2021年7月4日日曜日

判例紹介:メールの営業秘密性

今回は、取引先との間で交わされたメールの営業秘密性について判断された東京地裁令和3年2月26日判決(令元(ワ)25455号)を紹介します。

この事件において、被告Aは原告の元従業員であって、原告退職後に被告会社に就職しています。この被告会社は原告の取引先でもあり、原告は被告会社から特注台車等の注文を受け、これを商社である大連浩達(中国企業)から仕入れて納入していました。
被告Aは原告の従業員として特注台車等の仕入業務を担当しており、被告会社を退職後に山栄工業の取締役に就任し、その後平成30年8月8日に被告会社に入社しています。
原告は、山栄工業との間で業務委託契約を締結し、山栄工業に対して被告会社に納入する特注台車等の仕入業務を委託するようになりましたが、同業務の委託は平成30年3月31日に終了しました。一方、被告会社は、平成30年7月ごろに特注台車等を大連浩達から直接仕入れるようになりました。
このように、被告Aが被告会社に入社するタイミングで被告会社は原告との取引を終了し、特注台車を大連浩達を直接仕入れるようになりました。

このような経緯のもと原告は「被告Aが原告を退職した後に被告会社に就職し,本件各商品の仕入価格である本件価格情報を不正に取得及び開示等したことが、不正競争行為にあたる」として訴訟を提起しています。


本事件では、本件価格情報の秘密管理性が争点の一つとなっています。
これに対して原告は下記のように主張しています。
(1) 本件価格情報は,原告代表者と被告Aとの間でのみ,メールを通じて共有されていた。他の従業員は,これにアクセスする権限を有しておらず,実際上も,原告代表者と被告A以外に本件価格情報を閲覧する者はいなかった。このように,原告においては,実質的には原告代表者と被告Aのみが稼働していたことを考慮すると,これでも十分な秘密管理がされていたということができる。
(2) 原告は,前記前提事実(3)のとおり,被告A及び山栄工業に対し,雇用契約や本件業務委託契約において,本件価格情報を含む営業情報を秘密として保持することを約束させていた。本件価格情報は,原告の優位性,競争力の根幹をなし,その利益の多寡を決する重要な要因となるものであるから,これが同各契約に定められた秘密保持義務の対象に当たることは客観的に認識可能であり,被告Aも十分に認識していた。
(3) 本件価格情報は,本件各商品の通関業務等を委任されていた三洋運輸株式会社にも開示されていたが,同社は,通関業法19条の守秘義務を負う通関業者である。また,原告は,仕入先である大連浩達に対しても,本件価格情報を他に開示することを許していなかった。
一方、被告らは下記のように反論しています。
(1) 本件価格情報は,被告Aの個人的なメールアカウントと原告のメールアカウントとの間でやりとりされていたが,メールで受送信した本件価格情報には何らのアクセス制限措置は講じられておらず,原告は,これを他の雑多なメールと渾然一体にサーバに保管していたと思われる。
また,原告は,被告Aの退職時に,本件価格情報が含まれたメールの削除を求めておらず,被告Aの退職後においても,同情報が利用されないような措置を講じなかった。
本件価格情報が原告代表者と被告Aとの間でのみ共有されていたとしても,それは,それ以外に原告の業務に従事する従業員がいなかった結果にすぎない。
(2) 原告は,前記前提事実(3)の雇用契約等における秘密保持義務の存在を指摘するが,それらは契約期間内の守秘義務を合意したものにすぎない。契約期間終了後においても同様の秘密保持義務を課すのであれば,その旨が同契約等に明記されていてしかるべきであるが,そのような定めは存在しない。
(3) 本件価格情報は,三洋運輸株式会社や大連浩達にも知られているはずの情報であるが,原告がこれらの会社と秘密保持の合意をしていたことを示す証拠は提出されていない。
このように、本事件では、原告と被告Aとの間でやりとりされたメールの秘密管理性について主な争点となっています。
なお、被告Aは個人的なメールアカウントを用いて原告とやり取りしていたようです。その理由は、被告Aが原告に在籍していた当時、一年のうちほとんどを中国に滞在し、特注台車等の仕入れ等の業務に従事していたためのようです。被告Aの個人のメールアドレスは大連浩達からのインボイスの送付にも利用され、メールの送受信に被告A個人のメールアドレスを使用することは原告代表者も認識し、容認していたとのことです。

上記の原告、被告の主張に対して裁判所は以下のように判断しました。
(1) 原告は,・・・本件価格情報にアクセスしていたのが原告代表者と被告Aのみであったとの事実は,他の従業員が本件顧客情報にアクセスする機会や必要性がなかったことを意味するにすぎず,そのことをもって,原告において本件価格情報が秘密として管理されたと評価することはできない。
また,前記1(2)のとおり,本件価格情報の含まれる大連浩達からのインボイス等は,被告A個人のメールアドレス宛てに送付され,同被告の個人用のパソコンなどに他のメールと混然一体のものとして保管されていたものと認められるところ,本件価格情報が被告Aの私的なメールと分別され,これにアクセス制限がかけられていたと認めるに足りる証拠はない。
さらに,被告Aから原告代表者に送付されたメールは,パスワードの設定された原告代表者のパソコン内に保存されていたものと考えられるが,業務に使用するパソコンにログイン用のパスワードを設定するのは,パソコンを操作する際の通常の手順にすぎず,そのことをもって,パソコン内の全情報が秘密管理されていたということはできない。
(2) 原告は,・・・原告と被告Aとの間の雇用契約及び本件業務委託契約における秘密保持義務条項においては,秘密保持の対象となる「業務上の原告の秘密」は具体的に特定されておらず,原告代表者が被告Aに本件顧客情報が同契約の定める秘密保持義務の対象となる旨を告知したことなどを示す証拠も存在しない。
かえって,前記1(4)のとおり,被告Aが原告を退職した時及び本件業務委託契約の終了時,原告代表者が被告Aに対して本件価格情報を含むメールの削除を求めたことはないものと認められ,これによれば,原告において,本件顧客情報が秘密であると認識されていたということはできない。
このように裁判所は、原告のメールに対する秘密管理性の主張を認めませんでした。確かに、原告は被告のメールに対して秘密管理措置を取っていたとは思えず、裁判所の判断は妥当であると思います。なお、パソコンに設定されているログイン用のパスワードは本裁判例に限らず、秘密管理措置として認められる可能性は低いと思われます。

また、被告が個人的なメールアカウントを使用していたにもかかわらず、原告が退職時にメールの削除を求めなかったということも大きな判断要素にも思えます。
この事実は、原告は被告Aとのメールを秘密にするべきものと強く認識していなかったということでしょう。原告がそのような認識であれば、従業員であった被告Aも同様の認識を持って当然だと思います。それを退職後に、営業秘密であると原告が主張しても、その主張は認められないでしょう。
なお、本事件では、被告による被告会社への情報の使用や開示も認められませんでした。

ここで、本事件の被告Aはいわゆるリモートワークで原告の仕事を行っていたことになります。コロナ禍の現在、リモートワークは珍しいことではありません。場合によっては従業員個人のメールアドレスを用いて業務を行う人もいるのではないでしょうか。また、そうでなくとも、個人のメールアドレスに会社のメールを転送したり、個人のパソコンにインストールしているメールソフトで会社のメールを送受信できるようにしている場合も多いのではないでしょうか。そのような従業員が退職すると、業務に用いたメールが従業員個人のパソコンに残ったままとなります。

やはり、このような状態は企業としては好ましくありません。当然、そのようなメールから情報が漏えいする可能性もあります。これを防止するためには、やはり退職時にメールの削除を要請することは情報漏えいの防止、及び秘密管理措置の視点からも重要となるでしょう。

また、リモートワークが広く行われている現在、メールだけでなく、ZOOMやスカイプ等のコミュニケーションツールを使っている企業は多いかと思います。
しかしながら、企業がアカウント管理を適切に行っていないと、従業員の退職後にやり取りが個人のパソコンで閲覧可能となります。これも情報漏えいを生じかねません。企業は、業務としてコミュニケーションツールを使用している従業員のアカウントを把握し、退職時には当該アカウントを停止する等の措置を講じるべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年6月27日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(4 最終回)

前回のQRコードの普及から考える知財戦略(3)の続きです。


前回まではQRコードの知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめましたが、今回はQRコードの信頼性維持のための技術的側面からのブランド戦略について説明します。

QRコードは「誰もが自由に安心して使えるようにする」という事業戦術のもと普及が行われました。しかしながら、もしQRコードの信頼性が低いと「誰もが安心して使える」ものとはなりません。そこで、この「誰もが安心して使える」ものにするために、デンソーは「QRコード」の商標権を取得するだけでなく、技術的側面からもブランド維持を行っています。

そのうちの一つが、QRコードそのものの特許を取得してそれをオープンにする一方で、模倣品や不正用途を行う者に対しては権利行使を行うという方針です。デンソーは実際に一件の警告を行ったことがあるとのことです(参考:QRコードの普及から考える知財戦略(2))。
これにより、信頼性を損ねるような形でQRコードを使用する者を排除し、QRコードの信頼性を保つことができます。


また、デンソーは読取装置に関しても特許権を取得し、ライセンスを与えることにより他社による読取装置の製造販売を可能としています。そして、下記のように(論文のp.27 「議論3 ブランド化について」読取装置に関しても信頼性を損ねる製品が市場に出回ることを防止することを行っています。
もし、デンソーウェーブ以外の製品性能が悪いとQRコードの優れた特徴が発揮できません。そこで、運用に支障を与えない性能や品質が最低限に確保できるよう、読み取り、印字のノウハウ開示をしました。
特許公報に記載されている技術だけでは、製品を製造できず、特許公報に記載されていないノウハウも重要であることはよく知られています。デンソーはそのようなノウハウもライセンス先に提供し、最低限の製品性能を発揮できるように手助けしているようです。デンソー自身も読取装置を販売しているにもかかわらずです。
下手をしたら、ライセンス先企業の読取装置にシェアを奪われる可能性のある行為とも思えます。しかしながら、デンソーは、他社との差別化を図れる画像認識技術については秘匿化することで、自社の読取装置の市場優位性を高めています。

さらに、論文のp.22の左欄「3.4 事業化のシナリオ」には以下のような記載があります。
また、QRコードを進化させる技術とノウハウを活用してユーザの用途開発をサポートすることにより、いち早く市場ニーズを把握でき、競合他社より優位に立てることもできた。
まさに、QRコードの開発企業として、常に他社よりも先に立ち、それを優位性として事業収益に貢献させるということでしょう。
このことは、知財とは直接的には関係ないようにも思えますし、そもそもの開発元であるということを鑑みれば当然の戦略とも思えます。しかしながら、QRコードに関してデンソーは特許権を他社に対する優位性を保つという位置付けとしていないからこそ、どこに自社の優位性を見出すかということを考える強い動機付けになるとも思えます。

以上のように、QRコードの知財戦略について考えてみました。
デンソーの行った知財戦略は、単にQRコード及びその読取装置の特許を取得したというものではありません。事業を意識して特許化又は秘匿化をする技術を選択しています。さらに、特許化しても一部はオープンにしたり、ライセンスしたりし、ライセンス先にはノウハウの開示も行っています。
その結果、事業目的である「QRコードを普及させる」を達成できたことを疑う余地はないでしょう。
まさに、事業と知財との連携が成功した事例かと思います。

一方で、知財が事業を理解していなかったらどうなっていたでしょうか?知財が事業を理解していなかったとしても、QRコードの新規性・進歩性には関係がないため、特許権は取得できます。すなわち、知財単体としてはある意味で成功でしょう。
しかしながら、QRコードの特許権をオープン化やライセンス等せずに、第三者に対して警告等の権利行使を行ったとしたら、QRコードは広く普及せずに、事業目的を達成することはなかったでしょう。
これでは、知財としては成功であるものの、事業としては失敗ということになります。知財は事業を成功させるためにあるものですから、もしそのような結果になってしまったら知財の意味がありません。知財は事業を成功に導くものであり、事業無くして知財はあり得ないと考えます。

このように、デンソーのQRコードの知財戦略は、事業を成功させるための知財の役割を理解するための好例であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年6月20日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(3)


前回は「QRコードそのもの」の知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめて解説しました。今回はQRコードの「読取装置」の知財戦略を自在戦略カスケードダウンに当てはめて解説します。

前々回のQRコードの普及から考える知財戦略(1)において、事業戦術を下記の3つとしました。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

このうち、(3)がQRコードの読取装置を知財とする場合に考慮にすべき事業戦術であると考えます。すなわち、読取装置に対する知財目的は「QR市場に提供することで事業収益を得る」ことになります。
このように、デンソーは、QRコードそのものを無償で誰でも使用できる環境を作る一方で、その読取装置に関しては無償とはせずに、デンソーが有償で提供することで収益を挙げるという事業戦術を立案しました。

では、この知財目的を達成するための知財戦略をどのようになるでしょうか。
上記論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供することにし、QRコードの読み取り装置をクローズにした。
事業収益を得るためには、やはり、QRコードのように読取装置の技術をオープンにすることはできません。 他社が同様の読取装置の製造販売を行い、その結果、QRコードが普及したとしてもデンソーは十分な利益を挙げることができない可能性があるためです。
そうすると、「読取装置の技術をクローズとする」これが読取装置の知財戦略となるでしょう。

技術情報のクローズ化、これは二通りのやり方があります。
特許化と秘匿化です。読取装置の技術と一言で言っても、様々なものが有ります。どのようの技術を特許化又は秘匿化するのか、この選択が知財戦術となります。

これに関連して、上記論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
読み取り装置の核となる画像認識技術は特許出願せずに秘匿化し、それ以外の読み取り装置に関しては特許を取得してライセンス提供する方針を採った。
このことから、知財戦術として下記の2つが選択されたことが分かります。
(1)読取装置の画像認識技術は秘匿化
(2)画像認識技術以外はラインセンスを目的とした特許出願

このように、デンソーは読取装置の技術を見極め、かつ収益の源泉を想定して、技術ごとに権利化、秘匿化を選択しました。特に読取装置の技術は、プログラムに関するものであり、他社によりリバースエンジニアリングが難しいので秘匿化には大きな意味があります。

ここで、プログラムであっても自社で開発した新規技術の多くを特許化するという方法を選択する企業があります。そのときの知財担当者は、特許化したところで他社による侵害発見が困難であることを認識しています。しかしながら、他社に同じ技術を特許化されると困るという理由で特許出願します。その結果、単に自社開発技術を公開しているに過ぎない場合も多いでしょう。
一方で、QRコードの読取装置に関して、デンソーは事業の収益を挙げることを目的として、技術内容に応じて特許化と秘匿化とを選択しており、正に事業を意識した知財といえるでしょう。

また、面白いことに、デンソーは特許化した技術はライセンスするという戦術を選択しています。QRコードそのもを無償としているのであれば、読取装置は自社のみが市場に提供することでより多くの収益を挙げることを選択しそうなものです。

しかしながら、デンソーは読取装置の特許をライセンスしています。なぜでしょうか?
ここからは想像なのですが、読取装置をデンソーのみが製造販売するという市場を形成してしまうと、他社はQRコード市場で収益を挙げることができません。
そこで、QRコードのような2次元コードの優位性を認識した他社は、QRコードとは異なる独自の二次元コードを開発する可能性があると思われます。そうすると、2次元コードの市場がQRコードと他のコードに分裂し、結果的にQRコードの市場が十分に拡大しないということをデンソーは懸念したのではないでしょうか?
一方で、読取装置の特許をライセンスすることで、他社もQRコードの読取装置を製造販売して収益を挙げることができます。そうすると、他社はQRコードとは異なる2次元コードを開発するよりも、デンソーからライセンスを受けることでQRコードの市場に参入する方が低いリスクで収益を挙げることができます。
この結果、2次元コード=QRコードという市場が確立し、QRコードはより普及の度合いを高めることができ、結果的に、デンソーは読取装置による収益増を得られるという、事業戦略だったのではないでしょうか?

また、デンソーは画像認識技術を特許化、すなわちライセンスの対象とせずに秘匿化しています。この画像認識技術は、デンソーが他社に比べて優位性を保つことができる技術という位置付けでしょう。
すなわち、特許化した読取装置の技術は、QRコードを読み取るための最低限の技術であり、ライセンスを受けた他社はデンソーの読取装置よりも優れた読取装置を製造販売することは難しいでしょう。
そうすると、より精度高くQRコードを読み取りたい顧客企業はデンソー製の読取装置を選択することになります。この結果、デンソー製の読取装置は他社製の読取装置と差別化でき、収益にも貢献するのでしょう。

このように、デンソーは、QRコードの読取装置に関して、特許化、秘匿化を巧みに選択し、かつ他社へのライセンスにより読取装置で得られる利益の最大化を図ったと考えられます。

次回は、QRコードのブランドを守るための戦略や、その後の戦略について述べます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信