2020年9月13日日曜日

野村証券顧客情報流出事件

前回のブログでは、営業秘密(技術情報)の流入リスクについて述べました。
そうしたところ、営業秘密(顧客情報)の流入リスクを感じさせる事件が起きました。
野村証券の元社員が顧客情報を転職先(日本インスティテューショナル証券)へ流入させ、転職先で開示したというものです。

野村證券と日本インスティテューショナル証券とのプレスリリース及び報道によると、正確には、顧客情報の流出があったとの発表のみで、今のところ、刑事事件化及び民事訴訟には至っていません。このため、正確には”事件”ではありませんが、野村證券は法的措置も検討しているとのことなので今後、刑事事件化及び民事訴訟が提起されるかもしれません。

今回の野村証券の顧客情報流出で考えさせられることが下記のようにいくつかあります。
①元社員が野村證券の他の従業員を巻き込んでいること。
②転職先の証券会社の営業がどのようになるのか?
③顧客情報の発覚が転職先証券会社の内部通報であること。

流出した顧客情報が営業秘密に該当するという前提で上記①~③を考えたいと思います。

<①元社員が野村證券の他の従業員を巻き込んでいること。>

報道によると、元社員は「昨年10月から日本インスティテューショナルに勤務。今年1~7月に複数回にわたり、かつて部下だった野村社員に「社員教育のため」などとして、顧客の取引内容や野村とのやりとりに関する情報の提供を求め、入手していた。」(JIJI.COM「野村、275社の情報流出 元社員が関与、法的措置検討」)とあります。
このように、今回の顧客情報の流出に関して、部下であった野村証券の社員が関与しています。

この部下だった社員は、実際に不競法違反にあたるのか不明です。
その理由としては、元社員が「社員教育のため」といって情報の提供を求めたということから、野村社員は「不正の利益を得る等」の目的意識がなかったかもしれません。ただし、元社員から情報提供に際して金品の提供等を受けた場合には「不正の利益を得る目的」があったと解されるでしょう。
一方で、「不正の利益を得る目的」がなかったとしても、この部下であった社員は野村証券の就業規則等に反することになるでしょうから、野村証券から何らかの処分を受けることにはなるでしょう。今回の件は、金融庁からも説明を求められており、相当厳しい処分もあり得るのではないでしょうか?

このように、転職した元上司等から会社の情報提供を求められる場合があるようです。そのような場合には、元上司だとしても絶対に断るべきです。当該情報が営業秘密である場合には不競法違反に加担することなります。その結果、自身が刑事罰を受ける可能性もあります。「不競法違反になることを知りませんでした。」ではすみません。

また、この元社員は自身の行為が法に触れることを強く認識していたかもしれません。
その理由は、自身の営業活動に用いるつもりであるにもかかわらず、「社員教育のため」と嘘の理由をついて入手したことにあります。これは、元部下に違法性を感じさせないためについた嘘かもしれません。
また、転職と共に営業秘密を持ち出す事例では多くの場合、自身が在籍中に自身の手で持ち出します。しかしながら、最近では、退職者が退職前にどのような情報にアクセスしていたか、アクセスログを確認して営業秘密の持ち出しの有無を確認する企業も多いです。
野村証券もそのようなことをしているのかもしれません。そうすると、退職時に自身が持ち出すことは非常にリスクが高くなります。そこで、自身が退職した後に部下を介して顧客情報を取得したのかもしれません。
そうすると、この元社員は相当悪質性が高いとも思えます。


<②転職先の証券会社の営業がどのようになるのか?>

次に、元社員の転職先である日本インスティテューショナル証券は今後、今まで通りに営業活動ができるのでしょうか?
今回の顧客情報は、法人顧客275社に関する情報とのことです。日本インスティテューショナル証券は、当然、当該顧客情報を使用しないと野村証券に説明するでしょう。なお、JIJI.COMの報道には「第三者への流出は確認されておらず、情報は廃棄処理などを済ませたという。」とあります。
しかしながら、顧客情報に含まれていた275社のうち、日本インスティテューショナル証券の社員が何れかに営業を行なったとしたら、たとえ、当該顧客情報を使用していないとしてもその使用が疑われる可能性が考えられます。そうすると、日本インスティテューショナル証券は、当該顧客情報に含まれていた275社には今後営業に行けないことになります。

これが、営業秘密の流入リスクです。
有体物であれば、その破棄を客観的に確認することができます。しかしながら、知的財産でもある情報は無体ですので簡単にコピーを生成できます。このため、当該情報を破棄したと主張しても、それが本当であるのかは明確には分かりません。ある意味、永遠に不正使用が疑われることになります。

ここで、日本インスティテューショナル証券のホームページの会社概要を見ると、日本インスティテューショナル証券は、日興アセットマネジメント株式会社の100%子会社であり、従業員数も親会社との兼務者を含めて17とあります。今後、満足のいく営業活動ができない事態となれば、親会社としては日本インスティテューショナル証券の解散も視野に入るのではないでしょうか?

<③顧客情報の発覚が転職先証券会社の内部通報であること。>

JIJI.COMの報道には「日本インスティテューショナル社員の内部通報で8月下旬に発覚した。」とあります。これは、日本インスティテューショナル証券にとっては幸いだったと思います。例えば、日本インスティテューショナル証券に転職した元社員が野村証券の顧客情報を長く使用して営業をおこなったとすると、野村証券の被害が大きくなり、訴訟となった場合に日本インスティテューショナル証券の損害賠償額も大きくなるからです。

私は、営業秘密の流入を100%防止することはできないと思います。殺人が犯罪であることを理解しているにもかかわらず殺人時間が無くならないことと同様に、営業秘密の漏えい(不正取得)が犯罪であると理解しても、営業秘密を漏えいする人がゼロとなることはないでしょう。
そうすると、違法と理解していても不正取得した営業秘密を転職先等に持ち込む人もゼロにはなりません。そうであれば、不正取得された営業秘密が流入したとしてもそれを早期に見つけ出す体制を企業は整えるべきでしょう。

日本インスティテューショナル証券がそのような体制を整備していたかはわかりません。
しかしながら、内部通報によって発覚したということなので、転職してきた野村證券の元社員の違法行為に気が付いた社員がおり、日本インスティテューショナル証券自体もそのような不正行為を隠し立てせず、野村證券へ顧客情報の流入があったことを伝えることができたと思われます。このことは、結果的に、お互いの損害を小さくすることにもつながり良かったことであり、他の企業も参考にすべきことだと思います。

以上のように、この事件(事件化していませんが)は、ありがちな顧客情報の流出でありますが、実は営業秘密の流出・流入について考えさせられる事件でもあります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年9月7日月曜日

判例紹介:日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決 -他社の営業秘密流入リスクー

しばらく前に日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決(名古屋地裁令和2年3月27日 平28(わ)471号 ・ 平28(わ)662号)が出ていました。日本ペイントの営業秘密を持ち出したとされた被告人は、一審地裁判決では懲役2年6月(執行猶予3年)及び罰金120万円となっています。

この事件は、塗料の製造販売等を目的とする当時の日本ペイント株式会社(判決文ではa社)の子会社であるb株式会社の汎用技術部部長等として、被告人が商品開発等の業務に従事していました。そして、被告人は、a社の競合他社である菊水化学工業株式会社(判決文ではc社)にa社の営業秘密を漏えいし、自身もc社の取締役に就任したというものです。なお、被告人は、a社の元執行役員でもあったようです。


この刑事事件判決文は営業秘密を理解する上で参考になることがいくつかあり、今回は他社の営業秘密の流入リスクについて考えてみたいと思います。

まず、どのようにして被告人がc社に営業秘密を漏えいさせたのでしょうか?

判決文によると、被告人はb社に在籍中、同社本社内において本件情報(a社の塗料である○○及び△△(本件各塗料)の原料及び配合量)が記載された商品設計書を取得して、これを基に本件各塗料の原料及び配合量の情報についての電磁的記録(○○に関するものを「完成配合表①」、△△に関するものを「完成配合表②」)を作成しました。

そして被告人は、c社において完成配合表①を基に作成した「●●:ホワイト」と題する書面(以下「推奨配合表①」という。)をc社の従業員Aらに手渡しました。さらに被告人は、完成配合表②を基に作成した「▲▲:ホワイト」と題する電磁的記録(以下「推奨配合表②」)を添付した電子メールをc社の従業員Bに送信しました。

なお、被告人はc社に配合表を提供する前に、自ら提案書を持参してc社に赴き、被告人がb社を退職して塗料ビジネスコンサルタントを始める予定であることを伝え、被告人とのコンサルタント契約の締結を持ち掛けていたとのことです。すなわち、当初、被告人はb社を退職した後にc社のコンサルタントとなるつもりだったようです。

そしてc社は被告人により開示された○○に係る情報を用いて塗料「●●」を,△△に係る情報を用いて塗料「▲▲」を,それぞれ開発製造して販売しました。
その結果、被告人はa社から営業秘密の領得等により刑事告訴され、c社はa社から民事訴訟を提起されています。さらに、報道によると「事件を受け、菊水化学は住宅向け塗料など一部製品については昨年3月から販売を中止している。」(Sankei Biz 2017.7.15「日本ペイントが菊水化学を提訴」)とのことです。

まさに、c社(菊水化学)は他社の営業秘密が流入したことにより、訴訟となり、自社製品の販売停止まで至っています。これが他社の営業秘密流入リスクの典型例です。


では、c社はどうするべきだったのでしょうか?
被告人からコンサルタント契約の打診を受けるまではいいでしょう。このようなことは、少なからずあることでしょうし、コンサルタント契約の打診だけでは営業秘密の開示を受けたことにはなりません。

一方、被告人から推奨配合表①,②を受け取ったことは非常に良くないことです。
この時点で、推奨配合表①,②には被告人の所属企業であったa社又はb社の営業秘密が含まれていることをc社は想定するべきでした。

具体的には、推奨配合表①は手渡しだったので、その場で被告人に返却するべきでした。
また、推奨配合表②はメールで送付されたので返すことはできません。そこで、このメールはc社内で不特定の従業員の目に触れないように管理したうえで、被告人にa社又はb社の営業秘密が含まれていないことを確認するべきでしょう。
もし、営業秘密が含まれていないと被告人が主張するのであれば、a社又はb社にそれが事実であるか否かを確認することの同意を被告人から得るべきでしょう。そこまでやれば、被告人の反応から営業秘密が含まれているか否かが分かりますし、もし、含まれているという確信があればa社又はb社へその事実を通知し、c社は被告人による営業秘密の領得には関与していないことを伝えるべきでしょう。
営業秘密の領得等は犯罪ですので、そのような犯罪行為があったことを被害企業に伝えることは当然の行為です。また、それにより、自社の潔白を被害企業に認識させることにもあるでしょう。

上記のことを考慮する必要があるにもかかわらず、被告人から受け取った情報をもとに、製品を製造販売するということは最も悪手であり、c社が当該製品の製造販売の停止にまで追い込まれることは当然でしょう。

ここで、被告人から推奨配合表①,②を受け取ったc社の従業員A,Bがどのような立場の人物であったかは判決文からは分かりません。技術開発を行う人物であったかもしれませんし、経営に携わる人物であったかもしれません。しかしながら、どのような立場の人物であったも、他社の営業秘密の流入リスクは認識し、対応できるようにしなけらばならないでしょう。

昨今、人材の流動性は高まっており、この流れは益々促進されるでしょう。さらに、SNS等により、個人間のやり取りも容易です。すなわち、自社に他社の営業秘密が流入するルートは会社の公の窓口(人事、転職サイト等)だけでなく、あらゆる可能性があります。
そうすると、全従業員が営業秘密についてある程度の理解を有する必要があります。
自社の営業秘密を漏えいすることが違法であるだけでなく、他社の営業秘密の使用が違法であることを正しく認識させる必要があります。
これを怠った結果がまさにc社の結果でしょう。

なお、c社はa社から民事訴訟を提起されています。提訴は2017年であり、営業秘密の民事訴訟は2年前後で一審判決がでる傾向があるので、すでに判決が出る頃かと思いますが出ていません。このため民事訴訟は既に和解している可能性もあるかと思います。c社は既に当該製品の製造販売を停止していますし、a社が納得する賠償金を支払うことに同意していれば、和解には至るでしょう。また、この刑事事件の判決文を見ると、c社が刑事事件に対して協力的であったとも思えます。
次回は、被告人がリバースエンジニアリングによる非公知性の喪失についても主張していますので、その点について検討したいと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年8月30日日曜日

自社技術の公知性管理

自社技術の公知性管理、分かるような分からないタイトルです。
何を言いたいかといいますと、自社技術は何が公知となっているか、換言すると営業秘密でいうところの非公知性を保っている自社技術は何かを正確に把握することです。

案外これを正確に把握している企業は多くはないのでしょうか?
その理由は、自社製品のリバースエンジニアリングによって、自社技術の何が公知となっているかを判断することは難しいと思われるからです。

ここで、特許出願を行う場合、製品化により新規性が失われるので製品化の前に特許出願を行うことが一般的です。そして、特許出願から一年半後に特許公開公報という形で特許出願に係る技術情報は公知となので、特許出願では自社技術の何が公知となっているかは一目瞭然です。

では、営業秘密として管理されている技術情報はどうでしょうか?
営業秘密として管理している技術情報が公知となったか否かも、主に当該技術情報を用いた製品の販売の有無に依存します。このため、自社製品のリバースエンジニアリングによる非公知性喪失の判断基準の理解が必要不可欠となります。


この技術情報の非公知性判断を誤ると、既に公知となっている技術情報であるにもかかわらず、そのような技術情報を秘密であると扱い、その後の判断を誤る可能性が有ります。

例えば、秘密保持契約を締結して他社に開示した技術情報(ノウハウ)です。既に非公知性を失っているにも関わらず、非公知性を有していると誤って判断して開示し、当該技術情報を当該他社が目的外利用したとして裁判を提起した挙句に敗訴してしまうとか・・・。

また、逆の場合もあるでしょう。
本来、営業秘密としての非公知性を喪失していないにもかかわらず、自社製品のリバースエンジニアリングによって非公知性を喪失していると誤った判断を行い、秘密保持契約を締結しないままに当該技術情報を開示してしまうとか・・・。

私は2年前に「リバースエンジニアリングによる営業秘密の非公知性判断と自社製品の営業秘密管理の考察」という形で、リバースエンジニアリングによる非公知性喪失をまとめました。そこで分かったきたことは、機械構造に関する技術情報は自社製品のリバースエンジニアリングにより非公知性が喪失していると判断され易いことです。その理由は「計測すれば比較的簡易にわかる」とうことです。

また、合金の組成に関しても分析により非公知性が喪失していると判断された裁判例がありました。しかしながら、物質の組成に関する裁判所の非公知性判断は未だ多くはありません。このため、どのような物質の組成が製品化のリバースエンジニアリングにより非公知性を喪失するか否かは、裁判所の判断からは一律には分かりません。
そうすると、やはり自社でその判断を行う必要があるでしょう。少ない裁判例を拠り所とするものの、当該物質に対する分析手法を理解し、その分析手法によって非公知性を喪失しているといえるか否かを判断する必要があるでしょう。

そして、その結果に応じて当該技術情報を営業秘密として管理するか否か?それとも製品化の前に特許出願をするのか?あるいは、敢えて自由技術化して他社の使用を促して市場拡大を目指すのか?何が適切な技術情報管理であるか考えどころです。

弁理士による営業秘密関連情報の発信