この事件は、原告の元従業員である被告Aが原告を退職する際、故意に原告の管理するサーバー内に保存された業務に必要な電子ファイルを削除したとして、被告Aに対して不法行為に基づく損害賠償が求められたというものです。また、身元保証契約に基づく保証債務の履行として被告Aの妻と被告Aの母も被告となっています。
判決は、被告らに対して連帯して577万4212円の損害賠償が認められています。
原告は、半導体及び関連材料、部品、応用製品の製造、販売並びに研究開発等を目的とし、青色半導体レーザー分野では大きな世界シェアを有している会社です。被告Aは、令和元年9月2日に原告に入社し、レーザーダイオード(LD)開発部門の金属加工用レーザー光源開発業務等に携わっていました。
被告Aは、令和3年7月31日に原告を退職しました。この際、被告Aは、6月29日に本件研究所において使用されている本件共有サーバーに保存されていた特定のフォルダのファイル及び本件プログラム自体を削除するプログラムをバッチファイルで作成しました。そして、被告Aは、同日、自宅のパソコンから本件研究所内の共有パソコンにリモート接続し、共有パソコンに本件プログラムを設定した上で、7月31日に本件プログラムが起動するよう設定しました。その結果、7月31日に本件プログラムが起動し、本件共有サーバーに保存されたフォルダ内のファイル及び本件プログラムが削除されました。
原告が主張する削除されたファイルは、以下です。被告Aは原告に在籍していた間に行った業務の成果物のほとんどを故意に消滅させて退職したと原告は主張しており、 一見して装置の開発等に必要なデータであることがわかります。
関連する業務:ファイルの内容
本件業務①: ➊加工実験装置の操作手順書、❷装置稼働用ソフトウェア関連資料、❸部品関連資料、❹加工実験データ、❺加工デモルーム資料
本件業務② :➊レーザー光源装置の操作手順書、❷測定器稼働用ソフトウェア関連資料、❸部品関連資料、❹実験データ
本件業務③ :➊高出力レーザー光源の特性確認用実験装置の資料、❷光ファイバー関連資料
本件業務④ :➊レーザー光源装置の使用方法、加工手順の作業手順書、❷社外受講のレーザー安全スクールの受講内容まとめ、❸レーザー加工技術書籍内容のまとめ
このような被告の行為に対して裁判所は以下のように判断しています。
本件各ファイルは、被告Aが原告の業務に従事する過程で作成し、原告の管理する本件共有サーバー内に保存していたものであるから、本件各ファイルに関する利益は、削除されたファイルの財産的価値を否定すべき特段の事情がない限り、原告の法律上保護される利益であったということができ、そのような原告の法律上保護される利益を、原告の同意なく滅失させた行為には不法行為が成立し得る。
一方で、被告は「ⅰ被告Aが上司から引き継ぐよう指示を受けていたファイルは、本件ファイル①-➊の操作手順書及び本件業務④のファイルの一部であり、これら以外のファイルについては引継不要とされていたから、削除しても原告の法律上保護される利益を侵害したとはいえない」とも主張しています。
これに対して裁判所は、上記の引継不要とされたことを認めつつも、以下のように判断しています。
しかしながら、本件証拠から認定できる事実関係に照らせば、引継相手を指定されなかったということをもって、ファイルを削除することにつき原告の同意があった又はファイルが原告にとって財産的価値のないものであったということはできない。すなわち、本件業務①関連のFθレンズは、・・・本件装置の財産的価値を高めるものであったから、本件ファイル①-❸にも財産的価値があったといえる。このような価値のあるファイルを削除することに原告が同意したとは考え難く、他に原告による同意を示す証拠もない。なお、被告Aは、・・・被告Aの退職後も本件装置が原告で使用される予定であることを認識していたと認められ、本件ファイル①-❸が不要である又は削除してもよいと誤信していたとも認め難い。また、本件業務②関連の平行度測定器(本件測定器)は、・・・原告の従業員等により本件測定器が利用されることは容易に想定されるものであった。このような本件測定器に関する資料(本件ファイル②-❷ないし❹)の削除に原告が同意することは考え難く、他に原告による同意を示す証拠もない。なお、被告Aは、本件業務③に携わり、本件プロジェクト等で本件測定器が利用されていることを認識していたのだから、本件測定器及びそれに関する資料が原告にとって不要である又は削除してもよいと誤信したとは認められない。
また、被告らは「ⅱ本件ファイル①-❷及び本件ファイル②-❷のソフトウェア関連資料は、商用利用できない統合開発環境を用いて作成したものであり、原告において使用すれば原告や被告Aが莫大な損害賠償義務を負いかねないようなものであったから、原告にとって財産的価値のないものであった」とも主張しています。
これに対して裁判所は、本件ソフトウェア②は被告らの主張するとおりライセンス規約上、原告において商用利用することができない統合開発環境を用いて開発されたことを認めつつも、以下のように判断しています。
もっとも、ライセンス規約に違反して開発されたソフトウェアであったとしても、原告が正規のライセンスを取得した上で、本件ソフトウェア②のコードを転記、修正したソフトウェアを再開発することは可能であったから、本件ソフトウェア②に財産的価値がなかったということはできない(・・・)。したがって、本件ソフトウェア②にライセンス上の問題があり、同ソフトウェアの利用方法次第では将来的に原告や被告Aに対する損害賠償請求がされる危険性を含んでいたとしても、被告Aが上司らに無断で本件ソフトウェア②の関連資料を削除することは原告の利益を侵害するものと評価せざるを得ない。他方で、本件ソフトウェア①は、被告Aが統合開発環境を利用した当時のライセンス規約においても原告における商用利用が禁止されていたとまでは認められない(認定事実⑶ア、オ及び前記2⑵ア)。仮に本件ソフトウェア①の開発後にライセンス規約が変更されたとしても、遡及的に商用利用が禁止されるとは考え難く、本件ソフトウェア①の財産的価値に影響を及ぼすものではない。・・・
以上のようなことから、裁判所は「被告Aが本件プログラムにより本件各ファイルを削除し
た行為は、原告の法律上保護される利益を侵害したものであるということができる。」と判断しています。
ここで、前職企業の退職時に財産的価値のあるデータを同意なく故意に削除することは、営業秘密侵害でいうところの「保有者に損害を与える目的」に該当するとも考えられますが、「削除」は「公開」や「使用」には含まれないので、仮に削除したデータが営業秘密であったとしても、営業秘密侵害とはなりません。また、このような行為は「事業者間の公正な競争」を妨げるものであるかというと、直接的にはそうではないようにも思えます。
しかしながら、財産的価値のある情報を法的に守るべく、このような行為に対する法的な整備が必要かもしれません。
弁理士による営業秘密関連情報の発信