2025年9月23日火曜日

判例紹介:顧客との間での守秘義務契約と秘密管理性

今回紹介する裁判例(大阪地裁令和7年4月24日判決 事件番号:令3(ワ)10753号)は、顧客との間での守秘義務契約が秘密管理措置となり得るかについてです。

本事件は、原告の元取締役であった被告が原告の営業秘密である顧客情報(本件顧客等情報)や電子基板の設計データ(原告電子基板設計データ)を不正取得、使用等したと主張しているものであり、被告は取締役であったときに被告会社を設立しています。

裁判所は、本件顧客等情報及び原告電子基板設計データのいずれについても営業秘密性を認めませんでした。以下は、原告電子基板設計データの秘密管理性に係る裁判所の判断です。なお、下記の「ATOUN」及び「新生工業」は、原告及び被告会社に対し、電子基板設計データの開発を依頼したことがある会社です。
(ア) 原告電子基板設計データについて、これが秘密情報であることを外形的に示す表示等はなされておらず、原告電子基板設計データを含む、原告において作成された電子基板設計データは、原告社内のNASサーバーに保存されていた。一方、作業中の電子基板設計データが、各従業員のパソコンに保存されることもあった。
(イ) 原告社内のNASサーバーは、アクセスするために、ID及びパスワードによる認証を経る必要があった。一方、NASサーバー内のファイルやフォルダに対し、当該従業員とは無関係な情報にはアクセスができないようにするなどのアクセス制限は講じられていなかった。なお、NASサーバーのID及びパスワードは、従業員が使用するパソコンのログインID及びパスワードと同じものであった。
(ウ) 被告個人は、原告の業務のために、私物のパソコンにデータを移して電子基板の設計作業をすることもあった。
(エ) 原告、被告個人、ATOUN関係者及び新生工業関係者等との間で、別紙7「メール一覧表」記載のメールのやりとりがあった。なお、令和元年12月25日14時35分付けのRから被告個人に送信されたメールに添付されていたファイルは、電子基板2の設計に向けて作成された要求仕様書(乙8)及びPDF形式の令和元年7月17日に作成された HIMICO Ver2 の回路図(乙9)であった。また、同年12月26日午後4時48分付けのRから被告個人に送信されたメールに添付されていたファイルは、上記要求仕様書(乙8)の修正版(乙10)であった。
イ 別紙7「メール一覧表」のとおり、原告代表者が、令和元年12月25日、被告個人に対し、回路図データが破損のため開けないので同人がローカルに持っているデータを送付して欲しい旨述べ、同人が社外で使用しているパソコンに電子基板設計データが存在することを前提に、そのデータの送付を依頼するメールを送信し、被告個人もこれに応じて手持ちのデータを送付している(ただし、このとき送付したデータに原告電子基板設計データは含まれていなかった。)ことを踏まえると、原告において、原告電子基板設計データは、役員又は従業員が担当している案件に関するものであるか否かを問わず、NASサーバーにさえログインすれば閲覧することができ、かつ、作業のために社外へ持ち出すことも容認され、その持出し状況も管理されていなかったものと認められる。
そうすると、原告電子基板設計データは、他の社内データと区別して秘密として管理する意思が客観的に示されるような措置が講じられていたとは認められないから秘密管理性が認められない。
このように裁判所は、原告電子基板設計データの秘密管理性について否定しており、このような判断は原告の秘密管理措置からすると一般的ともいえる判断かと思います。
また、原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約が締結されていたようですが、これについても以下のように裁判所は秘密管理性としては認めませんでした。
この点、原告は、原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約を締結した上で取り扱っているものであり、このことは被告個人を含む従業員全員が認識していたのであるから、秘密として管理されていたと主張する。確かに、原告は、ATOUN及び新生工業との間で、秘密保持契約を締結した上で電子基板設計データを作成していたものと認められる(甲5、6)。しかし、対外的に顧客に守秘義務を課していたからといって、当然に原告内部での秘密管理措置を講じたことになるものではない。
しかしながら、このような裁判所の判断は果たして妥当でしょうか?
そもそも、秘密管理性は、当該情報に対して特定の秘密管理措置を講じたから認めらるというものではなく、当該情報の保有者の秘密管理意思を従業員等に認識させることができれば秘密管理性は認められるものではないでしょうか。また、秘密管理措置の一部が杜撰であったとしても、当該情報の保有者の秘密管理意思が否定されるものではないでしょう。


本事件において原告社内における原告電子基板設計データの秘密管理措置は杜撰であったとも思われます。一方で原告は、「原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約を締結した上で取り扱っているものであり、このことは被告個人を含む従業員全員が認識していたのである」と主張していることからも、対外的には原告電子基板設計データに対する秘密管理措置を講じているともいえます。

この守秘義務契約の主張に対して被告は反論を行っていません。そうすると、被告はこの守秘義務契約の存在を認識しており、原告が対外的には秘密管理措置を講じていた、すなわち秘密管理意思を有していたことを認識していたと考えられます。さらに被告は、原告の元取締役でもあり、この立場からすると原告電子基板設計データを秘密とするべき重要性を認識していたと考えられます。
また、裁判所は「対外的に顧客に守秘義務を課していたからといって、当然に原告内部での秘密管理措置を講じたことになるものではない。」と判断していますが、社内の人間に対しては、対外的な秘密管理措置と社内的な秘密管理措置とを分けて考える必要性があるとは思えません。一般論として、社外の企業に対して秘密としているにもかかわらず、社内では秘密としない、換言すると、社外からの情報漏えいは許容しない一方で社内からの情報漏えいを許容する会社及び組織は存在するのでしょうか?
このようなことから、被告は、原告電子基板設計データに対する原告の秘密管理意思を認識していた、すなわち、被告に対しては原告電子基板設計データの秘密管理性が認められてもよいのではないでしょうか。

以上のように、営業秘密に対する秘密管理性の判断は、具体的な秘密管理措置の内容ではなく、当該情報に接した者が当該情報の保有者の秘密管理意思を認識していたか、という点で判断されるべきかと思います。このような判断は、既に産総研事件電磁鋼板事件、及び他の事件でもなされていると考えます。
一方で、例えば、被告が守秘義務契約の存在を知らない従業員等であった場合には、社内に対する秘密管理措置が不十分であり、原告の秘密管理意思を認識でなかったとして秘密管理性を否定するという判断もあり得るかと思います。

なお、営業秘密侵害は、当該情報の秘密管理性だけで判断されるものではありません。非公知性及び有用性も加味して当該情報の営業秘密性を判断し、そのうえで、不正取得や不正使用等が判断されるものです。
本事件では、原告電子基板設計データの秘密管理性を裁判所が認めなかったことから、裁判所は他の要件の判断を行っていません。個人的には裁判所は原告電子基板設計データの秘密管理性を認めたうえで、他の要件の判断を行ってもよかったのではないかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年9月12日金曜日

IPAの「企業における営業秘密管理に関する実態調査2024」について

IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)から「企業における営業秘密管理に関する実態調査2024」報告書が発表されました。前回の実態調査は2020年でしたので、4年ぶりの報告書です。

特に私が注目している調査結果は、営業秘密の漏えいルートです。これにより、どのようなルートで営業秘密が漏えいしているのかを端的に理解できます。


営業秘密の漏えいには、主に以下の3パターンがあると思います。
パターン1:不注意等による営業秘密の漏えい
パターン2:権限のない者による漏えい
パターン3:権限のある者による図利加害目的による漏えい

パターン1は、営業秘密の漏えいに違いありませんが、不正競争防止法やその他の法律で違法とされていることではありません。
パターン2は、不競法の2条1項4号違反等にもなりますが、不正アクセス等に該当するものであり、不競法よりも他の法律に違反する行為と捉えられ易いです。
パターン3は、例えば転職時や独立時に前職企業に営業秘密を持ち出すといった行為であり、不競法2条1項7号等に違反すると考えられます。まさに、いわゆる営業秘密侵害(営業秘密領得)がこのパターン3に該当すると考えます。

パターン3にあたるものは、上図において「現職従業員等(派遣社員含む)による金銭目的等の具体的な動機をもった漏えい」、「中途退職者(役員・正規社員)による漏えい」、「契約満了後又は中途退職した契約社員・派遣社員等による漏えい」、「定年退職者による漏えい」でしょう。
なお、前回調査から数倍以上で増加している漏えいルートもありますが、実際にこれほど増加しているのかは少々疑問です。近年、より営業秘密の漏えいについて企業の意識も高くなっているので、前回調査では漏えいしているにもかかわらず企業が検知できなかったものの、今回調査では漏えいを検知できているような場合もあるでしょう。このような理由により、今回調査では、営業秘密の漏えいが一見多くなっているように見えるのかもしれません。

一方で「中途退職者(役員・正規社員)による漏えい」は前回調査よりも約半分程度になっています。前回調査から減少している漏えいルートは、実質的にこれだけであることも少々興味深いです。もしかすると、前回調査からの4年間に、転職時等における営業秘密の不正な持ち出しは違法であることを各企業が社員教育したことにより、「中途退職者(役員・正規社員)による漏えい」が減ったのかもしれません。

また、下記図は営業秘密の侵害行為への対応を示した図です。


この図から明確なことは、「具体的な対応は何もしなかった」が約1/4に減少していることです。その一方で当然ながら、各種対応が増加しています。特に、「警告文書を送付した」、「民事訴訟を提起した(仮処分命令の申立てを含む)」、「懲戒解雇とした」、「刑事告訴した」が大幅に増加しているようです。これは前回調査にくらべて、企業が営業秘密侵害に対してより厳しい対応を行っていることを示していると思います。

なお、「民事訴訟を提起した(仮処分命令の申立てを含む)」が約4倍に増加しています。しかしながら、判決が出された民事訴訟の数は、この4年間で増加しているとも感じられず、到底4倍にもなっているとは思えません。このため、民事訴訟が提起されても実際に判決がだされる割合は少なく、そのほとんどが和解や取り下げとなっているのではないかと思われます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年8月29日金曜日

判例紹介:古い判決での有用性判断

少々古い営業秘密侵害の訴訟での有用性についての裁判所の判断を紹介します。
この事件は、名古屋地裁平成20年3月13日判決(事件番号:平17(ワ)3846号)です。

本事件は、ロボットシステムにつき我が国有数のシェアを有する会社が原告であり、被告らは原告の元従業員等です。
そして、原告は、過去に受注したロボットシステムの部品構成や仕入額等が記録されたプライスリスト、バリ取りツール図面やCADデータ等の設計図が原告の営業秘密であり、被告らがこの営業秘密を不正に取得し、不正に使用したとして、被告や被告会社に損害賠償を等を求めました。

ここで、原告は、プライスリストには以下のような理由によって有用性があると主張しました。
プライスリストは,原告の製造するロボットシステムの商品別の付加部品リストで,過去25年間に受注,製造,販売した具体的な物件ごとに作成されており,経費項目分類,品名,部品番号,メーカー,材質,型式,数量,発注先,納入日,金額が記載されている(甲7はそのひな形である。)。
本件プライスリストには,本件各製品番号のロボットシステムにつきユニット別の構成部品のメーカー,品番,仕入先,価格が明示されており,特に,多数使用されている市販の汎用部品については,多種の中から実績のある最適のものが選択されて掲載されている。したがって,同業他社は,本件プライスリストの内容を知れば,上記ロボットシステムの基本的構造,部品構成,部品の仕入価格や仕入先が分かり,原告製品と同水準のロボットシステムを,原告製品よりも安い製造原価で製造できることになる上,その見積り,受注に当たっては,原告より優位に立つことにも貢献する。

一方で、被告らは、プライスリストに対して有用性はないと主張しています。


これらに対して、裁判所は以下のように判断しています。
(イ) 原告は,本件プライスリストにより,原告のロボットシステムの基本的構造が分かると主張するが,本件プライスリストからは外注部品がどのような部品であるかは分からないし,また,用いられた汎用部品及び外注部品が分かったとしても,その情報のみからロボットシステムの基本的構造が分かるとは認められない。
(ウ) また,原告は,本件プライスリストにより,ロボットシステムの見積り,受注に当たって原告より優位に立つことができると主張する。
しかし,本件プライスリストは,汎用部品及び外注品の仕入価格が記載されているにすぎないものであって,見積額は,仕入価格のみならず,市場における類似商品の価格状況,当該販売先との取引経緯及び将来の販売見込み等の具体的な諸事情を基にして算定されるものであるから,本件プライスリストに係る情報を入手したとしても,そのことから直ちに原告の見積額を一定の精度をもって推知できることにはならない。原告のSI事業部の営業課長を勤めた経験を持つT(昭和11年▲月▲日生。)は,証人尋問において,N及びMの見積書を作成する際,従前の見積書を参考にしたこと,本件訴訟のためにプライスリストを印刷してもらったほかは,自分自身であるいは他の従業員に依頼してプライスリストを印刷したことはない旨述べているのであって,原告の社内においても,見積書を作成する際にプライスリストの情報が有用なものとして用いられていなかったものと認めるのが相当である。
したがって,本件プライスリストにより,ロボットシステムの見積り,受注に当たって原告より優位に立つことができるとは直ちに認められない。
このように、裁判所は、原告が主張するプライスリストの有用性を否定しました。
しかしながら、裁判所は、原告の主張を否定したものの、下記のように、プライスリストの有用性そのものは認めています。
(ア)・・・同業他社が本件プライスリストを見れば,本件各製品番号のロボットシステムについて,その構成ユニット別に,どのような市販部品(汎用部品)が使用されたか,その仕入先及び仕入単価が分かり,また,外注部品(特製部品,特注部品)についても,本件プライスリスト上に記録された「品名/部品番号」によってはそれがどのような部品であるかが分からないとしても,どの外注先から仕入れているものであるかが分かるから,これらの情報は,ロボットシステムを設計,製造,販売する同業他社にとって,汎用部品及びその仕入先,外注部品の外注先を選択する上において,また,当該仕入先,外注先との価格交渉をする上において,有益な情報であると認められる。・・・
(エ) 以上によれば,本件プライスリストは,同業他社が,本件各製品番号のロボットシステムと同種のロボットシステムを設計,製造するに当たり,その汎用部品及びその仕入先,外注部品の外注先を選択する上において,また,当該仕入先及び外注先との価格交渉をする上において,有用性があるものと認められる。
このように、裁判所は有用性に対する原告の主張は否定しているものの、プライスリストの有用性について認めています。

一般的に、プライスリスト等の営業情報(技術情報ではない経営に関する情報)は有用性や非公知性が認められ易い情報です。このため、営業秘密保有者はプライスリスト等の営業情報の有用性について、詳細な主張は必要ないと考えます。具体的には、‟本情報は、経営上有用な情報である。”との程度で十分ではないかと思います。

本事件は、平成17年に提起されたものであり、このころは営業秘密に関する判例も多くはない頃であったため、原告は有用性に関する主張を詳細に行ったのだと思います。一方で、現在では、判例も多くなってきており、上記のように有用性は認められ易い要件であり、このような詳細な説明は不要であると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信