2022年11月9日水曜日

営業秘密に関する民事訴訟件数と刑事事件検挙件数の推移

下記グラフは筆者が調べた営業秘密に関する民事訴訟件数の推移です。
このグラフは、判決が出た民事訴訟を受理年数毎に件数を示したものであるため、和解の数は含まれていません。このため、実際の訴訟件数は分かりませんが、増減程度は分かるかと思います。
下記グラフからは、判決のでた民事訴訟件数は年間10数件前後であり、近年、営業秘密侵害事件の注目度が上がっているようにも思えますが、増加傾向にあるようには思えません。
ここで、下記グラフは、特許出願件数の推移を示しています。このように、近年では特許出願件数が減少しているため、秘匿化される技術情報は増加していると思われますが、このことは民事訴訟件数には関係ないようです。



近年、営業秘密について注目度が上がっているようにも思えますが、民事訴訟件数は増加していません。この理由は定かではありませんが、営業秘密は主に個人が不正に持ち出すものであり、企業が個人に対して民事訴訟を提起して損害賠償を求めたとしても、個人が多額の損害賠償を支払えるかは疑問です。このため、企業としては意味を成さないかもしれない民事訴訟を提起しないのかもしれません。

また、例えば、転職者が転職先企業に営業秘密を不正に持ち込んで開示や使用を行った場合に、この転職先企業も民事訴訟の被告となり得ます。しかしながら、意図せずに営業秘密を持ち込まれた企業は、転職者の前職企業と争う意義がないでしょう。そうすると、前職企業から転職先企業に営業秘密の不正な持ち込みがあったことが通告されると、それに素直に従い、当該営業秘密の使用等を止め、訴訟にまで発展しないのかもしれません。また、訴訟となっても、それが公になることは互いにメリットは低いでしょうから、和解となる場合が多いのかもしれません。
そして、営業秘密の不正な持ち出しを防止するために、アクセスログの監視や徹底した秘密管理等のセキュリティ対策を行う企業も多くなっているでしょうし、営業秘密の不正な持ち出しが犯罪であることを認識している人も多くなっているでしょうから、実際には営業秘密の不正な持ち出しそのものが減っているのかもしれません。

さらに比較として、刑事事件の検挙件数の推移を挙げます。


警察庁が統計を取り始めた2013年から、刑事事件の検挙数はほぼ右肩上がりで推移していることが分かります。これは民事訴訟の件数の推移とは一致していないようにも思えます。検挙件数が増加している理由は、営業秘密の不正な持ち出しが刑事事件化できるということの認識が高まった結果であり、営業秘密の不正な持ち出しそのものが増加しているのではないかもしれません。

そして、上記のように、企業が個人を被告として民事訴訟を行っても、訴訟費用等を要する割にさほど意味が無いようにも思えます。一方で、刑事事件化することでその個人は刑事罰を受けることになるので、”見せしめ”としての意味がより重くなり、企業は刑事事件化を選択しているようにも思えます。
特に、大企業における営業秘密の不正な持ち出しに関する民事訴訟は多くありませんが、刑事事件は相対的に多いように思えます(それでも少ないですが)。

以上のことから、今後、営業秘密の不正な持ち出しに関する民事訴訟は増えないとしても、刑事事件は多くなるのかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年10月31日月曜日

判例紹介:見積書の営業秘密性

一般的に見積書は同業他社に知られたくない情報と考えられ、不必要に第三者に開示したりするものではありません。では、見積書というだけで、その営業秘密性は認められるのでしょうか。

これに関して争われた民事事件として、大阪高裁令和4年9月30日判決(令4(ネ)574号)があります。この事件は下記ブログ記事で紹介した事件の控訴審であり、一審では原告敗訴となっており、控訴審でもそれが維持されています。

本事件は、元従業員である被告P1(被控訴人P1)が不正の手段により原告(控訴人)が営業秘密と主張する見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告会社に開示し、被告会社がこれを使用したことが不競法違反に当たる、とのように原告が主張したものです。
しかしながら、裁判所は、見積情報の営業秘密性を認めず、さらに被告P1による見積情報の不正取得や使用、開示行為も認めませんでした。

そして控訴人である原告は、控訴審において当該見積情報(本件見積書)の秘密管理性を下記のように主張しました。
❝被控訴人P1 は、競業会社である被控訴人会社の代表者であって、本件見積書に記載された本件顧客情報及び本件価格情報が控訴人からすれば他社に知られてはならない秘密であることは同業者として十分に知っていたから、それだけで営業秘密であることが客観的に認識可能であったといえるのであり、上記各情報は控訴人の営業秘密に該当する。❞



確かに、見積書には顧客情報や価格情報が含まれており、見積書は他社に知られたくなく、秘密にするべき情報と考えることが一般的と言えるでしょう。しかしながら、裁判所は以下のように本件見積書の営業秘密性を否定しました。
❝しかし、例として対象工事1、3についてみると、これらに関しては、控訴人が本件見積書1、3を提出した元請業者が建物建築工事を受注できないことが確定し、控訴人も同各見積書に基づいては型枠工事を受注できないことが確定した後に、被控訴人会社が同型枠工事に係る見積書を作成したことが問題とされているところ、本件見積書1、3は、競争入札に参加予定の元請業者が入札額を算出するに当たり参考にするために下請業者に作成提出させたものにすぎず、必ずしも被控訴人会社の受注に直結するものではない(補正の上引用した原判決第2の2(3)ウ)。そして、具体的工事を対象として作成される見積書は、その性質上、契約締結に至らなかった場合、そのままでは他に流用できないものであるから、これらの点も併せ考えると、控訴人においては、契約締結に至るか否かを問わず、見積書全般につき、その見積書に記載されている顧客情報及び価格情報について、一律に、営業秘密に該当することが従業員である被控訴人P1 において客観的に認識可能であったとは認められない。❞
少々分かり難いかと思いますが、見積書を取引先に提出したものの受注に至らなかった場合には、当該見積書は他に使用できるものではないから、当該見積書というだけで(㊙マーク等の秘密管理無く)、客観的に秘密であると認識できるものではない、という裁判所の判断だと思います。すなわち、受注に至らなかった見積書は相対的に価値が低い(有用性が低い?)情報であるため、それだけでは秘密であるとは認識できない、ということでしょうか。
そうすると、受注に至った見積書は(価値が高いため?)、それだけで秘密管理性が認められるということになるのでしょうか。また、受注に至るか否か分からない、顧客が判断中の見積書はどうなのでしょうか。

このように、一般的には秘密だと思われる情報であっても、秘密であることを認識可能なように管理していないとして、その秘密管理性が否定され、営業秘密ではないと裁判所に判断される場合があります。一般的に秘密と考えられる情報としては、例えば、顧客情報がありますが、顧客情報に対しても秘密管理性が否定された裁判例が多々あります。
このように営業秘密性が否定されるリスクを避けるためにも、秘密としたい情報は一般論に頼らずに、確実に秘密管理する必要があります。

なお、本控訴審でも被告による当該見積書の不正使用や開示は認めていませんので、当該見積書の営業秘密性が認められたとしても、最終的な結論は変わらないでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年10月17日月曜日

退職時における秘密保持誓約書の効果

近年、自社の企業秘密(営業秘密)を持ち出さないように、退職者に対して秘密保持誓約書へのサインを求める企業が増え、世間一般として、これが奨励されているようにも思えます。
しかしながら、秘密保持誓約書にサインをしても営業秘密を持ち出す退職者もいることから、秘密保持誓約書へサインさせたからといって、自社の営業秘密を守れるとは限りません。また、秘密保持誓約書にサインをさせたからといって、自社が保有している情報が全て営業秘密になるわけではありません。

まず、秘密保持誓約書にサインをしても営業秘密を持ち出す退職者についてです。
このような退職者は、営業秘密に対する認識が甘いと考えられます。
すなわち、営業秘密を持ち出したとしても、それは今後の勉強のためであり、また、自身は転職先でも社長等の重要な役職者にはならないため、さほど問題ではないだとうとのような認識です。しかしながら、不正の利益を得る目的で営業秘密を持ち出したら刑事罰の対象になり得るので、役職には関係なく、また、転職時に持ち出したとなれば「不正の利益を得る目的」と判断される可能性が高いです。その結果、逮捕となり得ます。

ではこのような認識を改めさせるためにどうすればよいのか?
それは、秘密保税誓約書にサインを求める際に、退職時に営業秘密を持ち出すと刑事罰の対象となることを説明し、もし営業秘密の持ち出しがあった場合に、自社は刑事告訴を行うとのこと退職者に対して明確に示すことでしょう。また、退職者が既に営業秘密を持ち出しているのであれば、速やかにそのことを申し出ることも付け加えたほうが良いかと思います。
営業秘密を持ち出す人の多くは悪人ではなく、昨日まで一緒に仕事をしていた上司や部下又は同僚です。そして、営業秘密の持ち出しは自発的な行為です。そうであれば、営業秘密の持ち出しによって刑事罰の対象となることを明確に認識すると、ほとんどの人はそれを止めるでしょう。


さらに、秘密保持誓約書に実際にサインを行うか否かは退職者の自由であり、サインをしないからと言って退職できないわけではありません(就業規則等にサインを拒否した場合に退職金の減額等の規定が有れば、拒否し難いでしょうが。)。
しかしながら、サインをしなかったからといって、営業秘密を自由に持ち出せるわけではありません。営業秘密は秘密管理性、有用性、非公知性といった三要件の全てを満たす情報です。このような情報を退職時に持ち出すことは、秘密保持誓約書に対するサインの有無にかかわらず、刑事罰の対象となります。従って、退職時に前職企業から秘密保持誓約書を求められなくても、営業秘密の持ち出しは刑事罰の対象となります。

一方で、秘密保持誓約書にサインをさせたのだから自社の情報は全て営業秘密であると会社が認識していたら、それは会社側が営業秘密を理解していないことになります。
上記のように、営業秘密は三要件の全てを満たす情報です。このため、これら三要件を満たさない情報は営業秘密ではありません。秘密保持誓約書における秘密保持の対象が何であるかは実際の秘密保持誓約書の文言によるでしょうが、一般的な秘密保持誓約書であれば秘密保持の対象は不競法で規定される営業秘密となるでしょう。
そうであれば、上記三要件を満たさない情報を退職者が持ち出しても営業秘密の持ち出しとはなりません。このため、企業側は常日頃から自社の営業秘密とすべき情報がどのような情報であるかを認識し、当該情報が上記三要件を満たすようにしなければなりません。特に秘密管理性が不十分である場合が多々あるので、営業秘密としたければ当該情報の秘密管理性を満たすように管理するべきでしょう。
換言すると、退職者と秘密保持誓約書を交わしたということのみでは、情報の秘密管理性は認められる可能性は相当低いと考えられます。なお、従業員数が数人程度でどの情報が営業秘密であるかを全員が認識しているような場合は秘密保持誓約書のみで秘密管理性が認められる可能性はあると思いますが、これは例外的でしょう。
また、退職者に秘密保持誓約書を提示する際に、対象となる情報を慌てて秘密管理しても遅い可能性があります。もし退職者が既に当該情報を持ち出していた場合にはその後当該情報を秘密管理したとしても、持ち出した当該情報は営業秘密とはみなされない可能性があるためです。

以上のことから理解できることは、退職時の秘密保持誓約書は企業が自社の営業秘密を守るために重要な要素ではないということです。秘密保持誓約書の効果としては、退職者に営業秘密の持ち出しは不法行為であり、刑事罰の対象となることを認識させる機会を与える程度のものです。
すなわち、退職者は秘密保持誓約書の有無にかかわらず、営業秘密を持ち出してはなりませんし、企業は秘密保持誓約書の有無にかかわらず、営業秘密とする自社の情報を秘密管理等しなければなりません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信