2023年3月12日日曜日

日本ペイントデータ流出事件の民事訴訟(和解)

日本ペイントの元執行役員が菊水化学へ転職する際に、日本ペイントの営業秘密を持ち出して菊水化学で開示・使用した事件があり、日本ペイントは元執行役員を刑事告訴し、菊水化学と元執行役員に対して民事訴訟を起こしていました。
先日、この民事訴訟について、日本ペイントと菊水化学との間で和解が成立したとのことです。これに関する費用として、和解金を含む訴訟費用3億7200万円(372 百万円)が菊水化学の特別損失として計上されています。
なお、刑事事件の被告である日本ペイント元執行役員は、持ち出したデータの営業秘密性を高裁まで争いましたが、懲役2年6月、執行猶予3年、罰金120万円の判決となっています。

<参考ニュース>
・菊水化学工業、日本ペイントHDと訴訟和解 特損3億円(日本経済新聞)
<参考ページ>
日本ペイントデータ流出事件(過去の営業秘密流出事件)

日本ペイントと菊水化学との民事訴訟において、どの様な主張が行われたのかは当然分かりませんが、刑事事件の結果もあるので、菊水化学が日本ペイントから持ち出されたデータの営業秘密性を否定することは難しいでしょう。
また、日本ペイントは、菊水化学による不正競争防止法2条1項8号違反を主張したのではないかと思います。
不正競争防止法2条1項8号
その営業秘密について営業秘密不正開示行為(前号に規定する場合において同号に規定する目的でその営業秘密を開示する行為又は秘密を守る法律上の義務に違反してその営業秘密を開示する行為をいう。以下同じ。)であること若しくはその営業秘密について営業秘密不正開示行為が介在したことを知って、若しくは重大な過失により知らないで営業秘密を取得し、又はその取得した営業秘密を使用し、若しくは開示する行為
上記8号に照らし合わせると、菊水化学が「営業秘密不正開示行為であることを知って」日本ペイントの営業秘密を使用等したとは思えないので、菊水化学が「重大な過失」を有していたか否かが争点になったのかと想像されます。


ここで、この事件の経緯は刑事事件判決(名古屋地裁令和2年3月27日 平28(わ)471号 ・ 平28(わ)662号)によると、以下の通りです。なお、下記の被告人は、日本ペイントの元取締役です。

(1) 被告人は、昭和53年にa社(日本ペイント)に入社し、平成22年3月にa社を退職し、同年4月に同社の子会社であるb社に転籍。
(2) 被告人は、平成25年2月12日に辞表を提出し、同年3月15日に同社を退職。
(3) 被告人は、b社に在籍中、同社本社内において,システムにアクセスして本件情報が記載された商品設計書を取得し、これを基に本件各塗料の原料及び配合量の情報についての完成配合表①、完成配合表②を作成。
(4)  被告人は、平成25年2月にc社(菊水化学)から同社の取締役への就任の打診を受け、同年4月にc社に入社して同年6月に同社の取締役に就任。
(5)  被告人は、同年4月頃にc社において、完成配合表①を基に作成した推奨配合表①をc社の従業員Aらに手渡す。
(6)  被告人は、同年8月2日に完成配合表②を基に作成した推奨配合表②を添付した電子メールをc社の従業員Bに送信。
(7)  c社は、被告人により開示された情報を用いて塗料X、塗料Yをそれぞれ開発製造して販売。

上記経緯から、菊水化学へ転職してきた日本ペイントの元取締役は、転職後に時間を置かず推奨配合表を菊水化学の従業員らに渡しています。元取締役は、菊水化学において取締役という役職でもあり、自身が短期間に菊水化学内で研究開発を行って、菊水化学での業務として推奨配合表を作成したとは考えられません。
そうすると、菊水化学は、この推奨配合表が日本ペイントから持ち出された情報に基づいて作成されたのではないか、ということを想像できるのではないでしょうか。そうであれば、菊水化学に重過失が有ったと考えられるのかと思います(営業秘密侵害においてどのような場合に「重過失」となるのか判例が少ないため、定かではありません。)。
おそらく、このようなやり取りがあり、その結果、菊水化学が金銭を日本ペイントに支払うという和解が成立したのではないかと思います。

菊水化学は、訴訟費用として和解金を含む3億7200万円を計上しています。訴訟費用とありますが、おそらくこの金額のほとんど、すなわち3億円以上が和解金かと思われます。
これにより、菊水化学は、2022 年4月1日~2023 年3月 31 日における個別業績予想を583百万円かた395百万円に下方修正していることから、上記和解金が菊水化学の業績に少なからず影響を与えていることが分かります。また、菊水化学は、和解金の支払いだけでなく、推奨配合表等の廃棄等も行っているかと思います。
なお、菊水化学は、当該推奨配合表を用いたと思われる製品の製造販売を2017年3月の段階で停止しているようです。

このように、本事件は、営業秘密の流入リスクが顕在化した例といえるでしょう。
ここで、気になることがあります。
このような他社の営業秘密の流入に対する影響はいつまで続くのかということです。
特許権であれば、特許権の存続期間が過ぎると誰でも当該特許権に係る発明を実施可能となります。しかしながら、営業秘密には存続期間という概念はありません。

日本ペイントから持ち出されたデータは非常に有益なものなのでしょう。だからこそ、日本ペイントの元取締役は菊水化学への転職時に持ち出し、菊水化学も使用したのだと思われます。このため、菊水化学は同様の製品を再び製造販売したいと思うかもしれません。これが仮に特許権の侵害であれば、当該特許権の存続期間の経過後であれば、侵害した製品と同様の製品を製造販売しても問題はありません。
一方で営業秘密に関しても、流入した他社の営業秘密を使用せずに独自に開発すれば問題はありません。しかしながら、他社の営業秘密が自社に流入した場合には、当該他社の営業秘密を使用していないことを証明可能とする必要があるでしょう。
そのためには、まず、他社の営業秘密を使用した製品を製造した技術者を同様の製品の開発に携わらないようにするべきでしょう。当該技術者が当該他社の営業秘密を記憶している可能性があるからです。
そして、当該他社の営業秘密を使用せずに製品の開発を行ったことを証明できる各種データや資料を会社が存続している限り、残す必要があるかもしれません。
さらに、そもそも、同様の製品を製造販売するきっかけが当該他社の営業秘密とは無関係であることの証明も必要かもしれません。特許権の侵害は、特許請求の範囲で判断することができます。しかしながら、営業秘密の使用は、営業秘密から得られる情報そのものだけなのでしょうか。仮に、流入した営業秘密が、非公知の技術的な課題を解消するためのものである場合には、当該課題も営業秘密と捉えることができるかもしれません。流入した営業秘密に新たな課題を示す内容が明確に含まれていたらなおのことです。

このようなことを考えると、他社の営業秘密が流入した場合、その後に当該他社の営業秘密の使用を疑われそうな製品を開発することに躊躇することになります。その結果、自社はビジネスチャンスを失うことになるかもしれません。
営業秘密には存続期間の概念がないこと、営業秘密の使用の範囲が良く分からない、もしかすると非常に広い範囲なのかもしれない、とのようなことを考慮すると、営業秘密侵害は特許権侵害よりもその影響は大きいのかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信