2021年5月30日日曜日

発明を営業秘密として秘匿化する方法

営業秘密としての秘密管理性を満たす前提として、そもそも営業秘密とする情報の特定が必要です。営業秘密の特定の方法は法的に定められておらず、どのような第三者が認識できる態様であればどのような形態であってもよいでしょう。

では、発明を営業秘密として秘匿化するためにはどのような形態が望ましいのでしょうか?
ここで、特許庁オープンイノベーションポータルサイト モデル契約書_秘密保持契約書(新素材)の10ページには以下のような記載があります。
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秘密保持契約締結前に自社が保有していた秘密情報のうち特に重要なものだけでも秘密保持契約の別紙において明確に定めておくことが考えられる。
 ・ これにより、自社の重要な情報を確実に秘密情報として特定できるとともに、上記リスクを回避することができる。なお、秘密保持契約の別紙において定義をする際には、弁理士に対して、特許請求の範囲を記載する要領で作成を依頼することも考えられよう。
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上記のように、発明を営業秘密とする場合には、特許請求の範囲と同様の形態で特定することが望ましいと思われます。
では、営業秘密を特許請求の範囲と同様の形態で特定することのメリットにはなんでしょうか?もちろん、知財として慣れ親しんだ形式であるということもありますが、それ以外にも下記のようなメリットが考えられます。
なお、ここで挙げるメリットは私だけでなく、他の弁理士先生、弁護士先生の意見も含まれており、私自身もなるほどと思ったことです。先生方、助言ありがとうございました。


① 裁判官の理解が容易となる。
営業秘密の侵害訴訟ではまず営業秘密の特定が行われます。しかしながら、営業秘密を保有している原告側が営業秘密として提示した情報が要領を得なかったりすると、営業秘密の特定そのものに裁判所は時間と労力を要することになります。これは原告にとって望ましいことではないでしょう。そこで、特許請求の範囲と同様の形態で営業秘密を特定することで、営業秘密の特定が容易となり、さらに、被告が実際に侵害しているか否か(例えば当該営業秘密を使用したか否か)の判定も特許侵害訴訟と同様に裁判所は行えばよく、裁判所は特許侵害訴訟の経験を生かすことができます。これもやはり原告にとって訴訟の行方を予想し易くなるので、メリットとなるでしょう。 

② 特許出願が容易となる。
例えば、当該営業秘密を創出した従業員が競合他社に転職する可能性もあります。そうした場合、当該従業員を介して営業秘密が転職先に漏洩する可能性もあります。これは営業秘密侵害となるのですが、従業員がデータを持ち出さずに自身の記憶のみから転職先に教えたり、また、当該営業秘密が製品の製造方法であったりすると、当該営業秘密の漏えいを認識できない可能性があります。
このような場合、営業秘密としていた技術情報を特許出願して権利化することで、転職先企業に対する営業秘密に係る技術の使用を防止することが考えられます。このような判断をした場合、営業秘密を特許請求の範囲と同様に特定し、かつ予め実施形態も作成しておくと、容易に特許出願が可能となります。もし、このような準備を行わずに、当該従業員が退職届を出した後に、慌てて特許出願を行なおうとしても、特許出願そのものが遅れたり、当該従業員の協力を十分に得られない可能性もあるでしょう。

③ 営業秘密の共有が容易
営業秘密を特許請求の範囲と同様の記載とすることで、営業秘密の技術的範囲が特許と同様の解釈となるので、営業秘密の共有が容易となります。また、技術を段階的に特定する従属項も作成することで、営業秘密を他社等に開示する場合にどの段階までならば開示可能であるかの認識も共有できます。例えば、請求項1は秘密保持契約なしで顧客(顧客候補)に開示可能。請求項2は秘密保持契約ありで開示可能。請求項3は開示不可。とのように定めることが出来るでしょう。これにより、例えば、営業部の人たちが顧客に対する情報開示を誤ることもなく、また、必要な情報を適切に開示できることになります。

④ ディスカバリへの対応
米国の訴訟では証拠開示手続きであるディスカバリ制度があることは広く知られています。このディスカバリを行うにあたり、自社の営業秘密を不必要に開示しないように注意しなければなりません。しかしながら、自社における営業秘密の管理が不十分であると、本来開示義務のない営業秘密を誤って開示する可能性があります。そこで、営業秘密を特許請求の範囲と同様の記載とすることで当該営業秘密を容易に特定できるので、営業秘密を誤って開示することを防止できます。

以上のように、発明を営業秘密として秘匿化するにあたり、知財として慣れ親しんだ形態である特許請求の範囲や明細書のような形態で特定することはメリットが多いでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年5月23日日曜日

判例紹介:営業秘密の帰属について

営業秘密が企業だけでなく当該営業秘密を創出した従業員にも帰属するか否かは、不正競争防止法に営業秘密が規定された当初から議論になっていました。この理由の一つには、営業秘密の帰属について不正競争防止法では明確に規定されていないためです。
そして、あまり多くないものの裁判でも争点になる場合もあり、その帰属は企業にあるとの結論が全てです。


今回紹介する裁判例は東京地裁令和2年6月11日(平成30年(ワ)20111号)です。
本事件の原告は保険代理店であり、被告は訴外AIU保険会社を退職後にAIU保険会社の紹介により原告に入社しました。被告は、AIU保険会社において開拓した顧客を原告在職時にも担当していましたが、その後、原告を退職し、損害保険や生命保険の募集等に関する業務を行う訴外会社に就職しました。
そして、被告が原告を退職した後、被告がAIU保険会社において開拓した顧客の情報(本件顧客情報1)の写真を原告の従業員であったBがLINEを通して被告へ送付しました。なお、この顧客情報1の各顧客はAIU保険会社に対して20万3505円を支払うことにより、原告が保険代理店として同各顧客を担当することとなったものです。


この本件顧客情報1に対して被告は、”本件顧客情報1の各顧客は,被告が自らの人脈で開拓した顧客であるから,本件顧客情報1は被告に帰属するものであり,被告は,各顧客の了承の下,これを原告に提供したにすぎない。”と主張しました。

この被告の主張は理解できなくもありません。
そもそも本件顧客情報1は被告がAIU保険会社の元で開拓した顧客の情報であり、被告が原告の元で開拓した顧客の情報ではありません。そして原告はAIU保険会社から20万3505円を支払うことで本件顧客情報1の顧客を担当するになったものです。
そうすると、原告はこの本件顧客情報1を確かに保有しているものの、被告はもともとAIU保険会社にて当該顧客を開拓したのであるから、本件顧客情報1は被告にも帰属するという考えもあり得るようにも思えます。

これに対して裁判所は、下記のように本件顧客情報は原告に帰属すると判断しました。
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・・・本件顧客情報1は,その各顧客に係る契約を取り扱う主体である原告に帰属するものであると認めるのが相当というべきである。
この点,被告は,本件顧客情報1の各顧客は,被告が自らの人脈で開拓した顧客であるから,本件顧客情報1は被告に帰属するものであると主張する。しかし,上述のとおり,本件顧客情報1は,あくまで保険契約に係る情報を含むものであり,私的に管理している情報とは区別されるべきものであるから,原告が取り扱う保険契約に係る情報をも含む本件顧客情報1が,原告の一従業員であった被告個人に帰属するものとはおよそ認めることができない。
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このように裁判所は、"保険契約に係る情報を含む"という理由から本件顧客情報1は被告に帰属しないと認定しています。
この”保険契約に係る情報を含む”とは、”各顧客に係る契約を取り扱う主体である原告”とのように裁判所が認定していることからも、”原告の業務に係る情報を含む”との意味でしょう。

そうすると、原告が保有している営業秘密であっても、当該営業秘密が示す情報と原告の業務との関係によっては、当該営業秘密を創出した従業員にも帰属する可能性があるのではないでしょうか。
すなわち、企業の業務とは直接的に関係のない情報は、当該営業秘密を創出した従業員にも帰属する可能性があるのではないでしょうか。

とはいえ、企業が保有する営業秘密はそのほとんどが企業の業務に係る情報でしょうから、営業秘密のほとんどは、当該営業秘密を創出した従業員に帰属することなく企業にのみ帰属するのでしょう。

しかしながら、例えば、従業員がした発明によっては未だ当該企業の業務となっておらず、当該従業員自身の発案により、オリジナル性が高いものである場合もあります。そうすると、このような発明を営業秘密として企業が管理すると、当該企業だけでなく、当該発明を創出した従業員にも帰属する可能性があるのではないでしょうか。
また、従業員が発案した新規な(従業員が所属する企業で未だ行っていない)ビジネスモデル等も、当該ビジネスモデルを創出した従業員にも帰属する可能性があるようにも思えます。
このように、営業秘密が企業だけでなく当該営業秘密を創出した従業員にも帰属するか否かは、その営業秘密の内容によって変わるのではないでしょうか?

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年5月16日日曜日

退職者に対する秘密保持契約の理解は正しい?

最近、営業秘密侵害の刑事事件の増加に伴い、退職者に対する秘密保持契約の必要性に言及した報道も目に付くようになりました。
しかしながら、このような報道が営業秘密の秘密管理性を正しく理解したうえでなされているのか少々疑問に感じます。

具体的には、退職者と企業との間で秘密保持契約を交わしたからといって、企業が保有する情報に対する秘密管理性が認められるとも限りません。すなわち、秘密保持契約を企業と退職者とが交わしたとしても、それを持って、企業が保有する情報が営業秘密と認められるわけではありません。
一方で、退職者が企業との間で秘密保持契約を交わさなかったからといって、企業が保有している情報を退職者が自由に持ち出していい、というものでもありません。すなわち、秘密保持契約を企業と退職者とが交わさなかったとしても、それ持って、企業が保有する情報が営業秘密と認められ無いわけではありません。

私は、退職者と企業との間における秘密保持契約は企業が保有する営業秘密の秘密管理性を補強するに過ぎないものであり、対象となる情報に秘密管理措置を常日頃から行っていないと、当該秘密保持契約は意味をなさないと考えます。
一方で、秘密管理措置を常日頃から行っていれば、たとえ退職者との間で秘密保持契約を締結しなくても、当該情報を不正に持ち出した退職者に対して営業秘密侵害を問うことができます。

例えば、東京地裁平成30年9月27日判決(平成28年(ワ)26919号 ・ 平成28(ワ)39345号)があります。
本事件において被告A、Bは、まつ毛サロンを経営する原告の元従業員であり、退職後に同業他社のまつ毛サロンで勤務しています。原告は、被告A,Bが退職後の勤務先で原告から示された営業秘密(本件ノウハウ)を不正に利益を得る目的で使用又は開示しているとして、本件ノウハウの使用又は開示の差止め等を求めました。

この事件では、下記のように原告は退職する従業員に対して守秘義務についての誓約書を提出させています。そして、本事件の被告である元従業員もこの誓約書を提出しています。
また、原告は就業規則においても守秘義務を課していることを主張しています。
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原告は,就業規則において,本件ノウハウを含む会社の業務上の機密を他に漏らしてはならず,会社の許可なくマニュアル類等の重要物の複製や持ち出しを行ってはならないことや,退職時に守秘義務等について明記した誓約書を提出することなどを定めており,実際に,原告は,従業員が退職する際には,当該従業員に,本件ノウハウを含む原告の機密情報を一切漏らさない旨を誓約させ,退職する従業員にも秘密保持義務を負わせている。
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これに対して被告は下記のような主張を行っています。
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秘密管理性の要件を満たすためには,その情報が営業秘密であることを第三者が認識できることが必要であると解される。
しかしながら,原告の就業規則においても,被告らが原告に対して退職時に提出した誓約書においても,本件ノウハウが業務上の機密又は機密情報に該当するか否かは定かではない。
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そして裁判所の判断は以下のとおりです。
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本件で,原告が営業秘密であると主張する本件ノウハウは,原告で施術されるまつ毛パーマ,アイブロウ及びまつ毛エクステンションの技術に関する情報であるところ,原告においては,同技術が蓄積されていて,従業員に対して,その技術を幅広くトレーニング等で伝えていたことが認められる。しかしながら,上記(1)イ及びカのとおり,それらの技術について,秘密であることを示す文書はなかったし,従業員が特定の技術を示されてそれが秘密であると告げられていたものではなく,また,その技術の一部といえる本件で原告が営業秘密であると主張する本件ノウハウについて,網羅的に記載された書面はなく,従業員もそれが秘密であると告げられていなかった。
・・・
 以上によれば,本件ノウハウについて,原告において秘密として管理するための合理的な措置が講じられていたとは直ちには認められない。また,まつ毛パーマ等に関する技術については一般的なものも含めて様々なものがあることも考慮すると,上記のような状況下で,被告らにおいて,本件ノウハウについて,秘密として管理されていることを認識することができたとは認められない。
そうすると,本件ノウハウは,「秘密として管理されている」(不競法2条6項)とはいえないから,その余の要件について判断するまでもなく,営業秘密には該当するということはできない。
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このように、たとえ企業が退職者との間で秘密保持契約(守秘義務契約)を交わしたとしても、そもそも企業が対象とする情報に対して秘密管理措置を行っていないと、当該秘密保持契約は何ら意味を成し得ません。これは、就業規則に記載されている守秘義務も同様です。
このことを企業は十分に理解して退職者と秘密保持契約を締結する必要があります。

では、何のために退職者と秘密保持契約を交わすのか?
その理由は、退職者に営業秘密の不正な持ち出しは違法であることを再認識させるためと考えるべきでしょう。最善の秘密保持契約では、退職者が知っているであろう企業秘密を特定できるように契約書に記し、それらが営業秘密であることを再認識させることです。

一方で、退職時に企業から秘密保持契約を求められなかったり、求められても拒否したからと知って、その退職者が在籍していた企業の情報を自由に持ち出すことが出来るわけではないことも理解できるでしょう。既に、営業秘密として管理されている情報は、たとえ秘密保持契約を交わしていなくても、不正に持ち出すことは違法となります。
従って、退職時に秘密保持契約を交わしていないことは、営業秘密を持ち出してよいことの理由にはなり得ません。

以上のように、営業秘密侵害の報道で言及されているような、退職者と企業との間における秘密保持契約の有無は営業秘密侵害において重要な要素ではありません。「退職者との間で秘密保持契約さえ交わせば安心」とのような認識を持っている企業は、今一度、営業秘密の要件を確認する必要があるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年5月5日水曜日

ブログ開始から5年目になりました。

今月でこのブログを始めてから5年目になりました。 

先月は、パテント誌2021年4月号に”知財戦略カスケードダウンと三方一選択”と題した論文が掲載されました。
この内容は本ブログでも提案している、事業の利益又は事業に基づく企業価値を最大化することを目的として、発明に対して権利化(特許化)、秘匿化、又は自由技術化を選択(三方一選択)する、というコンセプトとした知財戦略(特許出願戦略)を記載したものです。

知財戦略カスケードダウンの考え方としては、まず、事業を目的、戦略、戦術とのように段階的に理解します。そして、事業戦術から知財目的を設定し、事業戦術に用いる技術要素(複数の発明の集合)に対して知財戦略を設定し、さらに具体的な知財行動である知財戦術として発明毎に三方一選択を行うというものです。
下記参考は、知財戦略カスケードダウンの考え方の具体例です。
今後は、他にも具体例をいくつか挙げていきたいと思っています。


このように、今後は、営業秘密だけでなく、特許も含めた知財戦略についても考えていきたいと思っています。
このため、このブログのタイトルも「営業秘密ラボ」から、「特許と営業秘密と知財戦略 -営業秘密ラボー」に替えました。


また、昨年はツイッターによる情報発信も始めましたが、ブログのまとめ記事を掲載するためにnoteも始めました。
こちらの更新頻度は低めの予定です。このページ<まとめ記事 ーnoteへのリンクー>からもアクセスできます。

さらに、営業用として「営業秘密漏えい防止研修のご依頼」のページも作っています。営業秘密の漏えい防止には、従業員に対する教育が一番であると考えています。
今後は、上記の知財戦略カスケードダウンと三方一選択に基づいた知財戦略に関するサービスも行いたいと考えています。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年4月25日日曜日

アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(3 最終回)

前々回はアサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)です。

<パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>

ここまでは、”生ジョッキ缶の市場独占”を事業戦術として選択する場合を想定しました。
一方、自社だけでは生ジョッキ缶市場の拡大が難しいと考え、他社に生ジョッキ缶市場の参入を促すことで市場の拡大を図ることを事業戦術とする可能性もあるでしょう。市場拡大によって他社との競争が発生しますが、他社に対して自社の優位性を保つことで、市場独占よりも大きな売り上げの増加を狙います。これがパターン3です。

以下にパターン3における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

・事業
目的:新規な製品により缶ビールの販売増
戦略:缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
戦術:フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
   泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
   他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大     

・知財
目的:他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大
戦略:技術を公開しつつ、自社の優位性を保てる技術は特許権を取得
戦術:自由技術(フルオープン缶の形状、炭酸ガス圧の数値範囲)
   権利化缶内面の凹凸の優位性を保てる数値範囲
他社の参入を促して市場を拡大するためには、知財戦略として発明の”自由技術化”が選択されるでしょう。自由技術化は、換言すると権利化を伴わない技術の開示です。
技術の開示は、経営方針に記載されているような開示やホームページによる開示、自社が発行する技術文献による開示があります。また、特許出願による開示もあります。

特許出願は特許権を取得するために行うものですが、特許請求の範囲の技術的範囲に含まれない技術は他社が自由に実施可能な技術となります。そうすると、自社製品が優位性を保てる技術に対して特許権を取得する一方で、他社が当該製品を製造可能な程度の技術は権利取得しないという選択もあります。
これにより、他社による当該製品の市場参入を促す一方で、自社製品の優位性を保つ技術を権利化して他社製品との差別化を行い、市場拡大による自社利益の最大化に貢献できると考えられます。

これを生ジョッキ缶に当てはめるて考えます。
まず、フルオープン缶の形状は、生ジョッキ缶に必須の形状であると考えられます。これを権利化してしまうと、他社は生ジョッキ缶市場へ参入し難くなるため、権利化は行わずに自由技術化とします。

そして、特許出願によりアサヒビールは自社が他社に対して優位性を保てると考える”缶内面の凹凸の数値範囲”、具体的にはより効果的に泡立ちを発生させることができる数値範囲で特許権を取得することを目指します。
一方で、特許請求の範囲に含まれない数値範囲、すなわちそれなりに泡立たせることができる凹凸の数値範囲は自由技術とし、他社による生ジョッキ缶の市場参入を促します。また、炭酸ガス圧や凹凸を形成するための塗料の組成や焼き付けに関する技術も開示し、より他社が実施し易いようにすることも考えられます。

以上のように、新規な製品カテゴリ(新ジャンル)であれば、敢えて技術情報の一部(他社の市場参入を促す技術情報)を自由技術化することで市場の拡大を図ることが考えられるでしょう。そして、拡大した市場の中で優位性を保てる技術を権利化することで、当該市場に占めるシェアを大きくし、その結果、市場を独占する場合よりも大きな利益を得ることを目指すという知財戦術も考えられます。

なお、このような発明の自由技術化は市場の拡大に役立つと考えられる一方で、他社が自社よりも良い製品を販売することで、自社のシェアが大きくならず、結果的に市場を独占した場合よりも利益が小さくなる可能性も想定されます。このため、自社の技術力及びブランド力等も鑑みて、市場独占又は市場拡大を選択することになるかと思います。


<まとめ>

本ブログではアサヒビールの生ジョッキ缶に対して、市場独占のための特許化、市場独占のための秘匿化、市場拡大のための自由技術化と特許化、とのように3パターンの知財戦術を検討しました。

ここで、発明を特許出願して独占排他権を得ることができれば、事業に対して非常に有益です。しかしながら、特許出願は技術を公開することになるので公開リスクがあります。もし、安易な特許出願を行うと他社に技術を教えることになり、事業戦術(知財目的)とは異なった結果を招く可能性もあります。

一方で、発明を秘密にすることも十分な検討が必要です。自社製品をリバースエンジニアリングすることで容易に知り得る技術は実質的に秘密にできません。また、他社が比較的容易に思い付きそうな発明は他社に特許権を取得される可能性があります。そのような発明に対しては秘匿化よりも特許化のほうが良いでしょう。

さらに、自由技術化は発明を世に広めるためには良いですが、自社開発技術を他社に自由に使用させることになるので、最も慎重になる必要があります。なお、自由技術化にしても、権利を取得したうえで、権利行使を行わないことを宣言することで実質的に自由技術化することもできます。

このように、発明を知財として扱う場合には、権利化、秘匿化、又は自由技術化の3種類しか選択肢はありませんが、その選択を事業に基づいて適切に決定するというものが、このブログで提案している知財戦略カスケードダウンです。

ここで、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術としては、個人的にはパターン2のようなものが適しているのではないかと思います。
アサヒビールの生ジョッキ缶は話題性も高く、すぐに販売中止となるような人気です。おそらく、アサヒビール以外の他社も生ジョッキ缶と同様の製品の販売を目指すことになるでしょう。
その場合、既にアサヒビールが開示している缶内面の凹凸等の技術情報や、今後発行される特許公開公報で開示される技術情報は最も参考になる資料となります。
ところが、特許権は審査を経て取得されるものですので、既述のように最終的にどのような権利を得ることが出来るのかわかりません。そのため取得した特許権が思ったような技術的範囲とならない可能性もあります。

一方で、生ジョッキ缶の凹凸に関する情報を秘匿化しても、遅かれ早かれ他社も同じ技術に達する可能性は高いと思いますが、販売までにそれ相応の時間を要すると思います。このため、他社が同様の製品を販売するまでの間に、”生ジョッキ缶=アサヒビール”とのようなイメージを消費者に植え付け、自社製品の優位性を高めた状態にし、他社が参入したとしても高いシェアを維持するという戦術が取れると思います。
すなわち、生ジョッキ缶で高い利益を維持することを目的として、”技術的優位性”から”ブランド優位性”に知財戦略・戦術を変化させる時間的余裕を得ることができるでしょう。

以上のようにアサヒビールの生ジョッキ缶は、技術的にも興味深いものであり、缶ビールの新しいジャンルとも捉えることができる面白い題材であるので、このブログで提案している知財戦略カスケードダウンに当てはめて検討してみました。
アサヒビールの生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術が一体どのようなものであるのかはわかりませんが、今後、特許公開公報が発行されることで、どのような技術の権利化を狙っているのかが分かり、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術を理解できるかもしれません。また、他社が生ジョッキ缶と同様の製品を製造販売するか否か、それに特許がどのような影響を与えているのかも分かるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信