2022年10月17日月曜日

退職時における秘密保持誓約書の効果

近年、自社の企業秘密(営業秘密)を持ち出さないように、退職者に対して秘密保持誓約書へのサインを求める企業が増え、世間一般として、これが奨励されているようにも思えます。
しかしながら、秘密保持誓約書にサインをしても営業秘密を持ち出す退職者もいることから、秘密保持誓約書へサインさせたからといって、自社の営業秘密を守れるとは限りません。また、秘密保持誓約書にサインをさせたからといって、自社が保有している情報が全て営業秘密になるわけではありません。

まず、秘密保持誓約書にサインをしても営業秘密を持ち出す退職者についてです。
このような退職者は、営業秘密に対する認識が甘いと考えられます。
すなわち、営業秘密を持ち出したとしても、それは今後の勉強のためであり、また、自身は転職先でも社長等の重要な役職者にはならないため、さほど問題ではないだとうとのような認識です。しかしながら、不正の利益を得る目的で営業秘密を持ち出したら刑事罰の対象になり得るので、役職には関係なく、また、転職時に持ち出したとなれば「不正の利益を得る目的」と判断される可能性が高いです。その結果、逮捕となり得ます。

ではこのような認識を改めさせるためにどうすればよいのか?
それは、秘密保税誓約書にサインを求める際に、退職時に営業秘密を持ち出すと刑事罰の対象となることを説明し、もし営業秘密の持ち出しがあった場合に、自社は刑事告訴を行うとのこと退職者に対して明確に示すことでしょう。また、退職者が既に営業秘密を持ち出しているのであれば、速やかにそのことを申し出ることも付け加えたほうが良いかと思います。
営業秘密を持ち出す人の多くは悪人ではなく、昨日まで一緒に仕事をしていた上司や部下又は同僚です。そして、営業秘密の持ち出しは自発的な行為です。そうであれば、営業秘密の持ち出しによって刑事罰の対象となることを明確に認識すると、ほとんどの人はそれを止めるでしょう。


さらに、秘密保持誓約書に実際にサインを行うか否かは退職者の自由であり、サインをしないからと言って退職できないわけではありません(就業規則等にサインを拒否した場合に退職金の減額等の規定が有れば、拒否し難いでしょうが。)。
しかしながら、サインをしなかったからといって、営業秘密を自由に持ち出せるわけではありません。営業秘密は秘密管理性、有用性、非公知性といった三要件の全てを満たす情報です。このような情報を退職時に持ち出すことは、秘密保持誓約書に対するサインの有無にかかわらず、刑事罰の対象となります。従って、退職時に前職企業から秘密保持誓約書を求められなくても、営業秘密の持ち出しは刑事罰の対象となります。

一方で、秘密保持誓約書にサインをさせたのだから自社の情報は全て営業秘密であると会社が認識していたら、それは会社側が営業秘密を理解していないことになります。
上記のように、営業秘密は三要件の全てを満たす情報です。このため、これら三要件を満たさない情報は営業秘密ではありません。秘密保持誓約書における秘密保持の対象が何であるかは実際の秘密保持誓約書の文言によるでしょうが、一般的な秘密保持誓約書であれば秘密保持の対象は不競法で規定される営業秘密となるでしょう。
そうであれば、上記三要件を満たさない情報を退職者が持ち出しても営業秘密の持ち出しとはなりません。このため、企業側は常日頃から自社の営業秘密とすべき情報がどのような情報であるかを認識し、当該情報が上記三要件を満たすようにしなければなりません。特に秘密管理性が不十分である場合が多々あるので、営業秘密としたければ当該情報の秘密管理性を満たすように管理するべきでしょう。
換言すると、退職者と秘密保持誓約書を交わしたということのみでは、情報の秘密管理性は認められる可能性は相当低いと考えられます。なお、従業員数が数人程度でどの情報が営業秘密であるかを全員が認識しているような場合は秘密保持誓約書のみで秘密管理性が認められる可能性はあると思いますが、これは例外的でしょう。
また、退職者に秘密保持誓約書を提示する際に、対象となる情報を慌てて秘密管理しても遅い可能性があります。もし退職者が既に当該情報を持ち出していた場合にはその後当該情報を秘密管理したとしても、持ち出した当該情報は営業秘密とはみなされない可能性があるためです。

以上のことから理解できることは、退職時の秘密保持誓約書は企業が自社の営業秘密を守るために重要な要素ではないということです。秘密保持誓約書の効果としては、退職者に営業秘密の持ち出しは不法行為であり、刑事罰の対象となることを認識させる機会を与える程度のものです。
すなわち、退職者は秘密保持誓約書の有無にかかわらず、営業秘密を持ち出してはなりませんし、企業は秘密保持誓約書の有無にかかわらず、営業秘密とする自社の情報を秘密管理等しなければなりません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年10月10日月曜日

かっぱ寿司の元社長による営業秘密漏えい事件(刑事事件)

先週からかっぱ寿司の社長による営業秘密の漏えい事件(刑事事件)が大きく報道されています。刑事事件としての営業秘密の漏えい事件は少なからず生じており、そのほとんどはニュース記事で少し取り合げられるだけで、大きく話題になることはありません。
かっぱ寿司の事件が大きく報道される背景としては、逮捕された社長が競合他社であるはま寿司の元取締役であり、かっぱ寿司とはま寿司は共に回転ずしチェーンとして多くの人に身近な存在であると共に、ライバル企業である、という背景があるためでしょう。

ここで、営業秘密の漏えいは”元従業員”が行う場合が多いと思われるかもしれませんが、部長以上の役職を持つ者が転職時に前職の営業秘密を持ち出す事件も多くあります。役職を有する者は多くの営業秘密に対するアクセス権限があるでしょうし、その営業秘密の有益性もよく理解しているでしょう。また、転職先でも好待遇の場合が多いでしょうから、転職先での成果をより求められるというプレッシャーも感じるでしょう。

例えば、日本ペイントデータ流出事件は、日本ペイントの元執行役員が競合他社である菊水化学へ転職する際に、日本ペイントの営業秘密を持ち出しています。また、リフォーム事業流銃事件では、エディオンの元部長が転職先の上新電機に営業秘密(リフォームに関する商品仕入れ原価や粗利のデータ等)を漏えいしています。これらの事件では、共に執行猶予付きですが懲役刑となっています。
営業秘密の漏えい事件では、執行猶予が付く場合が多いですが、被害企業の損害が多い場合等には執行猶予がつかない場合もあります。本事件は、食材の原価や取引先の情報等が営業秘密のようであり、これらの情報が回転ずしチェーン店にとって重要であることは想像に難くありません。そうすると、はま寿司の損害が大きいと裁判所に判断され、元社長は執行猶予がつかない懲役刑となる可能性もあるかもしれません。

参考ブログページ


また、前社長は、不正に持ち出した営業秘密をかっぱ寿司社内で開示して、かっぱ寿司はそれを使用していたという疑いがあります。

ここで、営業秘密を不正に持ち出して他社に転職した者には、大きく分けて下記の2パターンがあると思います。
・第1パターン:営業秘密を持ち出したものの転職先等で開示しないパターン
・第2パターン:営業秘密を持ち出して転職先で開示しするパターン

第1パターンは、例えば、不正に持ち出した営業秘密を転職先で開示するきっかけが無かったのかもしれませんし、開示しなければ罪に問われないと思って開示しなかったのかもしれません。何れにせよ、不正に持ち出した者は罪に問われる可能性がありますが、持ち出された企業は実質的な損害は生じないでしょう。

第2パターンは、さらに2パターンに分かれるかと思います。
・第2パターンA:転職先企業が開示された他社の営業秘密を使用しない。
・第2パターンB:転職先企業が開示された他社の営業秘密を使用する。
第2パターンAは、転職先企業が営業秘密の流入リスクを理解している場合でしょう。営業秘密の流入リスクを理解していなければ、転職者が良い情報を持ってきてくれたと考え、第2パターンBとなるでしょう。
また、第2パターンAの場合は、転職先企業が営業秘密の漏えい元(転職者の前職企業)に問い合わせる場合もあり、そうすることで営業秘密の漏えいに自社が関与していないことを証明することにもなるでしょう。

一方、第2パターンBは、不正に持ち出された営業秘密を転職先が使用することになるので、この転職先も罪に問われる可能性があります。この場合、転職先企業は億単位の罰金刑となる可能性があり、当然、社会的信用も大きく失われるでしょう。
さらに、それだけに留まらず、被害企業から民事訴訟を提起され、損害賠償や当該営業秘密の使用差し止めを求められる可能性があります。損害賠償の額も億単位になる可能性がありますし、何より営業秘密の使用差し止めはその後の経営に大きな影響を与える可能性があります。

今後、被害企業であるはま寿司はかっぱ寿司に対して損害賠償及び営業秘密の使用差し止めを求めて民事訴訟を提起する可能性が相当高いと思われます。
報道によるとかっぱ寿司は、「はま寿司のデータと自社の商品を比較して、商品開発に利用する」等していたようです。そうすると、営業秘密の使用差し止めが裁判所によって認められた際には、当該商品は今後販売できない可能性もあるでしょう。また、はま寿司から持ち出された営業秘密には、はま寿司の取引先に関する情報も含まれていたようです。もし、この営業秘密を用いてかっぱ寿司が新たな取引先を開拓していたらどうなるのでしょうか?その取引先とは今後取引をしてはならないのでしょうか?不正に取得した営業秘密を使用してはならないとは、いったいどの範囲までのことになるのか私もよく分かりません。

このように、転職者によって転職先企業に営業秘密が持ち込まれ、転職先企業がそれを使用したとすると転職先企業が多大なる損害を被る可能性があります。
したがって、企業は営業秘密の漏えい(流出)リスクと共に流入リスクも意識しなければなりません。例えば、転職者が前職企業の社名等が表示された資料を開示したとすると、それは高い確率で不正に持ち込まれた営業秘密である可能性があります。このような場合には、当該情報を使用しないだけでなく、自社内で当該情報が広まらないように対応すると共に転職者から当該情報の入手経路を確認し、もし前職企業の営業秘密である場合には前職企業に問い合わせるべきでしょう。また、転職間もない転職者が自社で得たとは思えないような情報を開示した場合にも同様です。

このため、企業は転職者が転職間もない時期に開示する情報には特段の注意が必要であり、自社内で作成されたと思えない情報はその入手経路を確認しなければなりません。転職者が部下や同僚であれば、入手経路を確認し易いでしょうが、転職者が上長さらには社長であっても躊躇してはならないでしょう。
万が一、開示された情報が他社の営業秘密であり、それを使用すると自社が責任を負うことになるでしょうし、もしかしたら、自身も逮捕されるかもしれません。現に、本事件では、元社長だけでなく、かっぱ寿司の部長職の人物も逮捕されています。自社に営業秘密が不正に持ち込まれると、それを知って使用した場合には自身も逮捕される可能性を意識しなければなりません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月26日月曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(有用性)

前回の判例紹介の続きです(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)。
この事件は、原告が被告から宅配ボックスの開発・製造の委託を受けたものの、被告が本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめ、原告の営業秘密である本件データを使用して被告製品を製造・譲渡したというものです。
この事件は、被告は原告の営業秘密である本件データを不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求が認められました。

前回は本件データの秘密管理性についてでしたが、今回は有用性と非公知性についてです。
まず、本件データの有用性について、裁判所は下記のようにして認めており、この判断は至極妥当であると考えられます。
❝本件データは,前記(1)のとおり,本件新製品の最終試作品の製作のために原告が作成した3Dデータであり,3次元の空間における部品の構造(部品の長さ,形状,厚みなどの全ての構造)が詳細に記録され,本件データがあれば本件新製品の試作品を容易に製造することができるものであるから,原告の事業活動において有用な情報であり,有用性が認められる。❞
一方で、被告は❝本件データは,本来であれば被告製品の基となることが予定されていたものであるから,原告の事業活動において有用な情報であるとはいえない❞とのように主張したようです。しかしながら、裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データについて,被告製品の製造以外に用いることができないといった事情はうかがわれないから,被告製品の基となることが予定されていたことをもって原告の事業活動における有用性が否定されるとはいえない。❞
この裁判所の判断からすると、本件データが被告製品の製造にのみ用いるものであれば、有用性が否定されるとも解釈できます。1つの企業でしか用いることができないデータが存在するのか分かりませんが、そのようなデータは有用性が認められないということでしょうか。そのような理由で有用性が否定され得るのか、少々疑問に感じます。


また、被告は❝本件データの内容に技術的な特殊性及び革新性はなく,公知情報の組合せであって,予想外の特別に優れた作用効果を奏するものでもない❞とも主張したようです。しかしながら、これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データは,具体的な試作品の作成が可能な程度に部品の構造や寸法が詳細に記録されたものであり,単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したものではないから,本件データが公知情報の組合せにすぎないとはいえない。❞
この裁判所の判断も妥当なものと思われます。
しかしながら、上記判断では、本件データは❝部品の構造や寸法が詳細に記録されたもの❞であるから有用性を認めるとしており、仮に本件データが❝単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したもの❞であれば有用性は認められないとも解釈できます。このことは、営業秘密が有用性を満たすか否かの判断において重要なことを示唆していると思われます。
すなわち、他の裁判例でもあったように、特許で言うところの進歩性が低い情報については有用性が認められない可能性を示唆しています。なお、原告は、被告の主張に対して❝有用性と特許制度における進歩性の概念とを混同したものであって,失当である❞とも主張しましたが、この原告の主張に対して裁判所は何ら述べていません。
また、被告の上記主張は非公知性としても述べられていますが、非公知性としても同様の判断で裁判所は被告の主張を認めませんでした。

さらに、被告は❝本件データには原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれているから,原告にとっての有用性は非常に低い❞とも主張しました。これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件新製品の仕様等について原告と被告は打合せを繰り返したが,弁論の全趣旨によれば,本件データの作成自体は原告が単独で行ったものと認められるから,この点も本件データの有用性を否定するものとはいえない。❞
このように裁判所は、❝本件データの作成自体は原告が単独で行ったもの❞であるとして、被告の主張を認めませんでしたが、この判断はどうでしょうか。仮に、本件データを原告が被告と共に作成しても本件データの有用性は否定されないと思います。

なお、被告は❝本件データは樹脂製品及び宅配ボックスについての知識経験を豊富に有する被告の助言・監修の下で作成されたものであるから,原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれている。❞とも主張しています。これに対して、原告は❝本件データの作成過程において,原告が被告の意向を踏まえてデータを作成することがあったとしても,その意向は抽象的な要望やアイデアにすぎなかった。❞とのように反論しているものの、本件データに被告のアイデアが含まれていることは否定していません。

このようなことから、被告は本件データを共同作成したことを有用性の有無で争うのではなく、本件データは原告と被告とが共同作成したものであるから、本件データの保有者には被告も含まれることで主張した方が良かったように思えます(この主張が認められる可能性は低いかもしれませんが)。もし、この主張が認められたら、本件データは原告と被告とが共同で保有しているので、被告も使用可能であり、被告による営業秘密侵害にはならない可能性があるのではないでしょうか。

ここで、発明については「具体的着想を示さず単に通常のテーマを与えた者又は発明の過程において単に一般的な助言・指導を与えた者」は発明者とはなりません。すなわち、原告と被告の共同作成を発明に当てはめると、被告が原告に抽象的なアイデアを与えただけでは発明者とはなり得ないでしょう。一方で、「提供した着想が新しい場合は、着想(提供)者は発明者」とされます。もし、被告が原告に与えたアイデアが新しい着想である場合には、被告は発明者となり得、当該発明に対して特許を受ける権利を有することとなります。

特許と営業秘密とを同様に考えることは必ずしも適切ではないと思います。しかしながら、原告が作成した本件データが、仮に被告が独自に着想した新規(非公知)のアイデアに基づいて図面とされているものであれば、本件データは被告のアイデア無くして作成できたものではありません。そうであれば、被告も本件データの保有者という主張も議論の余地があるのではないかと思います。
なお、仮に被告が本件データの保有者であると認められ、被告の営業秘密侵害が否定されたとしても、被告は原告に対して少なくとも本件データの作成費用の支払い義務はあるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信