2023年1月23日月曜日

PDFの普及から考える知財戦略(1)

AdobeのPDF(Portable Document Format)は説明するまでもなく世界中に広く普及しています。このPDFファイルを閲覧するためには、専用のソフトウェアが必要ですが、AdobeはAcrobat Readerを無償提供することで、誰でもPDFファイルを閲覧可能としています。
また、Adobeは、PDFに関する特許を多数取得し、現在ではPDFの仕様はISOの規格になっています。
では、AdobeはこのPDFをどのような戦略によって広く普及させたのでしょうか。
今回も知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えてみます。

まず、PDF普及の概要については、以下のようなものです。なお、上記のようにPDFに係る技術は現在では規格化されているので、下記のPDF普及の概要は普及戦略の初期段階ともいえるでしょう。

まず、Adobeは、PDF作成ソフトとしてAcrobatを販売しました。また、Adobeは、PDF閲覧ソフトとしてAcrobat Readerを無償提供することで、誰でもPDFファイルを閲覧可能としています。
Adobeは、AcrobatやAcrobat Readerを市場に投入する一方で、PDF仕様書を公開しました。また、PDFの作成に係るAdobeの特許権は無償許諾されます。これにより、Adobe以外の他社もPDF作成ソフトを自社で開発して販売したり、PDF作成機能を自社のソフトウェアに組み込むことができます。
このような方策により、PDF市場が大きくなることが期待でき、実際に大きくなりました。

しかしながら、誰でもPDF作成ソフトを開発可能とすると、Adobeよりも優れたものを他社が開発する可能性があります。そうすると、PDF市場におけるAdobeの優位性が失われる可能性があります。
そこで、Adobeは自社の優位性を保つために、他社によるPDF作成ソフトの開発に対して「仕様書に準拠しなければならない」という条件を設けることで、他社が独自技術を開発することを禁じたようです。仮に、他社が独自技術を盛り込んだPDF作成ソフトを製品化すると、Adobeは特許侵害とするのでしょう。
さらに、プログラムの著作権も無償開放する一方で、他社による当該著作権に係る技術を用いた独自技術の開発を禁じていたようです。

以上のことを知財戦略カスケードダウンに当てはめます。
まず、事業戦略ですが、下記のように考えます。
<事業目的>
PDF市場を大きくする。
<事業戦略>
(1)誰もがPDFを無料で閲覧可能とする。
(2)PDF作成ソフトを他社も開発可能とし、他社によるPDF市場参入を促す。
(3)自社製のPDF作成ソフトの販売で利益を得る。
<事業戦術>
(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。
(2)PDF仕様書を無償で公開する。
(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。

事業目的は、「PDF市場を大きくする。」、換言すると、PDFを世界中に普及させることになります。

この事業目的を達成するための事業戦略は、上記のように(1)~(3)です。
事業戦略の「(1)誰もがPDFを無料で閲覧可能とする。」は、実際にPDFを使用するエンドユーザを意識したものになります。すなわち、PDFの閲覧ソフトが有料であると、エンドユーザはPDFを使用する意欲が必然的に低くなるでしょう。一方で、PDFを無料で閲覧可能とすると、エンドユーザはPDFの閲覧に対する抵抗感は非常に低くなるでしょう。
この事業戦略(1)に対応する事業戦術が、「(1)自社開発ソフトであるAcrobat Readerを無償提供。」となります。すなわち、閲覧ソフトの無償提供は、他社に頼ることは難しいため、まずは自社開発ソフトを無償提供するということになります。

次に、事業戦略の「(2)PDF作成ソフトを他社も開発可能とし、他社によるPDF市場参入を促す。」ですが、これはPDFの事業戦略の一番の特徴です。PDFを広く普及させることは、自社だけでなく他社も巻き込んだほうが実現し易いでしょう。
しかしながら、それは他社が容易に市場参入可能とする環境整備が必要です。その環境整備が事業戦術の「(2)PDF仕様書を無償で公開する。」です。他社は、Adobeが提供するPDF仕様書に基づいてPDF作成ソフトを制作すればよく、開発コストは当然低くなり、PDF市場への参入も容易となるでしょう。

上記(1),(2)のような事業戦略・戦術によってPDF市場の拡大を図りますが、AdobeはどのようにしてPDF市場から利益を挙げるのでしょうか。それが事業戦略の「(3)自社製のPDF作成ソフトの販売で利益を得る。」となります。
ここで、上記(2)のように事業戦略・戦術としてPDF仕様書を無償公開しているので、他社は安価にPDF作成ソフトを制作でき、場合によっては自社の既存ソフトの機能の一つとしてPDF作成機能を組み込むこともできます(マイクロソフトのWordには現在機能の一つとしてPDF化があります。)。すなわち、他社はエンドユーザに対して低額又は実質的に無償でPDF作成ソフトを市場に投入してエンドユーザに提供できます。
このため、Adobeは、低価格のPDF作成ソフトを市場に投入して利益を得ることは現実的ではないでしょう。
そこで、この事業戦略(3)に対応する事業戦術は、「(3)PDF市場に参入する他社よりも高機能のPDF作成ソフトを販売。」となります。高機能化により他社のPDF作成ソフトと差別化し、より高い利益を求めるという事業戦術です。

次回は、このようなPDFの普及に対する事業戦術に対応する知財戦略・戦術について考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年1月15日日曜日

インテルのMPU普及から考える知財戦略

パソコンのMPU(CPU)メーカーとして最も有名なメーカーはインテルでしょう。インテルが何を製造しているのか知らなくても、「Intel inside」というキャッチコピーを聞いたことがない人は殆どいないのではないでしょうか。
そのインテルのMPUは、パソコン本体の製造メーカーにかかわらず、パソコンに搭載されて世界中に普及しています。

インテルによるMPUの普及戦略は、オープン・クローズ戦略として紹介及び解説されています。そこで、インテルによるMPUの普及戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えてみます。
なお、本ブログではインテルの戦略として、小川紘一 著「オープン&クローズ戦略 日本企業再興の条件」、立本博文 著「PCのバス・アーキテクチャの変遷と競争優位―なぜ Intel は、プラットフォーム・リーダシップを獲得できたか―」を参照しています。


まず、インテルは、主にパソコンメーカーに自社製MPUを個別に搭載してもらうことで、MPUから売り上げを得ていました。
しかしながら、そのような状況では、インテルがより性能の高い新たなMPUを開発しても、パソコンメーカーが新たなMPUを搭載したパソコンを製造販売するまでに時間を要することとなり、インテルとしてはビジネスが思ったように進まないという課題があったようです。また、当然、競合他社性のMPUとの開発競争もあり、インテル社製のMPUが市場で優位に立てる環境を構築する必要がありました。

このため、インテルは自社製のMPUを搭載したマザーボードを製造販売することで、自社製のMPUを搭載したパソコンの製造を容易にし、それにより自社製のMPUを普及させようとしました。しかしながら、インテルによるマザーボードの製造数は市場規模からすると小さく、自社製のマザーボードによって自社製のMPUを広く普及させることは困難でした。
そこで、マザーボードを多く安価に製造していたメーカーが台湾メーカーであったことから、インテルは台湾メーカーに自社製のMPUを搭載したマザーボードを製造させて自社製のMPUをより広く普及させるという戦略を取りました。

このような経緯から、インテルが最新の自社製MPUを広く普及させるという事業目的に対して選択した事業戦略・戦術は下記のようになります。

<事業目的>
最新の自社製MPUを広く普及させる。
<事業戦略>
最新のMPUを搭載したマザーボードを市場に供給
<事業戦術>
台湾メーカにマザーボードを安価に製造させ、マザーボードに自社製MPUを搭載することで、MPUの販売量を増加させる。

すなわち、インテルが他社に比べて優れたMPUを開発すると、早期に台湾メーカーがこのMPUを搭載したマザーボードを安価に製造販売します。
これにより、パソコンメーカーはこのマザーボードを用いた高性能なパソコンを次々と市場投入することになるので、マザーボードの販売数が増加し、台湾メーカーは売り上げを増加させることができます。
インテルは、台湾メーカーのマザーボードの販売数が増加すると、当然に自社製のMPUの販売数も増加することとなり、MPUによるインテルの売り上げも増加することとなります。
そして、インテルによるこの事業戦略は実際に成功を納めています。


次に、インテルによる上記事業戦略を実現するための知財戦略についてです。
この知財目的・戦略・戦術は下記のようになります。

<知財目的>
自社製MPUを搭載したマザーボードを台湾メーカに安価に製造させる。
<知財戦略>
自社製MPUに対応した技術(特許権やノウハウ)をマザーボードメーカに提供。
<知財戦術>
・提供するノウハウは、放熱技術やノイズ抑制技術。
・ライセンスする特許はローカルバスに関する特許。しかし、特許権に係る技術の改版については認めない。
・MPUの技術は秘匿化。
・マザーボードの外部インタフェース等の標準化。

インテルは、自社製MPUを搭載したマザーボードを台湾メーカーに安価に製造させるために、台湾メーカーに特許権のライセンスを含む技術供与や提供することを知財戦略としました。ライセンスされた特許権は、ローカルバスに関するもの、提供されたノウハウは、放熱技術やノイズ抑制技術のようです。
台湾メーカーはインテルからの特許権やノウハウ等の技術提供により、インテル製のMPUを搭載するための技術開発を自社で行う必要がなくなり、インテル製のMPUを搭載することを前提としたマザーボードを安価に製造できるようになります。
また、インテルは、独自又は他社と協力して、マザーボードの外部インタフェース等を標準化しました。これにより、パソコンのコモディティ化が進み、その結果、パソコンそのものが安価になって普及することになり、さらにマザーボードの販売数を増加させることができます。
一方で、インテルはMPUの技術は秘匿化することで、他のメーカーにインテル製のMPUと同様のMPUを製造させることを防止します。
このように、インテルは、自社製MPUをマザーボードに搭載するための技術をオープン化する一方で、MPUそのものについてはクローズ化するという戦略を取っています。

さらに、インテルは、自社製MPUに対応するローカルバスの特許権をライセンスするものの、その改版については認めませんでした。これにより、仮にインテル以外のメーカーのMPUをマザーボードに搭載しようとすると、当該特許権に係る技術を改良する必要があるため、インテル製のMPU以外を搭載できなくなります。
実際に、インテルはライセンス契約の無効を主張して訴訟を台湾VIA Technologies社に行うと共に、VIA社との取引を停止しました。VIA社が、インテルが用いたバス仕様のDRAMとは異なるバス仕様のDRAMを使用したマザーボードを製造したためです。

このように、特許権をライセンスするもののその改版を認めないことは、インテルに限らず他社でも行われています。例えば、デンソーによるQRコードの無償ライセンスやAdobeによるPDFフォーマットの無償ライセンスです。
このような特許権をライセンスするものの改版を認めないことにより、特許権を有している自社よりも優れた技術開発を抑制し、自社優位性を保つということが可能となります。

オープン・クローズ戦略は、自社だけでは自社製品を広く普及させることが困難な場合に、他社の力も借りて普及を実現させることを目的として採用させる戦略です。
このため、オープン化した技術を採用する他社も利益を挙げて貰う必要があります。
その一方で、この他社が自社のビジネスを脅かす存在となり得る可能性もあります。このため、他社の事業活動が自社を脅かすことを抑制するための方策もセットで構築する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年12月31日土曜日

特許出願の公開前取り下げと秘匿化

特許出願をすると1年6か月後に公開されます。
しかしながら、特許出願しても公開前に取り下げることで、自社開発技術の秘匿化を保つという知財戦術をとる会社もあるようです。

その理由の一つとして、特許出願した自社の技術開発スピードが他社よりも十分に先行しており、特許化によるメリットよりも公開リスクの方が大きい場合でしょうか。
このような場合には、特許出願を取り下げた直後に再び特許出願を行います。このような出願と取り下げとを、他社開発技術が自社開発技術に近くなるまで繰り返し、他社開発技術が自社開発技術に近くなったと思われるタイミングで当該特許出願を取り下げることなく、審査請求します。
これにより、他社に自社開発技術を知られることなく、かつ他社よりも先んじて特許取得を可能とします。
とはいえ、他社開発技術がどの程度まで進んでいるのかを知ることは難しいため、さほど現実的な知財戦術ではないと思います。

異なる知財戦術として、公開前の特許出願の取り下げと早期審査とをセットにすることが考えられます。
特許出願とほぼ同時に早期審査を行い、特許査定を得られる可能性が低いようであれば、公開される前に当該特許出願を取り下げることで他社に自社開発技術を知られることを防止するというものです。
これは実際に行っている企業もあるようで、このような知財戦術は有効かと思います。


ここで、気になる点は、特許査定を得られないのであれば、営業秘密でいうところの有用性又は非公知性もないのではないかということです。
仮に拒絶理由が新規性違反であり、それを覆すことができないのであれば、非公知性は喪失しているのでで、当該特許出願に係る技術を営業秘密とすることはできません。

しかしながら、拒絶理由が進歩性違反である場合には、必ずしも営業秘密の有用性が無いとは言えません。
営業秘密の有用性の判断として、特許の進歩性と同様の判断を行った裁判例がいくつもありますが、近年の刑事事件の裁判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)として下記のように裁判所が判断したものがあります。
❝不正競争防止法が営業秘密を保護する趣旨は,不正な競争を防止し,競争秩序を維持するため,正当に保有する情報によって占め得る競争上の有利な地位を保護することにあり,進歩性のある特別な情報を保護することにあるとはいえないから,当該情報が有用な技術上の情報といえるためには,必ずしもそれが「予想外の特別に優れた作用効果」を生じさせるものである必要はないというべきである(そもそも何をもって「予想外」「特別に優れた」というのかが曖昧であり,その意味内容によっては,不正競争防止法が所期する営業秘密保護の範囲を不当に制限する可能性がある・・・)。❞
このような裁判例があることを鑑みると、特許の進歩性がないと判断された技術情報が営業秘密の有用性もないと判断されない可能性もあります。

ここで注意が必要なことは、「特許出願の取り下げ=秘密管理性」ではないことです。取り下げの目的は特許出願に係る技術を秘匿化したいというものですが、取り下げ自体は秘密管理意思を示すものとはみなされない可能性があります。
このため、取り下げた特許出願に係る技術は、適切に秘密管理を行う必要があります。特許出願の請求の範囲及び明細書等をそのまま秘密管理してもよいかと思いますが、明細書には公知の技術も多数書かれています。また、特許請求の範囲も場合によっては公知の技術がトップクレームとなっている場合もあるでしょう。このため、どの技術が秘密管理の対象となっているのかを請求の範囲や明細書中に明示した方が秘密管理としてはより万全かと思います。

公知の技術情報と非公知の技術情報とが混ざった状態で秘密管理されていると、秘密管理の対象となっている情報を従業員等が認識できないとして、非公知の技術情報の秘密管理性までもが否定される可能性があるためです。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年12月19日月曜日

判例紹介:ノウハウの対価請求権

前回のブログでは、ノウハウの保護について判断した裁判例(東京地裁令和3年12月7日判決 事件番号:平30(ワ)38505号・令2(ワ)27948号)を紹介しました。この裁判例によると、ノウハウが法的な保護を受けるためには、有用性や非公知性を有していなければならないとのことでした。

今回は、ノウハウの対価請求に関する裁判例(知財高裁令和3年5月31日判決 事件番号:令2(ネ)10048号)を紹介します。
本事件は、一審被告会社(被控訴人)の従業員である一審原告(控訴人)が、下記①と②についの特許を受ける権利(①について、原告は共同発明者4人のうちの1人であるため、4分の1の持分、②については全部)を被告会社に承継させたと主張して、その対価を請求した者です。
①被控訴人の特許となっているもの(競争ゲームのベット制御方法に関するもの)
②被控訴人の特許となっていないもの(競争ゲームに関するノウハウ)
なお、①については、原審で17万0625円の請求が認容されたものの、②については請求が棄却されています。

ちなみに、被告会社は、下記のように本件ノウハウの特許性を含む価値を否定しています。
❝本件ノウハウは,発明とはいい難い。仮に,本件ノウハウが発明に当たるとしても,対価請求権が認められるためには,特許を受ける権利として新規性及び進歩性等を含めた特許性を備えるものでなければならないが,本件ノウハウは,このような特許性が肯定されるようなものではなく,ノウハウとして秘匿すべき何らの価値もない。❞
次に本事件に対する裁判所の判断です。まず裁判所は、ノウハウの対価請求に対して以下のように、特許性を有する発明出なければノウハウに対して対価を請求できない、としています。
❝本件ノウハウは,特許登録がされていない職務発明として主張されているものであるところ,特許性を有する発明でなければ,これを実施することによって独占の利益が生じたものということはできず,特許法35条3項に基づく相当の対価を請求することはできないと解される。❞

そこで裁判所は本件ノウハウの特許性を判断するために、まず本件ノウハウの特徴を下記のように①から④に分けました。
・特徴① プレイヤー馬について、能力値とは別に、一定の割合でメダル数と相互に換算される活力値と呼ばれる指標を導入。
・特徴② 馬主ゲームにおいて、レースに出走するための消費活力値とレース結果に応じて増加する増加活力値の期待値とを等しくすることにより、馬主ゲームにおける馬ごとのメダル獲得の期待値の不公平さが生じないようにする。
・特徴③ 同じレースに複数のプレイヤー馬が出走する場合もあるので、プレイヤー馬の能力値が当初は未確定であることから、各プレイヤー馬の増加活力値,消費活力値及び能力値について、一旦暫定値を用いて計算して必要に応じて数値を再調整。
・特徴④ 活力値は、メダルとして目に見える賞金や出走料とは異なり、プレイヤーに認識されない形で増減され、次回以降の競馬ゲームに影響を与えるように導入することで、ゲーム性を醸成させる。

そして裁判所は、上記特徴①~④について以下のように、特許性はないと判断しました。
・特徴① 活力値の導入は完全確率抽選方式の下で予想ゲームと馬主ゲームとを組み合わせた競馬ゲームを設計する場合において、必然的に必要となる指標を導入したものにすぎない。
・特徴② 期待値の調整は完全確率抽選方式の下で予想ゲームに馬主ゲームを組み合わせる場合において、前記の課題を解決するために当然に採られ得る手段である。
・特徴③ 活力値の計算方法は複数の未確定の数値を基に確定的な数値を算出しようとする場合の計算方法として、通常よく採られる方法を超えるものではない。
・特徴④ 本件ノウハウの特許性を根拠付ける事情には当たらない。

このように、裁判所は、本件ノウハウは特許性がないとして、その対価請求も認めませんでした。この判断は、前回のブログで紹介した裁判例と同様の判断であると思われます。

しかしながら、上記特徴④は発明の効果を示していると思われるものの、上記特徴①~③の組み合わせは、本当に特許性がないのでしょうか。
特徴①~③の構成要件を一つの組み合わせとして特許出願すると、経験的には特許庁の審査では進歩性が認められ特許査定となる可能性もあるように思えます。
このため、仮に本件ノウハウが特許出願され、特許査定となっていたならば、原告(控訴人)は被告会社の社内規定に沿って裁判を行うことなく何らかの対価が得られていた可能性があったようにも思われます。
すなわち、従業員は自身の発明から対価を得るためには、当該発明をダメ元でも会社に特許出願してもらうという傾向になり得るでしょう。
もし、そうような傾向が強くなると、発明は特許出願して欲しいという開発側の圧力が強くなり、本来特許出願すべきでない発明も特許出願することとなり、企業は適切な知財戦略が構築できなくなるかもしれません。
そのような事態に陥らないためにも、新たな技術を開発した従業員に対しては、特許出願の有無に関係なく、十分な評価を行う体制が必要となるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年12月4日日曜日

判例紹介:ノウハウの保護について

自分の理解としてはノウハウ=営業秘密ではありません。ノウハウは営業秘密よりも広い概念であると考えています。ノウハウは営業秘密のように法的に定義されていないので、ノウハウの保有者が「これが自社のノウハウだ。」と言えば、それは秘密管理されていなくても公知であってもノウハウであると思います。しかしながら、そのようなノウハウが法的に保護されるかどうかは分かりません。

ここで、ノウハウの保護に関して争った裁判例(東京地裁令和3年12月7日判決 平30(ワ)38505号・令2(ワ)27948号)があります。
本事件は、本訴原告(反訴被告)が本訴被告(反訴原告)らとの間で、原告をフランチャイザー、被告会社をフランチャイジーとして、薬局営業に関するフランチャイズ契約を締結しました。
そして、本訴では原告が、フランチャイズ契約において契約終了後の閉店義務及び競業禁止義務が定められていたにもかかわらず被告会社はこれらの義務に反し、本件各店舗を閉店せず、競業する薬局営業を継続していると主張し、被告らに対してフランチャイズ契約における閉店義務及び競業禁止義務に基づき,本件各店舗の営業の差止め等を求めました。
一方、反訴では被告らが、原告はフランチャイズ契約に基づく経営指導支援やノウハウの提供等を行わなかったことなどから当該フランチャイズ契約は公序良俗に反し無効であると主張し、原告に対して不当利得返還請求権に基づきロイヤリティ相当額の返還等を求めました。

このように、ノウハウの保有者は原告であり、被告は当該ノウハウの提供を原告から受けています。なお、原告は当該ノウハウについて、営業秘密との比較で以下のように、ノウハウは広く保護されるべきであると主張しています。このため、原告は、当該ノウハウについて有用性についての自身があまりなかったのかもしれません(秘密管理の対象ともしていなかったのかもしれません。)。このノウハウは、1000頁にも及ぶ各種マニュアルとして被告らに提供されていたようです。
❝保護すべきフランチャイザーのノウハウは,不正競争防止法にいう営業秘密と同様に解する必要はなく,フランチャイズチェーンが展開する事業の営業にとって有用な情報であり,フランチャイザーからフランチャイジーに提供されるものであれば足り,また,ノウハウの有無は,個別に要素を分解して判断すべきではなく,全体として統合されたものとして非公知性や有用性が認められれば広く保護の対象とされるべきである。❞
一方、被告は当然というべきか、保護されるノウハウは営業秘密と同様の水準であると主張しています。
❝ここでいうノウハウは,不正競争防止法で保護される営業秘密に近い水準のものを意味し,当該ノウハウについて,①秘密管理性,②有益性,③非公知性の観点から流出を防ぐ必要が認められると評価できるものでなければならない。❞
また、原告のノウハウは、以下のようなものであり、原告の独自のノウハウともいえるものであったようです。
❝ア 原告によるフランチャイズシステムは,米国において調剤薬局のフランチャイズ展開を業とするMSIと原告との間の本件マスターライセンス契約に基づき,原告が日本国内における独占実施権を得た上で,MSIのフランチャイズシステムによる調剤薬局及びそれに関連するヘルスケア事業についての経営ノウハウと,原告が開発するなどした調剤薬局及びそれに関連するヘルスケア事業のための独自の経営ノウハウを活用して,日本における調剤薬局のフランチャイズを行うことを目指すものであった。・・・
イ もっとも,米国と日本とでは,調剤薬局に関する制度の相違があり,MSIのノウハウをそのまま日本に適用することができなかったことから,原告は,MSIの米国におけるノウハウを,原告独自のノウハウも踏まえて日本の制度の下でも利用することができる形に改変して利用していた。原告は,そのような改変は結局のところ原告独自のノウハウを利用して行われたものと評価できるとの判断に至り,また,一定の出店数を下回った場合にMSIから反則金を課せられることなどから,平成27年7月1日,MSIとの間での本件マスターライセンス契約を,本件商標使用契約に変更した。これによって,原告は,MSIの商標の使用を継続する一方で,MSIのノウハウを使用することはなくなり,本件各契約におけるフランチャイザーの義務の履行についてもMSIのノウハウを使用しなくなった・・・❞

まず、被告らの主張である「フランチャイズ契約は公序良俗に反し無効である」に対して、裁判所は以下のように被告らの上記主張を認めませんでした。
❝・・・調剤薬局においては,保険調剤における薬剤の種類,品質,数量,価格といった提供する商品の主要な部分は,関係法令による規制の下にあり,また,調剤薬局において薬剤を自由に勧めることができるわけでもないから,主要な業務である保険調剤によって提供する商品の部分についてノウハウが影響力を持ち得る範囲は乏しいものといえる。また,前記1(1)アで認定したとおり,保険薬局では,顧客を誘引する方法も制限されているため,顧客の獲得に関するノウハウが成立する領域も制限される。以上のように,調剤薬局についてのフランチャイズ契約については,そのノウハウが成り立ち得る領域が,一般的なフランチャイズ契約と比して,大きく制限されるということができる。
しかし,被告らも自認するように,顧客が利用する調剤薬局を選択するに当たっては,特に門前薬局について,付近の医療機関等との位置関係が重要であるといえるから,調剤薬局の立地の選定等に関するノウハウは成り立ち得るし,また,同じ薬剤を処方するにしても,薬剤師による処方の手際の良さや正確性,顧客に対する接遇の良し悪しなどは顧客の獲得に影響し得るから,この点についてのノウハウも成り立ち得る(前記1(1)イ及びウ参照)。また,調剤薬局の新規開業(立地の選定を含む。),調剤薬局の運営(薬剤の仕入方法,人事,会計等を含む。)及び事業の承継等といった調剤薬局の経営面についてのノウハウは成り立ち得るといえる。以上の点に加え,調剤薬局についてフランチャイズシステムを現に展開し,あるいは少なくとも過去に展開していた調剤薬局が複数存在していることを併せ考慮すれば(甲65ないし甲71,乙12ないし乙15,乙32),調剤薬局においてフランチャイズ契約というものがおよそ成り立たないということはできない。したがって,調剤薬局においてはフランチャイズ契約というものがおよそ成り立たないということを前提として本件各契約が公序良俗に反するとする被告らの主張は,採用することができない。
このように、裁判所は、フランチャイズ契約は調剤薬局であるため、ノウハウが成り立ち得る領域が一般的なフランチャイズ契約と比して,大きく制限されると認定しつつも、当該ノウハウが成り立ち得ること領域も認め、当該ノウハウの提供が無くフランチャイズ契約は公序良俗に反し無効であるといった被告の主張は認めませんでした。すなわち、当該ノウハウは、フランチャイズ契約が妥当であったと言える程度の有用性はあったとの判断のようです。

それでは、原告による被告に対するフランチャイズ契約における閉店義務及び競業禁止義務違反という主張はどうでしょうか。
まず、裁判所は、閉店義務又は競業禁止義務を課す契約条項は、下記のような場合には公序良俗に反し無効になる、と述べています。
❝・・・フランチャイズ契約終了後に,フランチャイジーに対し,閉店義務又は競業禁止義務を課す場合には,独立の事業者であるフランチャイジーの営業の自由や所有権等に対する相当程度の制約が生じることになるから,フランチャイザーのノウハウの流出等による不利益の防止や,フランチャイザーの商圏を維持するための必要性など,フランチャイザー側の利益と,フランチャイジーの営業の自由等の制約の程度など,フランチャイジー側の不利益とを総合考慮した上で,フランチャイジーに対する過度な制約となる場合には,そのような制約を定める契約条項は,公序良俗に反し無効になるというべきである。❞
そして、裁判所は、上記のように顧客獲得等に関するノウハウが成り立ちうる領域は,相当程度制限される、と認定したうえで、以下の理由から、原告には本件各義務条項による保護に値するほどのノウハウがあると認めるには足りない、と判断しました。
❝原告は,前記1(4)及び前記2(2)アないしウでみたとおり,被告会社に対して一定の薬局運営のノウハウを提供していたということはできるものの,その内容は,各種法規制や種々の書籍等に分散している情報や原告のフランチャイズにおいて保有している知見等を集約し,体系化したマニュアルを作成し提供することや,定期訪問などを通じて随時,各種の情報の提供をすることなどにとどまっている。以上でみてきたところによると,原告が提供していたノウハウの内容は,上記のような日本の調査薬局の法制度の下では必然的に,非公知の内容,その時々の顧客のニーズ等の流行に対応した新鮮な内容又は他の調剤薬局との差別化を図り得るような個性的な内容を含むものとはならない面があり,実際にも原告から提供されたノウハウが顧客獲得に当たって果たす役割は相当限定的であったと考えられることからすれば,原告が被告らに提供していた調剤薬局運営のノウハウは,契約期間中にその対価としてロイヤリティを支払う義務を生じさせる程度のものではあったとはいえるものの,本件各義務条項を課すことによってフランチャイズ契約の期間終了後においてもなお一定期間流出を防止する必要があるほどの非公知性ないし有用性を認めることは困難であるというべきである。
このように、原告主張のノウハウはフランチャイズ契約が妥当であったと言える程度の有用性はあったと判断したものの、そのフランチャイズ契約が終了した後にまで保護されるほどの有用性はない、との判断のようです。
何とも微妙な判断のような気がしますが、営業秘密ではないノウハウという視点からすると、妥当なのかもしれません。すなわち、何らかの保護や権利を主張できるノウハウとは、それ相応の価値(有用性)を有している情報に限定されるということなのでしょう。そして、この有用性とは営業秘密で言うところの有用性と同様ということなのかと思います。
一方で、十分な有用性を有するノウハウであれば、それは何らかの権利や保護の対象になり得るのかと思います。そのときは、ノウハウであって、営業秘密ではないため、秘密管理性については特段判断されないのかとも思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信