2025年5月31日土曜日

判例紹介:産総研の刑事事件 秘密管理性について

産総研(国立研究開発法人産業技術総合研究所)で研究員として勤務していた中国人が営業秘密侵害で逮捕・起訴された事件の刑事事件判決(東京地裁令和7年2月25日判決 事件番号:令5(特わ)1278号)において、非常に興味深い裁判所の判断がなされたので、それを紹介します。本事件は、営業秘密侵害事件としてはメディアでも報道されたものであり、覚えている人も少なからずいるかと思います。
なお、本事件の地裁判決において被告人は、懲役2年6月(執行猶予4年)及び罰金200万円の有罪判決となっています。

本事件は、主に絶縁ガスとして使用されるフッ素化合物であるC4の合成工程と効率的な反応条件等に関するものが営業秘密(本件ノウハウ)とされています。
本事件では、争点が複数あり、そのうちの一つとして本件ノウハウの秘密管理性について争っています。これに対して裁判所は以下のようにして本件ノウハウの秘密管理性を認めています。
⑴ 産総研における研究成果物等の取扱い
産総研法及び規則は、産総研職員に対し、職務上得られた秘密に関する守秘義務を定め、成果物規程は、全ての研究成果物等について秘密保持義務を定め、各職員において研究成果物等を秘密として厳重に管理すべきこと、公表したり第三者に提供したりする場合には産総研の承認が必要であることなどを明記している。さらに、産総研では、研究成果物の秘密管理を徹底するため、職員以外が立ち入ることができないよう研究施設を施錠するほか、職員固有のパスワードを入力しなければ産総研が貸与するパソコンを使用できないようにするなど秘密が漏洩しないための措置がなされていた(前記第2の2⑵、3⑶)。
以上によれば、産総研は、研究成果物等全般について包括的に秘密管理意思を有しており、これは、産総研に所属する各研究者が職務として従事する日常的な研究の過程で得られた産総研に帰属する研究成果物等を産総研の国立研究開発法人としての性質に沿って我が国の公益のために最大限の研究成果物等を確保するための合理的な秘密管理の方法であるといえる。
そして、産総研では、職員全員に秘密保持に関する研修の受講を義務付け、成果物規程や規則が定める秘密保持義務の内容や秘密として管理されるべき研究成果物等の範囲や秘密管理の方法等について周知を徹底していた。また、研究成果物等の定義についても上記のとおり明確に成果物規程で示されていた。産総研の職員は、産総研が研究成果物等について秘密として管理する意思があることも、その研究成果物等の対象範囲についても明確に認識できる状況にあったといえる。
したがって、産総研の研究成果物等である本件ノウハウについても、秘密管理性を有するといえる。
また、これらが規則や成果物規程に記載されていることや上記研修を被告人も受講していること、被告人自身が産総研での長期間にわたる研究の結果、特許ないし営業秘密に当たる種々の研究成果物等を得た経験があり、研究成果物等の産総研での取扱い方法等を熟知していたと考えられること等からすれば、被告人にこの点の認識があったことは明らかである。

このような裁判所のよる秘密管理性の判断は本件ノウハウに対して㊙マークやアクセス制限が行われていたというものではなく、本件ノウハウに対する直接的な秘密管理措置はされていたことはうかがえません。そうであれば本件ノウハウには秘密管理性が認められないのでは?とも思ってしまいます。この点については、弁護士も以下のように主張しています。
⑵ 弁護人の主張
弁護人は、秘密管理意思としては、情報一般についての管理意思では足りず特定の情報の秘密管理意思が必要であるところ、本件当時、産総研は、本件ノウハウもC4の研究の存在自体すらも把握しておらず、内部調査後に初めてその存在を認識したのだから、産総研に本件ノウハウの秘密管理意思は存在せず、また、本件ノウハウに機密であることが付記されてないから、秘密管理意思についての客観的な認識可能性も認められないなどと主張する。
上記の弁護士の主張に対して裁判所は以下のように判断し、弁護士の主張を認めることはありませんでした。
しかし、弁護人の主張は、いわゆる職務発明ないし事業者が保有する営業秘密について使用者等に秘匿して従業者等がし又は取得した場合は使用者等が何らの権利を有しないとする点で関連法規(特許法35条、不正競争防止法2条1項4号、7号等)にそぐわない独自の見解といわざるを得ない。本件においては、上記の規程等が全ての研究成果物等について、産総研の把握の有無を問わず、これらを産総研に帰属させて研究者に秘密として管理させる意思が客観的に示されていることは明らかで、これが産総研の国立研究開発法人としての性質に沿った合理的な秘密管理の方法であることは既に述べたとおりであり、産総研に個別の成果物の具体的な認識があることは秘密管理性の前提となるという主張は採用できない。一般に、営業秘密に当たる研究成果物等は産総研との雇用契約に基づき適用される成果物規程により原始的に産総研に帰属するから、当該研究成果物等の発生を職務上認識していればその職員は「営業秘密を保有者から示された者」に当たるのであって、産総研職員等が秘密性の明認を怠ったとしても秘密管理性に影響を及ぼすことはない。
上記のような弁護士の主張は、これまでの営業秘密管理に関する裁判例からすると理解はできます。しかしながら、新規な発明(情報)等に対して、これを創出した発明者が所属先に報告しない限り、所属先が秘密管理措置を行うことは実際に不可能であり非現実的です。そうであるにもかかわらず、発明者が報告しなかった発明(情報)に対して、所属先に秘密管理意思がないとすることは酷なことであるとも考えられます。
また、産総研のような研究開発を主とする組織であると、研究者自身が情報管理等を行うと考えられます。そうすると、自身が創出した発明に対して自身が秘密管理措置を行うことになり、産総研自身が個々の研究者が創出した発明に対して逐一秘密管理措置を行うことは現実的ではないでしょう。
さらに、本事件では、被告人自身が本件ノウハウを中国において特許出願しています。そうすると、被告人は、少なくとも本件ノウハウは新規性(非公知性)を有していることを認識していたことになります。そして、特許出願の対象となる発明は新規性を維持するために少なくとも特許出願までは秘密とすることは発明者であれば当然認識していることです。
そのように考えると、被告自身が本件ノウハウが秘密であることを認識していたことになり、裁判所の判断は妥当であると言えるでしょう。

逆に、このように解釈しなければ、研究者(発明者)が業務として創出した新規な発明(非公知の情報)を自らの意思で所属先に報告せずに外部に持ち出したとしても、何ら違法ではないことなり、所属先は多大なる損害を被ることになります。
本事件は産総研という研究を行うことを主目的とした法人ですが、発明に対する上記のような裁判所の判断は、一般的な企業でも当てはまるのではないかと思います。

しかしながら、本判決が一般化できるとしても、企業における秘密管理措置を緩くできることにはならないでしょう。やはり、企業は適切な秘密管理措置を行う必要があり、そのうえで秘密管理措置から漏れてしまう情報に対して本判決のような解釈が成り立つのだと思います。

なお、本判決は地裁判決です。被告人は控訴しているでしょうから高裁でどのような判決になるか非常に興味があります。仮に、秘密管理性の解釈について地裁とは異なる判断を高裁が行った場合には被告人は無罪となる可能性があります。
弁理士による営業秘密関連情報の発信