2021年4月18日日曜日

アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(2)


<4.知財戦略カスケードダウンと三方一選択のあてはめ>

次に、生ジョッキ缶に関する事業を目的、戦略、及び戦術に細分化し、これに伴う知財の目的、戦略、戦術も細分化し、本ブログで提案している知財戦略カスケードダウンに当てはめます。なお、この細分化は、筆者がアサヒビールが開示している技術情報等に基づいて想像したものであり、実際にアサヒビールがこのように考えているものではなく、アサヒビールの事業戦略や知財戦略とは何ら関係はありません。

今回は、以下の3つのパターンを想定しました。
パターン1:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願
パターン2:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を秘匿化
パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願

パターン1と2は、目的が同じであるものの、知財として実行手段が異なります。
パターン3と1は、知財として実行手段が同じであるものの、目的が異なります。


<パターン1:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>

パターン1では、生ジョッキ缶市場の独占を事業戦術と仮定します。
生ジョッキ缶は、今までにない新しい缶ビールのジャンルとも思われ、素直に考えると、この新しいジャンルを独占することにより利益の向上が可能になると思われます。
そして、知財としては、生ジョッキ缶に関する技術を権利化して排他的独占権を得ることで、市場の独占を実現することになります。
おそらく、このパターン1が、生ジョッキ缶の戦略としてアサヒビールが考えていることではないかと思います。

以下にパターン1における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

・事業
目的:新規な製品により缶ビールの販売増
戦略:缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
戦術:フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
   泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
   生ジョッキ缶市場の独占     

・知財
目的:生ジョッキ缶市場の独占
戦略:公開した技術について特許権の取得
戦術:権利化(缶内面の凹凸や炭酸ガス圧の数値範囲、フルオープン缶の形状)
   秘匿化(凹凸を形成する塗料の成分)

パターン1の知財戦術では、塗料の成分は秘匿化技術としました。
この理由は、前回のブログでも記したように、缶内面の凹凸を実施する方法として様々な方法があり、塗料による凹凸の形成はその一例にしかすぎず、凹凸の数値範囲で権利化を目指すのであれば、塗料の成分まで特許出願によって開示する必要はないと考えたためです。実際、アサヒビールの経営方針等でも、缶内面の凹凸の形成を塗料で実現することは開示していますが、その成分までは開示していません。

<生ジョッキ缶市場の独占に対する特許出願の妥当性>

生ジョッキ缶の事業戦術及び知財目的として、「生ジョッキ缶市場の独占」を仮定した場合、特許出願を行うことは妥当でしょうか?

特許出願する場合には、その明細書に当業者が発明を実施可能な程度に記載する必要があります。すなわち、生ジョッキ缶に関する技術の多くが特許明細書に記載されています。
そして、前回のブログでも記したように、缶内面の凹凸の数値範囲や炭酸ガス圧の数値範囲で特許権を取得したとしても、他社はその数値範囲に含まれない技術を実施可能です。

確かに、缶内面の凹凸によってビールの泡立ちが良くなるという技術は興味深く、製品の宣伝にも使えるかと思います。現に、生ジョッキ缶を紹介する報道においても、缶内面の凹凸に言及したものが多数あります。
しかしながら、缶内面の凹凸に関して特許権を取得したとしても、その技術的範囲を回避することは比較的容易と思えます。一方で、凹凸を形成する塗料の成分を秘匿化ではなく、特許化することも考えられますが、塗料の成分までも公開してしまうと、この特許権に含まれない塗料の成分を探し出すこと、これも容易かもしれません。
また、炭酸ガス圧の数値範囲を特許化したとしても、特許権に含まれる技術的範囲の回避は容易でしょう。

そうすると、缶内面の凹凸や炭酸ガス圧に関する技術を特許化したとしても、生ジョッキ缶の市場を独占することできないかもしれません。

では、フルオープン缶の形状の権利化はどうでしょうか。
アサヒビールは、経営方針において「高価格帯の食品缶詰等で採用実績はあるが、飲料缶では初採用。」と述べていますが、権利化については言及していません。

ここで、通常の缶ビールで採用されているプルタブ缶では、フルオープン缶で実現できる泡立ちのインパクトは得られません。このため、フルオープン缶は生ジョッキ缶において必須の技術要素とも考えられます。しかも、フルオープン缶はビール缶の飲み口である上面を全開にするという単純な技術です。もしフルオープン缶を権利化できた場合、これを回避する方法はあるのでしょうか?この回避技術の開発は難しいようにも思えます。
そうであれば、フルオープン缶の権利化によって、生ジョッキ缶市場への他社の参入を阻害できるのではないでしょうか。

しかしながら、フルオープン缶は既に食品缶詰等で用いられているので、特許出願しても進歩性をクリアできず、特許権を取得できない可能性が高いと思われます。

一方で、実用新案や意匠による権利化はどうでしょうか?
実用新案であれば、進歩性の判断基準が特許に比べて低いため、フルオープン缶をビール缶に適用したという点をもって、技術評価書で”進歩性あり”と判断される可能性もあるのではないでしょうか(実用新案は無審査で登録されますが、技術評価書を提示して警告した後に権利行使が可能となります。)。また、意匠であれば、創作非容易性の判断基準が特許の進歩性に比べて低いため、これも登録となる可能性があるのではないでしょうか。

このようにフルオープン缶の形状を実用新案登録又は意匠登録できれば、他社による生ジョッキ缶の製造販売を十分に阻害でき、市場を独占できる可能性もあると考えます。

以上のように、缶内面の凹凸等を特許化したとしても、その特許権の技術的範囲の回避が容易であれば、特許化は生ジョッキ缶市場の独占という目的には有効ではないように思えます。もし、フルオープン缶の形状を権利化できない場合には(実際にはこの可能性の方が高いかもしれません。)、缶内面の凹凸等の特許出願によって技術を他社に開示したに過ぎない結果になるかもしれません。
もし、そのような結果になれば、事業戦術及び知財目的である生ジョッキ缶市場の独占どころか、特許出願による技術開示が市場独占の真逆である他社参入を促すことになりかねません。


<パターン2:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を秘匿化>

では、缶内面の凹凸等を特許出願せずに秘匿化、すなわち企業秘密としたらどうでしょうか?それがパターン2です。

ここで、あらためて、特許等の権利化と秘匿化の違いについて簡単に説明します。
特許等の権利化には技術の開示が必須ですので他社に技術を知られます。これが権利化のリスク(公開リスク)となります。一方で、秘匿化はその名の通り技術を開示しないので、他社に技術を知られません。
しかしながら、特許は独占排他権ですので、他社が自社の特許権の技術的範囲に含まれる技術を実施していたら、この他社は当該特許権の権利侵害となります。もし、他社が自社の特許権を知らずに、同じ技術を自社で独自開発したとしてもです。一方で、秘匿化した自社の技術は、独占排他権ではないので同じ技術を他社が実施していても他社は権利侵害とはならず、自由に実施できます。
このように秘匿化は、特許のように自社の技術を開示しないので公開リスクはありませんが、同じ技術を他社が独自開発しても何もできません。これが秘匿化のリスク(秘匿化リスク)となります。

以下にパターン2における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

・事業
目的:新規な製品により缶ビールの販売増
戦略:缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
戦術:フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
   泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
   生ジョッキ缶市場の独占     

・知財
目的:生ジョッキ缶市場の独占
戦略:公開した技術について特許権の取得
戦術:権利化(フルオープン缶の形状)
   秘匿化(缶内面の凹凸や炭酸ガス圧の数値範囲、凹凸を形成する塗料の成分)

パターン2では、缶内面の凹凸等を秘匿化するので、事業戦術として技術アピールは行いません。このため、他社は生ジョッキ缶が開封時に泡立つ原理を容易には知り得ません。

フルオープン缶の形状は、パターン1でも述べたように見た目で容易に理解でるので、秘匿化はできません。このため、フルオープン缶の形状は、パターン1と同様に権利化を目指します。
パターン1でもパターン2でも、フルオープン缶の形状を権利化できれば、他社による生ジョッキ缶市場の参入に対して、大きな阻害要因となると思えます。しかしながら、プルオープン缶の形状を権利化できない可能性もあります。
すなわち、フルオープン缶の形状を権利化できなかった場合、もしくは権利化をしなかった場合に、パターン1とパターン2とでは市場の独占可能性について大きな違いが出てくると考えます。

<缶内面の凹凸等に対するリバースエンジニアリングの可否>

技術の秘匿化を検討する場合、当該技術を使用した製品をリバースエンジニアリングすることで、他社が当該技術を容易に知り得るか否かが重要になります。
リバースエンジニアリングによって容易に知り得る技術は、公開リスクが実質的にないとも考えられ、積極的に権利化のための出願を行ってもよいでしょう。この考えに基づいたものが、フルオープン缶の形状の権利化です。

では、缶内面の凹凸等が容易にリバースエンジニアリングが可能であるか検討してみましょう。
下記写真のように缶内面の凹凸は視認により確認できず、指で触っても凹凸を感じることはできませんでした。


そのため、缶内面の凹凸の技術が秘匿化されると、泡立ちの仕組みが缶内面の凹凸にあることを容易に知ることはできないようにも思えます。従って、他社は泡立ちの仕組みを試行錯誤して自ら知り得る必要があります。
そのためには、他社は、生ジョッキ缶の内面をSEM等で観察することで凹凸に気づき、さらに内面に凹凸を形成した缶ビールを製造し、アサヒビールの製品のように泡立ちが発生するか否かを確認する必要があるでしょう。
なお、凹凸が泡立ちに影響を与えることは周知のようですので、缶内面の凹凸が秘匿化されても、他社が生ジョッキ缶の凹凸がその仕組みであることには気付くかもしれません。しかし、凹凸が泡立ちの仕組みであることの確信は実際に凹凸を形成した缶ビールを製造するまでは得られないでしょう。

また、他社は凹凸を確認しても、それを再現する方法も試行錯誤する必要があります。いったいどうやって缶内面に凹凸を形成するのか?缶内面には、缶の内容物であるビールに悪影響を与える処理は行えません。アサヒビールは、この技術的な課題を、焼き付け塗装によって解決しました。
凹凸の形成方法は幾つもあるでしょうが、アサヒビールからの技術開示が無ければ、他社は独自で凹凸の形成方法を見つけ出さねばなりません。生ジョッキ缶を製造するためには、これが一番難しいでしょう。
もしかすると、缶内面の凹凸が泡立ちの仕組みであることに気が付いたとしても、焼き付け塗装による凹凸の形成という技術に気が付かず、生ジョッキ缶の再現ができない他社もあるかもしれません。

次に、炭酸ガス圧についてですが、これはどうでしょうか?
アサヒビールの生ジョッキ缶の炭酸ガス圧を、直接的に測定することは難しいのではないでしょうか?その理由は、炭酸ガス圧を測定するためには、生ジョッキ缶を開封する必要があるでしょうが、開封すると同時に炭酸ガスは大気中に開放されるので、生ジョッキ缶内の炭酸ガス圧を測定することは困難なように思えます。
しかしながら、炭酸ガス圧が泡立ちに影響を与えることも周知のようですので、炭酸ガス圧の調整にも他社は気が付くかと思います。

以上のように、アサヒビールが缶内面の凹凸等の技術情報を秘匿化しても、他社はリバースエンジニアリングと試行錯誤により、生ジョッキ缶に使用している技術を知り、生ジョッキ缶を再現するできる可能性があるかと思います。しかしながら、他社が実際に試作品を作るまでには、直感的に数か月~1年以上の期間が必要なのではないでしょうか?そして、販売に至るまでにはさらに時間を要するでしょう。
さらに、言うまでもなく、生ジョッキ缶の技術を再現できない他社は生ジョッキ缶への参入ができません。

<特許出願した場合と秘匿化した場合との違い>
パターン1でも述べたように、缶内面の凹凸を特許出願することにより、他社は生ジョッキ缶を製造するための技術情報を得ることができます。しかしながら、特許権の技術的範囲が他社の市場参入を阻害できるほど広ければ、アサヒビールが市場を長期間に渡って独占できる可能性が高いでしょう。
一方で、特許権の技術的範囲が狭く回避が容易であれば、当該特許権は他社による市場参入の阻害要因となりません。さらに、フルオープン缶の権利を取得できなかった場合には、他社による市場参入の阻害要因はほとんどないようにも思えます。

このように、缶内面の凹凸等の情報を特許化できれば市場を独占できる可能性もありますが、その権利範囲が狭ければ参入障壁とはならないばかりか、開示した技術によって他社参入を促すことにもなり得ます。なお、権利範囲が狭くても、他社が生ジョッキ缶市場に参入するまでは相応の時間を必要とするので、権利範囲が狭くてもある程度の期間は市場を独占できると思われます。


一方、上記のように缶内面の凹凸等の技術を秘匿化したとしても、他社も生ジョッキ缶を再現して製造販売できる可能性はあるかと思います。しかしながら、他社が生ジョッキ缶を試作するまでに要する時間は相当程度必要で、販売するまでには年単位で時間がかかるようにも思えます。すなわち、狭い権利範囲の特許権を取得した場合に比べて、その独占の期間は長くなると考えられます。

以上のように、権利化は審査があるので権利を取得できたとしても、その技術的範囲によっては、市場の独占という当初の目的を達成できない可能性があります。一方で、技術を秘匿化した場合、他社は自力で生ジョッキ缶を再現する必要があります。生ジョッキ缶を再現するための技術の中でも、缶内面の凹凸を形成するための技術開発は難しいことが予想されます。
そのため、たとえ他社が生ジョッキ缶を再現できたとしても、それ相応の期間で市場の独占が可能となるでしょう。もし、生ジョッキ缶を再現できる他社がなければ、半永久的に市場を独占できるかもしれません。

パターン1による権利化とパターン2による秘匿化のどちらが良いのかはわかりません。
しかしながら、重要なことは権利化又は秘匿化により、各々事業に与える影響を正しく理解して判断することにあると思います。

次回は<パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>について説明し、<まとめ>で終わります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年4月13日火曜日

アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)

先日、アサヒビールから缶ビールでありながら、サーバーから注いだ生ビールのように泡立つ生ジョッキ缶が販売されました。
アサヒビールは特許出願も行ったとのこともあり、このビールを購入しました。私は家で酒類を飲まないのですが、開封直後の泡立ちはインパクトがあり、直感的に面白い商品だなと思いました(ビールは妻が飲みました)。


実際に、この生ジョッキ缶は注文が想定を上回り出荷を一時停止するほどの反響があったようです。このため、他のビールメーカーもこのような泡立ちの良い缶ビールの製造販売に追従する可能性があるのではないでしょうか。

そこで、このブログで提案している「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」にアサヒビールが公開している生ジョッキ缶の技術内容を当てはめ、この生ジョッキ缶に対する知財戦略を数回に分けて考えてみたいと思います。

なお、このブログにおける見解は筆者個人の見解であり、アサヒビールとは何も関係ありません。従ってアサヒビールが「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」を行ったものではありません。

参考:報道
参考:アサヒビール


<1.知財戦略カスケードダウンと三方一選択>

まず、知財戦略カスケードダウンと三方一選択について簡単に説明します。
三方一選択は、発明に対して権利化(特許出願等)、秘匿化、又は自由技術化を事業に基づいて選択することをいいます。


知財戦略カスケードダウンは、事業を「事業目的」、「事業戦略」、「事業戦術」に段階的に考えます。そして知財における目的を事業戦術に基づいて決定し、知財戦略を知財目的に基づいて決定し、知財戦術を知財戦略に基づいて決定します。
知財戦略では、事業に使用する技術要素群(関連する複数の発明)毎に、知財目的に基づいて権利化、秘匿化、又は自由技術化を選択します(三方一選択)。
また、一つの技術要素群に含まれる発明であっても、知財戦略で決定した選択が合わない発明もあります。そこで、知財戦術では、個々の発明毎に権利化、秘匿化、又は自由技術化を選択します。このようなカスケードダウンによって、発明毎に事業に基づいた三方一選択が行われます。

これが、知財戦略カスケードダウンと三方一選択の概要です。なお、この考え方の重要な点は、知財の大目的として「事業により得られる利益の最大化、又は企業価値の向上」があります。このため、知財戦略カスケードダウンと三方一選択には、単に発明届出が提出されたや、出願件数ノルマ達成のための特許出願等の「理由のない」権利化業務は含まれません。


<2.生ジョッキ缶に関する技術と想像される特許出願の内容>

アサヒビールは、生ジョッキ缶におけるビールを泡立たせる技術について既に多くを開示しています。そして、この技術は特許出願中とのことですので、明細書でも当業者が実施可能な程度に泡立たせる技術が開示されることとなります。なお、今現在、本出願の特許公開公報は発行されいないようなので、以下で説明する特許出願の内容はアサヒビールが現状で開示している技術情報に基づいて筆者が想像したものです。

下記は、アサヒビールの経営方針(p.6~p.7)から分かる生ジョッキ缶の技術内容です。
1.フルオープン缶
2.缶の内面にカルデラ状の凹凸
3.炭酸ガス圧が通常缶よりも高く、サーバーと同等の圧力

このうち、フルオープン缶は「食品缶詰等では採用実績はあるが、飲料缶では初採用」とのことです。
また、グラス等の内面の凹凸により泡立ちの程度が変わることは周知のようです。さらに炭酸ガス圧によっても泡立ちの程度が変わることも周知のようです。
このように、1~3の一つずつを取ってみるとさほど新しいことなないようにも思えます。

しかしながら、特許権を取得するためには、新規性・進歩性が必要です。
では、何が新しいのか?
1~3(又は1と2)の技術を組み合わせて缶ビールに適用し、開封直後のビールの泡立ちが良いという効果が得られたということでしょう。なお、今までのビール缶では、泡立ちの良さよりも開封したときにビールの泡が缶からこぼれないようにすることが念頭に置かれていたとのことです。

一方で経験上、1~3の構成だけでは特許権を取得することは難しいように思えます。
特許権を取得するためには、おそらく、缶内面の凹凸の表面粗さの数値(下限値~上限値)、炭酸ガス圧力の数値(下限値~上限値)を請求項に入れる必要があるでしょう。
いわゆる数値限定により、特許権が取得できると思われます。そして、この数値範囲は特許出願の明細書に記載されていることでしょう。

なお、この生ジョッキ缶に用いられている技術要素として不明なことは、凹凸を形成するための塗料の成分です。アルミに焼き付け処理を行うことによってビールに融解しない塗料のようですが、その成分はなにであるかは経営方針にも記載されていません。
この塗料の成分は、特許明細書にも記載されていない可能性が考えられます。
その理由は、缶の内面に凹凸が形成されていれば、泡立ちを実現できるためであり、例えば、アルミの表面加工により凹凸が実現できるかもしれません。すなわち、塗料による凹凸形成は、凹凸を形成するための複数の手段のうちの一つに過ぎないように思えます。そうであれば、わざわざ特許明細書に塗料の成分を記載する必要はないようにも思えます。


<3.特許権で技術を守れるのか?>

上記のように、特許権を取得するためには数値限定が必要に思えます。
数値限定は、その数値範囲が特許権に係る技術的範囲となります。このため、特許請求の範囲で示される数値範囲に含まれない形で他社が生ジョッキ缶を模倣した場合には、特許権の侵害にはなりません。

このことから、特許権を取得する数値範囲、特に缶内面の表面粗さの数値範囲が重要になるかと思います。もし、消費者に対して訴求力のある泡立ちを実現するための表面粗さの全域を特許権でカバーできれば、他社は生ジョッキ缶を模倣することが難しくなるかもしれません。

一方で、多少泡立ちの度合いは小さいものの製品として許容できる範囲を特許権でカバーできなければ、他社は特許権でカバーされていない技術的範囲で製品を製造販売する可能性もあるでしょう。もしそうなれば、特許権では生ジョッキ缶の技術を十分には守れないこととなります。

以下、次回に続きます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年4月4日日曜日

IPA発表の「企業における営業秘密管理に関する実態調査2020」と警察庁発表の資料

先日、IPA(情報処理推進機構)から「企業における営業秘密管理に関する実態調査2020」が発表されました。この前回の調査は2017年に発表されたものであり、3年を経て新たに発表されたものです。

この調査で私が気にしているものは営業秘密の漏えいルートに関するアンケートです。
2020の実態調査では下記のような結果となっており、IPAでは「情報漏えいルートでは「誤操作、誤認等」が21.2%と前回調査に比べ約半減。その一方で「中途退職者」による漏えいは前回より増加し36.3%と最多(報告書P28)。 」とのように述べています。


「「誤操作、誤認等」が21.2%と前回調査に比べ約半減。」とありますが、私はちょっと違うのではないかと思います。
この「誤操作、誤認等」に対応する前回調査のアンケート項目は「現職従業員等のミスによる漏えい」です。そして今回調査では「現職従業員等のルール不徹底による漏えい」がアンケート項目に新設されました。
すなわち、前回調査のアンケート項目「現職従業員等のミスによる漏えい」が「誤操作、誤認等」と「ルール不徹底」の2つに分かれたのではないでしょうか?この2つの割合いを合算すると40.7%であり、前回調査の「ミスによる漏えい」43.8%とほぼ同じであす。

一方で、IPAが述べているように、中途退職者による漏えいは前回が28.6%であったものが今回は36.3%とのように増加しています。これは実際に中途退職者による漏えいがそのものが増加したのか、企業側の認識が高まったのかは判然としません。しかしながら、数値としては増加していることは事実です。

さらに注目したい結果は、国内の取引先や共同研究先を経由した(第三者への)漏えい」が前回の11.4%から2.7%へ大幅に減少したということです。
これに関連して、近年、大企業等が優越的地位を利用して中小企業等の知的財産の開示を強要するといったことに対する懸念を経済産業省や公正取引委員会が示し、報告書を作成したり、最近では「スタートアップとの事業連携に関する指針」を発表したりしています。
「国内の取引先や共同研究先を経由した(第三者への)漏えい」の減少は、こういった行政の活動の結果として表れているのではないかと思います。

また、「契約満了後又は中途退職した契約社員等による漏えい」も前回の4.8%から1.8%へ大幅に減少しています。契約社員等には企業が直接雇用した人の他に派遣社員も含まれるのではないかと思います。減少の理由は、契約社員等に与えるアクセス権限を減らしたことが考えられます。また、派遣社員に対しては、派遣会社による派遣先企業の営業秘密漏えい防止等の教育活動があるのかもしれません。

次に、警察庁生活安全局から「令和2年における生活経済事犯の検挙状況等について」が発表されました。
これによると、営業秘密侵害事犯の検挙事件数の推移は下記のとおりであり、絶対数としては少ないものの増加傾向にあります。
また、相談受理件数の推移は前年に比べて減少しています。



相談受理件数が減少している理由は分かりませんが、営業秘密の漏えいそのものが減少しているとは思えませんので、企業側が相談を行うことを躊躇するような理由があるのかもしれません。
企業にとっては、営業秘密の漏えいを刑事告訴することについてメリットがないと考え、警察対応等で本来の業務が滞ると考える場合もあるでしょうし、刑事告訴により広く報道がされる可能性もあり、それを良しとしない考えもあるでしょう。
一方で、刑事告訴することにより、警察が証拠収集をするので、民事訴訟において警察が収集した証拠を使用するという考えもあります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年3月22日月曜日

スマホ技術を転職先の中国企業へ漏えい、懲役2年の実刑判決。厳罰化の流れ?

先日、NISSHAの元従業員が転職先の中国企業へスマホ技術を漏えいした刑事事件の地裁判決が出ました。 

この判決は少々驚きでもあり、営業秘密の漏えい事件において厳罰化の流れを感じさせます。

下記の一覧表のように、営業秘密漏えいの刑事事件において執行猶予なしの懲役刑は3件(東芝半導体製造技術漏洩事件、ベネッセ個人情報流出事件、富士精工営業秘密流出事件)です。実際には、あと数件懲役刑となった例が有りますが、それらは顧客情報を持ち出し、詐欺等の他の犯罪にも利用したものであり、転職時等に持ち出した事件とは少々異なると考えています。


3件のうち、東芝半導体製造技術漏洩事件とベネッセ個人情報流出事件は、被害企業に与えた損害がとても大きかったために執行猶予がない懲役刑となったと思います。

また、富士精工営業秘密流出事件では、中国人技術者が中国企業への転職に伴い、富士精工の営業秘密を持ち出したという事件です。この事件では、当該営業秘密が中国企業で使用され、富士精工に損害を与えたという事実までは確認できていないようですが、実刑となっています。
この事件において裁判官は、「転職に有利と、私利私欲で経営の根幹にかかわるデータを不正に領得(りょうとく)。刑事責任は相当に重い」、「日本の技術が国際競争にさらされ、違法な海外流出を防ぐ意味でデータ保護の必要性は高い。アジア諸国の技術的台頭を背景に法改正された経緯に鑑みると、実刑はやむをえない」とのことです(2019年6月6日 朝日新聞「企業秘密の製品データ複製の罪 中国籍元社員に実刑判決」)。

そして、今回の事件では、中国企業へ営業秘密を漏えいしたものの、富士精工営業秘密流出事件と同様に被害企業に多大な損害を与えたということは報道からは伺えません。

これら4つの事件から、実刑となる可能性がある営業秘密の漏えい事件は、被害企業に多大な損害を与える場合と、外国へ技術情報を漏えいした場合と思われます。
特に外国への漏えいについては、平成27年の不正競争防止法改正において海外重罰が加えられたこと、また、昨今の海外への情報流出の懸念が影響しているのだと思います。

また、実刑判決となった4件の営業秘密漏えい事件のうち、3件が技術情報の漏えい事件です。これは、顧客情報よりも技術情報の方が、被害企業に与える損害が大きくなる可能性が高いためであると思われます。そして、外国企業において、日本企業の営業秘密としては顧客情報よりも技術情報の方が重要ということもあるでしょう。

今回の判決は、日本の”知的財産”である技術情報の海外流出に対する危機意識を裁判所も共有しているということなのでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年3月14日日曜日

営業秘密侵害における民事訴訟の損害賠償額

営業秘密を侵害した個人は、刑事責任や民事責任を負うことになります。
刑事責任は、侵害者が刑事罰を受けることになります。
下記が過去にあった刑事罰の一例です。
営業秘密の侵害では、そのほとんどの懲役刑に執行猶予がついています。
しかしながら、中には執行猶予がない懲役刑が課される場合もあります。


上記のように刑事責任は懲役刑や罰金刑が課される可能性が有ります。
一方、民事責任はどのようなものでしょうか?
民事責任は、当該侵害によって営業秘密の保有者(保有企業)に与えた損害の賠償や、持ち出した営業秘密の使用又は開示をしてはならないという差し止め、持ち出した営業秘密の廃棄等です。このうち、個人が現実に負うものは損害賠償でしょう。

では、損害賠償はどのくらいになる場合があるのでしょうか?
それはケースバイケースですが、中には相当高額になる場合もあります。
その理由は、営業秘密が不正使用されたことにより、当該営業秘密の保有企業が受ける損害が莫大なものになる場合があるからです。
以下に、個人が負った損害額のいくつかを紹介します。

(1)500万円 
アルミナ繊維事件
大阪地裁平成29年10月19日判決(平成27年(ワ)第4169号)

本事件は、原告企業の元従業員であった被告が原告企業の営業秘密であるアルミナ繊維に関する技術情報等を持ち出し、これを転職先の競業会社で開示又は使用するおそれがあるとして原告企業が訴訟を提起したものです。
本事件では、原告企業は営業秘密の使用等による損害を主張していませんが、弁護士費用等として1200万円を損害額として主張し、このうち500万円の損害が認められました。


(2)1815万円(被告会社と被告個人とでの連帯)
リフォーム事業情報流出事件
大阪地裁令和2年10月1日判決(平成28年(ワ)4029号)

本事件は、家電小売り業の原告の元従業員(被告個人)がリフォーム事業に係る営業秘密を転職先である被告会社へ持ち出したというものです。
損害額の内訳は、営業秘密の使用が1500万円、本事件に関する調査に関する外部委託費用が150万円、弁護士費用が165万円、合計で1815万円です。被告会社と被告個人との連帯で支払い義務がありますので、半額ずつ支払うのでしょうか。
なお、本事件は元従業員に対して刑事告訴もされており、この被告個人は上記一覧表のように有罪判決(懲役2年 執行猶予3年 罰金100万円)となっています。また、被告個人は刑事事件の起訴時において無職となっており、起訴時には既に被告会社には在籍していなかったようです。


(3)2239万6000円 
生産菌製造ノウハウ事件
東京地裁平成22年4月28日判決(平成18年(ワ)第29160号)

本事件は、原告が保有する営業秘密である本件生産菌(コエンザイムQ10)を被告が退職時に持ち出したというものです。なお、被告は、原告企業を退職後に、被告企業(被告が設立)の代表取締役となっています。
上記金額は、原告企業の就業規則に「会社は,退職者が在職中に行った背信行為が発覚した場合,あるいは退職者が退職後に会社の機密漏洩等の背信行為を行った場合,すでに支給した退職金・退職年金を返還させ,以後の退職年金の不支給または減額の措置をとることができる。」と規定されていることを根拠としています。
すなわち、被告による営業秘密の持ち出し等が原告に対する背信行為であり、退職金の一部の返還義務があるとされました。
そして、原告は、被告に対して退職金として2495万1148円(原告拠出分2239万6000円及び被告C積立分255万5148円)を支給したことから、被告は、原告拠出分2239万6000円の返還義務が生じ、退職金のほとんどを失うことになりました。


(4)10億2300万円 新日鉄営業秘密流出事件
知財高裁令和2年1月31日判決(令和元年(ネ)10044号)

本事件は、新日鉄が保有する電磁鋼板の技術情報を韓国のPOSCOに不正に開示したとして、新日鉄の元従業員に対して新日鉄が民事訴訟を提起したものです。
本事件に関連して新日鉄とPOSCOとの間で和解が成立しており、和解金が300億円とも言われています。この和解金からして、新日鉄が負った損害は莫大な金額であったのでしょう。
当然、その責任は営業秘密を持ち出した個人にもあります。電磁鋼板の営業秘密を持ち出した元従業員は複数いたようであり、その多くは新日鉄との間で和解を成立させて判決にまで至っていなかったようですが、本事件では判決にまで至り、地裁でも10億円、高裁でも10億円の損害額を被告個人が負うことになりました。

営業秘密の不正な持ち出しは、転職時や起業時に生じ易く、営業秘密の不正な持ち出しが違法であることを認識していないと行ってしまう可能性が有ります。
このため、営業秘密の不正な持ち出し、使用、開示は、上記のように刑事責任や民事責任を負う可能性が有ることを認識する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信