2024年2月20日火曜日

判例紹介:原告が被告を特許侵害で提訴、被告は原告が被告の営業秘密を特許化したとして反訴

今回紹介する裁判例(東京地裁令和5年3月7日 事件番号:令3(ワ)26762号)は、今後も起こりそうな事件です。
この裁判の概要としては、まず、原告(個人)が被告(三菱ケミカル株式会社、三菱ケミカルインフラテック株式会社)に対して特許権侵害(特許第6350985号)で提訴(本訴)したものの、被告が本件特許は原告の冒認出願によりされたとして反訴しました。

本事件の原告(特許権者(出願人)と発明者は同一の個人)は、昭和39年から平成12年1月15日まで、被告企業である三菱ケミカル(社名変更前の三菱レイヨン時に日東化学を承継)において勤務しており、中央研究所の研究部長を務めていたとのことです。そして原告は、退職から14年後の平成26年7月2日に本件特許の出願を行い、平成30年6月15日に設定登録を受けています。

本事件において被告は、以下のように、本件特許発明は日東化学の従業員が完成させた本件硬化剤発明とが同一であるとして、本件特許発明は特許を受ける権利を有しない者による出願であるとして反訴を行っています。
ア 本件特許発明は、日東化学の従業員であったBⅰ及びCⅰが平成3年10月に完成させたものである。
すなわち、Bⅰ及びCⅰは、GS硬化剤の開発に関し、平成3年10月度月報において、「エヌタイトGS」という銘柄の処方(以下、同処方により特定される硬化剤に係る発明を「本件硬化剤発明」という。)を完成させた。本件特許発明と本件硬化剤発明とは、一部の構成要件において形式的な相違があるものの、これらは、以下のとおり、いずれも実質的な相違点ではなく、両発明の同一性を損なうものではない。
・・・
イ 原告は、日東化学の研究所において、Bⅰ及びCⅰの上司に当たる地位にあり、両名が完成させた本件特許発明を同人らから直接又はその他の日東化学の書類や従業員を介して知得したにすぎず、本件特許発明の発明者ではない。そして、Bⅰ及びCⅰが完成させた本件特許発明に関する特許を受ける権利は、本件職務発明取扱規程に従って日東化学に承継されたのであり、原告がこれを譲り受けたことはない。
ウ 仮に本件特許発明と本件硬化剤発明が同一でないとしても、本件硬化剤発明をその範囲に含む本件特許発明は、本件硬化剤発明に関する日東化学の営業秘密(●(省略)●)を利用した発明であることは明らかである。これに対し、原告は、日東化学従業員として、就業規則及び本件誓約書に基づき、日東化学及び三菱レイヨンの営業秘密を退職後も自己の目的に利用したり第三者に開示したりしてはならない義務を負っていた。そのような原告が、被告らに権利を行使する目的で本件特許発明について特許出願をし、本件特許権を取得したことは、就業規則及び本件誓約書において禁じられた「自己の目的」への利用そのものである上、特許出願に伴う公開を通じた第三者への開示にも該当する。
このように、本件特許発明が本件硬化剤発明に関する日東化学の営業秘密を利用してされたものである以上、原告は、本件特許発明について、特許を受ける権利を有しない。また、原告の秘密保持義務違反によってされた利用発明である本件特許発明についての特許を受ける権利は、条理上、本件硬化剤発明に関する営業秘密の保有者であった日東化学、ひいてはその権利義務を承継した被告三菱ケミカルに帰属するというべきである。


しかしながら裁判所は、原告の本件特許発明と被告の営業秘密(本件硬化剤発明)とを対比してこれらが同一でないとしたうえで、本件特許は冒認出願ではない、として被告の主張を認めませんでした。

なお、被告は、原告が日東化学の研究所において、本件硬化剤発明を完成させたBⅰ及びCⅰの上司に当たる地位にあり、両名が完成させた本件硬化剤発明と同一の本件特許発明を知得したにすぎないと主張したものの、裁判所は、これも下記のように認めませんでした。
・・・原告は、遅くとも平成3年初め頃以降、日東化学の中央研究所の研究部長を務めており(前提事実(1)ア)、平成3年4月度月報及び同年10月度月報には、原告の姓を示す「Aⅰ」との印が押されていることが認められる(乙12、22)。そうすると、原告は、平成3年当時、Bⅰらによる本件硬化剤発明に係る報告内容を把握し得る立場にあったとはいえるが、本件硬化剤発明は、複数の含有物を異なる割合で混合するというものであるから、上記各月報を一瞥しただけでその内容を完全に記憶することは必ずしも容易ではないと考えられる。そして、本件証拠上、原告が、上記各月報を具体的にどのような態様で閲読したのかは明らかでなく、Bⅰらによる研究内容をどの程度具体的に把握していたのかも明らかではない。
したがって、原告が本件特許発明をBⅰらから知得したと認めることはできない。
また、被告は、本件特許発明は本件硬化剤発明に関する日東化学の営業秘密を利用した発明であるから、原告は本件特許発明について特許を受ける権利を有しないとも主張しました。しかしながら、裁判所はこの主張も以下のように認めませんでした。
・・・原告は、従前、日東化学及び三菱レイヨンにおいて、地盤安定化剤、床用石膏プラスター組成物の研究開発に携わっており、その過程で、自らが発明者又は研究従事者として、①珪酸ソーダ水溶液からなるA液と、石灰、Ⅱ型無水石膏及び界面活性剤の混合物の水性スラリーからなるB液とを混合した薬液を地盤中に注入して硬化させる地盤安定化法(甲17)、②フッ酸副生無水石膏に、苛性カリ(水酸化カリウム)、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)、消石灰、炭酸カルシウム等のアルカリ性物質を添加して中和すること(乙48、49)、③●(省略)●といった、本件特許発明を構成する具体的な技術事項を把握するに至っていたと認められる。
しかし、上記①及び②に係る技術事項は、特許公報等により公開されているものであるし、本件証拠上、本件特許発明を構成するその余の技術事項が日東化学及び三菱レイヨンの営業秘密に属するものと認めることができないから、原告が、三菱レイヨンを退職した後に、公知の刊行物等を参照しつつ、日東化学及び三菱レイヨンの営業秘密に属しない技術事項を組み合わせるなどして本件特許発明を着想し、それを具体化して本件特許発明を完成することができたとしても、直ちに不自然であるとはいえない。
なお、原告による特許権侵害という主張は、被告の製品(GS硬化剤等)は本件特許の技術的範囲に属さないとして認められませんでした。このように、原告による本訴、被告による反訴は共に棄却されました。

このように、前職企業を退職した従業員が、転職先等で前職企業における職務内容と同様の発明を行うことは当然あり得ることだと思います(本事件では特許権の権利者と発明者とが同一の個人であるため、原告が他企業に転職していないのかもしれませんが)。
そうすると、本事件のように前職企業は、転職した発明者が自社の営業秘密を持ち出して転職先で特許出願をしたのではないかという疑念が生じさせる可能性あるでしょう。特に特許出願の発明者は明確であるため、自社の元従業員が転職先企業で特許出願をしたか否かが容易に判断でき、かつ特許出願に係る技術内容が元従業員の職務内容と同様であるかも容易に判断できます。

すなわち、転職先企業は、転職してきた者(転入者)が前職企業の営業秘密に基づいて特許出願をしたのではないかと疑念を持たれる立場となります。万が一、前職企業の営業秘密に基づいて特許出願をしたとなれば、転職先企業による営業秘密侵害であり、民事的、刑事的責任を負う可能性が生じます。
転職先企業では、このような事態に陥ることは避けなければなりません。このため、転職先企業(の知財部)は、発明がどのようにしてなされたかの確認が必要となるでしょう。例えば、発明の着想から具体化までに至る資料(研究ノート)を確認し、当該発明が自社においてなされたことを確認することが必要です。特に、転入間もない従業員に対しては、前職企業の営業秘密が混在していないことを十分に確認するべきでしょう。
また、万が一、本事件のように前職企業から発明の成立過程について疑念を持たれた場合に反論できるように研究ノート等や各種データを保存する必要があるでしょう。

なお、不正競争防止法第6条では具体的態様の明示義務として、以下のように規定されています。
第六条 不正競争による営業上の利益の侵害に係る訴訟において、不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがあると主張する者が侵害の行為を組成したものとして主張する物又は方法の具体的態様を否認するときは、相手方は、自己の行為の具体的態様を明らかにしなければならない。ただし、相手方において明らかにすることができない相当の理由があるときは、この限りでない。
この規定によると、例えば、営業秘密の不正使用が疑われる製品や物の製造方法等において、営業秘密保有者は当該製品や製造方法等の具体的態様を明らかにすることを求めることができます。これにより、当該製品や製造方法等に自社の営業秘密が使用されているか否かが明確になることが期待されます。一方で、この規定は物や方法を対象としており、特許に係る発明の成立過程等を明らかにすることを求めることはできないと解されます。
しかしながら、上記のように、自社からの転職者が転職先等で自社の営業秘密を使用して特許出願等を行う可能性があることを鑑みると、特許に係る発明の成立過程を明らかにすることを求める規定が設けられても良いのではないかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2024年2月13日火曜日

判例紹介:高裁で無罪判決となった営業秘密侵害事件(刑事事件)その2

前回のブログ記事で紹介した高裁で無罪判決となった事件(札幌地裁令和5年3月17日判決 事件番号:令3(わ)915号)、札幌高裁令和5年7月6日判決(事件番号:令5(う)74号))の続きです。

この事件では、地裁において肯定したものの高裁では否定された秘密管理措置が複数あります。前回のブログでは、本件情報(販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元)を管理する△△システムのIDやパスワードを、地裁では本件情報に対する秘密管理措置として認めたものの、高裁ではそれを認めなかったということを解説しました。

上記の他にも△△システムの画面には「出力データの取扱注意事項」と題する警告画面が表示されており、本事件ではこの警告画面の表示も秘密管理措置となり得るのかが争点となっています。なお、警告画面の表示は以下のようなものであり、「同意します」と記載されたボタンを押下しなければ、情報を出力できない仕組みになっていたようです。
株式会社eが提供するデータの利用範囲は、データ入手元から使用を認められている範囲に制限され、貴社内における経営分析等、通常業務の範囲内に制限されます。したがって、第三者へのデータ提供等は『契約違反』に該当します。
以下の制約事項を遵守することに同意しますか。 
1.貴社内における通常業務の範囲を超えて利用しないものとします。 
2.第三者に開示しないのはもちろんのこと、目的を果たすために必要最低限の役員及び従業員以外には開示しないものとします。
「警告画面」の表示に対して被告の弁護人は以下のようにa社(被害企業)とe社(△△システムのメーカー)との秘密保持契約を示していると主張しました。
前記警告画面の文言と、a社とe社の間で締結された秘密保持等確認書の文言において、第三者へのデータ提供等は「契約違反」に該当するとされており、a社とe社の間の契約を念頭に置いていると考えられること、テキスト形式で出力され、データの加工が可能になる場合に限って前記警告画面が表示される仕組みになっていることなどを理由として、e社がa社の従業員に対して、e社の「秘密情報」の不正使用等を禁止したものと解釈すべきという。
一方で、「警告画面」の表示に対して地裁は以下のように判断し、弁護人の主張を認めませんでした。
得意先電子元帳の情報を出力する際の仕組みについて検討すると、前記前提事実のとおり、出力する際には警告画面が表示され、「制約事項」に同意するかどうかの確認が求められていた。このことは、アクセスする従業員に対し、△△システムの情報の中でも、本件情報を含む得意先電子元帳の情報が、特に厳重に管理されるべき秘密であることを認識させるものであったといえる。

しかしながら高裁はこのような地裁の判断を否定し、以下のように警告画面を秘密管理措置として認めませんでした。この高裁の判断は、弁護人の主張と同様であると思われます。
・・・警告文の主語は、「株式会社eが提供するデータの利用範囲は」となっており、第三者への情報提供等の制限の対象は、△△システムを提供するe社が提供するファイルレイアウト等の秘密情報と解するのが文面上自然であるし、文末が「第三者へのデータ提供等は『契約違反』に該当します。」となっており、ここでいう「契約」は、e社とa社との間の契約を指すとみるのが自然である上、警告画面末尾には、「※詳細については、締結致しました『秘密保持等確認書』をご確認ください。」と付記されていることから、a社からe社に提出された「秘密保持等確認書」(原審甲31添付資料4)をみてみると、その1条2項1号において、第三者への情報提供等が制限される秘密情報の範囲から、a社が△△システムの使用を通じて自ら入力・作成・登録等した純粋な同社固有のデータを明確に除外しており、これに該当する同社固有のデータであると解される本件情報は、前記警告画面が第三者への情報提供等を制限する対象とはなっていないものと認められる。したがって、前記警告画面の趣旨は、所論がいうようにe社のファイルレイアウトなどの秘密情報を保持するところにあるものと解されるから、これをもって、a社自身の秘密管理意思の現れとみることはできないといわざるを得ない。前記警告画面の趣旨がこのように解される以上、確かに、原判決のいうように、同警告画面を見たa社従業員が、本件情報を含め得意先電子元帳機能から出力しようとしている情報を社外の者に漏洩することが禁じられている旨の警告と誤解する場合があることは想像するに難くないところではあるが、そうだかからといって、上記結論を左右するものではない。
このように高裁は「誤解」が生じる可能性があることを認めつつも、警告画面の内容を文字通りに解釈し、本件情報に対する秘密管理措置とは認めませんでした。このような高裁の判断は、秘密保持の対象となる情報が何であるかを厳密に判断した結果であり、妥当なものであると思われます。

なお、本事件において高裁は、被害企業であるa社が各従業員の入社時に誓約書を提出させていることも秘密管理意思の根拠として考え得る、とのように指摘しています。この誓約書について地裁では指摘していないものの、高裁では以下のように誓約書に基づく秘密管理性も否定しています。また、就業規則における秘密管理の規定についても、高裁は下記のように秘密管理措置とは認めていません。
・・・現に被告人Y1がa社に対し提出した平成24年6月6日付誓約書には「貴社の諸規則や命令を必ず遵守します。」「貴社の利害に関する機密、取引先の内情等は一切他言いたしません。」(原審甲21)、被告人Y2がa社に対し提出した平成5年3月21日付誓約書にも「貴社の諸規則や命令を必ず遵守致します。」「貴社の利害に関する機密、取引先の内情等は一切他言致しません。」(原審甲23)との記載が認められる。しかしながら、これらによっても本件情報が上記誓約書における守秘義務の対象か否かその範囲は客観的に明らかになってはおらず、これらをもってa社が、本件情報について秘密として管理する意思を表示していたと認めることは困難である。
さらに、a社の就業規則においては、その9条において、「(27) 会社内外を問わず、在籍中又は退職後においても、会社、取引先等の秘密、機密性のある情報、顧客情報、企画案、ノウハウ、データ、ID、パスワードおよび会社の不利益となる事項を第三者に開示、漏洩、提供しないこと。また、コピー等をして社外に持ち出さない事。」(原審甲4)との規定があり、この点に照らすと、本件情報が社外への持ち出しを禁止されるいずれかの情報に当たると解されるところであるが、a社の従業員に対する就業規則の周知等の手続が適正になされていたかについては疑義が残るところであるし、その他、a社において、営業秘密の取扱いについて、従業員に注意喚起をしていたような事情もうかがえないことにも照らせば、この点をもって秘密管理措置が十分であったということもできない。
以上のように、本事件は、本件情報の有用性及び非公知性、被告人による本件情報も持ち出しも認められているものの、本件情報の秘密管理性は認められず、高裁において被告人は無罪となっています。
一方で、本件情報に対して適切な秘密管理措置さえ行われていれば、被告人は有罪となった事件であると思われます。適切な秘密管理措置とは、決して難しいことではなく、例えば、△△システムを用いて本件情報を表示する際に、本件情報が営業秘密であることを明確に認識させる表示を行う、とのようなことで足り得るものだったと考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2024年1月28日日曜日

判例紹介:高裁で無罪判決となった営業秘密侵害事件(刑事事件)

営業秘密侵害の刑事事件でも、まれに裁判において無罪判決となる場合があります。
今回紹介する事件は、地裁判決(札幌地裁令和5年3月17日判決 事件番号:令3(わ)915号))において有罪であったにもかかわらず、高裁判決(札幌高裁令和 5年7月6日判決(事件番号:令5(う)74号))において無罪となった事件です。

本事件の概要は高裁判決文において以下のように記されています。
本件は、自動車部品の仕入れ及び販売等を業とするa社(以下、略称等は原判決のそれに従う。)の従業員として、同社から同社の営業秘密である同社の販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元帳を示されていた被告人Y1が、(1)Aと共謀の上、不正の利益を得る目的で、令和2年10月27日、被告人Y1が同社の前記得意先電子元帳を管理する同社サーバコンピュータにアクセスし、同得意先電子元帳の、得意先b社及び仕入先c社に係る本件情報①を記録したファイルをa社から貸与されていたパーソナルコンピュータに保存し、その複製を作成する方法で同社の営業秘密を領得し(原判示第1)、(2)被告人Y2と共謀の上、不正の利益を得る目的で、同月28日、被告人Y1が同社の前記サーバコンピュータにアクセスし、同得意先電子元帳の、得意先d社に係る本件情報②を表示し、SNSアプリケーションソフトLINEの画像キャプチャ機能を利用して本件情報②を画像ファイルとして記録してその複製を作成する方法でa社の営業秘密を領得した(原判示第2)という事案である。原判決は、いずれの事実についても有罪と認め、被告人両名をいずれも罰金30万円に処した。
このように、被告人Y1,Y2は、被害企業であるa社の販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元帳のb社、c社、d社の情報(本件情報)を持ち出しています。このように企業の得意先の情報の履歴は一般的には公知とされず、秘密として扱う企業も多いかと思います。
なお、被告人Y2はa社の元従業員であり、その後にf社を設立しています。また、上記で登場するAもa社の元従業員であり、その後にf社に入社して営業を担当していました。そして、被告人Y1,Y2及びAは「f社」という名のLINEトークグループを作成し、データのやり取りをしていたようです。

ここで、地裁、高裁共にa社の本件情報に対する有用性、非公知性を認めているものの、地裁と高裁とでは本件情報に対する秘密管理性の判断が異なるものとなりました。

まず、地裁による秘密管理性の判断は以下のようなものでした。
△△システムへのアクセス方法について検討する。本件情報は△△システムで保管されていて、本件情報にアクセスするためには、a社共通のアカウントに加え、個々の従業員のログインID及びパスワードの入力が求められる仕組みとなっていた。△△システム起動のためのUSBキーは従業員用パーソナルコンピュータに事実上挿したままの状態であったとはいえ、アカウント等の管理により本件情報にアクセスできる者を従業員に限定していたといえる。実際には、a社のアルバイトや委託業務者も△△システムを使用していたが、△△システムを立ち上げる際には従業員がIDやパスワードを入力しており、アカウント等を用いた本件情報へのアクセス制限の実効性が失われていたとはいえない。また、アルバイトらが△△システムを使用し本件情報にアクセスすることができる状態にあったとしても、これらの者はa社の指揮監督に従って同社の業務に従事している点では従業員と同様の立場であり、また、これらの者が△△システムを使用するのは伝票再発行等の業務上必要な場合であった。
以上のような△△システムへのアクセス方法は、△△システムで保管されている本件情報が秘密であることを十分認識させるものであったといえる。
地裁では、本件情報へアクセスするためには△△システムにIDとパスワードを入力しなければならず、それを持って本件情報の秘密管理性を認めたようです。


一方で、高裁による秘密管理性の判断は以下のようなものです。
まず、本件情報は△△システム内の得意先電子元帳内に保管されていた情報であるところ、△△システムにアクセスする際には、原判決が適切に認定しているとおり、USBアクセスキーを挿入し、企業認証ログイン画面において、a社共通の企業認証アカウントを入力し、更に従業員ログイン画面において、各従業員に付与されたIDとパスワードを入力するといった手順が要求されている。もっとも、△△システムには、本件情報のような営業秘密にかかわるものに限らず、在庫数や日報といった機能も搭載されており、上記の手順は、本件情報を含む営業秘密に属する情報へのアクセスのみならず、△△システムに搭載された諸機能を利用するために要求される手順にすぎないとも考えられる。また、△△システムは、上記のように多岐にわたる機能が搭載されているため、a社の従業員であれば、自己に付与されたID及びパスワードを用いてアクセスすることができ、得意先電子元帳自体にアクセスする際に新たにパスワード等の入力を求めるなどといった制限は設けられていなかった。そうすると、本件情報を含む得意先電子元帳に記録されている情報に接する従業員において、a社が当該情報をその他の秘密とはされない情報と区別し、特に秘密として管理しようとする意思を有していることを明確に認識できるほど、客観的な徴表があると認めることはできず、△△システムにアクセスする際に、IDやパスワード等を入力するなどの手順を要するということのみでは、a社が十分な秘密管理措置を講じていたと認めることはできないというべきである。
このように高裁では、△△システムにアクセスするためにはIDとパスワードの入力が必要であることを認めているものの、△△システムは本件情報だけでなく在庫数や日報といった機能も搭載されていることをもって、本件情報の秘密管理性を認めませんでした。
すなわち、△△システムを用いて従業員がアクセスできる情報には、本件情報だけでなく様々な情報が含まれるため、△△システムのIDとパスワードは本件情報に対する秘密管理措置とは認められないと判断したようです。
このように、営業秘密と主張する情報とその他の情報が混在して管理されていたために、営業秘密とする情報に対する秘密管理性を従業員等が認識できないとして、当該情報の営業秘密性が認められなかった例は他にもあります。

例えば、民事事件である接触角計算プログラム事件 (知財高裁平成28年4月27日、事件番号:平成26年(ネ)10059等、東京地裁平成26年4月24日判決等)です。
この事件は、被控訴人(一審原告)が営業秘密と主張する原告アルゴリズムが表紙中央部に「CONFIDENTIAL」と大きく印字され,各ページの上部欄外に「【社外秘】」と小さく印字された本件ハンドブックに記載されていました。このような措置は一見、原告アルゴリズムに対する秘密管理措置とも思われます。
しかしながら、本件ハンドブックは、公知の他の情報も記載されており、また、本件ハンドブックを顧客にも見せていたため、従業員は本件ハンドブックのどの部分の記載内容が秘密であるかを認識することが困難であった、として本件アルゴリズムの秘密管理性が否定されました。

今回の刑事事件は、まさに接触角計算プログラム事件と同様の判断であり、過去の判例に基づくと、無罪判決とした高裁の判断は妥当であるとも思われます。
このように、営業秘密とする情報は、それが秘密であることを従業員が認識できるように直接的な秘密管理措置を行う必要があります。本事件の例では、△△システムで営業秘密とする本件情報を管理するのであれば、△△システムを介して本件情報にアクセスして場合にはに、本件情報が秘密であることを認識させるためのアラート等を発したり、画面の分かり易い位置に秘密であることを示す表示を行う等の措置が必要であったと思います。

なお、地裁において被告人の弁護人は、下記のように高裁の判断と同様の主張を行っていました。しかしながら、地裁は弁護人の主張を認めなかったという経緯もあります。すなわち、高裁は、地裁のこのような判断を真っ向から否定したものとなります。
弁護人は、各従業員に割り当てられていたIDとパスワードは、在庫数や日報といった機能を含めた△△システムのシステムを使用するためのものにすぎず、得意先電子元帳にアクセスするためのものではないから、本件情報を秘密として管理しているとはいえないと主張する。しかし、△△システムへのアクセスを制限することは、本件情報も含めて△△システムで管理されている情報についてアクセスを制限していることにほかならない。弁護人の主張が、本件情報のみに限定して管理する措置が必要という趣旨であるとすれば、そのように限定する理由はないというべきであり、前記のとおりの本件情報の性質や後記の警告画面等の事情と相まって、本件情報の秘密管理性を十分根拠付けるものというべきである。
弁理士による営業秘密関連情報の発信