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2024年6月18日火曜日

判例紹介:営業秘密を不正に持ち出した転職者個人が負う賠償額

今回紹介する裁判例(東京地裁令和6年4月25日 事件番号:令5(ワ)70462号)は、転職時に営業秘密を不正に持ち出した事例であり、転職者個人が賠償額についてです。

転職者である被告は、平成28年3月に原告に入社し、原告において営業推進部長等の役職を務めていました。しかしながら、令和5年4月30日付けで、「機密情報を複製して社外に持ち出し、意図的に外部に流出させ、その行為が就業規則第42 条(機密保持)に抵触している」ことを処分理由として、原告から懲戒解雇されています。被告は原告から懲戒解雇されているので、おそらく退職金も支払われていないと思います。
なお、原告は、化粧品、健康食品、医薬部外品、日用品雑貨の企画、製造、販売等の事業を営み、米国で酸素系漂白剤「オキシクリーン」ブランドの商品(本件商品)等の製造販売を行うC&D社との間で、日本における本件商品の販売に関する販売代理店契約を結んでいます。

そして、被告は、原告の営業秘密である本件情報(本件商品の原価)を使用してプレゼンテーション資料を令和5年2月25日に作成し、26 日にAREEN 社のB氏に対し送付しました。被告は本件情報に対するアクセス権を有しており、被告は転職先としてAREEN社の内定を得ました。

裁判所は原告の本件情報の営業秘密性を認め、下記のように被告による本件使用行為及び本件開示行為について「不正の利益を得る目的」であると判断しています。
・・・本件プレゼン資料の作成及び開示の時点で被告がAREEN 社の内定を得ていなかった場合、同資料の内容に鑑みると、その作成等は被告の転職活動を有利に進めるために行われたものと理解される。他方、仮に被告が本件プレゼン資料の作成当時既にAREEN 社の内定を得ていたとしても、その時点では被告はいまだ原告の従業員であり、AREEN 社の被告に対する評価を更に高めることにより一層有利な条件で転職することを目的として、本件プレゼン資料の作成等が行われたものとみるのが相当である。
そうすると、本件使用行為及び本件開示行為について、被告は、少なくとも自己の転職活動を有利に進めることを目的としていたものといえることから、「不正の利益を得る目的」を有していたと認められる。これに反する被告の主張は採用できない。

また、裁判所は、被告による本件取得行為に係る故意も認め、その損害額について以下のように判断しています。
(1) 証拠(掲記のもの)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告の不正競争により、被告が取得した情報の解析のため、被告のUSB メモリのデータ復旧作業を実施し、その費用として合計24 万2000 円(税込)を支払ったこと(甲40)、C&D社に対し、本件に関する事実経緯及び再発防止策等についての報告を行ったこと(甲16)、本件に関し、弁護士に対し、合計2200 万円(内訳は事実関係の調査費用につき400 万円、警察署相談対応につき100 万円、訴訟対応につき1500 万円及び消費税200 万円)の支払を約し、令和5 年11 月末日までに合計1927 万3650 円を支払ったこと(甲41~43)が認められる。
また、C&D社に対する上記報告に伴い、原告は、C&D社との関係で、製品の原価情報という取引上重要な情報の管理体制等につき疑念を抱かせることとなり、その信用が損なわれたものとみるのが相当である。
(2) 上記認定事実を踏まえつつ、本件事案の性質・内容・緊急性、調査の経過、民事訴訟対応につき訴訟代理人弁護士に委任せざるを得なかったことその他本件に表れた一切の事情に鑑みれば、弁護士費用相当損害を含め合計300 万円(うち、信用毀損に係る損害額は100 万円)をもって、本件不法行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。これに反する原告の主張は採用できない。
本事件は、被告が原告の営業秘密を使用して作成した資料を第三者に送付したものの、それによる損害は認めていません。一方で、被告の行為に対する対応費用として1927 万3650 円を支払ったことは認めています。そして、最終的に裁判所は、原告の損害額として弁護士費用を含めた300万円を認めました。
すなわち、被告は原告の営業秘密を不正使用したことによって、懲戒解雇されたうえで、300万円を原告に支払う事態となりました。

他に被告が原告会社の営業秘密を不正に持ち出して転職したとして、原告会社が被告に損害賠償を求めた事件として、アルミナ繊維事件(大阪地裁平成29年10月19日判決 事件番号:平成27年(ワ)第4169号、大阪高裁平成30年5月11日 事件番号:平29(ネ)2772号)があります。この事件では、原告会社が被告に対して損害賠償として弁護士費用1,200万円を請求し、判決では弁護士費用相当の損害額として500万円が認められています。なお、アルミナ繊維事件でも、被告は原告会社を懲戒解雇となっており、退職金が支給されておりません。

また、原告が保有する営業秘密である本件生産菌(コエンザイムQ10)を被告が退職時に持ち出して、被告が設立した企業の代表取締役となった生産菌製造ノウハウ事件(東京地裁平成22年4月28日判決 事件番号:平成18年(ワ)第29160号)では、被告による営業秘密の持ち出し等が原告の就業規則に記載されている原告に対する背信行為であるとして、裁判所が被告に対して原告拠出の退職金の一部(2239万6000円)の返還義務があるとしています。

このように、営業秘密の不正な持ち出したが発覚した場合には、懲戒解雇となって退職金が不支給となり、さらに数百万円の損害賠償を負う可能性や、退職金が支給されてもその後に返還義務を負う可能性があります。
このような可能性を考えると、転職時に営業秘密を不正に持ち出すことは、金銭的なリスクも相当高く、通常の転職によりこれを超えるリターンがあるとは考え難いので、”賢い”行為であるとは思えません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年6月10日月曜日

判例紹介:「営業秘密」と「重大な機密」の違い

「営業秘密」には「企業秘密」や「機密」といったような意味が似通った文言があります。
これらの文言の大きな違いは「営業秘密」は不正競争防止法第2条第6項で規定されている一方、「企業秘密」や「機密」という文言は法的には何ら規定されていないということでしょう。

今回紹介する裁判例(東京地裁令和5年5月24日 事件番号:令3(ワ)5200号)は、被告会社の経理部長代理であった原告が被告会社の営業秘密(本件持出データ)を複製、漏洩したこと等を理由として、自宅待機の後に懲戒解雇され、賞与や退職金を支給されなかったこと等に関し、原告が被告会社に対して自宅待機中の賃金や退職金等を請求したものです。すなわち、原告が被告会社の情報を持ち出しています。

本事件は、営業秘密や機密の解釈に関して、下記の被告会社の就業規則60条4項7号、60条3項1号の該当性について争っています。
就業規則60条
 次の各号のいずれかに該当する場合は、諭旨解雇または懲戒解雇に処する。
3項 情報管理および関連機器に関する違反    
 1号 機密保持義務に違反し、会社の重大な機密を社外に漏らしたとき、あるいは漏らそうとしたとき、または自社および他社の重大な機密を不正に入手したとき
4項 風紀・秩序維持に関する違反
 7号 刑法その他、刑罰法規の各規定に違反する行為を行い、その犯罪事実が明らかになったとき
まず、就業規則60条4項7号の該当性について、被告会社は以下のように主張しています。
本件持出データには営業秘密が含まれており、原告がBに提供する又は転職先での手元資料とする目的でこれを複製したことは不正競争防止法の刑事罰の対象となる行為であるから、本件持出行為は同号に該当する。
これに対して原告は以下のように主張しています。
仮に本件持出データに被告が主張するデータが含まれていたとしても、当該データに秘密管理性、有用性がない以上は不正競争防止法の定める営業秘密とはいえず、本件データの複製は犯罪を構成しない。よって、本件持出行為は同号に該当しない。
そして就業規則60条4項7号に該当するためには、原告が持ち出した本件データがそもそも営業秘密でなければならないでしょう。このため、裁判所は本件データのを営業秘密性(秘密管理性)を判断することで、就業規則60条4項7号に該当性について以下のように判断しています。
本件データである約8000件のファイルは、経理部のフォルダ内に設けられたサブフォルダ内に一定の分類基準に従って配置されていたところ・・・、当該サブフォルダ又は分類基準において、「社外秘」などの表題が付けられて秘密情報である旨が表示されて管理されていたものはない(乙4。ファイルにパスワードが設定されていたものはあるが(乙4[34])、同一フォルダ内にパスワードが記載されたファイルが存在しており、このような管理状態では秘密情報である旨が表示されているとは評価できない。また、事業収支計画書(乙26の2)の右上に小さく【社外秘】との表示があったことが認められるが、事業収支計画書は約8000件のファイルの中のごく一部に雑然と配置されており、当該表示もファイルを開かないと分からないものであるから、当該表示があるとしても、8000件以上のファイルが存在する経理部フォルダの中で明確に秘密情報である旨が表示されて管理されていたとは評価できない。)。
被告は、情報の名称及び内容自体から営業秘密であることが認識可能である旨主張するが、本件データの一覧(乙4)によっても、どの情報が秘密情報であるのかを認識することができない以上は、秘密情報であることを認識し得る程度に管理されているとはいえない。被告は、他にも①フォルダへのアクセス制限の存在、②情報持出の制限の周知、③被告社内、経理財務部への入室制限措置、④業務用端末へのパスワード設定等の事情、⑤原告自身が作成したフォルダの中から複製するファイルを選別しており、持ち出し自体がいけないことであることを認識していたことを主張するものの、上記判断を左右しない。
以上によれば、本件データについては、秘密管理性を満たすとはいえないから、その中に営業秘密が含まれているとはいえない。したがって、本件持出行為が就業規則60条4項7号に該当するとはいえない。
このように裁判所は、本件データに対して秘密管理性の判断を行い、本件データは秘密管理性を満たさないことから本件データは営業秘密が含まれていないと判断しています。そして、本件データが営業秘密でないことから、原告による本件データの持ち出しは「刑法その他、刑罰法規の各規定に違反する行為」ではないため、本件持出行為が就業規則60条4項7号に該当しないと裁判所は判断してます。
確かに、原告が持ち出した本件データが営業秘密でなければ、不正競争防止法の刑事罰(21条)に規定されているような違法行為ではないため、就業規則60条4項7号に該当しないという裁判所の判断は妥当でしょう。


では、「会社の重大な機密を社外に漏らしたとき」とある60条3項1号の該当性についてはどうでしょうか。原告は「「重大な機密」とは営業秘密と同義に解すべきであり、本件持出データが営業秘密に該当しない以上は、当該データは会社の「重大な機密」に該当しない。」とのように主張しています。

一方で、被告会社は以下のように主張しています。
同号にいう「重大な機密」とは、会社にとって重要であり、かつ、守秘義務を負わない者に開示することが予定されていない情報を意味することは一義的に明白であり、本件持出データはそのような情報であるから、同号の「重大な機密」に該当する。原告は、Bに対し、継続的に社内の情報を漏らし、本件持出行為後も社内の情報を提供していたのであるから、原告は機密保持義務に違反し、会社の重大な機密を漏らそうとしていたといえる。よって、本件持出行為は同号に該当する。
これに対して裁判所は以下のように判断しています。
原告は、「重大な機密」の定義がない以上は、これを不正競争防止法の営業秘密と同義と解すべきである等と主張するが、不正競争防止法の営業秘密については刑事罰も含めた規制がされているため、その範囲は限定的に解すべきであるのに対し、従業員が就業規則により又は雇用契約上の付随義務として負っている秘密保持義務の対象となる秘密に関しては、そこまで限定的に解する必要はない。本件持出データの内容は被告の事業にとって極めて重要な情報を含んでいたことからすると、「重大な機密」の定義が何かを問題にすることなく、当該データは同号に定める「重大な機密」に該当するといえるのであって、そのように解したとしても懲戒事由の明定が要求される趣旨には反しないし、労働契約法7条の合理性を肯定できるというべきである。
原告は、Bは守秘義務を負っており、被告の不利益にデータを活用するおそれがないとも主張するが、Bは、単に前の社長に過ぎず、当時被告との間で顧問契約等を締結していたわけではないから、業務に関する相談を受ける立場にはなく、また原告もBに相談することについて上司に確認をしていないのであるから(原告本人[26、27]、証人C[9])、社外に漏洩したことに変わりはなく、上記判断を左右しない。
上記のように、裁判所は「重大な機密」の解釈を「営業秘密」と同じとしておらず、「重大な機密」は「事業にとって極めて重要な情報」とのように広く解釈していると考えられます。
そもそも、企業が保有しているデータの多くは秘密管理されていません。にもかかわらず、就業規則にある「重大な機密」や「機密データ」を営業秘密と同じように解釈してしまうと、企業が保有するデータを従業員が許可なく持ち出したとしても、その行為のほとんどは何ら咎められないことになってしまうでしょう。さらにいうと、被告会社は、原告に対する処分を営業秘密侵害に基づくものではなく、就業規則違反に基づくものとしているので「重大な機密」を「営業秘密」と解釈する必要性はないと思えます。
一方で、上述のように就業規則60条4項7号の該当性については「刑罰法規の各規定に違反する行為」とあるので、被告会社が保有する本件データの営業秘密性は判断されて然るべきでしょう。このように、同じ就業規則に含まれる規定であっても、就業規則違反とするデータの解釈は異なって当然かと思います。

なお、本事件は、「原告に懲戒解雇に相当する事由があったのであるから、被告が、原告は経理財務の管理者として根本的な資質を欠いており、会社に対して貢献したと認められないと判断し、賞与を支給しなかったことは不法行為を構成するとはいえない。」として原告の請求を全て棄却しています。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年1月18日木曜日

判例紹介:従業員が会社に秘密保持誓約書を提出しなくても秘密管理性が認められた事例

所属している会社から秘密保持誓約書の提出を求められる場合があるかと思いますが、秘密保持誓約書を提出しなければ、会社の営業秘密を持ち出しても大丈夫なのでしょうか。
東京地裁平成14年12月26日中間判決(事件番号:平12(ワ)22457号)はこのような事例について争った裁判例です。

本事件は、人材派遣事業等を行う原告会社の元従業員であった被告A及びBが人材派遣事業等を行う被告会社を設立し、被告A及びBが原告の営業秘密である派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報を被告会社に不正に開示したというものです。なお,被告A及びBは各々、原告会社の取締役営業副部長、原告会社の取締役営業部長でした。

まず、裁判所は、派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報が原告会社においてコンピュータとスタッフカード(帳簿)によって管理されており,その両方において下記のように秘密管理性を認めました。
本件においては,上記ア(ア)~(ウ)に認定のとおり,派遣スタッフ及び派遣先の事業所の情報が様々な形態で存在するが,このうち,上記情報のコンピュータにおける管理状況は,ア(ア)に認定したように,秘密であることの認識及びアクセス制限のいずれの点でも,秘密管理性の要件を満たすものと認められる。・・・
これらのスタッフカードについては,利用の必要のある都度,コーディネータあるいは営業課員により複写機でコピーが作成されて,営業課員がこれを持ち歩くこともあったというのであるが,これらのコピーの作成とその利用は,スタッフカードのうちの数名分について一時的に行うものであって,・・・,業務の必要上やむを得ない利用形態と認めることができる。また,営業課員が自分の手帳等に自己の担当する派遣スタッフや派遣先事業所に関する情報を転記して携帯していたことも認められるが,・・・,その必要上やむを得ない利用形態と認められる。他方,前記ア(エ)において認定したとおり,原告会社では,派遣スタッフや派遣先事業所の情報の重要性やこれらを漏洩してはならないことを研修等を通じて従業員に周知させていたうえ,該当部署の従業員一般との間に秘密保持契約を締結して秘密の保持に留意していたものである。

一方で被告A及びBは、原告会社から求められた秘密保持誓約書を提出していませんでした。このため、被告A及びBは、原告会社が一部の従業員から秘密保持誓約書を徴していたとしても、派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報を秘密と認識できた根拠とはならない、とのように主張しました。被告A及びBが秘密保持誓約書を提出しなかった点に関して、裁判所は下記のように判断しました。
なお,被告B及び被告Aは,誓約書を差し入れていないが,他の従業員との間に秘密保持契約を締結した当時,被告Bら両名は既に取締役であったためにたまたま誓約書を差し入れていないというにすぎず,上記情報の重要さについては一般の従業員以上に知悉していたというべきであるから,このことをもって秘密として管理されていないとはいえない。
そして裁判所は、原告会社が保有する営業秘密を被告A及びBが使用して被告会社に開示した行為、及び被告会社が被告A及びBから各情報の開示を受け、これを取得して使用した行為はいずれも不正競争行為に該当すると判断しました。

本事件では、被告A及びBが秘密保持誓約書を提出していなかったものの、原告会社に所属していたときの被告A及びBの役職(取締役営業副部長又は取締役営業部長)も考慮にいれて、被告A及びBは原告会社が保有する派遣スタッフ等に関する情報が秘密であると認識できたと裁判所は判断しています。

このように,営業秘密とする情報に対する秘密管理措置が適切であれば,秘密保持誓約書を提出しなかったことをもって秘密の認識が否定されることはないと考えられます。一方で、下記のブログ記事で紹介したように、秘密保持誓約書の提出を拒否しても、会社が情報の秘密管理をしていなければ、当然、当該情報は営業秘密とは認められません。すなわち、情報の秘密管理性は、当該情報に対する秘密管理措置の実態に基づいて判断され、秘密保持誓約書のみをもって秘密管理性が認められる可能性は低いでしょう。


弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年12月26日火曜日

判例紹介:元勤務先企業の立場で秘密管理の認識が異なる?

所属している会社が従業員に秘密保持誓約書の提出を求める場合は少なからずあると思います。今回紹介する裁判例(東京地裁平成14年12月26日中間判決 東京地裁平成15年11月13日判決 事件番号:平12(ワ)22457号)は、そのような誓約書を提出しなかったことを持って被告が秘密管理性を否定する主張を行った事件です。

本事件は、原告会社及び被告会社共に一般労働者(人材)派遣事業等を主たる営業目的として設立された株式会社です。被告会社は、原告の取締役営業副本部長の地位にあった被告Bが設立して設立と同時に代表取締役に就任し、原告の取締役営業部長であった被告Aは被告会社営業部長に就任しています。
そして、原告会社は、原告の営業秘密である派遣労働者の雇用契約に関する情報及び派遣先の事業所に関する情報を、被告B及び被告Aが不正の目的で使用あるいは被告会社に開示したと主張しました。

本事件において、原告は被告は原告の各種情報の秘密管理性に対する否定において、原告が従業員に求めていた秘密保持の誓約書について下記のように主張しています。
エ 誓約書について
 原告会社は、従業員全員から誓約書を徴していたことをもって、秘密として管理していたことの根拠の一つとしているようであるが、甲61の誓約書の束に被告小野及び被告大湊のものがないことから、少なくとも被告小野ら両名が誓約書を提出していなかったことは明らかである。このように、従業員全員が誓約書を提出していたわけでないから、一部の従業員から誓約書を徴していたとしても、被告小野ら両名が当該情報を秘密と認識できた根拠とはならない。

そして、裁判所は原告会社の派遣スタッフ名簿と被告会社の派遣スタッフ名簿との記載内容について以下のように認めています。
これらを比較すると、まず、被告会社の別紙「日本人材サービス株式会社登録派遣スタッフ名簿」は、4頁からなり、被告会社への登録順に第1頁~第3頁に各頁62名、第4頁に34名の合計220名の派遣スタッフの氏名等が記載されているところ、このうち原告会社の名簿にも登録されていた者は、第1頁に47名、第2頁に22名、第3頁に5名(第4頁は0名)の合計74名である。このように、始めに近い頁ほど重複者が多い、すなわち被告会社に初期に登録した者ほど重複が多いのは、被告会社が設立当初は、原告会社に登録していた派遣スタッフを移籍ないし重複登録させることで自己の派遣スタッフを集め、その後事業の進展とともに、徐々に原告会社と関わりのない新たな派遣スタッフを募集したためと認められる。
また、上記によれば、被告会社の派遣先の事業所は全部で26社であるところ、うち原告会社の派遣先と重複しているものは23社に及んでいる。
さらに、裁判所は、原告による「派遣スタッフ及び派遣先の事業所の情報」の秘密管理性について、コンピュータによる管理とスタッフカード(帳簿)による管理の両方に対して、その秘密管理性を認め、被告が主張する誓約書については以下のように判断しました。
なお、被告B及び被告Aは、誓約書を差し入れていないが、他の従業員との間に秘密保持契約を締結した当時、被告Bら両名は既に取締役であったためにたまたま誓約書を差し入れていないというにすぎず、上記情報の重要さについては一般の従業員以上に知悉していたというべきであるから、このことをもって秘密として管理されていないとはいえない。
このように、営業秘密とする情報に対する秘密管理措置が適切であれば、秘密保持の誓約書等を提出しなかったからといって、非提出者に対する秘密の認識が否定されることはありません。さらに、本事件では、原告会社に所属していたときの被告A,Bの役職も考慮にいれて裁判所は判断しているようです。
なお、本事件では、被告らは各自6269万円の損害金を原告に支払え、という判決となっています。

本事件からわかることは、秘密保持の誓約書等の提出の有無にかかわらず、営業秘密とする情報の秘密管理措置の実態を鑑みて、当該情報の秘密管理性が判断されるということです。
すなわち、会社が従業員に対して秘密保持の誓約書等を提出させていたとしても、秘密管理措置が適切でなければ当該情報の秘密管理性は認められません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年11月9日木曜日

判例紹介:「営業秘密の不正使用」という虚偽の流布

今回紹介する裁判例(東京地裁令和5年3月23日判決 事件番号:令3(ワ)7624号)は、被告が取引先等に対して原告会社が被告の製品を模倣した製品を販売するという虚偽の事実を流布したとして、原告が被告に謝罪広告文の掲載や損害賠償を請求したものです。

原告会社は、被告の取締役であった原告Bが代表取締役を務め、硬度計等の工業用試験機の開発、販売等をおこなっており、被告とは競争関係にあります。そして、原告会社は、自社製品のラインナップの一部として台湾企業であるKYF社から同社製品の硬度計を輸入販売しようとしていたところ、被告が原告に対して警告文を送りました。
警告文の内容は、KYF社が違法にコピーした被告の硬度計と酷似の硬度計の輸入販売を行うことは不正競争防止法に違反するとのようなものです。
さらに、被告は、1000社を下らない取引先に対して「上記の様な事情・経緯をご賢察の上、今後Bより取引の依頼等ございましたら、何卒適切にご対処頂きますよう、切にお願いする次第です。」とのような文章を電子メールに添付して送付しました。

そして、被告は、本裁判において下記のように主張しましたが、被告の主張を裁判所は認めることなく原告が勝訴し、被告に対して原告会社への770万円の支払い等を命じています。
KYF社製の硬度計は、被告がKYF社に示した営業秘密である被告製品情報を使用して製造された物であるから、不正の利益を得る目的等によりこれを使用したKYF社による製造行為は不競法2条1項7号の不正競争に当たり、原告会社がKYF社製の硬度計を輸入する行為は同項10号の不正競争に当たる。本件文書はこの事実を摘示したものであり、虚偽の事実の流布には当たらない。
なお、裁判所は「原告会社が輸入販売しようとしたKYF社の製品が被告製品情報を使用して製造された物であると認めるに足りる証拠はない。」とのように不法行為が確認されなかったことを明確に述べています。


そもそも他社が自社の営業秘密を不正に使用しているとの文章を取引先に送付することに意味があるのか疑問に思います。
このような文章が送付された取引先は、本当に営業秘密が不正使用されたことを確認することはできません。どのような技術情報が営業秘密であるかを知る術がないからです。また、仮に営業秘密とする技術情報を取引先が知った時点で、当該技術情報は公知となり営業秘密ではなくなります。そのような事態は営業秘密の保有企業が最も望まない事態でしょう。そして、本事件のように、虚偽の流布となれば自社が大きな損害を負うこととなります。

また、本事件では、被告が主張する被告製品情報の秘密管理性も認められていません。被告は、被告製品の秘密管理性について複数の主張を行っていますが、その全てが裁判所によって否定されています。
そのなかで、被告が定めた秘密区分規定に基づく主張があります。それに基づく被告の主張は以下のようなものです。
被告は、社内文書に関する秘密区分規定(以下「被告規定」という。)において、技術的ノウハウを具体的に示したものは社長の許可なく社外に提示してはならない秘密に当たると定めている。被告製品情報1は、成文化こそされていないが、技術的ノウハウに相当する情報であるから、被告規定に照らし、被告製品情報1が秘密として管理されていることは被告従業員にとって明らかであった。
これに対して、裁判所は「被告が被告規定を従業員に周知していたことを示す的確な証拠は見当たらない。」と認定したうえで、下記のようにも述べています。
仮に被告が被告規定を従業員に周知していたとしても、証拠(乙14)によれば、被告規定の適用範囲が「当社で発行および受領する文書」に限られること(1項)、社外秘扱いの対象となる情報は「技術的ノウハウを具体的に示したもの」であること(2項2)が明記されている。そうすると、成文化されていない調整方法である被告製品情報1は、これに当たらないこととなる。そのため、被告製品情報1については、これに接した被告従業員が被告規定に照らして秘密として管理されていると認識できたとはいえない。
裁判所が述べているように、企業が従業員に対して規定(就業規則等)を定め、その中でどのような情報を秘密とするかを定めているのであれば、企業はそれを守らなければなりません。そうしないと、裁判所が述べているように従業員が秘密として管理されていることを認識できないためです。
企業が就業規則等の規定を無視して、所定の情報を一方的に営業秘密であると主張することは本事件のように認められることはないため、企業が就業規則等の定めに従って秘密管理を行う必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年6月25日日曜日

判例紹介:退職時の秘密保持誓約(合意の拒否)

近年、従業員の退職時に秘密保持誓約書への合意(サイン)を求める場合が多くなっているようです。しかしながら、本ブログでも度々述べているように、営業秘密とする情報に対して秘密管理措置の実態が伴っていなければ、秘密保持誓約書をもって秘密管理性が認められる可能性は低いと思われます。また、退職者が秘密保持誓約書の合意を拒否したとしても、それは情報の秘密管理性とは関係がありません。

今回は、退職時に秘密保持誓約書の作成を退職者から拒否された裁判例(大阪地裁令和5年4月17日 事件番号:令3(ワ)11560号)を紹介します。
本事件は、被告P2が被告P1の指示の下、被告が原告の契約するクラウドに記録されていた営業秘密である取引先及び取引内容に係る情報(本件情報)を窃取して被告会社に開示した等を原告が主張した事件です。なお、被告P1,P2は共に元原告の従業員です。
被告P1,P2は、原告への入社時に秘密保持義務が記載された誓約書を締結した一方で、退職する際に誓約書を締結するよう原告から求められたものの拒絶しています。

なお、本件情報が記載されたファイルや書面には営業秘密である旨の表示がなく、ファイルにはパスワード等のアクセス制限措置が施されておらず、原告の全従業員がアクセス可能なクラウドに保存されていました。このような管理に対して裁判所は、適切に秘密として管理されていたとはいえず、また、秘密として管理されていると客観的に認識可能な状態にあったとはいえない、と裁判所は判断しています。


そして、入社時の誓約書を用いた秘密管理性の有無について、裁判所は以下のように判断しています。
❝③通信・運用管理規程や入社時の誓約書には、本件情報1及び2を営業秘密として管理する旨の記載はなく、他人の個人情報をみだりに開示しないことと他人の個人情報が原告の営業秘密であることとは関係がない。❞
さらに、退職時に要求した誓約書について、裁判所は以下のように判断しています。
❝④原告が被告P1及び被告P2の退職時に要求した誓約書は、原告の事業に関する価格、取引情報のみならず、商品、サービス、財務、人事等に関する広範な情報を秘密情報とし、理由の如何を問わず、自己又は第三者のために開示、使用することを無期限に禁じ、退職後、2年間もの間、競合企業への就職等を一切禁止する内容であり(甲37)、仮に合意されたとしても明らかに公序良俗に反し無効なものであり、被告P1及び被告P2がこれを拒否するのは当然であって、むしろ、原告において本件情報1及び2を適切に営業秘密として管理していなかったことを窺わせる事情といえる。❞
このように、誓約書に対しては、本件情報を営業秘密とすることを記載したものではなく、包括的なものであるとして、誓約書によっても本件情報の秘密管理性は認められないと判断しています。
特に、退職時に要求した誓約書に対する合意の拒絶が被告P1,P2にとって不利となるようなこともなく、裁判所は❝仮に合意されたとしても明らかに公序良俗に反し無効である❞とまで認定しています。

以上のように、情報に対する秘密管理措置の実態が伴っていなければ、従業員等との間で包括的な秘密保持誓約書等を締結していても、この誓約書には秘密管理措置としての意味はありません。また、秘密管理措置の実態がなければ秘密保持誓約書の合意を退職者が拒絶したとしても、それによって退職者が不利となることはないでしょう。

秘密保持誓約書のみならず就業規則等は、主に包括的な秘密保持義務を従業員等に課すものです。このため、それのみで秘密管理措置と認められる可能性は低く、裁判においてはあくまで秘密管理措置の主張を補強する程度のものと考えるべきでしょう。
なお、仮に秘密保持誓約書の合意を拒絶したとしても、営業秘密を不正に持ち出して使用等したら、それは営業秘密侵害となります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年4月10日月曜日

判例紹介:営業秘密の管理規定と秘密管理性

秘密管理規定を定めている企業は少なからずあるかと思いますが、秘密管理規定に規定されていない方法(主張)による秘密管理性は認められるのでしょうか。
今回は、このような裁判例(東京地裁令和4年8月9日判決 事件番号:令3(ワ)9317号)について紹介します。本事件は、知財高裁(知財高裁令和5年2月21日判決 事件番号:令4(ネ)10088号)でも争われましたが、地裁及び知財高裁共に一審原告の敗訴となっています。なお、下記の内容は、主に地裁の判決文を参照しています。

本事件は、原告の従業員であったBが被告Aが設立した被告会社に転職した際に、Bが作成した本件データを被告会社に持ち出したというものです。被告Aは、原告の元代表取締役でもあり、その後に被告会社を設立しています。

まず、裁判所は、本件データはその内容がウェブで公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであり、そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかった、と判断しています。このため、本件データと実質的に同一である被告ら作成データも営業秘密に該当するものとはいえない、とされています。
このように、原告が営業秘密であると主張する本件データは、Bによって持ち出して被告会社で使用等されたようですが、営業秘密ではないとされています。

本件データに関しては、裁判所において営業秘密ではないと判断されていますが、その裁判の過程で当然、原告は秘密管理性についても主張しており、下記がその主張内容です。
❝原告は、フォルダ構成図(甲16)を提出した上で、本件データが格納されたフォルダへのアクセス及び変更の権限はBを含むIT担当者3名のみが有し、アクセス及び参照の権限は経営会議の構成員のみが有していたのであり、情報管理規程(甲17)等においても、秘密情報の漏洩を禁じていたなどと主張する。❞
これに対して、裁判所は以下のように原告の主張を認めませんでした。
❝上記フォルダ構成図は、平成30年2月27日に作成されたものであり、Bが被告Aに対して被告ら作成データを送信した平成30年1月22日よりも後に作成されたものであることからすると、「AI」フォルダにアクセス権限や閲覧制限を個別に設定しなかったとするBの陳述の信用性を直ちに覆すものとはいえない。仮に、原告の主張を前提としても、前記認定事実⑷ア及びイの原告の在籍状況等を踏まえると、相当数の者が本件データにアクセスすることができたと認められる上、そもそも、本件データには個別のパスワードが設定されず、しかも、「機密情報」、「confidential」という記載もなかったのであるから、客観的にみて、本件データの内容に照らしても、本件データにアクセスした者において当該情報が秘密情報であることを認識できなかったことが認められる。❞

また、原告は、上記のように情報管理規定を定めており、この9条3項には下記のように規定されています。
❝第9条(秘密情報の保管)
 3 電子データの秘密情報は、サーバに保存し、アクセス権者以外の者がアクセスできないようにフォルダ・ファイルにパスワードによるアクセス制限をかけなければならない。❞
裁判所は、このような規定があるにもかかわらず、❝本件データには、そもそもパスワードが設定されていなかったことが認められるのであるから、上記情報管理規程を前提としても、本件データが原告において秘密として管理されている情報であると認められないことは、明らかである。❞とも判断しています。

このような、情報管理規定との兼ね合いから秘密管理性を否定した裁判所の判断は、当然とも思われますが、この判断は秘密管理性について重要なことを示唆しています。
すなわち、秘密情報を何とするかを規定した秘密管理規定を会社が定めていたならば、会社もそれに縛られるということです。
今回の例のように、電子データの秘密情報には❝アクセス制限をかけなければならない❞と規定したのであれば、アクセス制限をかけていない情報を営業秘密であると主張することは難しいということです。

そもそも、営業秘密とする情報に秘密管理性が必要とされる理由は、営業秘密保有企業の秘密管理意思が従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思を従業員等に認識させるためです。
このために、情報管理規定において、秘密情報に対してアクセス制限をかけるといった方策を従業員に示し、それを会社がそれを実行することで従業員に当該情報が営業秘密であることを認識させます。それにもかかわらず、情報管理規定で規定していない方法によって、当該情報を営業秘密であると会社が主張しても、従業員は当該情報が営業秘密であると認識できません。このため、会社側がこのような方法による秘密管理性を主張したとしても、それは認められないこととなります。

このように、秘密情報管理規定等によって、秘密情報の管理方法を規定しているのであれば、従業員だけでなく会社も当然この管理方法を守る必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年10月17日月曜日

退職時における秘密保持誓約書の効果

近年、自社の企業秘密(営業秘密)を持ち出さないように、退職者に対して秘密保持誓約書へのサインを求める企業が増え、世間一般として、これが奨励されているようにも思えます。
しかしながら、秘密保持誓約書にサインをしても営業秘密を持ち出す退職者もいることから、秘密保持誓約書へサインさせたからといって、自社の営業秘密を守れるとは限りません。また、秘密保持誓約書にサインをさせたからといって、自社が保有している情報が全て営業秘密になるわけではありません。

まず、秘密保持誓約書にサインをしても営業秘密を持ち出す退職者についてです。
このような退職者は、営業秘密に対する認識が甘いと考えられます。
すなわち、営業秘密を持ち出したとしても、それは今後の勉強のためであり、また、自身は転職先でも社長等の重要な役職者にはならないため、さほど問題ではないだとうとのような認識です。しかしながら、不正の利益を得る目的で営業秘密を持ち出したら刑事罰の対象になり得るので、役職には関係なく、また、転職時に持ち出したとなれば「不正の利益を得る目的」と判断される可能性が高いです。その結果、逮捕となり得ます。

ではこのような認識を改めさせるためにどうすればよいのか?
それは、秘密保税誓約書にサインを求める際に、退職時に営業秘密を持ち出すと刑事罰の対象となることを説明し、もし営業秘密の持ち出しがあった場合に、自社は刑事告訴を行うとのこと退職者に対して明確に示すことでしょう。また、退職者が既に営業秘密を持ち出しているのであれば、速やかにそのことを申し出ることも付け加えたほうが良いかと思います。
営業秘密を持ち出す人の多くは悪人ではなく、昨日まで一緒に仕事をしていた上司や部下又は同僚です。そして、営業秘密の持ち出しは自発的な行為です。そうであれば、営業秘密の持ち出しによって刑事罰の対象となることを明確に認識すると、ほとんどの人はそれを止めるでしょう。


さらに、秘密保持誓約書に実際にサインを行うか否かは退職者の自由であり、サインをしないからと言って退職できないわけではありません(就業規則等にサインを拒否した場合に退職金の減額等の規定が有れば、拒否し難いでしょうが。)。
しかしながら、サインをしなかったからといって、営業秘密を自由に持ち出せるわけではありません。営業秘密は秘密管理性、有用性、非公知性といった三要件の全てを満たす情報です。このような情報を退職時に持ち出すことは、秘密保持誓約書に対するサインの有無にかかわらず、刑事罰の対象となります。従って、退職時に前職企業から秘密保持誓約書を求められなくても、営業秘密の持ち出しは刑事罰の対象となります。

一方で、秘密保持誓約書にサインをさせたのだから自社の情報は全て営業秘密であると会社が認識していたら、それは会社側が営業秘密を理解していないことになります。
上記のように、営業秘密は三要件の全てを満たす情報です。このため、これら三要件を満たさない情報は営業秘密ではありません。秘密保持誓約書における秘密保持の対象が何であるかは実際の秘密保持誓約書の文言によるでしょうが、一般的な秘密保持誓約書であれば秘密保持の対象は不競法で規定される営業秘密となるでしょう。
そうであれば、上記三要件を満たさない情報を退職者が持ち出しても営業秘密の持ち出しとはなりません。このため、企業側は常日頃から自社の営業秘密とすべき情報がどのような情報であるかを認識し、当該情報が上記三要件を満たすようにしなければなりません。特に秘密管理性が不十分である場合が多々あるので、営業秘密としたければ当該情報の秘密管理性を満たすように管理するべきでしょう。
換言すると、退職者と秘密保持誓約書を交わしたということのみでは、情報の秘密管理性は認められる可能性は相当低いと考えられます。なお、従業員数が数人程度でどの情報が営業秘密であるかを全員が認識しているような場合は秘密保持誓約書のみで秘密管理性が認められる可能性はあると思いますが、これは例外的でしょう。
また、退職者に秘密保持誓約書を提示する際に、対象となる情報を慌てて秘密管理しても遅い可能性があります。もし退職者が既に当該情報を持ち出していた場合にはその後当該情報を秘密管理したとしても、持ち出した当該情報は営業秘密とはみなされない可能性があるためです。

以上のことから理解できることは、退職時の秘密保持誓約書は企業が自社の営業秘密を守るために重要な要素ではないということです。秘密保持誓約書の効果としては、退職者に営業秘密の持ち出しは不法行為であり、刑事罰の対象となることを認識させる機会を与える程度のものです。
すなわち、退職者は秘密保持誓約書の有無にかかわらず、営業秘密を持ち出してはなりませんし、企業は秘密保持誓約書の有無にかかわらず、営業秘密とする自社の情報を秘密管理等しなければなりません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月18日日曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(秘密管理性)

自社製品の開発・製造を他社に委託することは一般的に行われていることです。しかしながら、実際に製造・販売までに至らず、途中で取りやめになることも少なからずあるでしょう。
今回紹介する判例(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)は、そのような事例についてのものです。

本事件の概要は以下の通りです。
①平成29年5月8日頃に原告が被告から、被告が販売する樹脂製の新規の宅配ボックスの開発・供給の引き合いを受ける。
②初回ミーティング後に、本件新製品の企画が外部漏洩するおそれを極力なくすため、被告は原告に対して機密保持契約の締結を提案し、平成29年5月19日までにその契約書の雛形を電子メールに添付して送信した。その後、被告は被告の押印済みの機密保持契約書を原告に2部郵送し、原告の押印済みのものを1部返送するように依頼した。原告は、原告の押印済みの同年6月20日付けの機密保持契約書を1部保持している。
③平成29年9月4日に原告の従業員Aは、Mタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ1を、同月7日にSタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ2を、それぞれ被告の従業員Bに電子メールで送信した。
④平成29年7月から9月初めにかけて、被告作成のモックアップの試験が行われ、原告と被告との間で、納期、コスト、仕様等の点で意見の食い違いがあり、仕様変更を含めた本件新製品の製造に関する打合せが繰り返し行われた。
⑤平成29年9月18日に、原告は本件新製品の製造費用についての同月14日付けの見積書を電子メールに添付して送信した。原告と被告とは、本件新製品の組立てに要する費用を原告が負担するか否か等の条件面での意見が一致せず、被告は本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめることとし、原告と被告との間での本件新製品の開発プロジェクトは同月中に終了することとなった。
⑥平成29年10月9日に、原告は本件プロジェクトが終了したことを受けて、被告に対し,本件新製品の「設計費・機会損失額」として合計1699万2800円の支払を求める旨の見積書を電子メールに添付して送信するものの、「設計費・機会損失額」の支払義務の有無及び額については合意に至らなかった。
⑦少なくとも平成30年7月25日頃から令和2年3月末までの間、被告は、被告製品を製造し、被告製品の譲渡を行った。

以上のような経緯があり、原告の営業秘密である本件データ1,2を使用して被告が被告製品を生産、譲渡及び譲渡のための展示を行ったことは、不正競争に該当するとして、原告が被告に対して差し止めや損害賠償を求めました。
この事件の結論からすると、被告による被告製品の生産等は、原告の営業秘密である本件データ1,2を不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求(610万1962円)が認められました。


次に、本件データに対する秘密管理性、有用性、非公知性に対する裁判所の判断についてです。本事件は原告の勝訴となっているので、当然、これらはすべて裁判所によって認められています。

秘密管理性について、裁判所は「原告内部における秘密管理の状況」、「被告との関係における秘密管理の状況」という2つの視点から判断しています。

「原告内部における秘密管理の状況」について、裁判所は下記のことから本件データの秘密管理性を認めています。
①従業員に対して就業規則によって機密保持義務を課していた。
②技術的アクセス制限を含む社内ネットワークを構築していた。
③技術情報をサーバ上の所定のフォルダに保存し、アクセス制限を設けていた。
④本件データも技術部用のフォルダに保管されていた。

次に「被告との関係における秘密管理の状況」についてです。
ここで、本件データに対する「被告との関係における秘密管理」に対して、被告は2つの主張を行ったようです。
①被告は、原告から押印済みの本件機密保持契約書の返送を受けなかったとして、本件機密保持契約は締結されていないと主張。
②本件データには、これが営業秘密であることの記載や閲覧のためのパスワードの設定はされておらず、また、本件データを送付した電子メールの本文にも本件データが営業秘密である旨の記載はされていなかった。

①の機密保持契約についてですが、裁判所は以下のようにして原告と被告との間で機密保持契約は成立していたと判断しています。
❝本件プロジェクトが終了するまでに,被告から原告に対して本件機密保持契約書の返送がないと指摘したり,原告が被告に本件機密保持契約の締結に応じないとの態度をとったりしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,本件機密保持契約は,遅くとも原告が保管する本件機密保持契約書(甲4)の作成日である平成29年6月20日頃までには成立していたものと認めるのが相当である。❞
②については、本件データには確かに営業秘密であることを示す措置は直接的に行われていませんでした。しかしながら、裁判所は、下記のように、原告と被告との間における本件データの秘密管理性を認めています。
❝原告と被告との間でやりとりされた本件新製品に関する企画書,図面,見積書等には秘密である旨が明示されているものとないものがあったところ,前記イ(ウ)のとおり,原告が被告に対して送付したモックアップ用の別の3Dデータについて,秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていたものである。そうすると,前記イ(エ)のとおり,本件データの送付の際にこれが秘密である旨が明示されていなかったことを考慮しても,本件データを受領した被告において,本件データが秘密として管理されていることは容易に認識可能であったというべきである。
なお、上記の「秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていた」とは、以下のような行動です。
3Dデータの送信の際に原告はこれらのデータが秘密である旨の表示はしていなかったが,同月27日に送信されたデータを受領した被告従業員Cは,同月29日,原告従業員のAに対し,「頂きました図面データですが,先日のお打ち合わせの際にご説明させて頂きましたIOT化に向け,センサーの組み込みや通信機器の設置場所の検討にあたり,パートナーに共有させて頂いても宜しいでしょうか?/先方とはNDAを締結済みです。」と尋ねる電子メールを送信した(甲6,8,13,乙20,21)。❞
すなわち、秘密であることの表示がない3Dデータに対して、被告従業員Cはそれが秘密であるとの認識のもとにパートナーと共有しているのであるから、この3Dデータと直接的に関係のある本件データに対しても秘密であることは認識できていた、とのように裁判所は判断しています。

営業秘密とする情報に秘密管理性を求める理由は、当該情報の保有者に無断で当該情報を持ち出したり、使用等すると不正競争行為となる、ということを当該情報に触れた者に予測させるためです。
そのように考えると、たとえ、本件データに直接的に秘密である旨の表示が無くても、原告から被告への本件データを送信前後における他のデータの秘密管理の状態を考慮して総合的に判断することは妥当であると思われます。
また、新規製品の開発・製造の委託においては、様々なデータが取引先との間で行われます。その場合に、一部のデータに対して秘密である旨の表示やパスワード管理等が不十分だからとして、当該データの秘密管理性が否定されてしまうと、それは営業秘密の保有者にとって不合理であるといえるでしょう。
とはいえ、やはり、このようなトラブルを未然に防止するためにも、自社の営業秘密を他社に開示する場合には、その秘密管理性が保たれるように十分な注意が必要です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月26日土曜日

判例紹介:治具図面漏洩事件(刑事事件) 秘密管理性

今回紹介する判例は、刑事事件に関するものです。
営業秘密侵害の刑事事件では、その多くにおいて被告人が営業秘密の不正取得等を認め、裁判の争点は量刑であることが多いのですが、被告人が持ち出した情報の営業秘密性等を争う場合もあります。

今回はそのような判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 事件番号:平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)であり被告人の弁護人は当該情報は不正競争防止法2条6項所定の営業秘密に該当しないと主張しています。
本事件は下記のように報道された事件であり、全国的にはさほど大きく報道されなかったものの、光ファイバーに関する治具図面が中華人民共和国で使用する目的で不正に持ち出されたものです。
本事件の判決は有罪であり、被告人Y1が懲役1年4か月及び罰金80万円、被告人Y2が懲役1年及び罰金60万円とされ、執行猶予が3年となっています。

本事件は、被告人Y1が図面の記載の複製を作成し、被告人Y2にこれを開示したこと、被告人Y2がこれを取得して日本国外で使用したことについては争いがないとされています。なお、被告人Y1は、電気通信機器の製造及び販売等を業とするa社(被害企業)の取締役として光通信部品の設計販売等を統括管理し、a社の営業秘密である測定治具等の設計画面を示されています。また、被告人Y2は、b社の代表者として、光通信部品等の販売を業とするものです。

まず、本事件において営業秘密とされる治具図面に記載の本件治具の構造は、下記のようなものです。なお、MTフェルールとは、光通信において光ファイバーを接続するための装置であるMPOコネクタを構成する樹脂製の部品とのことです。
❝本件治具の構造は,市販のダイヤルゲージの軸部分の先端に測定子を取り付けた上,軸部分及び測定子に筒状のアダプタを被せるというものであった。本件治具による測定方法は,MTフェルールをアダプタ底面の挿入穴に差し込み,これを測定子に接触させて移動させ,その移動範囲をダイヤルゲージに表示させて,MTフェルールの長さを測定するというものであった。本件治具によって100分の1ミリメートル単位の長さが測定できた。❞
そして、この図面の管理状況として下記が挙げられています。
(ア)「設計・開発管理規定」により、治具図面を含む製造図面を顧客へ提出することは禁止。同社の各種管理規定については、社内のウェブサイトに最新版が掲載されており、社員であれば閲覧が可能。
(イ)従業員就業規則において「会社,取引先等の秘密,機密性のある情報,顧客情報,企画案,ノウハウ,データー,ID,パスワード及び会社の不利益となる事項を第三者に開示,漏洩,提供しないこと」とされていた。本社1階事務室には、従業員就業規則のコピーが置かれており、社員であれば閲覧が可能。
(ウ)平成24年10月13日に開かれた事業運営会議において、企業防衛のため社員との機密保持契約を締結することとされ、同会議メンバー等が機密保持誓約書に署名押印して提出。被告人Y1も秘密保持誓約書に署名押印して提出。
(エ)平成27年4月7日付け通知書により、機密保持の観点から、図面、仕様書等の裏紙使用は即日禁止され、それらの書類は裁断して廃棄又は溶融業者に処分を依頼することとされた。

上記のような管理状況では、治具図面そのものにマル秘マーク等を付す等の管理がされておらず、治具図面に対する秘密管理が十分、すなわち客観的に秘密であることが認識可能なような管理状況であったのかについて疑義が生じます。


しかしながら、裁判所は下記のようにその秘密管理性を認めています。
❝a社は,平成28年4月1日の時点で本社役員5名,本社従業員33名とする規模の会社であったところ(甲2。なお,本社以外にも日本国内に複数の工場があったが,本社の規模を考えると,各工場で本件治具図面に類する技術上の情報に接し得る社員は限定的であったと推認される),会社の規模がその程度であったことを踏まえれば,本件当時,同社の役員及び従業員にとって,前記第2の3(3)ウで見た各施策により,同社が本件治具図面について秘密管理意思を有していることは,客観的に十分に認識可能であったものと認められる。❞
このように、裁判所は治具図面の秘密管理性について、a社の規模が小さいことから上記のような管理状況でも客観的に認識可能であったと判断したようです。
このような、会社規模が小さいことが秘密管理性の判断に影響を与えた民事訴訟の裁判例として、婦人靴木型事件(東京地裁平成26年(ワ)第1397号(平成29年2月9日判決))があります。

この事件では、営業秘密である婦人靴の木型(本件オリジナル木型)が持ち出された原告会社は、取締役二名と従業員三、四名という規模の会社です。そして、裁判所は本件オリジナル木型の秘密管理性を下記のように認めました。
❝〔1〕原告においては,従業員から,原告に関する一切の「機密」について漏洩しない旨の誓約書を徴するとともに,就業規則で「会社の営業秘密その他の機密情報を本来の目的以外に利用し,又は他に漏らし,あるいは私的に利用しないこと」や「許可なく職務以外の目的で会社の情報等を使用しないこと」を定めていたこと,〔2〕コンフォートシューズの木型を取り扱う業界においては,本件オリジナル木型及びそのマスター木型のような木型が生命線ともいうべき重要な価値を有することが認識されており,本件オリジナル木型と同様の設計情報が化体されたマスター木型については,中田靴木型に保管させて厳重に管理されていたこと,〔3〕原告においては,通常,マスター木型や本件オリジナル木型について従業員が取り扱えないようにされていたことを指摘することができる。これらの事実に照らすと,本件設計情報については,原告の従業員は原告の秘密情報であると認識していたものであり,取引先製造受託業者もその旨認識し得たものであると認められるとともに,上記〔1〕の誓約書所定の「機密」及び就業規則所定の「営業秘密その他の機密情報」に該当するものとみられ,原告において上記〔1〕の措置がとられていたことは秘密管理措置に当たるといえる。❞
本事件はにおいて裁判所は、誓約書及び就業規則といった程度の秘密管理措置に基づいて本件オリジナル木型の秘密管理性を認めています。この理由は、原告の業務が婦人靴の製造であるように非常に限られた業務範囲であることや、原告企業が従業員三、四名の小規模な企業であったためと思われます。

このように、企業規模が小さい場合には、営業秘密とする情報等(本事件では図面)に直接的に秘密管理意思が示されていなくても、その他の措置によってその秘密管理性が認められる可能性があると思われます。すなわち、規模の大きな企業に比べて、不十分と思われる程度の秘密管理体制であっても、営業秘密で言うところの秘密管理性が認められる可能性があります。

なお、本事件では被告人Y1がa社の取締役であったことも秘密管理性の判断に影響を与えていると思われます。この点について、裁判所は下記のように判断しています。
❝被告人Y1は,本件治具の設計・製造に主導的に関与していた上,本件当時,a社の取締役の立場にあり,既に機密保持誓約書にも署名押印してこれを提出していたのであるから,本件領得行為及び本件開示行為の際,前記1で見た本件治具図面に係る秘密管理性,有用性及び非公知性を基礎付ける事実関係の核心部分については,当然に認識,理解していたものと認められるのであって,本件治具図面が営業秘密に該当することを認識していたことは明らかである。❞
このような判断はあってしかるべきだと思います。営業秘密の不正な持ち出しは、従業員だけでなく役員等が行う場合も多くあります。企業の役員等は営業秘密に触れる機会も多いでしょうし、それが営業秘密であることは従業員よりも強く認識しているでしょう。そうであれば、営業秘密の不正な持ち出しについて、その役職が影響を与えることは妥当であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年7月11日日曜日

かっぱ寿司営業秘密事件

先日、かっぱ寿司を運営するカッパ・クリエイトの代表取締役(社長)が競合他社であるはま寿司の営業秘密を不正取得したとして刑事告訴される事件がありました。日本経済新聞社の報道によると、カッパ・クリエイトの社長は、元はま寿司の取締役であり、カッパ・クリエイトは2020年11月に顧問として迎え、副社長を経て今年の2月に社長に就任したとのことです。

❝当社の代表取締役個人(以下「対象者」といいます)に対して、株式会社はま寿司(以下「同社」といいます)より不正競争防止法に纏わる告訴がなされ、当該告訴に基づき、本年6月28 日、関係当局による捜査が行われました。
これを受け、当社として事実関係の把握に努めた結果、本事案の内容は、対象者が同社親会社を退職後、当社顧問となった 2020年11月から12月中旬の期間において、元同僚より、同社内で共有されていた「はま寿司」の日次売上データ等を数回に亘って個人的に送付を受けていたというものです。❞
大手回転寿司チェーン店の社長(元はま寿司の取締役)が営業秘密侵害で刑事告訴されたこの事件は、会社の知名度もありインパクトが強いです。しかしながら、取締役等の企業幹部が営業秘密侵害で刑事又は民事で訴えられるということは少なくありません。
やはり、取締役等は所属企業の営業秘密の多くにアクセスできる権限を持っている場合も多いでしょう。また、今回の事件のように元所属企業を退職した後でもそこで培った人間関係により元所属企業の人にある程度の影響力を与えることができる場合もあるでしょう。
このため、取締役等は営業秘密を容易に知り得、それを持ち出すことも比較的容易とも思えます。また、もしかしたら、会社の営業秘密を自身も自由に使用できる情報であると間違えた解釈をしている人もいるかもしれません。


今回の事件は、社長が自身ではま寿司の情報を取得したのではなく、退職後に元同僚から入手したということです。すなわち、はま寿司の営業秘密の不正取得には2人が関与していました。しかしながら、はま寿司は社長個人のみを刑事告訴しています。この理由はいくつか考えられます。
その一つは、営業秘密侵害には不正の利益を得る目的(図利目的)等が必要となりますが、元同僚にはこのような目的等が求められなかった可能性があります。図利目的等は、金銭を受け取ったり、自身が転職先等で開示や使用する、といったことです。しかしながら、元同僚がはま寿司の営業秘密をかっぱ寿司の社長に渡しただけであり、その見返り等を何も受け取っていなかったりしていたら、図利目的等が認められない”可能性”があります。ただし、このような場合であっても公序良俗又は信義則に反するとして、図利目的が認められるかもしれません。

もう一つは、図利目的等が認められたものの、温情で刑事告訴されなかった可能性もあります。営業秘密侵害は親告罪であるため、はま寿司が刑事告訴しなければ元従業員は罪に問われません。また、刑事告訴しない替わりに、元従業員がどの様な経緯で誰に営業秘密を渡していたか、というように捜査に協力することを求められたかもしれません。

しかしながら、元同僚は刑事告訴されなかったとしても、一般的には、はま寿司を退職することになるのでしょう。その場合、この元同僚が従業員であれば通常、就業規則には営業秘密を漏えいさせた場合には退職金の減額や不支給が定められているでしょうから、元同僚は退職金の減額又は不支給となるかもしれません。

このように、かっぱ寿司の社長は、元同僚を今回の事件に巻き込んだことにより、元同僚の人生を悪い方向に大きく変えてしまった可能性があります。今回の事件のように、退職者が元同僚等に営業秘密の持ち出しを依頼することがあるようです。そのような場合、元同僚等を犯罪者にする可能性があります。また、退職者から営業秘密の持ち出しを依頼された元同僚等は、毅然とした態度で断る必要があります。営業秘密の持ち出しは、窃盗罪よりも重い罪であり、犯罪行為であることを十分に認識しなければなりません。

また、就業規則は従業員を対象としたものであり、取締役等の役員を対象としていません。このため、就業規則に営業秘密漏えいに関する規定があったとしても、役員はその対象となりません。一般的に、役員には役員規定が定められているかと思いますが、従業員及び役員を対象とした秘密管理規定を別途定め、この秘密管理規定によって営業秘密漏えいに対する罰則規定を定めてもよいでしょう。

上記のような規定がはま寿司で設けられていたら、はま寿司はかっぱ寿司に転職した社長に対して営業秘密侵害により発生した損害と共に、又は損害が無くても、退職金の返還訴訟を提起できるでしょう。
実際、営業秘密侵害において元従業員に退職金の返還請求を行い、2000万円余りの返還が認められた裁判例(生産菌製造ノウハウ事件 東京地裁平成22年4月28日判決(平成18年(ワ)第29160号))もあります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年3月14日日曜日

営業秘密侵害における民事訴訟の損害賠償額

営業秘密を侵害した個人は、刑事責任や民事責任を負うことになります。
刑事責任は、侵害者が刑事罰を受けることになります。
下記が過去にあった刑事罰の一例です。
営業秘密の侵害では、そのほとんどの懲役刑に執行猶予がついています。
しかしながら、中には執行猶予がない懲役刑が課される場合もあります。


上記のように刑事責任は懲役刑や罰金刑が課される可能性が有ります。
一方、民事責任はどのようなものでしょうか?
民事責任は、当該侵害によって営業秘密の保有者(保有企業)に与えた損害の賠償や、持ち出した営業秘密の使用又は開示をしてはならないという差し止め、持ち出した営業秘密の廃棄等です。このうち、個人が現実に負うものは損害賠償でしょう。

では、損害賠償はどのくらいになる場合があるのでしょうか?
それはケースバイケースですが、中には相当高額になる場合もあります。
その理由は、営業秘密が不正使用されたことにより、当該営業秘密の保有企業が受ける損害が莫大なものになる場合があるからです。
以下に、個人が負った損害額のいくつかを紹介します。

(1)500万円 
アルミナ繊維事件
大阪地裁平成29年10月19日判決(平成27年(ワ)第4169号)

本事件は、原告企業の元従業員であった被告が原告企業の営業秘密であるアルミナ繊維に関する技術情報等を持ち出し、これを転職先の競業会社で開示又は使用するおそれがあるとして原告企業が訴訟を提起したものです。
本事件では、原告企業は営業秘密の使用等による損害を主張していませんが、弁護士費用等として1200万円を損害額として主張し、このうち500万円の損害が認められました。


(2)1815万円(被告会社と被告個人とでの連帯)
リフォーム事業情報流出事件
大阪地裁令和2年10月1日判決(平成28年(ワ)4029号)

本事件は、家電小売り業の原告の元従業員(被告個人)がリフォーム事業に係る営業秘密を転職先である被告会社へ持ち出したというものです。
損害額の内訳は、営業秘密の使用が1500万円、本事件に関する調査に関する外部委託費用が150万円、弁護士費用が165万円、合計で1815万円です。被告会社と被告個人との連帯で支払い義務がありますので、半額ずつ支払うのでしょうか。
なお、本事件は元従業員に対して刑事告訴もされており、この被告個人は上記一覧表のように有罪判決(懲役2年 執行猶予3年 罰金100万円)となっています。また、被告個人は刑事事件の起訴時において無職となっており、起訴時には既に被告会社には在籍していなかったようです。


(3)2239万6000円 
生産菌製造ノウハウ事件
東京地裁平成22年4月28日判決(平成18年(ワ)第29160号)

本事件は、原告が保有する営業秘密である本件生産菌(コエンザイムQ10)を被告が退職時に持ち出したというものです。なお、被告は、原告企業を退職後に、被告企業(被告が設立)の代表取締役となっています。
上記金額は、原告企業の就業規則に「会社は,退職者が在職中に行った背信行為が発覚した場合,あるいは退職者が退職後に会社の機密漏洩等の背信行為を行った場合,すでに支給した退職金・退職年金を返還させ,以後の退職年金の不支給または減額の措置をとることができる。」と規定されていることを根拠としています。
すなわち、被告による営業秘密の持ち出し等が原告に対する背信行為であり、退職金の一部の返還義務があるとされました。
そして、原告は、被告に対して退職金として2495万1148円(原告拠出分2239万6000円及び被告C積立分255万5148円)を支給したことから、被告は、原告拠出分2239万6000円の返還義務が生じ、退職金のほとんどを失うことになりました。


(4)10億2300万円 新日鉄営業秘密流出事件
知財高裁令和2年1月31日判決(令和元年(ネ)10044号)

本事件は、新日鉄が保有する電磁鋼板の技術情報を韓国のPOSCOに不正に開示したとして、新日鉄の元従業員に対して新日鉄が民事訴訟を提起したものです。
本事件に関連して新日鉄とPOSCOとの間で和解が成立しており、和解金が300億円とも言われています。この和解金からして、新日鉄が負った損害は莫大な金額であったのでしょう。
当然、その責任は営業秘密を持ち出した個人にもあります。電磁鋼板の営業秘密を持ち出した元従業員は複数いたようであり、その多くは新日鉄との間で和解を成立させて判決にまで至っていなかったようですが、本事件では判決にまで至り、地裁でも10億円、高裁でも10億円の損害額を被告個人が負うことになりました。

営業秘密の不正な持ち出しは、転職時や起業時に生じ易く、営業秘密の不正な持ち出しが違法であることを認識していないと行ってしまう可能性が有ります。
このため、営業秘密の不正な持ち出し、使用、開示は、上記のように刑事責任や民事責任を負う可能性が有ることを認識する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2020年8月8日土曜日

判例紹介:契約書に秘密保持の条項が設けられていても、秘密管理性が認められなかった裁判例

契約書の秘密保持条項が営業秘密で言うところの秘密管理性の認定に大きく寄与しますが、今回紹介する裁判例(東京地裁令和2年1月15日判決  事件番号:平28(ワ)35760号 ・ 平29(ワ)7234号)は、秘密保持条項を有する契約によっても秘密管理性が認められなかった事例です。

本事件は、被告らが原告を退職した際に原告から持ち出したパソコン内に保存されている資料(原告がいうところの営業秘密)を使用し、被告会社の代表取締役又は従業員として被告会社の業務を行い、原告の営業上の利益を侵害している、と原告が主張したものです。典型的な営業秘密侵害のパターンですね。 
なお、原告が営業秘密であると主張する情報(本件各情報)は、「原告において過去に実施した企画又はイベントの成果物(企画書,シナリオ等),顧客からの受注金額,外注業者への手配金額,粗利並びに顧客及び外注先の担当従業員の連絡先」です。 

そして、原告は、被告らが原告に在籍中に秘密保持条項等が記載された書面を原告に提出したことにより、原告と被告らそれぞれとの間において秘密保持等契約が成立し、本書面の第3条には原告の「取引先や仕入先および資料」は全て原告に帰属する旨を定めている、と主張しています。さらに、本件パソコンには,パスワードが設定されており,第三者が本件パソコン内のデータを自由に閲覧することはできないし、原告の電子メールサーバーもパスワードで保護されており、原告代表者以外の者がこれを閲覧することはできないため、以上のことから、本件各情報は秘密として管理されていると主張しています。


これに対して裁判所は、以下のように判断しています。
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本件各情報のうち原告の顧客及び外注先といった取引先の担当従業員の連絡先については,・・・これらの取引先の住所や電話番号と一緒に,お歳暮,お中元,年賀状等の送付先として管理されるとともに,原告代表者及び被告Y2らは,いずれも自身が契約を締結して使用している携帯電話に,これら取引先の担当従業員の連絡先を登録し,これを業務に利用していたことが認められる。そうすると,原告において,その取引先の担当従業員の連絡先につき,秘密管理措置が施されていたとは認め難い。
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さらに、裁判所は以下のようにも判断しています。
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別紙契約書書式第3条には,原告が「過去に取引をしたことがある取引先や仕入先および資料」が全て原告に帰属する旨記載されているところ,前記(2)のとおり,原告において,その取引先や過去の取引等に関する情報につき,十分な秘密管理措置を執っていたものとは認め難く,また,別紙契約書書式の全ての記載に照らしても,上記「資料」が具体的に何を指すのかは明らかでないといわざるを得ないことに照らせば,別紙契約書書式に上記のような定めが置かれていることをもって,本件各情報につき,原告の秘密管理意思(特定の情報を秘密として管理しようとする意思)が具体的状況に応じた秘密管理措置によって原告の従業員等(被告Y2ら)に明確に示されていたということはできないし,原告の従業員等(被告Y2ら)においてそのような原告の秘密管理意思を容易に認識できる状況にあったものということもできないものというべきである。
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なお、裁判所は、秘密管理性の定義として、「本件各情報が不正競争防止法2条6項にいう「営業秘密」に当たるというためには,原告が本件各情報を秘密情報であると主観的に認識しているだけでは足りず,原告の秘密管理意思(特定の情報を秘密として管理しようとする意思)が,具体的状況に応じた秘密管理措置によって原告の従業員等に明確に示され,原告の従業員等においてそのような原告の秘密管理意思を容易に認識できる必要があるものと解するのが相当である。」としています。

すなわち、本事件では、いくら原告が被告との間で、秘密保持条項を有する契約を結んだとしても、秘密管理の実態がなく、原告の秘密管理意思が従業員等に明確に示されていなければ、秘密管理性は認められません。
また、秘密保持の対象が「資料」のように包括的な表現となっていると、秘密保持の対象も不明瞭であり、これも原告の秘密管理意思が従業員等に明確に示されていないことになります。

このように、必ずしも、契約又は就業規則等に秘密保持条項や秘密管理規定が設けられているとしても、実態が伴っていなければ、秘密管理性は認められないという認識が企業には重要です。
弁理士による営業秘密関連情報の発信

2019年12月5日木曜日

営業秘密に関する従業員(発明者)との秘密保持契約

従業員が発明を創出した場合には、企業は特許出願を検討するかと思います。
一方で、特許出願は特許化の有無にかかわらず公開されるため、発明の内容によっては秘密管理を行うことで秘匿化を選択する企業も多いでしょう。

ここで、発明者が創出した発明を営業秘密とした場合、その帰属が問題になります。
まだ、明確にはなっていませんが、もし、発明者が自身が創出した発明に係る営業秘密を持ち出して他社に転職した場合等であっても、この行為は不正競争防止法2条1項7号違反にはならない可能性があります。

また、当該発明を使用等した転職先企業に対して不正競争防止法2条1項8号又は9号違反の責を負わせるためには、上記発明者による転職先企業への発明の開示が「秘密を守る法律上の義務に違反してその営業秘密を開示する行為」等でなければなりません。

発明者による転職先企業への発明の開示等を確実に「秘密を守る法律上の義務に違反してその営業秘密を開示する行為」するためには、当該発明者と発明者の所属企業との間で秘密保持契約を結ぶことが好ましいでしょう。

また、多くの就業規則において秘密保持の条項が設けられています。このため、この就業規則によって従業員は秘密保持義務が存在し、2条1項8号等でいうところの「秘密を守る法律上の義務」を有しているとも解されます。


しかしながら、就業規則による秘密保持義務は退職した従業員に対して、どの程度有効なのでしょうか?

就業規則における一般的な秘密保持の条項は下記のようなものかと思います。
「会社の内外を問わず、在職中、又は退職若しくは解雇によりその資格を失った後も、 会社の秘密情報を、不正に開示したり、不正に使用したりしないこと。」
参考:経済産業省 秘密情報の保護ハンドブック 「参考資料2 各種契約書等の参考例」 

このような就業規則における秘密保持の条項において、一般的には、下記のような例外規定は設けられません。
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① 開示を受けたときに既に保有していた情報
② 開示を受けた後、秘密保持義務を負うことなく第三者から正当に入手した情報
③ 開示を受けた後、相手方から開示を受けた情報に関係なく独自に取得し、又は創出し た情報
④ 開示を受けたときに既に公知であった情報
⑤ 開示を受けた後、自己の責めに帰し得ない事由により公知となった情報
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このため、就業規則における秘密保持義務は包括的であり、非常に広範囲な情報、換言すれば、既に公知となっている情報や、従業員が企業から示される前から知っていた情報であってもその対象となり得てしまうでしょう。
また、就業規則における秘密保持条項では、取引先等と締結されるような一般的な秘密保持契約で設けられている有効期限の条項もないでしょう。このため、発明者は、発明を行った企業を退職した後に、いつまで秘密保持義務があるのか定かではありません。
このようなことから、営業秘密とした発明を創出した発明者に対して、就業規則における秘密保持条項が「秘密を守る法律上の義務」としての機能を果たすのか個人的には疑問を感じます。

そのようなこともあり、発明者が自身の発明が企業にとって営業秘密であることを確実に認識させるためには、個別に秘密保持契約を結ぶことがより好ましいと考えられます。
この際、秘密保持の対象となる発明(技術情報)の内容を明確に特定し、上記例外規定も設けるべきでしょう。

また、当該秘密保持契約の有効期限は無期限としても良いかもしれません。
一般的には、リバースエンジニアイング等によって当該情報が公知化(陳腐化)する時期を考慮して、有効期限を定めるべきとの考えも多いようです。しかしながら、有効期限を定めると、有効期限が経過した時点から当該情報を自由に開示、使用してよいことになります。
これでは、これでは企業側に不利益が生じる可能性があるので、秘密保持義務を無期限とする方が当然好ましいでしょう。一方で、秘密保持義務を無期限とするような契約は無効とされるリスクもあるようです。
しかしながら、有効期限を定めないことに合理的な理由があればその契約は認められるのではないでしょうか。すなわち、企業は発明に相当する営業秘密に関しては、その重要性から無期限に渡って秘密とすることに合理的な理由があると考えられ、さらに、上記のような例外規定を定めることで、秘密保持義務が失われる場合を明確に規定することで、有効期限を定めないことに対する合理性をさらに高めるとも考えられます。

さらに、企業と従業員との間の力関係に基づいて、従業員に無理やり秘密保持契約を結ばせたと解釈させることを防止するためにも、秘匿化する発明であっても、企業は発明者に対して報奨金等のインセンティブを与えるべきかと思います。

なお、秘密保持契約を従業員の退職時に結ぶという考えもあるかと思いますが、退職時に秘密保持契約の締結を企業側が申し出ても、必ずしも従業員が秘密保持契約に応じるとも限りません。そういったことを回避するためにも、企業が従業員にインセンティブを与える際に秘密保持契約の締結をセットとすることで、秘密保持契約の締結がスムーズに進むのではないでしょうか。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2019年11月1日金曜日

ー判例紹介ー ノウハウ管理と就業規則

今回は、就業規則の定めによるノウハウ(営業秘密)の漏えい防止について、前回までとは異なる別の裁判例を紹介します。

この裁判例は、東京地裁平成30年9月27日判決(平成28年(ワ)26919号 ・ 平成28(ワ)39345号)です。

本事件は、原告が経営するまつ毛サロン(原告店舗)で勤務していた被告A及びBが原告を退職した後に勤務しているまつ毛サロン(被告店舗)で、原告から示された営業秘密(本件ノウハウ)を不正に利益を得る目的で使用又は開示していることを理由として、原告が被告らに対し不正競争防止法2条1項7号及び3条1項に基づき上記ノウハウの使用又は開示の差止め等を求めたものです。

なお、原告が主張する本件ノウハウは、原告店舗で施術されるまつ毛パーマ、アイブロウ及びまつ毛エクステンションの技術に関する情報です。
そして、原告は、ノウハウに対する秘密管理性を以下のように主張しています。
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原告は,就業規則において,本件ノウハウを含む会社の業務上の機密を他に漏らしてはならず,会社の許可なくマニュアル類等の重要物の複製や持ち出しを行ってはならないことや,退職時に守秘義務等について明記した誓約書を提出することなどを定めており,実際に,原告は,従業員が退職する際には,当該従業員に,本件ノウハウを含む原告の機密情報を一切漏らさない旨を誓約させ,退職する従業員にも秘密保持義務を負わせている。 また,原告は,従業員に対し,顧客に施術内容を説明するときであっても本件ノウハウに言及しないよう指導していた。
さらに,本件ノウハウは,習得に長い時間と多大な労力を要するものであり,原告と競業他社との差別化を可能にする経営の根幹をなす情報である。このような本件ノウハウの性質からすれば,本件ノウハウが競業他社によって使用され,又は第三者に開示された場合に,原告に甚大な不利益が生じることは,本件ノウハウを知る者であれば当然認識している。実際に,原告は従業員を採用する際に,当該従業員に対し,原告において技術を取得して将来は他のサロンで施術をするなどといった目的を有していないことを確認しており,他のまつ毛サロンで本件ノウハウを使用又は開示することは許されない旨が従業員に明確に示されている。
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ここで、元従業員は、退職後であっても元所属企業の就業規則で定められている秘密保持義務を負うのか?という議論が一応あります。就業規則は、現従業員に対する規則であり、元従業員は退職後にはその義務を負うことはないという考えもあるためです。

これに対して、例えば、東京地裁平成28年12月26日判決(平成26年(ワ)22016号)で下記のように判示しているように、元従業員は退職後であっても就業規則で定められた秘密保持義務を負うという考えが一般的です。
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本件秘密保持義務条項は,原告を退職した後の秘密保持義務について明示的に規定していないが,原告を退職した後に同義務が効力を失うのでは同義務を設けた趣旨が没却されること,本件各文書が原告の従業員としての職務を行う目的で交付されており,その目的が終了した際には本件各文書に含まれる情報も含めて外部に漏えいしないことが当然に予定されていることからすると,本件秘密保持義務条項の合理的解釈により,被告は,原告を退職した後も原告に対し,本件秘密保持義務を負う。
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本事件に戻り、上記原告の主張に対して、裁判所は以下のように判断しました。
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原告が営業秘密であると主張する本件ノウハウは,原告で施術されるまつ毛パーマ,アイブロウ及びまつ毛エクステンションの技術に関する情報であるところ,原告においては,同技術が蓄積されていて,従業員に対して,その技術を幅広くトレーニング等で伝えていたことが認められる。しかしながら,上記(1)イ及びカのとおり,それらの技術について,秘密であることを示す文書はなかったし,従業員が特定の技術を示されてそれが秘密であると告げられていたものではなく,また,その技術の一部といえる本件で原告が営業秘密であると主張する本件ノウハウについて,網羅的に記載された書面はなく,従業員もそれが秘密であると告げられていなかった。 ・・・
以上によれば,本件ノウハウについて,原告において秘密として管理するための合理的な措置が講じられていたとは直ちには認められない。また,まつ毛パーマ等に関する技術については一般的なものも含めて様々なものがあることも考慮すると,上記のような状況下で,被告らにおいて,本件ノウハウについて,秘密として管理されていることを認識することができたとは認められない。
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すなわち、原告は、自社が営業秘密とする本件ノウハウを特定し、かつそれを従業員が認識できるような態様で秘密管理していなかったので、たとえ、就業規則に秘密保持義務の規定があったとしても、元従業員は当該本件ノウハウが秘密であると認識できなかったということです。

このような裁判所の判断は、珍しいものではなく、非常に多数あります。本ブログでも類似の裁判例はすでに紹介しているかと思います。

さらに、本事件では「まつ毛パーマ等に関する技術については一般的なものも含めて様々なものがあることも考慮すると」と裁判所は述べています。
確かに、本件ノウハウには、原告が主張するように競業他社との差別化を可能とするまつ毛パーマに関する非公知のノウハウ(独自技術)も含まれていた可能性もあります。
しかしながら、裁判所が述べているように、まつ毛パーマ等に関する技術は様々なものがあり、その多くが公知の技術でしょう。そうだとすると、非公知のノウハウを明確に特定して秘密管理を行わないと、従業員は当該技術が何となくノウハウだと感じても、明確にどの技術(工程)がノウハウであるかを認識できなくて当然かと思います。

このように、自社のノウハウを営業秘密であると主張するためには、当該ノウハウの特定を確実に行い、それを秘密管理しなければなりません。
大多数の企業には、就業規則があり、定型文のように秘密保持義務が規定されているかと思います。しかしながら、営業秘密の観点では、このような就業規則における秘密保持義務は秘密管理性に対する 補完又は補強とはなり得ても、情報の特定がなされ、合理的な態様で秘密管理が行われていないと営業秘密性は認められない可能性が相当高いと思われます。
営業秘密を主張するためには、営業秘密とする情報の特定と具体的な秘密管理が何よりも大事です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2019年10月27日日曜日

ー判例紹介ー 就業規則等における「秘密情報」と競業避止義務 その2

前回紹介した裁判例である知財高裁令和元年8月7日判決(平成31年(ネ)10016号)の続きです。

本事件は、東京都国分寺市内でまつげエクステサロンを営む控訴人が、元従業員である被控訴人が控訴人を退職後に同市内のまつげエクステサロンで就労したことは、被控訴人と控訴人の間の競業禁止の合意に反し、また、控訴人の営業秘密に当たる控訴人の顧客2名の施術履歴を取得したことは不正競争行為(不正競争防止法2条1項4号,5号又は8号)に当たる等と主張しているものです。

また、本事件において裁判所は、原告と被告とが入社時に合意した競業避止義務は「2年」という期間の制限、「秘密管理性を有する情報を利用した競業行為」という制限を有していることから合理的な内容であるとして認めました。

しかしながら、原告が秘密情報であると主張した「施術履歴」に対する秘密管理性(不正競争防止法2条6項で規定)は認められず、これにより、結果的に被告(被控訴人)の競業避止義務違反も認められませんでした。

ここで、原告企業の就業規則には下記規定がありました。
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第24条 社員が職務上,あるいは職務を遂行する上で知ることのできた情報は,業務の遂行のためのみに使用しなければならない。
2.社員は,在職中はもちろんのこと退職後であっても,前項の情報を他者に漏らしてはならない。この場合,口頭あるいは文書等のいかなる媒体であっても認めることはない。
3.本条でいう情報とは,従業員に関する情報(個人番号,特定個人情報を含む),顧客に関する情報,会社の営業上の情報,商品についての機密情報あるいは同僚等の個人の権利に属する情報の一切を指す。
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これに対して裁判所は、この就業規則に対して下記のように判断しています。
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 就業規則における「従業員に関する情報(個人番号,特定個人情報を含む),顧客に関する情報,会社の営業上の情報,商品についての機密情報あるいは同僚等の個人の権利に属する情報」との文言は,非常に広範で抽象的であり,このような包括的規定により具体的に施術履歴を秘密として指定したと解することはできない。
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このような就業規則における包括的すぎる内容では、何が秘密情報として特定しているかを従業員が認識できないため、それをもって秘密管理性を主張することは難しいと考えられます。


一方で原告は、原告店舗において顧客カルテが入っているファイルの背表紙にマル秘マークを付して、室内に防犯カメラも設置していました。

しかしながら、以下のことから、施術履歴に対する秘密管理性を裁判所は認めませんでした。 
(1)顧客カルテは従業員であれば誰でも閲覧することができた。 
(2)顧客カルテが入っているファイルの保管の際に施錠等の措置はとられていなかった。
(3)施術履歴の用紙にマル秘マークが付されていたかは明らかではない。 
(4)他に、施術履歴についての管理体制を裏付ける的確な証拠はない。

さらに、裁判所は下記の顧客カルテの運用によっても、その秘密管理性を認めませんでした。
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控訴人の一支店から他の支店に顧客を紹介することがあり,その際には,顧客に施術するなどの営業上の必要から,支店間で情報を共有するため,顧客カルテを撮影し,その画像を,私用のスマートフォンのLINEアプリを用いて従業員間で共有する取扱いが日常的に行われていた(弁論の全趣旨)。LINEアプリにより画像を共有すれば,サーバーに画像が保存されるほか,私用スマートフォンの端末にも画像が保存されるものであり,顧客カルテについての上記取扱いは,顧客カルテが秘密として管理されていなかったことを示すものといえる。
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このように、原告は、施術履歴が含まれる顧客カルテに対してマル秘マークを付し、防犯カメラも設置するという管理を行っていたにもかかわらず、その実際の運用の結果、顧客カルテに対する秘密管理性が認められない結果となっています。

個人的には、上記(1)~(3)は原告の企業規模から鑑みると、顧客カルテの秘密管理性に大きな影響を与えるものではないとも思えます。マル秘マークは顧客カルテの背表紙ではなく、表面に付したほうがよいでしょうが。
一方で、顧客カルテを撮影してLINEアプリを用いて従業員間で共有する取扱いを日常的に行っていたという運用は秘密管理性を否定する大きな要素となったのかと思います。

このようなLINEアプリ等のSNSを用いた秘密情報の情報共有は相当な注意を要するでしょう。近年、企業でも従業員間でLINEアプリ等のSNSによって様々な情報共有を行うことが多いようですが、公私混同が生じ、その結果、この裁判例のように企業が秘密情報であると主張してもその秘密管理性が認められない結果を招く可能性があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2019年10月18日金曜日

ー判例紹介ー 就業規則等における「秘密情報」と競業避止義務

企業における就業規則等に「秘密情報の漏洩禁止」とのような趣旨の項目があるかと思います。では、ここでいう「秘密情報」とは何でしょうか?
また、退職者に対して競合他社等に転職してほしくない、独立して競合他社になってほしくないとして、競業避止義務を負わせる企業もあるかと思います。
転職者に対する「秘密情報の漏えい防止」と「競業避止」、これは今後、転職が益々当然のこととなるビジネス環境にとって、企業における人事活動の新たな課題ではないでしょうか。
そして「秘密情報の漏えい防止」と「競業避止」はセットになる場合が多々あります。

ここで紹介する裁判例は、そのような「秘密情報の漏えい防止」と「競業避止」に絡んだ事件として非常に参考になると思われるものであり、知財高裁令和元年8月7日判決(平成31年(ネ)10016号)です。

本事件は、東京都国分寺市内でまつげエクステサロンを営む控訴人が、元従業員である被控訴人が控訴人を退職後に同市内のまつげエクステサロンで就労したことは、被控訴人と控訴人の間の競業禁止の合意に反し、また、控訴人の営業秘密に当たる控訴人の顧客2名の施術履歴を取得したことは不正競争行為(不正競争防止法2条1項4号,5号又は8号)に当たる等と主張しているものです。

ここで、控訴人の就業規則には、下記の規定があったとされています。
1.社員は、退職後も競業避止義務を守り、競争関係にある会社に就労してはならない。
2.社員は、退職または解雇後、同業他社への就職および役員への就任、その他形態を問わず同業他社の業務に携わり、または競合する事業を自ら営んではならない。

裁判所はこの規定に対して、「この定めは,退職する社員の地位に関わりなく,かつ無限定に競業制限を課するものであって,到底合理的な内容のものということはできないから,無効というほかはない。」と判断しています。

ちなみに、本判決では、競業避止義務が認められる場合を以下のように定義しています。この定義は、競業避止義務に対する一般的なものです。

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退職者に対する競業の制限(以下「競業制限」という。)は,退職者の職業選択の自由や営業の自由を制限するものであるから,個別の合意あるいは就業規則による定めがあり,かつその内容が,これによって守られるべき使用者の利益の内容・程度,退職者の在職時の地位,競業制限の範囲,代償措置の有無・内容等に照らし,合理的と認められる限り,許されるというべきである。
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そして本事件において裁判所は、「被控訴人が退職時に提出した「誓約・確認書」には、退職後2年間、国分寺市内の競合関係に立つ事業者に就職しないとの約束をすることはできない旨の被控訴人の留保文言が付されていたのであるから、これによって競業制限に関する合意が成立したということはできない。 」とも判断しています。


さらに、被控訴人と控訴人との間には、競業避止に関して入社時誓約書において下記のような合意をしていたとのことです。本事件では、これに基づいても争っています。

1.被控訴人は、退職後2年間は、在職中に知り得た秘密情報を利用して,国分寺市内において競業行為は行わないこと。
2.秘密情報とは,在籍中に従事した業務において知り得た控訴人が秘密として管理している経営上重要な情報(経営に関する情報,営業に関する情報,技術に関する情報…顧客に関する情報等で会社が指定した情報)であること。

ここで裁判所は「秘密情報」の意義について下記のように判断しています。
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上記入社時誓約書の記載によれば,入社時合意における「秘密情報」とは「秘密として管理」された情報であることを要することが理解できる。また,入社時誓約書の秘密情報に関連する規定は,その内容に照らし,不正競争防止法と同様に営業秘密の保護を目的とするものと解される。そして,入社時誓約書には「秘密として管理」の定義規定は存在せず,「秘密として管理」について同法の「秘密として管理」(2条6項)と異なる解釈をとるべき根拠も見当たらない。そうすると,入社時誓約書の「秘密として管理」は,同法の「秘密として管理」と同義であると解するのが相当である。
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そして、裁判所は、入社合意時における競業避止義務について、「2年という期間と国分寺市内という場所に限定した上で,秘密管理性を有する情報を利用した競業行為のみを制限するものと解されるから,職業選択の自由及び営業の自由を不当に制限するものではなく,その制限が合理性を欠くものであるということはできない。」として、入社時合意は被控訴人の職業選択の自由及び営業の自由を不当に制限するものであって無効であるという被控訴人の主張を認めませんでした。

すなわち本事件では、就業規則における競業避止義務は、無限定に競業制限を課するものであって合理的な内容ではないため認められなかった一方、入社時合意における競業避止義務は、「2年」という期間の制限、「秘密管理性を有する情報を利用した競業行為」という制限を有していることから合理的な内容であるとして認められたと解されます。

なお、ここでいう「秘密情報」は、「秘密として管理」されていれば良いようであり、不正競争防止法2条6項で定義されている「営業秘密」としての「有用性」及び「非公知性」は判断されておりません。
すなわち、ここでいう「秘密情報」は「営業秘密」ほどの要件を必要とはしないと解されます。しかしながら、競業避止義務の制限とされる「秘密情報」であるので、「有用性」は必然的に満たしているでしょうし、技術情報でなければ「非公知性」も満たした情報であるでしょう。
実際、本事件の秘密情報とされる顧客の「施術履歴」も顧客獲得に用いることもでき、かつ「施術履歴」は一般的に公知となるようなものではないので、営業秘密の要件でいうところの「有用性」と「非公知性」は有していると思われます。

しかしながら、本事件では、「施術履歴」に対する秘密管理は認められず、これにより、被控訴人(一審被告)の競業避止義務違反も認められませんでした。

長くなってきたので、この続きは次回に。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2019年8月8日木曜日

ー判例紹介ー 秘密管理性 新日鉄とPOSCOとの営業秘密流出に関する民事訴訟

前回紹介した新日鉄から韓国のPOSCOへ電磁鋼板に係る営業秘密が流出した事件の民事訴訟の地裁判決(東京地裁平成31年4月24日判決 事件番号:平29(ワ)29604号)の続きです。
本事件は、POSCOへ営業秘密を流出させた元従業員に対して新日鉄が提訴したものであり、新日鉄が勝訴しています。

本事件では、当然のことながら当該営業秘密の3要件(秘密管理性、有用性、非公知性)も裁判所において認められています。
ここで、本事件の秘密管理性に対する裁判所の判断について検討します。
個人的な意見を先に述べますと、本事件における裁判所の秘密管理性の判断は少々甘いのではないかと感じます。

まず、原告である新日鉄の秘密管理性に関する主張は下記の通りです。
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ア 原告独自の電磁鋼板の製造技術・ノウハウは,世界最高品質の電磁鋼板を作り出すために,長年の研究開発によってようやく獲得された,原告にとって特に重要な製造技術・ノウハウである。原告は,機密保持規程(甲3)により,原告の電磁鋼板工場の全設備を社内で最も厳格な秘密管理が求められる●(省略)●このように,原告は,本件技術情報を含む電磁鋼板の製造技術・ノウハウを,極めて秘匿性の高い情報として管理・保持してきた。また,電磁鋼板の製造技術・ノウハウに関する資料に触れることができる者は,原告の従業員の中でも,電磁鋼板の製造や研究開発に関与するごくわずかな従業員に限定されている。
イ 被告は,原告の機密保持規程の内容は形式的なものにすぎず,このような内容の実態を伴うものではなかった旨を主張するが,何ら客観的な根拠がない。むしろ,被告も,公証人の面前でその内容の真正について宣誓した上で作成された被告自身の陳述書(甲59)において,原告の方向性電磁鋼板に関する情報が原告において厳しい管理状況に置かれていたこと,更には,方向性電磁鋼板に関する情報は極めて重要な秘密情報であって,その取扱いにあたっては厳重な管理が要請されることを被告自身が認識していたことを自ら認めている。
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新日鉄は、主として機密保持規定に基づいた秘密管理性を主張していると思われます。また、電磁鋼板の製造技術・ノウハウに関する資料に対して、特定の従業員にしか触れられないように制限を行っていたようです。

ここで、この機密保持規定がどのような規定であるかは、裁判所の判断で下記のように述べられています。
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ウ 機密保持規程においては,●(省略)●電磁鋼板工場に関わる技術情報について,●(省略)●審査を受けなければならず,●(省略)●業務上の必要以外の立入りは原則として認められていない(甲3)。
エ 被告は,原告から,方向性電磁鋼板に関する情報は,極めて重要な秘密情報であるため,一定の者以外は電磁鋼板工場へ入ることはできない等,厳しい管理状況に置かれており,被告が方向性電磁鋼板に関する業務に携わる際に,十分に注意して管理するよう指導を受けていた(甲59)。
そして,被告は,日鐵プラント設計に転籍するにあたり,原告との間で,「●(省略)●」と題する書面を作成して,原告在職中に知り得た業務上の秘密を原告の同意なく第三者に開示又は漏洩しないことなどに同意したほか,日鐵プラント設計との間で,日鐵プラント設計在職中においても,その期間中に知り得た資料・情報について秘密を保持する旨の覚書を締結した(甲63ないし65)。
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個人的には、新日鉄のような大企業として、このような秘密管理は少々甘いのでは無いかと思います。
上記「ウ」のような内容では、具体的にどの技術情報(営業秘密)がどのように秘密管理されているのか判然としません。
また、「エ」の元従業員との間で締結した覚書も包括的なものでしょうから、電磁鋼板に係る技術情報が営業秘密であるのような認識を元従業員に与えるものでしょうか?

ここで、秘密管理性の判断において、秘密保持契約や秘密保持規定、秘密保持義務の項目のある就業規則は、原告企業が小規模の場合にはそれを持って当該営業秘密の秘密管理性が認められる易いと思われます。一方で、膨大な情報を取り扱う大企業が原告である場合、秘密保持契約等を従業員と締結していてもそれが包括的なものであり、秘密保持の対象となる情報が何であるかを特定できていない場合には、秘密保持契約等のみだけでは当該情報に対する秘密管理性は認められ難いのではないかと思われます。


これに対して、被告である元従業員は、以下のように主張しています。
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被告が勤務していた●(省略)●の技術資料保管室には,電磁鋼板以外の部門の資料とともに電磁鋼板に係る資料が保管されており,電磁鋼板の製造や研究開発に関与する従業員以外のどの従業員でも,当該資料を閲覧・入手することが可能な状態であった。また,被告が在籍していた当時から,退職したOBが会社を訪れ,資料を閲覧したいと言って同保管室に入室するケースも散見されていた。さらに,過去の役職が上位であったOBが来社した際には,技術的な議論を行うとともに,在籍している従業員に指示した上で,資料の閲覧やコピーを行っていた。
また,在籍している従業員も,自宅で作業を行う際には,電磁鋼板に係る資料を持ち帰ることがしばしばあり,厳格な管理等が行われておらず,一般的な社内情報と同等の取扱いがなされるにすぎなかった。
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この元従業員の主張で最も気になることは下線部の箇所ですが、このことが事実であれば、機密保持規定により示される秘密管理は形骸化していたと判断され得るようにも思えます。

そして、裁判所は秘密管理性について下記の様に判断しています。
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原告は,機密保持規程に基づき,本件技術情報を含む電磁鋼板工場の全設備について●(省略)●機密性が著しく高い●(省略)●扱いとし,被告に対しても秘密保持の書面を提出させるなどの秘密管理の努力をしてきているのであるから,本件技術情報は,秘密として管理されている技術上の情報であると認められる。
これに対し,被告は,原告の電磁鋼板工場の全設備が●(省略)●これは形式的なものにすぎず,機密保持規程に定められたような内容の実態を伴うものではなかった旨を主張するが,このような事情をうかがわせる証拠は何ら提出されていないから,被告の主張は採用することができない。
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このように裁判所は、まず、原告が「秘密管理の努力」をしたのであるとして、秘密管理性を認めています。 これは少々驚きです。各営業秘密に対して、具体的にどのような秘密管理をしていたのかというよりも、裁判所は、総合的な「秘密管理の努力」を認め、それをもって秘密管理性を認めているようです。

このように裁判所が「秘密管理性の努力」によって秘密管理性を認めた判決が過去にあったのかを「努力」というキーワードでざっと調べました。
そうしたところ、裁判所が「秘密管理性の努力」により秘密管理性を認めた判決はありませんでした。

一方で、秘密管理性に係る原告の主張において「右書類には、部外秘等の表示はなかったが、本件情報の取得方法、競業行為の態様、機密性の認識可能性等の事情に照らすならば、原告は、本件情報の秘密保持のための合理的努力を行っていたといえる。」(平成11年7月19日東京地裁_平成9(ワ)2182号)とのように、原告自身が「秘密管理性の努力」を主張した裁判例はありました(他に1件、京都地裁平成13年11月1日(平成11(ワ)903号))。
しかし、いずれも裁判所は秘密管理性について認めませんでした。

そして、本事件では被告の主張は証拠がないとして採用されていません。しかしながら、裏を返すと「電磁鋼板以外の部門の資料とともに電磁鋼板に係る資料が保管されており,電磁鋼板の製造や研究開発に関与する従業員以外のどの従業員でも,当該資料を閲覧・入手することが可能な状態であった。」等の証拠を被告が提出できた場合には、原告が主張する秘密管理性は否定される可能性があるということなのでしょう。
個人的には、被告の主張は具体的な感じもするので、証拠は提出できないものの事実であったのではとも思えます。

以上のことからすると、本事件は新日鉄の主張が全面的に認められているものの、判決文を読んだ限りでは、秘密管理性について非常に危ういものを感じます。
もしかすると、本事件が新日鉄とPOSCOとの事件でなければ、当該営業秘密に対する秘密管理性は認められなかったのではないかとも思えてしまいます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2018年4月7日土曜日

「イノベーション創出のための兼業・副業解禁」は営業秘密の観点から大丈夫なのだろうか?

従業員の副業を認める企業が増えているようです。
これに伴い企業側は従業員が副業を行うことに対するリターンとして、当該従業員の能力向上を期待している側面もあるようですね。
参考ニュース:「「副業」相次ぎ解禁 ユニ・チャームなど 人材獲得、流出防止へ」(SankeiBiz)

しかしながら、副業解禁にはリスクもあることは周知であり、その一つとして秘密情報(営業秘密)の流出があります。そして、自社の秘密情報の流出リスクがあるということは、当然、他社からの秘密情報の流入リスクが存在します。

・参考過去ブログ:モデル就業規則の見直し 副業容認と営業秘密

ここで、上記ニュースで紹介されているコニカミノルタの「『会社にイノベーション(革新)をもたらす』ことを条件」という内容が気になり、検索したところ、コニカミノルタのホームページに該当する記載を見つけました。

・コニカミノルタリリース:イノベーション創出のための兼業・副業解禁、ジョブ・リターン制度導入


コニカミノルタのリリースの内容は、上記ニュースの内容と同様ですが下記のような文言が・・・
それは「兼業・副業先の経験を通して得た知見や技術を活かして、コニカミノルタのイノベーション創出の起点となることが期待されます。」(下線は筆者による)です。
「兼業・副業先の経験を通して得た知見や技術」とは何を指し示すのでしょうか?
この表現には、兼業・副業先の秘密情報(営業秘密)も含まれかねないと思います。当然、コニカミノルタとしては、そのような意図はないでしょうが。

しかしながら、私は、社会人の秘密情報、特に営業秘密に対するリテラシーは相当に低いと感じています。特に営業秘密の流入リスクについては、企業のトップですら認識が薄いかと思います。
そして上記のような期待を負って兼業・副業が認められた従業員は、イノベーションの創出の起点となる仕事を会社側にフィードバックできないと、プレッシャーを感じることになるかもしれません。その結果、当該従業員は、企業に対して何らかのフィードバックを与えるために、兼業・副業先が保有している情報、もしかすると営業秘密を持ち出すことになるかもしれません。
その結果、他社の営業秘密が自社に流入する可能性が有ります。

このような他社の営業秘密の流入を防止するためには、兼業・副業を認める従業員に対して、営業秘密に関する十分な教育を行い、営業秘密の不法な持ち出しの違法性を理解してもらわなければなりません。
すなわち、「兼業・副業先の経験を通して得た知見や技術」であって「イノベーション創出の起点」できるものは、副業・兼業先が保有している秘密情報ではなくて、「他の企業に勤務していても得られたであろう一般的知識や技能」の範囲のものでなければならず、それを従業員は理解する必要があります。

また、兼業・副業を認める従業員がイノベーション創出の起点となるような新しいアイデアを創出した場合には、当該企業は、相当の注意が必要になります。すなわち、そのアイデアが兼業・副業先の営業秘密等を開示・使用したものでないことの確証を得なければなりません。
これは難しいかもしれません。当該従業員のアイデアが、例え自社で知られていなくても、既に公知の情報によるものであれば他社の営業秘密でないという確証が得られるでしょう。しかしながら、当該従業員オリジナルのアイデアとのように説明され、実際に公知となっていないもの、かつ兼業・副業先の事業内容に含まれるようなアイデアであれば相当気を付ける必要があるかと思います。

もし、兼業・副業先の営業秘密等が自社で不正に開示・使用された場合には、当該従業員及び企業は民事的責任や刑事的責任を負う可能性が有ります。

このようなことを考えると、企業が従業員に副業を認める場合には、他社の秘密情報が流入するリスクを生じさせるような条件を設定することは慎重になるべきかと思いますが、副業を認めている企業においてこのような懸念をどのようにして解消しているのか知りたいところです。

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弁理士による営業秘密関連情報の発信