2021年11月28日日曜日

光触媒市場の成長と粗悪品排除のための規格化から考える知財戦略(その1)

新しい技術分野の事業を起こして市場が拡大すると、他社による粗悪品があらわれることでその市場そのものの信頼性が揺らぐ場合もあるかと思います。
今回は、そのような事例である光触媒(主にTOTO)の知財戦略について考えてみようと思います。

まず、光触媒関連産業の全体動向として、「平成21年度特許出願技術動向調査報告書 光触媒 (要約版)平成22年4月 特許庁」のp. 54には下記のように記載されています。
❝光触媒は、1990年代前半になって蛍光灯等の微弱光でも有機物を分解することが見出され、同時に酸化チタンの薄膜コーティング技術が開発されたことにより、室内用抗菌タイルが開発された。1990年代後半には、酸化チタンの光励起親水化効果が、自動車ミラー、交通標識の防曇機能付与に極めて有効であることが見出された。また、光触媒による汚染物質の酸化分解機能と雨水等による洗い落としの複合効果としてセルフクリーニングが注目を集め、この分野における研究開発、事業化が加速した。❞
さらに、上記調査報告書のp.63における下記記載のように、日本は光触媒の特許権を多数取得しています。
❝光触媒の重要な2つの性質である光酸化力と超親水性のうち、超親水性についてはわが国のTOTOが基本特許・重要特許を押さえている。TOTOは、国内外の企業 90社以上に対して、基本特許・重要特許のライセンス供与を実施している。❞
以下では、TOTOの知財戦略が記載されている"オープンイノベーションによるプラットフォーム技術の育成 ー光触媒超親水性技術のビジネス展開のケースー"を参考にして、超親水性光触媒を発見したTOTOの知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめます。

<事業>
事業目的:
 光触媒を用いた製品の普及
事業戦略:
 TOTO研究者が発見した光触媒超親水性現象は下記の機能を有しており、この機能は広範囲なものであるため潜在的市場まで含めて機会を最大限活用する。
  ①水滴が残らない(流滴性)
  ②曇らない(防曇性)
  ③汚水で汚れが落ちる(セルフクリーニング性)
  ④水洗いで汚れがすぐ落ちる(易水洗性)
事業戦術:
 ・自社によるタイルビジネス、フィルムビジネスに超親水性の光触媒を使用。
 ・超親水性の光触媒に関する特許権を他社へライセンス。(技術を公開してビジネスパートナーを募り、共同開発により新規分野を開拓)

<知財>
知財目的:
 他社にラインセンスを行うための特許権の取得。
知財戦略:
 超親水性の光触媒に関する技術に対して、パテントマップを作成して網羅的に出願。
知財戦術:
 パテントマップに基づいて網羅的に特許出願を実行(2007年発表の上記論文によると特許出願件数450件)

このようにTOTOの知財戦略・戦術として、他社へのラインセンスを目的として、超親水性の光触媒に関する技術を網羅的に特許出願しています。また、その権利内容は技術的な特性から具体的な物質名や数値を含むものも多いようなので、技術を秘匿化するということもあまりなかったのでしょう。

TOTOのように自社開発技術について網羅的に特許出願するという企業は少なからずあるでしょう。網羅的な特許出願を行う場合も、その目的を明確にする必要があると思います。上記例においてTOTOは、"潜在的市場まで含めて機会を最大限活用する”という事業戦略のために”技術を公開して他社へライセンスする”という事業戦術を立案し、この事業戦術を知財目的として、網羅的な特許出願という知財戦略・戦術となります。
一方で、このような目的無く網羅的に特許出願すると、他社への牽制力というメリットよりも技術開示というデメリットの方が大きくなる可能性もあるでしょう。

なお、TOTOによるライセンス契約は2011年には国内81社、海外19社にまでなったとのことです。(参照:我が国ベンチャー企業・大学はイノベーションを起こせるか?~『戦後日本のイノベーション100選』と大学発イノベーションの芽~ 光触媒のイノベーション Innovation of Photocatalysis p.6の"TOTOの光触媒展開の経緯")
また、このライセンスには、”1業種につき1社だけが光触媒を利用した製品を販売できる”(参照:江藤学「標準化ビジネス戦略大全」日本経済新聞出版社 p.212 )という条件があったようです。この条件は、同様の製品を複数社が製造販売することで価格競争が生じることを防ぐ目的であろうと思われます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年11月14日日曜日

営業秘密と特許の先使用権

営業秘密と特許の先使用権とはセットで語られることがあります。
それは、前回のブログ記事で述べたように、自社開発の技術を営業秘密とすると他社が同じ技術を開発して特許権を取得する可能性があるためです。このような場合、他社の特許出願時に当該技術を実施等していたら先使用権を主張でき、その実施を継続できる可能性があるためです。

ここで、先使用権は特許法79条に下記のように規定されています。
❝(先使用による通常実施権)
第七十九条 特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。❞
特許法79条にあるように、先使用権を有するためには、❝特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者❞という要件を満たす必要があります。しかしながら、自社が他社の特許権について先使用権を有していると考えていても、この要件を満たしていることの証明に苦慮する企業は多いようです。
先使用権の主張を行う場合における他社の特許出願は既に数年~十数年前の場合であり、現時点において、そのときに当該事業又は事業の準備を行っていたかを証明する資料が自社内で散逸したり、失われている場合もあるためです。

そしてこの先使用権と営業秘密との関係についてですが、発明を秘匿化した場合に秘密管理措置が上記要件を満たす証拠となり得るのではないかと考える人もいるかもしれません。
しかし、発明に対する秘密管理措置と上記要件とは基本的に何ら関係はありません。
まず、発明が完成してそれを秘匿化するタイミングは、当該発明の実施又は実施の準備を始めたタイミングよりも数か月から数年前になるでしょう。このように、一般的に発明の秘匿化のタイミングと事業の開始又は準備のタイミングは異なります。

また、自社の発明をわざわざ秘密管理するのであるから、それは事業の準備に相当するのではないか、と考える人もいるかもしれません。ここで、事業の準備とはどのようなものであるかは、ウォーキングビーム事件最高裁判決で下記のように判示されています。
❝法七九条にいう発明の実施である『事業の準備』とは、特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が、その発明につき、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されていることを意味すると解するのが相当である❞(下線は筆者による)
上記のように、「事業の準備」とは、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、「即時実施の意図を有しており」かつ「その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されている」ことをいいます。本判決では、見積仕様書及び設計図の提出が、即時実施の意図を有し、それが客観的に認識される態様、程度であるとして、事業の準備と判断しています。

このように、事業の準備は「即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識され」なければならず、発明を単に秘匿化するという行為は、それを持って即時実施の意図とは認められない可能性が相当高いと思われます。
なお、秘匿化した図面に発明の内容が化体されており、当該図面を事業に用いる予定であれば、それを持って事業の準備であるとも考えられますが、その場合は秘匿の有無は先使用権の発生とは関係ありません。

以上のようにに、特許法の規定からして発明を秘匿化したからといって、当該発明に対する先使用権が発生するものではありません。従って、発明を秘匿化した場合には、別途先使用権主張ができるように、関連する資料の保存・収集を行う必要があります。


また、発明を秘匿化した企業の中には、他社の特許権を侵害した場合に先使用権の主張ができるように、当該発明を用いた事業又は事業の準備をしたことを証明する資料を予め公正証書として保管することを行っています。

では、このような公正証書の作成は営業秘密の秘密管理措置にもなり得るのでしょうか?
公正証書は資料等を封筒に入れて閉じて確定日付印を押します。これにより、その中身は開封しない限り分からず、”秘密”の状態にあるとも言えます。
しかしながら、個人的には、このような公正証書が秘密管理措置となる可能性は低いと考えます。その理由として、秘密管理性要件の主旨は以下のように考えられているためです。
❝秘密管理性要件の趣旨は、企業が秘密として管理しようとする対象(情報の範囲)が従業員等に対して明確化されることによって、従業員等の予見可能性、ひいては、経済活動の安定性を確保することにある。❞(経済産業省発行 営業秘密管理指針) 
上記のように、先使用権の証拠としての公正証書は、封によって閉じられているためその中身が分かりません。また、こうような公正証書は、企業の知財部で管理・保管されるでしょうから、一般の従業員はその存在すら知らないでしょう。
そうすると、当該公正証書では、企業が秘密として管理しようとする対象が従業員に対して明確化されているとは言い難いでしょう。このため、当該公正証書に発明の内容があったとしても、当該発明に対する秘密管理措置とはなり得ないと思われます。

以上のように、発明を営業秘密としたからといって、先使用権の主張が可能となるわけではありません。先使用権を主張するためには、それを満たすための証拠が必要であり、それがなければ先使用権の主張ができません。また、先使用権主張の準備は秘密管理措置とはなり得ないと思われます。
このため、発明を特許出願しない場合には、まず、当該発明を秘密管理し、当該発明を使用した事業の準備を開始すると共に、万が一の場合に先使用権主張ができるように準備を行うことが最も望ましいでしょう。
このように、発明を営業秘密とすることと先使用権主張の準備とは別物であることを正しく認識し、万が一に備えるべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年11月7日日曜日

自社による技術情報の秘匿化と他社による特許出願

技術情報を秘匿化することは、当該技術情報を他社に知られるないという大きなメリットがあります。
しかしながら、技術情報を秘匿化すると、当該技術情報と同じ技術を独自開発した他社によって特許出願される可能性があります。この可能性が一体どの程度のものであるかは、定かではありませんが、確かにその可能性はあるでしょう。

もし、自社で営業秘密とした技術情報が他社によって特許出願されると、まず公開公報の発行によって非公知性が失われるので、当該技術情報は営業秘密ではなくなります。これは、技術情報を秘匿化した意味が根底から失われます。

さらに、他社によって特許権が取得されてしまうと、当該技術情報を自社で使用(実施)すると他社の特許権の侵害になりますので、使用できなくなります。すなわち、営業秘密としていた技術情報を自社製品に使用しているものの、当該技術情報に係る発明の特許権を他社が取得すると、この自社製品は製造・販売できないこととなります。このため、多くの企業は少なくとも自社製品に使用する技術情報(発明)について特許出願、すなわち自社実施のための出願を行います。

なお、上記のような他社特許権の侵害に自社が陥ったとしても、特許法には先使用権(特許法79条)の規定があります。このためこの先使用権の要件を満たしている場合、自社は通常実施権を有していることとなり、所定の範囲内で実施が可能となりますので、必ずしも自社製品の製造・販売を停止しなくてもよい可能性があります。


一方で、自社実施のための出願は、安心感や保険のために必要かと思いますが、本来であれば秘匿したい技術情報をこのために特許出願するか否かはよく考えるべきであると個人的には思います。

まず、①特許出願したからと言って、さらには特許権を取得したからといって、必ずしも他社の特許権を侵害していないことにはなりません。
当然、自社の特許出願前に同じ技術が特許出願や権利化される場合もあります。さらには、自社で取得した特許権に係る発明が他社の特許権に係る発明を利用している場合もあります。この場合には、自社の特許権に係る発明を実施すると他社の特許権を侵害することになります。
このことから、特許出願をしたからといって、当該特許出願に係る発明を安心して実施できるとは限りません。特許出願前に先行特許調査を行って他社の特許権の有無を調べることで、このような事態を回避できる可能性があります。
なお、既に他社によって特許出願されている技術は、自社で秘密管理していても非公知性を失っているために営業秘密とはなり得ません。このため、自社開発技術を秘匿化する場合にも、不必要な秘密管理措置を防ぐ目的でも先行特許調査をするべきであると考えます。

さらに、②本当に同じ技術を他社が特許出願する可能性があるのか?ということも熟考えする必要があるでしょう。
例えば、自社の技術力が他社よりも高く、自社製品のリバースエンジニアリングによっても知られる可能性が低いにもかかわらず、秘匿化したい技術情報を安心感を得るために特許出願すると、他社は当該技術情報を知ることとなり、他社の技術力アップに貢献してしまう可能性もあります。このような場合に、自社実施のための特許出願は極力行わないほうが良いかと思います。
また、自社の工場内でしか使用しない技術や、自社製品に特有の技術で他社が当該技術を使用する可能性が相当低いような技術を特許出願することも考えものです。このような技術を特許出願することは単に技術の開示にしかすぎない可能性が高いためです。

しかしながら、特許出願によって一定の安心感を得られることも事実かと思います。
そこで、安心感を得るために特許出願しても、他社が自社の技術に追いつかないという確信がある場合には、公開公報の発行日前、具体的には公報発行の準備がなされる前である出願から1年3ヶ月より少し前に出願の取り下げを行うという方法があります。そして、取り下げの直後に再び出願します。一方、他社が自社の技術に追いつく可能性を感じた場合には、出願を取り下げずに特許権の取得を目指します。
これは、何れ特許出願を行うことを考えると、取り下げ→再出願毎に要する費用も特許庁費用で1万5千円(事務所費用も安いでしょう。)であり、繰り返し取り下げと再出願を行ったとしてもコスト的には問題ないかと思います。一方で、他社の技術動向の見極めが必要であるため、知財部としては難しい判断を要します。
なお、特許出願しても公開されるまでは、自社で当該技術情報を秘密管理することはいうまでもありません。

このように、技術情報の営業秘密化は他社に特許権を取得されるリスク(秘匿化リスク)があり、特許出願は他社に技術を知られるリスク(公開リスク)があります。一方で、営業秘密化は他社に技術を知られないというメリットがあり、特許出願には独占排他権を得ることができるというメリットがあります。
営業秘密化と特許化とのメリット、デメリットを見極めて、自社の事業の利益を最大化することができる方策を立案することが知財活動の本質の一つでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信