2025年6月15日日曜日

判例紹介:産総研の刑事事件 「営業秘密を保有者から示された」について

不正競争防止法の第2条第1項第7号には営業秘密に関する不正競争行為として、下記のように規定されています。

第2条第1項第7号
営業秘密を保有する事業者(以下「営業秘密保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為

この条文を素直に解釈すると、不正の利益を得る目的等のために使用等してはいけない営業秘密は、「営業秘密保有者(会社)から示された営業秘密(情報)」ということになります。そうすると、自身が作成して会社に示した情報は会社から示された情報ではないので、不正使用の対象とはならないという解釈もあるでしょう。
例えば、業務として従業員が創作した発明は、外形的には従業員から会社に示すものであり、会社から発明を捜索した従業員に示された情報ではありません。
また、発明は、従業員から会社に示されるまで、外形的には会社は当該発明を秘密管理することはできません。

上記秘密管理の件については、前回のブログ記事で紹介した刑事事件判決(東京地裁令和7年2月25日判決 事件番号:令5(特わ)1278号)では、「産総研法及び規則は、産総研職員に対し、職務上得られた秘密に関する守秘義務を定め、成果物規程は、全ての研究成果物等について秘密保持義務を定め、各職員において研究成果物等を秘密として厳重に管理すべきこと、公表したり第三者に提供したりする場合には産総研の承認が必要であることなどを明記している。」として、㊙マーク等のない発明に関しても産総研による秘密管理措置が認められています。

一方で、 「営業秘密を保有者から示された」については、秘密管理性とは直接的な関係はなく、秘密管理性を満たしたからと言って「営業秘密を保有者から示された」との要件を満たすものではありません。
上記事件では、営業秘密(本件ノウハウ)は、被告人が創作したものではなく、被告人が受入責任者となって契約職員として産総研で雇用されたDから被告人に対してメールで提供されているものの、産総研には報告されていません。したがって、外形的には、被告人は本件ノウハウを産総研から示された者にはなりません。
これに対して、裁判所は以下のように判断しています。
・・・一般に、営業秘密に当たる研究成果物等は産総研との雇用契約に基づき適用される成果物規程により原始的に産総研に帰属するから、当該研究成果物等の発生を職務上認識していればその職員は「営業秘密を保有者から示された者」に当たる・・・

上記裁判所の判断によると、「成果物規程により原始的に産総研に帰属」とあるので、この成果物規定がどのようなものであるかが気になるところです。判決文によると、成果物規定(研究成果物取扱規定)では下記のような記載があるようです。
研究成果物等取扱規程(以下「成果物規程」という。)3条1項で「研究成果物等」を「論文、報告等としてまとめられるもの」(同項1号)、「研究によって又は研究を行う過程で得られたデータ、試薬、試料、実験動物、化学物質、菌株、試作品、実験装置及びソフトウェア」(同項2号)等と定義しており、研究成果物等は「特段の登録等を必要とせず、発生した段階で研究成果物等として取り扱う」(4条)、「職員等によって研究所において職務上得られた研究成果物等は、特段の定めのない限り、研究所に帰属する」(5条1項)ものとしていた。
そして裁判所は本件ノウハウの「帰属」について下記のように判断しています。
これらの定めの目的・趣旨によれば、成果物規程5条1項は産総研に帰属する研究成果物等の範囲に産総研の施設で行われたものに限るとの場所的限定を付したとは考えられないから、兼業等が許されない限り、産総研の職員が職務上の研究により得た研究成果物等は基本的に産総研に帰属すると解される。殊に、産総研の施設及び機器を用いて行った研究は、目的外使用禁止の上記規程と相まって、職員等によって職務上得られた研究成果物等に例外なく該当することになると考えられる。そして、当該研究成果物等は発生した時点で当然に産総研に帰属するから、産総研職員が職務上得た研究成果物等が当該職員に帰属する余地はないといえる。
以上の前提に従えば、本件ノウハウは、被告人の研究業務を補助するために産総研に雇用された契約職員であるDが被告人に提供したものであるから、Dの産総研における研究によって職務上得られた研究成果物等であると通常は考えられる。
このように、裁判所は、研究成果物が産総研に帰属することは被告人も認識していたはずであるから、研究成果物が創作された時点で当該研究成果物は産総研から被告人に示されたことになる、と判断しているようです。すなわち、裁判所は、「営業秘密を保有者から示された」を実際に「示された」か否かで判断するのではなく、規定等による産総研での取り決めに基づいて「帰属」と共に判断していると考えられます。
このように判断しないと、業務として発明を創出しても会社(上記判例では産総研)に報告しなければ、当該発明は会社から示されたものとはならず自由に使用できることとなるため、妥当とも考えられるでしょう。
しかしながら、このような判断を可能とするためには、会社は上記成果物規定のような規定を予め作成し、研修等によってそれを従業員に認知させる必要があると思えます。仮に、上記成果物規定のような取り決めもなく、研究成果物が会社の帰属となるという研修を従業員に対して行っていなければ、従業員が職務として創出した発明を会社に報告せずに他社等で使用してもそれは営業秘密侵害とはならない可能性もあるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年5月31日土曜日

判例紹介:産総研の刑事事件 秘密管理性について

産総研(国立研究開発法人産業技術総合研究所)で研究員として勤務していた中国人が営業秘密侵害で逮捕・起訴された事件の刑事事件判決(東京地裁令和7年2月25日判決 事件番号:令5(特わ)1278号)において、非常に興味深い裁判所の判断がなされたので、それを紹介します。本事件は、営業秘密侵害事件としてはメディアでも報道されたものであり、覚えている人も少なからずいるかと思います。
なお、本事件の地裁判決において被告人は、懲役2年6月(執行猶予4年)及び罰金200万円の有罪判決となっています。

本事件は、主に絶縁ガスとして使用されるフッ素化合物であるC4の合成工程と効率的な反応条件等に関するものが営業秘密(本件ノウハウ)とされています。
本事件では、争点が複数あり、そのうちの一つとして本件ノウハウの秘密管理性について争っています。これに対して裁判所は以下のようにして本件ノウハウの秘密管理性を認めています。
なお、本件ノウハウは、被告人が創作したものではなく、被告人が受入責任者となって契約職員として産総研で雇用されたDから被告人に対してメールで提供されたものです。
⑴ 産総研における研究成果物等の取扱い
産総研法及び規則は、産総研職員に対し、職務上得られた秘密に関する守秘義務を定め、成果物規程は、全ての研究成果物等について秘密保持義務を定め、各職員において研究成果物等を秘密として厳重に管理すべきこと、公表したり第三者に提供したりする場合には産総研の承認が必要であることなどを明記している。さらに、産総研では、研究成果物の秘密管理を徹底するため、職員以外が立ち入ることができないよう研究施設を施錠するほか、職員固有のパスワードを入力しなければ産総研が貸与するパソコンを使用できないようにするなど秘密が漏洩しないための措置がなされていた(前記第2の2⑵、3⑶)。
以上によれば、産総研は、研究成果物等全般について包括的に秘密管理意思を有しており、これは、産総研に所属する各研究者が職務として従事する日常的な研究の過程で得られた産総研に帰属する研究成果物等を産総研の国立研究開発法人としての性質に沿って我が国の公益のために最大限の研究成果物等を確保するための合理的な秘密管理の方法であるといえる。
そして、産総研では、職員全員に秘密保持に関する研修の受講を義務付け、成果物規程や規則が定める秘密保持義務の内容や秘密として管理されるべき研究成果物等の範囲や秘密管理の方法等について周知を徹底していた。また、研究成果物等の定義についても上記のとおり明確に成果物規程で示されていた。産総研の職員は、産総研が研究成果物等について秘密として管理する意思があることも、その研究成果物等の対象範囲についても明確に認識できる状況にあったといえる。
したがって、産総研の研究成果物等である本件ノウハウについても、秘密管理性を有するといえる。
また、これらが規則や成果物規程に記載されていることや上記研修を被告人も受講していること、被告人自身が産総研での長期間にわたる研究の結果、特許ないし営業秘密に当たる種々の研究成果物等を得た経験があり、研究成果物等の産総研での取扱い方法等を熟知していたと考えられること等からすれば、被告人にこの点の認識があったことは明らかである。

このような裁判所のよる秘密管理性の判断は本件ノウハウに対して㊙マークやアクセス制限が行われていたというものではなく、本件ノウハウに対する直接的な秘密管理措置はされていたことはうかがえません。そうであれば本件ノウハウには秘密管理性が認められないのでは?とも思ってしまいます。この点については、弁護士も以下のように主張しています。
⑵ 弁護人の主張
弁護人は、秘密管理意思としては、情報一般についての管理意思では足りず特定の情報の秘密管理意思が必要であるところ、本件当時、産総研は、本件ノウハウもC4の研究の存在自体すらも把握しておらず、内部調査後に初めてその存在を認識したのだから、産総研に本件ノウハウの秘密管理意思は存在せず、また、本件ノウハウに機密であることが付記されてないから、秘密管理意思についての客観的な認識可能性も認められないなどと主張する。
上記の弁護士の主張に対して裁判所は以下のように判断し、弁護士の主張を認めることはありませんでした。
しかし、弁護人の主張は、いわゆる職務発明ないし事業者が保有する営業秘密について使用者等に秘匿して従業者等がし又は取得した場合は使用者等が何らの権利を有しないとする点で関連法規(特許法35条、不正競争防止法2条1項4号、7号等)にそぐわない独自の見解といわざるを得ない。本件においては、上記の規程等が全ての研究成果物等について、産総研の把握の有無を問わず、これらを産総研に帰属させて研究者に秘密として管理させる意思が客観的に示されていることは明らかで、これが産総研の国立研究開発法人としての性質に沿った合理的な秘密管理の方法であることは既に述べたとおりであり、産総研に個別の成果物の具体的な認識があることは秘密管理性の前提となるという主張は採用できない。一般に、営業秘密に当たる研究成果物等は産総研との雇用契約に基づき適用される成果物規程により原始的に産総研に帰属するから、当該研究成果物等の発生を職務上認識していればその職員は「営業秘密を保有者から示された者」に当たるのであって、産総研職員等が秘密性の明認を怠ったとしても秘密管理性に影響を及ぼすことはない。
上記のような弁護士の主張は、これまでの営業秘密管理に関する裁判例からすると理解はできます。しかしながら、新規な発明(情報)等に対して、これを創出した発明者が所属先に報告しない限り、所属先が秘密管理措置を行うことは実際に不可能であり非現実的です。そうであるにもかかわらず、発明者が報告しなかった発明(情報)に対して、所属先に秘密管理意思がないとすることは酷なことであるとも考えられます。
また、産総研のような研究開発を主とする組織であると、研究者自身が情報管理等を行うと考えられます。そうすると、自身が創出した発明に対して自身が秘密管理措置を行うことになり、産総研自身が個々の研究者が創出した発明に対して逐一秘密管理措置を行うことは現実的ではないでしょう。
さらに、本事件では、被告人自身が本件ノウハウを中国において特許出願しています。そうすると、被告人は、少なくとも本件ノウハウは新規性(非公知性)を有していることを認識していたことになります。そして、特許出願の対象となる発明は新規性を維持するために少なくとも特許出願までは秘密とすることは発明者であれば当然認識していることです。
そのように考えると、被告自身が本件ノウハウが秘密であることを認識していたことになり、裁判所の判断は妥当であると言えるでしょう。

逆に、このように解釈しなければ、研究者(発明者)が業務として創出した新規な発明(非公知の情報)を自らの意思で所属先に報告せずに外部に持ち出したとしても、何ら違法ではないことなり、所属先は多大なる損害を被ることになります。
本事件は産総研という研究を行うことを主目的とした法人ですが、発明に対する上記のような裁判所の判断は、一般的な企業でも当てはまるのではないかと思います。

しかしながら、本判決が一般化できるとしても、企業における秘密管理措置を緩くできることにはならないでしょう。やはり、企業は適切な秘密管理措置を行う必要があり、そのうえで秘密管理措置から漏れてしまう情報に対して本判決のような解釈が成り立つのだと思います。

なお、本判決は地裁判決です。被告人は控訴しているでしょうから高裁でどのような判決になるか非常に興味があります。仮に、秘密管理性の解釈について地裁とは異なる判断を高裁が行った場合には被告人は無罪となる可能性があります。
弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年5月18日日曜日

特許と営業秘密とノウハウの関係、それらの財産的価値

非公知の技術的アイデア(発明)は特許権等の権利化や営業秘密化という選択があります。
換言すると、権利化又は営業秘密化の対象となる技術的アイデア(発明)は元々が同じということになります。しかしながら、元々が同じであるにもかかわらず、どのような選択をするかにより、その保護範囲が変わります。

下記図はそのような関係を表したものです。
まず、技術的アイデアは従業員(発明者)の頭の中にあります。
このため、発明者の頭の中にある技術的アイデアを特定する必要があります。ここでいう特定とは、例えば、図面、グラフ、表、文章化等により、技術的アイデアを第三者が認識できる形態とすることです。より具体的には、従来技術と比較することで当該技術的アイデアが非公知であるか否かを第三者が判断できる程度に特定する必要があります。
この特定が行われると、技術的アイデアを示す図面、グラフ、文章化等の情報(技術情報)が得られることになります。

この技術情報がすでに保護の対象になり得ると考えられます。
具体的には、ノウハウとして保護の対象となるでしょう。ノウハウの保護とは、例えば、転職する従業員が当該ノウハウを不正に持ち出して転職先で使用した結果、前職企業に損害を与えた場合に前職企業が民法709条等に基づいて損害賠償請求を行うことです。
民法709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
しかしながら、ノウハウの保護としては損害賠償請求しか認められず、差止請求等は認められない可能性が高く、その保護範囲は非常に限定的であると思われます。

一方で、同じ技術的アイデア(ノウハウ)であっても、これに対して㊙マークやアクセス管理等の秘密管理措置を行うと営業秘密となります。営業秘密は、秘密の状態が保たれ、かつ非公知性を有している情報であれば、これの不正持ち出しや不正使用等に対する保護が半永久的に可能となります。しかしながら、営業秘密は独占権ではないので、他社が自社の営業秘密と同じ技術を独自に開発等して使用しても、当該他社は自社の営業秘密侵害とはなりません。

さらに、技術的アイデア(ノウハウ)を特許出願して特許権を取得すると、技術内容の公開という代償がありますが、独占権という強い権利を得ることができます。
しかしながら、特許出願を行うためには、特許請求の範囲や明細書等を作成して特許庁へ出願し、特許庁の審査を経て特許査定を得る必要があります。特許査定を得たとしても、登録費用や年金を支払わなければ特許権として維持されません。特許権は営業秘密とは異なり特許権者に独占権を生じさせますが、特許権の取得には手間とコストが必要となります。

このように、非公知の技術的アイデアは、それを特定するとまずノウハウとして保護が可能となります。さらに、特定したノウハウのに対して手間をかけて秘密管理措置を行うと営業秘密として保護され、さらに手間をかけるて特許権を取得すると独占権が得られます。
換言すると、技術的アイデアは、手間をかけるとより財産的価値が高まり、手間をかけなければ財産的価値は生じないといえるでしょう。

このように、技術的アイデアは、特定することにより、どのような保護を受ける形態とするかの選択が可能となります。この選択、特に権利化と営業秘密化は事業の利益の最大化を目的として選択することとなります。
弁理士による営業秘密関連情報の発信