープン化することは、三菱電機にとってもリスクが小さく、かつ自社のCC-Linkを普及させるために有効と考えられます。

そして、三菱電機はCC-Link協会を通じてパートナー企業を集め、パートナー企業はCC-Linkファミリー仕様書を入手でき、CC-Linkファミリー技術を用いた製品(マスタ局やスレーブ局)を製造、販売することが可能となります。これは、パートナー企業にとって、CC-Linkに関するビジネスを容易とします。一方で、三菱電機は、他社との差別化技術については特許権や秘匿化によりクローズ化し、それにより収益を挙げる等しています。
また、三菱電機はCC-Link協会を通じて仲間づくりを行っています。これにより、CC-Linkは、産業用ネットワークの競合に対して対抗し、一定のシェアを確立することができるようになります。

このように、QRコードとCC-Linkは同様のオープン・クローズ戦略を行っていることが分かります。すなわち、利益を挙げにくいものの技術的にコアとなる、QRコードやフィールドバスの仕様といった”フォーマット”を自由技術化し、このフォーマットを用いる製品(読取装置、マスタ局やスレーブ局)を他社が製造販売可能とする環境を作り、自社で製造販売する製品に対しては特許権等のクローズ化した技術で他社との差別化を行っています。

また、技術分野は異なるもののQRコードやCC-Linkと同様のオープン・クローズ戦略を採用したものにAdobeのPDFがあります。
Adobeは、他社がPDF作成ソフトを開発可能とするために、一部の特許権を無償開放し、PDF仕様書を公開しました(現在では規格になっています)。これは、PDFというフォーマットの無償開放とPDF作成ソフトを開発するための技術の公開となります。
一方で、Adobeは、自社の優位性を保つために、PDF作成ソフトの開発に対して「仕様書に準拠しなければならない」という条件を設けることで、開放しない特許権等も用いて他社が独自技術を開発することを禁じました。

このように、オープン・クローズ戦略の一態様としては、利益を直接的に挙げにくいフォーマット技術(普及の足掛かりとなる技術)と他社が利益を挙げやすい一部技術をオープン化することで、自社開発技術の普及を図り、その一方で、他社との差別化が可能であり利益に直結する技術をクローズ化するというフォーマットビジネス戦略があることが理解できるかと思います。
次回に続きます。

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