2022年6月6日月曜日

判例紹介:特許における公然実施と秘密保持との関係

今回は、特許権の侵害訴訟において、秘密保持義務の有無が争点の一つとなった裁判例(東京地裁令和3年10月29日 平31(ワ)7038号・平31(ワ)9618号)について紹介します。

本事件において、原告が被告に侵害されたとする特許権は、特許第5697067号(グラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材)の特許に係る特許権1、及び特許第5688669号(グラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材,これを含有するグラフェン分散液及びグラフェン複合体並びにこれを製造する方法)の特許に係る特許権2です。

特許権1の請求項1は下記の通りです。
❝【請求項1】
  菱面晶系黒鉛層(3R)と六方晶系黒鉛層(2H)とを有し、前記菱面晶系黒鉛層(3R)と前記六方晶系黒鉛層(2H)とのX線回折法による次の(式1)により定義される割合Rate(3R)が31%以上であることを特徴とするグラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材。
  Rate(3R)=P3/(P3+P4)×100・・・・(式1)
  ここで、
  P3は菱面晶系黒鉛層(3R)のX線回折法による(101)面のピーク強度
  P4は六方晶系黒鉛層(2H)のX線回折法による(101)面のピーク強度
である。❞
特許権2の請求項1は下記の通りです。
❝【請求項1】
  菱面晶系黒鉛層(3R)と六方晶系黒鉛層(2H)とを有し、前記菱面晶系黒鉛層(3R)と前記六方晶系黒鉛層(2H)とのX線回折法による次の(式1)により定義される割合Rate(3R)が40%以上であることを特徴とするグラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材。
  Rate(3R)=P3/(P3+P4)×100・・・・(式1)
  ここで、
  P3は菱面晶系黒鉛層(3R)のX線回折法による(101)面のピーク強度
  P4は六方晶系黒鉛層(2H)のX線回折法による(101)面のピーク強度
である。❞
上記請求項からも分かるように、本件発明は素材に関する発明であり、発明を実施した製品が販売等されても、一見して当該製品が各特許権に係る発明を実施したものであるか否かの判断が難しいものです。

そして裁判所は、被告の製品は本各発明の技術的範囲に属すると判断しています。
しかしながら、被告は、本件特許出願前から現在と同一の被告製品を製造販売しているから、本件各発明が公然実施されていたと主張しています。

これに対して、原告は下記のように主張しています。
❝ ア 公然実施の成立要件について
 公然実施とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいう。したがって,明示的な秘密保持契約(秘密保持条項)がある場合はもちろんのこと,黙示ないし信義則上の秘密保持義務がある場合や,工場内等の狭い領域でしか認識できない場合には,公然実施は成立しない。
 また,実施品を外から見たり入手したりしても,発明の内容を知り得ない場合には,公然実施に該当しない。例えば,発明の実施品が市場において販売されたものの,実施品を分析してその構成ないし組成を知り得ない場合には公然実施には当たらない。
  イ 秘密保持義務について
 被告各製品などの黒鉛粉末製品は,いずれも企業同士で取引されるものであり,一般消費者に販売されるような市販品ではない。企業同士の取引では,通常,秘密保持契約を締結するか,基本契約等において秘密保持条項が設けられることは,周知の事実である。そして,原材料は製造業において営業秘密そのものであり,黒鉛製品のような原材料の売買契約等においては秘密保持条項が設けられている(甲A82)。取引当事者双方がこれにつき秘密保持義務を負わない場面は通常は想定できない。
 実際,原告と日本黒鉛工業が平成25年10月31日に締結した機密保持契約(甲A95)では,「受領者は,開示者の書面による承諾を事前に得ることなく,機密情報を分析または解析してはならない。また,機密情報の分析結果および解析結果も機密情報として取り扱うものとする。」(4条)と定められており,リバースエンジニアリングが禁じられていた。また,被告らは,本件訴訟において,多くの主張書面や書証の一部について,営業秘密であることを理由に閲覧等制限の申立てをしている。
 そうすると,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛が本件特許出願前に本件各発明を実施した製品を製造販売していたとしても,取引の相手方は秘密保持義務を負っていたから,本件各発明が公然と実施されたとはいえない。
  ウ 本件各発明の実施能力について
 取引の相手方は,たとえ被告らから黒鉛製品を入手したとしても,X線回折法による測定及び解析を行わなければ,Rate(3R)を内容とする本件各発明の内容を知り得ないから,公然実施が成立するためには,X線回折法による測定及び解析ができる者でなければならない。
 しかし,企業が費用や労力,時間をかけてまで外部の専門機関に測定及び解析を依頼するには,相応の必要性の説明の下,社内の相応の決裁を受ける必要があり,そのような手続を経ることなく依頼することはないから,専門機関にX線回折法による測定及び解析を依頼する具体的可能性はなかったというべきである。
 したがって,第三者が被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛から本件各発明を実施した製品を取得したとしても,当該第三者は,本件各発明の構成ないし組成を知り得なかったから,本件各発明が公然と実施されたとはいえない。❞

しかしながら、裁判所はこのような原告の主張をいずれも認めませんでした。
まず、裁判所は、公然実施の判断基準を下記のように述べています。
❝ア 判断基準について
  法29条1項2号にいう「公然実施」とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい,本件各発明のような物の発明の場合には,商品が不特定多数の者に販売され,かつ,当業者がその商品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん,外部からそれを知ることができなくても,当業者がその商品を通常の方法で分解,分析することによって知ることができる場合も公然実施となると解するのが相当である。❞
そして、原告が主張する「実施品を分析してその構成ないし組成を知り得ない場合には公然実施には当たらない。」という点に関しては、以下のように判断しています。
❝本件特許出願当時,当業者は,物質の結晶構造を解明するためにX線回折法による測定をし,これにより得られた回折プロファイルを解析することによって,ピークの面積(積分強度)を算出することは可能であったから,上記製品を購入した当業者は,これを分析及び解析することにより,本件各発明の内容を知ることができたと認めるのが相当である。❞
これをもって裁判所は、本件各発明は、その特許出願前に日本国内において公然実施されたものであるがら、いずれも無効である、と判断しています。

また、原告が主張する秘密保持義務については、下記のように認定し、被告等への黙示又は信義則上の秘密保持義務の存在は認めていません。
❝証人Zは,日本黒鉛工業が黒鉛製品を販売するに当たり,購入者に対して当該製品の分析をしてはならないとか,分析した結果を第三者に口外してならないなどの条件を付したことはないと証言するところ,この証言内容に反する具体的な事情は見当たらない。また,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛が,その全ての取引先との間で,黒鉛製品を分析してはならないことや分析結果を第三者に口外してはならないことを合意していたことをうかがわせる事情はない。❞
また、裁判所は、被告製品の販売等に関連する契約書には各々下記の記載があることを認めています。
・取引基本契約書(甲A82)の38条
甲および乙は,本契約および個別契約の履行により知り得た相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)を,本契約の有効期間中および本契約終了後3年間,秘密に保持し,相手方の書面による承諾を得ることなく第三者に開示または漏洩せず,また本契約および個別契約の履行の目的以外に使用しないものとする。
・機密保持契約書(甲A95)の3条1項
受領者は,開示者の書面による承諾を事前に得ることなく,機密情報を第三者に開示または漏洩してはならない。
・取引基本契約書(乙A123)の9条
甲および乙は,相互に取引関係を通じて知り得た相手方の業務上の機密を,相手方の書面による承諾を得ないで第三者に開示もしくは漏洩してはならない。

しかしながら、裁判所は各契約書に記載の「相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)」、「機密情報」及び「相手方の業務上の機密」に、購入した被告製品が含まれるかは明らかではなく、黒鉛製品をX線回折法による測定により得られた回折プロファイル、さらにはこれを解析して得た積分強度が秘密として管理されてきたことや有用な情報であることをうかがわせる事情は見当たらない、として、被告製品を分析することについて契約上の妨げがあったとはいえない、と判断しています。

このような裁判所の契約書に対する判断は、営業秘密侵害における秘密保持契約書に対する判断と同様であると思います(本事件は被告に秘密とする意思はなかったものですが)。すなわち、取引先との契約書において、秘密とする対象が明確でなく包括的な契約書によってはその秘密保持義務が認められ難いということです。換言すると、包括的な秘密保持契約のみを締結し、その後、恣意的に秘密保持の対象を定めようとしても、それは裁判において認められないということでしょう。

なお、もし被告製品に対して分析を禁止して秘密保持義務を課すような契約が締結されて販売等されていたら、公然実施とは判断されない可能性があるのかもしれません。しかしながら、その場合であっても、少なくとも被告には先使用権が認められるでしょう。なお、本事件では、被告は先使用権についても主張していますが、裁判所は公然実施による無効理由があるとして、先使用権の判断は行っていません。

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