2022年5月18日水曜日

ー判例紹介ー 商慣習及び信義則による秘密保持義務は認められるのか?

今回は、取引先に対する商慣習及び信義則による秘密保持義務について争った判例(東京地裁令和3年12月23日判決 令元(ワ)18374号)を紹介します。

本事件の原告と被告(被告ベアー等)との関係は以下のとおりです。なお、被告は他にもいますが、今回紹介する内容については直接的な関係はないので省略します。

・原告及び被告は平成23年8月5日に、被告が原告に対し鎖骨骨折の治療に用いるチタン製のインプラント(以下「鎖骨プレート」という。)を販売することとして、鎖骨プレートの取引を開始した。
・原告は、訴外メディカルネクスト社が販売していたリングピンの後発医療機器として「JSピン」と名付けた骨治療用のリングピンを製造販売することについて、平成26年7月31日に厚生労働大臣の承認を受け、被告はJSピンを製造して原告に供給し、原告は同年9月以降、JSピンを医療機関等に販売した。
・被告は、平成29年に自らが製造販売元となってリングピンを製造販売することとし、同年5月8日,その製造販売について厚生労働大臣の承認を受け、同年6月から「STRピン」と名付けた各被告商品を含むその製造や販売を開始した。
・被告は、平成30年6月29日,原告に対して本件鎖骨プレート契約を更新しない旨の申出をし、本件鎖骨プレート契約は同年8月4日に期間満了により終了した。原告と被告は、その後も鎖骨プレートについて現金で決済する取引を継続したが、原告は平成30年11月30日に被告ベアーとの間の鎖骨プレートの取引を中止した。

このような経緯があり、原告は以下のように主張しました。
❝被告は,商慣習及び信義則により原告との間で秘密保持義務を負っているにもかかわらず,原告と取引関係にあった際に知り得た原告の営業秘密である各原告商品に係る製品情報を利用して,各被告商品を製造販売し,原告の取引を妨害した。❞
これに対して裁判所は判断は以下のとおりです。
まず、裁判所は以下のように被告はJSピンの共同開発者であると認定しています。
❝当初のJSピンから各原告商品への変更は原告が得た情報を契機とするものであるが,被告は,各原告商品の形態の開発について,自ら費用,労力等を負担したといえるのであって,各原告商品について,少なくとも共同開発者であったというべきである。❞
そして、裁判所は、被告が共同開発者であると認定したうえで、以下のように原告の主張を認めませんでした。
❝被告は,各原告商品について少なくとも共同開発者の立場にあったものであり,自ら費用と労力を負担して行った上記の開発に基づいて,各被告商品を製造販売しているにすぎないといえる(前記3)し,上記の開発における秘密の保持やその後の製造販売等について,原告と被告ベアーとの間に特段の合意はなかった(前記1⑸)。したがって,被告が,原告の営業秘密である各原告商品に係る製品情報を利用して各被告商品を製造販売しているとは認められないし,原告の取引を違法に妨害しているとは認められない。❞

このように裁判所は、原告と被告との間で特段の合意はなかったとし、原告が主張するような、商慣習及び信義則による秘密保持義務を認めませんでした。


本事件と同様に秘密保持契約を締結しなかったものの、商慣習や信義則といったことに基づいて被告に秘密保持義務があると原告が主張した事件は既にあります。

例えば、上記参考論文にも記載している金型技術情報事件(知財高裁平成 27 年 5 月 27 日判決 事件番号:平成 27 年(ネ)第 10015 号,東京地裁平成 26 年 12 月19 日判決 事件番号:平成 25 年(ワ)第 26310 号)において、原告(控訴人)は以下のように陳述書で主張しています。
❝控訴人の取引する業界では,お互いにそれぞれの有する技術ノウハウを尊重しており,契約の成約時に秘密保持契約を締結していること,成約までの過程で技術資料の交換を行うことはあるが,その際,いちいち秘密保持契約を締結するわけにはいかないため,成約時に契約すること,その間は当事者同士が互いに秘密を守ってきている❞
しかしながら、このような主張に対して裁判所は下記のようにその秘密管理性を否定しています。
❝陳述書の記載は,本件において,控訴人が被控訴人に開示した技術情報について,これに接する者が営業秘密であることが認識できるような措置を講じていたとか,これに接する者を限定していたなど,上記情報が具体的に秘密として管理されている実体があることを裏付けるものではない。❞
このような判断は、今回紹介した事件と同様の判断であり、営業秘密における秘密管理性においては、商慣習や信義則による秘密保持義務といったものは認められないことが分かります。
すなわち、取引先に対する秘密保持義務は、秘密保持契約等による客観的に判断が合意が必要です。この秘密保持契約に関しても、秘密保持の対象となる情報が何であるかが特定できていない包括的な内容であれば、その秘密保持義務の対象となる情報が狭く判断される可能性が有り(秘密保持義務の対象が実質的に営業秘密の範囲内となる)、注意が必要かと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年5月8日日曜日

ダイキン工業の冷媒R32から考える知財戦略(2)

前回のブログではダイキン工業による冷媒R32(HFC-32)の知財戦略について紹介しました。

今回は、これを知財戦略カスケードダウンに当てはめます。なお、知財戦略カスケードダウンへの当てはめは、下記の参考資料をものに筆者が独自に考えたものであり、ダイキン工業の戦略そのものではありません。

上記資料を参考にして冷媒R32に対する事業目的・戦略・戦術を下記のように考えます。

<事業目的>
 冷媒R32を用いたエアコンの販売。
<事業戦略>
 冷媒R32を世界的に普及させる。
<事業戦術> 
 (1)微燃性である冷媒R32を扱いやすくするため、ISO規格に「微燃」分類を設ける。
 (2)冷媒R32のデファクトスタンダード化。

上記のように事業戦術には(1)、(2)の二つあると考えます。
事業戦術(1)の規格化は、冷媒R32は微燃性であるものの、当時のISO規格では「可燃」に分類されてしまい、「可燃」は高い安全性レベルを求められることから、「微燃」の分類を新たに設けることで冷媒R32を使用し易くするために選択された戦術です。
一方で事業戦術(2)は、経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】のp.43に下記のように記載されているように、ダイキン工業の危機感から生じた戦術でしょう。
❝2011年の特許開放の際、R32空調機器関連特許を独占的に実施して、同社だけがシェアを伸ばして独り勝ちするというビジネスモデルが従前の特許の活用方法であるが、同社だけがR32を採用し、その他の会社が環境負荷の高い冷媒を採用してそれがデファクトスタンダード化すると、地球温暖化防止という最大の目的が果たせないだけでなく、デファクトスタンダードから外れたR32を採用した同社がビジネスしにくくなるおそれが生まれるなどのリスクも考慮して、R32の仲間作りをする方向に舵を切るというビジネス判断をした。❞
次に、事業戦術(1)に基づいた冷媒R32に対する知財目的、知財戦略、知財戦術を下記のように考えます。

<知財目的>
 ISO規格に「微燃」分類を設ける。
<知財戦略>
 冷媒R32に関する特許の無償開放。
<知財戦術>
   無償開放する特許として、製品設計における必要性が比較的高い特許を選定。

知財目的である「ISO規格に「微燃」分類を設ける。」を達成するための知財戦略として、「冷媒R32に関する特許の無償開放」を選択した理由は、経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】のp.42に下記のように記載されています。
❝同社はR32を使ったエアコンを先行開発し、多数の特許を持っていたため、ISO規格に関する議論の中で、特許の存在で他の会社がR32を使えない状況ではISO規格を変更するための賛同が得づらいことが想定された。❞
規格化のためには、必ずしも特許を無償開放する必要はないかと思います。逆に規格の中に特許権に係る技術を含ませることでライセンス収入を得るという知財戦略もあるでしょう。しかしながら、ダイキン工業はそのような選択はせずに、新たな分類をより確実に設けることができるように特許の無償開放を知財戦略として選択しました。なお、この知財戦略は、次に説明する事業戦術(2)に対する知財戦略とも親和性の高い知財戦略でもあります。

そして、知財戦術は、無償開放する特許の選定となるのですが、ダイキン工業は「製品設計における必要性が比較的高い特許」である93件を2011年に無償開放し、結果的に2014年にISO規格に「微燃」分類を設ける改正が承認されています。

次に、事業戦術(2)に基づいた冷媒R32に対する知財目的、知財戦略、知財戦術を下記のように考えます。

<知財目的>
 冷媒R32のデファクトスタンダード化。
<知財戦略>
 冷媒R32を普及させるために、冷媒R32に関する特許の無償開放。
<知財戦術>
   (1)無償開放する特許として、製品設計における必要性が比較的高い特許を選定。
 (2)無償開放を視野に入れた冷媒R32に関する特許を継続して出願。

上記の経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】のp.43に記載されているように、特許により技術を一社が独占すると、他社は競合技術を採用せざるを得ません。
多くの企業は、自社技術を特許で独占することで競合技術を採用した他社製品との差別化して利益を挙げようとします。しかし、自社技術を特許で独占すると、当該技術はデファクトスタンダード化することは難しいように思えます。もし、自社技術をデファクトスタンダード化させたいのであれば、特許による独占は良い戦略とは言えないかもしれません。

そこで、知財戦略としては、冷媒R32に関する特許の無償開放ということになります。また、知財戦術としては、無償開放する特許として、製品設計における必要性が比較的高い特許を選定します。これらは、規格化の知財目的と同じであり、2つの知財目的を達成するための戦略・戦術に矛盾や齟齬が生じません。もし、一方の戦略・戦術を実行すると他の戦略・戦術を阻害するようであれば、それらの戦略・戦術は見直す必要があります。

ここで、規格化を目的とした知財戦略・戦術は、規格化が承認されることで完了します。一方で、冷媒R32をデファクトスタンダード化するという知財目的は、どのタイミングで達成したとなるのでしょう?一度の無償開放により、その目的は達成されたことになるのでしょうか?また、無償開放するからといって、その後の特許出願は行わないという選択になるのでしょうか?
このように考えると、「無償開放を視野に入れた冷媒R32に関する特許の継続した出願」も特許無償開放という知財戦略を達成するための、知財戦術と考えるべきでしょう。継続した特許出願により、一度だけではなく、冷媒R32の普及の程度により複数回の無償開放のように、段階的な無償開放も可能となります。実際に、ダイキン工業は、現時点までに無償開放を3段階に分けて行っています。

なお、冷媒R32が世界的に十分に普及したと判断した後は、無償開放する特許の追加は終了するのでしょう。そして、冷媒R32を用いたエアコン製品において他社製品と差別化するために、特許又は秘匿化による技術の独占を目的とした知財戦略・戦術が新たに立案されることになるかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年4月25日月曜日

ダイキン工業の冷媒R32から考える知財戦略(1)

今回はダイキン工業による冷媒R32(HFC-32)の知財戦略について下記の参考資料に基づいて検討します。

ダイキン工業は冷媒R32に関する特許を無償開放(オープン化)する知財戦略を取っています。冷媒R32は、オゾン層を破壊しない、温暖化への影響を大きく削減できる等、従来の冷媒であるR410Aよりも環境負荷の小さい冷媒とのことです。

参考資料:ダイキン工業のリリース
参考資料:特許庁

そもそも、ダイキン工業が冷媒R32に関する特許開放した理由には下記の2つあったようです。
(1)「微燃」の規格化
冷媒R32は微燃性であり、当時のISO規格では「可燃」に分類されてしまい、「可燃」は高い安全性レベルを求められることから、ISO規格に新たに「微燃」の分類を設ける。
(2)技術独占に対する懸念
ダイキン工業が冷媒R32を特許で独占することにより、冷媒R32以外の冷媒の普及が拡大する可能性がある。

そこで、ダイキン工業は以下のように段階的に冷媒R32の特許を無償開放しています。

2011年 冷媒R32を用いた空調機の製造や販売に関する93件の特許を新興国に対して無償開放。先進国においては「相互権利不行使契約」を締結することを条件に無償開放。新興国及び先進国共にダイキン工業との契約が必要。
2012年 ダイキン工業が冷媒R32を使用した家庭用空調機を世界で初めて発売。
2014年 ISO規格に「微燃」分類を個うめる改正が承認。
2015年 冷媒R32のさらなる普及拡大を目的として、全世界で特許の無償開放。
2019年 93件に含まれていない2011年以降に出願した冷媒R32に関する特許を無償開放。ダイキン工業との契約不要でダイキン工業は「HFC-32(R32)単体冷媒を用いた空調機の製造や販売にまつわる特許の権利不行使の誓約」(以下「権利不行使の誓約」といいます。)を宣言。
2021年 権利不行使の誓約に対して新たに123件の特許を追加。合計約300件の特許が権利不行使の誓約の対象となる。

一方で、ダイキン工業は冷媒32に関する特許を無償開放したため、この特許からは直接的又は間接的な利益を得ることはできません。
しかしながら、下記のようにダイキン工業は他社との差別化技術を有し、この差別化技術によって利益を得ることができると判断し、特許の開放を選択しています。
❝・・・同社の知財戦略として、特許の開放(=オープン戦略)が注目されているが、同社は、省エネ技術や快適性・信頼性を高める技術など、開放した特許以外にも数多くの差別化技術を保有しており、これらの特許(クローズ戦略を支える特許)により競争力を十分維持できるとの判断から特許開放に踏み切った・・・。❞
すなわち、ダイキン工業は、環境負荷の低い冷媒R32を特許の無償開放により世界に普及させる一方で、冷媒R32を用いたエアコンの差別化技術は他にあることから、この差別化技術に基づいて利益を創出できます。そして、冷媒R32を用いたエアコンが広く普及すると、ダイキン工業製のエアコンの販売台数も伸び、利益を増加できるということなのでしょう。


実際に、冷媒R32の特許無償開放の結果、全世界で冷媒R32が普及し、世界での冷媒R32を用いたエアコンの販売台数は下記のように伸びていることが分かります。
2017年3月 世界52ヵ国で1,000万台(他社も含むと2,700万台)
2018年12月 世界60ヵ国で1,700万台以上(他社も含むと6,800万台)

なお、上記数値に基づいて算出した、冷媒R32を用いたエアコンの販売台数におけるダイキン工業の世界シェアは下記となります。

2017年3月 37%
2018年12月 25%
2020年12月 20%
2021年6月 21%

ダイキン工業における空調機・エアコン業界の世界市場シェア(売上高ベース)は10%(参考:ディールラボ)であり、販売台数と直接的な比較はできませんが、冷媒R32を用いたエアコンの販売台数におけるダイキン工業のシェアは当初に比べて減少しているものの、高い状態を保っているといえるのではないでしょうか。

ここで、冷媒R32の特許の無償開放は、2011年の時点ではダイキン工業との契約が必要でしたが、2019年の無償開放では契約が不要となり、ダイキン工業及び他社にとって手続きの煩雑さがなくなりました。
しかしながら、ダイキン工業は、完全に無条件で特許を無償開放しているわけではありません。ダイキン工業は、「権利不行使の誓約」において下記のような防御的取消の規定を設けています。
❝第4条 防御的取消
ダイキンは、HFC-32関連機器の技術革新を促すために本誓約を行ないます。この目的および第三者が本誓約を濫用する可能性を回避する目的から、ダイキン関係者は、ある個人または法主体(その関連会社や代理人を含みます)が以下の行為を行なう場合、その個人または法主体に対し、本誓約を取消す権利(以下、「防御的取消」といいます。)を留保します。 
(a) ダイキン関係者によってまたはダイキン関係者のために開発、使用、輸入、製造、販売の申出、販売、または流通されたHFC-32関連機器に対して特許侵害を理由としてまたは理由の一部として訴訟またはその他の手続を開始した場合、
(b) 誓約特許の有効性または権利行使可能性を、訴訟、異議申立、当事者系レビュー手続(IPR)、または、その他の手続において争った場合、
(c) (a)(b)に定める訴訟または手続に経済的利害を有している場合、
(d) (a)(b)に定める訴訟または手続の開始や遂行に対して自発的な支援を提供した場合(但し、かかる支援が召喚状または管轄権を有する当局の拘束力ある命令によって要請された場合を除きます)、
(e) (a)(b)に定める手続や異議申立の開始について書面で警告した場合、または
(f) (a)に定める権利行使がなされた特許を過去に所有していたか、支配していた場合。 
ダイキン関係者が本条に基づき本誓約を取消した場合、かかる取消により本誓約は遡及して無効となり、本誓約が当初よりその第三者には適用されていなかったのと同一の効果を有するものとします。・・・❞
すなわち、この防御的取消は、例えば、他社がダイキン工業に対して特許権侵害を主張してきた場合に、当該他社に対して権利不行使の誓約に含まれる特許権の不行使を取り消すということです。ダイキン工業は、万が一他社の特許を侵害した場合に備えて、この防御的取消の規定を設けており、「権利不行使の誓約」に含まれる特許権を利用する他社は実質的にクロスラインセンスを結んでいることになるかと思います。

特許を無償開放する場合に、完全に無条件とするのではなく、何らかの条件を設定することは他社のオープンクローズ戦略でも行われています。
そもそも、完全に無条件とするのであれば、特許権を放棄した方が特許権の維持費等の観点からも好ましいでしょう。無償開放するものの特許権を放棄しないことで、他社に対して権利行使の余地を残すことができます。
なお、この条件は、当然、過度なものであってはなりません。他社が無償開放される特許権を実施することをためらうような条件では、そもそもの技術の普及という目的を達成できないからです。このため、条件は、他社が認容できる必要最小限とする必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信