2020年10月19日月曜日

刑事事件:導電性微粒子情報流出事件

先週報道された積水化学工業の元従業員が営業秘密(スマートフォンのタッチパネルに用いられる導電性微粒子の製造工程に関する技術情報)を中国企業に流出させ刑事告訴された事件についてです。

この事件で話題になったことは、元従業員が積水化学に在職中にSNSを通じて中国企業と通じ、情報を流出させていたということです。ちなみに、このSNSはLinkedInとのことです(SankeiBiz 迫る中国の産業スパイ 手段は多様化、取引先装いSNSで接触か)。
また、元従業員は、情報流出が発覚した後に解雇されており、中国企業(営業秘密の柳州先企業であるかは不明)に転職したようです。

上記報道によると「元社員も「潮社側から何か情報を引き出せないか」などと考えて、」とあり、また、NHKの報道(情報漏えい疑いで書類送検)によると「自分の研究が評価されていなかった。情報を渡す代わりに中国の会社の情報を入手して新たな製品を開発し、上司や会社を見返したかった」と供述しているようです。
このように元従業員は、営業秘密を中国企業へ提供する替わりに、この中国企業が有する情報を取得することが目的だったようです。

この目的は、2重の危険性を有しています。一つは、自社の営業秘密を他社に流出させることであり、もう一つは、他社の営業秘密を自社に流入させることです。
今回の事件は、元従業員は中国企業から情報を取得することはできなかったようですが、もし、元従業員が中国企業から情報を取得し、それを積水化学内で使用等していたら面倒なことになったかもしれません。

もし、このようなことが起きると、積水化学自体が不正競争防止法2条1項8号又は9号違反となる可能性が有るからです。2条1項8号又は9号は、他社の営業秘密について不正開示行為があったことを知って又は重大な過失により知らないで使用等する行為であり、主に営業秘密が流入した企業等がその対象となります。


しばらく前は、他社が保有する情報を取得することは”良し”とされていたかもしれません。
実際、不正競争防止法で営業秘密侵害が規定されたのは、平成2年であり、このときは刑事罰は導入されていません。刑事罰が規定されたのはさらに近年の平成15年です。
このため、営業秘密の侵害によって刑事罰を受ける可能性を認識していない会社員も多くいるでしょう。もし、そのような人が上司であったら、未だに他社の営業秘密を取得することを“良し”と考え、そのような指示を部下に与えている人がいるかもしれません。

しかしながら、他社の営業秘密を取得し、それを自社で開示や使用することは営業秘密侵害となるため、結果的に自社に損害を与える可能性が有ります。
このような事実を企業も従業員も認識し、誤った行動をとらないようにしなければなりません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年10月11日日曜日

秘密保持契約を締結して営業秘密を開示する場合

昨日は無事、大阪発明協会主催の研修「技術情報を営業秘密として守るための 実務と事例研究」を終えることができました。
参加してくださった皆様ありがとうございました。

この研修でも説明したのですが、秘密保持契約を締結して秘匿化情報を取引先に開示したものの、裁判所においてこの秘匿化情報は営業秘密ではないと判断された裁判例がいくつかあります。

参考ブログ:

昨今、オープンイノベーションの広がりもあり、秘密保持契約の重要性はますます高まるでしょう。
そして、秘密保持契約を締結して秘匿化情報を開示することは、相手方が当該情報を目的外使用等した場合に不正競争防止法違反と秘密保持義務違反の2つで責任を負わせることができます。

すなわち、秘匿化情報が営業秘密と認められれば、相手方は不競法違反と共に秘密保持義務違反となり、たとえ、秘匿化情報が営業秘密と認められなくても、秘密保持義務違反となる可能性が有ります。
ここで、「可能性が有る」としている理由は、当該秘匿化情報が営業秘密と認められない場合には同時に当該秘匿化情報が秘密保持義務の対象ではないとして秘密保持義務違反にもならない場合が有るためです。



具体的には、秘匿化情報がすでに公知の情報となっていた場合です。例えば、秘密保持契約を締結して開示した秘匿化情報を使用した製品が販売され、この製品をリバースエンジニアリングすることで当該秘匿化情報が公知となった場合や、秘密保持契約を締結する前に既に秘匿化情報が公知となっている場合です。
一般的な秘密保持契約では、例外規定として、公知となった情報等は秘密保持義務の対象としないことが規定されていますので、上記のような秘匿化情報は公知であるため秘密保持の対象とはみなされないことになります。

従って、秘密保持契約を締結して秘匿化情報を相手方に開示する場合には、当該秘匿化情報が真に営業秘密足り得るか否かを正しく判断する必要があります。この判断を間違えると、相手方との間で不要な争いが生じる可能性が有ります。

しかしながら、自社製品のリバースエンジニアリングによって公知となる可能性が有る場合には、当該自社製品のリバースエンジニアリングを禁止する等を含む守秘義務契約を製品の販売先と締結することで非公知性を保つことができるかもしれません。このような守秘義務契約は、当該製品の販売先がが不特定の消費者である場合には難しいでしょうが、販売先が限られた企業等であれば可能かと思います。

例えば、攪拌造粒装置事件(大阪地裁平成24年12月6日判決 平成23年(ワ)第2283号)では、原告製品がリバースエンジニアリング可能であるとして、原告主張のノウハウの非公知性は喪失していると裁判所は判断しています。
その理由として「原告主張ノウハウは,いずれも原告製品の形状・寸法・構造に関する事項で,原告製品の現物から実測可能なものばかりである。そして,原告製品は,被告がフロイントから攪拌造粒機の製造委託を受けたときよりも前から,顧客に特段の守秘義務を課すことなく,長期間にわたって販売されており,さらには中古市場でも流通している。」や「原告主張ノウハウは,いずれも原告製品の形状・寸法・構造に帰するものばかりであり,それらを知るために特別の技術等が必要とされるわけでもないのであるから,原告製品が守秘義務を課すことなく顧客に販売され,市場に流通したことをもって,公知になったと見るほかない。」とのように、「顧客に守秘義務を課すことなく製品を販売」していることを挙げています。
とすれば、「顧客に守秘義務を課して製品を販売」した場合には、たとえ製品をリバースエンジニアリングすることでノウハウを知り得るとしても、営業秘密で言うところの非公知性は保たれていると判断される可能性が有るかと思います。

以上のように、秘密保持契約を締結したからといって安心できるものではありません。秘密保持の対象としたつもりの情報が真にその対象となり得るのかを、契約締結前に十分に検討する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年10月4日日曜日

ツィッターをはじめたのでブログのデザインを変更、そして知財業界に少々思うこと。

少し前に営業秘密ラボのツイッター(@TradesecretLab)をはじめたので、ブログのデザインも変更して、スマホでも読み易いようにしてみました。

ツイッターをはじめてみて思ったことは、多くの知財関係者がツイッターをしてるんですね、ということ。しかしながら、営業秘密や技術情報の秘匿化についてはあまりツイッターでは話題にあがっていなさそう。

まあ、そんなものかな、とも思います。
特許は特許事務所の主たる仕事(ビジネス)ですが、営業秘密はビジネスとして確立していませんので、あまりつぶやく切っ掛けがないようにも思います。

また、企業知財部も出願関係の仕事はしていても、秘匿化についてはその仕事には含まれていないところも多い(ほとんどない?)ようにも思えます。

一方で近年において、企業における営業秘密の漏えいについての問題意識が高まっているように思えます。この理由の一つに、近年の中国の動向があると思いますが。
先日も下記のような報道が有りました。
・機密情報の流出阻止 経団連が政府と協調へ(日経新聞)

しかしながら、営業秘密も知財のはずですが、やはり話題にはあがっていないような?このような動きは知財業界とは別のところの話なのでしょうか?それとも私が気が付いていないだけ?少々モヤモヤ感があります。

そうは言っても、これが営業秘密に対する現状であるので、自分ができることを地道に続けようかと思います。


弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年9月27日日曜日

刑事事件:ロボット情報不正取得事件

先日、元勤務先からロボット情報を不正に持ち出したとして、この元勤務先の元従業員が逮捕されました。近年、転職先で有利になる等の目的で行われるありがちな営業秘密流出事件です。

具体的には、報道によると「逮捕容疑は昨年8月20日、不正な利益を得る目的で会社のサーバーにアクセスし、営業秘密である産業用ロボットの設計図や生産ラインのレイアウト図など59点の情報をハードディスクにコピーして不正に取得したとしている。」(「ロボット情報不正取得疑い 勤務先から、41歳男逮捕」2020/09/24 産経新聞)とのことです。

なお、上記報道にもあるように元従業員は、「「データをコピーしたことに間違いはないが、不正な利益を得る目的ではない」と容疑を一部否認している。」とのことですが、「逮捕前の任意の調べに「(データを示せば)優遇されるのではないかと思った」と話したという。」との報道もあります(「ロボットの機密情報持ち出した疑い 転職した元社員逮捕」2020/09/24 朝日新聞)。
このように転職先で優遇されることを目的として、退職時に元勤務先の営業秘密を持ち出していたら、それを持って不正の目的となり、刑事事件となる可能性が高いです。
このような事実は、企業に勤める人は窃盗が犯罪であることと同様に、刑事事件化されて刑事罰を受ける可能性が有ることを理解すべきです。

また、他の報道によると元勤務先の取引先の情報も持ち出していたようです(「産業用ロボットデータ不正持ち出しで逮捕の男 取引先のデータも含まれていた」2020/09/25 CVCNEWS)。
これは、逮捕された元従業員の元勤務先は、営業秘密を持ち出された被害企業というだけでなく、他社に迷惑をかけた企業との立場にもなり得、信用を失いかねないことになります。
営業秘密の流出は、自社に関する情報の流出だけであれば、流出元の企業は被害企業となりますが、顧客情報等に代表されるような他社(他者)の情報が流出した場合には、当該他社(他者)に対しては加害企業とのような立場に立たされます。この典型例がベネッセ個人情報流出事件でしょう。


一方、元従業員の転職先企業は、どのような対応をしたのでしょうか?
これに関して報道によると「さらに転職先では逮捕容疑の59件を除くデータの一部について、紙の資料にして示したが、転職先は「同業他社のものはリスクがある」と提供を受けなかったという。」とあります(「ロボット情報持ち出し、転職先「リスクある」と利用断る」2020/09/25 朝日新聞)。

この転職先企業によるこの判断は適切以外の何物でもありません。
転職者が元勤務先の営業秘密を持ち出したとしても、それを自社(転職先企業)で開示させないことがベストですが、もし開示したとしても、その使用は不正競争防止法違反に該当することを理解し、その流入を組み止める必要があります。
このため、特に転職者が提供する情報については細心の注意を払うべきでしょう。
例えば、それまで自社では知り得ていなかった情報を自社で転職者が開示した場合には、その出所を確認するべきです。もし、その出所が転職者の元勤務先であれば、元勤務先の営業秘密の可能性が有ります。
このような意識を持たずに開示された営業秘密を使用して製品を製造販売した結果、刑事事件となり、当該製品の製造販売を中止した企業もあります

このように、転職者による営業秘密の持ち出しは、元勤務先にとっても損害を生じさせるだけでなく、その目的が転職先での使用であるので、転職先にも大きなリスク(営業秘密の流入リスク)を与えるものです。従って転職先企業は、転職者が元勤務先の営業秘密を持ち込まないように、例えば、入社決定時に元勤務先の営業秘密の持ち込みをしないように文章や口頭で説明し、また、入社後の研修等でも同様の説明をし、発覚した場合には元勤務先へ通告すると共に解雇することを予め説明することで、他社の営業秘密の流入を食い止める必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年9月20日日曜日

判例紹介:日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決 -リバースエンジニアリングー

日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決(名古屋地裁令和2年3月27日 平28(わ)471号 ・ 平28(わ)662号)の続きです。この事件において日本ペイントの営業秘密を持ち出したとされた被告人は、一審地裁判決では懲役2年6月(執行猶予3年)及び罰金120万円となっています。

この事件は、塗料の製造販売等を目的とする当時の日本ペイント株式会社(判決文ではa社)の子会社であるb株式会社の汎用技術部部長等として、被告人が商品開発等の業務に従事していました。そして、被告人は、a社の競合他社である菊水化学工業株式会社(判決文ではc社)にa社の営業秘密を漏えいし、自身もc社の取締役に就任したというものです。なお、被告人は、a社の元執行役員でもあったようです。

本事件において検察官は、本件情報(塗料の原料及び配合量)は塗料製造において重要な漏洩の許されない非公開情報として管理されており、リバースエンジニアリングや特許公報等によっても本件各塗料の具体的な配合情報は特定できないので、本件情報には非公知性が認められる旨主張しました。
一方で、弁護人(被告)は、リバースエンジニアリングにより本件各塗料と同程度の品質が再現できる程度に配合情報を分析できる等を主張し、本件情報には非公知性が認められないと反論しました。

この結論としては、裁判所は本件情報の非公知性を認めています。
理由は以下の通りです。なお、塗料の分析は被告人の転職先であるc社がd社に依頼して行っています。すなわち、c社は原告である検察に対して協力的であったことがうかがわれます。
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塗料を各種の方法で分析すると,塗料を構成する樹脂がどのようなもので構成されているか,塗料を構成する顔料にどのような金属が入っているかなどは分析できるものの,塗料を構成する具体的な原料及び配合量まで特定することは困難である。c社が株式会社d(以下「d社」という。)に対して依頼したc社の塗料「●●」の分析結果をみても,XRD(広角X線回析法)によって明らかになったのは,塗料に含まれる無機成分とその定量値であり,STEM(走査透過電子顕微鏡法)-EDX(エネルギー分散型X線分光法)によって明らかになったのは,塗料中の無機成分の粒子を構成する金属の種類や粒子の大きさであって,これらの結果から塗料の原料及び配合量を具体的に特定することはできない。また,d社が行ったその他の検査,IR(赤外分光光度計による分析),熱分解GC/MS測定及び固体NMR測定によって明らかになったのは,塗料に含まれる樹脂成分を構成するモノマー及びその構成比であり,塗料に含まれる樹脂について,その原料及び配合量が具体的に特定された訳ではない。
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これに対して弁護人は、本件各塗料の配合情報はリバースエンジニアリングによって多額の費用や長時間を要することなく特定が可能であると主張しました。この主張は、営業秘密における非公知性がリバースエンジニアリングによって喪失したか否かの判断基準となっており、当然の主張でしょう。
しかしながら、裁判所は以下のように弁護人の主張を認めませんでした。なお、下記に登場するEはb社の代表取締役であり、Fはc社の元従業員です。
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塗料の分析は,専門的知見を有する者が,相当高額の専門機器を用いて初めて行えるものであり,実際に,c社では,100万円の費用を掛けてd社に分析を依頼している。Fの証言によると,c社では,STEM-EDXの測定や固体NMR測定等においてd社と同レベルの分析は行えないことが認められる上,EとFの証言によると,d社の分析では,樹脂の構成や顔料の成分とその定量値は明らかになったものの,具体的な原料やその配合量までは特定できなかったと認められる。また,d社はXRDの報告書を作成するのに1か月以上の期間を要している。そうすると,リバースエンジニアリングによって本件各塗料の配合情報について具体的な原料やその配合量まで特定することは,不可能とまでは断定できないにしても,そのためには相当高額の費用と相当な期間をかけることが必要であると認められる。したがって,リバースエンジニアリングによっても容易に本件情報を知ることができるとはいえず,本件情報の非公知性は失われない。
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なお、上記に対して弁護人は、塗料の分析に100万円程度の費用を掛けたとしても、a社のような大手の塗料メーカーにとってはそれほど高額ではないとも主張しています。
この主張について、私もリバースエンジニアリングの費用が高額か否かは、リバースエンジニアリングを行う企業規模によってその基準が変わる可能性が有るのではないかとも思っていました。なおa社は、ウィキペディアによると資本金7億3900万円であり、2019年の売上高は646億4400万円であり、100万円の費用は大したことはないとも思えます。

これに対して裁判所は以下のように判断しています。
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本件各塗料の配合情報を特定することが容易かどうかの判断は,c社がd社に支払った費用の金額だけで決まるものではなく,前記のとおり必要な分析に要する費用や期間,労力などを総合的に考慮して判断されるべきである。この点をEらの証言やd社の分析結果等を踏まえて検討すると,前記のとおり,本件情報は容易に知ることができるものとはいえない。
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このように、リバースエンジニアリングが容易であるか否かは実際に支払った費用のみで決まるのではなく、総合的に判断されるものと裁判所は判示しました。
なお上記のように証人の証言でも「樹脂の構成や顔料の成分とその定量値は明らかになったものの、具体的な原料やその配合量までは特定できなかった。」とあります。すなわち、本事件ではリバースエンジニアリングによって塗料の情報の一部は明らかになっておらず、リバースエンジニアリングによる分析結果に基づいて原料や配合量を特定することは不可能ではないとしても、さらなる費用と期間を要することが示唆されています。

物質の組成等を営業秘密とした場合における過去の裁判例としては、錫合金組成事件がありました。この事件では、錫合金の組成がリバースエンジニアリングによって特定できるとしてその非公知性が認められませんでした。
一方で今回の事件では、塗料の組成等がリバースエンジニアリングよっても特定できず、非公知性が認められるというものです。
錫合金は無機材料、塗料は有機材料という違いがあり、リバースエンジニアリングよる組成等の特定の困難さも異なるでしょう。この二つの裁判例から、物質の組成を営業秘密とする場合のリバースエンジニアリングによる非公知性喪失の判断基準がある程度明確になってきたかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信