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2024年10月31日木曜日

判例紹介:ノウハウの秘密保持義務

自社のノウハウを他社に開示する場合に秘密保持義務を課すことは一般的です。今回は原告が被告に開示した自社のノウハウについて、被告が秘密保持義務違反を行ったとして争った裁判例(東京地裁令和3年10月18日判決 事件番号:平29(ワ)38189号 ・ 平30(ワ)13817号)についてです。

本事件は、訪問マッサージ治療院のフランチャイズ事業を運営する原告が、同事業に加盟して治療院を開設した被告会社に対し、被告会社は原告とのフランチャイズ加盟契約の各条項(フランチャイズ加盟契約書)に違反したと主張して損害賠償請求をした事件です。

被告Y1(被告会社の設立当時の代表取締役)は原告とフランチャイズ契約を締結した際に、原告からマニュアル等の提供を受けています。
そして、被告会社は被告Y1が代表取締役を辞任した後に、訪問マッサージ治療院を募集し、被告会社からマニュアル等の提供を受けた各治療院がそれぞれ訪問マッサージ事業を行い、その施術に係る療養費を被告会社が代行請求する方法でロイヤリティ及び療養費請求の代行手数料を徴収するというフランチャイズ事業を始めました。

原告は、原告作成のマニュアルに関して、秘密保持義務に反して被告会社がマニュアルのデッドコピーを無断で作成して、被告FC事業に加盟した上記アの治療院に配布して営業活動を行った、と主張しています。

これに関して被告らは以下のように主張しました。なお、Cは原告の取締役です。
原告作成のマニュアルの記載内容には,有用性,非公知性がなく,経営ノウハウとして法的保護に値しない上,被告らは,平成28年8月4日,上記配布につき,Cの承諾を得ている。また,被告会社は,上記8つの治療院以外には原告作成のマニュアルではなく,別のマニュアルを提供しているので,いずれにしても,被告らに秘密保持義務違反はない。
しかしながら、裁判所は以下のように、Cの承諾があったことも含めて被告の主張を認めず、原告が主張する被告による秘密保持義務違反を認めました。
ア 被告会社が別紙2記載の治療院のうち,番号5,同29及び同31を含む8つの治療院に対し,原告作成のフランチャイズマニュアル(甲55。以下「原告マニュアル」という。)を配布したことは当事者間に争いがなく,証拠(甲5(枝番を含む。)~7,甲52~56)及び弁論の全趣旨によれば,この配布は,本件FC契約15条1項の「本契約に基づいて知り得たノウハウ」及び同2項の「マニュアル」を第三者に開示あるいは譲渡したものと認めることができる。
イ これに対し,被告らは,原告のマニュアルには,有用性や非公知性がないと主張するが,被告会社は,原告のマニュアル(甲55)の内容のうち,原告が「独自のノウハウ」と述べる部分(甲53)を抜き出したと認められる被告会社名義の「〈秘〉情報「みんなの笑顔治療院」訪問マッサージマニュアル」(甲52。以下「被告マニュアル1」という。)を被告FC事業に利用しており,仮に,原告マニュアルの内容の一部に非公知性等に欠ける部分が存在していたとしても,そのことによって被告が本件FC契約に基づく秘密保持義務を免れるとはいえないから,被告らの上記主張を採用することはできない。

このように、裁判所は原告作成のマニュアルの内容の一部に非公知性等に欠ける部分があるとしても、原告が「独自のノウハウ」と主張する部分の非公知性を認め、被告が秘密保持義務に反して使用したと判断しています。なお、上記裁判所の判断では、原告作成のマニュアルの有用性については特段言及していないものの、当該マニュアルは当然にビジネスに用いられるものであることから、有用性を否定する理由はないと思われます。

ここで、本事件のように、ノウハウは有用性と非公知とを有する情報であるかと思います。ノウハウの定義をこのように考えると、何らかの法的保護を受けることができる企業の情報として、秘密管理をしていなかったものの有用性及び非公知性を有する情報であればよいことになります。

なお、本事件では被告に対して営業秘密侵害を主張できるのではないかとも思えます。原告作成のマニュアルは秘密保持義務を課して被告に渡されているからです。
しかしながら、原告が「独自のノウハウ」と主張する部分に対して秘密管理性が認められるかが微妙であり、営業秘密として認められないかもしれません。その理由は、秘密保持義務を課されて被告に渡された情報に公知の情報が多数含まれていた場合には、原告が秘密であると主張する情報(非公知の情報)が何であるかを被告が認識できないと判断される可能性があるためです。このため、仮に、本事件において原告が営業秘密侵害を主張した場合には棄却された可能性があります。
一方で、本事件では、同じ情報であってもノウハウの侵害(秘密保持義務違反)を主張したことで、営業秘密侵害のように差し止め請求はできませんが、秘密管理性の主張は必要なく実質的に非公知性の主張さえできればよいので、原告の主張が認められた結果となったかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年9月22日日曜日

判例紹介:営業秘密ではなく、ノウハウの不正流出が認められた事件

ノウハウについての法的保護については、営業秘密とは違い条文化されていません。しかしながら、ノウハウの流出について裁判で争われた事例はいくつかあります。
今回紹介する事件は、そのような事件(東京地裁令和4年9月15日判決 事件番号:令元(ワ)18281号)であり、ノウハウの保有者である原告の賠償金請求が認められています。

原告の代表者であった被告Aが原告の開発した技術やノウハウを被告会社に提供してこれを取得させた行為は、原告に対する忠実義務(会社法355条)及び競業避止義務(同法356条1項1号)に違反する不法行為であり、原告が被告と被告会社に共同不法行為(民法719条1項)及び不法行為(同法709条)に基づいて損害賠償を求めたものです。
なお、ノウハウとは、ナノサイズの炭素繊維の製造技術や粉砕技術、分散技術に関するもののようです。
ここで、被告Aは原告の元代表取締役であり、その在任中に、炭素繊維の粉砕、分散、再生等の事業に対する技術面で中心的な役割を担ってきたようです。そして原告の主張によると被告Aは、原告代表取締役在任中の平成30年頃以降、原告に秘匿して被告会社と顧問契約を結び、技術指導として、原告が資金、労力をかけて開発してきた炭素繊維の粉砕・分散技術やノウハウを原告に無断で被告会社に提供し、その対価として顧問料の支払を受けていたとのことです。

原告のノウハウについて裁判所は具体的に以下のように判断しています。
原告は、平成29年6月までには、試作品ではあるものの、炭素繊維の粒子を平均繊維径20nm、平均繊維長360nmのナノサイズに粉砕し、これをマスターバッチ化することに成功し、その後も炭素繊維をアスペクト比を大きくするように繊維状に粉砕する方法、分散剤の選定等についても試行錯誤を重ね、同年12月までには、特許出願ができる程度に、炭素繊維を一定のサイズに粉砕するために使用する乾式粉砕の装置、雰囲気温度、インペラ回転数、粉砕時間、混合液の処方条件、湿式粉砕及び分散処理に使用する装置、使用ビーズの条件等や一連の工程を特定し、その後も、実用化に向けて、炭素繊維を一定のナノサイズにまで粉砕しつつ飛散や再凝集の課題を解決し得る一定の技術を取得していたというべきである。
他方、その当時、このような炭素繊維の粉砕技術等を用いて、所定のサイズのカーボンナノワイヤー分散液であって、かつ、高濃度にカーボンナノワイヤーを含有する分散液を調製する方法が原告以外の第三者によって既に開示されていたことをうかがわせる具体的な事情を認めるに足りる証拠はない。
そうすると、遅くとも本件特許出願当時に原告が有していたカーボンナノワイヤー分散液の製造方法に係る技術内容、すなわち、炭素繊維をカーボンナノワイヤーと称するほどのサイズ(平均繊維径30nm~200nm、平均繊維長1μm~20μm、アスペクト比3~200)に粉砕・分散処理したカーボンナノワイヤー分散液を調製する方法(以下「原告方法」という。)は、一定の有用性・経済的価値を有するものであり、みだりに他者に開示、使用されない正当な保護を受けるに値する情報といえる。
このように原告のノウハウは保護を受けるに値すると裁判所は判断しました。この判断基準は、実質的に営業秘密でいうところの有用性と非公知性であると思われます。一方で原告主は営業秘密ではなく単にノウハウとしか主張していないので、秘密管理性については当然ながら判断されていません。


さらに、被告Aの被告会社に対する技術情報の提供の有無について、以下のように裁判所は判断しています。
被告会社は、被告Aを顧問に迎え入れるまでには炭素繊維の粉末を利用したマスターバッチを製造する技術等についての知見及び経験を有していなかったことから、被告Aが有する炭素繊維の分散技術に期待して同被告を顧問として迎え入れ、同被告も、被告会社の顧問として炭素繊維の分散技術の開発に必要な炭素繊維粉末を準備した上で、高濃度で分散性の優れた炭素繊維のマスターバッチ製造のための試行錯誤を繰り返し、一般的な炭素繊維ミルド粉末を利用したマスターバッチの濃度を優に超える高濃度のマスターバッチを作製するための製造方法(レシピ)を開発したものといえる。
このことと、原告が平成29年当時有していた炭素繊維を原料とするカーボンナノワイヤー分散液の技術的課題、意義及びその特徴と被告会社が自社の技術として広報した高分散・高濃度の炭素繊維マスターバッチのそれとが共通していること、他方で、その当時、被告会社において被告A以外の者により炭素繊維粉末を高濃度に含むマスターバッチの製造に関する具体的技術やノウハウを取得したことを認めるに足りる証拠はないことに鑑みると、被告Aは、原告において開発していたカーボンナノワイヤー分散液の製造技術を被告会社に対して提供し、被告会社においてこれを利用したことが合理的に推認される。
このように、被告Aが被告会社に原告のノウハウを提供し、さらに被告会社がこのノウハウを使用したことを裁判所は認めています。
裁判所はこのような被告Aの行為を「カーボンナノワイヤー分散液の製造方法といった炭素繊維の粉砕・分散技術に関する原告の技術情報を、少なくとも過失によって第三者である被告会社に開示して使用させたものであり、原告に対する忠実義務に違反する。これにより、被告Aは、原告の営業上守られるべき利益を侵害したといえることから、原告に対して不法行為責任を負う。」と認めています。
そして、裁判所は「原告は、被告らに対し、共同不法行為に基づき、連帯して160万円の損害賠償請求権・・・を有する。」とのように原告の損害賠償請求権を認めました。

以上のように、営業秘密ではなくノウハウの不正流出に対しても法的保護を受ける可能性があります。そして、ノウハウは秘密管理性を必要としません。すなわち、秘密管理性がないものの、営業秘密でいうところの有用性及び非公知性を有する情報であればノウハウとして法的保護を受ける可能性があります。
しかしながら、民法719条や709条に基づく請求であれば、損害賠償は認められても差し止めは認められない可能性があります(本事件でも原告は差し止めを請求していません。)。
とはいえ、被告がノウハウを使用しており、原告の損害賠償請求が認められた場合には、その後、被告が当該ノウハウの使用を継続する可能性は低いようにも思えます。一方で、例えば自社からの転職者によってノウハウを不正に持ち出されて、転職先で開示されただけでは、損害が発生していないとして損害賠償が認められないかもしれません(営業秘密では弁護士費用が損害として認められている裁判例もあります)。
さらに、ノウハウの不正流出(不正使用)は不正を行った者に対して民事的責任を負わせることができたとしても、刑事的責任を負わせることはできません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年9月13日金曜日

判例紹介:取引先に開示したマニュアルについて

フランチャイザーがフランチャイジーに業務に関するマニュアルを開示することは一般的かと思います。そして、このようなマニュアルはノウハウとして秘匿されていることでしょう。
今回は、フランチャイザーである原告とフランチャイジ―である被告とに関する事件(大笹加地裁令和6年7月18日判決 事件番号:令5(ワ)829号)を紹介します。

本事件の原告はフランチャイズシステムによる学習塾の経営等を行っており、個別指導塾のフランチャイズ事業(Wam)を展開していました。
被告は、コンサルティング業務を行っており、被告を経営主体とした英会話スクールであるLanguage House(LH)を運営していました。
そして、原告(フランチャイザー)と被告(フランチャイジー)とは「個別指導Wam」のフランチャイズ契約を締結し、被告は物件のフロアを「個別指導Wam」の教室(本件教室)とLHとで折半する形でJR奈良駅前で運営しました。
しかしながらその後、被告は原告に対して契約の解除を通知し、本件教室を閉校しました。一方で、被告は同じ建物でLHの運営は継続しています。

このような経緯のもと、原告は、被告が原告から提供された受験指導に関するノウハウ(営業秘密)を不正の利益を得る目的でLHで使用したことが不競法2条1項7号の不正競争に当たると主張しました。なお、このノウハウはマニュアル(本件マニュアル)としてまとめられているもの等であり、営業秘密として特定できているようです。

なお、原告の従業員であるP3は、中学2年生の娘を持つ母親を装い、LHの入塾相談に赴き、これに対応した塾長であるP1とのやり取りを録音したりしています。これにより、原告は被告が原告のノウハウを使用しているという確信に至ったようです。

被告が原告の営業秘密を使用したか否かについて、裁判所は以下のように判断しています。なお、以下の本件相談2とは、原告のP3がLHの入塾相談に赴いたときの面談内容のことです。
(2) 本件相談2におけるP1の行為
原告は、保護者からのヒアリングにおける聞くべきポイント(苦手な教科と苦手になった時期や理由、得意な教科とその理由、毎日の勉強習慣等)、生徒の学習状況を確認するためのチェックすべき点(どの教科がいつからわかっていないのか、普段の学習習慣は本当に行われているか等)、受験の傾向などが営業秘密であることを前提に、P1が本件面談2でこれらを使用した旨主張する。
しかし、上記情報は、いずれも、一般的な学習指導の視点等として常識に属する程度の情報であって、非公知のものとはいえないし、仮に受験の傾向等、常識の範囲とまではいえない情報があるとしても、本件相談2においてP1が用いた情報は、同人の英語指導の経験等に基づく知見に属する範囲のものにすぎないものと認められるから、いずれにせよ、原告の営業秘密を不正に使用したとは認められない。
このように、裁判所は、原告の主張する営業秘密は「一般的な学習指導の視点等として常識に属する程度の情報」であり、非公知とはいえないとしています。また、常識の範囲とはいえない情報があるとしても、P1が用いた情報はP1の経験等に基づくものであるとし、原告の営業秘密を不正に使用を認めませんでした。


また、原告は被告に対して競業避止義務違反も主張していました。この主張に対して裁判所は、原告の主張を認めず、さらに下記のようにも裁判所は述べています。
原告は、本件許容条項は原告のノウハウを被告の英語・英会話教室に導入することまで許可したわけではない等と主張するが、本件許容条項のもとでフランチャイズ契約を締結するのであれば、ある程度のノウハウの共有、混同は避けられないのであって、このような事態は契約上当然に予定されているものと解されるから、原告の主張は理由がない。
すなわち、被告は原告と同様の事業であるLHを別途行っているのであるから、原告が被告に開示したノウハウが被告のLHにもある程度は共有、混同されることは想定の範囲内であると裁判所は判断したようです。

本事件のように、一般的に知られているようなノウハウのマニュアルは非公知性が無いとして営業秘密とは認められ難いのかもしれません。
また、フランチャイジーのような取引先にマニュアルを開示した場合、当該取引先はマニュアルを不正取得したとみなされることはないため、取引先が不正を行ったと主張するためには不正使用又は不正開示の主張となります。
しかしながら、本事件のように、取引先の行為がマニュアルの不正使用であると主張しても、取引先の行為が取引先自身の経験等に基づくものであるか、マニュアルの不正使用に基づくものであるかを切り分けることは難しいでしょう。
さらに、本事件では、被告は原告のフランチャイズ事業と同様の事業を並行して行っていることから、原告が開示したノウハウの共有、混同は避けられないとも裁判所は判断しています。

このように、取引先に自社の営業秘密とする情報を開示する場合には、当該情報が営業秘密として守られるのか、契約終了後における取引先の行為が自社の営業秘密の使用とされる範囲はどのようなものであるのか等を判断して、取引先との契約を行うべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年8月29日木曜日

転職者が前職の営業秘密を持ち込んだ刑事事件

自社への転職者が前職の営業秘密を不正に持ち込んだ刑事事件のリストです。なお、このリストに挙げた転職に伴う営業秘密の刑事事件は、一部であり、実際にはより多くの事件があります。
先日、兼松から双日への転職者が双日へ不正に営業秘密を持ち込んだ刑事事件の地裁判決が出ました(上記リストの一番上の事件)。懲役2年(執行猶予4年)、罰金100万円という有罪判決です。この判決は、被害企業にとって大きな損害が発生していない場合における他の刑事事件と同様と思われます。
なお、双日は転職者が持ち込んだ兼松の営業秘密を不正使用した様子はなく、双日は刑事告訴されていません。しかしながら、双日は警察によって家宅捜索を受けており、従業員は事情を聴かれているでしょう。このため、双日は本来不要であるはずの対応を行っており、双日もある意味では被害を被っていると言えるでしょう。

一方で、営業秘密侵害であるとして自社への転職者が逮捕されたものの不起訴となっている事例もあります。不起訴となっている理由は定かではありませんが、持ち出した情報が営業秘密ではなかった可能性があります。
仮に、持ち出した情報が非公知性を満たしていないことが不起訴の理由であれば、転職者は自由に使用することができる情報を持ち出したのであり違法ではありません。逆に、転職先企業がこの情報を有していなければ、この情報を転職先にもたらした転職者を雇用したことは、転職先企業にとって有意義であったともいえます。

特に、技術情報に関しては公知となっている情報が多数あります。そして公知の情報であるにもかかわらず、当該情報を秘密管理している企業もあるでしょう。このような場合、技術者は当該情報が公知であることを認識しつつ、転職先でも参考になると考えて持ち出す可能性もあります。一方で、前職企業は自社で秘密管理していた情報であるから、転職した技術者による不正な持ち出しであるとして刑事告訴する可能性があります。
そして警察は当該情報の秘密管理性が認められれば、非公知性についてさほど判断せずに(技術情報なので判断できない)、逮捕又は書類送検に至る可能性があるのではないでしょうか。

では、このような場合に転職先企業はどうするべきでしょうか?
転職先企業は営業秘密侵害の嫌疑をかけられた転職者等から、どのような情報を持ち出したかをヒアリングすべきでしょう。このとき、当該情報が真に営業秘密である可能性もあります。このため、当該情報がその後、自社内で拡散しないように非常に限られた人員又は社外の弁護士等のみが知り得る状態としてヒアリングする必要があります。
仮に当該情報が前職企業の顧客情報や取引先に関する情報(営業情報)であれば、当該情報は非公知の可能性が高いです。また、技術情報でも、数値データや物質の組成等であれば非公知の可能性が高いです。このような場合には、転職者が不法行為を行っている可能性が高いでしょうから、転職先企業は転職者を守る必要なないと考えられます。
一方で、当該情報が公知であれば、転職者は不法行為を行っていない可能性が高いので、転職先企業は転職者を守って然るべきでしょう。

このように、企業は自社への転職者に営業秘密侵害の嫌疑をかけられた場合、転職者が持ち出したとする情報が真に営業秘密であるか否かを可能な限り調査し、この転職者に対する対応を考える必要があると思います。すなわち、営業秘密侵害の嫌疑をけられたからといって、当該転職者を犯罪者のように扱うことは妥当ではないと考えます。
そもそも転職者を雇用したということは、この転職者が自社にとって必要であると判断したのであり、そのような人物を失うことがあっては自社にとって損失に他ならないでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2023年11月20日月曜日

判例紹介:クレープミックス液の配合比率の有用性

顧客情報や取引先情報、経営情報等の営業情報は、一般的に何らかの雑誌等に記載されるものではなく非公知の場合が多いため、有用性も認められ易い情報です。
一方、営業秘密とする技術情報の有用性判断は、個人的には難しいところもあると思っています。様々な技術情報は、技術雑誌、特許文献、インターネットの情報等にも記載されており、それとの対比によって判断されるものであるためです。

今回紹介する東京地判平成14年10月1日判決(事件番号:平成13(ワ)7445)では、クレープミックス液の配合等の有用性について争われています。
本事件において原告は、原告が使用するマニュアルの部分に記載されたクレープミックス液の材料及び配合比率は原告の「営業秘密」に該当するところ、被告Aが原告会社在職当時に原告から示された上記営業秘密を、不正の利益を得る目的で被告ライトクロスの主宰するフランチャイズチェーンにおいてマニュアルに記載して使用していると主張しています。

そして、原告は営業秘密とする情報の内容を下記のように主張しています。
クレープミックス液の材料及びその配合割合(すなわち原告配合)そのものが原告の営業秘密であり、とりわけ粉10グラムに対する水分(牛乳及び水)の量が16ないし17ccである点、牛乳と水を1対1の割合で配合した点、及び、調味料としてリキュールを配合した点などが他に見られない特徴である

なお、この配合による効果として「独自の質感、食感、味わいを出しつつ、焼き上がったクレープが冷めても美味しさが失われることなく、また、冷めてから折り曲げてもクレープパテが切れることなく中に具を包むことを可能にしている」 を原告は主張しています。

これに対して裁判所は、上記情報の営業秘密性について以下のように判断しています。
原告提出の証拠(甲3ないし25)によっても、クレープミックス液の主たる材料として、ミックス粉、卵、牛乳ないし水(あるいはその両方)を用いることは公知であると認められる上に、原告が原告配合の特徴であると主張する上記の諸点も、同配合が営業秘密であることを根拠付けるものと認めるには足りない。すなわち、〈1〉粉10グラムに対する水分(牛乳及び水)の量が16ないし17ccである点、〈2〉牛乳と水の配合割合が1対1である点、及び、〈3〉調味料としてリキュールを配合した点については、本件で提出された全証拠によっても、これらの点がクレープの品質を有意に向上させることの個別の立証がされていないばかりか、これら諸点を兼ね備えることで、クレープの品質が有意に向上することの立証もされていない。

より具体的には、裁判所は下記のように判断しています。
〈1〉の点について:このような配合割合は、一般にホットケーキより薄目で、食感がクレープに比較的近いと思われるパンケーキにおいては珍しくない。
〈2〉の点について:原告は、この配合割合が製造コストを一定の線に保ちつつ、冷めても味の落ちない食感の良いクレープを製造するために最適な配合である旨主張するものの、牛乳と水を1対1の割合で混ぜたからといって、それがクレープの品質にとって、どのように、どの程度有用であるのかは、証拠上一切明らかでない。
〈3〉の点について:ケーキ等の焼き菓子類の原料に香料としてリキュール類を加えることがあることは、料理法として広く知られたものである。リキュールを特定の種類のものに限定しておらず、1キログラムの粉に対してキャップ1/2程度の量のリキュールを加えるとすることについては、これが原告配合における独創であり、また、当該配合比率をとることによって、できあがったクレープの食感ないし風味にどのような効果を生ずるものかは、証拠上全く明らかではない。

さらに、〈1〉、〈2〉については、下記のようにも判断されています。
上記〈1〉、〈2〉の点については、むしろ証拠(乙9、乙16の2、乙17の2、乙22、乙23及び乙28)に照らせば、被告が主張するとおり、焼き上がったクレープの品質は、主としてミックス粉自体の成分・配合によって決定されるものであって、粉に対する水分(牛乳及び水)の量や、牛乳と水の配合割合も、個別の粉の成分との関係を離れて一般的に成立するような普遍的なレシピが存在し得るものではないと認められる。すなわち、乙17(日清製粉(株)首都圏営業部作成の平成13年6月20日付け比較検査結果報告書)によれば、異なる4種類の粉(ミックス粉3種類、小麦粉1種類)を用いて、いずれも原告配合に従ってクレープを製造したところ、粘度を示すcps値(水をゼロとして、数値が高いほど、粘度が強いことを示す。)がすべて異なり、食感、風味、焼色もすべて異なったことが認められる。
本事件では、原告が営業秘密であると主張している情報について、主として、その効果が明らかでないとしてその有用性が認められていないと考えられます。確かに、原告が主張している情報は、一般的なレシピの範囲を超えるものでは無いように思えます。
さらに、営業秘密とする情報の特定も十分ではないようにも思えます。例えば、ミックス粉の種類、リキュールの種類が特定されていません。もしかすると、ミックス粉やリキュールの種類を適切に特定すると、原告の主張する効果が表れて営業秘密として認められたのかもしれません。
このように、技術情報を営業秘密として管理するのであれば、その効果が発揮される程度に技術情報を特定する必要があります。そうしないと、営業秘密としての有用性が認められル可能性は低いと思われますし、公知の情報との差異も認められ難いでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年10月30日月曜日

公知の情報の組み合わせの営業秘密性

営業秘密は、秘密管理性、有用性、及び非公知性の三要件を全て満たした情報であり、たとえ秘密管理性を満たした情報であっても、公知の情報は営業秘密とはなり得ません。一方で、複数の公知の情報の組み合わせの非公知性が認められて営業秘密となり得るかは、裁判所の判断が分かれる可能性がありそうです。

まずは、塗料配合情報流出事件の刑事事件判決(名古屋地裁令和2年3月27日、事件番号:平28(わ)471号 ・ 平28(わ)662号)での裁判所の判断です。この事件は、塗料の製造販売等を目的とする当時の日本ペイント株式会社の子会社の汎用技術部部長等として、被告人が商品開発等の業務に従事していました。そして、被告人は、日本ペイント社の競合他社である菊水化学工業株式会社に営業秘密(塗料の原料の配合)を漏えいし、自身も同社の取締役に就任したというものです。この被告人は、懲役2年6月(執行猶予3年)及び罰金120万円となっています。

本事件において被告人の弁護人は、「本件各塗料の原料の情報は特許公報等の刊行物から容易に推測が可能であるので,非公知性が失われている」と主張しました。
しかしながら、裁判所は、下記のように弁護人の主張を認めませんでした。
・・・本件各塗料の配合情報に含まれる原料は,特許公報等の刊行物に掲載されているものの,一つの刊行物に配合情報としてその全てが掲載されているわけではなく,関連する多数の刊行物を検索した上,複数の刊行物の情報を組み合わせて初めて本件各塗料の配合情報に含まれる原料を推測することができるにすぎない。また,刊行物に掲載されている複数の原料のうちどの原料が本件各塗料の配合情報を構成するかを推測することには相応の困難がある。そうすると,特許公報等の刊行物の情報から本件各塗料に含まれる原料を全て特定することは不可能でないにしても相当な労力と時間を要するといえる。したがって,特許公報等の刊行物に本件各塗料の原料の情報が記載されているからといって,本件配合情報の非公知性は失われない。

一方で、東京地裁平成30年3月29日判決(事件番号:平成26年(ワ)29490号)の高性能多核種除去設備事件では、裁判所は一見、日本ペイントデータ流出事件とは逆の判断をしているように思えます。
上記各情報は,汚染水処理における各種の考慮要素に関わるものであって,汚染水処理において,当然に各情報を組み合わせて使用するものであり,それらを組み合わせて使用することに困難があるとは認められない。また,上記各情報を組み合わせたことによって,組合せによって予測される効果を超える効果が出る場合には,その組合せとその効果に関する情報が公然と知られていない情報であるとされることがあるとしても,上記各情報の組合せについて上記のような効果を認めるに足りる証拠はない。したがって,これらの情報を組み合せた情報が公然と知られていなかった情報であるとはいえない。
また、AI技術を用いた自動会話プログラムをまとめた情報を営業秘密とした東京地裁令和4年8月9日判決(事件番号:令3(ワ)9317号))でも、当該情報に対して「平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであり、そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかったことが認められる。」と裁判所によって判断されています。
この事件は、原告によって控訴(知財高裁令和5年2月21日(事件番号:令4(ネ)10088号)されていますが、下記のように控訴審ではより明確に非公知性が否定されています。
(8) 原判決30頁の17行目の「本件データの」から同頁21行目の「られる。」までを「本件データは、AIについての特段の知識を有していなかったAが、インターネット上に公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めて作成したものであって、その内容はAIに関する公知かつ初歩的な情報であるから、不正競争防止法2条6項の「公然と知られていないもの」に当たらない。」と改め、その末尾で改行する。
以上のように、複数の公知の情報の組み合わせの非公知性が認められるか否かは裁判所の判断が分かれるているようにも思えます。より具体的には、非公知性が認められる場合とは、高性能多核種除去設備事件で示されているように「その組合せとその効果に関する情報が公然と知られていない」場合と考えられます。

ここで、塗料配合情報流出事件では「複数の刊行物の情報を組み合わせて初めて本件各塗料の配合情報に含まれる原料を推測することができるにすぎない。」として配合情報の非公知性を認めていますが、仮に、このような配合情報に非公知性がないとすると、物の配合情報はほとんどが営業秘密ではなくなってしまい、企業にとって不合理な不合理な判断となり得るでしょう。
一方で、労力と時間を要せずにインターネットの検索や文献調査等によって集めた情報は、誰でも取得できるものと言え、そのような情報にまで営業秘密としての保護価値を与えてしまうことも適切ではないと思えます。
そうすると、上記のように「その組合せとその効果に関する情報が公然と知られていない」ことを非公知性の判断基準とすることは妥当であると思われます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年9月27日水曜日

判例紹介:名刺データと顧客情報の違い

先日、下記日経新聞の記事に詳述されているように、元所属企業の名刺データの管理システムにログインするためのID、パスワードを転職先で開示したとして、元所属企業の社員が逮捕されました。しかし、逮捕理由は、営業秘密侵害ではなく、個人情報保護法違反とのことです。


上記記事によると、名刺データが営業秘密に該当しない可能性があるためとのことです。
”警視庁は今回、情報が営業秘密に該当しないと判断した。名刺は第三者に渡すことが前提で、記載された情報が非公知性の要件を満たす可能性が低いなどとみた。”
確かに、確かに名刺そのものは営業秘密とされない可能性が高いです。
例えば、東京地裁平成27年10月22日判決(平26(ワ)6372号)では、元従業員が転職先に名刺帳を持ち出したとして、元従業員を被告として被告の元所属先企業が原告となり、民事訴訟を起こしました。
これに対して裁判所は下記のように判断しています。
”本件名刺帳に収納された2639枚の名刺を集合体としてみた場合には非公知性を認める余地があるとしても,本件名刺帳は,上記認定事実によれば,被告Aが入手した名刺を会社別に分類して収納したにとどまるのであって,当該会社と原告の間の取引の有無による区別もなく,取引内容ないし今後の取引見込み等に関する記載もなく,また,古い名刺も含まれ,情報の更新もされていないものと解される(甲16参照)。これに加え,原告においては顧客リストが本件名刺帳とは別途作成されていたというのであるから,原告がその事業活動に有用な顧客に関する営業上の情報として管理していたのは上記顧客リストであったというべきである。そうすると,名刺帳について顧客名簿に類するような有用性を認め得る場合があるとしても,本件名刺帳については,有用性があると認めることはできない。

この裁判例では、名刺の単なる集合、すなわち分類や更新もされていない名刺帳には営業秘密でいうところの有用性がないと判断しています。名刺の集合のなかには、顧客(又は顧客見込み)の情報が含まれているでしょうが、分類等されていない限り第三者から誰が顧客なのかは判別できず、企業活動に利用できるかと問われると単なる名刺の集合で難しいでしょう。この裁判例では名刺帳ですが、名刺に記載の内容をデータ化した場合であっても同様でしょう。
また、今回の事件の記事では、非公知性が否定される可能性を懸念していますが、名刺の単なる集合に有用性がないと判断するか、非公知性がないと判断するかに本質的な違いが無いと思います。なお、上記裁判例でも、下記のように名刺そのものには非公知がないとも指摘しています。
”原告は,本件名刺帳に収納された名刺に記載された情報が原告の営業秘密に当たる旨主張するが,名刺は他人に対して氏名,会社名,所属部署,連絡先等を知らせることを目的として交付されるものであるから,その性質上,これに記載された情報が非公知であると認めることはできない。”
一方、顧客情報は、単なる名刺の集合とは異なり、文字通り企業の顧客(又は顧客見込み)の情報であり、企業として収益の要ともいえ、その有用性が否定されるものではありません。このように、営業秘密の視点からは、顧客情報と名刺の集合とでは少なくとも有用性に大きな違いがあると思われます。

とはいえ、今回の事件のように、営業秘密ではなくても、名刺データを転職先等で開示すると違法となる可能性があるようです(今回の事件は、不正ログインのような気もしますが。)。このため、転職時における名刺データの取り扱いは注意が必要でしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年8月15日火曜日

判例紹介:公知の情報の寄せ集めは営業秘密になるか?

多くの技術情報が様々な媒体で公開されているため、技術情報に係る営業秘密は顧客情報等の営業情報とは異なり、有用性や非公知性が否定される場合があります。例えば、公開されている技術情報を寄せ集めた情報であるとして、原告が営業秘密であると主張する技術情報の非公知性が裁判所によって認められなかった例があります。
今回は、裁判所によってそのような判断がなされた事件(東京地裁令和4年8月9日(事件番号:令3(ワ)9317号))を紹介します。この事件は原告によって控訴(知財高裁令和5年2月21日(事件番号:令4(ネ)10088号))されましたが、地裁判決は覆っていません。

本事件の概要は、原告の従業員であって後に被告会社に移籍したBが原告に在籍中に本件データのファイルのうちスライド2枚目ないし8枚目の部分を作成し、Bが被告会社に移籍した後、被告ら作成データのファイルのうちスライド7枚目ないし13枚目の部分を作成し、被告Aに対し、被告ら作成データを含むファイルを電子メールで送信したというものです。なお、被告Aは原告の元代表取締役であり、代表取締役を辞任した後に被告会社を設立しています。
なお、原告が営業秘密であると主張する本件データの内容は、AI技術を用いた自動会話プログラムである「AIチャットボット」につき、「機能一覧」、「非機能一覧」、「画面イメージ」等をまとめたものです。
この本件データについて被告は以下のように主張しています。
❝Bは、AIに関する知識を余り有していなかったことから、AIに関する議論のたたき台として、本件データを作成したところ、その内容は、ウェブで公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであった。❞

このような本件データについて一審裁判所は以下のように判断しており、まず、以下のようにして裁判所は本件データの秘密管理性を認めていません。
❝そして、本件データは、シェアポイントにおける「07.Team」フォルダ内の「AI」フォルダにおいて、「chatbot 要件_追加_20171002.pptx」というファイル名で格納されていたところ、Bは、そもそも「AI」フォルダにアクセス権限や閲覧制限を個別に設定せず、本件データにも個別のパスワードを設定しなかったため、原告の役職員の全員が本件データを閲覧でき、しかも、「07.Team」フォルダに保存された資料に関するルール(ただし、下位フォルダを作成したり削除したりするにはIT担当の従業員への依頼を要するというルールを除く。)は格別存在しなかったことが認められる。のみならず、本件データには、「機密情報」、「confidential」という記載がないため、客観的にみて、本件データにアクセスした者において当該情報が秘密情報であることを認識できなかったことが認められる。❞
そして、本件データに対して、一審裁判所は被告の主張を認め、以下のように❝そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかった❞とも認定しています。なお下記は、判決文において上記秘密管理性の判断の前に記載されていました。
❝そこで検討すると、前記認定事実によれば、本件データの内容は、ウェブで公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであり、そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかったことが認められる。❞
このような判断は、秘密管理性ではなく、非公知性又は有用性の判断に該当するのではないかと思います。これに関して、控訴審である知財高裁では、原判決が下記のように改められ、本件データは非公知性も認められないことが明確にされました。
❝ (8) 原判決30頁の17行目の「本件データの」から同頁21行目の「られる。」までを「本件データは、AIについての特段の知識を有していなかったAが、インターネット上に公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めて作成したものであって、その内容はAIに関する公知かつ初歩的な情報であるから、不正競争防止法2条6項の「公然と知られていないもの」に当たらない。」と改め、その末尾で改行する。❞
ここで上述のように、様々な技術情報が各種技術文献、特許公開公報、インターネット等で無数に公開されています。公開されている技術情報を寄せ集めてまとめた情報は、当該技術に詳しくない者や企業にとっては実際に有用であると思われます。しかしながら、営業秘密としては公知の情報を寄せ集めたに過ぎないため、このような情報は有用であったとしても非公知ではないと判断される可能性が高いと考えられます。
以上のように、技術情報を営業秘密として管理する場合には、非公知性の有無も重要な判断材料となります。このため、裁判所で非公知性がないと判断される可能性のある技術情報がどのような情報であるかは正しく認識する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年5月7日日曜日

判例紹介:営業秘密の非公知性

営業秘密は秘密管理性、有用性、非公知性の三要件をすべて満たした情報ですが、裁判において非公知性が否定されることでその営業秘密性が否定される例はあまり多くありません。
今回紹介する裁判例(大阪地裁令和5年2月13日判決 事件番号:令3(ワ)6381号 ・ 令4(ワ)1721号)は、営業秘密の非公知性が否定されたものです。

本事件の原告は、有料職業紹介事業等を目的とする株式会社です。また被告は、医療及びヘルスケア関連人材の派遣、採用支援、評価、教育、研修等を目的とする株式会社です。
そして本事件では、被告が行った告知行為等が原告の営業上の信用を害するとして、原告が被告に対して、不競法2条1項21号違反を理由に提訴したものであり、この反訴として、被告が原告に対して営業秘密侵害を主張しました。このため、本事件では、営業秘密であると主張する情報の保有者は被告となります。
なお、本事件の判決としては、原告、被告両方の主張は棄却されています。

被告が営業秘密であると主張する情報は下記の5つです。

・情報①:被告の取引先医療機関の名称、その担当者及び部署名。
具体的には、被告の取引先医療機関である特定の病院が大阪府の病院を指すこと、同病院の担当者の実名、同病院の担当部署が総務・経理課であること
・情報②:特定の医療機関の手術状況。
具体的には、ある特定の整形外科・外科病院の金曜日案件(金曜日における人材紹介案件)において過去に複数の症例(一度の人材紹介で複数の手術を担当することとなる場合)があったこと
・情報③:特定の医療機関と被告との契約状況及び契約内容。
具体的には、被告とある特定の病院との間に契約関係があること、当該契約がプレミアムプラン(上位顧客向けの料金プラン)であること
・情報④:被告における契約の仕組みに関する情報。
具体的には、被告が提供する人材紹介サービスにおいて、連続した手術に関する人材募集をする場合に、1件目9時、2件目オンコールというように、時間指定で、オンコールの選択ができること
・情報⑤:紹介することを避けるべき医師に関する特定の医療機関の情報。
具体的には、ある特定の病院に紹介することを避けるべき医師4人の実名

これらの情報に対して、営業秘密の侵害者とされる原告は❝本件情報は、いずれも対象医療機関に対して直接確認すれば得られる情報であって、少なくとも非公知性の要件を欠いていることは明らかである。したがって、本件情報はいずれも営業秘密に当たらない。❞と主張しています。

原告による「営業秘密不正取得行為」に対して被告は、下記のように主張しています。なお、P1は、原告の取締役であり、P4は被告の従業員です。
❝P1は、日中の昼間の勤務時間中で、P4が被告の事業場において営業秘密に容易にアクセスすることができる状況下において、行動を監督する者がいない時間を狙って、同人に対し、スマートフォンという個人的な連絡ツールを用いて連絡をとることで、密かに本件情報を取得した。P4が、部外者であるP1に対し本件情報を提供する行為は、被告の就業規則に違反する行為であるところ、被告の元従業員であるP1は、そのことを容易に認識し得た。このような行為は、正常な経済活動を大きく逸脱した公序良俗に反するものであることは明らかである。したがって、本件取得等行為は、営業秘密不正取得行為に当たる。❞
これに対して、原告は、❝メッセージのやり取りという、一般に用いられるコミュニケーション手段を用いて、相手に対し平穏な形で質問を行って事実を確認する行為は、不正な手段とはいえない。❞として営業秘密不正取得行為を否認しています。
すなわち、原告は、被告が営業秘密であると主張する情報①~⑤を取得したことについては否認していないようです。

これら情報①~⑤の非公知性判断において、まず裁判所は営業秘密でいうところの非公知性である「公然と知られていない」状態を❝営業秘密保有者の管理下以外では一般的に入手することができない状態❞と定義しています。

そして裁判所は、情報①(被告の取引先医療機関の名称、その担当者及び部署名)、情報②(特定の医療機関の手術状況)、情報⑤(紹介することを避けるべき医師に関する特定の医療機関の情報)に対して❝主として特定の医療機関が保有する情報を被告が入手して管理しているにすぎないもの❞としてその非公知性を認めませんでした。

情報①,②,⑤に対する裁判所の判断は、上記の原告による❝本件情報は、いずれも対象医療機関に対して直接確認すれば得られる情報❞との主張を認めたようにも思えます。しかしながら、判決文には、実際に原告が対象医療機関に直接確認したとのような記載はなく、情報①~⑤が対象医療機関に確認すれば得られる情報であるかは実際には分からないように思えます。

営業秘密に関する幾つかの判決では、このように、当該情報が公知であるか否かが実際に確認されなくても、公知であるという蓋然性が高いと判断した場合には、当該情報が公知であると判断されています(例えば、錫合金組成事件(大阪地裁平成28年7月21日判決)。
上記錫合金組成事件では、錫合金の組成が営業秘密と主張される情報であったため、リバースエンジニアリングすれば誰もがその組成を知ることができるでしょう。このため、この組成の非公知性は認められませんでした。
一方、本事件の情報①,②,⑤は、特定の医療機関も保有しているとしても、この医療機関が誰にでも当該情報を開示しなければ公知と言えないようにも思えます。特に、情報⑤(紹介することを避けるべき医師に関する特定の医療機関の情報)は誰にでも開示してもらえるのでしょうか。


さらに、裁判所は、情報③(特定の医療機関と被告との契約状況及び契約内容),④(被告における契約の仕組みに関する情報)に対して❝その性質上、契約の相手方に対し開示されることが予定された情報であって、被告の管理下のみに属する情報ではなく、被告が、契約の相手方との間で、当該情報についての秘密保持契約等を締結するなどして、その開示等を禁止していたことをうかがわせる証拠もない。❞としてその非公知性を認めませんでした。

この情報③,④の契約内容に関する情報に対して、裁判所は契約の相手方との間で秘密保持契約等を締結しておらず、契約の内容は当該相手方も管理しているのでこの契約内容は公知である、とのように判断していることになるかと思います。
一般的には、他社との契約内容は公知としない情報であるかと思います。とはいえ、契約当事者の少なくとも一方が当該契約内容を公知にして欲しくない場合には、当該契約に対しても相手方に秘密保持義務を課すことをします。このため、秘密保持義務を課すことなく締結した契約内容は何れか又は両方の契約当事者から開示される可能性はあるとも言えるでしょう。

ここで、営業秘密に関する裁判において、他社に開示した情報は当該他社との間で秘密保持契約等を締結しないとその秘密管理性はほぼ認められません。そうすると、他社との間で締結した契約内容も当該契約に対して秘密保持契約を締結しないと、営業秘密でいうところの秘密ではなく、当該契約内容は他社の管理下にもあるため公知であるとの判断になるということでしょう。
しかしながら、他社との契約内容を無関係な第三者に開示する企業等は実際には略存在しないと思います。もしかすると、被告と契約を締結した相手方は、被告との間で秘密保持契約を締結していないものの当該契約内容を自社内では秘密管理しているかもしれません。仮にそうであれば、当該契約内容は被告が自ら開示しない限り、公知とはならないとも思えます。
それにもかかわらず、当該契約が秘密保持契約無しに締結されたという理由で、実際に公知となったか否かにかかわらず、当該契約内容が公知であるとする裁判所の判断はやはり疑問に感じます。

なお、被告は、当該情報の秘密管理性及び有用性については以下のように主張しています。
❝ (1) 秘密管理性が認められること
 本件情報は、「アネナビ管理画面」というシステムに保存されていたところ、同システムへのアクセス権限が与えられていたのは、被告の全従業員約621名のうちP4を含むわずか十数名程度に限られており、それらの限られた従業員にはID及びパスワードが発行され、当該ID等がなければ同システムにアクセスできない仕組みになっていた。
  (2) 有用性が認められること
 本件情報は、被告の顧客奪取に繋がる情報(情報①、③、④)、対象の医療機関に対して先回りをした営業をすることが可能となる情報(情報②)、顧客のニーズに合ったサービスを提供することが可能となる情報(情報⑤)である。❞
これに対して原告は下記のように反論しているものの、実質的に非公知性についての反論であり、秘密管理性、有用性について反論はしていないと思われます。
❝本件情報は、いずれも対象医療機関に対して直接確認すれば得られる情報であって、少なくとも非公知性の要件を欠いていることは明らかである。したがって、本件情報はいずれも営業秘密に当たらない。❞
そして、裁判所は、当該情報の秘密管理性及び有用性について下記のように判断しています。
❝ (2) 以上から、本件情報は、非公知性を欠く上、秘密管理性や有用性についても的確な立証を欠くから、「営業秘密」に当たらず、これを前提とする被告の主張は理由がない。❞
本事件におけるこのような裁判所の判断は妥当でしょうか?
被告人は、秘密管理性についてID及びパスワード管理されているシステムによって本件情報の管理を行っていると主張しています。このような秘密管理の態様は一般的とも思われ、被告人の秘密管理性を否定し得る証拠が無ければ(原告は秘密管理性を否定する主張は実質行なっていません。)、本件情報に対する秘密管理性は認められてもよいかと個人的には思います。
また、有用性についても裁判所は❝的確な立証を欠く❞と認定していますが、逆に、本件情報についてどのような立証を行なえば❝適格❞なのでしょうか?
一見すると、本事件の被告による有用性の主張は簡素なものですが、営業秘密性が認められた他の裁判例における営業秘密保有者の有用性の主張と比較しても、妥当なものだと思います。

このように、本事件の裁判所の判断は疑問を感じるものでした。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年12月31日土曜日

特許出願の公開前取り下げと秘匿化

特許出願をすると1年6か月後に公開されます。
しかしながら、特許出願しても公開前に取り下げることで、自社開発技術の秘匿化を保つという知財戦術をとる会社もあるようです。

その理由の一つとして、特許出願した自社の技術開発スピードが他社よりも十分に先行しており、特許化によるメリットよりも公開リスクの方が大きい場合でしょうか。
このような場合には、特許出願を取り下げた直後に再び特許出願を行います。このような出願と取り下げとを、他社開発技術が自社開発技術に近くなるまで繰り返し、他社開発技術が自社開発技術に近くなったと思われるタイミングで当該特許出願を取り下げることなく、審査請求します。
これにより、他社に自社開発技術を知られることなく、かつ他社よりも先んじて特許取得を可能とします。
とはいえ、他社開発技術がどの程度まで進んでいるのかを知ることは難しいため、さほど現実的な知財戦術ではないと思います。

異なる知財戦術として、公開前の特許出願の取り下げと早期審査とをセットにすることが考えられます。
特許出願とほぼ同時に早期審査を行い、特許査定を得られる可能性が低いようであれば、公開される前に当該特許出願を取り下げることで他社に自社開発技術を知られることを防止するというものです。
これは実際に行っている企業もあるようで、このような知財戦術は有効かと思います。


ここで、気になる点は、特許査定を得られないのであれば、営業秘密でいうところの有用性又は非公知性もないのではないかということです。
仮に拒絶理由が新規性違反であり、それを覆すことができないのであれば、非公知性は喪失しているのでで、当該特許出願に係る技術を営業秘密とすることはできません。

しかしながら、拒絶理由が進歩性違反である場合には、必ずしも営業秘密の有用性が無いとは言えません。
営業秘密の有用性の判断として、特許の進歩性と同様の判断を行った裁判例がいくつもありますが、近年の刑事事件の裁判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)として下記のように裁判所が判断したものがあります。
❝不正競争防止法が営業秘密を保護する趣旨は,不正な競争を防止し,競争秩序を維持するため,正当に保有する情報によって占め得る競争上の有利な地位を保護することにあり,進歩性のある特別な情報を保護することにあるとはいえないから,当該情報が有用な技術上の情報といえるためには,必ずしもそれが「予想外の特別に優れた作用効果」を生じさせるものである必要はないというべきである(そもそも何をもって「予想外」「特別に優れた」というのかが曖昧であり,その意味内容によっては,不正競争防止法が所期する営業秘密保護の範囲を不当に制限する可能性がある・・・)。❞
このような裁判例があることを鑑みると、特許の進歩性がないと判断された技術情報が営業秘密の有用性もないと判断されない可能性もあります。

ここで注意が必要なことは、「特許出願の取り下げ=秘密管理性」ではないことです。取り下げの目的は特許出願に係る技術を秘匿化したいというものですが、取り下げ自体は秘密管理意思を示すものとはみなされない可能性があります。
このため、取り下げた特許出願に係る技術は、適切に秘密管理を行う必要があります。特許出願の請求の範囲及び明細書等をそのまま秘密管理してもよいかと思いますが、明細書には公知の技術も多数書かれています。また、特許請求の範囲も場合によっては公知の技術がトップクレームとなっている場合もあるでしょう。このため、どの技術が秘密管理の対象となっているのかを請求の範囲や明細書中に明示した方が秘密管理としてはより万全かと思います。

公知の技術情報と非公知の技術情報とが混ざった状態で秘密管理されていると、秘密管理の対象となっている情報を従業員等が認識できないとして、非公知の技術情報の秘密管理性までもが否定される可能性があるためです。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月26日月曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(有用性)

前回の判例紹介の続きです(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)。
この事件は、原告が被告から宅配ボックスの開発・製造の委託を受けたものの、被告が本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめ、原告の営業秘密である本件データを使用して被告製品を製造・譲渡したというものです。
この事件は、被告は原告の営業秘密である本件データを不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求が認められました。

前回は本件データの秘密管理性についてでしたが、今回は有用性と非公知性についてです。
まず、本件データの有用性について、裁判所は下記のようにして認めており、この判断は至極妥当であると考えられます。
❝本件データは,前記(1)のとおり,本件新製品の最終試作品の製作のために原告が作成した3Dデータであり,3次元の空間における部品の構造(部品の長さ,形状,厚みなどの全ての構造)が詳細に記録され,本件データがあれば本件新製品の試作品を容易に製造することができるものであるから,原告の事業活動において有用な情報であり,有用性が認められる。❞
一方で、被告は❝本件データは,本来であれば被告製品の基となることが予定されていたものであるから,原告の事業活動において有用な情報であるとはいえない❞とのように主張したようです。しかしながら、裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データについて,被告製品の製造以外に用いることができないといった事情はうかがわれないから,被告製品の基となることが予定されていたことをもって原告の事業活動における有用性が否定されるとはいえない。❞
この裁判所の判断からすると、本件データが被告製品の製造にのみ用いるものであれば、有用性が否定されるとも解釈できます。1つの企業でしか用いることができないデータが存在するのか分かりませんが、そのようなデータは有用性が認められないということでしょうか。そのような理由で有用性が否定され得るのか、少々疑問に感じます。


また、被告は❝本件データの内容に技術的な特殊性及び革新性はなく,公知情報の組合せであって,予想外の特別に優れた作用効果を奏するものでもない❞とも主張したようです。しかしながら、これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データは,具体的な試作品の作成が可能な程度に部品の構造や寸法が詳細に記録されたものであり,単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したものではないから,本件データが公知情報の組合せにすぎないとはいえない。❞
この裁判所の判断も妥当なものと思われます。
しかしながら、上記判断では、本件データは❝部品の構造や寸法が詳細に記録されたもの❞であるから有用性を認めるとしており、仮に本件データが❝単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したもの❞であれば有用性は認められないとも解釈できます。このことは、営業秘密が有用性を満たすか否かの判断において重要なことを示唆していると思われます。
すなわち、他の裁判例でもあったように、特許で言うところの進歩性が低い情報については有用性が認められない可能性を示唆しています。なお、原告は、被告の主張に対して❝有用性と特許制度における進歩性の概念とを混同したものであって,失当である❞とも主張しましたが、この原告の主張に対して裁判所は何ら述べていません。
また、被告の上記主張は非公知性としても述べられていますが、非公知性としても同様の判断で裁判所は被告の主張を認めませんでした。

さらに、被告は❝本件データには原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれているから,原告にとっての有用性は非常に低い❞とも主張しました。これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件新製品の仕様等について原告と被告は打合せを繰り返したが,弁論の全趣旨によれば,本件データの作成自体は原告が単独で行ったものと認められるから,この点も本件データの有用性を否定するものとはいえない。❞
このように裁判所は、❝本件データの作成自体は原告が単独で行ったもの❞であるとして、被告の主張を認めませんでしたが、この判断はどうでしょうか。仮に、本件データを原告が被告と共に作成しても本件データの有用性は否定されないと思います。

なお、被告は❝本件データは樹脂製品及び宅配ボックスについての知識経験を豊富に有する被告の助言・監修の下で作成されたものであるから,原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれている。❞とも主張しています。これに対して、原告は❝本件データの作成過程において,原告が被告の意向を踏まえてデータを作成することがあったとしても,その意向は抽象的な要望やアイデアにすぎなかった。❞とのように反論しているものの、本件データに被告のアイデアが含まれていることは否定していません。

このようなことから、被告は本件データを共同作成したことを有用性の有無で争うのではなく、本件データは原告と被告とが共同作成したものであるから、本件データの保有者には被告も含まれることで主張した方が良かったように思えます(この主張が認められる可能性は低いかもしれませんが)。もし、この主張が認められたら、本件データは原告と被告とが共同で保有しているので、被告も使用可能であり、被告による営業秘密侵害にはならない可能性があるのではないでしょうか。

ここで、発明については「具体的着想を示さず単に通常のテーマを与えた者又は発明の過程において単に一般的な助言・指導を与えた者」は発明者とはなりません。すなわち、原告と被告の共同作成を発明に当てはめると、被告が原告に抽象的なアイデアを与えただけでは発明者とはなり得ないでしょう。一方で、「提供した着想が新しい場合は、着想(提供)者は発明者」とされます。もし、被告が原告に与えたアイデアが新しい着想である場合には、被告は発明者となり得、当該発明に対して特許を受ける権利を有することとなります。

特許と営業秘密とを同様に考えることは必ずしも適切ではないと思います。しかしながら、原告が作成した本件データが、仮に被告が独自に着想した新規(非公知)のアイデアに基づいて図面とされているものであれば、本件データは被告のアイデア無くして作成できたものではありません。そうであれば、被告も本件データの保有者という主張も議論の余地があるのではないかと思います。
なお、仮に被告が本件データの保有者であると認められ、被告の営業秘密侵害が否定されたとしても、被告は原告に対して少なくとも本件データの作成費用の支払い義務はあるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年7月18日月曜日

判例紹介:愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(技術情報の抽象化・一般化)

愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(名古屋地裁 令和4年3月18日判決 事件番号:平29(わ)427号)について紹介します。本事件は、被告人が無罪となった事件であり、比較的大きく報道された事件でもありました。本事件は、控訴されなかったため、被告人の無罪が確定しています。

本事件は、b株式会社(愛知製鋼株式会社)の元役員又は従業員であった被告人a,cがb社から示された情報を株式会社dの従業員eに対し、口頭及びホワイトボードに図示して説明することでb社の営業秘密を開示した、というものです。
なお、この情報とは、b社が保有する営業秘密であるワイヤ整列装置(1号機~3号機)の機能及び構造,同装置等を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関する技術上の情報とされています。

ここで、検察官は、下記㋐から㋖までの工程(検察官主張工程)であるワイヤ整列工程を被告人がeに説明したと主張し、この㋐から㋖までの工程はb社が独自に開発・構成した一連一体の工程であって、b社の営業秘密である旨主張しました。
❝ワイヤ整列装置が
  ㋐ 引き出しチャッキングと呼ばれるつまみ部分(以下「チャック」という。)がアモルファスワイヤをつまみ,一定の張力を掛けながら基板上方で右方向に移動する
  ㋑ アモルファスワイヤに張力を掛けたまま仮固定する
  ㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ,仮固定したアモルファスワイヤを基準線として位置決め調整を行う
  ㋓ 基板固定台座を上昇させ,アモルファスワイヤを基板の溝及びガイドに挿入させ,基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする
  ㋔ 基板の左脇でアモルファスワイヤを機械切断する
  ㋕ 基板固定台座が下降し,次のアモルファスワイヤを挿入するために移動する
  ㋖ 以下㋐ないし㋕を機械的に繰り返す❞
これに対して、裁判所は下記のように、被告人両名がeに説明した情報のうち検察官主張工程に対応する部分は、アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ、余りにも抽象化、一般化されすぎていて、bの営業秘密を開示したとはいえない、と判断しました。
❝本件打合せにおいて被告人両名がeに説明した情報は,アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関するものではあるが,bの保有するワイヤ整列装置の構造や同装置を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程とは,工程における重要なプロセスに関して大きく異なる部分がある。また,上記情報のうち検察官主張工程に対応する部分は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえないので,営業秘密の三要件(秘密管理性,有用性,非公知性)のうち,非公知性の要件を満たすとはいえない。したがって,被告人両名は,本件打合せにおいて,bの営業秘密を開示したとはいえない。❞

なお、上記の「大きく異なる部分」としては、以下のように挙げられています。
❝工程㋑に関して,bのワイヤ整列装置では,なるべくアモルファスワイヤに応力を加えないようにするために,基板の手前にシート磁石が埋め込まれた溝(「ガイド」)を設置したり,切断刃近くに磁石を設置したりしてワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られている(ただし,3号機では,「ワイヤロック」による挟圧はされている。)。
これに対し,被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,まっすぐにぴんと張る程度に張力を掛けて引き出されたワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものである。この工程は,ワイヤを基板の溝等に挿入して整列させる工程において,「ワイヤ引き出し」,「仮固定」,「切断」といった重要なプロセスに関するものである。❞
また、「一連一体の工程」とのように、例えば、複数の公知情報を組み合わせた場合であっても、その組み合わせに特段の作用効果等がある場合には、全体として非公知性又は有用性が有ると判断される場合があります。
これに関して裁判所は下記のように、検察官主張工程のうち工夫された工程について被告人が開示しておらず、これにより一連一体の工程として見ても、ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまる、として、非公知性を否定しています。
❝すなわち,被告人両名は,前記のとおり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べる上で重要になるはずのbのワイヤ整列装置に備わっている工夫に関する情報,例えば,位置決め調整におけるCCDカメラの活用,ワイヤ引き出し時(送り出し時)におけるモーターの回転方法,ワイヤの仮固定における「ガイド」等の機構,基板上の溝等に仮止めする際の磁石の配置,ワイヤがチャックに付着し続けないようにするための工夫等について,eに対して説明していない。
また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるために重要となるはずの情報がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。❞
以上のように、結論としては、被告人はb社(愛知製鋼)の営業秘密を開示していないので、無罪とされています。このような判断は裁判所が行うまでもなく、技術的な知見を十分に有しているであろう愛知製鋼も行えると思うのですが、なぜ、刑事事件化してしまったのか非常に疑問です。

この理由の一つに、愛知製鋼は営業秘密とした自社の情報(発明)を正確に特定できていなかったのではないかと思います。また、検察(逮捕に携わった警察)もこれを正確に特定できていなかったのではないでしょうか。現に、2017年の2月に逮捕されてから一審判決に至るまで5年もの月日を要しており、これは他の営業秘密侵害事件と比べても非常に長い期間です。営業秘密の特定が不十分であるがために、判決に至るまでの時間を要したとも思えます。
実際、発明を情報として特定することは慣れていないと難しいでしょう。本事件では、検察が「検察官主張工程」として営業秘密を特定していますが、その情報をどのような形態で愛知製鋼が保有していたのかが、少々判然としません。判決では、❝ワイヤ整列装置である1号機ないし3号機をクリーンルーム内に保管し,特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置を講じていた❞、とありますが、これはワイヤ整列装置に対する秘密管理であり、果たして「検察官主張工程」の秘密管理でしょうか。ワイヤ整列装置どこに、どのような形態で「検察官主張工程」を管理していたのでしょうか?

知的財産については、その保有者は自身が有する情報(今回は営業秘密)の権利範囲を広く解釈しがちな傾向にあると思います。そのような傾向にあるにもかかわらず、さらに営業秘密とした技術情報を正確に特定しなかったために、このような結果になってしまったのではないかと思います。

なお、本事件は、例えば転職者が前職で開示された営業秘密に関連する技術情報を転職先等で話す場合についても参考になるかと思います。
前職の営業秘密をそのまま話すことは当然ダメですが、それに関連する技術情報については営業秘密に触れずに「抽象化、一般化」して話すことは問題ないということです。これは当然のことなのですが、本事件によって、前職に関連することを全く話してはいけない、ということではないということが示されたとも思えます。
企業が転職者から前職に関連する技術情報を聞く場合も同様かと思います。前職の営業秘密に関連する部分の説明は「抽象化、一般化」して話してもらうように、転職者を促すことで、不必要に他社の営業秘密を知ることを防止できるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年9月13日月曜日

ー判例紹介ー 独自開発に基づかない図面の非公知性、有用性

今回は、図面の非公知性及び有用性についてです。 企業が作成する図面には、自社で独自開発した技術を図面としたものや、自社で独自開発した技術でないものの自社で図面としたもの、様々なものがあるでしょう。
自社で独自開発した技術の図面は非公知性や有用性は認められ易いでしょうが、自社で独自開発ていない技術の図面はどうでしょうか?

そのような判断がなされた裁判例(名古屋高裁金沢支部令和 2年 5月20日  平30(ネ)81号)を今回は紹介します。 この事件は、クロス下地コーナー材事件(平成30年 4月11日 福井地裁 平26(ワ)140号)の控訴審判決です。

本事件は、原告が被告会社との間で基本契約を締結し、建築資材であるクロス下地コーナー材の製造を委託していたという経緯があります。 そして、被告会社は、かつて原告から上記基本契約に基づき開示を受け、又は原告の従業員からその守秘義務に違反するなどして開示を受けた原告の営業秘密に当たる技術情報等を用いて、同契約終了後、図利目的で、原告の製品と形状の類似した本件被告製品を製造等したというものです。
原審では、営業秘密の保有者である原告勝訴となり、3億2560万円の損害賠償や原告の営業秘密を用いたクロス下地コーナー材の差し止めが認められました。
これに対して被告が控訴しています。 すなわち、控訴審では、被告が控訴人であり、営業秘密の保有者である原告が被控訴人です。

控訴審では、被告訴人(一審原告)は「別紙対応関係一覧表に記載された被控訴人保有の金型及びサイジングの図面に化体された原判決別紙独自部分一覧表のb1ないしf5の独自部分に係る技術情報も,営業秘密に当たる。」と主張しています。
一方で被控訴人(一審被告)は、「被控訴人主張の独自部分は,被控訴人独自の技術ではなく,常識に基づいて当然に採用されるもので,営業秘密には当たらない(乙58,59参照)。」と主張しています。

これに対して、裁判所は以下のように判断し、被控訴人の主張を否定しました。
❝控訴人らは,被控訴人主張の独自部分については,被控訴人が独自に開発したものではない旨主張するところ,確かに,被控訴人主張の独自部分b1ないしf5(重複あり)については,その旨の記載が専門的な文献にもあること(乙59)に照らすと,原審における証人Jの証言及び意見書(甲90,92)中の被控訴人が独自に開発したものであるとの部分は直ちに採用することができず,被控訴人がこれらを独自に開発したとまでは認め難いものの,少なくとも本件原告製品を製造するために被控訴人によって開発された金型やサイジングであって,コーナー材の製造では,一般的には金型メーカーに発注して,各社がそれぞれ独自の金型及びサイジングを使用していること, 押出成形法に係る経験や製造ノウハウがあっても,金型及びサイジングを開発するノウハウを有していなければコーナー材を製造することはできないことからすると,被控訴人の金型及びサイジングの図面自体についても非公知性があり,有用性があるものとして,本件技術情報に関連付けられた金型及びサイジングの図面それ自体も営業秘密に該当するものと認められる。 ❞
上記のように、裁判所は被控訴人が主張する独自部分は被控訴人が独自に開発したものとは認めがたいと判断しています。
そうすると、被控訴人が営業秘密であると主張する図面の非公知性や有用性も認められないのではと思いますが、そうではなく、図面には金型及びサイジングを開発するノウハウが化体されているとして図面の営業秘密性を認めています。 すなわち、図面の上位概念である独自部分は公知であるが、この独自部分にある程度のノウハウが与えられた図面は非公知であり、有用性も認められるということでしょう。

このことは、筆者の論文である「技術情報が有する効果に基づく裁判所の営業秘密性判断」で論じた図面等の下位概念ほど有用性(又は非公知性)が認められやすいという考察と通じるものがあると思われます。 

ここで、技術情報の上位概念は営業秘密性が認められずに、下位概念の営業秘密性が認められた裁判例として、接触角計算プログラム事件(知財高裁平成28年4月27日判決 平成26年(ネ)第10059号)があります。

この事件では、原告は接触角計算プログラムのアルゴリズムとソースコードについて営業秘密性を主張しました。 これに対して、上位概念であるアルゴリズムについて、裁判所は「原告アルゴリズムの内容の多くは,一般に知られた方法やそれに基づき容易に想起し得るもの,あるいは,格別の技術的な意義を有するとはいえない情報から構成されている」として、その有用性及び非公知性を認めませんでした。 
一方で、下位概念であるソースコードに対して、裁判所は有用性及ぶ非公知性を認め、その営業秘密性を認めました。

このように、同じ技術思想に基づく技術情報であっても図面やソースコードのような下位概念の方が営業秘密性を認められやすいという傾向にあるようです。 技術情報を営業秘密化する場合には、このことを十分に認識し、適切な情報を秘匿化するべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2021年9月5日日曜日

自社製品のリバースエンジニアリングによって喪失される営業秘密としての非公知性

情報が営業秘密として認められるためには秘密管理性、有用性、非公知性の3要件が全て認められなければなりません。特に技術情報を営業秘密として管理する場合には、留意するべき点がいくつかあります。自社製品のリバースエンジニアリングによって非公知性が失われる場合があるということもこの留意点の一つです。

すなわち、技術情報を営業秘密として管理していたものの、この技術情報が使用された自社製品が販売され、リバースエンジニアリングによってこの技術情報の非公知性が喪失し、営業秘密として認められなくなる可能性があります。なお、非公知性の判断の基準時は、情報を営業秘密管理したときではなく、不正行為がおこなわれたときです。このため、上記のような技術情報を営業秘密として管理していても、非公知性が失われた後に持ち出された場合には営業秘密侵害とはなりません。

では、どのようなリバースエンジニアリングによって非公知性が失われたとされる技術情報にはどのようなものがあるのでしょうか?下記の表は、そのような裁判例の一覧です。


ここで、リバースエンジニアリングによっても公知性が失われないとする判断基準は、セラミックコンデンサー事件において「専門家により,多額の費用をかけ,長期間にわたって分析することが必要である」と判示されており、他の裁判でもこの基準が用いられています。

すなわち、下記3つの要件が判断基準とされています。
①特殊な技術を要するかどうか(特殊技術基準)
②相当な期間が必要かどうか(相当期間基準)
③誰でも容易に知ることができるかどうか(情報取得容易性基準)

そして、上記一覧から分かるように、機械系に関する技術情報はリバースエンジニアリングによって公知となったとされる可能性が高いかと思います。
この理由は、当該製品を寸法を測定することにより、技術情報を容易に知り得る場合が多いためです。しかしながら、セラミックコンデンサー事件や半導体封止機械事件では、営業秘密としている図面等の情報量が多く、それをリバースエンエンジニアリングで知り得ることは上記3つの要件を満たさないため、非公知性は喪失していないと判断されました。

また、化学系に関してはあまり裁判例も多くありませんが、日本ペイントデータ流出事件と錫合金組成事件が参考になるでしょう。この2つの事件は、日本ペイントデータ流出事件が非公知、錫合金組成事件が公知とのように真逆の判断となっています。
この理由には、日本ペイントデータ流出事件ではリバースエンジニアリングされる技術情報が塗料を構成する原料及び配合量、より具体的には塗料を構成する樹脂や顔料の原料や配合量であり、この情報をリバースエンジニアリングにより知り得ることはやはり難しい一方、錫合金組成事件では錫器の製造に使用する合金の組成がリバースエンジニアリングされる技術情報であることから、比較的容易に知り得るという判断のようです。
なお、これらの事件では、リバースエンジニアリングに用いられる技術としてXRD(広角X線回析法)やICP発光分光分析法といったような、一見すると特殊な技術が用いられていると思われます。しかしながら、これらの技術は当該分野では一般的な分析技術であり、”特殊”という位置付けではないでしょう。そのように考えると、特殊技術基準はリバースエンジニアリングの対象となる技術情報毎に異なると思われます。すなわち、特殊技術水準は、リバースエンジニアリングの対象となる技術情報において”特殊”であるか否かで判断されると考えられるでしょう。

技術情報を営業秘密管理するか否かは上記のことを考慮するべきであり、自社製品のリバースエンジニアリングによって容易に知り得る技術情報はそもそも営業秘密となり得ないことを正しく認識しなければなりません。したがって、このような技術情報は営業秘密管理を視野に入れずに特許出願してもよいし、自社製品が販売されるまでは営業秘密管理する一方で、販売される直前に特許出願又は実用新案出願することもよいでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年12月13日日曜日

判例紹介:特許権ラインセンスと共に開示した技術情報について

今回は、特許権を他社にライセンスすると共に当該特許権に係る製品を製造するために開示した技術情報の取り扱いについての裁判例(大阪地裁令和1年10月3日判決(平成28年(ワ)3928号))です。

被告は、原告のトランスに係る特許権のライセンス(本件各基本契約)をノウハウ(本件技術情報)の開示と共に受けました。そして、被告は、特許権が消滅したため本件各基本契約は終了し、本件技術情報にはWBトランスを分解すれば誰でも知り得る情報しか含まれておらず、すでに公知であることを理由にロイヤルティの支払を拒む旨を原告に通告しました。

これに対して原告は、被告らは本件技術情報に対するロイヤルティの支払義務を負っているのに、ロイヤルティの支払を予め拒絶しているとして催告を経ず、被告らの債務不履行を理由に本件各基本契約を解除した旨を主張し、ランニングロイヤルティの不払いその他本件各基本契約の債務不履行があったと主張しています。

具体的には原告は、本件技術情報である技術資料中に、トランスの製作品を用いて計測した実測値が記載されており、「WBトランスの設計作業において,最低限,①一次巻数,②二次巻数(一次巻数に特定の数値を乗じた数値),③一次巻線径,④二次巻線径を算出する必要があるところ,これらは,原告から開示された数値(本件技術資料中,電気設計一覧表及び電気設計書に記載。)がなければ被告らにおいて算出することができない」と主張しました。


これに対して裁判所は、以下のように判断しました。
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本件技術資料中の電気設計一覧表及び電気設計書において開示された数値は,試作品における実測値にすぎず,被告らにおいても,独自に計測・算出したり,製造元に問い合わせて確認したり,WBトランスの完成品を用いて測定したりすることが可能であったものであるから,原告からの開示がなければWBトランスの設計・製造が不可能であったものとはいえない。
・・・
コイルボビン及びWBトランスの外径寸法や重量は,パンフレットを参照したり,WBトランスの完成品を測定したりすることにより容易に得られる値である(甲57,乙3)。
巻線計画等についても,原告から開示された数値によらなくても,被告らにおいて,使用するコイルボビンの凹状溝の幅と,選択した銅線の径から巻数を算出し,上記のとおり算出された一次巻数及び二次巻数まで,整列巻で巻き回していくことは可能であると考えられる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして、裁判所は以下のように「まとめ」ています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(イ) ・・・、本件技術情報の開示を受けなければWBトランスを製造することができないといった事情までは認められず,本件技術情報がWBトランスの製造に必須であることを前提に,本件各基本契約の性質を考えることはできない。
(ウ) また,本件技術情報に記載された数値は,物理的に測定したり,計算によって求めることができるものと考えられるから,WBトランスが市場に出回り,リバースエンジニアリングを行って計測等ができるようになった段階で,公知になるといわざるを得ない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このように、裁判所は、特許権のライセンスと共に原告から被告に開示された技術情報は、既に公知である又は製品をリバースエンジニアリングによって知り得る情報であるとして、その営業秘密性を認めず、これにより原告の主張を認めませんでした。

一方で、裁判所は下記のようなことも述べています。
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本件各特許権の明細書等を参照し,流通に置かれたWBトランスに対するリバースエンジニアリングを行ってもなお解明することができず,原告よりその開示を受けない限り,WBトランスの製造はできないというようなノウハウが,本件技術情報に含まれていると認めるべき証拠は提出されていない。
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すなわち、製品のリバースエンジニアリングによってもノウハウが非公知性を喪失せず、当該ノウハウを用いないと製造できないようなノウハウは、特許権が消滅しても保護の対象となり、ロイヤリティの対象となる、ということでしょう。

一般的に、特許権をライセンスする際には、当該特許権に係る製品の製造のためのノウハウも開示することが多いかと思います。
その際、ライセンシーは、開示されたノウハウが一体どのような性質の情報であるのか?もしかしたら、特許権が消滅した後でも、ライセンサーがノウハウに対して継続的にロイヤリティーの支払いを求める可能性が有る情報であるか否かを見極める必要があるかと思います。

また、ライセンサーも同様です。自身が開示するノウハウがどのような性質のものであるかを見極めなければならないでしう。さらに、特許出願の明細書に記載の内容も重要です。特許性が有りそうだからとして、本来開示する必要がない情報(例えば従属項となるような情報)までも開示するよりも、営業秘密として管理する方がよい場合もあるでしょう。技術情報を特許出願をすると公開されるので、再び秘匿化はできません。この認識は強く持つ必要があるかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年9月20日日曜日

判例紹介:日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決 -リバースエンジニアリングー

日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決(名古屋地裁令和2年3月27日 平28(わ)471号 ・ 平28(わ)662号)の続きです。この事件において日本ペイントの営業秘密を持ち出したとされた被告人は、一審地裁判決では懲役2年6月(執行猶予3年)及び罰金120万円となっています。

この事件は、塗料の製造販売等を目的とする当時の日本ペイント株式会社(判決文ではa社)の子会社であるb株式会社の汎用技術部部長等として、被告人が商品開発等の業務に従事していました。そして、被告人は、a社の競合他社である菊水化学工業株式会社(判決文ではc社)にa社の営業秘密を漏えいし、自身もc社の取締役に就任したというものです。なお、被告人は、a社の元執行役員でもあったようです。

本事件において検察官は、本件情報(塗料の原料及び配合量)は塗料製造において重要な漏洩の許されない非公開情報として管理されており、リバースエンジニアリングや特許公報等によっても本件各塗料の具体的な配合情報は特定できないので、本件情報には非公知性が認められる旨主張しました。
一方で、弁護人(被告)は、リバースエンジニアリングにより本件各塗料と同程度の品質が再現できる程度に配合情報を分析できる等を主張し、本件情報には非公知性が認められないと反論しました。

この結論としては、裁判所は本件情報の非公知性を認めています。
理由は以下の通りです。なお、塗料の分析は被告人の転職先であるc社がd社に依頼して行っています。すなわち、c社は原告である検察に対して協力的であったことがうかがわれます。
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塗料を各種の方法で分析すると,塗料を構成する樹脂がどのようなもので構成されているか,塗料を構成する顔料にどのような金属が入っているかなどは分析できるものの,塗料を構成する具体的な原料及び配合量まで特定することは困難である。c社が株式会社d(以下「d社」という。)に対して依頼したc社の塗料「●●」の分析結果をみても,XRD(広角X線回析法)によって明らかになったのは,塗料に含まれる無機成分とその定量値であり,STEM(走査透過電子顕微鏡法)-EDX(エネルギー分散型X線分光法)によって明らかになったのは,塗料中の無機成分の粒子を構成する金属の種類や粒子の大きさであって,これらの結果から塗料の原料及び配合量を具体的に特定することはできない。また,d社が行ったその他の検査,IR(赤外分光光度計による分析),熱分解GC/MS測定及び固体NMR測定によって明らかになったのは,塗料に含まれる樹脂成分を構成するモノマー及びその構成比であり,塗料に含まれる樹脂について,その原料及び配合量が具体的に特定された訳ではない。
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これに対して弁護人は、本件各塗料の配合情報はリバースエンジニアリングによって多額の費用や長時間を要することなく特定が可能であると主張しました。この主張は、営業秘密における非公知性がリバースエンジニアリングによって喪失したか否かの判断基準となっており、当然の主張でしょう。
しかしながら、裁判所は以下のように弁護人の主張を認めませんでした。なお、下記に登場するEはb社の代表取締役であり、Fはc社の元従業員です。
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塗料の分析は,専門的知見を有する者が,相当高額の専門機器を用いて初めて行えるものであり,実際に,c社では,100万円の費用を掛けてd社に分析を依頼している。Fの証言によると,c社では,STEM-EDXの測定や固体NMR測定等においてd社と同レベルの分析は行えないことが認められる上,EとFの証言によると,d社の分析では,樹脂の構成や顔料の成分とその定量値は明らかになったものの,具体的な原料やその配合量までは特定できなかったと認められる。また,d社はXRDの報告書を作成するのに1か月以上の期間を要している。そうすると,リバースエンジニアリングによって本件各塗料の配合情報について具体的な原料やその配合量まで特定することは,不可能とまでは断定できないにしても,そのためには相当高額の費用と相当な期間をかけることが必要であると認められる。したがって,リバースエンジニアリングによっても容易に本件情報を知ることができるとはいえず,本件情報の非公知性は失われない。
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なお、上記に対して弁護人は、塗料の分析に100万円程度の費用を掛けたとしても、a社のような大手の塗料メーカーにとってはそれほど高額ではないとも主張しています。
この主張について、私もリバースエンジニアリングの費用が高額か否かは、リバースエンジニアリングを行う企業規模によってその基準が変わる可能性が有るのではないかとも思っていました。なおa社は、ウィキペディアによると資本金7億3900万円であり、2019年の売上高は646億4400万円であり、100万円の費用は大したことはないとも思えます。

これに対して裁判所は以下のように判断しています。
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本件各塗料の配合情報を特定することが容易かどうかの判断は,c社がd社に支払った費用の金額だけで決まるものではなく,前記のとおり必要な分析に要する費用や期間,労力などを総合的に考慮して判断されるべきである。この点をEらの証言やd社の分析結果等を踏まえて検討すると,前記のとおり,本件情報は容易に知ることができるものとはいえない。
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このように、リバースエンジニアリングが容易であるか否かは実際に支払った費用のみで決まるのではなく、総合的に判断されるものと裁判所は判示しました。
なお上記のように証人の証言でも「樹脂の構成や顔料の成分とその定量値は明らかになったものの、具体的な原料やその配合量までは特定できなかった。」とあります。すなわち、本事件ではリバースエンジニアリングによって塗料の情報の一部は明らかになっておらず、リバースエンジニアリングによる分析結果に基づいて原料や配合量を特定することは不可能ではないとしても、さらなる費用と期間を要することが示唆されています。

物質の組成等を営業秘密とした場合における過去の裁判例としては、錫合金組成事件がありました。この事件では、錫合金の組成がリバースエンジニアリングによって特定できるとしてその非公知性が認められませんでした。
一方で今回の事件では、塗料の組成等がリバースエンジニアリングよっても特定できず、非公知性が認められるというものです。
錫合金は無機材料、塗料は有機材料という違いがあり、リバースエンジニアリングよる組成等の特定の困難さも異なるでしょう。この二つの裁判例から、物質の組成を営業秘密とする場合のリバースエンジニアリングによる非公知性喪失の判断基準がある程度明確になってきたかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年8月30日日曜日

自社技術の公知性管理

自社技術の公知性管理、分かるような分からないタイトルです。
何を言いたいかといいますと、自社技術は何が公知となっているか、換言すると営業秘密でいうところの非公知性を保っている自社技術は何かを正確に把握することです。

案外これを正確に把握している企業は多くはないのでしょうか?
その理由は、自社製品のリバースエンジニアリングによって、自社技術の何が公知となっているかを判断することは難しいと思われるからです。

ここで、特許出願を行う場合、製品化により新規性が失われるので製品化の前に特許出願を行うことが一般的です。そして、特許出願から一年半後に特許公開公報という形で特許出願に係る技術情報は公知となので、特許出願では自社技術の何が公知となっているかは一目瞭然です。

では、営業秘密として管理されている技術情報はどうでしょうか?
営業秘密として管理している技術情報が公知となったか否かも、主に当該技術情報を用いた製品の販売の有無に依存します。このため、自社製品のリバースエンジニアリングによる非公知性喪失の判断基準の理解が必要不可欠となります。


この技術情報の非公知性判断を誤ると、既に公知となっている技術情報であるにもかかわらず、そのような技術情報を秘密であると扱い、その後の判断を誤る可能性が有ります。

例えば、秘密保持契約を締結して他社に開示した技術情報(ノウハウ)です。既に非公知性を失っているにも関わらず、非公知性を有していると誤って判断して開示し、当該技術情報を当該他社が目的外利用したとして裁判を提起した挙句に敗訴してしまうとか・・・。

また、逆の場合もあるでしょう。
本来、営業秘密としての非公知性を喪失していないにもかかわらず、自社製品のリバースエンジニアリングによって非公知性を喪失していると誤った判断を行い、秘密保持契約を締結しないままに当該技術情報を開示してしまうとか・・・。

私は2年前に「リバースエンジニアリングによる営業秘密の非公知性判断と自社製品の営業秘密管理の考察」という形で、リバースエンジニアリングによる非公知性喪失をまとめました。そこで分かったきたことは、機械構造に関する技術情報は自社製品のリバースエンジニアリングにより非公知性が喪失していると判断され易いことです。その理由は「計測すれば比較的簡易にわかる」とうことです。

また、合金の組成に関しても分析により非公知性が喪失していると判断された裁判例がありました。しかしながら、物質の組成に関する裁判所の非公知性判断は未だ多くはありません。このため、どのような物質の組成が製品化のリバースエンジニアリングにより非公知性を喪失するか否かは、裁判所の判断からは一律には分かりません。
そうすると、やはり自社でその判断を行う必要があるでしょう。少ない裁判例を拠り所とするものの、当該物質に対する分析手法を理解し、その分析手法によって非公知性を喪失しているといえるか否かを判断する必要があるでしょう。

そして、その結果に応じて当該技術情報を営業秘密として管理するか否か?それとも製品化の前に特許出願をするのか?あるいは、敢えて自由技術化して他社の使用を促して市場拡大を目指すのか?何が適切な技術情報管理であるか考えどころです。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年8月23日日曜日

営業秘密の特定について 特許庁オープンイノベーションポータルサイトから

特許庁がオープンイノベーションポータルサイトを開設しました。
このオープンイノベーションポータルサイトでは、オープンイノベーションを行うにあたり必要な各種契約書のモデルを開示しています。
このモデル契約書は、オープンイノベーションによってノウハウ(営業秘密)を相手方に開示する場合等に参考になるかと思います。このブログでもオープンイノベーションについて取り上げることが有りますが、オープンイノベーションに限らず、取引先に営業秘密を開示することによって、開示先が営業秘密の目的外使用等を行い、裁判に発展することがあります。そのようなことを未然に防ぐためにも、営業秘密の開示先となる相手方との契約書は大変重要になります。

ここで、営業秘密を開示するために相手方と秘密保持契約を締結する際には、秘密保持の対象とする技術を特定する必要があります。秘密保持の対象を特定しないまま、相手方に営業秘密を開示すると、開示した内容のうちどれが秘密保持の対象であるかを相手方が認識できない可能性が有ります。そうすると、当該営業秘密を相手方が目的外使用したとしても、秘密保持の対象が特定されていないことにより、不法行為とは認められない可能性があります。
このため、秘密保持の対象を特定することは非常に重要です。なお、秘密保持の対象を特定することは、取引先だけでなく従業員に対しても需要なことであり、営業秘密管理の基本といえるでしょう。

この点について、モデル契約書_秘密保持契約書(新素材)の10ページには以下のような記載があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
秘密保持契約締結前に自社が保有していた秘密情報のうち特に重要なものだけでも秘密保持契約の別紙において明確に定めておくことが考えられる。
 ・ これにより、自社の重要な情報を確実に秘密情報として特定できるとともに、上記リスクを回避することができる。なお、秘密保持契約の別紙において定義をする際には、弁理士に対して、特許請求の範囲を記載する要領で作成を依頼することも考えられよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上記下線で示したように、営業秘密を特許請求の範囲を記載する要領で作成することが推奨されています。今までも、営業秘密を特定する場合には、特許請求の範囲のような記載が提案されていましたが、行政による推奨は初めてではないでしょうか。また、その作成を弁理士に依頼することまで言及しています。これは、弁理士の仕事の幅を広げることになるので、我々にとっては好ましい一言でしょう。


「特許請求の範囲」を記載する要領とはいえ、やはり営業秘密を特定するにあたっては3要件を理解する必要があります。
このうち、「秘密管理性」については他社への営業秘密の開示であるので、秘密保持契約がその役割を担うことになるので、営業秘密の特定という点ではさほど強く意識することはないでしょう。一方、「有用性」と「非公知性」については技術情報を営業秘密とする上では、意識する必要があるかと思います。

まず、有用性に関しては、有用性が満たされる程度に技術情報を特定する必要があります。すなわち、あまりにも漠然とした技術情報で営業秘密を特定すると、その有用性に疑義が生じます。特に、その構成から有用性、換言すると効果が理解し難い化学等の分野では、技術情報をどのように特定するかが重要になるかと思います。

また、製品が販売されることによって、それまで営業秘密であった技術情報の「非公知性」が失われることになるかもしれません。すなわち、当該製品のリバースエンジニアリングによって当該技術情報の非公知性が失われる可能性があります。このため、製品化によって非公知性が失われる技術情報と、製品化しても非公知性が失われない技術情報は分けて特定するほうがいいでしょう。
その理由は、一般的な秘密保持契約において、秘密保持の対象となる情報は公知となるとその対象から外れるためです。このモデル契約書にも下記のような条項があり、下記⑤がそれにあたるでしょう。

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2前項の定めにかかわらず、受領者が書面によってその根拠を立証できる場合 に限り、以下の情報は秘密情報の対象外とするものとする。 
① 開示等を受けたときに既に保有していた情報 
② 開示等を受けた後、秘密保持義務を負うことなく第三者から正当に入手した 情報 
③ 開示等を受けた後、相手方から開示等を受けた情報に関係なく独自に取得 し、または創出した情報 
④ 開示等を受けたときに既に公知であった情報 
⑤ 開示等を受けた後、自己の責めに帰し得ない事由により公知となった情報
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もし、非公知性が失われた技術情報と非公知性が失われていない技術情報とを同じ項目で混在させて特定した場合、当該項目が秘密保持の対象となったか否かが不明確となり、トラブルの元になる可能性があります。このため、営業秘密とする技術情報が、製品化により公知となるか否かの把握は重要な作業であると考えます。

オープンイノベーションは、自社にない技術や自社だけでは開拓できない市場を手に入れるチャンスであるため、今後、より高い事業効率を求めるために広まることは間違いないでしょう。
しかしながら、自社の営業秘密(ノウハウ)の相手方への開示は高いリスクを伴う行為です。そのようなリスクをいかに低減するのか、また、営業秘密として守ることができる技術情報と守ることができない技術情報を明確にするためにも営業秘密の特定は重要な作業となります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年5月28日木曜日

-判例紹介ー 取引先に営業秘密を開示したものの、その非公知性が否定された裁判例 その2

前回紹介した、取引先と秘密保持契約を締結して情報を開示したものの、その情報は営業秘密ではないとされた裁判例(東京地裁 令和2年3月19日 平成20年(ワ)23860号)の続きです。
本事件において原告は、シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の原材料として「 東レ(株) DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤 」を用いることを営業秘密であると主張しました。しかしながら、裁判所は当該情報について営業秘密性を認めませんでした。

一方で原告は、さらに、被告が被告製品のPMDA申請に際してシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの端部を丸みを帯びた形状とするという情報を開示した行為が本件秘密保持義務違反に該当するとも主しました。
確かに、秘密保持契約を締結していれば、秘密保持の対象とする情報が営業秘密でなくても、秘密保持契約に違反した使用をしていれば民事的責任を問えるでしょう。しかしながら、これについても下記のように裁判所は認めませんでした。

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皮膚バリア粘着プレートの原材料にシリコーンゲルを用いるという情報が,本件契約前の交渉段階から既に公知の情報であったことは上記(第4の1)認定のとおりである。また,その端部を丸みを帯びた形状とするという点も,絆創膏などの代表的な皮膚保護剤や原告製品に先行して販売されていたシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの形状からも明らかなように,その端部は角張った形状か丸みを帯びた形状の製品が多く(公知の事実及び前記認定事実1(1),シカケアの説明文書においても角を丸くした形でシカケアを切って手術痕等に貼付する方法が説明されていること(前記認定事実1(1)ア)などに照らすと,皮膚バリア粘着プレートの端部を丸みを帯びた形状とするという情報は,本件契約前の交渉段階から既に公知の情報(本件契約の契約書第9条③の4)といえる。そうすると,原告が指摘する情報は,いずれも「相手方の技術上及び取引上の情報」(同契約書第9条①②)に該当するとは認められない。
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ここで、原告と被告とが締結した秘密保持契約は下記のものです。

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第9条(秘密保持義務) 甲(原告)と乙(被告)は、事前に相手方の書面による承諾を得なければ、次の情報を第三者に開示または漏洩してはならない。   
① 本件契約及び個別契約の締結前に行われた交渉の段階において、図面・仕様書・資料・材料・型・設備・見積依頼・口頭の説明、その他により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報。   
② 前項のほか、本件契約及び個別契約により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報   
③ 前項の規定は、次の各号に定める情報には適用しない。 
 1 相手方から知り得た時点で,既に保有している情報 
 2 独自に開発した情報 
 3 秘密保持義務を負うことはなく,第三者から正当に入手した情報 
 4 公知になった情報
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すなわち、裁判所は、秘密保持契約にも「公知となった情報」は秘密保持を適用しないとの規定が設けられているために、公知であるとして営業秘密と認められなかった情報も、秘密保持の対象とはならないと判断しました。

このような事例は、本事件だけではありません。以前に紹介した攪拌造粒機事件があります。
この事件では原告が被告に攪拌造粒機の製造を委託し、秘密保持契約を締結して図面を被告に開示したものの、委託契約が終了した後に被告が当該図面を使用して攪拌造粒機を製造販売したというものです。この事件では、原告製品は所謂リバースエンジニアリンが可能でり非公知性を喪失していることを理由に、裁判所は原告製品図面を営業秘密とは認めませんでした。
そして、原告は、被告による秘密保持契約違反も主張しましたが、この秘密保持契約も公知となった情報を秘密保持の対象から除外する規定が設けられていたために、認められませんでした。

このように、秘密保持契約を締結していても、公知となった情報は秘密保持の対象から除外する等の規定が設けられていれば、非公知性が喪失しているとして営業秘密と認められなかった情報は、秘密保持の対象からも除外されることになります。

これは、特別なことではなく、上記のような除外規定が設けられていれば当然のことです。
今回紹介した事件では、原告は既に非公知性を失っている情報であるにもかかわらず、当該情報が営業秘密のみならず、被告との間で締結した秘密保持の対象になると考えていました。その結果、不要な争いとなってしまいました。
このようなことから、自社が秘密と考える情報は、秘密保持の対象となり得るのかを十分に検討し、相手先と契約を締結する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年5月22日金曜日

-判例紹介ー 取引先に営業秘密を開示したものの、その非公知性が否定された裁判例

今回は、取引先と秘密保持契約を締結して情報を開示したものの、その情報は営業秘密ではないとされた裁判例(東京地裁 令和2年3月19日 平成20年(ワ)23860号)について紹介します。

本事件において、原告と被告は、平成27年10月8日に原告が被告に対して皮膚バリア粘着プレートの製造を委託することなどを定めた製造委託契約(以下「本件契約」という。)を締結しました。
この本件契約の契約書第9条には以下の記載があります。

第9条(秘密保持義務)
甲(原告)と乙(被告)は、事前に相手方の書面による承諾を得なければ、次の情報を第三者に開示または漏洩してはならない。  
① 本件契約及び個別契約の締結前に行われた交渉の段階において、図面・仕様書・資料・材料・型・設備・見積依頼・口頭の説明、その他により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報。   
② 前項のほか、本件契約及び個別契約により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報  
③ 前項の規定は、次の各号に定める情報には適用しない。
    1 相手方から知り得た時点で,既に保有している情報
    2 独自に開発した情報
    3 秘密保持義務を負うことはなく,第三者から正当に入手した情報
    4 公知になった情報

そして、原告は、平成27年11月17日に独立行政法人医薬品医療機器総合機構に対し、皮膚バリア粘着プレート「マムズケア(Mom’s Care)」の一種で、帝王切開用の「マムズケア 16(Mom’s Care 16)」(以下「原告製品」という。)について、医療機器製造販売届(以下「PMDA申請」という。)をしました。また、被告も、平成27年12月28日に被告製品のPMDA申請をしました。

原告は、平成28年1月18日に被告に対し、東レ・ダウコーニング社(訴外東レ)が製造・販売する、粘着面の原材料として記載されている「DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤」(本件東レ製品)を原告製品の粘着面に用いることを提案し、原告と被告は原告製品について、原材料として粘着面に原告が支給する本件東レ製品を使用し、非粘着面に「Mom’s シリコーン」を使用することを合意しました。

なお、原告製品は、皮膚に接する粘着性のあるシリコーン面と、粘着性のない面からなる伸縮性に富んだシリコーンシートであり、帝王切開手術専用の皮膚バリア粘着プレートであり、原告製品は、帝王切開手術の手術痕に貼付することにより皮膚バリアとして外部からの刺激等を和らげるとともに、手術痕が瘢痕やケロイドになるのを予防するものです。

原告は平成28年2月24日から現在に至るまで原告製品を販売し、被告は平成28年2月22日から同年6月20日までの間、本件契約に基づいて原告製品を製造して原告に納品したものの、本件契約は平成28年10月8日に終了しました。

そして、被告は、遅くとも平成29年12月1日には被告製品の販売を開始しました。この被告製品は、粘着性のあるシリコーン面と粘着性のないシリコーン面からなる伸縮性のあるシリコーンシートであり、切開手術、腹腔鏡手術の手術痕などの皮膚部位を保護し、手術痕が肥厚性瘢痕やケロイドになるのを防止する皮膚バリア粘着プレートであり、その粘着面には本件東レ製品が用いられています。



このような経緯の元、本事件において原告は、シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の原材料として「 東レ(株) DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤 」を用いることを営業秘密であると主張しました。
そして、原告は、帝王切開手術の手術痕の保護に適したシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートという原告のアイディアを被告が模倣し、原告製品のPMDA申請から約1か月後に、原告に何らの説明もなく被告製品のPMDA申請をしただけでなく、平成28年8月以降、本件東レ製品を用いて原告製品と同じ形状・サイズの被告製品を製造・販売したことが、被告が「不正の利益を得る目的」(不正競争防止法2条1項7号)をもって本件情報を使用したと主張しました。

 これに対して裁判所は、以下のようにして原告主張の営業秘密の非公知性を否定しました。「手術痕や傷痕を保護するためのシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートが本件契約の数年以上前から複数の会社から製造,販売されていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤の粘着技術が遅くとも平成元年頃からは傷の治療に用いられていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤である本件東レ製品が遅くとも平成20年12月頃には販売され,同時期に発行された業界雑誌において製品の特性等も踏まえて紹介されていたことのほか,訴外東レが,本件東レ製品について,瘢痕治療を含む皮膚への付着を対象とする製品であること及び日本国内だけでなく海外にも広く供給することが可能であることなどを自社のウェブサイトにおいて紹介していることが認められる。
 (2)  以上によれば,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面に本件東レ製品を用いることができるという情報は,平成27年7月までには,広く知られていた情報であったといえる。本件東レ製品はそのような用途で用いられる汎用品であるから,少なくとも,原告が,原告製品の製造等を依頼するためにエフシートを持参して被告を訪問した平成27年7月16日時点において,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の材料として本件東レ製品を用いるという本件情報が非公知の情報であったとは認められない。

一方、原告は、本件東レ製品は医療用に開発された特殊素材の製品で、医療品への使用用途以外にはメーカーに卸してもらえない製品であり、一般に市場に出回っている原材料ではないと主張しました。しかしながら、これに対しても裁判所は、本件東レ製品を使用するのに一定の手続を要したとしてもそれは本件情報の非公知性に影響しないと判断しました。

このように、本事件では、原告が営業秘密であると主張する情報に対する非公知性が否定され、当該情報は営業秘密ではないとされました。
これにより、原告と被告とで締結した秘密保持契約の対象となる情報から、当該情報が除外されることとなります。

次回に続きます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信