2022年9月4日日曜日

特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移

下記は近年の日本における特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移を示したグラフです。(日本企業の研究開発費の推移は科学技術指標2022を参照)
2020年は特許出願件数が307,969件(2019年)から288,472件に大きく減少しています。その減少率は6.3%です。また、PCT出願件数も2020年には52,665件(2019年)から48,314件に減少(減少率8.3%)しています。そして、2021年になっても特許出願件数とPCT出願件数は若干増加していますが、大きく回復することなくほぼ横ばい状態です。
日本企業の研究開発費も19兆5757億円(2019年)から19兆2364億円に減少しています。しかしながら、その減少率は1.7%であり、特許出願件数の減少率6.3%に比べて小さいといえるでしょう。
個人的には、2020年の研究開発費の減少率はもっと大きいと思っていたのですが、さほど大きくなかったことに少々驚きました。一方で、特許出願件数は誰もが予想できたでしょうが、大きく減少しています。

ここで、特許出願件数が大きく下がった2009年の場合と比較します。2009年の減少はリーマンショックの影響によるものと考えられます。この年の特許出願件数は2008年の391,002件から348,596件に減少しており、減少率は10.8%です。また、研究開発費は2008年の18兆8000億円から17兆2463億円に減少しており、減少率は8.2%です。このときも、特許出願件数の減少率の方が研究開発費よりも大きいですが、乖離の度合いは2020年に比べて小さいです。

2009年と2020年との違いが意味するところは、2009年当時に比べて現時点において、日本企業の経営層は特許を財産ではなく、コストと認識しているということかと思います。
すなわち、経営層が特許をコストという側面を強く感じているために、景気悪化が予測される局面では真っ先にカットの対象とされ易くなっているのでしょう。そして、そのカットによる悪影響を感じないために、それが維持されます。この繰返しによって、日本の特許出願件数は00年代半ばから減少の一途となっているのでしょう。そして、コロナ禍によってそれがより顕在化したのでしょう。

現状の特許出願件数は2001年の439,175件をピークに2021年は289,200件とのように、実に66%にまで減少しています。特許業界をビジネスと考えた場合、とても大きな減少率です。
ここで、特許事務所は国内の特許出願件数が減少傾向にあっても、PCT出願、すなわち外国出願が増加してきているので、これにより利益を挙げることができていたという状況でしょう。しかしながら、2020年にはPCT出願件数も減少し、2021年でも大きく回復してはいまっせん。もしかすると、PCT出願件数も減少する傾向にあるのかもしれません。
そうすると、特許出願代理を主の業務とする特許事務所としては厳しい状況となるかもしれません。

一方で、研究開発費が減少することなく特許出願件数が減少するということは、特許出願されない新規技術が増えていると考えられます。この傾向は何年も前から生じていると思いますが、コロナ禍の影響による特許出願件数の減少も相まって、その傾向はより強くなるかと思います。
そうであれば、今後の知財活動として、技術情報の秘匿についての知見、事業戦略に応じた権利化又は秘匿化に対する適切な判断もより重要となるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年8月21日日曜日

判例紹介:「機密」の解釈 会社が従業員を解雇する場合

機密とは、一般的に、秘密管理性、有用性、非公知性の有無を判断しない広い概念を含む秘密情報を意味するかと思います。一方で、不正競争防止法違反における機密とは、営業秘密を意味し、秘密管理性、有用性、非公知性を満たす情報であるという解釈がなされています。では、実際に、不正競争防止法以外の争いにおいて「機密」の解釈は営業秘密とは異なるのでしょうか。

そこで、地位確認等請求事件において「機密」の解釈を争った裁判例(東京地裁令和4年1月28日判決 令元(ワ)23524号)を紹介します。本事件は、原告が被告による解雇は無効であるとして、労働契約上の地位確認等を求めた事件です。
なお、被告が原告を解雇した理由は下記であり、被告において生じた洗浄事故を起因としたものです。
❝原告は,対外的に開示され得ることを意図ないし認識した上で,本件伝達行為を行い,本件組合に対し,職務上知り得た本件居住者勤務先の従業員の本件マンション居住の事実,本件洗浄事故及びその後の経過の情報,本件居住者勤務先の従業員の言動,被告従業員の氏名や言動等を含む本件掲載事項を,事前に事実の確認をせず,また,会社の承認を受けることなく告げたものである。
原告は,本件洗浄事故の詳細な情報が本件組合のホームページに掲載されることも意図していたといえ,原告の意思に基づき,本件議案書が本件組合の第9回定期大会の議案として提出され,本件組合のホームページに掲載されたものと考えられる。また,本件議案書の提出及び本件掲載については,それらに記載された情報の伝播,伝達自体を目的とした行為と考えられる。
・・・
原告は,本件就業規則及び本件各誓約書に違反して,事前に事実の確認をせずに,会社の承認を受けることもなく,機密事項,会社の不利益となる事項及び個人情報を含む内容を本件組合に漏えいしたといえ,勤務先(契約先)又は顧客に対し業務上不当な行為を行い,故意又は過失により会社の名誉及び信用を傷つけたものである。❞

被告の就業規則には秘密保持義務として下記のような記載があります。
❝(服務心得)
第26条 社員は,次の各号を遵守しなければならない。
  (1)  会社の社員として,日常品位のある行動をとり,いやしくも会社の名を傷つける行為ならびに社員としての信用を失う行為をしてはならない。
 (10) 業務上知り得たことを他に発表する場合は予め会社の承認を受けなければならない。
 (11) 職務上知り得た機密情報,個人情報または会社及び勤務先(契約先)の不利益となる事項を,他に漏らさないこと。❞
また、原告が被告と交わした入社誓約書には下記の記載があります。
❝「下記事項に相違する場合又はこれを遵守できない場合は,採用取り消し解雇されても異議ありません。」(中略)
 「③ 業務上の機密・個人情報は,在職中はもとより退職後といえども一切漏えい致しません。」(後略)
 イ また,原告は,同日,被告宛ての「機密事項における誓約書」と題する書面(以下「本件機密事項誓約書」といい,本件入社誓約書と併せて「本件各誓約書」という。)に署名押印した。本件機密事項誓約書には,おおむね以下の内容が記載されていた。(乙2)
 「私は,貴社」(中略)「在職中および退職後も,下記の事項を遵守することを誓約いたします。」(中略)
「貴社在籍中に知り得た機密情報及び貴社の取得した個人情報(顧客情報のみならず従業員情報も含む)を一切漏らしません。」(後略)❞
そして、原告は、就業規則等における「機密」の解釈について以下のように主張しています。
❝懲戒事由については,労働者にとって予測可能性が必要であるから,本件就業規則上の懲戒事由に該当する「機密」とは,不正競争防止法2条6項の「営業秘密」の要件を充足するもの,「個人情報の漏えい」とは,個人情報保護法2条6項の「個人データ」の漏えいに該当するもの,「不利益となる事項の漏えい」「会社の名を傷つける行為ならびに社員として信用を失う行為」「会社の不利益となる行為」とは,名誉毀損や信用毀損として不法行為を構成し,違法性を有する場合に限られるべきである。❞
すなわち、原告は、「機密」の解釈を不正競争防止法でいうところの営業秘密等と同じように解釈するべきである、とのように主張しています。もし、「機密」をこのように解釈したならば、原告が漏えいした情報は「機密」ではない可能性が生じ、それにより被告による解雇は違法となる可能性があります。

これに対して裁判所は以下のようにして原告の主張を認めず、被告に不利益を与えることを認識できたとして、被告による原告の解雇は違法ではないとの判断を行っています。
❝本件機密事項誓約書には,「個人情報」について「(顧客情報のみならず従業員情報も含む)」と明記されており,その範囲につき原告主張の限定的な解釈を採用する根拠はない。また,前記ア及びイで述べたとおり,原告においても,本件マンションの居住者に関連する情報の保秘の重要性や,本件洗浄事故の経過等の公開による被告の不利益については容易に認識し得たものと考えられることに照らせば,原告の上記主張は採用し難い。❞
このように、裁判所は、地位確認等の請求においては「機密」の解釈を不正競争防止法違反のように限定的に解釈することを否定しました。とはいえ、下記のように原告が漏えいした情報について、その機密性の判断も行っています。
❝本件居住者勤務先について,その名称に加え,その従業員が本件マンションに居住する事実を記載した部分については,・・・被告の業務(建物の管理)にとって,当該建物の居住者に関する情報の保秘は必須の前提であり(前記認定事実(1)),この点は原告にとっても容易に理解可能であることに照らせば,上記の記載部分は,本件各誓約書にいう機密情報に該当するものというべきである。
・・・
本件業務委託元は,本件マンションの管理につき自ら公開しているものと認められ,その名称の表示自体は,本件各誓約書にいう機密情報に該当するものとはいえない。
また,本件洗浄事故は,被告従業員の単純ミス(すすぎ忘れ)に起因する不祥事に過ぎず,業務の実施につき有益性を有する情報とはいえない。これに加え,被告の主張立証を前提としても,本件洗浄事故について,被告がその従業員に対して保秘を指示した形跡はないことを考慮すると,その後の経過に関する情報を含めて機密情報に該当するものとはいえない。❞
上記のように、建物の居住者に関する情報について、裁判所は営業秘密の三要件の判断を具体的に行うことなく、機密情報であると判断しています。一方で、本事件において裁判所は、本件業務委託元や本件洗浄事故に関する事項については、非公知性や有用性に類する判断を行っています。
このことから、裁判所が「機密」を営業秘密のように限定的に解釈しないといっても、営業秘密でいうところの、有用性と非公知性については判断される可能性が高いかと思います。すなわち、有用性又は非公知性を有しない情報は、会社が「機密」であると主張しても裁判において認められない可能性が有ります。
本事件においては、原告が「建物の居住者に関する情報」を漏えいしなければ、「機密」を漏えいしたことにはならなかった可能性もあったのではないでしょうか。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年8月7日日曜日

判例紹介:愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(営業秘密の保有者)

前回前々回に紹介した愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(名古屋地裁 令和4年3月18日判決 事件番号:平29(わ)427号)の続きです。本事件は、控訴されなかったため、被告人の無罪が確定しています。

本事件では、複数の争点があり、そのうちの一つに営業秘密の保有者が誰であるかがあります。すなわち、弁護人は、下記のように、愛知製鋼(b社)は当該営業秘密の保有者ではないと主張しています。
❝1号機のノウハウは,b従業員による職務発明(職務ノウハウ)であり,bの「発明考案取扱規程」(弁132,以下「本件発明規程」という。)に定められたbへの承継取得の手続が取られていないので,1号機のノウハウを考案した従業員に帰属する❞
営業秘密の帰属については、不正競争防止法では明確に定められておらず、そうであれば社内規定を根拠として、このような主張も無くは無いとも思えます。個人的にはやはり無理のある主張かとは思いますが。

この主張に対して、裁判所は以下のように判断し、愛知製鋼(b社)の保有を認めています。
❝確かに,1号機のノウハウを考案した従業員は,本件発明規程に基づく,発明考案届出の手続をしていない。しかし,本件発明規程によれば,発明考案等を行った従業員は発明考案等の内容を遅滞なく知的財産室長に届け出るものとされているところ,当該従業員において,所定の届出をしなかった場合に,業務の過程で考案したノウハウが当然に従業員に帰属するというのは不合理である。その場合については,本件発明規程によらずに,その帰属を判断するほかない。本件では,ワイヤ整列工程に関する技術上の情報は,bがJSTから受託して行った委託事業の過程の中で獲得されたものであること,従業員は,bの事業の範囲内で,その職務として,専らbの設備を用いて開発に携わったこと,当該技術上の情報は,その後,bの事業で使用され続けてきたことなどからすると,bが,その保有者であるというべきである。❞

上記のように、裁判所は、本事件において下記三つの事実から当該営業秘密は愛知製鋼(b社)が保有者であると認めたようです。
① ワイヤ整列工程に関する技術上の情報は,bがJSTから受託して行った委託事業の過程の中で獲得された
② 従業員は,bの事業の範囲内で,その職務として,専らbの設備を用いて開発に携わった
③ 当該該技術上の情報は,その後,bの事業で使用され続けてきた

①に関しては、本事件特有の事情であり、一般化して考えられるものではありません。
③に関しては、愛知製鋼における営業秘密の使用状態を認定しただけであり、使用し続けないと営業秘密の保有者とは認められない、ということではないでしょう。
一方、②に関しては、一般化して考えてもよいのではないかと思います。②の事実は、特許法第35条1項に規定されている職務発明と同様であり、営業秘密が従業員が属する企業等が保有者であるとする要件となり得ると思います。
❝(職務発明)
第三十五条 使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発明」という。)について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する。❞
ここで、気になることとして、営業秘密は会社にのみ帰属し、従業員には帰属しないのでしょうか。このことは、被告人が当該営業秘密を発明考案した者ではないことから、当該裁判の範疇を超えていますが、上記裁判所の判断では❝従業員に帰属するというのは不合理である❞とあり、従業員には帰属しないとも読み取れます。

しかしながら、個人的には、営業秘密とした発明創出の寄与度が高い場合(例えば一人で創出した場合)には、企業と共に営業秘密を創出した従業員も当該営業被秘密の保有者足り得ると思います。
上記裁判所の判断がそこまで意識して❝従業員に帰属するというのは不合理である❞と判断したか否かは定かではありませんが、営業秘密の帰属については、営業秘密が不正競争防止法に規定された当初から議論になっていることであり、数少ない帰属についての判断がなされた裁判例として少々気になる内容でした。

弁理士による営業秘密関連情報の発信