2020年6月5日金曜日

「知的財産に関する新型コロナウイルス感染症対策支援宣言」純粋に知財の視点からどうなのか?

コロナ対策の一つとして「知的財産に関する新型コロナウイルス感染症対策支援宣言」に賛同した企業が続々と現れています。
この宣言の趣旨は「我々は、新型コロナウイルス感染症の診断、予防、封じ込めおよび治療をはじめとする、新型コロナウイルス感染症のまん延終結を唯一の目的とした行為に対しては、一切の対価や補償を求めることなく、我々が保有する特許権・実用新案権・意匠権・著作権の権利行使を一定期間行なわないことを宣言します。」というものであり、他社の特許権が製品開発の障壁ともなり得ることを鑑みると、非常に理解できるものです。

一方で「新型コロナウイルス感染症のまん延終結を唯一の目的とした行為」を宣言の対象としているものの、自社が保有する特許権等の独占排他権を放棄する行為であり、宣言を行った企業に相当高いリスクを生じさせる行為であると考えられます。
そもそも「まん延終結を唯一の目的とした行為」が一体どのような行為であるのかも明確ではありません。この行為は必ずしも、非営利行為というわけではないでしょうし、多額の利益を得るような行為も含まれるのでしょう。
また、宣言の終了を世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルス感染症まん延の終結宣言を行う日までとしていますが、これも何時なのかはわかりません。最悪、終結宣言が行われないかもしれません。そうすると、文言上、権利不行使は未来永劫となってしまいます。

すなわち、自社の特許権によって実施できなかった技術を導入した製品を他社が製造販売できることとなり、それによって当該他社が利益を上げることを容認することとなります(後述するように宣言には権利不行使の範囲を制限することも可能です)。
その結果、他社が大きな利益を得、ブランド価値を高め、自社の強力な競合他社に成長する可能性もあるでしょう。
また、コロナ対策を純粋にビジネスチャンスと捉えた場合、他社への特許権の不行使により、そのビジネスチャンスを逃す又は利益の最大化に失する可能性もあり得ます。


そういう懸念もあるためでしょう、この宣言は無条件に権利行使を行わないというものではなく、宣言者の意思により権利不行使の範囲も制限することができます。

このホームページでは、「COVID対策宣言書の対象範囲、期間その他に一切の制限を設けていない宣言者」と「権利不行使の範囲を制限した宣言者」とを明確に分けて記載しており、その宣言の内容、すなわち権利不行使の範囲を第三者が確認できるようになっています。
なお、6月3日に確認したところ「COVID対策宣言書の対象範囲、期間その他に一切の制限を設けていない宣言者」は45社であり、「権利不行使の範囲を制限した宣言者」は29社であり、制限を設けない宣言者の方が多くなっています。

ここで、権利不行使の範囲の制限にはどのようなものがあるのかを確認しました。下記はそのなかの一例です。

1.権利を実施するものは通知、同意を必要とする。
2.権限の対象を非営利目的のみとする。
3.適用範囲を日本とする。
4.宣言の終了時期をまん延終結前に定める。
5.適用外とする技術分野を定める。
6.自社の単独所有の権利に限定する。
7.権利を実施するものは権利を使用した製品の販売実績を開示する。
8.著作権は適用外とする

やはり、通知や同意を必要とするという制限を設けている宣言者が多く見られました。最低限このような制限を設ける必要はあるのではないでしょうか。この制限により、権利不行使の対象を権利者が有効的にコントロールすることが可能となるので当然でしょう。
また、宣言の終了時期を制限として定めた宣言者も多数でした。

さらに、単独所有の権利に限定するという制限を設けている宣言者も複数ありました。特許出願は共同出願も多数存在するため、このような制限も必要でしょう。その一方で、実施許諾をしている権利を権利不行使の範囲外とするとのような制限を設けたものはありませんでした。何ら制限を設けなかった宣言者は、共願案件や実施許諾をした権利も保有しているでしょうから、共願者や許諾者には何か説明をしているのでしょうか?

そして、このような宣言内容であるため、当然賛同しない企業もあります。
特に、製薬メーカーは宣言者にいないようです。コロナワクチンや治療薬等を先に開発できれば、大きな利益を得る可能性があるため企業としては当然の判断でしょう。コロナワクチン等の開発製造は、明らかに「新型コロナウイルス感染症のまん延終結を唯一の目的とした行為」でしょうから、この宣言を行うことは大きなビジネスチャンスを失う可能性がありますから。

この宣言において、多くの企業が何ら制限を設けていないことには驚きました。
制限を設けていない企業は、宣言を行っても自社の利益に与える影響は微々たるものであるという判断なのでしょう。それとも、単に知財(特に特許権)というものを重要視していないのでしょうか?もしかしたら、公報等で開示している知財は自社の強みではなく、秘匿化している知財こそ強みであり、それは守られているという判断もあるのかもしれません。

この宣言を行うか否か、宣言に制限を設けるか否か、これは企業における知財に対する深い判断(無意識の判断もあるでしょう)があると思います。この宣言から、各企業が知財をどのように考えているのかの一端を垣間見れる気がします。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年5月28日木曜日

-判例紹介ー 取引先に営業秘密を開示したものの、その非公知性が否定された裁判例 その2

前回紹介した、取引先と秘密保持契約を締結して情報を開示したものの、その情報は営業秘密ではないとされた裁判例(東京地裁 令和2年3月19日 平成20年(ワ)23860号)の続きです。
本事件において原告は、シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の原材料として「 東レ(株) DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤 」を用いることを営業秘密であると主張しました。しかしながら、裁判所は当該情報について営業秘密性を認めませんでした。

一方で原告は、さらに、被告が被告製品のPMDA申請に際してシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの端部を丸みを帯びた形状とするという情報を開示した行為が本件秘密保持義務違反に該当するとも主しました。
確かに、秘密保持契約を締結していれば、秘密保持の対象とする情報が営業秘密でなくても、秘密保持契約に違反した使用をしていれば民事的責任を問えるでしょう。しかしながら、これについても下記のように裁判所は認めませんでした。

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皮膚バリア粘着プレートの原材料にシリコーンゲルを用いるという情報が,本件契約前の交渉段階から既に公知の情報であったことは上記(第4の1)認定のとおりである。また,その端部を丸みを帯びた形状とするという点も,絆創膏などの代表的な皮膚保護剤や原告製品に先行して販売されていたシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの形状からも明らかなように,その端部は角張った形状か丸みを帯びた形状の製品が多く(公知の事実及び前記認定事実1(1),シカケアの説明文書においても角を丸くした形でシカケアを切って手術痕等に貼付する方法が説明されていること(前記認定事実1(1)ア)などに照らすと,皮膚バリア粘着プレートの端部を丸みを帯びた形状とするという情報は,本件契約前の交渉段階から既に公知の情報(本件契約の契約書第9条③の4)といえる。そうすると,原告が指摘する情報は,いずれも「相手方の技術上及び取引上の情報」(同契約書第9条①②)に該当するとは認められない。
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ここで、原告と被告とが締結した秘密保持契約は下記のものです。

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第9条(秘密保持義務) 甲(原告)と乙(被告)は、事前に相手方の書面による承諾を得なければ、次の情報を第三者に開示または漏洩してはならない。   
① 本件契約及び個別契約の締結前に行われた交渉の段階において、図面・仕様書・資料・材料・型・設備・見積依頼・口頭の説明、その他により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報。   
② 前項のほか、本件契約及び個別契約により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報   
③ 前項の規定は、次の各号に定める情報には適用しない。 
 1 相手方から知り得た時点で,既に保有している情報 
 2 独自に開発した情報 
 3 秘密保持義務を負うことはなく,第三者から正当に入手した情報 
 4 公知になった情報
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すなわち、裁判所は、秘密保持契約にも「公知となった情報」は秘密保持を適用しないとの規定が設けられているために、公知であるとして営業秘密と認められなかった情報も、秘密保持の対象とはならないと判断しました。

このような事例は、本事件だけではありません。以前に紹介した攪拌造粒機事件があります。
この事件では原告が被告に攪拌造粒機の製造を委託し、秘密保持契約を締結して図面を被告に開示したものの、委託契約が終了した後に被告が当該図面を使用して攪拌造粒機を製造販売したというものです。この事件では、原告製品は所謂リバースエンジニアリンが可能でり非公知性を喪失していることを理由に、裁判所は原告製品図面を営業秘密とは認めませんでした。
そして、原告は、被告による秘密保持契約違反も主張しましたが、この秘密保持契約も公知となった情報を秘密保持の対象から除外する規定が設けられていたために、認められませんでした。

このように、秘密保持契約を締結していても、公知となった情報は秘密保持の対象から除外する等の規定が設けられていれば、非公知性が喪失しているとして営業秘密と認められなかった情報は、秘密保持の対象からも除外されることになります。

これは、特別なことではなく、上記のような除外規定が設けられていれば当然のことです。
今回紹介した事件では、原告は既に非公知性を失っている情報であるにもかかわらず、当該情報が営業秘密のみならず、被告との間で締結した秘密保持の対象になると考えていました。その結果、不要な争いとなってしまいました。
このようなことから、自社が秘密と考える情報は、秘密保持の対象となり得るのかを十分に検討し、相手先と契約を締結する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年5月22日金曜日

-判例紹介ー 取引先に営業秘密を開示したものの、その非公知性が否定された裁判例

今回は、取引先と秘密保持契約を締結して情報を開示したものの、その情報は営業秘密ではないとされた裁判例(東京地裁 令和2年3月19日 平成20年(ワ)23860号)について紹介します。

本事件において、原告と被告は、平成27年10月8日に原告が被告に対して皮膚バリア粘着プレートの製造を委託することなどを定めた製造委託契約(以下「本件契約」という。)を締結しました。
この本件契約の契約書第9条には以下の記載があります。

第9条(秘密保持義務)
甲(原告)と乙(被告)は、事前に相手方の書面による承諾を得なければ、次の情報を第三者に開示または漏洩してはならない。  
① 本件契約及び個別契約の締結前に行われた交渉の段階において、図面・仕様書・資料・材料・型・設備・見積依頼・口頭の説明、その他により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報。   
② 前項のほか、本件契約及び個別契約により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報  
③ 前項の規定は、次の各号に定める情報には適用しない。
    1 相手方から知り得た時点で,既に保有している情報
    2 独自に開発した情報
    3 秘密保持義務を負うことはなく,第三者から正当に入手した情報
    4 公知になった情報

そして、原告は、平成27年11月17日に独立行政法人医薬品医療機器総合機構に対し、皮膚バリア粘着プレート「マムズケア(Mom’s Care)」の一種で、帝王切開用の「マムズケア 16(Mom’s Care 16)」(以下「原告製品」という。)について、医療機器製造販売届(以下「PMDA申請」という。)をしました。また、被告も、平成27年12月28日に被告製品のPMDA申請をしました。

原告は、平成28年1月18日に被告に対し、東レ・ダウコーニング社(訴外東レ)が製造・販売する、粘着面の原材料として記載されている「DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤」(本件東レ製品)を原告製品の粘着面に用いることを提案し、原告と被告は原告製品について、原材料として粘着面に原告が支給する本件東レ製品を使用し、非粘着面に「Mom’s シリコーン」を使用することを合意しました。

なお、原告製品は、皮膚に接する粘着性のあるシリコーン面と、粘着性のない面からなる伸縮性に富んだシリコーンシートであり、帝王切開手術専用の皮膚バリア粘着プレートであり、原告製品は、帝王切開手術の手術痕に貼付することにより皮膚バリアとして外部からの刺激等を和らげるとともに、手術痕が瘢痕やケロイドになるのを予防するものです。

原告は平成28年2月24日から現在に至るまで原告製品を販売し、被告は平成28年2月22日から同年6月20日までの間、本件契約に基づいて原告製品を製造して原告に納品したものの、本件契約は平成28年10月8日に終了しました。

そして、被告は、遅くとも平成29年12月1日には被告製品の販売を開始しました。この被告製品は、粘着性のあるシリコーン面と粘着性のないシリコーン面からなる伸縮性のあるシリコーンシートであり、切開手術、腹腔鏡手術の手術痕などの皮膚部位を保護し、手術痕が肥厚性瘢痕やケロイドになるのを防止する皮膚バリア粘着プレートであり、その粘着面には本件東レ製品が用いられています。



このような経緯の元、本事件において原告は、シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の原材料として「 東レ(株) DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤 」を用いることを営業秘密であると主張しました。
そして、原告は、帝王切開手術の手術痕の保護に適したシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートという原告のアイディアを被告が模倣し、原告製品のPMDA申請から約1か月後に、原告に何らの説明もなく被告製品のPMDA申請をしただけでなく、平成28年8月以降、本件東レ製品を用いて原告製品と同じ形状・サイズの被告製品を製造・販売したことが、被告が「不正の利益を得る目的」(不正競争防止法2条1項7号)をもって本件情報を使用したと主張しました。

 これに対して裁判所は、以下のようにして原告主張の営業秘密の非公知性を否定しました。「手術痕や傷痕を保護するためのシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートが本件契約の数年以上前から複数の会社から製造,販売されていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤の粘着技術が遅くとも平成元年頃からは傷の治療に用いられていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤である本件東レ製品が遅くとも平成20年12月頃には販売され,同時期に発行された業界雑誌において製品の特性等も踏まえて紹介されていたことのほか,訴外東レが,本件東レ製品について,瘢痕治療を含む皮膚への付着を対象とする製品であること及び日本国内だけでなく海外にも広く供給することが可能であることなどを自社のウェブサイトにおいて紹介していることが認められる。
 (2)  以上によれば,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面に本件東レ製品を用いることができるという情報は,平成27年7月までには,広く知られていた情報であったといえる。本件東レ製品はそのような用途で用いられる汎用品であるから,少なくとも,原告が,原告製品の製造等を依頼するためにエフシートを持参して被告を訪問した平成27年7月16日時点において,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の材料として本件東レ製品を用いるという本件情報が非公知の情報であったとは認められない。

一方、原告は、本件東レ製品は医療用に開発された特殊素材の製品で、医療品への使用用途以外にはメーカーに卸してもらえない製品であり、一般に市場に出回っている原材料ではないと主張しました。しかしながら、これに対しても裁判所は、本件東レ製品を使用するのに一定の手続を要したとしてもそれは本件情報の非公知性に影響しないと判断しました。

このように、本事件では、原告が営業秘密であると主張する情報に対する非公知性が否定され、当該情報は営業秘密ではないとされました。
これにより、原告と被告とで締結した秘密保持契約の対象となる情報から、当該情報が除外されることとなります。

次回に続きます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信