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2023年6月25日日曜日

判例紹介:退職時の秘密保持誓約(合意の拒否)

近年、従業員の退職時に秘密保持誓約書への合意(サイン)を求める場合が多くなっているようです。しかしながら、本ブログでも度々述べているように、営業秘密とする情報に対して秘密管理措置の実態が伴っていなければ、秘密保持誓約書をもって秘密管理性が認められる可能性は低いと思われます。また、退職者が秘密保持誓約書の合意を拒否したとしても、それは情報の秘密管理性とは関係がありません。

今回は、退職時に秘密保持誓約書の作成を退職者から拒否された裁判例(大阪地裁令和5年4月17日 事件番号:令3(ワ)11560号)を紹介します。
本事件は、被告P2が被告P1の指示の下、被告が原告の契約するクラウドに記録されていた営業秘密である取引先及び取引内容に係る情報(本件情報)を窃取して被告会社に開示した等を原告が主張した事件です。なお、被告P1,P2は共に元原告の従業員です。
被告P1,P2は、原告への入社時に秘密保持義務が記載された誓約書を締結した一方で、退職する際に誓約書を締結するよう原告から求められたものの拒絶しています。

なお、本件情報が記載されたファイルや書面には営業秘密である旨の表示がなく、ファイルにはパスワード等のアクセス制限措置が施されておらず、原告の全従業員がアクセス可能なクラウドに保存されていました。このような管理に対して裁判所は、適切に秘密として管理されていたとはいえず、また、秘密として管理されていると客観的に認識可能な状態にあったとはいえない、と裁判所は判断しています。


そして、入社時の誓約書を用いた秘密管理性の有無について、裁判所は以下のように判断しています。
❝③通信・運用管理規程や入社時の誓約書には、本件情報1及び2を営業秘密として管理する旨の記載はなく、他人の個人情報をみだりに開示しないことと他人の個人情報が原告の営業秘密であることとは関係がない。❞
さらに、退職時に要求した誓約書について、裁判所は以下のように判断しています。
❝④原告が被告P1及び被告P2の退職時に要求した誓約書は、原告の事業に関する価格、取引情報のみならず、商品、サービス、財務、人事等に関する広範な情報を秘密情報とし、理由の如何を問わず、自己又は第三者のために開示、使用することを無期限に禁じ、退職後、2年間もの間、競合企業への就職等を一切禁止する内容であり(甲37)、仮に合意されたとしても明らかに公序良俗に反し無効なものであり、被告P1及び被告P2がこれを拒否するのは当然であって、むしろ、原告において本件情報1及び2を適切に営業秘密として管理していなかったことを窺わせる事情といえる。❞
このように、誓約書に対しては、本件情報を営業秘密とすることを記載したものではなく、包括的なものであるとして、誓約書によっても本件情報の秘密管理性は認められないと判断しています。
特に、退職時に要求した誓約書に対する合意の拒絶が被告P1,P2にとって不利となるようなこともなく、裁判所は❝仮に合意されたとしても明らかに公序良俗に反し無効である❞とまで認定しています。

以上のように、情報に対する秘密管理措置の実態が伴っていなければ、従業員等との間で包括的な秘密保持誓約書等を締結していても、この誓約書には秘密管理措置としての意味はありません。また、秘密管理措置の実態がなければ秘密保持誓約書の合意を退職者が拒絶したとしても、それによって退職者が不利となることはないでしょう。

秘密保持誓約書のみならず就業規則等は、主に包括的な秘密保持義務を従業員等に課すものです。このため、それのみで秘密管理措置と認められる可能性は低く、裁判においてはあくまで秘密管理措置の主張を補強する程度のものと考えるべきでしょう。
なお、仮に秘密保持誓約書の合意を拒絶したとしても、営業秘密を不正に持ち出して使用等したら、それは営業秘密侵害となります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年4月18日火曜日

判例紹介:特許に包含される技術情報の秘密管理

ある技術の特許が取得されると特許公報が発行されます。第三者はこの特許公報を参照して当該特許に係る技術を知ることができます。しかしながら、特許公報に記載内容だけでは、当該技術を再現することは難しい場合が多々あり、特許公報に記載されていないノウハウが必要だったりもします。そのようなノウハウも重要であるにもかかわらず、ノウハウが適切に秘密管理されていない場合は多々あると思います。
今回はそのようなことに関連した裁判例(大阪地裁令和5年1月26日 事件番号:令2(ワ)8168号)を紹介します。

本事件は、原告が美容院、ビューティーサロン、エステティックサロンの経営等を会社であり、被告(P1~P3の3名)はこの会社の元従業員であり、まつ毛エクステンションの施術担当者であったものの、原告会社を退職後にまつ毛のエクステンションの施術を行う店舗を開業しました。

また、原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を主力商品としており、P7は発明の名称を「まつ毛エクステンション人工毛の装着方法」とする特許出願(特願2019-123)を行い、この特許出願は権利化されており(特許第6957040号)、現在も権利は存続しています。
なお、当該特許権の請求項1は下記の通りであり、従属項として請求項2~6があります。
❝【請求項1】
  二本又は三本のエクステンション用人工毛と一本の支持用人工毛を用意する第一のステップと、
  前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第一のエクステンション用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第二のステップと、
  前記第一のエクステンション用人工毛の付け根をまつ毛の上方からまつ毛の付け根の左右いずれか寄りに固定する第三のステップと、
  前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第二のエクステンション用人工毛の付け根を前記まつ毛の上方から前記第一のエクステンション用人工毛が固定されていない左右いずれか寄りに固定する第四のステップと、
  前記一本の支持用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第五のステップと、
  前記第一のエクステンション用人工毛と前記第二のエクステンション用人工毛が固定された前記まつ毛の上方から、前記まつ毛の付け根に一回接着剤を付ける第六のステップと、
  前記まつ毛の略真下に前記一本の支持用人工毛を回り込ませ、前記支持用人工毛の水平面との角度を前記まつ毛の水平面との角度に略一致させた状態にて、前記まつ毛の下方から前記まつ毛の付け根のみに前記支持用人工毛の付け根のみを固定する第七のステップ
を含む、まつ毛エクステンション人工毛の装着方法。❞
裁判所は、この特許(本件特許情報)を❝主に美容目的でまつ毛のボリューム感を増大させ目を大きく見せるためにまつ毛に装着されるまつ毛エクステンション人工毛の装着方法であって、人工毛を装着する位置や順序(請求項1~4)、使用する人工毛の形状(請求項2)、接着剤の付け方(請求項1、2、5、6)などの情報からなる。❞と認定しています。

そして、P7及び原告と被告らは下記のような秘密保持契約を結んでいました(甲がP7及び原告であり、乙が被告です。)。
❝第1条(定義)
 「本件の商標・特許」とは、本件製品の名称及び施術に関して、甲が所有している次の商標及びこれについての特許技術をいう
 登録商標
 【ロングキープラッシュ/Longer Keep Lash】
 役務の区分
 第3類及び第44類に属する
 第2条(使用の範囲)
 ●乙は甲の指定業務以外で、本件の商標・特許の使用は一切できないものとする
 ●乙は甲の承諾なくして、退社後も本件の商標・特許について、【入社時の機密事項承諾書・私は、貴社就業規則および秘密管理規程に従い、業務上の機密は在職中は勿論退職後といえども一切漏洩いたしません】に基づく技術漏洩を一切禁止する❞

ここで、本件秘密保持契約上の債務不履行について、被告は被告店舗において「ロングキープラッシュ」とは異なる「バインドラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を実施しており、これは本件特許情報とは異なる装着方法である、として認められませんでした。
なお、本件特許情報の装着方法である「ロングキープラッシュ」は、地まつ毛の上部に2本又は3本の断面が扁平で付け根に凹みのある人工毛(フラットラッシュ)を装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する装着方法とのことです。
一方、「バインドラッシュ」は、「ロングキープラッシュ」において使用するものとは形状の異なるフラットラッシュ1本を装着し、地まつ毛の下部にフラットラッシュ1本を装着して地まつ毛を挟んで固定する装着方法とのことです。


次に、原告が営業秘密であると主張する情報(本件手技情報)は、下記の通りです。
❝本件手技情報は、本件特許情報を実施するために必要とされる手技であり、使用する人工毛の形状、接着剤の付け方及び人工毛を装着する位置や順序に係る情報である。❞
また、本件特許情報と本件手技情報とが異なる点は、下記であり、本件手技情報は本件特許情報に包含される関係にあるとされています。
①本件特許情報では接着剤を「球状に付ける」とされているところ、本件手技情報では「球状にすくい」とされる。
②人工毛(フラットラッシュ)2本で地まつ毛を挟み込む手技(本件付加情報)については、本件特許情報にはなく、本件手技情報のみにある。

原告は被告らの原告在職中、本件特許情報を利用した「ロングキープラッシュ」と称するまつ毛エクステンションの装着方法をまつ毛エクステンションの施術を担当する従業員に教示し、原告の経営する各店舗において一般顧客に対し施術をする際に利用していたものの、原告は被告らに対し、本件手技情報のうち本件付加情報を教示したことはなかった、とのことです。

そして、原告は、このような手技の秘密管理性について下記のように、手技に関して文章化は行っていないものの、講習によりマスターさせて非公開としていたと主張しています。
❝原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」という名称の長持ちするまつ毛エクステンションを主力商品としており、本件特許出願以前から「ロングキープラッシュ」を営業秘密と指定し、従業員との間で秘密保持契約を締結してきた。
「ロングキープラッシュ」の技術は、本件特許出願において文書化されているものだけで習得できるものではなく、実際に施術できるようになるためには、原告において講習を受けて手技をマスターしなければならないが、その手技は非公開である。❞
上記原告の主張に対して裁判所は下記のように判断しています。
❝本件では、本件秘密保持等契約書以外に営業秘密を具体的に明示した文書はなく、原告が被告らに対し「ロングキープラッシュ」の施術方法を教示するに際して本件特許出願の願書や明細書その他の添付書類等を示しておらず、まつ毛エクステンションの装着方法に関して具体的にいかなる範囲が秘密とされるのかを明らかにした書面もない。しかも、「ロングキープラッシュ」は、被告らの原告在職当時、原告の各店舗において、不特定多数人に対して何らの制限もなく公然と施術されていた。また、まつ毛エクステンションの業界においては、まつ毛エクステンションの装着方法が全て秘密にされるわけではなく、新規の装着方法であっても、公開され、他のアイリストに教授されることもあり、装着方法を秘密とするか否かや装着方法のうち具体的にどこまで秘密にするかは、自明なものではない。
そうすると、本件秘密保持等契約書に規定された「特許技術」以外の本件特許情報及び本件手技情報は、原告において適切に秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったといわざるを得ない。また、原告は、被告らに対し、「ロングキープラッシュ」を教示したのであって、本件特許出願に係る願書等を示したわけではないから、本件秘密保持等契約書の「特許技術」は、その文言どおり、「ロングキープラッシュ」についての本件特許情報、すなわち、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報を意味するものと解される。
そして、当該情報は、不特定多数の顧客に対して公然と施術される装着方法であり、施術を受ければ視覚的に認識できるものであるから、やはり秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったということになり、結局、本件秘密保持等契約書上の「特許技術」も、不正競争防止法上の営業秘密とはいえない。❞

また、文書化されていない非公開の手技について、それを含めて営業秘密と指定し、秘密保持契約を締結したので秘密管理性があるとの原告の主張に対しては、裁判所は下記のようにして認めませんでした。
❝原告の主張する文書化されていない非公開の手技については何ら具体的な主張立証がなく、前記イのとおり、本件秘密保持等契約書の対象は、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報であって、文書化されていない非公開の手技や本件付加情報は含まれないから、採用できない。❞
結局のところ裁判所は、原告が主張する非公開の手技等は、文章化もされていないし、それが秘密であることを従業員に認識させていなかった、ということで手技等の技術の秘密管理性を認めなかったことになります。また、特許権についても、被告は特許権の技術的範囲に含まれない技術を実施したのであるから、秘密保持契約の債務不履行にはならないとされています。

この裁判例における手技のように、自社開発技術について文章化等せずに従業員に実施させる一方、当該技術は秘密であるとの認識を持っている会社は多いと思います。
しかしながら、本ブログでも度々述べているように、文章化等しなければ秘密として管理もできず、裁判において秘密管理性が認められることは無いと考えられます。
このように、営業秘密とする情報は、営業情報や技術情報にかかわらず、文章化、リスト化、その他の手法によって従業員が認識できる形とし、それを秘密管理する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年4月10日月曜日

判例紹介:営業秘密の管理規定と秘密管理性

秘密管理規定を定めている企業は少なからずあるかと思いますが、秘密管理規定に規定されていない方法(主張)による秘密管理性は認められるのでしょうか。
今回は、このような裁判例(東京地裁令和4年8月9日判決 事件番号:令3(ワ)9317号)について紹介します。本事件は、知財高裁(知財高裁令和5年2月21日判決 事件番号:令4(ネ)10088号)でも争われましたが、地裁及び知財高裁共に一審原告の敗訴となっています。なお、下記の内容は、主に地裁の判決文を参照しています。

本事件は、原告の従業員であったBが被告Aが設立した被告会社に転職した際に、Bが作成した本件データを被告会社に持ち出したというものです。被告Aは、原告の元代表取締役でもあり、その後に被告会社を設立しています。

まず、裁判所は、本件データはその内容がウェブで公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであり、そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかった、と判断しています。このため、本件データと実質的に同一である被告ら作成データも営業秘密に該当するものとはいえない、とされています。
このように、原告が営業秘密であると主張する本件データは、Bによって持ち出して被告会社で使用等されたようですが、営業秘密ではないとされています。

本件データに関しては、裁判所において営業秘密ではないと判断されていますが、その裁判の過程で当然、原告は秘密管理性についても主張しており、下記がその主張内容です。
❝原告は、フォルダ構成図(甲16)を提出した上で、本件データが格納されたフォルダへのアクセス及び変更の権限はBを含むIT担当者3名のみが有し、アクセス及び参照の権限は経営会議の構成員のみが有していたのであり、情報管理規程(甲17)等においても、秘密情報の漏洩を禁じていたなどと主張する。❞
これに対して、裁判所は以下のように原告の主張を認めませんでした。
❝上記フォルダ構成図は、平成30年2月27日に作成されたものであり、Bが被告Aに対して被告ら作成データを送信した平成30年1月22日よりも後に作成されたものであることからすると、「AI」フォルダにアクセス権限や閲覧制限を個別に設定しなかったとするBの陳述の信用性を直ちに覆すものとはいえない。仮に、原告の主張を前提としても、前記認定事実⑷ア及びイの原告の在籍状況等を踏まえると、相当数の者が本件データにアクセスすることができたと認められる上、そもそも、本件データには個別のパスワードが設定されず、しかも、「機密情報」、「confidential」という記載もなかったのであるから、客観的にみて、本件データの内容に照らしても、本件データにアクセスした者において当該情報が秘密情報であることを認識できなかったことが認められる。❞

また、原告は、上記のように情報管理規定を定めており、この9条3項には下記のように規定されています。
❝第9条(秘密情報の保管)
 3 電子データの秘密情報は、サーバに保存し、アクセス権者以外の者がアクセスできないようにフォルダ・ファイルにパスワードによるアクセス制限をかけなければならない。❞
裁判所は、このような規定があるにもかかわらず、❝本件データには、そもそもパスワードが設定されていなかったことが認められるのであるから、上記情報管理規程を前提としても、本件データが原告において秘密として管理されている情報であると認められないことは、明らかである。❞とも判断しています。

このような、情報管理規定との兼ね合いから秘密管理性を否定した裁判所の判断は、当然とも思われますが、この判断は秘密管理性について重要なことを示唆しています。
すなわち、秘密情報を何とするかを規定した秘密管理規定を会社が定めていたならば、会社もそれに縛られるということです。
今回の例のように、電子データの秘密情報には❝アクセス制限をかけなければならない❞と規定したのであれば、アクセス制限をかけていない情報を営業秘密であると主張することは難しいということです。

そもそも、営業秘密とする情報に秘密管理性が必要とされる理由は、営業秘密保有企業の秘密管理意思が従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思を従業員等に認識させるためです。
このために、情報管理規定において、秘密情報に対してアクセス制限をかけるといった方策を従業員に示し、それを会社がそれを実行することで従業員に当該情報が営業秘密であることを認識させます。それにもかかわらず、情報管理規定で規定していない方法によって、当該情報を営業秘密であると会社が主張しても、従業員は当該情報が営業秘密であると認識できません。このため、会社側がこのような方法による秘密管理性を主張したとしても、それは認められないこととなります。

このように、秘密情報管理規定等によって、秘密情報の管理方法を規定しているのであれば、従業員だけでなく会社も当然この管理方法を守る必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年10月31日月曜日

判例紹介:見積書の営業秘密性

一般的に見積書は同業他社に知られたくない情報と考えられ、不必要に第三者に開示したりするものではありません。では、見積書というだけで、その営業秘密性は認められるのでしょうか。

これに関して争われた民事事件として、大阪高裁令和4年9月30日判決(令4(ネ)574号)があります。この事件は下記ブログ記事で紹介した事件の控訴審であり、一審では原告敗訴となっており、控訴審でもそれが維持されています。

本事件は、元従業員である被告P1(被控訴人P1)が不正の手段により原告(控訴人)が営業秘密と主張する見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告会社に開示し、被告会社がこれを使用したことが不競法違反に当たる、とのように原告が主張したものです。
しかしながら、裁判所は、見積情報の営業秘密性を認めず、さらに被告P1による見積情報の不正取得や使用、開示行為も認めませんでした。

そして控訴人である原告は、控訴審において当該見積情報(本件見積書)の秘密管理性を下記のように主張しました。
❝被控訴人P1 は、競業会社である被控訴人会社の代表者であって、本件見積書に記載された本件顧客情報及び本件価格情報が控訴人からすれば他社に知られてはならない秘密であることは同業者として十分に知っていたから、それだけで営業秘密であることが客観的に認識可能であったといえるのであり、上記各情報は控訴人の営業秘密に該当する。❞



確かに、見積書には顧客情報や価格情報が含まれており、見積書は他社に知られたくなく、秘密にするべき情報と考えることが一般的と言えるでしょう。しかしながら、裁判所は以下のように本件見積書の営業秘密性を否定しました。
❝しかし、例として対象工事1、3についてみると、これらに関しては、控訴人が本件見積書1、3を提出した元請業者が建物建築工事を受注できないことが確定し、控訴人も同各見積書に基づいては型枠工事を受注できないことが確定した後に、被控訴人会社が同型枠工事に係る見積書を作成したことが問題とされているところ、本件見積書1、3は、競争入札に参加予定の元請業者が入札額を算出するに当たり参考にするために下請業者に作成提出させたものにすぎず、必ずしも被控訴人会社の受注に直結するものではない(補正の上引用した原判決第2の2(3)ウ)。そして、具体的工事を対象として作成される見積書は、その性質上、契約締結に至らなかった場合、そのままでは他に流用できないものであるから、これらの点も併せ考えると、控訴人においては、契約締結に至るか否かを問わず、見積書全般につき、その見積書に記載されている顧客情報及び価格情報について、一律に、営業秘密に該当することが従業員である被控訴人P1 において客観的に認識可能であったとは認められない。❞
少々分かり難いかと思いますが、見積書を取引先に提出したものの受注に至らなかった場合には、当該見積書は他に使用できるものではないから、当該見積書というだけで(㊙マーク等の秘密管理無く)、客観的に秘密であると認識できるものではない、という裁判所の判断だと思います。すなわち、受注に至らなかった見積書は相対的に価値が低い(有用性が低い?)情報であるため、それだけでは秘密であるとは認識できない、ということでしょうか。
そうすると、受注に至った見積書は(価値が高いため?)、それだけで秘密管理性が認められるということになるのでしょうか。また、受注に至るか否か分からない、顧客が判断中の見積書はどうなのでしょうか。

このように、一般的には秘密だと思われる情報であっても、秘密であることを認識可能なように管理していないとして、その秘密管理性が否定され、営業秘密ではないと裁判所に判断される場合があります。一般的に秘密と考えられる情報としては、例えば、顧客情報がありますが、顧客情報に対しても秘密管理性が否定された裁判例が多々あります。
このように営業秘密性が否定されるリスクを避けるためにも、秘密としたい情報は一般論に頼らずに、確実に秘密管理する必要があります。

なお、本控訴審でも被告による当該見積書の不正使用や開示は認めていませんので、当該見積書の営業秘密性が認められたとしても、最終的な結論は変わらないでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月18日日曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(秘密管理性)

自社製品の開発・製造を他社に委託することは一般的に行われていることです。しかしながら、実際に製造・販売までに至らず、途中で取りやめになることも少なからずあるでしょう。
今回紹介する判例(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)は、そのような事例についてのものです。

本事件の概要は以下の通りです。
①平成29年5月8日頃に原告が被告から、被告が販売する樹脂製の新規の宅配ボックスの開発・供給の引き合いを受ける。
②初回ミーティング後に、本件新製品の企画が外部漏洩するおそれを極力なくすため、被告は原告に対して機密保持契約の締結を提案し、平成29年5月19日までにその契約書の雛形を電子メールに添付して送信した。その後、被告は被告の押印済みの機密保持契約書を原告に2部郵送し、原告の押印済みのものを1部返送するように依頼した。原告は、原告の押印済みの同年6月20日付けの機密保持契約書を1部保持している。
③平成29年9月4日に原告の従業員Aは、Mタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ1を、同月7日にSタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ2を、それぞれ被告の従業員Bに電子メールで送信した。
④平成29年7月から9月初めにかけて、被告作成のモックアップの試験が行われ、原告と被告との間で、納期、コスト、仕様等の点で意見の食い違いがあり、仕様変更を含めた本件新製品の製造に関する打合せが繰り返し行われた。
⑤平成29年9月18日に、原告は本件新製品の製造費用についての同月14日付けの見積書を電子メールに添付して送信した。原告と被告とは、本件新製品の組立てに要する費用を原告が負担するか否か等の条件面での意見が一致せず、被告は本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめることとし、原告と被告との間での本件新製品の開発プロジェクトは同月中に終了することとなった。
⑥平成29年10月9日に、原告は本件プロジェクトが終了したことを受けて、被告に対し,本件新製品の「設計費・機会損失額」として合計1699万2800円の支払を求める旨の見積書を電子メールに添付して送信するものの、「設計費・機会損失額」の支払義務の有無及び額については合意に至らなかった。
⑦少なくとも平成30年7月25日頃から令和2年3月末までの間、被告は、被告製品を製造し、被告製品の譲渡を行った。

以上のような経緯があり、原告の営業秘密である本件データ1,2を使用して被告が被告製品を生産、譲渡及び譲渡のための展示を行ったことは、不正競争に該当するとして、原告が被告に対して差し止めや損害賠償を求めました。
この事件の結論からすると、被告による被告製品の生産等は、原告の営業秘密である本件データ1,2を不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求(610万1962円)が認められました。


次に、本件データに対する秘密管理性、有用性、非公知性に対する裁判所の判断についてです。本事件は原告の勝訴となっているので、当然、これらはすべて裁判所によって認められています。

秘密管理性について、裁判所は「原告内部における秘密管理の状況」、「被告との関係における秘密管理の状況」という2つの視点から判断しています。

「原告内部における秘密管理の状況」について、裁判所は下記のことから本件データの秘密管理性を認めています。
①従業員に対して就業規則によって機密保持義務を課していた。
②技術的アクセス制限を含む社内ネットワークを構築していた。
③技術情報をサーバ上の所定のフォルダに保存し、アクセス制限を設けていた。
④本件データも技術部用のフォルダに保管されていた。

次に「被告との関係における秘密管理の状況」についてです。
ここで、本件データに対する「被告との関係における秘密管理」に対して、被告は2つの主張を行ったようです。
①被告は、原告から押印済みの本件機密保持契約書の返送を受けなかったとして、本件機密保持契約は締結されていないと主張。
②本件データには、これが営業秘密であることの記載や閲覧のためのパスワードの設定はされておらず、また、本件データを送付した電子メールの本文にも本件データが営業秘密である旨の記載はされていなかった。

①の機密保持契約についてですが、裁判所は以下のようにして原告と被告との間で機密保持契約は成立していたと判断しています。
❝本件プロジェクトが終了するまでに,被告から原告に対して本件機密保持契約書の返送がないと指摘したり,原告が被告に本件機密保持契約の締結に応じないとの態度をとったりしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,本件機密保持契約は,遅くとも原告が保管する本件機密保持契約書(甲4)の作成日である平成29年6月20日頃までには成立していたものと認めるのが相当である。❞
②については、本件データには確かに営業秘密であることを示す措置は直接的に行われていませんでした。しかしながら、裁判所は、下記のように、原告と被告との間における本件データの秘密管理性を認めています。
❝原告と被告との間でやりとりされた本件新製品に関する企画書,図面,見積書等には秘密である旨が明示されているものとないものがあったところ,前記イ(ウ)のとおり,原告が被告に対して送付したモックアップ用の別の3Dデータについて,秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていたものである。そうすると,前記イ(エ)のとおり,本件データの送付の際にこれが秘密である旨が明示されていなかったことを考慮しても,本件データを受領した被告において,本件データが秘密として管理されていることは容易に認識可能であったというべきである。
なお、上記の「秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていた」とは、以下のような行動です。
3Dデータの送信の際に原告はこれらのデータが秘密である旨の表示はしていなかったが,同月27日に送信されたデータを受領した被告従業員Cは,同月29日,原告従業員のAに対し,「頂きました図面データですが,先日のお打ち合わせの際にご説明させて頂きましたIOT化に向け,センサーの組み込みや通信機器の設置場所の検討にあたり,パートナーに共有させて頂いても宜しいでしょうか?/先方とはNDAを締結済みです。」と尋ねる電子メールを送信した(甲6,8,13,乙20,21)。❞
すなわち、秘密であることの表示がない3Dデータに対して、被告従業員Cはそれが秘密であるとの認識のもとにパートナーと共有しているのであるから、この3Dデータと直接的に関係のある本件データに対しても秘密であることは認識できていた、とのように裁判所は判断しています。

営業秘密とする情報に秘密管理性を求める理由は、当該情報の保有者に無断で当該情報を持ち出したり、使用等すると不正競争行為となる、ということを当該情報に触れた者に予測させるためです。
そのように考えると、たとえ、本件データに直接的に秘密である旨の表示が無くても、原告から被告への本件データを送信前後における他のデータの秘密管理の状態を考慮して総合的に判断することは妥当であると思われます。
また、新規製品の開発・製造の委託においては、様々なデータが取引先との間で行われます。その場合に、一部のデータに対して秘密である旨の表示やパスワード管理等が不十分だからとして、当該データの秘密管理性が否定されてしまうと、それは営業秘密の保有者にとって不合理であるといえるでしょう。
とはいえ、やはり、このようなトラブルを未然に防止するためにも、自社の営業秘密を他社に開示する場合には、その秘密管理性が保たれるように十分な注意が必要です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年7月27日水曜日

判例紹介:愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(秘密管理性)

前回紹介した愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(名古屋地裁 令和4年3月18日判決 事件番号:平29(わ)427号)の続きです。本事件は、控訴されなかったため、被告人の無罪が確定しています。

本事件では、下記㋐~㋖である「本件実開示情報」についての秘密管理性の判断をしています。「本件実開示情報」とは、被告人が株式会社dの従業員eに実際に説明した、ワイヤ整列工程に関する情報のうち、検察官主張工程と共通する部分であり、愛知製鋼(b社)が保有するとしている技術です。
❝㋐ チャックがワイヤをつまみ,基板上方で右方向に移動する(前記のとおり,3号機では,ボビンを正転させて,なるべく張力を掛けずにワイヤを送り出しており,チャックが一定の張力を掛けながらワイヤを右方向に移動するとはいえないので,「一定の張力を掛けながら」というのは共通して存在する工程とはいえない。)。
 ㋑ ワイヤに張力を掛けたまま仮固定する。
 ㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ,ワイヤと基板の溝等の位置決め調整を行う(前記のとおり,bのワイヤ整列装置は,本件当時,「仮固定したワイヤを基準線として位置決め調整」を行っていたとはいえない。)。
 ㋓ 基板固定台座を上昇させ,ワイヤを基板の溝等に挿入させ,基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする。
 ㋔ ワイヤを切断する(前記のとおり,3号機では,厳密には基板の左脇で切断していたとはいえないし,機械切断ではない。)。
 ㋕ 基板固定台座が下降し,次のワイヤを挿入するためにY軸方向に移動する。
 ㋖ 以下㋐ないし㋕の工程を機械的に繰り返す。❞
そして、裁判所は、上記本件実開示情報に対して、下記のように「本件実開示情報に非公知性が認められるという見解を採るのであれば」という条件のもと、本件実開示情報の秘密管理性を認めています。なお、裁判所は、本件実開示情報の非公知性は認めていません。
❝以下に述べるようなbにおけるワイヤ整列装置の管理状況,f等との間の秘密保持契約の内容等からすると,bは,本件当時,ワイヤ整列装置に関する技術情報を秘密として管理していたと認められ,仮に,本件実開示情報に非公知性が認められるという見解を採るのであれば,本件実開示情報を秘密管理していたと認められる。❞
ここで、上記ワイヤ整列装置の管理状況は、以下のように認定されています。
 ❝⑴  ワイヤ整列装置に関する管理状況
 本件当時,1号機ないし3号機は,以下のように管理されていた。
 ア 1号機は,br工場技術センターのクリーンルーム内に保管されていた。
 イ 2号機と3号機は,本件工場のクリーンルーム内に保管されていた。
 ウ 上記各クリーンルームには,本件当時,電子錠が設置され,そこに立ち入るには,関係する特定の認証カードが必要とされていた。❞
これに対して、弁護人は以下のように主張しています。
 ❝弁護人は,①本件実開示情報は,経済産業省が作成した「営業秘密管理指針」にも規定される,営業秘密としての保護の対象となる情報とそうでない情報とを明確に区別するための大前提としての紙媒体等による管理がされていない,②bは,「機密管理規程」(弁21)に従った機密管理措置を執っていないなど,本件実開示情報を秘密保持する意思がなかったなどと指摘し,本件実開示情報に秘密管理性はない旨主張する。❞
一方、裁判所は、下記の理由により、ワイヤ整列装置の管理状況の点から本件実開示情報の秘密管理性を認めています。
❝①については,「営業秘密管理指針」の作成主体である経済産業省は,同指針について,一つの考え方を示すものであり,法的拘束力を持つものではないと明言している。・・・bは,1号機ないし3号機をクリーンルーム内に保管し,特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置を講じていたのであるから,「営業秘密管理指針」に照らしても,1号機ないし3号機の秘密管理性が失われるような問題があるとまではいえない。❞

しかしながら、この裁判所による秘密管理性を肯定する判断は甘すぎるように思えます。
営業秘密は必ずしも紙媒体等により管理される必要はありませんが、「営業秘密としての保護の対象となる情報とそうでない情報とを明確に区別する」ことは、従業員等による「予見可能性」の点から必要です。しかしながら、裁判所が認定するような「特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置」程度では、従業員等に「予見可能性」を与える管理とは言えないと思えます。
「予見可能性」を与えるためには、例えば、紙媒体で営業秘密を管理する場合には、㊙マークを付けたり、施錠可能なキャビネットに保管します。また、デジタルデータで営業秘密を管理する場合でも㊙マークを付けたり、パスワード管理を行います。

一方、本事件のワイヤ整列装置そのものは、装置全体が営業秘密であるということはありえず、装置の多くの部分は公知技術で構成されており、その一部が営業秘密とされる技術情報で構成されるものでしょう。さらに、装置が保管されているクリーンルーム内には他の装置等も保管されている可能性があり、そのような状況で、たとえクリーンルーム内の立ち入りを特定の認証カードを所持する者のみに制限したとして、「営業秘密としての保護の対象となる情報とそうでない情報とを区別」して認識できる者が現実的にいるのでしょうか?
せめて、ワイヤ整列装置において営業秘密とする技術が用いられている部分に㊙マークが付されていれば(一般的ではないと思いますが)、営業秘密が用いられる部分を従業員も認識できますが、そのような主張もありません。すなわち、本事件において、営業秘密と主張する情報又はそれが化体する装置そのものに秘密であることの表示はありません。

ここで、民事訴訟ですが生産菌製造ノウハウ事件(東京地裁平成22年4月28日判決 平成18年(ワ)第29160号)において被告は、下記のように秘密管理性を否定する主張を行っています。
❝コエンザイムQ10研究者以外の原告の従業員であっても、本件生産菌Aに容易に触れる機会があり、また、本件生産菌Aが保管されている冷凍庫に内容物が秘密であることの表示がないことなどから、それが秘密であることを認識できる状況にはなく、本件生産菌Aは秘密として管理されているとはいえない❞
これに対して、原告は、本件生産菌Aの種菌は施錠可能な2台の冷凍庫に保管されていることや、「特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置」と同様の管理体制の他、複数の管理体制を主張することで、その秘密管理性が認められました。

一方、「CONFIDENTIAL」等の表記があるハンドブックに記載された原告主張の営業秘密の秘密管理性が認められなかった事件として、接触角計算プログラム事件(知財高裁平成28年4月27日判決 平成26年(ネ)10059等)があります。
この事件は、本件ハンドブックには表紙中央部に「CONFIDENTIAL」と大きく印字され、各ページの上部欄外には「【社外秘】」と小さく印字されていたものの、下記理由(一審判決)により本件ハンドブックに記載の原告アルゴリズムの秘密管理性を認めませんでした。
❝原告アルゴリズムについては,本件ハンドブックにおいて,どの部分が秘密であるかを具体的に特定しない態様で記載されていたことなどからして,営業担当者が,営業活動に際して,本件ハンドブックのどの部分の記載内容が秘密であるかを認識することが困難であったと考えられるのであって,このことからしても,秘密として管理されていたと認めることはできない。❞

このように、本来、営業秘密として秘密管理性が認められるためには、営業秘密とされる情報が従業員等に認識可能なように管理されなければなりません。しかしながら、愛知製鋼磁気センサ事件ではそのような管理はされていないように思えます。

また、裁判所は、下記のように愛知製鋼(b社)と他社(n社等)との間で秘密保持契約を締結したことによっても秘密管理性を認めています。なお、下記の②は、弁護人による「bは本件実開示情報を秘密保持する意思がなかった」との主張に対応します。
❝②については,確かに,bは,ワイヤ整列装置に関する技術情報について,「機密管理規程」に従った機密管理措置を執っていたわけではない。しかし,bは,本件の約2か月前にも,nとの間で,ワイヤ整列装置に関する技術情報について秘密保持契約を締結するなどしていた。また,その技術情報が化体した1号機ないし3号機を,機密管理していた。そうすると,仮に,本件実開示情報に非公知性が認められるという見解を採るのであれば,bにおいて,本件実開示情報を秘密保持する意思があったと認められる。
秘密保持契約は、秘密管理性を裏付ける重要な証拠となり得ますが、秘密保持契約に基づく秘密管理意思は契約締結者に対してだと考えられ、民事訴訟においてそれは厳密に判断されています。

そうすると、例えば、愛知製鋼が他社との間でワイヤ整列装置に関する技術情報について秘密保持契約を締結したとしても、その秘密管理意思は他社に対してのみ示されるものであり、それによって従業員にも秘密管理意思を示したとする裁判所の判断には疑問が生じます。

以上ことから、本事件における裁判所の秘密管理性判断はとても甘いものであり、妥当な判断であったのか疑問に思えます。このため、営業秘密に対する秘密管理がこの程度のもので良いと考えることは非常に危険であり、この判例における秘密管理を参考にしない方がよいでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年7月18日月曜日

判例紹介:愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(技術情報の抽象化・一般化)

愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(名古屋地裁 令和4年3月18日判決 事件番号:平29(わ)427号)について紹介します。本事件は、被告人が無罪となった事件であり、比較的大きく報道された事件でもありました。本事件は、控訴されなかったため、被告人の無罪が確定しています。

本事件は、b株式会社(愛知製鋼株式会社)の元役員又は従業員であった被告人a,cがb社から示された情報を株式会社dの従業員eに対し、口頭及びホワイトボードに図示して説明することでb社の営業秘密を開示した、というものです。
なお、この情報とは、b社が保有する営業秘密であるワイヤ整列装置(1号機~3号機)の機能及び構造,同装置等を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関する技術上の情報とされています。

ここで、検察官は、下記㋐から㋖までの工程(検察官主張工程)であるワイヤ整列工程を被告人がeに説明したと主張し、この㋐から㋖までの工程はb社が独自に開発・構成した一連一体の工程であって、b社の営業秘密である旨主張しました。
❝ワイヤ整列装置が
  ㋐ 引き出しチャッキングと呼ばれるつまみ部分(以下「チャック」という。)がアモルファスワイヤをつまみ,一定の張力を掛けながら基板上方で右方向に移動する
  ㋑ アモルファスワイヤに張力を掛けたまま仮固定する
  ㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ,仮固定したアモルファスワイヤを基準線として位置決め調整を行う
  ㋓ 基板固定台座を上昇させ,アモルファスワイヤを基板の溝及びガイドに挿入させ,基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする
  ㋔ 基板の左脇でアモルファスワイヤを機械切断する
  ㋕ 基板固定台座が下降し,次のアモルファスワイヤを挿入するために移動する
  ㋖ 以下㋐ないし㋕を機械的に繰り返す❞
これに対して、裁判所は下記のように、被告人両名がeに説明した情報のうち検察官主張工程に対応する部分は、アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ、余りにも抽象化、一般化されすぎていて、bの営業秘密を開示したとはいえない、と判断しました。
❝本件打合せにおいて被告人両名がeに説明した情報は,アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関するものではあるが,bの保有するワイヤ整列装置の構造や同装置を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程とは,工程における重要なプロセスに関して大きく異なる部分がある。また,上記情報のうち検察官主張工程に対応する部分は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえないので,営業秘密の三要件(秘密管理性,有用性,非公知性)のうち,非公知性の要件を満たすとはいえない。したがって,被告人両名は,本件打合せにおいて,bの営業秘密を開示したとはいえない。❞

なお、上記の「大きく異なる部分」としては、以下のように挙げられています。
❝工程㋑に関して,bのワイヤ整列装置では,なるべくアモルファスワイヤに応力を加えないようにするために,基板の手前にシート磁石が埋め込まれた溝(「ガイド」)を設置したり,切断刃近くに磁石を設置したりしてワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られている(ただし,3号機では,「ワイヤロック」による挟圧はされている。)。
これに対し,被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,まっすぐにぴんと張る程度に張力を掛けて引き出されたワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものである。この工程は,ワイヤを基板の溝等に挿入して整列させる工程において,「ワイヤ引き出し」,「仮固定」,「切断」といった重要なプロセスに関するものである。❞
また、「一連一体の工程」とのように、例えば、複数の公知情報を組み合わせた場合であっても、その組み合わせに特段の作用効果等がある場合には、全体として非公知性又は有用性が有ると判断される場合があります。
これに関して裁判所は下記のように、検察官主張工程のうち工夫された工程について被告人が開示しておらず、これにより一連一体の工程として見ても、ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまる、として、非公知性を否定しています。
❝すなわち,被告人両名は,前記のとおり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べる上で重要になるはずのbのワイヤ整列装置に備わっている工夫に関する情報,例えば,位置決め調整におけるCCDカメラの活用,ワイヤ引き出し時(送り出し時)におけるモーターの回転方法,ワイヤの仮固定における「ガイド」等の機構,基板上の溝等に仮止めする際の磁石の配置,ワイヤがチャックに付着し続けないようにするための工夫等について,eに対して説明していない。
また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるために重要となるはずの情報がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。❞
以上のように、結論としては、被告人はb社(愛知製鋼)の営業秘密を開示していないので、無罪とされています。このような判断は裁判所が行うまでもなく、技術的な知見を十分に有しているであろう愛知製鋼も行えると思うのですが、なぜ、刑事事件化してしまったのか非常に疑問です。

この理由の一つに、愛知製鋼は営業秘密とした自社の情報(発明)を正確に特定できていなかったのではないかと思います。また、検察(逮捕に携わった警察)もこれを正確に特定できていなかったのではないでしょうか。現に、2017年の2月に逮捕されてから一審判決に至るまで5年もの月日を要しており、これは他の営業秘密侵害事件と比べても非常に長い期間です。営業秘密の特定が不十分であるがために、判決に至るまでの時間を要したとも思えます。
実際、発明を情報として特定することは慣れていないと難しいでしょう。本事件では、検察が「検察官主張工程」として営業秘密を特定していますが、その情報をどのような形態で愛知製鋼が保有していたのかが、少々判然としません。判決では、❝ワイヤ整列装置である1号機ないし3号機をクリーンルーム内に保管し,特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置を講じていた❞、とありますが、これはワイヤ整列装置に対する秘密管理であり、果たして「検察官主張工程」の秘密管理でしょうか。ワイヤ整列装置どこに、どのような形態で「検察官主張工程」を管理していたのでしょうか?

知的財産については、その保有者は自身が有する情報(今回は営業秘密)の権利範囲を広く解釈しがちな傾向にあると思います。そのような傾向にあるにもかかわらず、さらに営業秘密とした技術情報を正確に特定しなかったために、このような結果になってしまったのではないかと思います。

なお、本事件は、例えば転職者が前職で開示された営業秘密に関連する技術情報を転職先等で話す場合についても参考になるかと思います。
前職の営業秘密をそのまま話すことは当然ダメですが、それに関連する技術情報については営業秘密に触れずに「抽象化、一般化」して話すことは問題ないということです。これは当然のことなのですが、本事件によって、前職に関連することを全く話してはいけない、ということではないということが示されたとも思えます。
企業が転職者から前職に関連する技術情報を聞く場合も同様かと思います。前職の営業秘密に関連する部分の説明は「抽象化、一般化」して話してもらうように、転職者を促すことで、不必要に他社の営業秘密を知ることを防止できるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年5月18日水曜日

ー判例紹介ー 商慣習及び信義則による秘密保持義務は認められるのか?

今回は、取引先に対する商慣習及び信義則による秘密保持義務について争った判例(東京地裁令和3年12月23日判決 事件番号:令元(ワ)18374号)を紹介します。

本事件の原告と被告(被告ベアー等)との関係は以下のとおりです。なお、被告は他にもいますが、今回紹介する内容については直接的な関係はないので省略します。

・原告及び被告は平成23年8月5日に、被告が原告に対し鎖骨骨折の治療に用いるチタン製のインプラント(以下「鎖骨プレート」という。)を販売することとして、鎖骨プレートの取引を開始した。
・原告は、訴外メディカルネクスト社が販売していたリングピンの後発医療機器として「JSピン」と名付けた骨治療用のリングピンを製造販売することについて、平成26年7月31日に厚生労働大臣の承認を受け、被告はJSピンを製造して原告に供給し、原告は同年9月以降、JSピンを医療機関等に販売した。
・被告は、平成29年に自らが製造販売元となってリングピンを製造販売することとし、同年5月8日,その製造販売について厚生労働大臣の承認を受け、同年6月から「STRピン」と名付けた各被告商品を含むその製造や販売を開始した。
・被告は、平成30年6月29日,原告に対して本件鎖骨プレート契約を更新しない旨の申出をし、本件鎖骨プレート契約は同年8月4日に期間満了により終了した。原告と被告は、その後も鎖骨プレートについて現金で決済する取引を継続したが、原告は平成30年11月30日に被告ベアーとの間の鎖骨プレートの取引を中止した。

このような経緯があり、原告は以下のように主張しました。
❝被告は,商慣習及び信義則により原告との間で秘密保持義務を負っているにもかかわらず,原告と取引関係にあった際に知り得た原告の営業秘密である各原告商品に係る製品情報を利用して,各被告商品を製造販売し,原告の取引を妨害した。❞
これに対して裁判所は判断は以下のとおりです。
まず、裁判所は以下のように被告はJSピンの共同開発者であると認定しています。
❝当初のJSピンから各原告商品への変更は原告が得た情報を契機とするものであるが,被告は,各原告商品の形態の開発について,自ら費用,労力等を負担したといえるのであって,各原告商品について,少なくとも共同開発者であったというべきである。❞
そして、裁判所は、被告が共同開発者であると認定したうえで、以下のように原告の主張を認めませんでした。
❝被告は,各原告商品について少なくとも共同開発者の立場にあったものであり,自ら費用と労力を負担して行った上記の開発に基づいて,各被告商品を製造販売しているにすぎないといえる(前記3)し,上記の開発における秘密の保持やその後の製造販売等について,原告と被告ベアーとの間に特段の合意はなかった(前記1⑸)。したがって,被告が,原告の営業秘密である各原告商品に係る製品情報を利用して各被告商品を製造販売しているとは認められないし,原告の取引を違法に妨害しているとは認められない。❞

このように裁判所は、原告と被告との間で特段の合意はなかったとし、原告が主張するような、商慣習及び信義則による秘密保持義務を認めませんでした。


本事件と同様に秘密保持契約を締結しなかったものの、商慣習や信義則といったことに基づいて被告に秘密保持義務があると原告が主張した事件は既にあります。

例えば、上記参考論文にも記載している金型技術情報事件(知財高裁平成 27 年 5 月 27 日判決 事件番号:平成 27 年(ネ)第 10015 号,東京地裁平成 26 年 12 月19 日判決 事件番号:平成 25 年(ワ)第 26310 号)において、原告(控訴人)は以下のように陳述書で主張しています。
❝控訴人の取引する業界では,お互いにそれぞれの有する技術ノウハウを尊重しており,契約の成約時に秘密保持契約を締結していること,成約までの過程で技術資料の交換を行うことはあるが,その際,いちいち秘密保持契約を締結するわけにはいかないため,成約時に契約すること,その間は当事者同士が互いに秘密を守ってきている❞
しかしながら、このような主張に対して裁判所は下記のようにその秘密管理性を否定しています。
❝陳述書の記載は,本件において,控訴人が被控訴人に開示した技術情報について,これに接する者が営業秘密であることが認識できるような措置を講じていたとか,これに接する者を限定していたなど,上記情報が具体的に秘密として管理されている実体があることを裏付けるものではない。❞
このような判断は、今回紹介した事件と同様の判断であり、営業秘密における秘密管理性においては、商慣習や信義則による秘密保持義務といったものは認められないことが分かります。
すなわち、取引先に対する秘密保持義務は、秘密保持契約等による客観的に判断が合意が必要です。この秘密保持契約に関しても、秘密保持の対象となる情報が何であるかが特定できていない包括的な内容であれば、その秘密保持義務の対象となる情報が狭く判断される可能性が有り(秘密保持義務の対象が実質的に営業秘密の範囲内となる)、注意が必要かと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月26日土曜日

判例紹介:治具図面漏洩事件(刑事事件) 秘密管理性

今回紹介する判例は、刑事事件に関するものです。
営業秘密侵害の刑事事件では、その多くにおいて被告人が営業秘密の不正取得等を認め、裁判の争点は量刑であることが多いのですが、被告人が持ち出した情報の営業秘密性等を争う場合もあります。

今回はそのような判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 事件番号:平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)であり被告人の弁護人は当該情報は不正競争防止法2条6項所定の営業秘密に該当しないと主張しています。
本事件は下記のように報道された事件であり、全国的にはさほど大きく報道されなかったものの、光ファイバーに関する治具図面が中華人民共和国で使用する目的で不正に持ち出されたものです。
本事件の判決は有罪であり、被告人Y1が懲役1年4か月及び罰金80万円、被告人Y2が懲役1年及び罰金60万円とされ、執行猶予が3年となっています。

本事件は、被告人Y1が図面の記載の複製を作成し、被告人Y2にこれを開示したこと、被告人Y2がこれを取得して日本国外で使用したことについては争いがないとされています。なお、被告人Y1は、電気通信機器の製造及び販売等を業とするa社(被害企業)の取締役として光通信部品の設計販売等を統括管理し、a社の営業秘密である測定治具等の設計画面を示されています。また、被告人Y2は、b社の代表者として、光通信部品等の販売を業とするものです。

まず、本事件において営業秘密とされる治具図面に記載の本件治具の構造は、下記のようなものです。なお、MTフェルールとは、光通信において光ファイバーを接続するための装置であるMPOコネクタを構成する樹脂製の部品とのことです。
❝本件治具の構造は,市販のダイヤルゲージの軸部分の先端に測定子を取り付けた上,軸部分及び測定子に筒状のアダプタを被せるというものであった。本件治具による測定方法は,MTフェルールをアダプタ底面の挿入穴に差し込み,これを測定子に接触させて移動させ,その移動範囲をダイヤルゲージに表示させて,MTフェルールの長さを測定するというものであった。本件治具によって100分の1ミリメートル単位の長さが測定できた。❞
そして、この図面の管理状況として下記が挙げられています。
(ア)「設計・開発管理規定」により、治具図面を含む製造図面を顧客へ提出することは禁止。同社の各種管理規定については、社内のウェブサイトに最新版が掲載されており、社員であれば閲覧が可能。
(イ)従業員就業規則において「会社,取引先等の秘密,機密性のある情報,顧客情報,企画案,ノウハウ,データー,ID,パスワード及び会社の不利益となる事項を第三者に開示,漏洩,提供しないこと」とされていた。本社1階事務室には、従業員就業規則のコピーが置かれており、社員であれば閲覧が可能。
(ウ)平成24年10月13日に開かれた事業運営会議において、企業防衛のため社員との機密保持契約を締結することとされ、同会議メンバー等が機密保持誓約書に署名押印して提出。被告人Y1も秘密保持誓約書に署名押印して提出。
(エ)平成27年4月7日付け通知書により、機密保持の観点から、図面、仕様書等の裏紙使用は即日禁止され、それらの書類は裁断して廃棄又は溶融業者に処分を依頼することとされた。

上記のような管理状況では、治具図面そのものにマル秘マーク等を付す等の管理がされておらず、治具図面に対する秘密管理が十分、すなわち客観的に秘密であることが認識可能なような管理状況であったのかについて疑義が生じます。


しかしながら、裁判所は下記のようにその秘密管理性を認めています。
❝a社は,平成28年4月1日の時点で本社役員5名,本社従業員33名とする規模の会社であったところ(甲2。なお,本社以外にも日本国内に複数の工場があったが,本社の規模を考えると,各工場で本件治具図面に類する技術上の情報に接し得る社員は限定的であったと推認される),会社の規模がその程度であったことを踏まえれば,本件当時,同社の役員及び従業員にとって,前記第2の3(3)ウで見た各施策により,同社が本件治具図面について秘密管理意思を有していることは,客観的に十分に認識可能であったものと認められる。❞
このように、裁判所は治具図面の秘密管理性について、a社の規模が小さいことから上記のような管理状況でも客観的に認識可能であったと判断したようです。
このような、会社規模が小さいことが秘密管理性の判断に影響を与えた民事訴訟の裁判例として、婦人靴木型事件(東京地裁平成26年(ワ)第1397号(平成29年2月9日判決))があります。

この事件では、営業秘密である婦人靴の木型(本件オリジナル木型)が持ち出された原告会社は、取締役二名と従業員三、四名という規模の会社です。そして、裁判所は本件オリジナル木型の秘密管理性を下記のように認めました。
❝〔1〕原告においては,従業員から,原告に関する一切の「機密」について漏洩しない旨の誓約書を徴するとともに,就業規則で「会社の営業秘密その他の機密情報を本来の目的以外に利用し,又は他に漏らし,あるいは私的に利用しないこと」や「許可なく職務以外の目的で会社の情報等を使用しないこと」を定めていたこと,〔2〕コンフォートシューズの木型を取り扱う業界においては,本件オリジナル木型及びそのマスター木型のような木型が生命線ともいうべき重要な価値を有することが認識されており,本件オリジナル木型と同様の設計情報が化体されたマスター木型については,中田靴木型に保管させて厳重に管理されていたこと,〔3〕原告においては,通常,マスター木型や本件オリジナル木型について従業員が取り扱えないようにされていたことを指摘することができる。これらの事実に照らすと,本件設計情報については,原告の従業員は原告の秘密情報であると認識していたものであり,取引先製造受託業者もその旨認識し得たものであると認められるとともに,上記〔1〕の誓約書所定の「機密」及び就業規則所定の「営業秘密その他の機密情報」に該当するものとみられ,原告において上記〔1〕の措置がとられていたことは秘密管理措置に当たるといえる。❞
本事件はにおいて裁判所は、誓約書及び就業規則といった程度の秘密管理措置に基づいて本件オリジナル木型の秘密管理性を認めています。この理由は、原告の業務が婦人靴の製造であるように非常に限られた業務範囲であることや、原告企業が従業員三、四名の小規模な企業であったためと思われます。

このように、企業規模が小さい場合には、営業秘密とする情報等(本事件では図面)に直接的に秘密管理意思が示されていなくても、その他の措置によってその秘密管理性が認められる可能性があると思われます。すなわち、規模の大きな企業に比べて、不十分と思われる程度の秘密管理体制であっても、営業秘密で言うところの秘密管理性が認められる可能性があります。

なお、本事件では被告人Y1がa社の取締役であったことも秘密管理性の判断に影響を与えていると思われます。この点について、裁判所は下記のように判断しています。
❝被告人Y1は,本件治具の設計・製造に主導的に関与していた上,本件当時,a社の取締役の立場にあり,既に機密保持誓約書にも署名押印してこれを提出していたのであるから,本件領得行為及び本件開示行為の際,前記1で見た本件治具図面に係る秘密管理性,有用性及び非公知性を基礎付ける事実関係の核心部分については,当然に認識,理解していたものと認められるのであって,本件治具図面が営業秘密に該当することを認識していたことは明らかである。❞
このような判断はあってしかるべきだと思います。営業秘密の不正な持ち出しは、従業員だけでなく役員等が行う場合も多くあります。企業の役員等は営業秘密に触れる機会も多いでしょうし、それが営業秘密であることは従業員よりも強く認識しているでしょう。そうであれば、営業秘密の不正な持ち出しについて、その役職が影響を与えることは妥当であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月15日火曜日

判例紹介:秘密管理性と秘密保持の誓約書との関係

企業が管理している情報が営業秘密として認められるためには、当該情報は秘密管理性を有していなければなりません。しかしながら、裁判においてこの秘密管理性が認められず、その結果、当該情報の営業秘密性が認められない場合が多々あります。

今回は、秘密管理性が認められなかった典型例を挙げます。なお、この訴訟は知財高裁でも争われたものであり、秘密管理性に対する地裁の判断は知財高裁でも覆りませんでした。
一審:東京地裁平30(ワ)20127号 ・ 平31(ワ)9638号 ・ 令元(ワ)19525号(令和3年3月23日)
二審:知財高裁令3(ネ)10054号 ・ 令3(ネ)10067号(令和3年11月17日判決)

本件の原告は、生命保険の募集に関する業務等を目的とする会社である原告会社及びその代表者です。そして、原告は、原告会社の従業員であった被告B、C、D、及び原告会社の関係会社の業務委託先であった被告Eが被告会社を設立し、その後、原告に対し継続的に恐喝行為を行って、原告会社取扱いの保険契約を被告会社に移管する合意を強要し、顧客名簿のデータを搭載したパソコンを含む原告会社の備品及び原告の所有物を窃取等した主張したものです。
なお、原告は、被告が不正競争防止法2条1項4号,5号に係る営業秘密の不正取得を行ったと主張しました。この不競法2条1項4号,5号違反の主張はあまり多くありません。多くの訴訟においては、7号違反等です。
4号等は「窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為」であり、その内容からして退職者が行うことがあまり考えられません。一方で、7号等は企業等から営業秘密を正当に開示され、その後、不正の利益を得る目的等で当該営業秘密を使用等する行為です。このため、一般的に退職者による営業秘密の不正使用等は7号違反とされます。
なお、下記のように、原告の顧客情報は営業秘密と認められず、被告による不正取得も認められませんでした。


上述のように原告が営業秘密であると主張した顧客情報はその秘密管理性が認められませんでした。下記が裁判所による判断です。
❝本件顧客情報は,本件申込書控記載の顧客情報及びその一部の情報を電磁的記録の形にして本件パソコン内に保存したもので構成されているところ,本件顧客情報の基となった本件申込書控は,原告会社の営業時間中,施錠されていない書棚で保管され,従業員であれば閲覧可能な状態になっていたものであり,本件各証拠をみても,その閲覧を禁止する旨が原告会社内において明確に告知されていた形跡は見当たらない。また,本件パソコン内の電磁的記録にはパスワードが付されていたとはいえ,原告会社の各営業担当者においては,自らの担当する顧客に係る情報に特段の制限を受けることなくアクセスすることができる状態であったものである。これらによれば,本件顧客情報に係る情報については,アクセスが制限されていた程度は緩く,アクセスした者が秘密として客観的に認識できた状態であったとも直ちには言い難いものである。❞
このように、原告の顧客情報は、誰でもアクセス可能とされており、アクセスした者が秘密として客観的に認識できるような状態で管理されていなかったために、その秘密管理性は認められませんでした。

なお、原告は被告らの誓約書(おそらく秘密保持に関する誓約書)や原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程を元に秘密管理性を主張したようですが、裁判所は下記のように顧客情報に対する秘密管理性を認めませんでした。
❝なお,原告らは,本件顧客情報につき秘密管理性が認められる旨を主張し,被告Bらの誓約書(甲5ないし7),原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程(甲9)を提出する。しかしながら,これらの書面の性質・内容を勘案しても,これらの書面自体から直ちに本件顧客情報に係る秘密管理性を肯定できるわけではなく,その要件充足性は,本件顧客情報に係る管理の実態に鑑みて判断すべきところ,上記説示のとおりの管理状況からすれば,その秘密管理性が認められるということはできない。❞
このように、誓約書や個人情報取扱規定、又は就業規則等には秘密管理に関する条項があります。しかしながら、そのような条項は包括的な記載であり、どの情報が秘密管理の対象となっているかは規定されていないでしょう。そうすると、これらの規定等に基づいて、各情報に対する秘密管理性が認められるものではありません。
このような裁判例は複数存在しているため、同様の判断が今後もなされるでしょう。


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2022年3月7日月曜日

判例紹介:副業で生じ得る営業秘密トラブル

企業において副業が認められつつありますが、副業を認める場合に懸念される事項の一つに営業秘密の流出があります。今回紹介する裁判例は、そのようなトラブルに関するものであり、大阪地裁令2(ワ)3481号(令和4年1月20日判決)です。なお、本裁判は、原告の主張は認められず、被告による営業秘密の不正取得はなかったという判決となっています。

本事件において、被告P1は原告の元従業員であると共に、被告会社(被告ゴトウ)の代表者でもあります。そして、原告は建築工事等を目的とする株式会社であり、被告会社は建築・土木一式工事の設計,施工及び監理等を目的とする株式会社です。すなわち、原告と被告会社とは同業です。なお、被告P1の主張によると”被告P1の原告入社以前から被告ゴトウは存在し、原告も被告P1が被告会社の立場で活動することを許容していた。”とのことです。

そして原告は、元従業員である被告P1が不正の手段により原告の営業秘密である原告の見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告会社に開示し、被告会社がこれを使用したことが不競法違反に当たる、とのように主張しています。

より具体的に、原告は、下記のように主張しています。
❝ (ア)被告P1の行為について
 被告P1は,原告に対する背任行為によって本件見積書を取得したものであり,これは不正の手段により営業秘密を取得する行為に該当する。また,被告P1が不正取得行為によって取得した本件見積書に基づいて被告ゴトウは原告の許可なく利用して自身の見積書を作成したのであるから,この点に係る被告P1の行為は,不正に取得した営業秘密を使用又は開示する行為に該当する(法2条1項4号)。・・・
 (イ)被告ゴトウの行為について
 被告ゴトウは,その代表者である被告P1が原告の作成した本件見積書を不正に取得したことを知りながらそれを取得し,被告ゴトウが受注しその利益を図る目的で,本件見積書記載の情報を利用して被告ゴトウ名義の見積書を作成し,注文者に提出した。これは,営業秘密について,その不正取得行為が介在したことを知ってこれを取得し,取得した営業秘密を使用する行為に該当する(法2条1項5号)。・・・❞
このような原告の主張に対して被告は下記のように反論しています。
❝被告P1の原告入社以前から被告ゴトウは存在し,原告も,被告P1が被告ゴトウの立場で活動することを許容していた。したがって,原告の元請が入札して落札できなかった工事に関し,その後,落札した業者からの依頼で被告ゴトウが受注しても何ら違法ではない。
被告P1は,原告の顧客情報,見積情報を不正に取得しておらず,営業秘密の不正取得をしていない。また,被告ゴトウは,本件見積書の情報を使用(営業・受注)しておらず,発注者からの情報や公開されている入札情報等を基に活動しただけである。❞
被告の反論から分かるように、被告P1が代表者である被告会社は、原告が落札できなかった工事をその後、落札業者からの依頼で受注したようです。そして、原告が営業秘密であると主張する本件見積書を原告代表者が作成し、被告P1にそのデータを送信したとのことです。
このような、事情を鑑みると、原告が落札できなかった仕事を原告の見積書を使用して被告が受注した、とのように原告が考えることも理解できなくはありません。なお、被告P1はその後、原告から解雇されたようです。


しかしながら、裁判所は原告の主張を認めませんでした。
その理由として、本件見積書に対して秘密管理性が認められないため、本件見積書は営業秘密でないとのことです。具体的に、裁判所は下記のように判断しています。
❝これを本件見積書記載の情報について見るに,前記各認定事実のとおり,本件見積書には営業秘密である旨の表示がなく,そのデータにはパスワード等のアクセス制限措置が施されていなかった。また,原告において,業務上の秘密保持に関する就業規則の規定はなく,被告P1との間で見積書の内容に関する秘密保持契約等も締結等していなかった。原告は,発注者との間においても見積書の内容に関する秘密保持契約を締結していなかった。さらに,原告は,見積書記載の情報が営業秘密であることなどの注意喚起も,その取扱いに関する研修等の教育的措置も行っていなかった。本件見積書のデータ管理の点でも,原告は,見積書の使用後にデータを西脇支社のコンピュータから削除するよう指示しなかった。❞
これは、原告が本件見積書に対して、「秘密管理の意思が客観的に認識可能」な態様で管理されていなかったということです。
また、原告は「本件見積書記載の情報につき,原告代表者が一元的に管理し,その了承がなければ従業員や外部業者に対して明らかにされないから,秘密として管理されていた」とも主張しています。この主張を原告が行うということは、原告も本件見積書の秘密管理性が乏しいということを認識していたのでしょう。しかしながら、このような主張も当然裁判所には認められませんでした。
そして、裁判所は、被告P1による本件見積書のデータの取得は不正の手段でもなく、被告会社による本件見積書の不正使用も認められないとのように判断しています。

以上のことから、原告の主張は棄却されたのですが、このようなトラブルは副業が広まると生じるトラブルの典型例であると思われます。(被告P1にとっては原告での就業が副業であったのかもしれませんが。)
そもそも、被告P1が原告の同業他社の代表者であることを鑑みると、見積書という自社の活動にとって重要なデータを原告が被告P1に送信するという行為は好ましくないでしょう。また、被告P1も自身が被告会社の代表であるという立場から、そのようなデータを受け取るべきではなかったのでしょう。もし、原告と被告P1との間で本件見積書のデータの送受信が無ければ、このような裁判には至らなかったはずです。

企業は、従業員に副業を認めるのであれば、もしくは自社を副業先とすることを認めるのであれば、当該従業員の他の就業先との関係で自社の流出が懸念される営業秘密のに関しては当該従業員が取得できないようにするべきでしょう。また、当該従業員も他の就業先との関係で取得してはいけない営業秘密を認識し、もしそのような営業秘密に取得する可能性があれば、申し出るべきでしょう。
副業を認めるのであれば、このようなトラブルを未然に防ぐために企業と従業員共に、営業秘密に対する認識を十分に持つ必要があります。

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2021年11月14日日曜日

営業秘密と特許の先使用権

営業秘密と特許の先使用権とはセットで語られることがあります。
それは、前回のブログ記事で述べたように、自社開発の技術を営業秘密とすると他社が同じ技術を開発して特許権を取得する可能性があるためです。このような場合、他社の特許出願時に当該技術を実施等していたら先使用権を主張でき、その実施を継続できる可能性があるためです。

ここで、先使用権は特許法79条に下記のように規定されています。
❝(先使用による通常実施権)
第七十九条 特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。❞
特許法79条にあるように、先使用権を有するためには、❝特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者❞という要件を満たす必要があります。しかしながら、自社が他社の特許権について先使用権を有していると考えていても、この要件を満たしていることの証明に苦慮する企業は多いようです。
先使用権の主張を行う場合における他社の特許出願は既に数年~十数年前の場合であり、現時点において、そのときに当該事業又は事業の準備を行っていたかを証明する資料が自社内で散逸したり、失われている場合もあるためです。

そしてこの先使用権と営業秘密との関係についてですが、発明を秘匿化した場合に秘密管理措置が上記要件を満たす証拠となり得るのではないかと考える人もいるかもしれません。
しかし、発明に対する秘密管理措置と上記要件とは基本的に何ら関係はありません。
まず、発明が完成してそれを秘匿化するタイミングは、当該発明の実施又は実施の準備を始めたタイミングよりも数か月から数年前になるでしょう。このように、一般的に発明の秘匿化のタイミングと事業の開始又は準備のタイミングは異なります。

また、自社の発明をわざわざ秘密管理するのであるから、それは事業の準備に相当するのではないか、と考える人もいるかもしれません。ここで、事業の準備とはどのようなものであるかは、ウォーキングビーム事件最高裁判決で下記のように判示されています。
❝法七九条にいう発明の実施である『事業の準備』とは、特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が、その発明につき、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されていることを意味すると解するのが相当である❞(下線は筆者による)
上記のように、「事業の準備」とは、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、「即時実施の意図を有しており」かつ「その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されている」ことをいいます。本判決では、見積仕様書及び設計図の提出が、即時実施の意図を有し、それが客観的に認識される態様、程度であるとして、事業の準備と判断しています。

このように、事業の準備は「即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識され」なければならず、発明を単に秘匿化するという行為は、それを持って即時実施の意図とは認められない可能性が相当高いと思われます。
なお、秘匿化した図面に発明の内容が化体されており、当該図面を事業に用いる予定であれば、それを持って事業の準備であるとも考えられますが、その場合は秘匿の有無は先使用権の発生とは関係ありません。

以上のようにに、特許法の規定からして発明を秘匿化したからといって、当該発明に対する先使用権が発生するものではありません。従って、発明を秘匿化した場合には、別途先使用権主張ができるように、関連する資料の保存・収集を行う必要があります。


また、発明を秘匿化した企業の中には、他社の特許権を侵害した場合に先使用権の主張ができるように、当該発明を用いた事業又は事業の準備をしたことを証明する資料を予め公正証書として保管することを行っています。

では、このような公正証書の作成は営業秘密の秘密管理措置にもなり得るのでしょうか?
公正証書は資料等を封筒に入れて閉じて確定日付印を押します。これにより、その中身は開封しない限り分からず、”秘密”の状態にあるとも言えます。
しかしながら、個人的には、このような公正証書が秘密管理措置となる可能性は低いと考えます。その理由として、秘密管理性要件の主旨は以下のように考えられているためです。
❝秘密管理性要件の趣旨は、企業が秘密として管理しようとする対象(情報の範囲)が従業員等に対して明確化されることによって、従業員等の予見可能性、ひいては、経済活動の安定性を確保することにある。❞(経済産業省発行 営業秘密管理指針) 
上記のように、先使用権の証拠としての公正証書は、封によって閉じられているためその中身が分かりません。また、こうような公正証書は、企業の知財部で管理・保管されるでしょうから、一般の従業員はその存在すら知らないでしょう。
そうすると、当該公正証書では、企業が秘密として管理しようとする対象が従業員に対して明確化されているとは言い難いでしょう。このため、当該公正証書に発明の内容があったとしても、当該発明に対する秘密管理措置とはなり得ないと思われます。

以上のように、発明を営業秘密としたからといって、先使用権の主張が可能となるわけではありません。先使用権を主張するためには、それを満たすための証拠が必要であり、それがなければ先使用権の主張ができません。また、先使用権主張の準備は秘密管理措置とはなり得ないと思われます。
このため、発明を特許出願しない場合には、まず、当該発明を秘密管理し、当該発明を使用した事業の準備を開始すると共に、万が一の場合に先使用権主張ができるように準備を行うことが最も望ましいでしょう。
このように、発明を営業秘密とすることと先使用権主張の準備とは別物であることを正しく認識し、万が一に備えるべきでしょう。

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2021年8月22日日曜日

判例紹介:他社に業務委託して顧客にサービスを提供する場合(秘密保持契約)

自社のサービスを他社に業務委託し、当該他社を介して顧客に提供するという事業形態も多々あるかと思います。今回は、そのような形態の営業秘密に関する裁判例(令和3年3月26日東京地裁判決 平成31年(ワ)4521号)を紹介します。

本事件の原告会社は、経営者を対象に「すごい会議」と称する会議の手法を用いたコンサルティング業務を行うこと等を目的として原告Aによって設立されました。原告Aは、原告会社の設立前に株式会社すごい会議を設立し、すごい会議の手法を用いて経営者に対してコンサルティング業務を行っていましたが、原告会社がこれを引き継いだという経緯があります。また、原告A及びすごい会議社の従業員であるCは、社外のマネジメントコーチがいなくても,社内会議において社員だけですごい会議が運用できるようにするため,本件各ノウハウを含むすごい会議の手順等を記載した「すごい計画作成キット」と題するマニュアルを制作しました。

一方で被告Bは、すごい会議社との間で「すごい会議ライセンシング契約書」と題する書面を取り交わし、すごい会議のマネジメントコーチとしての業務委託を行いましたが、同業務委託はその後終了しています。そして、被告Bは「中小企業が使いやすく,日本が本来持っている組織力を引き出す会議のやり方がないか」との考えから、侍会議の手法を開発し、被告ヴァンガード社を設立して侍会議のワークショップを行うセミナー事業や侍会議を行うファシリテーターの育成研修を行う研修事業を開始しました。

上記のような経緯のもと、本件ノウハウは原告会社が保有する営業秘密に当たり、被告Bは本件各ノウハウを被告らが提供する会議運営手法に関するコンサルティングサービス等に使用し、被告会社らに開示して不競法2条1項7号が規定する不正競争を行った等として、原告が被告に対して訴訟を提起しました。

ここで、原告は本件ノウハウの秘密管理性を下記のように主張しています。
❝原告会社は,本件各ノウハウを,限られたライセンシー及びライセンシーが認めるマネジメントコーチにしか開示していない。そして,原告会社は,被告Bを含む全てのライセンシー及びライセンシーが認めるマネジメントコーチとの間でライセンス契約を締結しているところ,当該契約に係る契約書(以下「本件ライセンス契約書」という。)の18条により,本件各ノウハウについて,ライセンシー側に守秘義務を課している。
さらに,原告会社は,マネジメントコーチに対し,顧客にすごい会議のコンサルティングサービスを提供する際に「費用と条件に関する合意書」(以下「本件合意書」という。)を取り交わすよう指導している。そして,本件合意書には「全ての会議内容は厳格に秘密扱いといたします。必要に応じて,クライアント様の間で,秘密保持契約を交わすことも可能です」との条項があるから,原告会社は,マネジメントコーチが顧客と本件合意書を取り交わすことを通じて,当該顧客から,本件各ノウハウを含む全ての会議の内容を厳格に秘密扱いにすることの約束を取り付けていることになる。❞
この原告の主張のとおりであれば、原告は秘密保持契約を締結して被告に本件ノウハウを開示しているので、本件ノウハウは秘密管理性を満たしているようにも思えます。しかしながら、裁判所はこの主張に対して以下のように判断しました。
❝・・・,すごい会議社が被告Bとの間で取り交わした「すごい会議ライセンシング契約書」(甲14)において,「乙(被告B)または甲(すごい会議社)が本契約を履行する上で,知るにいたった秘密情報を,乙及び甲は,秘密情報の開示者の了解なしに第三者に開示することはできない。」などとする条項はあるものの(18条),具体的にいかなる情報が「秘密情報」に該当するかについての記載は見当たらない。そうすると,上記契約書の存在は,すごい会議社や原告会社がマネジメントコーチに対して本件各ノウハウを秘密と扱うよう求めていたことの根拠にはなり得ないというべきである。
また,・・・,「費用と条件に関する合意書」(甲18)においては,原告会社が指摘するとおりの条項が含まれるものの,本件各ノウハウが秘密として管理されていることを具体的に指摘する内容の記載は見当たらない。かえって,原告会社が指摘する上記条項は,「会議内容」を秘密扱いとすること及び「秘密保持契約を交わすことも可能」であることという記載に照らし,すごい会議を指導するマネジメントコーチが顧客側の情報を秘密として扱うことを約するものであると解釈するのが自然である。そうすると,上記合意書の存在は,原告会社がマネジメントコーチを通じて顧客に対し本件各ノウハウを秘密と扱うよう求めていたことの根拠にはなり得ないというべきである。❞
このように、裁判所は、①「ライセンシング契約書」では秘密保持の対象がどのような情報であるのかが特定されていないこと、②「費用と条件に関する合意書」では秘密保持の対象が本件ノウハウではないとして、原告主張の秘密管理性を認めませんでした。

特に①については、秘密保持契約等において、その対象が何であるかを明確に特定する必要があることは、従業員に対する就業規則の秘密保持条項等でも指摘されていたことです。取引先(本件では業務委託先)と締結する場合でも、秘密保持契約において何がその対象となるのかを特定する必要があります。包括的な秘密保持契約では万が一の場合に何ら意味を成さない可能性があります。


さらに、本件ノウハウの秘密管理性について裁判所は以下のようにも判断しています。
❝・・・本件各ノウハウは,原告会社が顧客に提供する商品そのものというべきものであって,原告会社の上記サービスに係る顧客であれば,何人でも接することができる性質の情報である。しかも,本件各ノウハウは,会議の進め方に関するノウハウであるから,その性質上,原告会社の担当者,原告会社から業務委託を受けたマネジメントマネジャー及びすごい会議についての指導を直接受けた者のみならず,原告会社によるコンサルティングサービスの提供を受けた顧客が実施する会議に参加する者に対し,広く使用されることが当然の前提とされる情報である。そうすると,本件各ノウハウは,不特定多数の者が接することが可能であり,かつ,接することが予定された性質の情報であるといえる。しかるに,本件全証拠によっても,原告会社と顧客等との間に秘密保持契約を締結するなど,原告会社において,本件各ノウハウにアクセスすることができる者の範囲やアクセスの方法を制限する措置を講じているといった事実は認められない

❝原告ワークブックは,本件各ノウハウを記載した媒体の一つであるところ,前記前提事実(3)のとおり,そもそも,原告ワークブックは,社外のマネジメントコーチがいなくても,すごい会議を導入した会社の従業員だけで,すごい会議を進行できるようにするという目的で作成されたものであるから,会議に参加する従業員に広く共有されることが前提とされたものといえる。そして,原告ワークブックにおいて,そこに記載されたノウハウが秘密として管理されていることを示す記載は見当たらない。❞ 

このように、本件ノウハウについて、顧客に対して秘密保持契約を求めたり、原告会社内において秘密管理していたという事実もないと裁判所は判断しています。本件ノウハウは社内での秘密管理性が認められないので、業務委託先との関係においても秘密管理性が認められないことは当然のことでしょう。

本事件は、原告の業務委託先が当該委託業務の経験を生かして原告の競合となったため、原告にとっては納得しがたい気持ちはあるでしょう。しかしながら、このようなことは想定されることです。
そのため、自社のサービスのうち、どの様な情報が核心部分であるのか?、その核心部分は秘匿化できるのか?、秘匿化するのであれば情報をどのように特定するのか?、当該情報に触れる者に対して確実に秘密保持契約を締結できるのか?、このようなことを熟考してビジネス展開を行うべきでしょう。その過程で、状況によっては他社に対する業務委託は断念し、自社だけでビジネス展開を行うという決断に至るかもしれません。

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2021年7月4日日曜日

判例紹介:メールの営業秘密性

今回は、取引先との間で交わされたメールの営業秘密性について判断された東京地裁令和3年2月26日判決(令元(ワ)25455号)を紹介します。

この事件において、被告Aは原告の元従業員であって、原告退職後に被告会社に就職しています。この被告会社は原告の取引先でもあり、原告は被告会社から特注台車等の注文を受け、これを商社である大連浩達(中国企業)から仕入れて納入していました。
被告Aは原告の従業員として特注台車等の仕入業務を担当しており、被告会社を退職後に山栄工業の取締役に就任し、その後平成30年8月8日に被告会社に入社しています。
原告は、山栄工業との間で業務委託契約を締結し、山栄工業に対して被告会社に納入する特注台車等の仕入業務を委託するようになりましたが、同業務の委託は平成30年3月31日に終了しました。一方、被告会社は、平成30年7月ごろに特注台車等を大連浩達から直接仕入れるようになりました。
このように、被告Aが被告会社に入社するタイミングで被告会社は原告との取引を終了し、特注台車を大連浩達を直接仕入れるようになりました。

このような経緯のもと原告は「被告Aが原告を退職した後に被告会社に就職し,本件各商品の仕入価格である本件価格情報を不正に取得及び開示等したことが、不正競争行為にあたる」として訴訟を提起しています。


本事件では、本件価格情報の秘密管理性が争点の一つとなっています。
これに対して原告は下記のように主張しています。
(1) 本件価格情報は,原告代表者と被告Aとの間でのみ,メールを通じて共有されていた。他の従業員は,これにアクセスする権限を有しておらず,実際上も,原告代表者と被告A以外に本件価格情報を閲覧する者はいなかった。このように,原告においては,実質的には原告代表者と被告Aのみが稼働していたことを考慮すると,これでも十分な秘密管理がされていたということができる。
(2) 原告は,前記前提事実(3)のとおり,被告A及び山栄工業に対し,雇用契約や本件業務委託契約において,本件価格情報を含む営業情報を秘密として保持することを約束させていた。本件価格情報は,原告の優位性,競争力の根幹をなし,その利益の多寡を決する重要な要因となるものであるから,これが同各契約に定められた秘密保持義務の対象に当たることは客観的に認識可能であり,被告Aも十分に認識していた。
(3) 本件価格情報は,本件各商品の通関業務等を委任されていた三洋運輸株式会社にも開示されていたが,同社は,通関業法19条の守秘義務を負う通関業者である。また,原告は,仕入先である大連浩達に対しても,本件価格情報を他に開示することを許していなかった。
一方、被告らは下記のように反論しています。
(1) 本件価格情報は,被告Aの個人的なメールアカウントと原告のメールアカウントとの間でやりとりされていたが,メールで受送信した本件価格情報には何らのアクセス制限措置は講じられておらず,原告は,これを他の雑多なメールと渾然一体にサーバに保管していたと思われる。
また,原告は,被告Aの退職時に,本件価格情報が含まれたメールの削除を求めておらず,被告Aの退職後においても,同情報が利用されないような措置を講じなかった。
本件価格情報が原告代表者と被告Aとの間でのみ共有されていたとしても,それは,それ以外に原告の業務に従事する従業員がいなかった結果にすぎない。
(2) 原告は,前記前提事実(3)の雇用契約等における秘密保持義務の存在を指摘するが,それらは契約期間内の守秘義務を合意したものにすぎない。契約期間終了後においても同様の秘密保持義務を課すのであれば,その旨が同契約等に明記されていてしかるべきであるが,そのような定めは存在しない。
(3) 本件価格情報は,三洋運輸株式会社や大連浩達にも知られているはずの情報であるが,原告がこれらの会社と秘密保持の合意をしていたことを示す証拠は提出されていない。
このように、本事件では、原告と被告Aとの間でやりとりされたメールの秘密管理性について主な争点となっています。
なお、被告Aは個人的なメールアカウントを用いて原告とやり取りしていたようです。その理由は、被告Aが原告に在籍していた当時、一年のうちほとんどを中国に滞在し、特注台車等の仕入れ等の業務に従事していたためのようです。被告Aの個人のメールアドレスは大連浩達からのインボイスの送付にも利用され、メールの送受信に被告A個人のメールアドレスを使用することは原告代表者も認識し、容認していたとのことです。

上記の原告、被告の主張に対して裁判所は以下のように判断しました。
(1) 原告は,・・・本件価格情報にアクセスしていたのが原告代表者と被告Aのみであったとの事実は,他の従業員が本件顧客情報にアクセスする機会や必要性がなかったことを意味するにすぎず,そのことをもって,原告において本件価格情報が秘密として管理されたと評価することはできない。
また,前記1(2)のとおり,本件価格情報の含まれる大連浩達からのインボイス等は,被告A個人のメールアドレス宛てに送付され,同被告の個人用のパソコンなどに他のメールと混然一体のものとして保管されていたものと認められるところ,本件価格情報が被告Aの私的なメールと分別され,これにアクセス制限がかけられていたと認めるに足りる証拠はない。
さらに,被告Aから原告代表者に送付されたメールは,パスワードの設定された原告代表者のパソコン内に保存されていたものと考えられるが,業務に使用するパソコンにログイン用のパスワードを設定するのは,パソコンを操作する際の通常の手順にすぎず,そのことをもって,パソコン内の全情報が秘密管理されていたということはできない。
(2) 原告は,・・・原告と被告Aとの間の雇用契約及び本件業務委託契約における秘密保持義務条項においては,秘密保持の対象となる「業務上の原告の秘密」は具体的に特定されておらず,原告代表者が被告Aに本件顧客情報が同契約の定める秘密保持義務の対象となる旨を告知したことなどを示す証拠も存在しない。
かえって,前記1(4)のとおり,被告Aが原告を退職した時及び本件業務委託契約の終了時,原告代表者が被告Aに対して本件価格情報を含むメールの削除を求めたことはないものと認められ,これによれば,原告において,本件顧客情報が秘密であると認識されていたということはできない。
このように裁判所は、原告のメールに対する秘密管理性の主張を認めませんでした。確かに、原告は被告のメールに対して秘密管理措置を取っていたとは思えず、裁判所の判断は妥当であると思います。なお、パソコンに設定されているログイン用のパスワードは本裁判例に限らず、秘密管理措置として認められる可能性は低いと思われます。

また、被告が個人的なメールアカウントを使用していたにもかかわらず、原告が退職時にメールの削除を求めなかったということも大きな判断要素にも思えます。
この事実は、原告は被告Aとのメールを秘密にするべきものと強く認識していなかったということでしょう。原告がそのような認識であれば、従業員であった被告Aも同様の認識を持って当然だと思います。それを退職後に、営業秘密であると原告が主張しても、その主張は認められないでしょう。
なお、本事件では、被告による被告会社への情報の使用や開示も認められませんでした。

ここで、本事件の被告Aはいわゆるリモートワークで原告の仕事を行っていたことになります。コロナ禍の現在、リモートワークは珍しいことではありません。場合によっては従業員個人のメールアドレスを用いて業務を行う人もいるのではないでしょうか。また、そうでなくとも、個人のメールアドレスに会社のメールを転送したり、個人のパソコンにインストールしているメールソフトで会社のメールを送受信できるようにしている場合も多いのではないでしょうか。そのような従業員が退職すると、業務に用いたメールが従業員個人のパソコンに残ったままとなります。

やはり、このような状態は企業としては好ましくありません。当然、そのようなメールから情報が漏えいする可能性もあります。これを防止するためには、やはり退職時にメールの削除を要請することは情報漏えいの防止、及び秘密管理措置の視点からも重要となるでしょう。

また、リモートワークが広く行われている現在、メールだけでなく、ZOOMやスカイプ等のコミュニケーションツールを使っている企業は多いかと思います。
しかしながら、企業がアカウント管理を適切に行っていないと、従業員の退職後にやり取りが個人のパソコンで閲覧可能となります。これも情報漏えいを生じかねません。企業は、業務としてコミュニケーションツールを使用している従業員のアカウントを把握し、退職時には当該アカウントを停止する等の措置を講じるべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年1月13日水曜日

<ソフトバンク技術情報流出事件>

今年最初のブログです。
今年もよろしくおねがいします。

昨日から大きく報道されている、ソフトバンクの元従業員が楽天モバイルに転職する際に5Gの基地局等に関する技術情報を持ち出したとする事件です。ソフトバンクの従業員がロシアの元外交官に営業秘密を漏えいしていた事件からちょうど1年(最初の報道は2020年1月25日)のタイミングでこの事件です。

今回の事件は、競争が激しいモバイル業界、さらにこれから普及する5Gに関する技術情報の漏えいということもあって、他の営業秘密漏えい事件に比べて大きく報道されているように思えます。しかしながら、事件の態様は転職時における他の営業秘密漏えい事件と何ら変わりはありません。
とはいえ、多数の報道がなされると、それにより事件に関する詳細な情報も得られやすくなります。

報道から知り得る事件の概要は以下の通りかと思います。
1.ソフトバンクの元従業員は2019年12月31日にソフトバンクを退職し、2020年1月1日に楽天モバイルへ転職。
2.元従業員は転職直前の12月31日まで社外の自宅PCからソフトバンクのサーバーにアクセスし、フリーメールによって自身に営業秘密(計170点?)を送信。
3.元従業員は転職する際に秘密保持契約にサインをしていた。
4.ソフトバンクは2020年2月ごろに営業秘密の持ち出しに気づく。
5.楽天モバイルのPCに持ち出した営業秘密が保存されていた。
6.楽天モバイルはソフトバンクの営業秘密の使用を否定。
7.ソフトバンクは楽天モバイルと元従業員に対して民事訴訟を提起予定。

「2」に関して、社外からソフトバンクのサーバーにアクセスしフリーメールによって営業秘密を送信していることから、元従業員は、営業秘密の持ち出しを行った当事者の特定を阻害したかったのかとも思います。このことを鑑みると、元従業員は、自身の行為が程度の差はあるものの、犯罪行為であるという認識があったのかもしれません。

また、元従業員は転職直前まで営業秘密の持ち出しを行っています。これに関しては意図的だったのかもしれません。
一般的に、転職する際には希望する転職日から少なくとも1ヶ月、多くは2、3ヶ月前に退職届を出すでしょう。
そして、ある程度の営業秘密管理を行っている企業は、退職届が提出された時点で営業秘密の不正な持ち出しがないかをアクセスログによって確認し、もし、何かあれば転職希望者に事情を聴き、それが不正な行為であれば解雇も含んだ処分を行うでしょう。
しかしながら、営業秘密の持ち出しを転職前のギリギリに行えば、自身が在籍中に営業秘密の持ち出しは発覚しません。ただ、その後にもアクセスログの確認は行うでしょうから、転職後には発覚するでしょうが。

このような従業員の転職に伴う営業秘密の不正な持ち出しを防止するためには、退職届が提出された段階で当該従業員のアクセスログを確認すると共に、当該従業員のアクセス権を解除する必要があるでしょう。このアクセス権の解除により、当該従業員の残務や引継ぎの効率が落ちるでしょうが、営業秘密を持ち出されるよりはマシです。
ソフトバンクのプレスリリースでは再発防止策として「退職予定者の業務用情報端末によるアクセス権限の停止や利用の制限の強化」とあります。これは上記のよなことを意識した結果でしょう。


また「3」に関してですが、退職時の秘密保持契約は秘密管理性を立証するための補完的なものにしかすぎず、本質的なものではありません。
退職者が秘密保持契約にサインしたとしても、適切に秘密管理されていない情報は営業秘密ではないので、このような情報を退職者が持ち出しても営業秘密の漏えいを問えません。
なお、当該秘密保持契約において、秘密保持の対象となる情報が退職者が容易に認識可能な程度に特定されていれば、当該秘密保持契約によって秘密管理性が認められ得るとも考えられます。しかしながら、退職時の秘密保持契約は多くの場合、包括的なものであり、対象となる情報を特定している場合は多くないでしょう。
企業は、退職時の秘密保持契約がどのようなものであり、営業秘密に対してどのような効力を有するものであるかを認識する必要があります。

一方で、退職者が秘密保持契約へのサインを拒否して情報を持ち出したとしても、当該情報が適切に秘密管理されていれば、退職者に対して営業秘密の漏えいを問うことができますすなわち、退職時における秘密保持契約の締結の有無にかかわらず、秘密管理されている情報を不正に持ち出すと営業秘密の漏えいになります。このことは、企業で働く人全てが認識するべきことです。

また、ソフトバンクのプレスリリースには上記で触れたように再発防止策が記載されています。
しかしながら、この再発防止策には少々違和感があります。
今回の事件は、営業秘密の漏えいに関する刑事事件です。しかしながら、プレスリリースによると、今までソフトバックが実施してきたことは「全社員に対して定期的に秘密保持契約の締結やセキュリティー研修など」であり、再発防止策としての施策は、「情報資産管理の再強化、アクセス権限、セキュリティー研修、監視システムの導入」であり、この中には営業秘密の文言はありません。

私はこのブログで度々記載していますが、営業秘密の不正な漏えいを防止するには、まず、営業秘密の漏えいが犯罪であり、禁固刑も現実にあり得ることを全役員及び全従業員に認識させることだと思っています。
未だ、営業秘密の漏えいは良くないことかもしれないという認識程度の人は多く、犯罪であり、禁固刑を受けた人もいること自体を知らない人のほうが多いかと思います。
営業秘密の漏えいが犯罪であることを認識していれば、多くの人は転職程度でこのようなリスクが高い犯罪を犯さないでしょう。現に本事件で逮捕された元従業員もニュースで名前が挙げられ、顔写真等も報道されています。

ソフトバンクは営業秘密の漏えいが犯罪であることを認識させるような研修を行っていたのかもしれません。しかしながら、このような短期間に2人もの逮捕者を出すということは、営業秘密の漏えいが犯罪であるとの認識を十分に与えることができていないのではないでしょうか?

また、下記の報道で気になることがありました。

その内容は「別の大手携帯電話会社の幹部は『うわさは聞いていた』としたうえで、『事業の拡大で技術者の確保が難しくなってきており、社員が他社に流出しないように配慮が必要だ』と語った。」というものです。
上記の”うわさ”とは、文脈からすると本事件のことと思いますが、これが事実ならば、ソフトバンクから楽天モバイルへの営業秘密の漏えいを競合他社が知っていたことになります。これも情報漏えいに他ならないでしょう。多くの場合、事件性の高い情報漏えいに関しては、漏えい元企業、漏えい先企業の何れでも公になり難いように少人数で対応に当たると思います。
にもかかわらず、当事者でない競合他社がこの事件を“うわさ”として知っていたのであれば、うわさの出どころの企業(ソフトバック又は楽天モバイル)の情報管理が甘すぎると思いますが、大丈夫でしょうか?

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年12月27日日曜日

判例紹介:中古車オークションサイトのID及びパスワードの営業秘密性

本裁判例(東京地裁令和2年10月28日 令和元年(ワ)14136号)は、名刺管理ソフトで管理していた名刺情報、原告車両の在庫情報、中古車オークションサイトのID及びパスワードを、原告の元従業員で被告Aの上司であった被告Bに開示したとして、不競法2条1項4号、5号又は同項7号、8号所定の不正競争行為に該当し、原告との雇用契約に基づく秘密保持義務にも違反すると原告が主張したものです。

本事件では、名刺情報、在庫情報、並びにオークションサイトのID及びパスワードは、全て営業秘密性がないとされています。このうち、名刺情報及び在庫情報は秘密管理性がないというものであり、よくある裁判所の判断でした。
一方、オークションサイトのID及びパスワードに対する裁判所の判断は、下記のように秘密管理性及び有用性がないというものでした。

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ア 本件ID等情報は,中古車オークションであるアライオートオークションに参加するために必要となるID及びパスワードであり,同オークションのサイトにログインすることにより,中古車の売買の相場価格を知ることが可能となるところ,本件ID等情報そのものは,文字と数字等の組合せから成る文字列にすぎず,それ自体が事業活動に有用な情報であるということはできない。
これに対し,原告は,同オークションのサイトを閲覧することにより,中古車両の下取り価格等の参考情報を得ることができるので,本件ID等情報自体に情報としての有用性があると主張するが,上記判示のとおり,本件ID等情報は文字と数字等の組合せから成る文字列であるから,それ自体から原告の事業に有用な情報を読み取ることはできず,また,同情報を使用することによりアクセスすることができるのは,アライオートオークションのサイトにおいて表示され,その会員であれば見ることのできる情報であり,同情報が原告の保有する営業秘密であるということもできない。
イ また,仮に,本件ID等情報自体に有用性が認められるとしても,原告の主張によれば,同情報はこれを利用する必要のある従業員の間で共有されていたということであり,そうすると,原告においては,本件ID等情報についてアクセス制限措置は講じられておらず,業務上上記オークションのサイトにアクセスする必要のある従業員であれば,自由に本件ID等情報を利用することができたというべきである。
そうすると,原告の従業員等が,本件ID等情報が原告の営業秘密であると認識していたとは考え難く,原告の就業規則等に秘密保持条項があることも同結論を左右するものではない。
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個人的には、このような裁判所の判断はおかしいのではないかと思います。
そもそも、IDとパスワードは原告が「一般的に,一定の資格を有する会員のみに付与されるアライオートオークションにログインするためのID及びパスワードは,その性質上,外部に開示されることは想定されていない。」と主張しているように、外部に開示されるものではありません。
すなわち、一般的にIDとパスワードの組み合わせは秘密とするべきものであると誰しもが認識できるものであるため、IDとパスワードの組み合わせは、たとえ秘密管理措置が客観的に認められないとしても、その秘密管理性は認められてしかるべきではないでしょうか。

例えば、プログラムのソースコードに対して「本件ソースコードの管理は必ずしも厳密であったとはいえないが,このようなソフトウェア開発に携わる者の一般的理解として,本件ソースコードを正当な理由なく第三者に開示してはならないことは当然に認識していたものと考えられるから,本件ソースコードについて,その秘密管理性を一応肯定することができる」とする裁判所の判断もあります(「プログラムの営業秘密性に対する裁判所の判断」パテント Vol.72 No.8, p117-p126 (2019))。

このようなソースコードと同様の判断がIDとパスワードの組み合わせに対して行われてもよいのではないでしょうか?

また、「本件ID等情報そのものは,文字と数字等の組合せから成る文字列にすぎず,それ自体が事業活動に有用な情報であるということはできない。」とのような裁判所の判断もどうでしょう?
たしかに、ID等の情報そのものは文字列にすぎませんが、原告が主張するように、この文字列を入力することでオークションサイトにログインし、中古車両の下取り価格等の参考情報を得ることができます。さらに、ログインすることで、オークションに参加することもできるかと思います。そうすると、ID等は事業活動に有用な情報であるはずです。このような裁判所の判断は理解できません。
もし、ID等が文字列にすぎず有用性がないとなると、顧客情報に含まれる電話番号やメールアドレスといった数字や文字等の組み合わせからなる文字列も有用性がないということでしょうか。決してそうではないはずです。
そうすると、ID等の有用性を否定するという判断も理解しかねます。

なお、本事件は、被告が各種情報を持ち出していることは認められていますが、その行為が「不正の手段によるもの」とは認められす、また「不正の利益を得る目的」等でもなく、秘密保持義務違反でもないと裁判所は判断しています。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年8月8日土曜日

判例紹介:契約書に秘密保持の条項が設けられていても、秘密管理性が認められなかった裁判例

契約書の秘密保持条項が営業秘密で言うところの秘密管理性の認定に大きく寄与しますが、今回紹介する裁判例(東京地裁令和2年1月15日判決  事件番号:平28(ワ)35760号 ・ 平29(ワ)7234号)は、秘密保持条項を有する契約によっても秘密管理性が認められなかった事例です。

本事件は、被告らが原告を退職した際に原告から持ち出したパソコン内に保存されている資料(原告がいうところの営業秘密)を使用し、被告会社の代表取締役又は従業員として被告会社の業務を行い、原告の営業上の利益を侵害している、と原告が主張したものです。典型的な営業秘密侵害のパターンですね。 
なお、原告が営業秘密であると主張する情報(本件各情報)は、「原告において過去に実施した企画又はイベントの成果物(企画書,シナリオ等),顧客からの受注金額,外注業者への手配金額,粗利並びに顧客及び外注先の担当従業員の連絡先」です。 

そして、原告は、被告らが原告に在籍中に秘密保持条項等が記載された書面を原告に提出したことにより、原告と被告らそれぞれとの間において秘密保持等契約が成立し、本書面の第3条には原告の「取引先や仕入先および資料」は全て原告に帰属する旨を定めている、と主張しています。さらに、本件パソコンには,パスワードが設定されており,第三者が本件パソコン内のデータを自由に閲覧することはできないし、原告の電子メールサーバーもパスワードで保護されており、原告代表者以外の者がこれを閲覧することはできないため、以上のことから、本件各情報は秘密として管理されていると主張しています。


これに対して裁判所は、以下のように判断しています。
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本件各情報のうち原告の顧客及び外注先といった取引先の担当従業員の連絡先については,・・・これらの取引先の住所や電話番号と一緒に,お歳暮,お中元,年賀状等の送付先として管理されるとともに,原告代表者及び被告Y2らは,いずれも自身が契約を締結して使用している携帯電話に,これら取引先の担当従業員の連絡先を登録し,これを業務に利用していたことが認められる。そうすると,原告において,その取引先の担当従業員の連絡先につき,秘密管理措置が施されていたとは認め難い。
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さらに、裁判所は以下のようにも判断しています。
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別紙契約書書式第3条には,原告が「過去に取引をしたことがある取引先や仕入先および資料」が全て原告に帰属する旨記載されているところ,前記(2)のとおり,原告において,その取引先や過去の取引等に関する情報につき,十分な秘密管理措置を執っていたものとは認め難く,また,別紙契約書書式の全ての記載に照らしても,上記「資料」が具体的に何を指すのかは明らかでないといわざるを得ないことに照らせば,別紙契約書書式に上記のような定めが置かれていることをもって,本件各情報につき,原告の秘密管理意思(特定の情報を秘密として管理しようとする意思)が具体的状況に応じた秘密管理措置によって原告の従業員等(被告Y2ら)に明確に示されていたということはできないし,原告の従業員等(被告Y2ら)においてそのような原告の秘密管理意思を容易に認識できる状況にあったものということもできないものというべきである。
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なお、裁判所は、秘密管理性の定義として、「本件各情報が不正競争防止法2条6項にいう「営業秘密」に当たるというためには,原告が本件各情報を秘密情報であると主観的に認識しているだけでは足りず,原告の秘密管理意思(特定の情報を秘密として管理しようとする意思)が,具体的状況に応じた秘密管理措置によって原告の従業員等に明確に示され,原告の従業員等においてそのような原告の秘密管理意思を容易に認識できる必要があるものと解するのが相当である。」としています。

すなわち、本事件では、いくら原告が被告との間で、秘密保持条項を有する契約を結んだとしても、秘密管理の実態がなく、原告の秘密管理意思が従業員等に明確に示されていなければ、秘密管理性は認められません。
また、秘密保持の対象が「資料」のように包括的な表現となっていると、秘密保持の対象も不明瞭であり、これも原告の秘密管理意思が従業員等に明確に示されていないことになります。

このように、必ずしも、契約又は就業規則等に秘密保持条項や秘密管理規定が設けられているとしても、実態が伴っていなければ、秘密管理性は認められないという認識が企業には重要です。
弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年1月17日金曜日

誤った秘密管理、先使用権の準備は営業秘密の秘密管理でもあるか?

情報を秘密管理する場合に、どのような形態で秘密管理すればよいのでしょうか。
 一般的には、デジタルデータや紙媒体に情報を記載して、それを秘密管理します。
 しかしながら、必ずしもそのような形態で秘密管理しないといけないわけではありません。
 一方で、裁判において、本来秘密としたい情報とは異なる物を秘密管理したとしても、当然に当該情報の秘密管理性は認められません。

 知財高裁令和元年10月9日判決(令和元年(ネ)10037号)はそのような判決です。
 本事件の原告は、鍵の販売・取付け・修理等を業とする株式会社です。また、被告会社は、ウェブ広告、鍵の修理・交換を業とする株式会社であり、被告Aは被告会社の代表取締役であり、被告B及び被告Cは原告の元従業員です。
 本事件において原告は、鍵を解錠するために用いる特殊工具であるグンマジの開錠方法に関する情報及びグンマジの構造・部材に関する情報が営業秘密であると主張しています。

 そして、原告は、住宅用グンマジのうち鍵の学校に置いてあるものは金庫で保管し、各錠前技師が所持するものは各自のロッカーで保管して毎日数を確認し、各錠前技師に配布されないものについても各支店で厳重に管理していたことを主張しました。
しかしながら、この主張に対して裁判所は、「このことは,工具であるグンマジの物理的な管理方法をいうにすぎず,「営業秘密」に該当するか否かが検討されるべき本件情報の管理態様をいうものではない」とのように判断しました。

確かに、原告の主張は、グンマジの管理方法であり、グンマジの開錠方法やグンマジの構造・部材に関する情報ではありません。このため、グンマジの管理方法を当該営業秘密の秘密管理性を示すものであるとして主張することは適当ではないでしょう。


この判決は分かり易いのですが、次の例ではいかがでしょうか。
技術情報を営業秘密とする場合、度々、特許制度でいうところの先使用権も考慮に入れる場合が多いかと思います。そして、技術情報を営業秘密とする場合、万が一のために先使用権主張の準備を行う企業も多いかと思います。

先使用権主張の準備としては、証拠資料をファイル等にまとめ、公証人役場で確定日付の公証を得て封をすることがあるかと思います。このように封をされたファイルには営業秘密とする技術情報に関する資料も含まれているでしょう。
では、このようなファイルは、当該営業秘密に対する秘密管理といえるのでしょうか?

私は、これは秘密管理とは言えないと思います。その理由は、この管理は先使用権主張のための管理であり、営業秘密そのものの管理ではないからです。
また、封をしたファイルは、その中を確認できないので、どのような情報が記載されているのかを確認できません。どのような情報が営業秘密であるのか予見できないため、秘密管理しているとは言えないでしょう。

従って、営業秘密とする技術情報は、先使用権主張の準備とはことなる形態で秘密管理する必要があります。このように、技術情報を営業秘密とする場合において、先使用権の準備は秘密管理とは異なることを認識する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信