2023年10月5日木曜日

兼松の営業秘密流出事件 転職者による不正な営業秘密流入の抑制

先日、総合商社である兼松の元従業員が競合他社である双日に転職する際に、兼松の営業秘密を持ち出したとして逮捕されました。この事件は、今年の4月に双日に家宅捜索が入った事件であり、家宅捜索から約半年後の逮捕となっています。なお、この元従業員は、双日に家宅捜索が入った翌月には双日を懲戒解雇となっているようです。

・当社元社員の逮捕について(双日株式会社 リリース)
・元従業員の逮捕について(兼松株式会社 リリース)
・逮捕の双日元社員「弱い立場の派遣社員を利用」 うそつき秘密入手か(朝日新聞)
・双日元社員逮捕 営業秘密侵害疑い、DX・転職増でリスク(日本経済新聞)
・双日「組織的関与、把握ない」 元社員逮捕受けコメント(産経新聞)
・「双日」元社員を逮捕、前の勤務先「兼松」から営業秘密を不正持ち出しか…元同僚のID使う(読売新聞)
・双日の30代元社員を逮捕 前職の営業秘密を持ちだした疑い(毎日新聞)

報道によると、兼松の元従業員は退職直前の6月に3万7000にも及ぶファイルをダウンロードして不正に取得したようです。

ここで、どのようにして企業が営業秘密の不正取得を知り得るのか?との質問を受ける場合があります。これについては、多くの企業はデータに対するアクセスログ管理を行っていますので、自社の従業員が退職を申し出た際に過去数か月のアクセスログを確認し、不必要と思われるデータに当該従業員がアクセスしていないかを調べることで不正な持ち出しの有無を検知します。例えば、今回の事件のように、退職を申し出る直前の短期間に多量のデータをダウンロードしている形跡があると、営業秘密の不正な持ち出しの可能性が疑われます。
このため、アクセスログ管理を適切に行っている企業は、退職者が営業秘密を不正に持ち出しているか否かを比較的早期に検知できます。過去には退職を申し出た従業員が実際に退職するまでの間に、営業秘密の不正な持ち出しを検知し、懲戒解雇とした事例もあるようです。
今回の事件では、3万7000ものデータをダウンロードしており、通常業務でこの量のデータをダウンロードするとは考え難いため、転職に伴う不正な持ち出しであると判断できたでしょう。

さらに、元従業員は兼松の元同僚(派遣社員)からIDとパスワードを聞き出して、退職後にも兼松の営業秘密を不正に持ち出したようです。この元同僚は、元従業員に頼まれただけであり、不正の目的等は無かったと思われるので刑事罰を受けることは無いと思います。しかしながら、兼松で使用しているIDとパスワードを外部に漏らしたということは、兼松の規則に反する行為でしょうから、兼松から何らかの処分を受ける、若しくはすでに受けていると思われます。


一方、双日についてですが、兼松の元従業員に営業秘密を不正に取得することを指示していたり、双日社内で当該営業秘密が開示・使用されたりしなければ、特段の責任はありません。双日社内での営業秘密の開示・使用等の有無はこれから明確になるでしょう。

また、双日は本事件に関するリリースを発表しています。このリリースの中には、以下のような記載があります。
”特に、情報管理に関しては、キャリア入社社員に対して、前職で業務上知り得た機密情報を当社に持ち込まないことについて明記した誓約書を入社時に差入させるなどの未然防止および社員の教育と啓蒙に努めてまいりました。”
上記のように"前職で業務上知り得た機密情報を当社に持ち込まないことについて明記した誓約書"を転職者に求めることは非常に重要だと思います。この誓約書により、自社が他社の営業秘密を持ち込むことを良しとしない、という意思表示にもなりますし、もし転職者が前職の営業秘密を持ち出していても、自社で開示や使用することを抑止できる可能性があります。
ここで、自社への転職者による前職企業の営業秘密の持ち出しを防止することは困難です。この営業秘密の不正な持ち出しは前職企業内での行為であり、持ち出しを行ったときには、転職者は未だ前職企業の従業員であるためです。
しかしながら、仮に転職者が前職企業の営業秘密を持ち出したとしても、当該営業秘密が自社で開示や使用されなければ、自社が責任を問われることはありません。このため、上記のような誓約書を入社前に求めることが重要となります。仮に、前職企業の営業秘密を転職者が持ち出したとしても、誓約書によって当該行為が不法行為であると転職者に認識させ、転職先である自社で開示や使用することを食い止めることができる可能性があるためです。

このように、転職者に対する他社営業秘密の持ち出しを禁ずる誓約書、さらには自社従業員に対する他社営業秘密を開示・使用しない旨の教育等は、他社営業秘密が自社に不正に流入することを防止するために重要なこととなります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2023年9月27日水曜日

判例紹介:名刺データと顧客情報の違い

先日、下記日経新聞の記事に詳述されているように、元所属企業の名刺データの管理システムにログインするためのID、パスワードを転職先で開示したとして、元所属企業の社員が逮捕されました。しかし、逮捕理由は、営業秘密侵害ではなく、個人情報保護法違反とのことです。


上記記事によると、名刺データが営業秘密に該当しない可能性があるためとのことです。
”警視庁は今回、情報が営業秘密に該当しないと判断した。名刺は第三者に渡すことが前提で、記載された情報が非公知性の要件を満たす可能性が低いなどとみた。”
確かに、確かに名刺そのものは営業秘密とされない可能性が高いです。
例えば、東京地裁平成27年10月22日判決(平26(ワ)6372号)では、元従業員が転職先に名刺帳を持ち出したとして、元従業員を被告として被告の元所属先企業が原告となり、民事訴訟を起こしました。
これに対して裁判所は下記のように判断しています。
”本件名刺帳に収納された2639枚の名刺を集合体としてみた場合には非公知性を認める余地があるとしても,本件名刺帳は,上記認定事実によれば,被告Aが入手した名刺を会社別に分類して収納したにとどまるのであって,当該会社と原告の間の取引の有無による区別もなく,取引内容ないし今後の取引見込み等に関する記載もなく,また,古い名刺も含まれ,情報の更新もされていないものと解される(甲16参照)。これに加え,原告においては顧客リストが本件名刺帳とは別途作成されていたというのであるから,原告がその事業活動に有用な顧客に関する営業上の情報として管理していたのは上記顧客リストであったというべきである。そうすると,名刺帳について顧客名簿に類するような有用性を認め得る場合があるとしても,本件名刺帳については,有用性があると認めることはできない。

この裁判例では、名刺の単なる集合、すなわち分類や更新もされていない名刺帳には営業秘密でいうところの有用性がないと判断しています。名刺の集合のなかには、顧客(又は顧客見込み)の情報が含まれているでしょうが、分類等されていない限り第三者から誰が顧客なのかは判別できず、企業活動に利用できるかと問われると単なる名刺の集合で難しいでしょう。この裁判例では名刺帳ですが、名刺に記載の内容をデータ化した場合であっても同様でしょう。
また、今回の事件の記事では、非公知性が否定される可能性を懸念していますが、名刺の単なる集合に有用性がないと判断するか、非公知性がないと判断するかに本質的な違いが無いと思います。なお、上記裁判例でも、下記のように名刺そのものには非公知がないとも指摘しています。
”原告は,本件名刺帳に収納された名刺に記載された情報が原告の営業秘密に当たる旨主張するが,名刺は他人に対して氏名,会社名,所属部署,連絡先等を知らせることを目的として交付されるものであるから,その性質上,これに記載された情報が非公知であると認めることはできない。”
一方、顧客情報は、単なる名刺の集合とは異なり、文字通り企業の顧客(又は顧客見込み)の情報であり、企業として収益の要ともいえ、その有用性が否定されるものではありません。このように、営業秘密の視点からは、顧客情報と名刺の集合とでは少なくとも有用性に大きな違いがあると思われます。

とはいえ、今回の事件のように、営業秘密ではなくても、名刺データを転職先等で開示すると違法となる可能性があるようです(今回の事件は、不正ログインのような気もしますが。)。このため、転職時における名刺データの取り扱いは注意が必要でしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年9月14日木曜日

判例紹介:営業秘密としての技術情報の特定(認められない例)

技術情報を営業秘密として特定するためには、図や表、プログラム、特許請求の範囲と同様の記載、とのように様々な形態があり得ます。しかしながら、特定は形態でもよいわけではなく、やはり営業秘密とする技術情報の内容が客観的に判断可能な形態で特定する必要があります。

ここで、技術情報の特定が認められなかった裁判例として大阪地裁令和5年7月3日判決(事件番号:令2(ワ)12387号)があります。
この事件では、UCN(波長が600オングストロームより長い、極端に低いエネルギーの中性子であって、その低いエネルギー故に容器の中に閉じ込められる性質を有するもの(Ultra Cold Neutron))に関する装置を、原告が営業秘密と主張しています。

本事件において、まず原告は以下のように営業秘密の特定について述べています。
❝本件は、本件情報が化体した本件物件につき、その使用、開示の差止め等を求める事案であり、本件物件が社会通念上他の有体物から識別できる程度に特定できていればよく、必ずしも、営業秘密に当たる技術上の情報そのものの記載まで求められるものではない。原告らは、別紙物件目録において、社会通念上他の有体物から識別できる程度にまで本件物件を特定している。❞
そして、原告は営業秘密を下記のように主張しています。
❝本件情報の具体的内容は、本件物件の外部形状、内部構造及びその機能を発揮させるため組み上げられた各部の装置や機器(以下「構成部品」という。)を含む仕組み自体であり、形状及び構造にあっては、本件物件全体及び各構成部品の形状、寸法、加工及び組立てに関する情報である❞

このような原告の主張(営業秘密とする技術情報の特定)に対して、裁判所は以下のように判断し、原告の主張を認めませんでした。
❝しかし、かかる記述は情報の属性を極めて抽象的に述べたものにすぎず、具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことは全く不可能であり、ひいては公知の情報との対比(有用性、非公知性)や、管理態様(秘密管理性)を観念することができず、営業秘密の要件を備えるかどうかを判断することができない。
したがって、原告らの主張によってはそもそも本件情報が営業秘密に当たるとすることはできず、その主張は失当に帰する。原告らは先例からこのような特定で十分であるとするが、上記のとおり、営業秘密に該当するかどうかの判断ができない以上、原告らの主張は採用することができない。❞
ここで、客観的に特定できる技術情報がどのようなものであるかが上記で示されていると思います。
すなわち、「具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことが可能」なように技術情報を特定する必要はあります。
たとえば、図面やソースコード、材料の配合比率等は、具体的な内容を読み解くことができる典型でしょう。しかしながら、技術情報を上位概念にするほど、抽象的となり、具体的な内容を読み取くことができないものになり可能性があります。

そして、具体的な内容を読み解くことを必要とする理由は、「公知の情報との対比(有用性、非公知性)」、「管理態様(秘密管理性)を観念する」ことを可能とするためです。
すなわち、営業秘密の三要件を判断可能な程度に技術情報は特定されないといけません。そして、本事件のように営業秘密の特定ができていないとして、原告敗訴となる事例が少なからずあり、秘匿化する情報の特定は何より大事です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信