2023年9月6日水曜日

他社営業秘密を持ち出した人の雇用リスク

営業秘密の不正流出の目的の一つに転職先で使用するというものがあります。
このブログでも度々、営業秘密の流入リスク(侵害リスク)について取り上げていますが、この流入リスクを負う立場は転職先企業です。そして、転職者(転入者)による営業秘密の流入リスクは近年、流出リスクと共に顕在化してきています。

先日も、地方航空会社であるオリエンタルエアブリッジの元従業員が航空会社であるトキエアへ転職する際に、保安対策に関する営業秘密を持ち出したとして書類送検されました。

・退職者による社内情報のデータ持ち出しについて(オリエンタルエアブリッジ株式会社 リリース)
・航空保安情報持ち出し疑い ORC元社員を書類送検 長崎県警(毎日新聞)
・航空保安情報、持ち出し容疑 ORC元管理職を書類送検(朝日新聞)
・航空保安情報持ち出し疑い 元管理職を書類送検、長崎(産経新聞)
・航空保安情報を持ち出しか 元ORC管理職を書類送検(日本経済新聞)
・オリエンタルエアの航空保安情報を持ち出しか、元管理職を書類送検…新規参入トキエアに入社(読売新聞)

この事件では、トキエアへの営業秘密の開示及び使用は認められなかったとのことですが、上記の読売新聞の報道によると「男が作成に関与したトキエアの安全管理規程も作り直された」とのことです。
本事件についてトキエアの関与はなく、トキエアには当該営業秘密が開示されなかったとのことですから、トキエアは安全管理規定を作り直す必要はないようにも思えます。
とはいえ、トキエアとしては、営業秘密を不正に持ち出した人物が作成に関与した安全管理規定を使い続けることに不安感があり、このために安全管理規定を作り直したということなのでしょうか。


この例のように、前職企業の営業秘密を持ち出した転職者(転入者)が自社で当該営業秘密を開示しなくても、当該転職者が自社で関与していた業務についての見直し、やり直しを行うという判断をする企業もあるようです。

なお、営業秘密を持ち出した人物は、上記読売新聞の報道によると、オリエンタルエアブリッジでは「安全管理や安全に関する社内教育などを担当する安全推進室の管理職」であり、トキエアでも「安全推進室の管理職」となっていたようです。
仮に、この人物がトキエアにおいて営業秘密を開示していたならば、部下である元来の従業員もトキエアの営業秘密であると認識したうえで、当該営業秘密を使用して安全管理規定を作成した可能性があります。もし、そのような事態に陥れば、上記従業員も刑事罰を受ける可能性があります。

このような可能性を鑑みると、企業としては、転職者が自社において前職企業の営業秘密を開示、使用することを確実に防止する必要があります。特に、転職者が自社において管理職等となり、部下を持つ立場であれば、なおのことであると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年8月29日火曜日

判例紹介:情報を持ち出さない旨の合意の解釈

前回のブログで紹介した事件(東京地裁令和4年8月9日(事件番号:令3(ワ)9317号))、知財高裁令和5年2月21日(事件番号:令4(ネ)10088号))続きです。

この事件は、原告の従業員であって後に被告会社に移籍したBが原告在籍中に本件データのファイルのスライドの一部を作成し、Bが被告会社に移籍した後、被告ら作成データのファイルのスライドの一部を作成し、被告Aに対して被告ら作成データを含むファイルを電子メールで送信したというものです。なお、被告Aは原告の元代表取締役であり、代表取締役を辞任した後に被告会社を設立しています。
本事件の結論は、原告が主張する情報は営業秘密ではないと地裁によって判断され、原告の主張は全て棄却され、知財高裁でも覆ることはありませんでした。

今回は、本事件において原告と被告との間で締結していた合意書についてです。
本事件では、原告の元代表取締役である被告Aは、原告会社に在籍している時に下記5項を含む合意書を原告Cとの間で締結していました。この合意書において乙は被告Aであり、甲が原告Cとなります。
❝5.乙はGSPの資産(ソフトウェアを含む)、顧客リスト、その他営業上・経営上の資産、情報を持ち出さないこと。❞
上記5項の合意があると、被告Aが原告の情報に基づく作成データを入手したことは5項違反のようにも思えます。


しかしながら、裁判所は、この5項について❝本件合意書5項にいう「情報」とは、本件経過及び当事者双方の合理的意思を踏まえると(原告C21頁)、営業秘密又はこれに準ずる情報をいうものと解するのが相当である。❞とし、以下のように被告の5項違反を否定しています。
❝本件データは営業秘密に該当するものではなく、本件データと実質的に同一である被告ら作成データも営業秘密に該当するものとはいえず、その内容に照らし、有用性が極めて低い情報であるといえる。そして、上記認定事実によれば、その他の情報についても、単なる電子メールのやり取りにとどまるものなど、その内容に照らし、被告ら作成データと同様に原告の営業秘密又はこれに準ずるものに該当することを認めるに足りない。のみならず、被告Aが原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、上記情報の性質や内容等に照らし、これによって原告に損害が生じたことを認めるに足りず、これを裏付ける的確な証拠もない。
以上の諸事情を総合すれば、被告Aが指示して原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、当該情報が営業秘密又はこれに準ずる情報に当たらないから、本件合意書5項に違反すると認めることはできない。❞
このような裁判所の判断に対して、知財高裁において原告は以下のように主張しました。
❝原判決は、同項の「情報」について「営業秘密又はこれに準ずる情報」を意味するものと限定的に解釈したが、これを裏付ける証拠のうち、「営業秘密又はこれに準ずる情報」という具体的な表現が出てくるのは、原審における控訴人代表者Bに対する裁判長からの誘導的かつ抽象的な補充尋問のみであることからして、上記限定解釈は根拠を欠く。❞
すなわち、原告は5項でいうところの「情報」は営業秘密に限らず、自社で作成等された全ての情報を含むものであると、との主張を行っているのでしょう。
これに対して知財高裁は、下記のように原告の主張を認めませんでした。なお、下記のBは原告(控訴人)の代表者です。
❝原審の控訴人代表者尋問におけるやりとりをみると、Bが、5項の「情報」について「経営上有益なもの」を持ち出さないという趣旨である旨述べたことを踏まえて、原審裁判長が、「要するに営業秘密又はそれに準ずるような情報という趣旨」かを確認したところ、Bが「おっしゃるとおり」と回答したのであるから、B自身が「経営上有益なもの」に限定する意思を有していたのであり、原審裁判長による誘導などされていない。❞
ここで、原告の主張するように5項の「情報」が「営業秘密又はこれに準ずる情報」に限定解釈されなかったどうなったのでしょうか?被告Aが原告から情報を取得したのであれば、被告Aは当然に5項違反となり得るかと思います。そうすると、当該情報は、営業秘密ではないため差し止めは認められずとも、損害賠償は認められるのでしょうか。
しかしながら、裁判官は一審において❝被告Aが原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、上記情報の性質や内容等に照らし、これによって原告に損害が生じたことを認めるに足りず、これを裏付ける的確な証拠もない。❞とも認定しています。そうすると、当該「情報」が営業秘密であるなしにかかわらず、原告の損害は認められないことになるのでしょうか。

上記5項のような情報管理の規定において「情報」はできるだけ広い概念として定義される場合もあるかと思います。そうすることで、自社から持ち出された情報が秘密管理性を満たさず営業秘密でなくとも、持ち出した者に対して損害賠償が可能なようにも思えます。
しかしながら、そのように「情報」を定義しても本事件の裁判所の判断を鑑みると、当該情報に有用性や非公知性がないとしたら、自社に損害はない、すなわち当該情報には保護する価値がないと判断される可能性が高いのではないでしょうか。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年8月15日火曜日

判例紹介:公知の情報の寄せ集めは営業秘密になるか?

多くの技術情報が様々な媒体で公開されているため、技術情報に係る営業秘密は顧客情報等の営業情報とは異なり、有用性や非公知性が否定される場合があります。例えば、公開されている技術情報を寄せ集めた情報であるとして、原告が営業秘密であると主張する技術情報の非公知性が裁判所によって認められなかった例があります。
今回は、裁判所によってそのような判断がなされた事件(東京地裁令和4年8月9日(事件番号:令3(ワ)9317号))を紹介します。この事件は原告によって控訴(知財高裁令和5年2月21日(事件番号:令4(ネ)10088号))されましたが、地裁判決は覆っていません。

本事件の概要は、原告の従業員であって後に被告会社に移籍したBが原告に在籍中に本件データのファイルのうちスライド2枚目ないし8枚目の部分を作成し、Bが被告会社に移籍した後、被告ら作成データのファイルのうちスライド7枚目ないし13枚目の部分を作成し、被告Aに対し、被告ら作成データを含むファイルを電子メールで送信したというものです。なお、被告Aは原告の元代表取締役であり、代表取締役を辞任した後に被告会社を設立しています。
なお、原告が営業秘密であると主張する本件データの内容は、AI技術を用いた自動会話プログラムである「AIチャットボット」につき、「機能一覧」、「非機能一覧」、「画面イメージ」等をまとめたものです。
この本件データについて被告は以下のように主張しています。
❝Bは、AIに関する知識を余り有していなかったことから、AIに関する議論のたたき台として、本件データを作成したところ、その内容は、ウェブで公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであった。❞

このような本件データについて一審裁判所は以下のように判断しており、まず、以下のようにして裁判所は本件データの秘密管理性を認めていません。
❝そして、本件データは、シェアポイントにおける「07.Team」フォルダ内の「AI」フォルダにおいて、「chatbot 要件_追加_20171002.pptx」というファイル名で格納されていたところ、Bは、そもそも「AI」フォルダにアクセス権限や閲覧制限を個別に設定せず、本件データにも個別のパスワードを設定しなかったため、原告の役職員の全員が本件データを閲覧でき、しかも、「07.Team」フォルダに保存された資料に関するルール(ただし、下位フォルダを作成したり削除したりするにはIT担当の従業員への依頼を要するというルールを除く。)は格別存在しなかったことが認められる。のみならず、本件データには、「機密情報」、「confidential」という記載がないため、客観的にみて、本件データにアクセスした者において当該情報が秘密情報であることを認識できなかったことが認められる。❞
そして、本件データに対して、一審裁判所は被告の主張を認め、以下のように❝そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかった❞とも認定しています。なお下記は、判決文において上記秘密管理性の判断の前に記載されていました。
❝そこで検討すると、前記認定事実によれば、本件データの内容は、ウェブで公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであり、そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかったことが認められる。❞
このような判断は、秘密管理性ではなく、非公知性又は有用性の判断に該当するのではないかと思います。これに関して、控訴審である知財高裁では、原判決が下記のように改められ、本件データは非公知性も認められないことが明確にされました。
❝ (8) 原判決30頁の17行目の「本件データの」から同頁21行目の「られる。」までを「本件データは、AIについての特段の知識を有していなかったAが、インターネット上に公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めて作成したものであって、その内容はAIに関する公知かつ初歩的な情報であるから、不正競争防止法2条6項の「公然と知られていないもの」に当たらない。」と改め、その末尾で改行する。❞
ここで上述のように、様々な技術情報が各種技術文献、特許公開公報、インターネット等で無数に公開されています。公開されている技術情報を寄せ集めてまとめた情報は、当該技術に詳しくない者や企業にとっては実際に有用であると思われます。しかしながら、営業秘密としては公知の情報を寄せ集めたに過ぎないため、このような情報は有用であったとしても非公知ではないと判断される可能性が高いと考えられます。
以上のように、技術情報を営業秘密として管理する場合には、非公知性の有無も重要な判断材料となります。このため、裁判所で非公知性がないと判断される可能性のある技術情報がどのような情報であるかは正しく認識する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信