2020年5月22日金曜日

-判例紹介ー 取引先に営業秘密を開示したものの、その非公知性が否定された裁判例

今回は、取引先と秘密保持契約を締結して情報を開示したものの、その情報は営業秘密ではないとされた裁判例(東京地裁 令和2年3月19日 平成20年(ワ)23860号)について紹介します。

本事件において、原告と被告は、平成27年10月8日に原告が被告に対して皮膚バリア粘着プレートの製造を委託することなどを定めた製造委託契約(以下「本件契約」という。)を締結しました。
この本件契約の契約書第9条には以下の記載があります。

第9条(秘密保持義務)
甲(原告)と乙(被告)は、事前に相手方の書面による承諾を得なければ、次の情報を第三者に開示または漏洩してはならない。  
① 本件契約及び個別契約の締結前に行われた交渉の段階において、図面・仕様書・資料・材料・型・設備・見積依頼・口頭の説明、その他により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報。   
② 前項のほか、本件契約及び個別契約により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報  
③ 前項の規定は、次の各号に定める情報には適用しない。
    1 相手方から知り得た時点で,既に保有している情報
    2 独自に開発した情報
    3 秘密保持義務を負うことはなく,第三者から正当に入手した情報
    4 公知になった情報

そして、原告は、平成27年11月17日に独立行政法人医薬品医療機器総合機構に対し、皮膚バリア粘着プレート「マムズケア(Mom’s Care)」の一種で、帝王切開用の「マムズケア 16(Mom’s Care 16)」(以下「原告製品」という。)について、医療機器製造販売届(以下「PMDA申請」という。)をしました。また、被告も、平成27年12月28日に被告製品のPMDA申請をしました。

原告は、平成28年1月18日に被告に対し、東レ・ダウコーニング社(訴外東レ)が製造・販売する、粘着面の原材料として記載されている「DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤」(本件東レ製品)を原告製品の粘着面に用いることを提案し、原告と被告は原告製品について、原材料として粘着面に原告が支給する本件東レ製品を使用し、非粘着面に「Mom’s シリコーン」を使用することを合意しました。

なお、原告製品は、皮膚に接する粘着性のあるシリコーン面と、粘着性のない面からなる伸縮性に富んだシリコーンシートであり、帝王切開手術専用の皮膚バリア粘着プレートであり、原告製品は、帝王切開手術の手術痕に貼付することにより皮膚バリアとして外部からの刺激等を和らげるとともに、手術痕が瘢痕やケロイドになるのを予防するものです。

原告は平成28年2月24日から現在に至るまで原告製品を販売し、被告は平成28年2月22日から同年6月20日までの間、本件契約に基づいて原告製品を製造して原告に納品したものの、本件契約は平成28年10月8日に終了しました。

そして、被告は、遅くとも平成29年12月1日には被告製品の販売を開始しました。この被告製品は、粘着性のあるシリコーン面と粘着性のないシリコーン面からなる伸縮性のあるシリコーンシートであり、切開手術、腹腔鏡手術の手術痕などの皮膚部位を保護し、手術痕が肥厚性瘢痕やケロイドになるのを防止する皮膚バリア粘着プレートであり、その粘着面には本件東レ製品が用いられています。



このような経緯の元、本事件において原告は、シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の原材料として「 東レ(株) DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤 」を用いることを営業秘密であると主張しました。
そして、原告は、帝王切開手術の手術痕の保護に適したシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートという原告のアイディアを被告が模倣し、原告製品のPMDA申請から約1か月後に、原告に何らの説明もなく被告製品のPMDA申請をしただけでなく、平成28年8月以降、本件東レ製品を用いて原告製品と同じ形状・サイズの被告製品を製造・販売したことが、被告が「不正の利益を得る目的」(不正競争防止法2条1項7号)をもって本件情報を使用したと主張しました。

 これに対して裁判所は、以下のようにして原告主張の営業秘密の非公知性を否定しました。「手術痕や傷痕を保護するためのシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートが本件契約の数年以上前から複数の会社から製造,販売されていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤の粘着技術が遅くとも平成元年頃からは傷の治療に用いられていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤である本件東レ製品が遅くとも平成20年12月頃には販売され,同時期に発行された業界雑誌において製品の特性等も踏まえて紹介されていたことのほか,訴外東レが,本件東レ製品について,瘢痕治療を含む皮膚への付着を対象とする製品であること及び日本国内だけでなく海外にも広く供給することが可能であることなどを自社のウェブサイトにおいて紹介していることが認められる。
 (2)  以上によれば,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面に本件東レ製品を用いることができるという情報は,平成27年7月までには,広く知られていた情報であったといえる。本件東レ製品はそのような用途で用いられる汎用品であるから,少なくとも,原告が,原告製品の製造等を依頼するためにエフシートを持参して被告を訪問した平成27年7月16日時点において,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の材料として本件東レ製品を用いるという本件情報が非公知の情報であったとは認められない。

一方、原告は、本件東レ製品は医療用に開発された特殊素材の製品で、医療品への使用用途以外にはメーカーに卸してもらえない製品であり、一般に市場に出回っている原材料ではないと主張しました。しかしながら、これに対しても裁判所は、本件東レ製品を使用するのに一定の手続を要したとしてもそれは本件情報の非公知性に影響しないと判断しました。

このように、本事件では、原告が営業秘密であると主張する情報に対する非公知性が否定され、当該情報は営業秘密ではないとされました。
これにより、原告と被告とで締結した秘密保持契約の対象となる情報から、当該情報が除外されることとなります。

次回に続きます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年5月1日金曜日

営業秘密侵害の検挙件数統計データ

警察庁生活安全局 生活経済対策管理官から「令和元年における生活経済事犯の検挙状況等について」が今年の3月に発表されていましたので、その中から営業秘密に関連するものを紹介します。

この営業秘密侵害事犯の検挙事件数の推移のグラフから分かるように、営業秘密に関する刑事事件は、統計を取り始めた平成25年から右肩上がりとなっています。

令和元年では平成25年に比べて4倍になっていますが、これは昨今の人材の流動化に伴い、営業秘密侵害が増えた可能性もあるかと思いますが、民事訴訟件数がこれほどの増加率ではないように思えますので、被害企業が積極的に刑事事件化を選択しているということではないでしょうか。

例えば、転職の際に営業秘密を持ち出した元従業員に民事訴訟を提起したとしても、その立証が大変であったり、実質的な損害が生じていなかったりすると損害額が低額であり、民事訴訟を行う金銭的なメリットは低いと判断される可能性もあるかと思います。
そうすると、民事訴訟を起こすメリットは差し止めとなりますが、実際には警告書を転職先企業に送付すれば、多くの場合は民事訴訟を提起するまでもなく転職先は使用しないでしょう。
しかしながら、それだけでは営業秘密侵害の抑止効果としては薄いかもしれないので、刑事事件化して抑止効果を高めようとする企業もあるかと思います。

一方で、このグラフは検挙件数であるため、起訴に至った件数は分かりません。まれに不起訴となった事件が報道される場合がありますが、多くの事件は不起訴となった場合にはそのことが報道されていないようです。
今後、起訴された件数や、不起訴となった理由も知ることができればと思います(不起訴理由を知ることは相当困難なようですが)。

上のグラフは、営業秘密侵害事犯の相談受理件数の推移です。
平成29年が突出していますが、こちらも、基本的に右肩上がりです。
相談件数の約半分が検挙に至っているという感じでしょうか?

こちらの表からは、具体的な検挙人員や検挙法人数が分かります。
ここで、検挙法人数は平成27,28年では各々4法人ですが、他の年は0です。
これは、民事訴訟においては多くの場合、元従業員の転職先企業も被告となっていることを鑑みると、少ない数かと思います。
営業秘密の被害企業にとっても、他の法人に対して刑事責任までも問うということは、心理的負担が大きいということでしょうか。

なお、検挙事件件数は近年20件前後のようですが、実際に報道されている件数は、この半分から1/3以下のように思えます。
このため、意識して報道を確認しないと、営業秘密の刑事事件について起きていることも知られないかもしれません。実際、弁理士であっても、営業秘密侵害が刑事事件になっていることを知らない人もいるようです。

しかしながら、営業秘密侵害事件の検挙件数は確実に増えており、その多くの人は普通に会社勤めをしていた人たちでしょうから、自身の人生を誤らないためにも、営業秘密の漏えいは刑事事件ともなり得る行為であることを全員が知るべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年4月24日金曜日

特許-研究開発費の推移グラフ(更新)

このブログの統計資料として挙げている日本国内の特許ー研究開発費の推移グラフの令和元年(2019年)の特許出願件数について更新しました。

皆さんご存じの通り、日本国内の特許出願件数は右肩下がりです。
令和元年の出願件数は、は前年(平成30年、2018年)よりも約6、000件少ない、約308、000件でした。
そして、コロナウィルスの影響により、年間の日本特許出願件数が30万件を下回ることも確定でしょう。

コロナウィルスによる経済的な打撃はリーマンショック以上といわれています。
特許出願件数に与えるリーマンショックの影響は、平成20年と平成21年の差から分かります。平成20年には391、000件であった出願件数が、平成21年では約349,000件まで減少しています。約11%の減少です。

コロナウィルスによる経済活動の縮小が何時まで続くかは誰にもわかりませんが、リーマンショックによる減少幅を参考にすると、今年は270,000件程度まで国内の特許出願件数が減少するかもしれませんね。

当然、日本の企業等における研究開発費も減少するでしょう。
しかしながら、今年又は来年にはコロナウィルスも撃退され、景気も回復し、企業の研究開発費も上昇に転じるでしょう。
ところが、リーマンショック以降を見ると、研究開発費は戻ったにもかかわらず、特許出願件数は戻るどころか右肩下がりです。
この理由は、特に大企業においてリーマンショックによるコスト削減の一環として特許出願数の削減が行われたわけですが、結局、特許出願は“コスト”の側面が大きく、目に見えるリターンが得られ難いため、リーマンショック前の出願件数に戻すという意識が全体として働かなかったのではないかと思います。
すなわち、特許出願を多量に行っていた企業の一部は、リーマンショックによって特許出願というコストの削減に成功したとも思えます。
これと同じことが再び起こるかもしれません。つまり、コロナウィルス撃退後も特許出願件数は上昇せずに、右肩下がりを続けるということです。

特許出願を行わないとすると、どうしても技術情報の秘匿化に進むのではないかと思ってしまいます。一方で、どのような技術を特許出願とするのかという選択も重要となるでしょう。すなわち、特許出願と秘匿化との正しい選択がより求められるのではないでしょうか?もしかしたら、コロナウィルスを切っ掛けにそのような考えが急激に進むかもしれません。


弁理士による営業秘密関連情報の発信