今回紹介する裁判例(大阪地裁令和7年4月24日判決 事件番号:令3(ワ)10753号)は、顧客との間での守秘義務契約が秘密管理措置となり得るかについてです。
本事件は、原告の元取締役であった被告が原告の営業秘密である顧客情報(本件顧客等情報)や電子基板の設計データ(原告電子基板設計データ)を不正取得、使用等したと主張しているものであり、被告は取締役であったときに被告会社を設立しています。
裁判所は、本件顧客等情報及び原告電子基板設計データのいずれについても営業秘密性を認めませんでした。以下は、原告電子基板設計データの秘密管理性に係る裁判所の判断です。なお、下記の「ATOUN」及び「新生工業」は、原告及び被告会社に対し、電子基板設計データの開発を依頼したことがある会社です。
(ア) 原告電子基板設計データについて、これが秘密情報であることを外形的に示す表示等はなされておらず、原告電子基板設計データを含む、原告において作成された電子基板設計データは、原告社内のNASサーバーに保存されていた。一方、作業中の電子基板設計データが、各従業員のパソコンに保存されることもあった。(イ) 原告社内のNASサーバーは、アクセスするために、ID及びパスワードによる認証を経る必要があった。一方、NASサーバー内のファイルやフォルダに対し、当該従業員とは無関係な情報にはアクセスができないようにするなどのアクセス制限は講じられていなかった。なお、NASサーバーのID及びパスワードは、従業員が使用するパソコンのログインID及びパスワードと同じものであった。(ウ) 被告個人は、原告の業務のために、私物のパソコンにデータを移して電子基板の設計作業をすることもあった。(エ) 原告、被告個人、ATOUN関係者及び新生工業関係者等との間で、別紙7「メール一覧表」記載のメールのやりとりがあった。なお、令和元年12月25日14時35分付けのRから被告個人に送信されたメールに添付されていたファイルは、電子基板2の設計に向けて作成された要求仕様書(乙8)及びPDF形式の令和元年7月17日に作成された HIMICO Ver2 の回路図(乙9)であった。また、同年12月26日午後4時48分付けのRから被告個人に送信されたメールに添付されていたファイルは、上記要求仕様書(乙8)の修正版(乙10)であった。イ 別紙7「メール一覧表」のとおり、原告代表者が、令和元年12月25日、被告個人に対し、回路図データが破損のため開けないので同人がローカルに持っているデータを送付して欲しい旨述べ、同人が社外で使用しているパソコンに電子基板設計データが存在することを前提に、そのデータの送付を依頼するメールを送信し、被告個人もこれに応じて手持ちのデータを送付している(ただし、このとき送付したデータに原告電子基板設計データは含まれていなかった。)ことを踏まえると、原告において、原告電子基板設計データは、役員又は従業員が担当している案件に関するものであるか否かを問わず、NASサーバーにさえログインすれば閲覧することができ、かつ、作業のために社外へ持ち出すことも容認され、その持出し状況も管理されていなかったものと認められる。そうすると、原告電子基板設計データは、他の社内データと区別して秘密として管理する意思が客観的に示されるような措置が講じられていたとは認められないから秘密管理性が認められない。
このように裁判所は、原告電子基板設計データの秘密管理性について否定しており、このような判断は原告の秘密管理措置からすると一般的ともいえる判断かと思います。
また、原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約が締結されていたようですが、これについても以下のように裁判所は秘密管理性としては認めませんでした。
この点、原告は、原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約を締結した上で取り扱っているものであり、このことは被告個人を含む従業員全員が認識していたのであるから、秘密として管理されていたと主張する。確かに、原告は、ATOUN及び新生工業との間で、秘密保持契約を締結した上で電子基板設計データを作成していたものと認められる(甲5、6)。しかし、対外的に顧客に守秘義務を課していたからといって、当然に原告内部での秘密管理措置を講じたことになるものではない。
しかしながら、このような裁判所の判断は果たして妥当でしょうか?
そもそも、秘密管理性は、当該情報に対して特定の秘密管理措置を講じたから認めらるというものではなく、当該情報の保有者の秘密管理意思を従業員等に認識させることができれば秘密管理性は認められるものではないでしょうか。また、秘密管理措置の一部が杜撰であったとしても、当該情報の保有者の秘密管理意思が否定されるものではないでしょう。
本事件において原告社内における原告電子基板設計データの秘密管理措置は杜撰であったとも思われます。一方で原告は、「原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約を締結した上で取り扱っているものであり、このことは被告個人を含む従業員全員が認識していたのである」と主張していることからも、対外的には原告電子基板設計データに対する秘密管理措置を講じているともいえます。
この守秘義務契約の主張に対して被告は反論を行っていません。そうすると、被告はこの守秘義務契約の存在を認識しており、原告が対外的には秘密管理措置を講じていた、すなわち秘密管理意思を有していたことを認識していたと考えられます。さらに被告は、原告の元取締役でもあり、この立場からすると原告電子基板設計データを秘密とするべき重要性を認識していたと考えられます。
また、裁判所は「対外的に顧客に守秘義務を課していたからといって、当然に原告内部での秘密管理措置を講じたことになるものではない。」と判断していますが、社内の人間に対しては、対外的な秘密管理措置と社内的な秘密管理措置とを分けて考える必要性があるとは思えません。一般論として、社外の企業に対して秘密としているにもかかわらず、社内では秘密としない、換言すると、社外からの情報漏えいは許容しない一方で社内からの情報漏えいを許容する会社及び組織は存在するのでしょうか?
このようなことから、被告は、原告電子基板設計データに対する原告の秘密管理意思を認識していた、すなわち、被告に対しては原告電子基板設計データの秘密管理性が認められてもよいのではないでしょうか。
以上のように、営業秘密に対する秘密管理性の判断は、具体的な秘密管理措置の内容ではなく、当該情報に接した者が当該情報の保有者の秘密管理意思を認識していたか、という点で判断されるべきかと思います。このような判断は、既に産総研事件、電磁鋼板事件、及び他の事件でもなされていると考えます。
一方で、例えば、被告が守秘義務契約の存在を知らない従業員等であった場合には、社内に対する秘密管理措置が不十分であり、原告の秘密管理意思を認識でなかったとして秘密管理性を否定するという判断もあり得るかと思います。
なお、営業秘密侵害は、当該情報の秘密管理性だけで判断されるものではありません。非公知性及び有用性も加味して当該情報の営業秘密性を判断し、そのうえで、不正取得や不正使用等が判断されるものです。
本事件では、原告電子基板設計データの秘密管理性を裁判所が認めなかったことから、裁判所は他の要件の判断を行っていません。個人的には裁判所は原告電子基板設計データの秘密管理性を認めたうえで、他の要件の判断を行ってもよかったのではないかと思います。
弁理士による営業秘密関連情報の発信