ある技術の特許が取得されると特許公報が発行されます。第三者はこの特許公報を参照して当該特許に係る技術を知ることができます。しかしながら、特許公報に記載内容だけでは、当該技術を再現することは難しい場合が多々あり、特許公報に記載されていないノウハウが必要だったりもします。そのようなノウハウも重要であるにもかかわらず、ノウハウが適切に秘密管理されていない場合は多々あると思います。今回はそのようなことに関連した裁判例(大阪地裁令和5年1月26日 事件番号:令2(ワ)8168号)を紹介します。
本事件は、原告が美容院、ビューティーサロン、エステティックサロンの経営等を会社であり、被告(P1~P3の3名)はこの会社の元従業員であり、まつ毛エクステンションの施術担当者であったものの、原告会社を退職後にまつ毛のエクステンションの施術を行う店舗を開業しました。
また、原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を主力商品としており、P7は発明の名称を「まつ毛エクステンション人工毛の装着方法」とする特許出願(特願2019-123)を行い、この特許出願は権利化されており(特許第6957040号)、現在も権利は存続しています。
なお、当該特許権の請求項1は下記の通りであり、従属項として請求項2~6があります。
❝【請求項1】
二本又は三本のエクステンション用人工毛と一本の支持用人工毛を用意する第一のステップと、
前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第一のエクステンション用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第二のステップと、
前記第一のエクステンション用人工毛の付け根をまつ毛の上方からまつ毛の付け根の左右いずれか寄りに固定する第三のステップと、
前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第二のエクステンション用人工毛の付け根を前記まつ毛の上方から前記第一のエクステンション用人工毛が固定されていない左右いずれか寄りに固定する第四のステップと、
前記一本の支持用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第五のステップと、
前記第一のエクステンション用人工毛と前記第二のエクステンション用人工毛が固定された前記まつ毛の上方から、前記まつ毛の付け根に一回接着剤を付ける第六のステップと、
前記まつ毛の略真下に前記一本の支持用人工毛を回り込ませ、前記支持用人工毛の水平面との角度を前記まつ毛の水平面との角度に略一致させた状態にて、前記まつ毛の下方から前記まつ毛の付け根のみに前記支持用人工毛の付け根のみを固定する第七のステップ
を含む、まつ毛エクステンション人工毛の装着方法。❞
裁判所は、この特許(本件特許情報)を❝主に美容目的でまつ毛のボリューム感を増大させ目を大きく見せるためにまつ毛に装着されるまつ毛エクステンション人工毛の装着方法であって、人工毛を装着する位置や順序(請求項1~4)、使用する人工毛の形状(請求項2)、接着剤の付け方(請求項1、2、5、6)などの情報からなる。❞と認定しています。
そして、P7及び原告と被告らは下記のような秘密保持契約を結んでいました(甲がP7及び原告であり、乙が被告です。)。
❝第1条(定義)
「本件の商標・特許」とは、本件製品の名称及び施術に関して、甲が所有している次の商標及びこれについての特許技術をいう
登録商標
【ロングキープラッシュ/Longer Keep Lash】
役務の区分
第3類及び第44類に属する
第2条(使用の範囲)
●乙は甲の指定業務以外で、本件の商標・特許の使用は一切できないものとする
●乙は甲の承諾なくして、退社後も本件の商標・特許について、【入社時の機密事項承諾書・私は、貴社就業規則および秘密管理規程に従い、業務上の機密は在職中は勿論退職後といえども一切漏洩いたしません】に基づく技術漏洩を一切禁止する❞
ここで、本件秘密保持契約上の債務不履行について、被告は被告店舗において「ロングキープラッシュ」とは異なる「バインドラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を実施しており、これは本件特許情報とは異なる装着方法である、として認められませんでした。
なお、本件特許情報の装着方法である「ロングキープラッシュ」は、地まつ毛の上部に2本又は3本の断面が扁平で付け根に凹みのある人工毛(フラットラッシュ)を装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する装着方法とのことです。
一方、「バインドラッシュ」は、「ロングキープラッシュ」において使用するものとは形状の異なるフラットラッシュ1本を装着し、地まつ毛の下部にフラットラッシュ1本を装着して地まつ毛を挟んで固定する装着方法とのことです。
次に、原告が営業秘密であると主張する情報(本件手技情報)は、下記の通りです。
❝本件手技情報は、本件特許情報を実施するために必要とされる手技であり、使用する人工毛の形状、接着剤の付け方及び人工毛を装着する位置や順序に係る情報である。❞
また、本件特許情報と本件手技情報とが異なる点は、下記であり、本件手技情報は本件特許情報に包含される関係にあるとされています。
①本件特許情報では接着剤を「球状に付ける」とされているところ、本件手技情報では「球状にすくい」とされる。
②人工毛(フラットラッシュ)2本で地まつ毛を挟み込む手技(本件付加情報)については、本件特許情報にはなく、本件手技情報のみにある。
原告は被告らの原告在職中、本件特許情報を利用した「ロングキープラッシュ」と称するまつ毛エクステンションの装着方法をまつ毛エクステンションの施術を担当する従業員に教示し、原告の経営する各店舗において一般顧客に対し施術をする際に利用していたものの、原告は被告らに対し、本件手技情報のうち本件付加情報を教示したことはなかった、とのことです。
そして、原告は、このような手技の秘密管理性について下記のように、手技に関して文章化は行っていないものの、講習によりマスターさせて非公開としていたと主張しています。
❝原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」という名称の長持ちするまつ毛エクステンションを主力商品としており、本件特許出願以前から「ロングキープラッシュ」を営業秘密と指定し、従業員との間で秘密保持契約を締結してきた。
「ロングキープラッシュ」の技術は、本件特許出願において文書化されているものだけで習得できるものではなく、実際に施術できるようになるためには、原告において講習を受けて手技をマスターしなければならないが、その手技は非公開である。❞
上記原告の主張に対して裁判所は下記のように判断しています。
❝本件では、本件秘密保持等契約書以外に営業秘密を具体的に明示した文書はなく、原告が被告らに対し「ロングキープラッシュ」の施術方法を教示するに際して本件特許出願の願書や明細書その他の添付書類等を示しておらず、まつ毛エクステンションの装着方法に関して具体的にいかなる範囲が秘密とされるのかを明らかにした書面もない。しかも、「ロングキープラッシュ」は、被告らの原告在職当時、原告の各店舗において、不特定多数人に対して何らの制限もなく公然と施術されていた。また、まつ毛エクステンションの業界においては、まつ毛エクステンションの装着方法が全て秘密にされるわけではなく、新規の装着方法であっても、公開され、他のアイリストに教授されることもあり、装着方法を秘密とするか否かや装着方法のうち具体的にどこまで秘密にするかは、自明なものではない。
そうすると、本件秘密保持等契約書に規定された「特許技術」以外の本件特許情報及び本件手技情報は、原告において適切に秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったといわざるを得ない。また、原告は、被告らに対し、「ロングキープラッシュ」を教示したのであって、本件特許出願に係る願書等を示したわけではないから、本件秘密保持等契約書の「特許技術」は、その文言どおり、「ロングキープラッシュ」についての本件特許情報、すなわち、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報を意味するものと解される。
そして、当該情報は、不特定多数の顧客に対して公然と施術される装着方法であり、施術を受ければ視覚的に認識できるものであるから、やはり秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったということになり、結局、本件秘密保持等契約書上の「特許技術」も、不正競争防止法上の営業秘密とはいえない。❞
また、文書化されていない非公開の手技について、それを含めて営業秘密と指定し、秘密保持契約を締結したので秘密管理性があるとの原告の主張に対しては、裁判所は下記のようにして認めませんでした。
❝原告の主張する文書化されていない非公開の手技については何ら具体的な主張立証がなく、前記イのとおり、本件秘密保持等契約書の対象は、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報であって、文書化されていない非公開の手技や本件付加情報は含まれないから、採用できない。❞
結局のところ裁判所は、原告が主張する非公開の手技等は、文章化もされていないし、それが秘密であることを従業員に認識させていなかった、ということで手技等の技術の秘密管理性を認めなかったことになります。また、特許権についても、被告は特許権の技術的範囲に含まれない技術を実施したのであるから、秘密保持契約の債務不履行にはならないとされています。
この裁判例における手技のように、自社開発技術について文章化等せずに従業員に実施させる一方、当該技術は秘密であるとの認識を持っている会社は多いと思います。
しかしながら、本ブログでも度々述べているように、文章化等しなければ秘密として管理もできず、裁判において秘密管理性が認められることは無いと考えられます。
このように、営業秘密とする情報は、営業情報や技術情報にかかわらず、文章化、リスト化、その他の手法によって従業員が認識できる形とし、それを秘密管理する必要があります。