2022年3月26日土曜日

判例紹介:治具図面漏洩事件(刑事事件) 秘密管理性

今回紹介する判例は、刑事事件に関するものです。
営業秘密侵害の刑事事件では、その多くにおいて被告人が営業秘密の不正取得等を認め、裁判の争点は量刑であることが多いのですが、被告人が持ち出した情報の営業秘密性等を争う場合もあります。

今回はそのような判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 事件番号:平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)であり被告人の弁護人は当該情報は不正競争防止法2条6項所定の営業秘密に該当しないと主張しています。
本事件は下記のように報道された事件であり、全国的にはさほど大きく報道されなかったものの、光ファイバーに関する治具図面が中華人民共和国で使用する目的で不正に持ち出されたものです。
本事件の判決は有罪であり、被告人Y1が懲役1年4か月及び罰金80万円、被告人Y2が懲役1年及び罰金60万円とされ、執行猶予が3年となっています。

本事件は、被告人Y1が図面の記載の複製を作成し、被告人Y2にこれを開示したこと、被告人Y2がこれを取得して日本国外で使用したことについては争いがないとされています。なお、被告人Y1は、電気通信機器の製造及び販売等を業とするa社(被害企業)の取締役として光通信部品の設計販売等を統括管理し、a社の営業秘密である測定治具等の設計画面を示されています。また、被告人Y2は、b社の代表者として、光通信部品等の販売を業とするものです。

まず、本事件において営業秘密とされる治具図面に記載の本件治具の構造は、下記のようなものです。なお、MTフェルールとは、光通信において光ファイバーを接続するための装置であるMPOコネクタを構成する樹脂製の部品とのことです。
❝本件治具の構造は,市販のダイヤルゲージの軸部分の先端に測定子を取り付けた上,軸部分及び測定子に筒状のアダプタを被せるというものであった。本件治具による測定方法は,MTフェルールをアダプタ底面の挿入穴に差し込み,これを測定子に接触させて移動させ,その移動範囲をダイヤルゲージに表示させて,MTフェルールの長さを測定するというものであった。本件治具によって100分の1ミリメートル単位の長さが測定できた。❞
そして、この図面の管理状況として下記が挙げられています。
(ア)「設計・開発管理規定」により、治具図面を含む製造図面を顧客へ提出することは禁止。同社の各種管理規定については、社内のウェブサイトに最新版が掲載されており、社員であれば閲覧が可能。
(イ)従業員就業規則において「会社,取引先等の秘密,機密性のある情報,顧客情報,企画案,ノウハウ,データー,ID,パスワード及び会社の不利益となる事項を第三者に開示,漏洩,提供しないこと」とされていた。本社1階事務室には、従業員就業規則のコピーが置かれており、社員であれば閲覧が可能。
(ウ)平成24年10月13日に開かれた事業運営会議において、企業防衛のため社員との機密保持契約を締結することとされ、同会議メンバー等が機密保持誓約書に署名押印して提出。被告人Y1も秘密保持誓約書に署名押印して提出。
(エ)平成27年4月7日付け通知書により、機密保持の観点から、図面、仕様書等の裏紙使用は即日禁止され、それらの書類は裁断して廃棄又は溶融業者に処分を依頼することとされた。

上記のような管理状況では、治具図面そのものにマル秘マーク等を付す等の管理がされておらず、治具図面に対する秘密管理が十分、すなわち客観的に秘密であることが認識可能なような管理状況であったのかについて疑義が生じます。


しかしながら、裁判所は下記のようにその秘密管理性を認めています。
❝a社は,平成28年4月1日の時点で本社役員5名,本社従業員33名とする規模の会社であったところ(甲2。なお,本社以外にも日本国内に複数の工場があったが,本社の規模を考えると,各工場で本件治具図面に類する技術上の情報に接し得る社員は限定的であったと推認される),会社の規模がその程度であったことを踏まえれば,本件当時,同社の役員及び従業員にとって,前記第2の3(3)ウで見た各施策により,同社が本件治具図面について秘密管理意思を有していることは,客観的に十分に認識可能であったものと認められる。❞
このように、裁判所は治具図面の秘密管理性について、a社の規模が小さいことから上記のような管理状況でも客観的に認識可能であったと判断したようです。
このような、会社規模が小さいことが秘密管理性の判断に影響を与えた民事訴訟の裁判例として、婦人靴木型事件(東京地裁平成26年(ワ)第1397号(平成29年2月9日判決))があります。

この事件では、営業秘密である婦人靴の木型(本件オリジナル木型)が持ち出された原告会社は、取締役二名と従業員三、四名という規模の会社です。そして、裁判所は本件オリジナル木型の秘密管理性を下記のように認めました。
❝〔1〕原告においては,従業員から,原告に関する一切の「機密」について漏洩しない旨の誓約書を徴するとともに,就業規則で「会社の営業秘密その他の機密情報を本来の目的以外に利用し,又は他に漏らし,あるいは私的に利用しないこと」や「許可なく職務以外の目的で会社の情報等を使用しないこと」を定めていたこと,〔2〕コンフォートシューズの木型を取り扱う業界においては,本件オリジナル木型及びそのマスター木型のような木型が生命線ともいうべき重要な価値を有することが認識されており,本件オリジナル木型と同様の設計情報が化体されたマスター木型については,中田靴木型に保管させて厳重に管理されていたこと,〔3〕原告においては,通常,マスター木型や本件オリジナル木型について従業員が取り扱えないようにされていたことを指摘することができる。これらの事実に照らすと,本件設計情報については,原告の従業員は原告の秘密情報であると認識していたものであり,取引先製造受託業者もその旨認識し得たものであると認められるとともに,上記〔1〕の誓約書所定の「機密」及び就業規則所定の「営業秘密その他の機密情報」に該当するものとみられ,原告において上記〔1〕の措置がとられていたことは秘密管理措置に当たるといえる。❞
本事件はにおいて裁判所は、誓約書及び就業規則といった程度の秘密管理措置に基づいて本件オリジナル木型の秘密管理性を認めています。この理由は、原告の業務が婦人靴の製造であるように非常に限られた業務範囲であることや、原告企業が従業員三、四名の小規模な企業であったためと思われます。

このように、企業規模が小さい場合には、営業秘密とする情報等(本事件では図面)に直接的に秘密管理意思が示されていなくても、その他の措置によってその秘密管理性が認められる可能性があると思われます。すなわち、規模の大きな企業に比べて、不十分と思われる程度の秘密管理体制であっても、営業秘密で言うところの秘密管理性が認められる可能性があります。

なお、本事件では被告人Y1がa社の取締役であったことも秘密管理性の判断に影響を与えていると思われます。この点について、裁判所は下記のように判断しています。
❝被告人Y1は,本件治具の設計・製造に主導的に関与していた上,本件当時,a社の取締役の立場にあり,既に機密保持誓約書にも署名押印してこれを提出していたのであるから,本件領得行為及び本件開示行為の際,前記1で見た本件治具図面に係る秘密管理性,有用性及び非公知性を基礎付ける事実関係の核心部分については,当然に認識,理解していたものと認められるのであって,本件治具図面が営業秘密に該当することを認識していたことは明らかである。❞
このような判断はあってしかるべきだと思います。営業秘密の不正な持ち出しは、従業員だけでなく役員等が行う場合も多くあります。企業の役員等は営業秘密に触れる機会も多いでしょうし、それが営業秘密であることは従業員よりも強く認識しているでしょう。そうであれば、営業秘密の不正な持ち出しについて、その役職が影響を与えることは妥当であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月15日火曜日

判例紹介:秘密管理性と秘密保持の誓約書との関係

企業が管理している情報が営業秘密として認められるためには、当該情報は秘密管理性を有していなければなりません。しかしながら、裁判においてこの秘密管理性が認められず、その結果、当該情報の営業秘密性が認められない場合が多々あります。

今回は、秘密管理性が認められなかった典型例を挙げます。なお、この訴訟は知財高裁でも争われたものであり、秘密管理性に対する地裁の判断は知財高裁でも覆りませんでした。
一審:東京地裁平30(ワ)20127号 ・ 平31(ワ)9638号 ・ 令元(ワ)19525号(令和3年3月23日)
二審:知財高裁令3(ネ)10054号 ・ 令3(ネ)10067号(令和3年11月17日判決)

本件の原告は、生命保険の募集に関する業務等を目的とする会社である原告会社及びその代表者です。そして、原告は、原告会社の従業員であった被告B、C、D、及び原告会社の関係会社の業務委託先であった被告Eが被告会社を設立し、その後、原告に対し継続的に恐喝行為を行って、原告会社取扱いの保険契約を被告会社に移管する合意を強要し、顧客名簿のデータを搭載したパソコンを含む原告会社の備品及び原告の所有物を窃取等した主張したものです。
なお、原告は、被告が不正競争防止法2条1項4号,5号に係る営業秘密の不正取得を行ったと主張しました。この不競法2条1項4号,5号違反の主張はあまり多くありません。多くの訴訟においては、7号違反等です。
4号等は「窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為」であり、その内容からして退職者が行うことがあまり考えられません。一方で、7号等は企業等から営業秘密を正当に開示され、その後、不正の利益を得る目的等で当該営業秘密を使用等する行為です。このため、一般的に退職者による営業秘密の不正使用等は7号違反とされます。
なお、下記のように、原告の顧客情報は営業秘密と認められず、被告による不正取得も認められませんでした。


上述のように原告が営業秘密であると主張した顧客情報はその秘密管理性が認められませんでした。下記が裁判所による判断です。
❝本件顧客情報は,本件申込書控記載の顧客情報及びその一部の情報を電磁的記録の形にして本件パソコン内に保存したもので構成されているところ,本件顧客情報の基となった本件申込書控は,原告会社の営業時間中,施錠されていない書棚で保管され,従業員であれば閲覧可能な状態になっていたものであり,本件各証拠をみても,その閲覧を禁止する旨が原告会社内において明確に告知されていた形跡は見当たらない。また,本件パソコン内の電磁的記録にはパスワードが付されていたとはいえ,原告会社の各営業担当者においては,自らの担当する顧客に係る情報に特段の制限を受けることなくアクセスすることができる状態であったものである。これらによれば,本件顧客情報に係る情報については,アクセスが制限されていた程度は緩く,アクセスした者が秘密として客観的に認識できた状態であったとも直ちには言い難いものである。❞
このように、原告の顧客情報は、誰でもアクセス可能とされており、アクセスした者が秘密として客観的に認識できるような状態で管理されていなかったために、その秘密管理性は認められませんでした。

なお、原告は被告らの誓約書(おそらく秘密保持に関する誓約書)や原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程を元に秘密管理性を主張したようですが、裁判所は下記のように顧客情報に対する秘密管理性を認めませんでした。
❝なお,原告らは,本件顧客情報につき秘密管理性が認められる旨を主張し,被告Bらの誓約書(甲5ないし7),原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程(甲9)を提出する。しかしながら,これらの書面の性質・内容を勘案しても,これらの書面自体から直ちに本件顧客情報に係る秘密管理性を肯定できるわけではなく,その要件充足性は,本件顧客情報に係る管理の実態に鑑みて判断すべきところ,上記説示のとおりの管理状況からすれば,その秘密管理性が認められるということはできない。❞
このように、誓約書や個人情報取扱規定、又は就業規則等には秘密管理に関する条項があります。しかしながら、そのような条項は包括的な記載であり、どの情報が秘密管理の対象となっているかは規定されていないでしょう。そうすると、これらの規定等に基づいて、各情報に対する秘密管理性が認められるものではありません。
このような裁判例は複数存在しているため、同様の判断が今後もなされるでしょう。


弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月7日月曜日

判例紹介:副業で生じ得る営業秘密トラブル

企業において副業が認められつつありますが、副業を認める場合に懸念される事項の一つに営業秘密の流出があります。今回紹介する裁判例は、そのようなトラブルに関するものであり、大阪地裁令2(ワ)3481号(令和4年1月20日判決)です。なお、本裁判は、原告の主張は認められず、被告による営業秘密の不正取得はなかったという判決となっています。

本事件において、被告P1は原告の元従業員であると共に、被告会社(被告ゴトウ)の代表者でもあります。そして、原告は建築工事等を目的とする株式会社であり、被告会社は建築・土木一式工事の設計,施工及び監理等を目的とする株式会社です。すなわち、原告と被告会社とは同業です。なお、被告P1の主張によると”被告P1の原告入社以前から被告ゴトウは存在し、原告も被告P1が被告会社の立場で活動することを許容していた。”とのことです。

そして原告は、元従業員である被告P1が不正の手段により原告の営業秘密である原告の見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告会社に開示し、被告会社がこれを使用したことが不競法違反に当たる、とのように主張しています。

より具体的に、原告は、下記のように主張しています。
❝ (ア)被告P1の行為について
 被告P1は,原告に対する背任行為によって本件見積書を取得したものであり,これは不正の手段により営業秘密を取得する行為に該当する。また,被告P1が不正取得行為によって取得した本件見積書に基づいて被告ゴトウは原告の許可なく利用して自身の見積書を作成したのであるから,この点に係る被告P1の行為は,不正に取得した営業秘密を使用又は開示する行為に該当する(法2条1項4号)。・・・
 (イ)被告ゴトウの行為について
 被告ゴトウは,その代表者である被告P1が原告の作成した本件見積書を不正に取得したことを知りながらそれを取得し,被告ゴトウが受注しその利益を図る目的で,本件見積書記載の情報を利用して被告ゴトウ名義の見積書を作成し,注文者に提出した。これは,営業秘密について,その不正取得行為が介在したことを知ってこれを取得し,取得した営業秘密を使用する行為に該当する(法2条1項5号)。・・・❞
このような原告の主張に対して被告は下記のように反論しています。
❝被告P1の原告入社以前から被告ゴトウは存在し,原告も,被告P1が被告ゴトウの立場で活動することを許容していた。したがって,原告の元請が入札して落札できなかった工事に関し,その後,落札した業者からの依頼で被告ゴトウが受注しても何ら違法ではない。
被告P1は,原告の顧客情報,見積情報を不正に取得しておらず,営業秘密の不正取得をしていない。また,被告ゴトウは,本件見積書の情報を使用(営業・受注)しておらず,発注者からの情報や公開されている入札情報等を基に活動しただけである。❞
被告の反論から分かるように、被告P1が代表者である被告会社は、原告が落札できなかった工事をその後、落札業者からの依頼で受注したようです。そして、原告が営業秘密であると主張する本件見積書を原告代表者が作成し、被告P1にそのデータを送信したとのことです。
このような、事情を鑑みると、原告が落札できなかった仕事を原告の見積書を使用して被告が受注した、とのように原告が考えることも理解できなくはありません。なお、被告P1はその後、原告から解雇されたようです。


しかしながら、裁判所は原告の主張を認めませんでした。
その理由として、本件見積書に対して秘密管理性が認められないため、本件見積書は営業秘密でないとのことです。具体的に、裁判所は下記のように判断しています。
❝これを本件見積書記載の情報について見るに,前記各認定事実のとおり,本件見積書には営業秘密である旨の表示がなく,そのデータにはパスワード等のアクセス制限措置が施されていなかった。また,原告において,業務上の秘密保持に関する就業規則の規定はなく,被告P1との間で見積書の内容に関する秘密保持契約等も締結等していなかった。原告は,発注者との間においても見積書の内容に関する秘密保持契約を締結していなかった。さらに,原告は,見積書記載の情報が営業秘密であることなどの注意喚起も,その取扱いに関する研修等の教育的措置も行っていなかった。本件見積書のデータ管理の点でも,原告は,見積書の使用後にデータを西脇支社のコンピュータから削除するよう指示しなかった。❞
これは、原告が本件見積書に対して、「秘密管理の意思が客観的に認識可能」な態様で管理されていなかったということです。
また、原告は「本件見積書記載の情報につき,原告代表者が一元的に管理し,その了承がなければ従業員や外部業者に対して明らかにされないから,秘密として管理されていた」とも主張しています。この主張を原告が行うということは、原告も本件見積書の秘密管理性が乏しいということを認識していたのでしょう。しかしながら、このような主張も当然裁判所には認められませんでした。
そして、裁判所は、被告P1による本件見積書のデータの取得は不正の手段でもなく、被告会社による本件見積書の不正使用も認められないとのように判断しています。

以上のことから、原告の主張は棄却されたのですが、このようなトラブルは副業が広まると生じるトラブルの典型例であると思われます。(被告P1にとっては原告での就業が副業であったのかもしれませんが。)
そもそも、被告P1が原告の同業他社の代表者であることを鑑みると、見積書という自社の活動にとって重要なデータを原告が被告P1に送信するという行為は好ましくないでしょう。また、被告P1も自身が被告会社の代表であるという立場から、そのようなデータを受け取るべきではなかったのでしょう。もし、原告と被告P1との間で本件見積書のデータの送受信が無ければ、このような裁判には至らなかったはずです。

企業は、従業員に副業を認めるのであれば、もしくは自社を副業先とすることを認めるのであれば、当該従業員の他の就業先との関係で自社の流出が懸念される営業秘密のに関しては当該従業員が取得できないようにするべきでしょう。また、当該従業員も他の就業先との関係で取得してはいけない営業秘密を認識し、もしそのような営業秘密に取得する可能性があれば、申し出るべきでしょう。
副業を認めるのであれば、このようなトラブルを未然に防ぐために企業と従業員共に、営業秘密に対する認識を十分に持つ必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信