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2024年9月22日日曜日

判例紹介:営業秘密ではなく、ノウハウの不正流出が認められた事件

ノウハウについての法的保護については、営業秘密とは違い条文化されていません。しかしながら、ノウハウの流出について裁判で争われた事例はいくつかあります。
今回紹介する事件は、そのような事件(東京地裁令和4年9月15日判決 事件番号:令元(ワ)18281号)であり、ノウハウの保有者である原告の賠償金請求が認められています。

原告の代表者であった被告Aが原告の開発した技術やノウハウを被告会社に提供してこれを取得させた行為は、原告に対する忠実義務(会社法355条)及び競業避止義務(同法356条1項1号)に違反する不法行為であり、原告が被告と被告会社に共同不法行為(民法719条1項)及び不法行為(同法709条)に基づいて損害賠償を求めたものです。
なお、ノウハウとは、ナノサイズの炭素繊維の製造技術や粉砕技術、分散技術に関するもののようです。
ここで、被告Aは原告の元代表取締役であり、その在任中に、炭素繊維の粉砕、分散、再生等の事業に対する技術面で中心的な役割を担ってきたようです。そして原告の主張によると被告Aは、原告代表取締役在任中の平成30年頃以降、原告に秘匿して被告会社と顧問契約を結び、技術指導として、原告が資金、労力をかけて開発してきた炭素繊維の粉砕・分散技術やノウハウを原告に無断で被告会社に提供し、その対価として顧問料の支払を受けていたとのことです。

原告のノウハウについて裁判所は具体的に以下のように判断しています。
原告は、平成29年6月までには、試作品ではあるものの、炭素繊維の粒子を平均繊維径20nm、平均繊維長360nmのナノサイズに粉砕し、これをマスターバッチ化することに成功し、その後も炭素繊維をアスペクト比を大きくするように繊維状に粉砕する方法、分散剤の選定等についても試行錯誤を重ね、同年12月までには、特許出願ができる程度に、炭素繊維を一定のサイズに粉砕するために使用する乾式粉砕の装置、雰囲気温度、インペラ回転数、粉砕時間、混合液の処方条件、湿式粉砕及び分散処理に使用する装置、使用ビーズの条件等や一連の工程を特定し、その後も、実用化に向けて、炭素繊維を一定のナノサイズにまで粉砕しつつ飛散や再凝集の課題を解決し得る一定の技術を取得していたというべきである。
他方、その当時、このような炭素繊維の粉砕技術等を用いて、所定のサイズのカーボンナノワイヤー分散液であって、かつ、高濃度にカーボンナノワイヤーを含有する分散液を調製する方法が原告以外の第三者によって既に開示されていたことをうかがわせる具体的な事情を認めるに足りる証拠はない。
そうすると、遅くとも本件特許出願当時に原告が有していたカーボンナノワイヤー分散液の製造方法に係る技術内容、すなわち、炭素繊維をカーボンナノワイヤーと称するほどのサイズ(平均繊維径30nm~200nm、平均繊維長1μm~20μm、アスペクト比3~200)に粉砕・分散処理したカーボンナノワイヤー分散液を調製する方法(以下「原告方法」という。)は、一定の有用性・経済的価値を有するものであり、みだりに他者に開示、使用されない正当な保護を受けるに値する情報といえる。
このように原告のノウハウは保護を受けるに値すると裁判所は判断しました。この判断基準は、実質的に営業秘密でいうところの有用性と非公知性であると思われます。一方で原告主は営業秘密ではなく単にノウハウとしか主張していないので、秘密管理性については当然ながら判断されていません。


さらに、被告Aの被告会社に対する技術情報の提供の有無について、以下のように裁判所は判断しています。
被告会社は、被告Aを顧問に迎え入れるまでには炭素繊維の粉末を利用したマスターバッチを製造する技術等についての知見及び経験を有していなかったことから、被告Aが有する炭素繊維の分散技術に期待して同被告を顧問として迎え入れ、同被告も、被告会社の顧問として炭素繊維の分散技術の開発に必要な炭素繊維粉末を準備した上で、高濃度で分散性の優れた炭素繊維のマスターバッチ製造のための試行錯誤を繰り返し、一般的な炭素繊維ミルド粉末を利用したマスターバッチの濃度を優に超える高濃度のマスターバッチを作製するための製造方法(レシピ)を開発したものといえる。
このことと、原告が平成29年当時有していた炭素繊維を原料とするカーボンナノワイヤー分散液の技術的課題、意義及びその特徴と被告会社が自社の技術として広報した高分散・高濃度の炭素繊維マスターバッチのそれとが共通していること、他方で、その当時、被告会社において被告A以外の者により炭素繊維粉末を高濃度に含むマスターバッチの製造に関する具体的技術やノウハウを取得したことを認めるに足りる証拠はないことに鑑みると、被告Aは、原告において開発していたカーボンナノワイヤー分散液の製造技術を被告会社に対して提供し、被告会社においてこれを利用したことが合理的に推認される。
このように、被告Aが被告会社に原告のノウハウを提供し、さらに被告会社がこのノウハウを使用したことを裁判所は認めています。
裁判所はこのような被告Aの行為を「カーボンナノワイヤー分散液の製造方法といった炭素繊維の粉砕・分散技術に関する原告の技術情報を、少なくとも過失によって第三者である被告会社に開示して使用させたものであり、原告に対する忠実義務に違反する。これにより、被告Aは、原告の営業上守られるべき利益を侵害したといえることから、原告に対して不法行為責任を負う。」と認めています。
そして、裁判所は「原告は、被告らに対し、共同不法行為に基づき、連帯して160万円の損害賠償請求権・・・を有する。」とのように原告の損害賠償請求権を認めました。

以上のように、営業秘密ではなくノウハウの不正流出に対しても法的保護を受ける可能性があります。そして、ノウハウは秘密管理性を必要としません。すなわち、秘密管理性がないものの、営業秘密でいうところの有用性及び非公知性を有する情報であればノウハウとして法的保護を受ける可能性があります。
しかしながら、民法719条や709条に基づく請求であれば、損害賠償は認められても差し止めは認められない可能性があります(本事件でも原告は差し止めを請求していません。)。
とはいえ、被告がノウハウを使用しており、原告の損害賠償請求が認められた場合には、その後、被告が当該ノウハウの使用を継続する可能性は低いようにも思えます。一方で、例えば自社からの転職者によってノウハウを不正に持ち出されて、転職先で開示されただけでは、損害が発生していないとして損害賠償が認められないかもしれません(営業秘密では弁護士費用が損害として認められている裁判例もあります)。
さらに、ノウハウの不正流出(不正使用)は不正を行った者に対して民事的責任を負わせることができたとしても、刑事的責任を負わせることはできません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年8月29日木曜日

転職者が前職の営業秘密を持ち込んだ刑事事件

自社への転職者が前職の営業秘密を不正に持ち込んだ刑事事件のリストです。なお、このリストに挙げた転職に伴う営業秘密の刑事事件は、一部であり、実際にはより多くの事件があります。
先日、兼松から双日への転職者が双日へ不正に営業秘密を持ち込んだ刑事事件の地裁判決が出ました(上記リストの一番上の事件)。懲役2年(執行猶予4年)、罰金100万円という有罪判決です。この判決は、被害企業にとって大きな損害が発生していない場合における他の刑事事件と同様と思われます。
なお、双日は転職者が持ち込んだ兼松の営業秘密を不正使用した様子はなく、双日は刑事告訴されていません。しかしながら、双日は警察によって家宅捜索を受けており、従業員は事情を聴かれているでしょう。このため、双日は本来不要であるはずの対応を行っており、双日もある意味では被害を被っていると言えるでしょう。

一方で、営業秘密侵害であるとして自社への転職者が逮捕されたものの不起訴となっている事例もあります。不起訴となっている理由は定かではありませんが、持ち出した情報が営業秘密ではなかった可能性があります。
仮に、持ち出した情報が非公知性を満たしていないことが不起訴の理由であれば、転職者は自由に使用することができる情報を持ち出したのであり違法ではありません。逆に、転職先企業がこの情報を有していなければ、この情報を転職先にもたらした転職者を雇用したことは、転職先企業にとって有意義であったともいえます。

特に、技術情報に関しては公知となっている情報が多数あります。そして公知の情報であるにもかかわらず、当該情報を秘密管理している企業もあるでしょう。このような場合、技術者は当該情報が公知であることを認識しつつ、転職先でも参考になると考えて持ち出す可能性もあります。一方で、前職企業は自社で秘密管理していた情報であるから、転職した技術者による不正な持ち出しであるとして刑事告訴する可能性があります。
そして警察は当該情報の秘密管理性が認められれば、非公知性についてさほど判断せずに(技術情報なので判断できない)、逮捕又は書類送検に至る可能性があるのではないでしょうか。

では、このような場合に転職先企業はどうするべきでしょうか?
転職先企業は営業秘密侵害の嫌疑をかけられた転職者等から、どのような情報を持ち出したかをヒアリングすべきでしょう。このとき、当該情報が真に営業秘密である可能性もあります。このため、当該情報がその後、自社内で拡散しないように非常に限られた人員又は社外の弁護士等のみが知り得る状態としてヒアリングする必要があります。
仮に当該情報が前職企業の顧客情報や取引先に関する情報(営業情報)であれば、当該情報は非公知の可能性が高いです。また、技術情報でも、数値データや物質の組成等であれば非公知の可能性が高いです。このような場合には、転職者が不法行為を行っている可能性が高いでしょうから、転職先企業は転職者を守る必要なないと考えられます。
一方で、当該情報が公知であれば、転職者は不法行為を行っていない可能性が高いので、転職先企業は転職者を守って然るべきでしょう。

このように、企業は自社への転職者に営業秘密侵害の嫌疑をかけられた場合、転職者が持ち出したとする情報が真に営業秘密であるか否かを可能な限り調査し、この転職者に対する対応を考える必要があると思います。すなわち、営業秘密侵害の嫌疑をけられたからといって、当該転職者を犯罪者のように扱うことは妥当ではないと考えます。
そもそも転職者を雇用したということは、この転職者が自社にとって必要であると判断したのであり、そのような人物を失うことがあっては自社にとって損失に他ならないでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年8月12日月曜日

日本の特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移

 下記のグラフは日本の特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移を示したものです。


2023年度の特許出願件数は、コロナ禍の影響による減少から少し回復して30万件を超えています。これは、特許業界にとっては喜ばしいことでしょう。
また、2022年度の日本企業の研究開発費は20.7兆円であり、はじめて20兆円を超えています。特許出願件数が回復した理由には、日本企業の研究開発費の増加も原因なのかもしれません。
一方で、2023年度の特許審査請求件数とPCT出願件数は若干の減少となっています。これは、コロナ禍による特許出願件数の減少に起因するものでしょう。とはいえ、特許の審査請求件数とPCT出願件数はそれほど大きく減少しているようにも思えないので、企業は本当に必要な特許出願に対して審査請求やPCT出願をしているのだと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年7月31日水曜日

判例紹介:ノウハウの法的保護について

前回のブログでは、ノウハウの法的保護について記載しましたが、今回もノウハウの法的保護に関連した裁判例(知財高裁平成30年12月6日判決、事件番号:平30(ネ)10050号)を紹介します。

本事件は、中学校受験のための学習塾等を運営する控訴人(一審原告)が同様に学習塾を経営する被控訴人(一審被告)に対し、被控訴人がそのホームページやインターネット上で配信している動画等に原告表示と類似する表示を付する行為はが不競法2条1項1号の不正競争行為であると主張したものです。

さらに、控訴人は、以下のように、被控訴人学習塾の営業は控訴人のノウハウにただ乗りするものであって、自由競争の範囲を逸脱し、一般不法行為を構成するとも主張しました。
被控訴人は,控訴人が多大な労力及び費用をかけ,控訴人独自の教育思想・理念(論理的な思考力,表現力,知識にとらわれない豊かな感性,主体的な学ぶ姿勢を生徒に持たせるように育成する。)に基づいて作問したテスト問題及び解答を材料にし,控訴人のノウハウにただ乗りし,控訴人学習塾の生徒を対象として,ウェブサイト上でのライブ解説(以下「ライブ解説」という。)の提供又は解説本の出版を行っている。被控訴人は,最難関校の合格者が多いという控訴人学習塾の実績を横取りして入学者数を増やすために,控訴人学習塾の補習塾であるかのような運営を行っているが,小学校で良い成績をとるための小学校の補習塾と異なり,営利目的の営利企業である株式会社の運営する控訴人学習塾についての補習塾を運営することは,自由競争の範囲を逸脱するものである。
ここでいうノウハウとはどのようなものであるかは、判決文からは判然としませんが、おそらく、「控訴人が多大な時間と労力をかけて作成したテスト問題」にノウハウが化体しているのでしょう。
確かに、控訴人の競合他社である被控訴人が控訴人が作成したテスト問題を用いてビジネスを行っているので、控訴人としては何らかの対応を行いたい、ということなのでしょう。


このような控訴人の主張に対して裁判所は以下のように判断しています。
大手学習塾が,自ら作問したテスト問題の解説を提供するという営業一般を独占する法的権利を有するわけではないから,大手学習塾に通う生徒やその保護者の求めに応じ,他の学習塾が業として大手学習塾の補習を行うことそれ自体は自由競争の範囲内の行為というべきである。そして,控訴人が主張する,中学校受験生を対象とする学習塾同士が熾烈な競争下にある中で,控訴人がその教育方針に従い,そのノウハウに基づいてテスト問題を作問していること,被控訴人による解説は控訴人による事前の審査を経ておらず,その内容が受験テクニックに偏ったもので,控訴人の出題意図や教育方針に反することといった事情があったとしても,このことから直ちに,被控訴人による解説本の出版やライブ解説の提供が社会通念上自由競争の範囲を逸脱するということはできない。
上記のように、裁判所は、控訴人のノウハウについて特段言及することもなく、被控訴人の行為は不法行為ではないと判断しています。

ここで、ノウハウは営業秘密でいうところの有用性及び非公知性を有するものと仮定すると、控訴人のテスト問題は公知のものであり、そのようなテスト問題の解説等を行うことは何らの不正行為、換言すると控訴人のノウハウを不正使用する行為ではないとも考えられます。
一方で、控訴人のテスト問題を作成するための手法がノウハウであり、この手法は非公知であるとすると、被控訴人はノウハウを用いた成果物であるテスト問題を使用しているに過ぎず、控訴人のノウハウそのものは使用していないこととなります。
ノウハウの定義は法的に定まっていませんが、ノウハウも有用性及び非公知性を有する情報と考えると、ノウハウの侵害(不正使用)の考えも明確になると思います。
なお、本事件では、控訴人(原告)の請求は全て棄却されています。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年7月22日月曜日

判例紹介:法的に保護されるノウハウとは?

ノウハウを法的に保護するためには、ノウハウが営業秘密であるとして不正競争防止法による保護を受けることが考えられます。しかしながら、ノウハウを営業秘密というためには、ノウハウを情報として特定したうえで、当該情報が秘密管理性、有用性、及び非公知性の三要件を有していることが必要です。
しかしながら、情報が三要件、特に秘密管理性を有していないとしてその営業秘密性を否定されることが多々あります。そうすると、営業秘密と認められなかったノウハウ(情報)は法的保護を受けることができないのでしょうか。

そこで法的保護を受けることができるノウハウについて示した裁判例(東京地裁令和 4年5月31日判決、事件番号:令元(ワ)12715号)を紹介します。
本事件は、ソフトウェア等のテスト業務を専門に行う原告会社の元従業員である被告Aによって、テスト業務に使用するテスト設計書の電子ファイル(本件ファイル1、2)が被告Aの転職先である被告会社に無断で持ち出され、被告会社において使用されたとのように、原告会社が主張したものです。
原告は、被告らに幾つかの請求を行っていますが、そのうちの一つとして、「原告のノウハウを侵害したことを理由とする共同不法行為による損害賠償請求」が含まれています。

なお、当事者に争いのない事実から分かるように、被告Aは少なくとも本件ファイル1について実際に転職先である被告会社に持ち出し、それを使用したようです。
(4) 被告Aによる本件ファイル1の持ち出し等
被告Aは、平成30年6月頃、原告から貸与されていた業務用パソコンを使用して、本件ファイル1の電子データをチャットツールの自身のアカウントにアップロードして保存した。そして、被告モリカトロンに入社した後、私用パソコンを使用して、上記アカウントから同電子データをダウンロードして同パソコンに保存し、自身のUSBメモリスティックを介して被告モリカトロンの業務用パソコン及びローカル・エリア・ネットワークに保存した。さらに、被告モリカトロンの社内研修で使用するために、本件ファイル1を加工修正して研修資料(以下「本件研修資料」という。)を作成し、被告モリカトロンの従業員7名が出席した被告モリカトロンの社内研修(以下「本件研修」という。)において、同研修資料を用いて指導を行った。(甲6、弁論の全趣旨)
そして、裁判所は以下のように原告が主張するノウハウである本件各ファイルは著作物又は営業秘密でもないと判断しています。しかしながら、裁判所は、著作物又は営業秘密でなくても本件各ファイルの利用行為が不法行為と解する余地もあるとしています。
本件各ファイルは、下記7に記載のとおり、著作権法2条1項1号所定の「著作物」に該当せず、また、下記8に記載のとおり、不正競争防止法2条6項所定の「営業秘密」にも該当しないものである。しかして、本件各ファイルの利用行為は、著作権法や不正競争防止法が規律の対象とする利益とは異なる法的に保護された利益を侵害するなどの特段の事情がない限り、不法行為を構成するものではないと解するのが相当である(最高裁平成23年12月8日第一小法廷判決・民集65巻9号3275頁参照)。
もっとも、これを前提としても、原告の主張は、被告らによる本件各ファイルの利用行為が、自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業の自由を侵害するものであるとして、前記特段の事情が存在する旨をいうものと解する余地がある。

この「自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業を妨害する態様」で使用されていたか否かについて、裁判所は以下のよう判断しています。
(3) 上記認定事実によれば、本件ファイル1は、テスト業務で確認すべき事項や確認結果を記載するために使用されるテスト設計書のひな型であることが認められ、具体的なテスト業務を想定したテスト観点やテスト結果等は記載されておらず、それらを記入すべき枠としての表が記載されているものに過ぎない。加えて、本件研修資料が具体的にどのような資料であったのかについては証拠上明らかでないが、本件研修資料は、少なくとも、被告Aが本件ファイル1を加工修正して作成したものであって、本件研修や被告モリカトロンにおけるテスト業務において本件ファイル1がそのまま使用されたものではない。これらの事情を考慮すれば、被告らの行為が、具体的、客観的見地からみて、直ちに自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業を妨害するものであるとまではいえない。
また、本件ファイル2は、テスト設計書のひな型の一部であるところ、原告の主張によれば、原告は、テスト業務に使用するテスト項目を●(省略)●本件ファイル2に係る●(省略)●ものであるという。しかして、これを前提としても、本件ファイル2は、●(省略)●が記載されたもので、原告が整理したテスト項目のわずかな一部分を記載したものに過ぎないということになる。また、前提事実によれば、テスト業務は、ゲームソフト等のソフトウェアが仕様どおりに動作するかを確認してプログラムの不具合の有無を検出することを内容とするものであるため、そこで確認すべき事項は、ソフトウェアの仕様として明示的に記載されている事項か、当該ソフトウェアが当然有すべき性能に係る事項に限定されると考えられる。このようなテスト業務の性質にも照らして検討すると、上記認定のような本件ファイル2自体が、客観的,具体的見地からみて、原告独自のテスト観点等を記載したものとして、著作権法や不正競争防止法が規律の対象とする利益とは異なる法的に保護された利益を有するとまではいいがたく、被告らの行為が、自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業を妨害するものであるとはいえない。
このように、本件ファイル1には原告が実施したテスト観点やテスト結果は記載されておらず、単なる枠であり、被告Aはそれを加工修正したものであり、本件ファイル1をそのまま使用していないために原告の営業を妨害するものではないと裁判所は判断しています。そもそも、本件ファイル1はその著作物性が否定され、かつ原告独自の情報も含まれていないのであれば、それを加工修正しても原告の営業を妨害とは考え難いでしょう。
本件ファイル2は「原告が整理したテスト項目のわずかな一部分を記載したものに過ぎない」として、法的に保護された利益を有するとは言えないとしています。そもそも、本件ファイル2については使用したか否かも判然としません。
このように、本事件では、原告の本件各ファイルを持ち出して使用した被告の行為は「自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業を妨害するものであるとまではいえない。」と判断されています。

このように、営業秘密や著作権等の法的保護を受けることができない情報に対して、法的な保護を受けると裁判所が認める可能性は低いように思えます。
しかしながら、特に営業秘密については、秘密管理性がその要件として重要なファクターとなっており、有用性及び非公知性を満たしているにもかかわらず、秘密管理性を満たしていないとして営業秘密性が否定される場合は少なからずあります。そして、企業が保有している情報のうち、有用性及び非公知性を満たしている情報の全てを秘密管理することは現実的に不可能です。
具体的には、開発途中の技術に係る情報や完成に近い発明等は、有用性及び非公知性を有している場合が多々あるかと思います。このような情報は、技術や発明が完成した後に秘密管理される場合がほとんどです。そして秘密管理されていない情報を不正に持ち出したとしても、営業秘密侵害にはなりません。
しかしながら、このような情報が不正に持ち出されて使用され、その行為が「自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業を妨害するもの」であれば法的保護を受けることができるかもしれません。
また、顧客情報が不正に持ち出されて使用された場合でも、秘密管理性が否定され営業秘密としての保護が受けられない場合が多々あります。しかしながら、秘密管理されていない顧客情報を不正に使用する行為は「自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業を妨害する」行為の典型例となるのではないでしょうか。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年4月23日火曜日

令和5年の営業秘密侵害事犯の検挙状況

先日、警察庁生活安全局 生活経済対策管理官 編の「令和5年における生活経済事犯の検挙状況等について」が公表されました。
これには、商標権侵害事犯、著作権侵害事犯、不正競争防止法違反等の知的財産権侵害事犯も含む生活経済事犯の令和5年(2023年)の検挙状況等がまとめられています。

まず、令和5年における営業秘密侵害事犯の検挙事件件数ですが、下記のグラフのように、最多である令和4年よりも若干少なくなっています。それでもやはり、検挙件数は増加傾向にあるのでしょう。

次は相談受理件数ですが、相談受理件数は検挙件数よりも当然多く、昨年は過去最多となっており、こちらも増加傾向にあります。

さらに、下記の表からも分かるように、検挙されている法人も存在します。
検年の検挙された法人としては、はま寿司の営業秘密を不正使用したカッパクリエイト社があり、カッパ社は地裁判決において3,000万円の罰金刑となっています(控訴済み)。
しかしながら、起訴されて有罪となった法人は、私が知る限りではカッパ社を含んで過去2社のみです。
このため、検挙されたとしても起訴されて有罪となる法人はあまり多くないのかもしれません。
とはいえ、転職が益々一般的となる今後において、転職者が前職企業の営業秘密を転職先で開示し、それを転職先で使用等する可能性も高くなり、その結果、検挙される法人も多くなるかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年4月15日月曜日

知財としての営業秘密の理解

知財といわれてまず思いつくものは、特許であり、次に商標、意匠、実用新案かと思います。しかしながら、営業秘密を知財として挙げる人はあまり多くないかもしれません。
この理由としてはいくつか考えられますが、まず、特許等の権利化は権利化業務といった「仕事」或いは「ビジネス」として確立していることにあるでしょう。そして、特許等の出願をより多くしようとする組織である特許庁や特許事務所といった存在が大きいと考えます。
すなわち、特許庁が旗振り役となり、企業に特許出願を促し、その依頼を特許事務所が受ける。これにより、特許庁は自身の存在意義を大きくし、特許事務所は利益を挙げることができます。そして、企業は、特許権を取得することにより、特許に係る技術を独占したり、他者にライセンスすることで間接的又は直接的に利益を得たり、年間の特許出願件数や保有している特許権数を自社の知財としてアピールします。
一方で、営業秘密に関しては、上記のような権利化業務という「仕事」や「ビジネス」は存在しません。さらに、特許庁や特許事務所が権利化は止めて営業秘密化しましょう、とのように旗振りを行うことも殆どありません(経済産業省等は営業秘密の理解を深める活動を行っています。)。当然ですが、企業が自社で保有している営業秘密の数をアピールすることもありません。

このような理由により、企業(知財部)は営業秘密を知財として認識し難いともいえるでしょう。しかしながら、実際にビジネスに用いられる特許権は全体の一割や二割ともいわれ、そもそも特許出願を行う目的がその数となっている企業も少なからずあります。その結果、特許出願がコストをかけて無駄な、下手をすると競合他社に利益をもたらす技術情報の開示を行っている可能性もあります。

一方で、営業秘密は、製品の詳細な技術情報、製品の製造方法、製品の組成であったり、実際に企業がビジネスに用いている情報である場合が多いのではないでしょうか。
このため、転職が一般的になっている昨今、営業秘密とする情報にはアクセス制限を行ったり、サーバ等へのアクセスログを取る等して、企業は営業秘密を転職者(転出者)が持ち出すことを防止又は持ち出しを検知しています。

ここで、情報を営業秘密とするためには、情報を特定したうえで、秘密管理性、有用性、非公知性を満たさなければなりません。
営業秘密とする情報が顧客情報や取引情報等の営業情報の場合では、このような営業情報が公知となっている可能性は低いので、秘密管理性を満たせば有用性及び非公知性も認められる可能性が高いです。
一方で、技術情報に関しては、特許公報や学術論文、雑誌、インターネット等によって既に公知となっている可能性もあります。また、自社の製品をリバースエンジニアリングすれば知り得る情報となる可能性もあります。このため、技術情報は秘密管理性を満たしていても、有用性や非公知性が認められない可能性があります。

従って、知財の立場からすると、技術情報が既に公知又は将来公知となるかを判断し、営業秘密にできるか否かを判断する必要があります。そして、現在は非公知であるもの、将来は公知となるよう技術情報であれば、特許出願するという選択肢も取り得ます。また、事業戦略の観点からも特許化又は営業秘密化の検討するべきでしょう。
このため知財としては、自社で創出した技術情報をどのような形式で知財とするかを判断するために、秘密管理性は当然のことながら、営業秘密としての有用性及び非公知性を理解しする必要があります。


ここまでが、自社で創出した営業秘密(技術情報)に関する考えです。次は、自社への転職者(転入者)が持ち込んだ技術情報に関してはどうでしょうか。

転入者が持ち込んだ技術情報は、前職企業の営業秘密である可能性があります。他社の営業秘密を許可なく使用した場合には不正競争防止法違反となり、民事的責任や刑事的責任を負う可能性があります。しかしながら、転入者が持ち込んだ情報であっても、営業秘密でなければ(特許権や著作権等の他の権利侵害がないならば)使用できます。

すなわち、転入者が自社に技術情報を持ち込んだ場合、当該技術情報が他社の営業秘密であるか否かの判断を自社で行う必要があります。例えば、転入者が持ち込んだ情報を全て他社の営業秘密として扱ってしまうと、本来使用できる情報を使用しないことになり、さらには、転入者の能力に足かせを与える可能性もあり、その結果、転入者は自社では能力を発揮できないと考え、他社に転職する可能性もあるでしょう。
一方で、転入者が持ち込んだ情報に対して営業秘密であるか否かの判断を行うことなく、自社で使用してしまうと、上記のように営業秘密侵害となり、自社に損害等を与える可能性があります。

では、転入者が持ち込んだ技術情報が営業秘密であるか否かの判断はどのようにすればよいのでしょうか。それは、第一には非公知性を判断することだと思います。
転入者が持ち込んだ技術情報が公知の情報であれば、それは営業秘密ではありません。このため、特許文献や学術論文等の調査を行うことで当該技術情報の非公知性を判断することが考えられます。そして、全く同じ情報が公知となっていなくても、特許でいうところの設計事項程度の違いであれば、有用性が無い可能性があります。有用性が無い技術情報も営業秘密ではないので使用可能です。
このような非公知性や有用性の判断は、知財(知財部)の得意とするところでしょうし、法務や技術者自身がこのような法的な判断を行うことは難しいと思います。

では、秘密管理性の判断はどうでしょうか。転入者が持ち込んだ技術情報が転入者の前職企業で秘密管理されていたか否かを客観的に判断することは非常に難しいと思います。仮に転入者が、前職企業において当該技術情報を秘密管理していなかったと説明したとしても、それが正しいか否かを判断することは想到難しいでしょう。
他にも、転入者が自身で創出(発明)した技術情報であるから使用することに問題ないとのような説明をすることも考えられます。これについても、法解釈の観点と共にその説明を客観的に判断できないという問題があります。
すなわち、転入者の説明をうのみにして転入者が持ち込んだ技術情報の営業秘密性を判断することには高いリスクがあります。

以上のように、技術情報については、その営業秘密性の判断について、法的な視点とと共に技術的な視点が当然必要となります。このため、技術情報の営業秘密性については、特許等と同様に知財としてあるかう必要があると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年3月25日月曜日

判例紹介:「営業秘密を示された」とは?

不正競争防止法第2条第1項第7号には営業秘密の不正行為として下記のように規定されています。
不正競争防止法第2条第1項第7号
営業秘密を保有する事業者(以下「営業秘密保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為
では、営業秘密が「示された」場合とは、どのような場合でしょうか。そのことが争点となった裁判例(大阪高裁令和6年2月9日判決、事件番号:令5(ネ)1657号)を紹介します。

本事件は、被控訴人(原審被告)に所属する研究者が控訴人(原審原告)となっており、控訴人は振興会の科学研究費助成事業により交付される科研費を用いてするUCN(超冷中性子)の研究に従事していました。そして、控訴人らは、同研究において製作し、被控訴人に寄付した本件物件(UCN源)を被控訴人が使用等することは控訴人らが本件物件について有する営業秘密侵害であるとして提起しました。

より具体的には、被控訴人が控訴人らの寄付を受け入れたことにより、本件物件の所有権を取得するものの、本件物件に化体する本件情報に関する権利は控訴人らに帰属したままであり、被控訴人は本件情報に関し、控訴人らに対して信義則上の秘密保持義務を負うものというべきであるものの、被控訴人は本件物件の管理目的を超えて、本件物件を第三者との共同研究の用に供している、というものです。
なお、原審では、控訴人らの主張する営業秘密が特定されていないから請求(訴訟物)は特定されておらず本件訴えが不適法であるして棄却されています。また、裁判所は、被控訴人の秘密保持義務も認めませんでした。

本事件(高裁)では上記のように、「被控訴人が営業秘密を示されたのか」についてが争点となっています。
まず、控訴人が被控訴人に寄付した本件物件(UCN源)の本件情報(控訴人主張の営業秘密)ついて、控訴人は「本件物件の外部形状、内部構造及びその機能を発揮させるため組み上げられた各部の装置や機器(構成部品)を含む仕組み自体であり、形状及び構造にあっては、本件物件全体及び各構成部品の形状、寸法、加工及び組立てに関する情報」であると主張しています。
さらに、この本件情報に対して控訴人は、「本件物件の外観を見ただけでは解析が不可能であり、控訴人らの関与なしにはこれを取得できないため非公知性は維持されている」とも主張しています。


これに対して裁判所は、以下のように判断しています。
確かに、本件情報が控訴人ら主張のような技術情報であるなら、本件物件2のうちHe-Ⅱ冷凍器は被控訴人が管理し、その余の本件物件は第三者が管理しているものの、本来の目的である実験等に利用されているだけであって、控訴人ら主張の本件情報を得るための詳細な分解検討等がなされたわけではない以上(科研費で購入された本件物件につき、その可能性も考え難い。)、控訴人らの関与なしにはこれを取得できないとされる本件情報(本件物件の外部形状、内部構造及びその機能を発揮させるため組み上げられた各部の装置や機器を含む仕組み自体、あるいは本件物件全体及び上記各構成部品の形状、寸法、加工及び組立てに関する情報)は、なおこの被控訴人を含む第三者によっても知られていないと考えられる。そして、そうであれば、本件情報が営業秘密としての特定が不十分であることはさておき、その非公知性はなお維持されていることを否定できないというべきである。
しかし、そうであれば、被控訴人が本件物件の寄付を受け、これらをその管理下においたとしても、それだけでは本件情報を知ることができないということになるから、争点(3)ウにおける被控訴人が本件物件の寄付を受けることで、これにより、あるいはその際、営業秘密たる本件情報を示された旨をいう控訴人らの主張する事実は認める余地がないということになる。なお、控訴人らが被控訴人に対して本件物件の引渡しのほかに本件情報を開示したとの事実は主張立証されていないことはもとより、これをうかがわせる事実はない。また、控訴人らの主張に従う限り、本件物件を実験等に利用したとしても、そのことで本件物件の構造等にかかわる本件情報を知ることができないはずであるから、被控訴人は現時点においてもなお本件情報を「示された」とも認められないということになる。
裁判所の判断を要約すると、下記のようなことと理解できます。
①被控訴人が主張するように、本件情報は本件物件(UCN源)の仕組みや構成部品の形状、寸法、加工及び組立てに関する情報であるため、本件物件が被控訴人の管理下にあるとしても、非公知性は維持されている。
②本件情報の非公知性は維持されているため、本件物件を管理している被控訴人であっても本件情報を知ることはできないし、他に本件情報が被控訴人に開示された事実はない。
③被控訴人は本件情報を知らないため、被控訴人が本件物件を寄付され、使用していても被控訴人に本件情報を「示された」とは認められない。

なお、裁判所は、本件物件の引渡しのみで本件情報を示された、すなわち「営業秘密を示された」ことが肯定されるというのなら、被控訴人は秘密保持義務を負わないため、本件情報は既に非公知性が失われたことになって営業秘密の要件が充足されない、とも述べています。

上記の裁判所の判断は妥当であると思われますが、このような営業秘密に関するトラブルは想定し得ることでしょう。
例えば、企業間における共同研究開発において、共同研究開発先が独自開発した装置を借りて実験等を行う場合に、当該装置の内部構造に対して秘密保持義務を課されており、その後、借りた側が同様の装置を製造等した場合です。
このような場合、貸した側は営業秘密侵害を主張したくなりますが、借りた側は当該装置を「営業秘密を示された」ことにはなりませんので、当然、営業秘密侵害とはなりません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2024年3月17日日曜日

転職者による営業秘密の不正流出・流入まとめ

転職者による営業秘密の不正流出・流入を簡単にまとめます。


上記図の(A)のように転職者(転出者)は転職時に前職企業から営業秘密を不正に持ち出すことがあります。
転出者によって不正に持ち出される営業秘密には、在職中に仕事で使用するために前職企業から正当に開示された営業秘密だけに限らず、転出者自身にはアクセス権限がないものの何らかの方法で取得した営業秘密も含まれます。
このような営業秘密の不正な持ち出しは、サーバ等に保存されているデータに対して行われるアクセスログのチェックによって発覚することが多々あります。このため、近年ではアクセスログ管理を行っている企業は多く、自社の従業員等が退職を申し出た際や退職後等にアクセスログをチェックすることが広く行われているようです。また、アクセスログのチェックに付随してUSB等への外部記憶媒体にデータを保存する行為や、メールによってデータを送信する行為も転職者に対して行う企業は多いと思います。
このように、営業秘密の不正な持ち出しは、近年ではデジタルデータの持ち出しとなる場合が多いため、コンピュータシステムによってこれを検知することが可能な場合が多いでしょう。

一方で、自社への転職者(転入者)による前職企業の営業秘密の不正な持ち込みをコンピュータシステムによって検出することは難しいように思います。このため、転入者による不正な持ち込みは段階ごとに防止できる体制又は従業員の認識が必要となると考えます。

まず、図のB1のパターンです。このパターンは、転入者は前職企業の営業秘密を不正に持ち出しています。このため、転入者が前職企業の営業秘密を自社に持ち込むことを防止しなければなりません。この対策としては、転入者に対して、入社時に他社営業秘密の持ち込みを禁ずる誓約書を求めたり、他社営業秘密の不正な持ち出しは犯罪行為であること、仮に自社内でそのような行為が見つかった場合には警察に通報すること等の説明を行います。
ここで、転入者による営業秘密の不正な持ち込みを防止できれば、仮に転入者が営業秘密侵害で前職企業から刑事告訴等を受けたとしても、自社は転入者による営業秘密の不正な持ち出しの事実さえ知らないこととなるので、民事的責任や刑事的責任を負うことはないでしょう。しかしながら、転入者が刑事告訴を受けた場合には、自社が家宅捜索を受ける可能性もあるかもしれませんが、そうなったとしても、自社が不正行為を行っていないことが証明されることになるでしょう。

このような対策を行っても、転入者が自社内で前職企業の営業秘密を開示するかもしれません。この場合がパターンB2です。このような事態となり、仮に当該営業秘密を自社でさらに開示したり、使用したとすると、自社は営業秘密を侵害したこととなります。
ここで、転入者による営業秘密の開示先は、自社における既存の従業員であり、転入者が営業秘密を自社で開示したとすると、その事実を知る者は既存の従業員となります。そして、自社が侵害者とならないためには、当該従業員自身が転入者による更なる開示等を防ぐ必要があります。すなわち、当該従業員が当該営業秘密の出所を転入者から確認し、他の従業員へさらに開示しないように転入者に伝えると共に、上長や担当部署に報告する必要があるでしょう。
このためには、各従業員に対して営業秘密の不正使用は犯罪であることや、転入者が営業秘密を持ち込んだ場合における報告先を予め周知しておくことが必要です。報告先となる部署は例えば法務部や知的財産部等になるでしょう。
これにより、仮に転入者が不正に持ち込んだ他社の営業秘密が自社で開示されたとしても、当該営業秘密が自社内でさらに開示されたり、使用されることを防止できます。従って。パターンB2の場合は、自社で営業秘密が開示されたものの、自社でさらに開示や使用等をしていないので民事的責任や刑事的責任を負う可能性は低いと思います。

パターンB3は、転入者が不正に持ち込んだ営業秘密を自社内で使用等した場合です。この場合は、自社が他社営業秘密を不正に使用しているので、民事的責任又は刑事的責任を負うことになります。
パターンB3が自社にとって最悪な状況であるものの、例えば不正に持ち込まれた営業秘密が技術情報である場合には、知的財産部が侵害の拡大を抑制できる立場にあると思います。
このためには、技術開発部等で新規に開発された技術を、知的財産部が特許化の有無にかかわらず吸い上げ、管理する体制が必要です。このような体制は、特段新しいものでもなく、知的財産部の役割からすると当然とも考えられます。
そして、新規開発の技術の発明者が誰であるのか、その開発経緯を知的財産部が確認することで、新規な技術が他社営業秘密を用いているか否かを判断できるでしょう。
例えば、発明者が転職間もない従業員であった場合には、前職企業の営業秘密を使用していないかを確認する動機づけとなります。また、その開発経緯に不自然な点があれば、これも不正に持ち込まれた他社営業秘密を使用していないかを確認する動機づけとなります。
仮に、知的財産部で不正に持ち込まれた他社営業秘密の使用が確認された場合には、当然、この新規技術を用いた製品等の製造販売を停止させることになります。

このように、営業秘密の不正流入にはいくつかの段階(パターン)があると考えます。このため、夫々のパターンを想定した対応が可能となる体制(従業員教育)が必要でしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年11月27日月曜日

秘密管理性の判断基準を低くしてもよいのでは?

今回は個人的な意見なので、営業秘密を理解するうえであまり参考にはなりません。

営業秘密は、秘密管理性、有用性、非公知性の三要件を満たした情報です(不正競争防止法第2条第6項)。訴訟となった場合には営業秘密であると主張した情報であっても、その秘密管理性が認められないとして、裁判所によって当該情報の営業秘密性が認められない場合が多々あります。

この秘密管理性の程度としては、例えば、営業秘密管理指針では下記のように説明されています。
秘密管理性要件が満たされるためには、営業秘密保有企業の秘密管理意思が秘密管理措置によって従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思に対する従業員等の認識可能性が確保される必要がある。
すなわち、営業秘密とする情報に対しては、㊙マークを付したり、パスワード管理等を行うことにより、当該情報が秘密であることを従業員等に明確に示す必要があるとされています。そして、裁判所における秘密管理性の判断もこれと同様となっています。

しかしながら、秘密管理性に対するこのような判断基準は妥当なのでしょうか。
例えば、一般的に企業の顧客情報等は秘密とされる情報であると多くの人は認識しているかと思います。特に、顧客情報として管理されている個人情報はなおさらのことでしょう。また、自社サービス等の料金表も公にしていない情報であれば一般的に秘密とされる情報と認識されるでしょう。
ところが、このような情報であっても上記のような秘密管理措置がなされていない情報は営業秘密として認められません。このため、秘密管理措置が認められない情報を持ち出して転職等したとしても、不正競争防止法で定められた責任を負うことはありません。

例えば、サロン顧客名簿事件(知財高裁令和元年8月7日判決 平成31年(ネ)10016号)では、裁判所は「前記前提事実のとおり,被控訴人は,退職後,控訴人従業員から,顧客2名の顧客カルテの施術履歴が記載された裏面部分を撮影した写真を送信させた(施術履歴の入手)」とのように、まつげエクステサロンを営む控訴人(一審原告)から被控訴人(一審被告)が顧客カルテの施術履歴を持ち出したことを裁判所は認めながらも、当該顧客カルテの秘密管理性を認めなかったため、控訴人の損害賠償請求も差し止め請求も認められませんでした。

一方で、上記のような施術履歴も個人情報であり、自由に持ち出してよいものではなく、「一般的に秘密とされる情報」とのように考える人が多いかと思います。また、被控訴人は退職後に当該施術履歴を入手したわけですから、ビジネス的に重要な情報であると認識していたとも考えられます。
また、同様に例えば取引先から提出された見積もりや料金表等も一般的には秘密とされる情報と考えられ、このような情報を他の取引先に開示等することは妥当ではないと考える人も多いでしょう。また、自社開発した化学製品の組成等も、企業が自ら公知にしていなければ一般的には秘密とされる情報でしょう。
しかしながら、現在の不正競争防止法では、上記のように営業秘密としての秘密管理性を満たすためには「営業秘密保有企業の秘密管理意思が秘密管理措置によって従業員等に対して明確に示される」必要があり、仮にこのような秘密管理措置が取られていなければ、当該企業に許可なく持ち出したり、開示しても不正競争防止法違反とはなりません。

ところが、多くの企業、特に規模の大きい企業は無数の情報が常に発生し、そのような情報の全てを精査して「秘密管理措置」を行うことは難しいでしょう。また、作成途中の情報に関しては、秘密管理の対象にならず、秘密管理措置も行われていない場合も多いかと思います。
その結果、本来は営業秘密とするべき情報が秘密管理の対象から漏れ、退職者等によって許可なく外部に持ち出されている可能性があります。そして、退職者等によって許可なく外部に持ち出されれた情報の存在を検知しても、秘密管理措置がなされていないために、何ら対応できないということもあるでしょう。


ここで、上記のように秘密管理措置が比較的厳密に判断される理由として、営業秘密の不正な持ち出し等は民事的責任だけでなく、刑事的責任も負う可能性が考慮されているからだと思います。すなわち、民事的責任は主に損害賠償や差し止めであるものの、刑事的責任は禁固刑となり得る可能性もあり、また、メディア等によって不正に持ち出し等した者の個人名が明らかにされることで社会的制裁を受ける可能性があり、刑事的責任は民事的責任よりも重いものとなり得ます。
このように、営業秘密の不正な持ち出し等は刑事的責任も負う可能性があるため、営業秘密とする情報は従業員等が明確に認識できなければならない、ということです。
一方で、企業にとっては、不正取得等した者に対して刑事罰が与えられるよりも、当該営業秘密の使用差し止めや当該営業秘密の不正使用による損害賠償等の方が重要とも考えられます。

そこで、上記のことを鑑みると、民事的責任を負う場合における営業秘密の秘密管理性の判断基準を緩和してする一方で、刑事的責任を負う場合における営業秘密の秘密管理性の判断基準を現在のとしてもよいのではないかと思います。もっというと、不正競争防止法において、民事的責任を負う営業秘密と刑事的責任を負う営業秘密とを区別する規定を設けてもよいのではないかと思います。
これにより、秘密管理措置が甘いものの「一般的には秘密とされる情報」を許可なく持ち出し等した者は民事的責任を負う一方で、刑事的責任は負わないこととなります。その結果、企業にとって自社が秘密としたい情報が守られる範囲も広くなります。
一方で、不正な持ち出し等が行われた場合により重い責任である刑事罰の適用をも視野に入れた営業秘密に関しては、従業員等に対して明確な秘密管理措置を行う、ということになります。

仮に営業秘密の秘密管理性を上記のような判断基準とすると、営業秘密性の判断において非公知性が相対的に重要になるかと思います。すなわち従業員等にとっては、非公知の自社情報等を許可なく持ち出したり使用等してはいけない、という一般的に秘密とされる情報の考え方がそのまま不正競争防止法における営業秘密の概念となり得ます。このような考え方は、現在のように秘密管理性を重視した営業秘密の概念よりも、理解しやすい概念のようにも思えます。

上記のように、「一般的には秘密とされる情報」まで営業秘密の概念を広げると、「一般的」の解釈が議論となるでしょう。また、営業秘密の開示が先従業員の場合と取引先の場合とでは「一般的」の解釈が異なるかもしれません。仮に取引先に開示した情報であり、かつ非公知の情報のほとんど営業秘密になり得るとしたら、情報の開示先企業は取引先等から開示された情報に対して必要以上に神経を尖らせる必要が生じるかもしれません。
このように「一般的には秘密とされる情報」まで営業秘密の概念を広げることで、その解釈が争点となり得ますが、現在の不正競争防止法における営業秘密に対する秘密管理性の判断基準が未だ厳しい一方で、情報の持ち出しが容易である現状を考慮すると、「営業秘密」の概念を広げる必要があると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年11月9日木曜日

判例紹介:「営業秘密の不正使用」という虚偽の流布

今回紹介する裁判例(東京地裁令和5年3月23日判決 事件番号:令3(ワ)7624号)は、被告が取引先等に対して原告会社が被告の製品を模倣した製品を販売するという虚偽の事実を流布したとして、原告が被告に謝罪広告文の掲載や損害賠償を請求したものです。

原告会社は、被告の取締役であった原告Bが代表取締役を務め、硬度計等の工業用試験機の開発、販売等をおこなっており、被告とは競争関係にあります。そして、原告会社は、自社製品のラインナップの一部として台湾企業であるKYF社から同社製品の硬度計を輸入販売しようとしていたところ、被告が原告に対して警告文を送りました。
警告文の内容は、KYF社が違法にコピーした被告の硬度計と酷似の硬度計の輸入販売を行うことは不正競争防止法に違反するとのようなものです。
さらに、被告は、1000社を下らない取引先に対して「上記の様な事情・経緯をご賢察の上、今後Bより取引の依頼等ございましたら、何卒適切にご対処頂きますよう、切にお願いする次第です。」とのような文章を電子メールに添付して送付しました。

そして、被告は、本裁判において下記のように主張しましたが、被告の主張を裁判所は認めることなく原告が勝訴し、被告に対して原告会社への770万円の支払い等を命じています。
KYF社製の硬度計は、被告がKYF社に示した営業秘密である被告製品情報を使用して製造された物であるから、不正の利益を得る目的等によりこれを使用したKYF社による製造行為は不競法2条1項7号の不正競争に当たり、原告会社がKYF社製の硬度計を輸入する行為は同項10号の不正競争に当たる。本件文書はこの事実を摘示したものであり、虚偽の事実の流布には当たらない。
なお、裁判所は「原告会社が輸入販売しようとしたKYF社の製品が被告製品情報を使用して製造された物であると認めるに足りる証拠はない。」とのように不法行為が確認されなかったことを明確に述べています。


そもそも他社が自社の営業秘密を不正に使用しているとの文章を取引先に送付することに意味があるのか疑問に思います。
このような文章が送付された取引先は、本当に営業秘密が不正使用されたことを確認することはできません。どのような技術情報が営業秘密であるかを知る術がないからです。また、仮に営業秘密とする技術情報を取引先が知った時点で、当該技術情報は公知となり営業秘密ではなくなります。そのような事態は営業秘密の保有企業が最も望まない事態でしょう。そして、本事件のように、虚偽の流布となれば自社が大きな損害を負うこととなります。

また、本事件では、被告が主張する被告製品情報の秘密管理性も認められていません。被告は、被告製品の秘密管理性について複数の主張を行っていますが、その全てが裁判所によって否定されています。
そのなかで、被告が定めた秘密区分規定に基づく主張があります。それに基づく被告の主張は以下のようなものです。
被告は、社内文書に関する秘密区分規定(以下「被告規定」という。)において、技術的ノウハウを具体的に示したものは社長の許可なく社外に提示してはならない秘密に当たると定めている。被告製品情報1は、成文化こそされていないが、技術的ノウハウに相当する情報であるから、被告規定に照らし、被告製品情報1が秘密として管理されていることは被告従業員にとって明らかであった。
これに対して、裁判所は「被告が被告規定を従業員に周知していたことを示す的確な証拠は見当たらない。」と認定したうえで、下記のようにも述べています。
仮に被告が被告規定を従業員に周知していたとしても、証拠(乙14)によれば、被告規定の適用範囲が「当社で発行および受領する文書」に限られること(1項)、社外秘扱いの対象となる情報は「技術的ノウハウを具体的に示したもの」であること(2項2)が明記されている。そうすると、成文化されていない調整方法である被告製品情報1は、これに当たらないこととなる。そのため、被告製品情報1については、これに接した被告従業員が被告規定に照らして秘密として管理されていると認識できたとはいえない。
裁判所が述べているように、企業が従業員に対して規定(就業規則等)を定め、その中でどのような情報を秘密とするかを定めているのであれば、企業はそれを守らなければなりません。そうしないと、裁判所が述べているように従業員が秘密として管理されていることを認識できないためです。
企業が就業規則等の規定を無視して、所定の情報を一方的に営業秘密であると主張することは本事件のように認められることはないため、企業が就業規則等の定めに従って秘密管理を行う必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年9月27日水曜日

判例紹介:名刺データと顧客情報の違い

先日、下記日経新聞の記事に詳述されているように、元所属企業の名刺データの管理システムにログインするためのID、パスワードを転職先で開示したとして、元所属企業の社員が逮捕されました。しかし、逮捕理由は、営業秘密侵害ではなく、個人情報保護法違反とのことです。


上記記事によると、名刺データが営業秘密に該当しない可能性があるためとのことです。
”警視庁は今回、情報が営業秘密に該当しないと判断した。名刺は第三者に渡すことが前提で、記載された情報が非公知性の要件を満たす可能性が低いなどとみた。”
確かに、確かに名刺そのものは営業秘密とされない可能性が高いです。
例えば、東京地裁平成27年10月22日判決(平26(ワ)6372号)では、元従業員が転職先に名刺帳を持ち出したとして、元従業員を被告として被告の元所属先企業が原告となり、民事訴訟を起こしました。
これに対して裁判所は下記のように判断しています。
”本件名刺帳に収納された2639枚の名刺を集合体としてみた場合には非公知性を認める余地があるとしても,本件名刺帳は,上記認定事実によれば,被告Aが入手した名刺を会社別に分類して収納したにとどまるのであって,当該会社と原告の間の取引の有無による区別もなく,取引内容ないし今後の取引見込み等に関する記載もなく,また,古い名刺も含まれ,情報の更新もされていないものと解される(甲16参照)。これに加え,原告においては顧客リストが本件名刺帳とは別途作成されていたというのであるから,原告がその事業活動に有用な顧客に関する営業上の情報として管理していたのは上記顧客リストであったというべきである。そうすると,名刺帳について顧客名簿に類するような有用性を認め得る場合があるとしても,本件名刺帳については,有用性があると認めることはできない。

この裁判例では、名刺の単なる集合、すなわち分類や更新もされていない名刺帳には営業秘密でいうところの有用性がないと判断しています。名刺の集合のなかには、顧客(又は顧客見込み)の情報が含まれているでしょうが、分類等されていない限り第三者から誰が顧客なのかは判別できず、企業活動に利用できるかと問われると単なる名刺の集合で難しいでしょう。この裁判例では名刺帳ですが、名刺に記載の内容をデータ化した場合であっても同様でしょう。
また、今回の事件の記事では、非公知性が否定される可能性を懸念していますが、名刺の単なる集合に有用性がないと判断するか、非公知性がないと判断するかに本質的な違いが無いと思います。なお、上記裁判例でも、下記のように名刺そのものには非公知がないとも指摘しています。
”原告は,本件名刺帳に収納された名刺に記載された情報が原告の営業秘密に当たる旨主張するが,名刺は他人に対して氏名,会社名,所属部署,連絡先等を知らせることを目的として交付されるものであるから,その性質上,これに記載された情報が非公知であると認めることはできない。”
一方、顧客情報は、単なる名刺の集合とは異なり、文字通り企業の顧客(又は顧客見込み)の情報であり、企業として収益の要ともいえ、その有用性が否定されるものではありません。このように、営業秘密の視点からは、顧客情報と名刺の集合とでは少なくとも有用性に大きな違いがあると思われます。

とはいえ、今回の事件のように、営業秘密ではなくても、名刺データを転職先等で開示すると違法となる可能性があるようです(今回の事件は、不正ログインのような気もしますが。)。このため、転職時における名刺データの取り扱いは注意が必要でしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年9月6日水曜日

他社営業秘密を持ち出した人の雇用リスク

営業秘密の不正流出の目的の一つに転職先で使用するというものがあります。
このブログでも度々、営業秘密の流入リスク(侵害リスク)について取り上げていますが、この流入リスクを負う立場は転職先企業です。そして、転職者(転入者)による営業秘密の流入リスクは近年、流出リスクと共に顕在化してきています。

先日も、地方航空会社であるオリエンタルエアブリッジの元従業員が航空会社であるトキエアへ転職する際に、保安対策に関する営業秘密を持ち出したとして書類送検されました。

・退職者による社内情報のデータ持ち出しについて(オリエンタルエアブリッジ株式会社 リリース)
・航空保安情報持ち出し疑い ORC元社員を書類送検 長崎県警(毎日新聞)
・航空保安情報、持ち出し容疑 ORC元管理職を書類送検(朝日新聞)
・航空保安情報持ち出し疑い 元管理職を書類送検、長崎(産経新聞)
・航空保安情報を持ち出しか 元ORC管理職を書類送検(日本経済新聞)
・オリエンタルエアの航空保安情報を持ち出しか、元管理職を書類送検…新規参入トキエアに入社(読売新聞)

この事件では、トキエアへの営業秘密の開示及び使用は認められなかったとのことですが、上記の読売新聞の報道によると「男が作成に関与したトキエアの安全管理規程も作り直された」とのことです。
本事件についてトキエアの関与はなく、トキエアには当該営業秘密が開示されなかったとのことですから、トキエアは安全管理規定を作り直す必要はないようにも思えます。
とはいえ、トキエアとしては、営業秘密を不正に持ち出した人物が作成に関与した安全管理規定を使い続けることに不安感があり、このために安全管理規定を作り直したということなのでしょうか。


この例のように、前職企業の営業秘密を持ち出した転職者(転入者)が自社で当該営業秘密を開示しなくても、当該転職者が自社で関与していた業務についての見直し、やり直しを行うという判断をする企業もあるようです。

なお、営業秘密を持ち出した人物は、上記読売新聞の報道によると、オリエンタルエアブリッジでは「安全管理や安全に関する社内教育などを担当する安全推進室の管理職」であり、トキエアでも「安全推進室の管理職」となっていたようです。
仮に、この人物がトキエアにおいて営業秘密を開示していたならば、部下である元来の従業員もトキエアの営業秘密であると認識したうえで、当該営業秘密を使用して安全管理規定を作成した可能性があります。もし、そのような事態に陥れば、上記従業員も刑事罰を受ける可能性があります。

このような可能性を鑑みると、企業としては、転職者が自社において前職企業の営業秘密を開示、使用することを確実に防止する必要があります。特に、転職者が自社において管理職等となり、部下を持つ立場であれば、なおのことであると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年8月29日火曜日

判例紹介:情報を持ち出さない旨の合意の解釈

前回のブログで紹介した事件(東京地裁令和4年8月9日(事件番号:令3(ワ)9317号))、知財高裁令和5年2月21日(事件番号:令4(ネ)10088号))続きです。

この事件は、原告の従業員であって後に被告会社に移籍したBが原告在籍中に本件データのファイルのスライドの一部を作成し、Bが被告会社に移籍した後、被告ら作成データのファイルのスライドの一部を作成し、被告Aに対して被告ら作成データを含むファイルを電子メールで送信したというものです。なお、被告Aは原告の元代表取締役であり、代表取締役を辞任した後に被告会社を設立しています。
本事件の結論は、原告が主張する情報は営業秘密ではないと地裁によって判断され、原告の主張は全て棄却され、知財高裁でも覆ることはありませんでした。

今回は、本事件において原告と被告との間で締結していた合意書についてです。
本事件では、原告の元代表取締役である被告Aは、原告会社に在籍している時に下記5項を含む合意書を原告Cとの間で締結していました。この合意書において乙は被告Aであり、甲が原告Cとなります。
❝5.乙はGSPの資産(ソフトウェアを含む)、顧客リスト、その他営業上・経営上の資産、情報を持ち出さないこと。❞
上記5項の合意があると、被告Aが原告の情報に基づく作成データを入手したことは5項違反のようにも思えます。


しかしながら、裁判所は、この5項について❝本件合意書5項にいう「情報」とは、本件経過及び当事者双方の合理的意思を踏まえると(原告C21頁)、営業秘密又はこれに準ずる情報をいうものと解するのが相当である。❞とし、以下のように被告の5項違反を否定しています。
❝本件データは営業秘密に該当するものではなく、本件データと実質的に同一である被告ら作成データも営業秘密に該当するものとはいえず、その内容に照らし、有用性が極めて低い情報であるといえる。そして、上記認定事実によれば、その他の情報についても、単なる電子メールのやり取りにとどまるものなど、その内容に照らし、被告ら作成データと同様に原告の営業秘密又はこれに準ずるものに該当することを認めるに足りない。のみならず、被告Aが原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、上記情報の性質や内容等に照らし、これによって原告に損害が生じたことを認めるに足りず、これを裏付ける的確な証拠もない。
以上の諸事情を総合すれば、被告Aが指示して原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、当該情報が営業秘密又はこれに準ずる情報に当たらないから、本件合意書5項に違反すると認めることはできない。❞
このような裁判所の判断に対して、知財高裁において原告は以下のように主張しました。
❝原判決は、同項の「情報」について「営業秘密又はこれに準ずる情報」を意味するものと限定的に解釈したが、これを裏付ける証拠のうち、「営業秘密又はこれに準ずる情報」という具体的な表現が出てくるのは、原審における控訴人代表者Bに対する裁判長からの誘導的かつ抽象的な補充尋問のみであることからして、上記限定解釈は根拠を欠く。❞
すなわち、原告は5項でいうところの「情報」は営業秘密に限らず、自社で作成等された全ての情報を含むものであると、との主張を行っているのでしょう。
これに対して知財高裁は、下記のように原告の主張を認めませんでした。なお、下記のBは原告(控訴人)の代表者です。
❝原審の控訴人代表者尋問におけるやりとりをみると、Bが、5項の「情報」について「経営上有益なもの」を持ち出さないという趣旨である旨述べたことを踏まえて、原審裁判長が、「要するに営業秘密又はそれに準ずるような情報という趣旨」かを確認したところ、Bが「おっしゃるとおり」と回答したのであるから、B自身が「経営上有益なもの」に限定する意思を有していたのであり、原審裁判長による誘導などされていない。❞
ここで、原告の主張するように5項の「情報」が「営業秘密又はこれに準ずる情報」に限定解釈されなかったどうなったのでしょうか?被告Aが原告から情報を取得したのであれば、被告Aは当然に5項違反となり得るかと思います。そうすると、当該情報は、営業秘密ではないため差し止めは認められずとも、損害賠償は認められるのでしょうか。
しかしながら、裁判官は一審において❝被告Aが原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、上記情報の性質や内容等に照らし、これによって原告に損害が生じたことを認めるに足りず、これを裏付ける的確な証拠もない。❞とも認定しています。そうすると、当該「情報」が営業秘密であるなしにかかわらず、原告の損害は認められないことになるのでしょうか。

上記5項のような情報管理の規定において「情報」はできるだけ広い概念として定義される場合もあるかと思います。そうすることで、自社から持ち出された情報が秘密管理性を満たさず営業秘密でなくとも、持ち出した者に対して損害賠償が可能なようにも思えます。
しかしながら、そのように「情報」を定義しても本事件の裁判所の判断を鑑みると、当該情報に有用性や非公知性がないとしたら、自社に損害はない、すなわち当該情報には保護する価値がないと判断される可能性が高いのではないでしょうか。

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2023年8月9日水曜日

特許出願件数と審査請求件数の推移

このブログでも適宜更新している日本の特許出願件数と日本企業の研究開発費の推移を示すグラフに、審査請求件数の推移も追加しました。
特許出願件数が減少していることはあらためて言うまでもないことですが、その一方で審査請求件数は特許出願件数ほど減少していません。
特に、2009年のリーマンショック以降は特許出願件数が減少しているにもかかわらず、審査請求件数は多少の増減はあるものの年間約24万件でほぼ横ばいです。

さらに、コロナ禍においても審査請求件数に有意な変化はないように思えます。
これは、コロナ禍における特許出願件数の減少がおそらく経費削減を目的としたものであろうことからすると意外とも思えます。すなわち、企業はむやみやたらに特許に係る費用を削減しているのではなく、審査請求費用は経費削減の対象とはしなかったということなのでしょう。

一方、これとは対照的な時期がリーマンショックではないでしょうか。審査請求は出願から3年以内に行う必要があり、多くの場合はこの期限末に審査請求が行われます。すなわち、特許出願件数と審査請求件数とには3年弱のタイムラグが発生するはずです。
にもかかわらず、リーマンショックの影響がある2009年には特許出願、審査請求共に有意な減少がみられます。このことは、本来必要な審査請求が、新規の特許出願と共に経費削減の影響によって減少した可能性が考えられます。

このように、2009年以降の近年の審査請求は特許出願の減少とはかかわりなく、ほぼ一定であり、経済動向に左右されていないと考えられます。
このことは、企業の特許出願動向として、真に特許権を必要とする技術に絞って特許出願を行う傾向がより強くなっているのだと思われます。すなわち、技術を公開するだけの特許出願は減少しているのでしょう。そして、そのような技術は各企業において秘匿化されているのだと思います。

一見すると、特許出願件数が年々減少傾向にあることは好ましくないようにも思えます。しかしながら、審査請求件数に変化がないということは、特許権を欲する技術のみを精査して特許出願しており、その結果無駄な特許出願が減少しているので、とても好ましい傾向にあるのかもしれません。
そして、審査請求件数は特許出願件数よりも多くなることはなく、理想的な特許出願としては、全ての特許出願が審査請求されることでしょう。現状のような傾向が続くのであれば、特許出願件数はそろそろ下げ止まりで、年間30万件前後で推移するのかもしれません。

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2023年7月25日火曜日

営業秘密侵害事件(刑事事件)の有罪判決率

営業秘密侵害の刑事事件は絶対数は少ないものの、近年大幅に増加しています。
警察庁生活安全局から「令和4年における生活経済事犯の検挙状況等について」下記グラフによると令和4年度において29件の検挙事件数であり、平成25年の約6倍になっています。
ちなみに、平成24年以前は統計を取っていないために不明とのことです。
そして、平成25年から令和4年までの検挙事件数の総数は177件となります。


ちなみに、この検挙事件数は検挙人員とは異なるものであり、検挙人員は令和3年の統計によると下記のようになります。

また、平成25年~平成29年の検挙人員は下記のとおりであり、これは「平成29年における生活経済事犯の検挙状況等について」にありました。
このように、平成25年から令和4年までの検挙人員の総数は289人となります。
検挙事件数の総数が177件で、検挙人員の総数が289人ということは、一つの事件に関与した人数が複数人の場合が多いということなのでしょう。
なお、このうち、少なくない割合で不起訴となっています。営業秘密侵害事犯における不起訴の割合はわかりませんが、「令和4年版 犯罪白書」によると近年の刑法犯において起訴率は40%前後のようですね。
仮に、この起訴率40%を営業秘密侵害事犯に当てはめると、検挙事件数のうち70件程度、検挙人員のうち120人程度が起訴され、裁判を受けることになります。

ここで、過去に営業秘密侵害事犯で起訴されたものの無罪となった事件は私が知る限り、4つ(計6人)あります。
(平成31年データを取得、令和4年2月大阪地裁で無罪判決 他の男との共謀は無い)
(平成29年2月逮捕 令和4年3月名古屋地裁で2人に無罪判決)
(平成29年1月データを取得、令和4年3月津地裁で無罪判決)
(令和2年10月起訴、令和5年7月札幌高裁で2人に無罪判決)

無罪判決数が4つ人数にして6人であり、検挙人員の起訴数を120とすると、営業秘密侵害事犯における有罪判決率は、95%となります。なお、仮に検挙人員289人がすべて起訴されたとしても、有罪判決率は約98%です。
日本の有罪判決率が99.9%と言われているのに比較すると、今のところ営業秘密侵害事犯の有罪判決率は低いようにも思えます。とはいえ、営業秘密侵害事犯の母集団が圧倒的に少ないので、これは誤差範囲なのかもしれません。

営業秘密侵害事犯は実際に数も多くなく、営業秘密の三要件等の判断は誤り易いのかもしれません。実際に、上記(3)の事件では、下記のように裁判所は判断したようです。
❝柴田誠裁判長は判決理由で、顧客情報は「同業者なら特別な困難を伴うことなく容易に入手できるものが大半だ」とした上で、「日々の営業活動の中で個人的な信頼関係を構築し、蓄積してきたものと認められ、被告人自身の人脈と不可分の情報が多分に含まれていた」と指摘。❞(2022/3/23 産経新聞「顧客情報持ち出し、無罪 地裁「被告人脈と不可分」」
このように、営業秘密とされるデータがどのようなものであるかは、判断が難しいもののあるでしょう。また、今後、営業秘密の三要件の判断基準が変化する可能性もあるかと思います。仮に、そうなった場合、今までは有罪と判断されたことが無罪と判断される可能性もあるかと思います。
もしかすると、逮捕されても不起訴となる割合が増加するのかもしれません。しかしながら、報道等では逮捕は報じられても不起訴は報じられ難いようであり、さらに不起訴理由は分かりません。営業秘密侵害は、その判断が難しいところもあり、検察の判断基準を知るためにも不起訴理由は何らかの形で公開してもらえると有難く思います。

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2023年3月28日火曜日

営業秘密刑事事件数の推移

先日、警察庁生活安全局から「令和4年における生活経済事犯の検挙状況等について」が公表されました。

これによると、営業秘密侵害事犯の検挙事件数は昨年度29件であり、他の事件に比べると数は少ないものの、過去最多であり下記グラフのように右肩上がりに増加しています。
これは、転職等による人材流動が増加していることに伴うと考えられますが、企業も営業秘密の不正な持ち出しは犯罪であるという認識が高まり、不正な持ち出しを監視するシステム構築が進み、不正な持ち出しの発見が多くなっていると想像されます。



営業秘密の侵害事件が報道されると、被害企業の情報管理体制等を問題視する傾向があるように思えますが、それは間違いと考えています。当然、営業秘密の不正な持ち出しが全く無いことが理想ですが、それでも持ち出す人は必ず存在します。これに対して、情報管理体制が適切であるからこそ、営業秘密の不正な持ち出しを発見できているとも考えられるためです。

一番良くないことは、営業秘密の不正な持ち出しを発見する体制が整っておらず、営業秘密を持ち出されているにもかかわらず、それを発見できないことです。そのような企業は、「自社からの営業秘密の流出はない」とのような誤った認識を持つことになります。

また、下記は主な営業秘密流出事件の判決の一覧です。

一昔前は、顧客情報等の販売を目的とした営業秘密の流出が多かったようにも思えます。典型例としては、携帯電話の加入者情報でしょう。近年では、このような販売等を目的とした営業秘密の流出少なくなっているようです。この理由は、販売目的とした営業秘密の流出は、直接的な金銭の授受があるため、犯罪意識を高く感じるためかもしれません。

一方で、近年では上記のように転職先で開示・使用することを目的とした営業秘密の流出が多くなっています。これには、直接的な金銭の授受は発生しませんし、場合によっては自分が作成した、自分が業務に用いていた、という意識があり、モラルとしては良くないけれど犯罪ではない、という誤った認識があるのかもしれません。

さらに、転職時の流出ということもあいまって、近年では技術情報の流出も多くなっているようにも思えます。これは知財の観点からすると、転職者が前職企業の技術情報を持ち込んだ結果、違法に流入した他社技術と自社技術とが混在する可能性があります。もし、このような状況に陥って他社の営業秘密侵害となり、差し止めとなると特許権の侵害よりも困ったことになります。
特許権の侵害でしたら、当該特許の存続期間が経過するとそれまで侵害であっても、その後は自由に実施できます。しかしながら、営業秘密には存続期間の概念がありません。そうすると、差し止めの状態が何時まで続くのか分かりません。
このような、営業秘密の流入リスクは、今後顕在化してくるでしょう。そうならないためにも、営業秘密の流出・流入には細心の注意を払う必要があります。

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2023年3月21日火曜日

トヨタFCV特許開放を考察

トヨタ自動車のFCV(燃料電池自動車)に関する特許のオープン化について下記ブログに書いたように、2023年現在においても、FCVが普及しているようには思えません。

参考ブログ

このような特許の無償開放があってもFCVが普及しない理由は、そもそも水素ステーションの数が少ない、水素ビジネスの不透明性といったような環境要因が大きいかと思います。
しかしながら、トヨタによるFCV特許の無償開放にはもっと良いやり方があったのではないかと思います。

まず、トヨタによるFCV特許開放は、下記を参照すると以下のようなものです。

1.対象特許の数:5680件
2.期限:2015年~2020年(後に2030年までに延長)
3.提携先にはノウハウを提供
4.無償開放を受けるためにトヨタへ申し込みを行い契約書の締結が必要

まず、対象特許の数が5680件という点ですが、具体的にどのような特許(特許出願番号や特許番号等)が無償開放されるのかという情報は公開されていないと思われます。このため、特許の無償開放を受けたい企業は、トヨタに問い合わせて対象特許の情報を貰う必要があるようです。そのうえで、トヨタとの間で契約締結です。このため、無償開放を受けようと考える企業のハードルはある程度高くなっていると感じます。

さらに、当初は2020年までが無償開放の期限でした。これは、無償開放を受ける側としては、2020年以降はどうなるのか分からないというリスクがあります。一方で、トヨタとしては、無償ライセンスを受けた企業に対して、2020年以降は有償ライセンスへの切り替えや、当該企業が開発した新規技術とのクロスライセンスといった方向に誘導する思惑が有ったようにも思えます。ただ、2030年まで延長となっている現在は、無償開放する特許権の存続期限が切れるか残り僅かとなるので、このような思惑が当初有ったとしても実行することは難しいと思います。

では、FCVの普及を促進すると共に自社利益を得るための知財戦略(戦術)はどのようなものが考えられるでしょうか。以下に他社による過去のオープン・クローズ戦略を参考にして立案してみたいと思います。

まず、5680件という膨大な数の開放対象とされる特許の選定です。
実際には、日本だけでなく外国での権利及び出願も含んでいると思われるので、発明としてはこの数分の一の可能性がありますが、それでも1000件はあるでしょう。
これらの特許を基盤技術と差別化技術とに分けます。5680件という特許の全てが基盤技術(又は差別化技術)ではないと思え、これらの特許は基盤技術と差別化技術に分けることができるでしょう。

このような基盤技術と差別化技術とに分け、オープン・クローズ戦略を行った事例としてQRコードが挙げられます。QRコードでは、QRコードそのものを基盤技術と捉えて特許権を無償開放する一方、読取装置に関する技術を差別化技術と捉えて、特許権やノウハウをライセンスしています。

参考ブログ


ここで、FCVを開発した国内自動車メーカーはトヨタの他にホンダもあります。おそらく、トヨタとホンダは、各々の特許を回避した技術を用いた独自のFCVを開発しているかと思います。そこで、トヨタ式のFCVを製造できる最低限の技術を基盤技術と捉え、この基盤技術に係る特許(基盤特許)を選定します。

そして、基盤特許を無償開放の対象とします。無償開放を行うにあたって、対象となる基盤特許を少なくともリスト化し、契約を必要とせずに誰でも閲覧可能、かつ実施可能とします。これにより、トヨタ式FCVの普及を促進させます。

このような方法は、ダイキン工業が冷媒R32を用いた空調機を普及させるために用いた知財戦術とも同様です。なお、ダイキン工業も当初は、契約締結により特許の無償開放を行っていましたが、その後、契約不要として特許を無償開放して冷媒R32の普及促進を図りました。

参考ブログ

しかしながら、ダイキン工業は、完全に無条件で特許を無償開放したのではなく、他社がダイキン工業に対して特許権侵害を主張する一方で、当該他社がダイキン工業が無償開放した特許権を実施している場合には、当該他社に対して当該特許権の無償開放を取消すことも明言しています。すなわち、ダイキン工業は、無償開放した特許権を実施した当該他社に対して特許権侵害を主張するということです。
このように特許権を無償開放する場合に、防御的取消の規定を設けることは自社を守るためにも有効かと思います。

一方、基盤特許に選定されなかった特許が差別化技術の特許(差別化特許)となります。
差別化特許は、無償開放されたトヨタの基盤特許を用いたFCVを製造する企業が複数存在する場合に、これらの企業が他の企業が製造したFCVに対して競争力を得るための特許となります。なお、この複数の企業の中には、トヨタ自身も含まれます。

差別化特許に対しては、無償開放するのではなく、有償ライセンスとすることで、自社利益とできます。また、差別化特許の有償ライセンスと共にノウハウを有償で提供したり、有償とする代わりに共同研究等も可能かもしれません。
さらに、差別化特許は、他社のFCVとの差別化のために、有償ライセンスもせずに自社実施のみとしてもよいでしょう。

このように、特許を無償開放するというだけで、他社が飛びつくわけではないため、相応の準備が必要です。
仮に、無償開放した特許権に係る技術を実施する他社が現れなかったら、無償開放の意味がありません。それどころか、自社のみで普及が難しいにもかかわらず自社が特許権を保有していたら、他社は当該特許権に係る技術を実施できないので当該技術は普及することはありません。
このため、特許に係る技術の普及を目的とした無償開放は、可能な限り条件を付けずに、他社にとって無償ライセンスを受け易くする環境作りが必要でしょう。
無償開放を受けるための条件が多いと、結局、他社に特許権者の下心が見透かされ、無償開放した特許権に係る技術を誰も実施しないでしょう。このため、上述のように、基盤特許と差別化特許とを明確に切り分け、それぞれについて本来の目的を達成できるように戦略(戦術)を明確にするべきかと思います。

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2023年2月8日水曜日

QRコードとPDFの知財戦略の共通性

前回までは、Adobeが開発したPDFの知財戦略について考えてみました。

また、以前にはデンソーが開発したQRコードの知財戦略についても知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えています。

QRコードとPDFとは、説明するまでもなく、技術分野や市場が全く異なります。
しかしながら、新たなフォーマットの技術を広く普及させるための事業戦略・知財戦略は良く似通っているとも思えます。その類似点について述べてみようと思います。

まず、QRコードとPDFとはシステムとして考えた場合には処理の流れが以下のように同じとも思えます。

<生成装置>
・QRコード:QRコードの生成ソフト
・PDF:PDFファイルの生成ソフト
<生成物>
・QRコード
・PDFファイル
<読取装置>
・QRコードの読取装置
・PDFファイルの閲覧ソフト

QRコードを開発したデンソーは、QRコードそのもの(QRコードの生成)について特許権を有していまいたが、QRコードの生成については無償許諾しています。このため、デンソーは、生成ソフト及びQRコードそのものからは収益を得ることができません。
一方、デンソーは、読取装置に関する特許権を他社にライセンスしたものの、自社が技術的優位性を保つために画像処理技術に関しては秘匿化しています。

また、PDFについて、AdobeはPDFに関する特許権を有していましたが、PDFファイルの閲覧ソフト(Acrobat Reader)をエンドユーザに無償提供しています。このため、AdobeはPDFファイルそのものや閲覧ソフトから収益を得ることができません。
さらに、Adobeは、PDFファイルに関する仕様書であるPDF仕様書を無償公開しているので、他者はPDFファイルの生成ソフトを製造販売することができます。しかしながら、Adobeは他社に対してPDF仕様書に準拠することを要求しており、PDF仕様書を超えた優れた機能はAdobeしか実施できないようにすることで、自社の技術的優位性を保っています。


このように、QRコード、PDF共に、エンドユーザが使用して最も多量に生成されるQRコードとPDFファイルに対して基本的に権利行使の対象としておらず、これらから収益を得ていません。
一方で、QRコード、PDF共に、自社が収益を挙げることができる技術が何であるかを見定め、そこに知財を活かしています。すなわち、QRコードでは優れた画像認識機能を必要とする読取装置、PDFではPDFファイルの生成や編集等の様々な機能が付加される生成ソフトで収益を得ています。

また、QRコードは、読取装置に関する特許権の有償ライセンスを行うと共にノウハウの開示を行っています。これは、QRコードは画像認識により再現性高く読み取る必要があるものの、企業によっては読み取りに関する技術が不十分な可能性があります。このため、ノウハウ開示は、他社の読取装置の性能や品質が最低限に確保できるようにするという目的があります。仮に、QRコードを正しく読み取れないような他社製品が市場に出回ると、QRコードという技術の信頼性が大きく損なわれ、QRコードの普及を阻害することになるでしょう。

一方で、AdobeはPDF仕様書を無償(ライセンスフリー)で開示していますが、QRコードのようにノウハウの提供までは行っていないようです。PDF仕様書には、十分な情報開示がなされており、他社もPDF仕様書に基づいてPDF作成ソフトを製造することで当然に再現性の高くPDFを作成できるということなのでしょう。そもそも、PDF仕様書は無償開示されているので、さらにAdobeが他社にノウハウ提供を行うことは考えられないでしょう。

ここで、QRコードもPDFのようにQRコードの読取装置に関する仕様書を無償開示する一方で、仕様書に準拠しない読取装置を製造販売した他社に権利行使を行うという方策(知財戦略・戦術)を採用したらどうなっていたでしょうか。
仕様書の無償開放を行うと、上記のように他社に対してノウハウの提供を行うことを前提としません。このため、QRコードの開発当時である1990年代は今ほど画像認識技術が一般的ではないため、性能や品質が劣る読取装置が市場に出回る可能性が高いのではないでしょうか。従って、ノウハウの提供を行うという前提に立つと、QRコードの読取装置の特許権に関して有償でライセンスすることは、非常に理にかなっているように思えます。

しかしながら、仮に現在のように、ある程度高いレベルの画像認識技術を比較的容易に取得できる環境、さらにはスマホ等を用いることで取得した画像を認識できる環境においては、仕様書に読取装置の技術内容を記載することで特段のノウハウ提供をおこなうことなく、他社は性能や品質が十分な読取装置を製造できるのではないでしょうか。
すなわち、当該技術を取り巻く環境(又はビジネス環境)に応じても、当然に知財戦略・戦術は変わってくるということになります。すなわち、技術環境やビジネス環境を見誤ると、適切な知財戦略・戦術を選択できない可能性があります。

以上のように、QRコードやPDFと同様の新たなフォーマットの技術を開発した場合に、当該技術を普及させるためには、これらの知財戦略・戦術が参考になるかと思います。

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2023年1月30日月曜日

PDFの普及から考える知財戦略(2)

今回は前回の続きであるPDFの普及に関する知財戦略・戦術について考えます。

PDFの普及に関する事業戦略・戦術は以下のようなものでした。

<事業目的>
PDF市場を大きくする。
<事業戦略>
(1)誰もがPDFを無料で閲覧可能とする。
(2)PDF作成ソフトを他社も開発可能とし、他社によるPDF市場参入を促す。
(3)自社製のPDF作成ソフトの販売で利益を得る。
<事業戦術>
(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。
(2)PDF仕様書を無償で公開する。
(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。

上記事業戦術における「(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。」については、知財戦略というよりもAcrobatの販売戦略の色合いが強いとも思え、知財戦略の立案対象ではないとします。
そこで、知財戦略としては「(2)PDF仕様書を無償で公開する。」及び「(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。」に対応するもの考えます。すなわち、事業戦術の(2),(3)は、知財なくして実現できないものであり、知財の使い方を誤ったら自社が利益を挙げることができなくなるかもしれません。

事業戦術(2)と(3)とは、PDF仕様書を無償公開しつつ、そのPDF作成ソフトで利益を挙げるという、表裏一体ともいえるものです。そこで、事業戦術(2)と(3)とを組み合わせたものを知財目的「PDF仕様書を無償公開しつつ、高機能のPDF作成ソフトを販売。」とし、知財戦略・戦術を以下のように考えます。

<知財目的>
PDF仕様書を無償公開しつつ、高機能のPDF作成ソフトを販売。
<知財戦略>
PDF仕様書の技術範囲に係る特許権や著作権を無償開放しつつ、PDF仕様書には自社のPDF作成ソフトに実装する高機能は記載しない。
<知財戦術>
(1)PDFに関する特許権(PDFそのものの機能、PDF作成ソフトの機能)を取得し続ける。
(2)プログラムの著作権の管理。
(3)自社の優位性を保つための高機能技術に係る権利は無償開放しない。
(4)PDF仕様書に準拠しない技術を開発した他社には権利行使。
(5)新たな技術を追加してPDF仕様書を更新する。
上記のように知財戦略は、「PDF仕様書の技術範囲に係る特許権や著作権を無償開放しつつ、PDF仕様書には自社のPDF作成ソフトに実装する高機能は記載しない。」となります。
ここで、PDF仕様書を無償公開としても、その技術範囲に係る特許権や著作権も無償開放としなければ、他社はPDF作成ソフトの製造に躊躇することとなります。そこで、知財戦略としては、上記特許権や著作権の無償開放となります。なお、著作権とは、ソフトウェアのプログラムになります。
その一方で、PDF作成ソフトの高機能については、PDF仕様書には含まないようにします。この高機能は、Adobeにとっての利益の源泉となるため、他社による実施は許諾できません。

次に、このような知財戦略に基づく知財戦術としては、まず「(1)PDFに関する特許権を取得し続ける。」は必要かと思います。特許の対象はプログラムなので、特許出願しなければ他社による模倣を防止できるかもしれません。しかしながら、知財戦術の「(5)PDF仕様書の更新」を考慮に入れると、更新する仕様書には新しい技術を記載することとなるため、仮に特許権を取得しないと知財戦術「(4)PDF仕様書に準拠しない技術を開発した他社には権利行使。」ができないこととなります。
また、PDFの開発を進めることで必然的に関連する著作権も得ることとなります。そして、知財戦術(4)を行うためには、自社がどのような著作権を有しているかを管理する必要があります。これが知財戦術の「(2)プログラムの著作権の管理。」となります。

また、知財戦術として「(3)自社の優位性を保つための高機能技術に係る権利は無償開放しない。」が挙げられます。これは、自社のPDF作成ソフトの優位性を保つために必要なこととなります。従って、この知財戦術(3)は、非常に重要な判断を要します。この判断を誤るり、高機能技術をPDF仕様書に加えてしまうと、自社利益の源泉となる技術を他社に与えることとなります。その一方で、PDF仕様書の更新の際に、PDF仕様書に加える新たな技術を出し渋ると、他社のPDF作成ソフトが陳腐化し過ぎ、PDFに替わる新たなフォーマットのドキュメントファイルの台頭を許すことになりかねません。

また、知財戦術として「(4)PDF仕様書に準拠しない技術を開発した他社には権利行使。」が挙げられます。PDF仕様書の公開と共にこの条件を加味しないと、他社はAdobeよりも高機能なPDF作成ソフトを製造販売する可能性が有ります。この方策があるからこそ、他社はPDF市場に参入するものの、PDFに関連する新しい技術開発ができずに、常にAdobeよりも劣る機能しか実装できないこととなります。仮に方策が無ければ、Adobeは他社に対する優位性を保つことが難しくなるでしょう。

さらに、知財戦術として「(5)新たな技術を追加してPDF仕様書を更新する。」が挙げられます。具体的には、Wikipediaの「Portable Document Format」に記載があるように、PDF仕様書は複数回の更新が行われており、その都度、新機能が追加されています。
これにより、他社は、Adobeの製品よりも劣るものの、PDF仕様書が更新されると新たな機能を自社の製品に追加することができ、自社製品の陳腐化を防止できます。そして、それがPDFそのものの陳腐化を防止し、新たなフォーマットのドキュメントファイルの台頭を防止します。

以上のように、PDFを普及させつつ、Adobeが利益を挙げるための事業戦略及び知財戦略は、自社開発技術のオープン・クローズ戦略の良い例であり、このような戦略は、新たなフォーマットの技術を開発した場合に、当該フォーマットの普及とそこから利益を挙げるための手法の参考になると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信