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2022年12月19日月曜日

判例紹介:ノウハウの対価請求権

前回のブログでは、ノウハウの保護について判断した裁判例(東京地裁令和3年12月7日判決 事件番号:平30(ワ)38505号・令2(ワ)27948号)を紹介しました。この裁判例によると、ノウハウが法的な保護を受けるためには、有用性や非公知性を有していなければならないとのことでした。

今回は、ノウハウの対価請求に関する裁判例(知財高裁令和3年5月31日判決 事件番号:令2(ネ)10048号)を紹介します。
本事件は、一審被告会社(被控訴人)の従業員である一審原告(控訴人)が、下記①と②についの特許を受ける権利(①について、原告は共同発明者4人のうちの1人であるため、4分の1の持分、②については全部)を被告会社に承継させたと主張して、その対価を請求した者です。
①被控訴人の特許となっているもの(競争ゲームのベット制御方法に関するもの)
②被控訴人の特許となっていないもの(競争ゲームに関するノウハウ)
なお、①については、原審で17万0625円の請求が認容されたものの、②については請求が棄却されています。

ちなみに、被告会社は、下記のように本件ノウハウの特許性を含む価値を否定しています。
❝本件ノウハウは,発明とはいい難い。仮に,本件ノウハウが発明に当たるとしても,対価請求権が認められるためには,特許を受ける権利として新規性及び進歩性等を含めた特許性を備えるものでなければならないが,本件ノウハウは,このような特許性が肯定されるようなものではなく,ノウハウとして秘匿すべき何らの価値もない。❞
次に本事件に対する裁判所の判断です。まず裁判所は、ノウハウの対価請求に対して以下のように、特許性を有する発明出なければノウハウに対して対価を請求できない、としています。
❝本件ノウハウは,特許登録がされていない職務発明として主張されているものであるところ,特許性を有する発明でなければ,これを実施することによって独占の利益が生じたものということはできず,特許法35条3項に基づく相当の対価を請求することはできないと解される。❞

そこで裁判所は本件ノウハウの特許性を判断するために、まず本件ノウハウの特徴を下記のように①から④に分けました。
・特徴① プレイヤー馬について、能力値とは別に、一定の割合でメダル数と相互に換算される活力値と呼ばれる指標を導入。
・特徴② 馬主ゲームにおいて、レースに出走するための消費活力値とレース結果に応じて増加する増加活力値の期待値とを等しくすることにより、馬主ゲームにおける馬ごとのメダル獲得の期待値の不公平さが生じないようにする。
・特徴③ 同じレースに複数のプレイヤー馬が出走する場合もあるので、プレイヤー馬の能力値が当初は未確定であることから、各プレイヤー馬の増加活力値,消費活力値及び能力値について、一旦暫定値を用いて計算して必要に応じて数値を再調整。
・特徴④ 活力値は、メダルとして目に見える賞金や出走料とは異なり、プレイヤーに認識されない形で増減され、次回以降の競馬ゲームに影響を与えるように導入することで、ゲーム性を醸成させる。

そして裁判所は、上記特徴①~④について以下のように、特許性はないと判断しました。
・特徴① 活力値の導入は完全確率抽選方式の下で予想ゲームと馬主ゲームとを組み合わせた競馬ゲームを設計する場合において、必然的に必要となる指標を導入したものにすぎない。
・特徴② 期待値の調整は完全確率抽選方式の下で予想ゲームに馬主ゲームを組み合わせる場合において、前記の課題を解決するために当然に採られ得る手段である。
・特徴③ 活力値の計算方法は複数の未確定の数値を基に確定的な数値を算出しようとする場合の計算方法として、通常よく採られる方法を超えるものではない。
・特徴④ 本件ノウハウの特許性を根拠付ける事情には当たらない。

このように、裁判所は、本件ノウハウは特許性がないとして、その対価請求も認めませんでした。この判断は、前回のブログで紹介した裁判例と同様の判断であると思われます。

しかしながら、上記特徴④は発明の効果を示していると思われるものの、上記特徴①~③の組み合わせは、本当に特許性がないのでしょうか。
特徴①~③の構成要件を一つの組み合わせとして特許出願すると、経験的には特許庁の審査では進歩性が認められ特許査定となる可能性もあるように思えます。
このため、仮に本件ノウハウが特許出願され、特許査定となっていたならば、原告(控訴人)は被告会社の社内規定に沿って裁判を行うことなく何らかの対価が得られていた可能性があったようにも思われます。
すなわち、従業員は自身の発明から対価を得るためには、当該発明をダメ元でも会社に特許出願してもらうという傾向になり得るでしょう。
もし、そうような傾向が強くなると、発明は特許出願して欲しいという開発側の圧力が強くなり、本来特許出願すべきでない発明も特許出願することとなり、企業は適切な知財戦略が構築できなくなるかもしれません。
そのような事態に陥らないためにも、新たな技術を開発した従業員に対しては、特許出願の有無に関係なく、十分な評価を行う体制が必要となるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年10月31日月曜日

判例紹介:見積書の営業秘密性

一般的に見積書は同業他社に知られたくない情報と考えられ、不必要に第三者に開示したりするものではありません。では、見積書というだけで、その営業秘密性は認められるのでしょうか。

これに関して争われた民事事件として、大阪高裁令和4年9月30日判決(令4(ネ)574号)があります。この事件は下記ブログ記事で紹介した事件の控訴審であり、一審では原告敗訴となっており、控訴審でもそれが維持されています。

本事件は、元従業員である被告P1(被控訴人P1)が不正の手段により原告(控訴人)が営業秘密と主張する見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告会社に開示し、被告会社がこれを使用したことが不競法違反に当たる、とのように原告が主張したものです。
しかしながら、裁判所は、見積情報の営業秘密性を認めず、さらに被告P1による見積情報の不正取得や使用、開示行為も認めませんでした。

そして控訴人である原告は、控訴審において当該見積情報(本件見積書)の秘密管理性を下記のように主張しました。
❝被控訴人P1 は、競業会社である被控訴人会社の代表者であって、本件見積書に記載された本件顧客情報及び本件価格情報が控訴人からすれば他社に知られてはならない秘密であることは同業者として十分に知っていたから、それだけで営業秘密であることが客観的に認識可能であったといえるのであり、上記各情報は控訴人の営業秘密に該当する。❞



確かに、見積書には顧客情報や価格情報が含まれており、見積書は他社に知られたくなく、秘密にするべき情報と考えることが一般的と言えるでしょう。しかしながら、裁判所は以下のように本件見積書の営業秘密性を否定しました。
❝しかし、例として対象工事1、3についてみると、これらに関しては、控訴人が本件見積書1、3を提出した元請業者が建物建築工事を受注できないことが確定し、控訴人も同各見積書に基づいては型枠工事を受注できないことが確定した後に、被控訴人会社が同型枠工事に係る見積書を作成したことが問題とされているところ、本件見積書1、3は、競争入札に参加予定の元請業者が入札額を算出するに当たり参考にするために下請業者に作成提出させたものにすぎず、必ずしも被控訴人会社の受注に直結するものではない(補正の上引用した原判決第2の2(3)ウ)。そして、具体的工事を対象として作成される見積書は、その性質上、契約締結に至らなかった場合、そのままでは他に流用できないものであるから、これらの点も併せ考えると、控訴人においては、契約締結に至るか否かを問わず、見積書全般につき、その見積書に記載されている顧客情報及び価格情報について、一律に、営業秘密に該当することが従業員である被控訴人P1 において客観的に認識可能であったとは認められない。❞
少々分かり難いかと思いますが、見積書を取引先に提出したものの受注に至らなかった場合には、当該見積書は他に使用できるものではないから、当該見積書というだけで(㊙マーク等の秘密管理無く)、客観的に秘密であると認識できるものではない、という裁判所の判断だと思います。すなわち、受注に至らなかった見積書は相対的に価値が低い(有用性が低い?)情報であるため、それだけでは秘密であるとは認識できない、ということでしょうか。
そうすると、受注に至った見積書は(価値が高いため?)、それだけで秘密管理性が認められるということになるのでしょうか。また、受注に至るか否か分からない、顧客が判断中の見積書はどうなのでしょうか。

このように、一般的には秘密だと思われる情報であっても、秘密であることを認識可能なように管理していないとして、その秘密管理性が否定され、営業秘密ではないと裁判所に判断される場合があります。一般的に秘密と考えられる情報としては、例えば、顧客情報がありますが、顧客情報に対しても秘密管理性が否定された裁判例が多々あります。
このように営業秘密性が否定されるリスクを避けるためにも、秘密としたい情報は一般論に頼らずに、確実に秘密管理する必要があります。

なお、本控訴審でも被告による当該見積書の不正使用や開示は認めていませんので、当該見積書の営業秘密性が認められたとしても、最終的な結論は変わらないでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月26日月曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(有用性)

前回の判例紹介の続きです(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)。
この事件は、原告が被告から宅配ボックスの開発・製造の委託を受けたものの、被告が本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめ、原告の営業秘密である本件データを使用して被告製品を製造・譲渡したというものです。
この事件は、被告は原告の営業秘密である本件データを不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求が認められました。

前回は本件データの秘密管理性についてでしたが、今回は有用性と非公知性についてです。
まず、本件データの有用性について、裁判所は下記のようにして認めており、この判断は至極妥当であると考えられます。
❝本件データは,前記(1)のとおり,本件新製品の最終試作品の製作のために原告が作成した3Dデータであり,3次元の空間における部品の構造(部品の長さ,形状,厚みなどの全ての構造)が詳細に記録され,本件データがあれば本件新製品の試作品を容易に製造することができるものであるから,原告の事業活動において有用な情報であり,有用性が認められる。❞
一方で、被告は❝本件データは,本来であれば被告製品の基となることが予定されていたものであるから,原告の事業活動において有用な情報であるとはいえない❞とのように主張したようです。しかしながら、裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データについて,被告製品の製造以外に用いることができないといった事情はうかがわれないから,被告製品の基となることが予定されていたことをもって原告の事業活動における有用性が否定されるとはいえない。❞
この裁判所の判断からすると、本件データが被告製品の製造にのみ用いるものであれば、有用性が否定されるとも解釈できます。1つの企業でしか用いることができないデータが存在するのか分かりませんが、そのようなデータは有用性が認められないということでしょうか。そのような理由で有用性が否定され得るのか、少々疑問に感じます。


また、被告は❝本件データの内容に技術的な特殊性及び革新性はなく,公知情報の組合せであって,予想外の特別に優れた作用効果を奏するものでもない❞とも主張したようです。しかしながら、これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件データは,具体的な試作品の作成が可能な程度に部品の構造や寸法が詳細に記録されたものであり,単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したものではないから,本件データが公知情報の組合せにすぎないとはいえない。❞
この裁判所の判断も妥当なものと思われます。
しかしながら、上記判断では、本件データは❝部品の構造や寸法が詳細に記録されたもの❞であるから有用性を認めるとしており、仮に本件データが❝単にコンテナボックスに化粧板を取り付けることを記載したもの❞であれば有用性は認められないとも解釈できます。このことは、営業秘密が有用性を満たすか否かの判断において重要なことを示唆していると思われます。
すなわち、他の裁判例でもあったように、特許で言うところの進歩性が低い情報については有用性が認められない可能性を示唆しています。なお、原告は、被告の主張に対して❝有用性と特許制度における進歩性の概念とを混同したものであって,失当である❞とも主張しましたが、この原告の主張に対して裁判所は何ら述べていません。
また、被告の上記主張は非公知性としても述べられていますが、非公知性としても同様の判断で裁判所は被告の主張を認めませんでした。

さらに、被告は❝本件データには原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれているから,原告にとっての有用性は非常に低い❞とも主張しました。これについても裁判所は、以下のようにして被告の主張を認めませんでした。
❝本件新製品の仕様等について原告と被告は打合せを繰り返したが,弁論の全趣旨によれば,本件データの作成自体は原告が単独で行ったものと認められるから,この点も本件データの有用性を否定するものとはいえない。❞
このように裁判所は、❝本件データの作成自体は原告が単独で行ったもの❞であるとして、被告の主張を認めませんでしたが、この判断はどうでしょうか。仮に、本件データを原告が被告と共に作成しても本件データの有用性は否定されないと思います。

なお、被告は❝本件データは樹脂製品及び宅配ボックスについての知識経験を豊富に有する被告の助言・監修の下で作成されたものであるから,原告と被告が共同作成したものといえ,被告のアイデアが多分に含まれている。❞とも主張しています。これに対して、原告は❝本件データの作成過程において,原告が被告の意向を踏まえてデータを作成することがあったとしても,その意向は抽象的な要望やアイデアにすぎなかった。❞とのように反論しているものの、本件データに被告のアイデアが含まれていることは否定していません。

このようなことから、被告は本件データを共同作成したことを有用性の有無で争うのではなく、本件データは原告と被告とが共同作成したものであるから、本件データの保有者には被告も含まれることで主張した方が良かったように思えます(この主張が認められる可能性は低いかもしれませんが)。もし、この主張が認められたら、本件データは原告と被告とが共同で保有しているので、被告も使用可能であり、被告による営業秘密侵害にはならない可能性があるのではないでしょうか。

ここで、発明については「具体的着想を示さず単に通常のテーマを与えた者又は発明の過程において単に一般的な助言・指導を与えた者」は発明者とはなりません。すなわち、原告と被告の共同作成を発明に当てはめると、被告が原告に抽象的なアイデアを与えただけでは発明者とはなり得ないでしょう。一方で、「提供した着想が新しい場合は、着想(提供)者は発明者」とされます。もし、被告が原告に与えたアイデアが新しい着想である場合には、被告は発明者となり得、当該発明に対して特許を受ける権利を有することとなります。

特許と営業秘密とを同様に考えることは必ずしも適切ではないと思います。しかしながら、原告が作成した本件データが、仮に被告が独自に着想した新規(非公知)のアイデアに基づいて図面とされているものであれば、本件データは被告のアイデア無くして作成できたものではありません。そうであれば、被告も本件データの保有者という主張も議論の余地があるのではないかと思います。
なお、仮に被告が本件データの保有者であると認められ、被告の営業秘密侵害が否定されたとしても、被告は原告に対して少なくとも本件データの作成費用の支払い義務はあるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月18日日曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(秘密管理性)

自社製品の開発・製造を他社に委託することは一般的に行われていることです。しかしながら、実際に製造・販売までに至らず、途中で取りやめになることも少なからずあるでしょう。
今回紹介する判例(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)は、そのような事例についてのものです。

本事件の概要は以下の通りです。
①平成29年5月8日頃に原告が被告から、被告が販売する樹脂製の新規の宅配ボックスの開発・供給の引き合いを受ける。
②初回ミーティング後に、本件新製品の企画が外部漏洩するおそれを極力なくすため、被告は原告に対して機密保持契約の締結を提案し、平成29年5月19日までにその契約書の雛形を電子メールに添付して送信した。その後、被告は被告の押印済みの機密保持契約書を原告に2部郵送し、原告の押印済みのものを1部返送するように依頼した。原告は、原告の押印済みの同年6月20日付けの機密保持契約書を1部保持している。
③平成29年9月4日に原告の従業員Aは、Mタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ1を、同月7日にSタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ2を、それぞれ被告の従業員Bに電子メールで送信した。
④平成29年7月から9月初めにかけて、被告作成のモックアップの試験が行われ、原告と被告との間で、納期、コスト、仕様等の点で意見の食い違いがあり、仕様変更を含めた本件新製品の製造に関する打合せが繰り返し行われた。
⑤平成29年9月18日に、原告は本件新製品の製造費用についての同月14日付けの見積書を電子メールに添付して送信した。原告と被告とは、本件新製品の組立てに要する費用を原告が負担するか否か等の条件面での意見が一致せず、被告は本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめることとし、原告と被告との間での本件新製品の開発プロジェクトは同月中に終了することとなった。
⑥平成29年10月9日に、原告は本件プロジェクトが終了したことを受けて、被告に対し,本件新製品の「設計費・機会損失額」として合計1699万2800円の支払を求める旨の見積書を電子メールに添付して送信するものの、「設計費・機会損失額」の支払義務の有無及び額については合意に至らなかった。
⑦少なくとも平成30年7月25日頃から令和2年3月末までの間、被告は、被告製品を製造し、被告製品の譲渡を行った。

以上のような経緯があり、原告の営業秘密である本件データ1,2を使用して被告が被告製品を生産、譲渡及び譲渡のための展示を行ったことは、不正競争に該当するとして、原告が被告に対して差し止めや損害賠償を求めました。
この事件の結論からすると、被告による被告製品の生産等は、原告の営業秘密である本件データ1,2を不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求(610万1962円)が認められました。


次に、本件データに対する秘密管理性、有用性、非公知性に対する裁判所の判断についてです。本事件は原告の勝訴となっているので、当然、これらはすべて裁判所によって認められています。

秘密管理性について、裁判所は「原告内部における秘密管理の状況」、「被告との関係における秘密管理の状況」という2つの視点から判断しています。

「原告内部における秘密管理の状況」について、裁判所は下記のことから本件データの秘密管理性を認めています。
①従業員に対して就業規則によって機密保持義務を課していた。
②技術的アクセス制限を含む社内ネットワークを構築していた。
③技術情報をサーバ上の所定のフォルダに保存し、アクセス制限を設けていた。
④本件データも技術部用のフォルダに保管されていた。

次に「被告との関係における秘密管理の状況」についてです。
ここで、本件データに対する「被告との関係における秘密管理」に対して、被告は2つの主張を行ったようです。
①被告は、原告から押印済みの本件機密保持契約書の返送を受けなかったとして、本件機密保持契約は締結されていないと主張。
②本件データには、これが営業秘密であることの記載や閲覧のためのパスワードの設定はされておらず、また、本件データを送付した電子メールの本文にも本件データが営業秘密である旨の記載はされていなかった。

①の機密保持契約についてですが、裁判所は以下のようにして原告と被告との間で機密保持契約は成立していたと判断しています。
❝本件プロジェクトが終了するまでに,被告から原告に対して本件機密保持契約書の返送がないと指摘したり,原告が被告に本件機密保持契約の締結に応じないとの態度をとったりしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,本件機密保持契約は,遅くとも原告が保管する本件機密保持契約書(甲4)の作成日である平成29年6月20日頃までには成立していたものと認めるのが相当である。❞
②については、本件データには確かに営業秘密であることを示す措置は直接的に行われていませんでした。しかしながら、裁判所は、下記のように、原告と被告との間における本件データの秘密管理性を認めています。
❝原告と被告との間でやりとりされた本件新製品に関する企画書,図面,見積書等には秘密である旨が明示されているものとないものがあったところ,前記イ(ウ)のとおり,原告が被告に対して送付したモックアップ用の別の3Dデータについて,秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていたものである。そうすると,前記イ(エ)のとおり,本件データの送付の際にこれが秘密である旨が明示されていなかったことを考慮しても,本件データを受領した被告において,本件データが秘密として管理されていることは容易に認識可能であったというべきである。
なお、上記の「秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていた」とは、以下のような行動です。
3Dデータの送信の際に原告はこれらのデータが秘密である旨の表示はしていなかったが,同月27日に送信されたデータを受領した被告従業員Cは,同月29日,原告従業員のAに対し,「頂きました図面データですが,先日のお打ち合わせの際にご説明させて頂きましたIOT化に向け,センサーの組み込みや通信機器の設置場所の検討にあたり,パートナーに共有させて頂いても宜しいでしょうか?/先方とはNDAを締結済みです。」と尋ねる電子メールを送信した(甲6,8,13,乙20,21)。❞
すなわち、秘密であることの表示がない3Dデータに対して、被告従業員Cはそれが秘密であるとの認識のもとにパートナーと共有しているのであるから、この3Dデータと直接的に関係のある本件データに対しても秘密であることは認識できていた、とのように裁判所は判断しています。

営業秘密とする情報に秘密管理性を求める理由は、当該情報の保有者に無断で当該情報を持ち出したり、使用等すると不正競争行為となる、ということを当該情報に触れた者に予測させるためです。
そのように考えると、たとえ、本件データに直接的に秘密である旨の表示が無くても、原告から被告への本件データを送信前後における他のデータの秘密管理の状態を考慮して総合的に判断することは妥当であると思われます。
また、新規製品の開発・製造の委託においては、様々なデータが取引先との間で行われます。その場合に、一部のデータに対して秘密である旨の表示やパスワード管理等が不十分だからとして、当該データの秘密管理性が否定されてしまうと、それは営業秘密の保有者にとって不合理であるといえるでしょう。
とはいえ、やはり、このようなトラブルを未然に防止するためにも、自社の営業秘密を他社に開示する場合には、その秘密管理性が保たれるように十分な注意が必要です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年4月4日月曜日

判例紹介:治具図面漏洩事件(刑事事件)有用性

前回紹介した治具図面漏洩事件における有用性に対する裁判所の判断です。
本事件では、被告人が有罪となっているので、当該営業秘密の有用性についても裁判所は認めていますが、これに対して裁判所は有用性について少々突っ込んだ判断をしているとも思えます。

まず、本事件における営業秘密の有用性について、裁判所は以下のように事実認定をしています。
❝本件治具による研磨後のMTフェルールの測定方法は,・・・いったん本件治具に測定の基準となる設定をしてしまえば,後は,特段の技術も要さず,当該MTフェルールを本件治具の挿入穴に挿入するだけで,当該MTフェルールが長短一定の範囲内の長さであることを正確に測定することができ,その所要時間は,a社で従来行われていた工場顕微鏡による測定よりも大幅に短いものであったことが認められる。そして,本件治具を製造するための材料費が比較的廉価であった・・・
また,当該MTフェルールの長さを計測する方法としては,市販されているマイクロメータやノギスを用いる方法もあるが,それらによって,本件治具を使用した測定ほどに,特段の技術も要さず,短時間で正確に所期の測定ができるとは考え難い。また,MTフェルールを傷付けないための・・・ニゲアナのような特徴は,マイクロメータやノギスには見られない利点といえる。
そして,本件治具図面は,以上のような利点のある本件治具に係る設計情報を図面化したものであり,設計図面という性質上,本件治具をそのまま複数製造したり,改良を加えて製造したりすることを容易にする効用も有していたといえる。❞
これに対して、被告人の弁護人は、「予想外の特別に優れた作用効果」を生じさせないとしてその有用性を否定する主張を行いました。
技術情報を営業秘密とした場合に、当該営業秘密の有用性又は非公知性に「予想外の特別に優れた作用効果」を必要とする裁判例は幾つもあります。このため、適否は別として、弁護人がこのような主張をすることは当然でしょう。


これに対して裁判所は、下記のように有用性には「予想外の特別に優れた作用効果」は必要ないと判断しています。
❝不正競争防止法が営業秘密を保護する趣旨は,不正な競争を防止し,競争秩序を維持するため,正当に保有する情報によって占め得る競争上の有利な地位を保護することにあり,進歩性のある特別な情報を保護することにあるとはいえないから,当該情報が有用な技術上の情報といえるためには,必ずしもそれが「予想外の特別に優れた作用効果」を生じさせるものである必要はないというべきである❞
「予想外の特別に優れた作用効果」とは特許における進歩性の判断と同様とも思える判断であり、私個人としてもこのような判断が営業秘密に必要であるかは大変疑問に思っていました。この疑問に思う理由と同様のことを、上記記載の後に裁判所は下記のように判決文で述べています。
❝(そもそも何をもって「予想外」「特別に優れた」というのかが曖昧であり,その意味内容によっては,不正競争防止法が所期する営業秘密保護の範囲を不当に制限する可能性がある❞
今まで営業秘密の有用性に対して「予想外の特別に優れた作用効果」は必要であると判断された裁判例が多数ありますが、上記のようにその判断基準は曖昧であり、未だ明確な判断基準を示した裁判例はないと思います。なお、感覚的には有用性における「予想外の特別に優れた作用効果」が必要とした裁判例では、特許の進歩性と同様の判断基準としたようにも思えますが、それを明示した裁判例はありません。
また、特許と実用新案では要求される進歩性の程度が異なります。もし、営業秘密における有用性の判断基準が特許の進歩性と同様であると考えると、実用新案の進歩性の判断基準と異なる理由が必要でしょう。また、もしかしたら、営業秘密の有用性の判断基準は特許又は実用新案の進歩性の判断基準と異なるのかもしれません。
一方で、本事件における裁判所の判断のように不正競争防止法が営業秘密を保護する趣旨が「不正な競争を防止し,競争秩序を維持するため,正当に保有する情報によって占め得る競争上の有利な地位を保護すること」と考えると、やはり有用性の判断に「予想外の特別に優れた作用効果」は必要でないとすることが妥当であると思えます。


とはいえ、裁判所は、上記の後に下記のようにも述べています。これは、営業秘密の有用性に対して「予想外の特別に優れた作用効果」は不要であるとの立場であっても、本事件の営業秘密は「予想外の特別に優れた作用効果」を有しているとの認識であることを念のために明示したと思えます。
❝反面,後記(3)アのとおり,本件治具以外にこれと同じ性能を持ったMTフェルール用測定治具が実用品として存在しないことに照らせば,本件治具図面を「予想外」の情報と見る余地があろうし,前記アの利点に照らせば,本件治具図面を「特別に優れた」情報と見る余地もあろう)。❞
このように、本事件において、裁判所は今までの主流とも思える有用性に「予想外の特別に優れた作用効果」を必要とする判断を否定したことは、注目に値すると思えます。
すなわち、現時点において裁判所の判断として、有用性に「予想外の特別に優れた作用効果」を必要とする見解と、必要としない見解の2つがあることになります。今後、どちらの見解が主流となり得るのかは営業秘密の有用性判断において重要となるでしょう。

また、有用性について弁護人は、❝「限界ゲージ」という治具が本件治具よりも優れているから,本件治具図面は,有用性の要件を充たしていない❞とも主張しています。この主張はいささか苦し紛れとも思えますが、裁判所は下記のように判断しています。
❝ここで問題とされている「有用性」とは,本件治具図面という情報を保有する者と保有しない者との間で優位性の差異を生じさせ得る相対的な「有用性」を意味すると解されるから,他に機能等において優れた治具が存在するからといって,本件治具図面の有用性が直ちに失われるというものではない。❞
上記❝情報を保有する者と保有しない者との間で優位性の差異を生じさせ得る相対的な「有用性」を意味する❞とのような見解は、まさにその通りであると思います。たとえ、優れた他の情報が公知となっているからと言って、当該営業秘密の有用性が否定されるという絶対的なものではなく、上記のような相対的なものとして有用性は判断されるべきでしょう。

本事件は、刑事事件の地裁判決ではありますが、上記のように、今後の有用性の判断に何かしら影響を与えるかもしれない判断がなされている点において、非常に気になる判例でした。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月26日土曜日

判例紹介:治具図面漏洩事件(刑事事件) 秘密管理性

今回紹介する判例は、刑事事件に関するものです。
営業秘密侵害の刑事事件では、その多くにおいて被告人が営業秘密の不正取得等を認め、裁判の争点は量刑であることが多いのですが、被告人が持ち出した情報の営業秘密性等を争う場合もあります。

今回はそのような判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 事件番号:平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)であり被告人の弁護人は当該情報は不正競争防止法2条6項所定の営業秘密に該当しないと主張しています。
本事件は下記のように報道された事件であり、全国的にはさほど大きく報道されなかったものの、光ファイバーに関する治具図面が中華人民共和国で使用する目的で不正に持ち出されたものです。
本事件の判決は有罪であり、被告人Y1が懲役1年4か月及び罰金80万円、被告人Y2が懲役1年及び罰金60万円とされ、執行猶予が3年となっています。

本事件は、被告人Y1が図面の記載の複製を作成し、被告人Y2にこれを開示したこと、被告人Y2がこれを取得して日本国外で使用したことについては争いがないとされています。なお、被告人Y1は、電気通信機器の製造及び販売等を業とするa社(被害企業)の取締役として光通信部品の設計販売等を統括管理し、a社の営業秘密である測定治具等の設計画面を示されています。また、被告人Y2は、b社の代表者として、光通信部品等の販売を業とするものです。

まず、本事件において営業秘密とされる治具図面に記載の本件治具の構造は、下記のようなものです。なお、MTフェルールとは、光通信において光ファイバーを接続するための装置であるMPOコネクタを構成する樹脂製の部品とのことです。
❝本件治具の構造は,市販のダイヤルゲージの軸部分の先端に測定子を取り付けた上,軸部分及び測定子に筒状のアダプタを被せるというものであった。本件治具による測定方法は,MTフェルールをアダプタ底面の挿入穴に差し込み,これを測定子に接触させて移動させ,その移動範囲をダイヤルゲージに表示させて,MTフェルールの長さを測定するというものであった。本件治具によって100分の1ミリメートル単位の長さが測定できた。❞
そして、この図面の管理状況として下記が挙げられています。
(ア)「設計・開発管理規定」により、治具図面を含む製造図面を顧客へ提出することは禁止。同社の各種管理規定については、社内のウェブサイトに最新版が掲載されており、社員であれば閲覧が可能。
(イ)従業員就業規則において「会社,取引先等の秘密,機密性のある情報,顧客情報,企画案,ノウハウ,データー,ID,パスワード及び会社の不利益となる事項を第三者に開示,漏洩,提供しないこと」とされていた。本社1階事務室には、従業員就業規則のコピーが置かれており、社員であれば閲覧が可能。
(ウ)平成24年10月13日に開かれた事業運営会議において、企業防衛のため社員との機密保持契約を締結することとされ、同会議メンバー等が機密保持誓約書に署名押印して提出。被告人Y1も秘密保持誓約書に署名押印して提出。
(エ)平成27年4月7日付け通知書により、機密保持の観点から、図面、仕様書等の裏紙使用は即日禁止され、それらの書類は裁断して廃棄又は溶融業者に処分を依頼することとされた。

上記のような管理状況では、治具図面そのものにマル秘マーク等を付す等の管理がされておらず、治具図面に対する秘密管理が十分、すなわち客観的に秘密であることが認識可能なような管理状況であったのかについて疑義が生じます。


しかしながら、裁判所は下記のようにその秘密管理性を認めています。
❝a社は,平成28年4月1日の時点で本社役員5名,本社従業員33名とする規模の会社であったところ(甲2。なお,本社以外にも日本国内に複数の工場があったが,本社の規模を考えると,各工場で本件治具図面に類する技術上の情報に接し得る社員は限定的であったと推認される),会社の規模がその程度であったことを踏まえれば,本件当時,同社の役員及び従業員にとって,前記第2の3(3)ウで見た各施策により,同社が本件治具図面について秘密管理意思を有していることは,客観的に十分に認識可能であったものと認められる。❞
このように、裁判所は治具図面の秘密管理性について、a社の規模が小さいことから上記のような管理状況でも客観的に認識可能であったと判断したようです。
このような、会社規模が小さいことが秘密管理性の判断に影響を与えた民事訴訟の裁判例として、婦人靴木型事件(東京地裁平成26年(ワ)第1397号(平成29年2月9日判決))があります。

この事件では、営業秘密である婦人靴の木型(本件オリジナル木型)が持ち出された原告会社は、取締役二名と従業員三、四名という規模の会社です。そして、裁判所は本件オリジナル木型の秘密管理性を下記のように認めました。
❝〔1〕原告においては,従業員から,原告に関する一切の「機密」について漏洩しない旨の誓約書を徴するとともに,就業規則で「会社の営業秘密その他の機密情報を本来の目的以外に利用し,又は他に漏らし,あるいは私的に利用しないこと」や「許可なく職務以外の目的で会社の情報等を使用しないこと」を定めていたこと,〔2〕コンフォートシューズの木型を取り扱う業界においては,本件オリジナル木型及びそのマスター木型のような木型が生命線ともいうべき重要な価値を有することが認識されており,本件オリジナル木型と同様の設計情報が化体されたマスター木型については,中田靴木型に保管させて厳重に管理されていたこと,〔3〕原告においては,通常,マスター木型や本件オリジナル木型について従業員が取り扱えないようにされていたことを指摘することができる。これらの事実に照らすと,本件設計情報については,原告の従業員は原告の秘密情報であると認識していたものであり,取引先製造受託業者もその旨認識し得たものであると認められるとともに,上記〔1〕の誓約書所定の「機密」及び就業規則所定の「営業秘密その他の機密情報」に該当するものとみられ,原告において上記〔1〕の措置がとられていたことは秘密管理措置に当たるといえる。❞
本事件はにおいて裁判所は、誓約書及び就業規則といった程度の秘密管理措置に基づいて本件オリジナル木型の秘密管理性を認めています。この理由は、原告の業務が婦人靴の製造であるように非常に限られた業務範囲であることや、原告企業が従業員三、四名の小規模な企業であったためと思われます。

このように、企業規模が小さい場合には、営業秘密とする情報等(本事件では図面)に直接的に秘密管理意思が示されていなくても、その他の措置によってその秘密管理性が認められる可能性があると思われます。すなわち、規模の大きな企業に比べて、不十分と思われる程度の秘密管理体制であっても、営業秘密で言うところの秘密管理性が認められる可能性があります。

なお、本事件では被告人Y1がa社の取締役であったことも秘密管理性の判断に影響を与えていると思われます。この点について、裁判所は下記のように判断しています。
❝被告人Y1は,本件治具の設計・製造に主導的に関与していた上,本件当時,a社の取締役の立場にあり,既に機密保持誓約書にも署名押印してこれを提出していたのであるから,本件領得行為及び本件開示行為の際,前記1で見た本件治具図面に係る秘密管理性,有用性及び非公知性を基礎付ける事実関係の核心部分については,当然に認識,理解していたものと認められるのであって,本件治具図面が営業秘密に該当することを認識していたことは明らかである。❞
このような判断はあってしかるべきだと思います。営業秘密の不正な持ち出しは、従業員だけでなく役員等が行う場合も多くあります。企業の役員等は営業秘密に触れる機会も多いでしょうし、それが営業秘密であることは従業員よりも強く認識しているでしょう。そうであれば、営業秘密の不正な持ち出しについて、その役職が影響を与えることは妥当であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月15日火曜日

判例紹介:秘密管理性と秘密保持の誓約書との関係

企業が管理している情報が営業秘密として認められるためには、当該情報は秘密管理性を有していなければなりません。しかしながら、裁判においてこの秘密管理性が認められず、その結果、当該情報の営業秘密性が認められない場合が多々あります。

今回は、秘密管理性が認められなかった典型例を挙げます。なお、この訴訟は知財高裁でも争われたものであり、秘密管理性に対する地裁の判断は知財高裁でも覆りませんでした。
一審:東京地裁平30(ワ)20127号 ・ 平31(ワ)9638号 ・ 令元(ワ)19525号(令和3年3月23日)
二審:知財高裁令3(ネ)10054号 ・ 令3(ネ)10067号(令和3年11月17日判決)

本件の原告は、生命保険の募集に関する業務等を目的とする会社である原告会社及びその代表者です。そして、原告は、原告会社の従業員であった被告B、C、D、及び原告会社の関係会社の業務委託先であった被告Eが被告会社を設立し、その後、原告に対し継続的に恐喝行為を行って、原告会社取扱いの保険契約を被告会社に移管する合意を強要し、顧客名簿のデータを搭載したパソコンを含む原告会社の備品及び原告の所有物を窃取等した主張したものです。
なお、原告は、被告が不正競争防止法2条1項4号,5号に係る営業秘密の不正取得を行ったと主張しました。この不競法2条1項4号,5号違反の主張はあまり多くありません。多くの訴訟においては、7号違反等です。
4号等は「窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為」であり、その内容からして退職者が行うことがあまり考えられません。一方で、7号等は企業等から営業秘密を正当に開示され、その後、不正の利益を得る目的等で当該営業秘密を使用等する行為です。このため、一般的に退職者による営業秘密の不正使用等は7号違反とされます。
なお、下記のように、原告の顧客情報は営業秘密と認められず、被告による不正取得も認められませんでした。


上述のように原告が営業秘密であると主張した顧客情報はその秘密管理性が認められませんでした。下記が裁判所による判断です。
❝本件顧客情報は,本件申込書控記載の顧客情報及びその一部の情報を電磁的記録の形にして本件パソコン内に保存したもので構成されているところ,本件顧客情報の基となった本件申込書控は,原告会社の営業時間中,施錠されていない書棚で保管され,従業員であれば閲覧可能な状態になっていたものであり,本件各証拠をみても,その閲覧を禁止する旨が原告会社内において明確に告知されていた形跡は見当たらない。また,本件パソコン内の電磁的記録にはパスワードが付されていたとはいえ,原告会社の各営業担当者においては,自らの担当する顧客に係る情報に特段の制限を受けることなくアクセスすることができる状態であったものである。これらによれば,本件顧客情報に係る情報については,アクセスが制限されていた程度は緩く,アクセスした者が秘密として客観的に認識できた状態であったとも直ちには言い難いものである。❞
このように、原告の顧客情報は、誰でもアクセス可能とされており、アクセスした者が秘密として客観的に認識できるような状態で管理されていなかったために、その秘密管理性は認められませんでした。

なお、原告は被告らの誓約書(おそらく秘密保持に関する誓約書)や原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程を元に秘密管理性を主張したようですが、裁判所は下記のように顧客情報に対する秘密管理性を認めませんでした。
❝なお,原告らは,本件顧客情報につき秘密管理性が認められる旨を主張し,被告Bらの誓約書(甲5ないし7),原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程(甲9)を提出する。しかしながら,これらの書面の性質・内容を勘案しても,これらの書面自体から直ちに本件顧客情報に係る秘密管理性を肯定できるわけではなく,その要件充足性は,本件顧客情報に係る管理の実態に鑑みて判断すべきところ,上記説示のとおりの管理状況からすれば,その秘密管理性が認められるということはできない。❞
このように、誓約書や個人情報取扱規定、又は就業規則等には秘密管理に関する条項があります。しかしながら、そのような条項は包括的な記載であり、どの情報が秘密管理の対象となっているかは規定されていないでしょう。そうすると、これらの規定等に基づいて、各情報に対する秘密管理性が認められるものではありません。
このような裁判例は複数存在しているため、同様の判断が今後もなされるでしょう。


弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年1月16日日曜日

判例紹介:勝手に持ち出された装置に使用されている営業秘密の不正取得について

今回紹介する裁判例は、2WAY対応型酸素チェンバーの制御装置を原告の納入先から被告会社(原告の元代理店)が原告に連絡することなく持ち出した、というものです(東京地裁令和3年9月29日判決 平30年(ワ)3526号)。

具体的には、原告及び被告会社はいずれも2WAY対応型酸素チャンバー(高気圧,低気圧両方のいずれにも対応する酸素チャンバー)を製造・販売等し、競合関係にあります。
そして、原告の主な主張は、被告会社及び原告の元従業員で被告会社の従業員である被告Yに対し、被告らは共同して、原告が取引先に納入した原告製の2WAY対応型酸素チャンバーから、営業秘密であるパラメータに係るデータ(以下「本件データ」という。)を内蔵する制御装置等を取り外して持ち出し、競合製品の製造過程で同データを外注先に開示した、というものです。

本事件の前提事実は以下のとおりです。

・平成22年11月1日 原告と被告会社は、原告が高気圧酸素チャンバーシステムを製造して被告会社に供給し、被告会社が販売代理店としてこれを日本国内で販売する販売代理店契約を締結。
・平成24年10月頃 三重県のフットサルクラブから酸素チャンバーの購入連絡が有り、被告会社従業員と原告代表者が当クラブを往訪。平成24年10月5日に本件クラブは酸素チャンバーの購入申込書を作成して被告会社にファックスで送信し、その後、申込みに係る酸素チャンバーが同クラブに納入される。

なお、本件の酸素チャンバーは、装置本体に加え、その動作を制御するための制御装置、電磁弁ボックス及びケーブルから構成されます。原告製の酸素チャンバーの制御装置においては、通常、その動作を制御するためのデータを修正することができないようにロックするための加工が施されていますが、本件クラブに納入した制御装置は本件クラブの要望を踏まえてロックを外し、作動条件を自由に設定することが可能な状態にされていたとのことです。
なお、制御装置に記録されているデータは、気圧の上限・下限,加圧(減圧)に要する時間、チャンバー内を一定の気圧に保っている時間、排気時間及び動作の繰返しの回数等を内容とし、これらの数値に基づいて酸素チャンバー内の気圧を昇降させるためのものです。

平成28年11月18日 被告会社は原告製の酸素チャンバーの仕入れを終了。
平成28年12月頃 被告会社は酸素チャンバーの製造を新たな事業として開始。
・平成29年3月21日 被告会社は、訴外電機株式会社に対し、酸素チャンバー用の制御装置の開発、製造を依頼。訴外電機株式会社は依頼に基づいて制御装置の設計を開始し、同年6月26日「2WAY酸素ルーム制御盤」に関する図面の表紙を作成して被告会社に提出。なお、この訴外電気株式会社は、原告の制御装置も製造しています。
・平成29年7月20日 被告会社は福井県にあるBから酸素チャンバーを535万円で購入する旨の注文を受けた。被告会社は同年10月4日までにBに対し酸素チャンバーを納品。同日、被告会社のウェブサイトにその旨を酸素チャンバーの写真付きで掲載。被告会社は、平成29年10月13日までに被告会社のウェブサイトに同年7月9日時点には掲載されていなかった2WAY対応型酸素チャンバーの広告の掲載を開始した。

平成29年9月1日 被告会社取締役及び被告Y等が本件クラブを訪れ、同クラブの代表者に検査・点検目的であることを告げ、同月2日午前0時20分から同時24分までの間に、同クラブに設置されている本件酸素チャンバーから本件制御装置等を取り外して持ち出す。
・平成29年9月11日頃 同クラブの代表者が原告代表者に本件制御装置等の返却予定について電話で問い合わせたところ、原告がその持ち出しに関与していないことが判明。このため、被告会社に対して弁護士を通じて本件制御装置等の返還を求める。
・平成29年9月17日 被告会社は本件クラブに対し、検査・点検をすることなく本件制御装置等を返還。しかし、その後、本件酸素チャンバーには低圧モードが正常に機能しない不具合が生じた。このため、同クラブは、原告にその修理を依頼し、同年11月頃までの間に、原告において修理を行った。

上記前提事実からすると、被告は原告の代理店であったものの、被告自身が酸素チャンバーの製造販売を開始し、何らかの理由によって原告製造の酸素チャンバーの制御装置等を納入先から原告には無許可で持ち出した、とのことです。
そして、制御装置は通常であればロックがされていますが、持ち出した制御装置はロックが元々解除されていた、とのことなので、原告が被告に対して営業秘密であるデータの不正取得を疑うことは当然であるとも思われます。


次に裁判所の判断です。まずは、原告が主張する本件データの営業秘密該当性についてです。裁判所は以下の理由により秘密管理性を認めました。
①原告製の酸素チャンバーは、その出荷前に制御装置内の特定の箇所をジャンパー線で接続し導通させることにより、本件データ等を読み出せないようロックがかけられており、それ以降、原告社内でこれにアクセスできるのは原告代表者のほか限られた人数の役員等であった。
②原告の従業員には就業規則第5条(5)により守秘義務を課せられていた。
③原告は本件データを含む制御装置一式の製作を委託していた電機会社との間で機密保持契約を締結しており、本件データは同契約第1条の「秘密情報」に該当すると考えられる。
④原告製の酸素チャンバーの販売代理店であった被告会社も本件データの変更は自由にできなかった。
⑤原告製の酸素チャンバーを購入した顧客も本件データにアクセスすることはできなかった。

また、有用性及び非公知性についても、本件データは原告製の酸素チャンバーを制御する上で必須の情報であり、いずれの製造業者においても酸素チャンバーを制御するためにかかるデータの設定が必要であるとしても、その内容は製造業者ごとに異なり得るものである、として認めました。

このように、裁判所は、原告の本件データを営業秘密であるとして認めました。
また、裁判所は、被告による製造装置の持ち出しについても「死亡事故を契機とした検査・点検のため本件制御装置等を持ち出したとの被告らの主張は不自然で採用し難い」、さらに「被告らは,本件制御装置等の部材の取外し等は行っていないと主張するが,同装置等を本件クラブに返還した後,本件酸素チャンバーに不具合が生じていることからすると,被告らが同装置等を保管中に何らかの作為を加えた可能性も否定できない。」とし、「被告らが本件制御装置等を持ち出した理由はその検査・点検以外の点にあったのではないかとの疑念を払拭できない」と述べています。

さらに、裁判所は下記のようにも認定しています。
❝被告会社製の酸素チャンバーの上記開発経緯に照らすと,本件持出し行為の行われた同年9月1日の時点において,被告会社製の酸素チャンバーの制御装置や同装置に格納されるデータの開発が一定程度進められていたと考えられるものの,被告らが被告製品の独自開発の根拠として提出する共立電機作成に係る同年6月26日付け図面(乙2)は,図面の表紙にすぎず,制御装置等の図面は証拠として提出されておらず,同装置に格納するデータが独自に開発・作成されていたことを客観的に示す証拠もない。
そうすると,本件持出し行為当時,被告会社に本件データを取得する必要がなかったということはできない。❞
そして、被告による制御装置の持ち出しについて「本件制御装置等を持ち出した目的がその検査・点検にあったとの被告らの主張は不自然・不合理で採用し難く,その真の目的は他の点にあったのではないかとも考えられるところである。」と判断しています。

以上のことからすると、被告による原告の営業秘密の不正取得等が認められるようにも思えます。しかしながら、裁判所は、被告による営業秘密の不正取得を認めませんでした。

この理由は「被告らが本件制御装置等を保管していた間,本件制御装置に対していかなる作業又は操作を行ったかは証拠上明らかではない。」、「原告は,被告会社が本件データを使用して,酸素チャンバーを製造したと主張するが,被告会社製の酸素チャンバーの開発・製造に当たり,本件データが使用されたことを客観的に示す証拠はない。」というものです。
そして、裁判所は「被告らが本件データを取得し,また,被告会社が取得した本件データを使用して酸素チャンバーを製造したとの事実を認めるに足りる証拠はないので,本件持出し行為が不競法2条1項4号の不正競争行為に該当するとの原告主張は理由がない。」とのように結論付けました。

以上のように、被告が原告の代理店を止め、自社で酸素チャンバーの製造販売を開始した後に、原告に知らせることなく元の販売先から制御装置を持ち出した、という行為は主観的にはその制御装置でしか得られない何らかの情報を取得する目的ではないかとも思えます。
しかしながら、その情報が営業秘密であるならば、当該営業秘密を取得したということが認められる”直接的な証拠”が必要です。本事件は、そのような直接的な証拠が何ら存在しないために、原告の訴えは棄却となりました。

営業秘密の不正取得に対する訴えは、まずは①営業秘密とする情報の特定、次に②当該情報の営業秘密性というハードルを越え、さらに③当該営業秘密が不正取得又は使用されたということも立証しなければなりません。
このように、営業秘密の不正取得に対する訴訟は、原告に立証責任がある要件が多く、被告の行為が怪しくても勝訴に至ることができない場合もあるかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年9月13日月曜日

ー判例紹介ー 独自開発に基づかない図面の非公知性、有用性

今回は、図面の非公知性及び有用性についてです。 企業が作成する図面には、自社で独自開発した技術を図面としたものや、自社で独自開発した技術でないものの自社で図面としたもの、様々なものがあるでしょう。
自社で独自開発した技術の図面は非公知性や有用性は認められ易いでしょうが、自社で独自開発ていない技術の図面はどうでしょうか?

そのような判断がなされた裁判例(名古屋高裁金沢支部令和 2年 5月20日  平30(ネ)81号)を今回は紹介します。 この事件は、クロス下地コーナー材事件(平成30年 4月11日 福井地裁 平26(ワ)140号)の控訴審判決です。

本事件は、原告が被告会社との間で基本契約を締結し、建築資材であるクロス下地コーナー材の製造を委託していたという経緯があります。 そして、被告会社は、かつて原告から上記基本契約に基づき開示を受け、又は原告の従業員からその守秘義務に違反するなどして開示を受けた原告の営業秘密に当たる技術情報等を用いて、同契約終了後、図利目的で、原告の製品と形状の類似した本件被告製品を製造等したというものです。
原審では、営業秘密の保有者である原告勝訴となり、3億2560万円の損害賠償や原告の営業秘密を用いたクロス下地コーナー材の差し止めが認められました。
これに対して被告が控訴しています。 すなわち、控訴審では、被告が控訴人であり、営業秘密の保有者である原告が被控訴人です。

控訴審では、被告訴人(一審原告)は「別紙対応関係一覧表に記載された被控訴人保有の金型及びサイジングの図面に化体された原判決別紙独自部分一覧表のb1ないしf5の独自部分に係る技術情報も,営業秘密に当たる。」と主張しています。
一方で被控訴人(一審被告)は、「被控訴人主張の独自部分は,被控訴人独自の技術ではなく,常識に基づいて当然に採用されるもので,営業秘密には当たらない(乙58,59参照)。」と主張しています。

これに対して、裁判所は以下のように判断し、被控訴人の主張を否定しました。
❝控訴人らは,被控訴人主張の独自部分については,被控訴人が独自に開発したものではない旨主張するところ,確かに,被控訴人主張の独自部分b1ないしf5(重複あり)については,その旨の記載が専門的な文献にもあること(乙59)に照らすと,原審における証人Jの証言及び意見書(甲90,92)中の被控訴人が独自に開発したものであるとの部分は直ちに採用することができず,被控訴人がこれらを独自に開発したとまでは認め難いものの,少なくとも本件原告製品を製造するために被控訴人によって開発された金型やサイジングであって,コーナー材の製造では,一般的には金型メーカーに発注して,各社がそれぞれ独自の金型及びサイジングを使用していること, 押出成形法に係る経験や製造ノウハウがあっても,金型及びサイジングを開発するノウハウを有していなければコーナー材を製造することはできないことからすると,被控訴人の金型及びサイジングの図面自体についても非公知性があり,有用性があるものとして,本件技術情報に関連付けられた金型及びサイジングの図面それ自体も営業秘密に該当するものと認められる。 ❞
上記のように、裁判所は被控訴人が主張する独自部分は被控訴人が独自に開発したものとは認めがたいと判断しています。
そうすると、被控訴人が営業秘密であると主張する図面の非公知性や有用性も認められないのではと思いますが、そうではなく、図面には金型及びサイジングを開発するノウハウが化体されているとして図面の営業秘密性を認めています。 すなわち、図面の上位概念である独自部分は公知であるが、この独自部分にある程度のノウハウが与えられた図面は非公知であり、有用性も認められるということでしょう。

このことは、筆者の論文である「技術情報が有する効果に基づく裁判所の営業秘密性判断」で論じた図面等の下位概念ほど有用性(又は非公知性)が認められやすいという考察と通じるものがあると思われます。 

ここで、技術情報の上位概念は営業秘密性が認められずに、下位概念の営業秘密性が認められた裁判例として、接触角計算プログラム事件(知財高裁平成28年4月27日判決 平成26年(ネ)第10059号)があります。

この事件では、原告は接触角計算プログラムのアルゴリズムとソースコードについて営業秘密性を主張しました。 これに対して、上位概念であるアルゴリズムについて、裁判所は「原告アルゴリズムの内容の多くは,一般に知られた方法やそれに基づき容易に想起し得るもの,あるいは,格別の技術的な意義を有するとはいえない情報から構成されている」として、その有用性及び非公知性を認めませんでした。 
一方で、下位概念であるソースコードに対して、裁判所は有用性及ぶ非公知性を認め、その営業秘密性を認めました。

このように、同じ技術思想に基づく技術情報であっても図面やソースコードのような下位概念の方が営業秘密性を認められやすいという傾向にあるようです。 技術情報を営業秘密化する場合には、このことを十分に認識し、適切な情報を秘匿化するべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2021年5月23日日曜日

判例紹介:営業秘密の帰属について

営業秘密が企業だけでなく当該営業秘密を創出した従業員にも帰属するか否かは、不正競争防止法に営業秘密が規定された当初から議論になっていました。この理由の一つには、営業秘密の帰属について不正競争防止法では明確に規定されていないためです。
そして、あまり多くないものの裁判でも争点になる場合もあり、その帰属は企業にあるとの結論が全てです。


今回紹介する裁判例は東京地裁令和2年6月11日(平成30年(ワ)20111号)です。
本事件の原告は保険代理店であり、被告は訴外AIU保険会社を退職後にAIU保険会社の紹介により原告に入社しました。被告は、AIU保険会社において開拓した顧客を原告在職時にも担当していましたが、その後、原告を退職し、損害保険や生命保険の募集等に関する業務を行う訴外会社に就職しました。
そして、被告が原告を退職した後、被告がAIU保険会社において開拓した顧客の情報(本件顧客情報1)の写真を原告の従業員であったBがLINEを通して被告へ送付しました。なお、この顧客情報1の各顧客はAIU保険会社に対して20万3505円を支払うことにより、原告が保険代理店として同各顧客を担当することとなったものです。


この本件顧客情報1に対して被告は、”本件顧客情報1の各顧客は,被告が自らの人脈で開拓した顧客であるから,本件顧客情報1は被告に帰属するものであり,被告は,各顧客の了承の下,これを原告に提供したにすぎない。”と主張しました。

この被告の主張は理解できなくもありません。
そもそも本件顧客情報1は被告がAIU保険会社の元で開拓した顧客の情報であり、被告が原告の元で開拓した顧客の情報ではありません。そして原告はAIU保険会社から20万3505円を支払うことで本件顧客情報1の顧客を担当するになったものです。
そうすると、原告はこの本件顧客情報1を確かに保有しているものの、被告はもともとAIU保険会社にて当該顧客を開拓したのであるから、本件顧客情報1は被告にも帰属するという考えもあり得るようにも思えます。

これに対して裁判所は、下記のように本件顧客情報は原告に帰属すると判断しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・本件顧客情報1は,その各顧客に係る契約を取り扱う主体である原告に帰属するものであると認めるのが相当というべきである。
この点,被告は,本件顧客情報1の各顧客は,被告が自らの人脈で開拓した顧客であるから,本件顧客情報1は被告に帰属するものであると主張する。しかし,上述のとおり,本件顧客情報1は,あくまで保険契約に係る情報を含むものであり,私的に管理している情報とは区別されるべきものであるから,原告が取り扱う保険契約に係る情報をも含む本件顧客情報1が,原告の一従業員であった被告個人に帰属するものとはおよそ認めることができない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このように裁判所は、"保険契約に係る情報を含む"という理由から本件顧客情報1は被告に帰属しないと認定しています。
この”保険契約に係る情報を含む”とは、”各顧客に係る契約を取り扱う主体である原告”とのように裁判所が認定していることからも、”原告の業務に係る情報を含む”との意味でしょう。

そうすると、原告が保有している営業秘密であっても、当該営業秘密が示す情報と原告の業務との関係によっては、当該営業秘密を創出した従業員にも帰属する可能性があるのではないでしょうか。
すなわち、企業の業務とは直接的に関係のない情報は、当該営業秘密を創出した従業員にも帰属する可能性があるのではないでしょうか。

とはいえ、企業が保有する営業秘密はそのほとんどが企業の業務に係る情報でしょうから、営業秘密のほとんどは、当該営業秘密を創出した従業員に帰属することなく企業にのみ帰属するのでしょう。

しかしながら、例えば、従業員がした発明によっては未だ当該企業の業務となっておらず、当該従業員自身の発案により、オリジナル性が高いものである場合もあります。そうすると、このような発明を営業秘密として企業が管理すると、当該企業だけでなく、当該発明を創出した従業員にも帰属する可能性があるのではないでしょうか。
また、従業員が発案した新規な(従業員が所属する企業で未だ行っていない)ビジネスモデル等も、当該ビジネスモデルを創出した従業員にも帰属する可能性があるようにも思えます。
このように、営業秘密が企業だけでなく当該営業秘密を創出した従業員にも帰属するか否かは、その営業秘密の内容によって変わるのではないでしょうか?

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年3月14日日曜日

営業秘密侵害における民事訴訟の損害賠償額

営業秘密を侵害した個人は、刑事責任や民事責任を負うことになります。
刑事責任は、侵害者が刑事罰を受けることになります。
下記が過去にあった刑事罰の一例です。
営業秘密の侵害では、そのほとんどの懲役刑に執行猶予がついています。
しかしながら、中には執行猶予がない懲役刑が課される場合もあります。


上記のように刑事責任は懲役刑や罰金刑が課される可能性が有ります。
一方、民事責任はどのようなものでしょうか?
民事責任は、当該侵害によって営業秘密の保有者(保有企業)に与えた損害の賠償や、持ち出した営業秘密の使用又は開示をしてはならないという差し止め、持ち出した営業秘密の廃棄等です。このうち、個人が現実に負うものは損害賠償でしょう。

では、損害賠償はどのくらいになる場合があるのでしょうか?
それはケースバイケースですが、中には相当高額になる場合もあります。
その理由は、営業秘密が不正使用されたことにより、当該営業秘密の保有企業が受ける損害が莫大なものになる場合があるからです。
以下に、個人が負った損害額のいくつかを紹介します。

(1)500万円 
アルミナ繊維事件
大阪地裁平成29年10月19日判決(平成27年(ワ)第4169号)

本事件は、原告企業の元従業員であった被告が原告企業の営業秘密であるアルミナ繊維に関する技術情報等を持ち出し、これを転職先の競業会社で開示又は使用するおそれがあるとして原告企業が訴訟を提起したものです。
本事件では、原告企業は営業秘密の使用等による損害を主張していませんが、弁護士費用等として1200万円を損害額として主張し、このうち500万円の損害が認められました。


(2)1815万円(被告会社と被告個人とでの連帯)
リフォーム事業情報流出事件
大阪地裁令和2年10月1日判決(平成28年(ワ)4029号)

本事件は、家電小売り業の原告の元従業員(被告個人)がリフォーム事業に係る営業秘密を転職先である被告会社へ持ち出したというものです。
損害額の内訳は、営業秘密の使用が1500万円、本事件に関する調査に関する外部委託費用が150万円、弁護士費用が165万円、合計で1815万円です。被告会社と被告個人との連帯で支払い義務がありますので、半額ずつ支払うのでしょうか。
なお、本事件は元従業員に対して刑事告訴もされており、この被告個人は上記一覧表のように有罪判決(懲役2年 執行猶予3年 罰金100万円)となっています。また、被告個人は刑事事件の起訴時において無職となっており、起訴時には既に被告会社には在籍していなかったようです。


(3)2239万6000円 
生産菌製造ノウハウ事件
東京地裁平成22年4月28日判決(平成18年(ワ)第29160号)

本事件は、原告が保有する営業秘密である本件生産菌(コエンザイムQ10)を被告が退職時に持ち出したというものです。なお、被告は、原告企業を退職後に、被告企業(被告が設立)の代表取締役となっています。
上記金額は、原告企業の就業規則に「会社は,退職者が在職中に行った背信行為が発覚した場合,あるいは退職者が退職後に会社の機密漏洩等の背信行為を行った場合,すでに支給した退職金・退職年金を返還させ,以後の退職年金の不支給または減額の措置をとることができる。」と規定されていることを根拠としています。
すなわち、被告による営業秘密の持ち出し等が原告に対する背信行為であり、退職金の一部の返還義務があるとされました。
そして、原告は、被告に対して退職金として2495万1148円(原告拠出分2239万6000円及び被告C積立分255万5148円)を支給したことから、被告は、原告拠出分2239万6000円の返還義務が生じ、退職金のほとんどを失うことになりました。


(4)10億2300万円 新日鉄営業秘密流出事件
知財高裁令和2年1月31日判決(令和元年(ネ)10044号)

本事件は、新日鉄が保有する電磁鋼板の技術情報を韓国のPOSCOに不正に開示したとして、新日鉄の元従業員に対して新日鉄が民事訴訟を提起したものです。
本事件に関連して新日鉄とPOSCOとの間で和解が成立しており、和解金が300億円とも言われています。この和解金からして、新日鉄が負った損害は莫大な金額であったのでしょう。
当然、その責任は営業秘密を持ち出した個人にもあります。電磁鋼板の営業秘密を持ち出した元従業員は複数いたようであり、その多くは新日鉄との間で和解を成立させて判決にまで至っていなかったようですが、本事件では判決にまで至り、地裁でも10億円、高裁でも10億円の損害額を被告個人が負うことになりました。

営業秘密の不正な持ち出しは、転職時や起業時に生じ易く、営業秘密の不正な持ち出しが違法であることを認識していないと行ってしまう可能性が有ります。
このため、営業秘密の不正な持ち出し、使用、開示は、上記のように刑事責任や民事責任を負う可能性が有ることを認識する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年2月7日日曜日

<営業秘密の不正使用の範囲は?>

営業秘密の使用とはどういった行為をいうのでしょうか?
逐条解説 不正競争防止法のp.89-p.90には、「営業秘密の「使用」とは、営業秘密の本来の使用目的に沿って行われ、当該営業秘密に基づいて行われる行為として具体的に特定できる行為を意味する。具体的には、自社製品の製造や研究開発等の実施のために、他社製品の製造方法に関する技術情報である営業秘密を直接使用する行為や、事業活動等の実施のために、他社が行った市場調査データである営業秘密を参考とする行為等が考えられる。」とあります。

上記のように営業秘密の使用は「直接」使用する行為の他、「参考」として使用する行為も含まれるようです。

ここで大阪地裁令和2年10月1日判決(事件番号:平28(ワ)4029号)において裁判所は下記のように述べています。なお、この裁判例は、家電小売り業のエディオン(原告)の元従業員がリフォーム事業に係る営業秘密を転職先である上新電機(被告会社)へ持ち出した事件の民事訴訟であり、この事件は刑事事件にもなっており、この元従業員は有罪判決となっています。
・参考:過去の営業秘密流出事件<リフォーム事業情報流出事件> 

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営業秘密を「使用して作成された」か否かの判断に当たっては,廃棄対象となる媒体が,原告の保有する営業秘密に依拠し,何らかの形でこれを内容的に変容した情報を化体しているか否かの判断を要することになる(・・・)。しかるに,「使用」に当たる態様としては,例えば営業秘密を参考資料として参照したにとどまり,その結果作成された情報そのものからは営業秘密の使用が客観的にはうかがわれないような場合も含まれ得る。このように,「使用」につき多様な態様を想定し得ることに鑑みると,上記判断は,場合によっては著しい困難を伴うことともなりかねない。
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上記のように、営業秘密の「使用」は多様な態様が想定されるようです。
しかしながら、裁判所が述べているように、不正に持ち出された営業秘密が「参考」として使用された場合には、不正に使用されたということを立証することは難しいでしょう。

エディオンと上新電機との事件では、被告である元従業員が被告会社においてパッケージリフォーム商品の商品開発や仕入交渉等を単独で担当するとともに、原告の標準構成明細を使用して本件比較表及びこれに添付された標準構成明細を作成し、さらに、原告の標準構成明細の書式を使用して被告会社の標準構成明細のテンプレートを作成したようです。そして、当該テンプレートは、原告の標準構成明細の書式とかなりの程度類似する上、その備考欄上部の記載は、これが原告の標準構成明細の書式をもとに作成されたことをうかがわせるものとのことです。
そして、被告である元従業員も、当該テンプレート作成に当たり表としては原告の標準構成明細を使用したことを認めているので、裁判所は、この元従業員が原告の営業秘密を使用したと認めています。

このように、本事件では、原告の営業秘密を参考にしたという”証拠”が被告が作成した標準構成明細書に残っていたため、被告による原告の営業秘密の不正使用の認定が可能でした。
しかしながら、不法行為の証拠が残らないように、巧みに営業秘密を不正使用するような人もいるかもしれません。
このため、もし可能であるならば、自社の営業秘密にはそれが自社のものであると分かるような特異な”印”を設けることが好ましいと思われます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年12月27日日曜日

判例紹介:中古車オークションサイトのID及びパスワードの営業秘密性

本裁判例(東京地裁令和2年10月28日 令和元年(ワ)14136号)は、名刺管理ソフトで管理していた名刺情報、原告車両の在庫情報、中古車オークションサイトのID及びパスワードを、原告の元従業員で被告Aの上司であった被告Bに開示したとして、不競法2条1項4号、5号又は同項7号、8号所定の不正競争行為に該当し、原告との雇用契約に基づく秘密保持義務にも違反すると原告が主張したものです。

本事件では、名刺情報、在庫情報、並びにオークションサイトのID及びパスワードは、全て営業秘密性がないとされています。このうち、名刺情報及び在庫情報は秘密管理性がないというものであり、よくある裁判所の判断でした。
一方、オークションサイトのID及びパスワードに対する裁判所の判断は、下記のように秘密管理性及び有用性がないというものでした。

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ア 本件ID等情報は,中古車オークションであるアライオートオークションに参加するために必要となるID及びパスワードであり,同オークションのサイトにログインすることにより,中古車の売買の相場価格を知ることが可能となるところ,本件ID等情報そのものは,文字と数字等の組合せから成る文字列にすぎず,それ自体が事業活動に有用な情報であるということはできない。
これに対し,原告は,同オークションのサイトを閲覧することにより,中古車両の下取り価格等の参考情報を得ることができるので,本件ID等情報自体に情報としての有用性があると主張するが,上記判示のとおり,本件ID等情報は文字と数字等の組合せから成る文字列であるから,それ自体から原告の事業に有用な情報を読み取ることはできず,また,同情報を使用することによりアクセスすることができるのは,アライオートオークションのサイトにおいて表示され,その会員であれば見ることのできる情報であり,同情報が原告の保有する営業秘密であるということもできない。
イ また,仮に,本件ID等情報自体に有用性が認められるとしても,原告の主張によれば,同情報はこれを利用する必要のある従業員の間で共有されていたということであり,そうすると,原告においては,本件ID等情報についてアクセス制限措置は講じられておらず,業務上上記オークションのサイトにアクセスする必要のある従業員であれば,自由に本件ID等情報を利用することができたというべきである。
そうすると,原告の従業員等が,本件ID等情報が原告の営業秘密であると認識していたとは考え難く,原告の就業規則等に秘密保持条項があることも同結論を左右するものではない。
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個人的には、このような裁判所の判断はおかしいのではないかと思います。
そもそも、IDとパスワードは原告が「一般的に,一定の資格を有する会員のみに付与されるアライオートオークションにログインするためのID及びパスワードは,その性質上,外部に開示されることは想定されていない。」と主張しているように、外部に開示されるものではありません。
すなわち、一般的にIDとパスワードの組み合わせは秘密とするべきものであると誰しもが認識できるものであるため、IDとパスワードの組み合わせは、たとえ秘密管理措置が客観的に認められないとしても、その秘密管理性は認められてしかるべきではないでしょうか。

例えば、プログラムのソースコードに対して「本件ソースコードの管理は必ずしも厳密であったとはいえないが,このようなソフトウェア開発に携わる者の一般的理解として,本件ソースコードを正当な理由なく第三者に開示してはならないことは当然に認識していたものと考えられるから,本件ソースコードについて,その秘密管理性を一応肯定することができる」とする裁判所の判断もあります(「プログラムの営業秘密性に対する裁判所の判断」パテント Vol.72 No.8, p117-p126 (2019))。

このようなソースコードと同様の判断がIDとパスワードの組み合わせに対して行われてもよいのではないでしょうか?

また、「本件ID等情報そのものは,文字と数字等の組合せから成る文字列にすぎず,それ自体が事業活動に有用な情報であるということはできない。」とのような裁判所の判断もどうでしょう?
たしかに、ID等の情報そのものは文字列にすぎませんが、原告が主張するように、この文字列を入力することでオークションサイトにログインし、中古車両の下取り価格等の参考情報を得ることができます。さらに、ログインすることで、オークションに参加することもできるかと思います。そうすると、ID等は事業活動に有用な情報であるはずです。このような裁判所の判断は理解できません。
もし、ID等が文字列にすぎず有用性がないとなると、顧客情報に含まれる電話番号やメールアドレスといった数字や文字等の組み合わせからなる文字列も有用性がないということでしょうか。決してそうではないはずです。
そうすると、ID等の有用性を否定するという判断も理解しかねます。

なお、本事件は、被告が各種情報を持ち出していることは認められていますが、その行為が「不正の手段によるもの」とは認められす、また「不正の利益を得る目的」等でもなく、秘密保持義務違反でもないと裁判所は判断しています。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年12月13日日曜日

判例紹介:特許権ラインセンスと共に開示した技術情報について

今回は、特許権を他社にライセンスすると共に当該特許権に係る製品を製造するために開示した技術情報の取り扱いについての裁判例(大阪地裁令和1年10月3日判決(平成28年(ワ)3928号))です。

被告は、原告のトランスに係る特許権のライセンス(本件各基本契約)をノウハウ(本件技術情報)の開示と共に受けました。そして、被告は、特許権が消滅したため本件各基本契約は終了し、本件技術情報にはWBトランスを分解すれば誰でも知り得る情報しか含まれておらず、すでに公知であることを理由にロイヤルティの支払を拒む旨を原告に通告しました。

これに対して原告は、被告らは本件技術情報に対するロイヤルティの支払義務を負っているのに、ロイヤルティの支払を予め拒絶しているとして催告を経ず、被告らの債務不履行を理由に本件各基本契約を解除した旨を主張し、ランニングロイヤルティの不払いその他本件各基本契約の債務不履行があったと主張しています。

具体的には原告は、本件技術情報である技術資料中に、トランスの製作品を用いて計測した実測値が記載されており、「WBトランスの設計作業において,最低限,①一次巻数,②二次巻数(一次巻数に特定の数値を乗じた数値),③一次巻線径,④二次巻線径を算出する必要があるところ,これらは,原告から開示された数値(本件技術資料中,電気設計一覧表及び電気設計書に記載。)がなければ被告らにおいて算出することができない」と主張しました。


これに対して裁判所は、以下のように判断しました。
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本件技術資料中の電気設計一覧表及び電気設計書において開示された数値は,試作品における実測値にすぎず,被告らにおいても,独自に計測・算出したり,製造元に問い合わせて確認したり,WBトランスの完成品を用いて測定したりすることが可能であったものであるから,原告からの開示がなければWBトランスの設計・製造が不可能であったものとはいえない。
・・・
コイルボビン及びWBトランスの外径寸法や重量は,パンフレットを参照したり,WBトランスの完成品を測定したりすることにより容易に得られる値である(甲57,乙3)。
巻線計画等についても,原告から開示された数値によらなくても,被告らにおいて,使用するコイルボビンの凹状溝の幅と,選択した銅線の径から巻数を算出し,上記のとおり算出された一次巻数及び二次巻数まで,整列巻で巻き回していくことは可能であると考えられる。
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そして、裁判所は以下のように「まとめ」ています。
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(イ) ・・・、本件技術情報の開示を受けなければWBトランスを製造することができないといった事情までは認められず,本件技術情報がWBトランスの製造に必須であることを前提に,本件各基本契約の性質を考えることはできない。
(ウ) また,本件技術情報に記載された数値は,物理的に測定したり,計算によって求めることができるものと考えられるから,WBトランスが市場に出回り,リバースエンジニアリングを行って計測等ができるようになった段階で,公知になるといわざるを得ない。
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このように、裁判所は、特許権のライセンスと共に原告から被告に開示された技術情報は、既に公知である又は製品をリバースエンジニアリングによって知り得る情報であるとして、その営業秘密性を認めず、これにより原告の主張を認めませんでした。

一方で、裁判所は下記のようなことも述べています。
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本件各特許権の明細書等を参照し,流通に置かれたWBトランスに対するリバースエンジニアリングを行ってもなお解明することができず,原告よりその開示を受けない限り,WBトランスの製造はできないというようなノウハウが,本件技術情報に含まれていると認めるべき証拠は提出されていない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

すなわち、製品のリバースエンジニアリングによってもノウハウが非公知性を喪失せず、当該ノウハウを用いないと製造できないようなノウハウは、特許権が消滅しても保護の対象となり、ロイヤリティの対象となる、ということでしょう。

一般的に、特許権をライセンスする際には、当該特許権に係る製品の製造のためのノウハウも開示することが多いかと思います。
その際、ライセンシーは、開示されたノウハウが一体どのような性質の情報であるのか?もしかしたら、特許権が消滅した後でも、ライセンサーがノウハウに対して継続的にロイヤリティーの支払いを求める可能性が有る情報であるか否かを見極める必要があるかと思います。

また、ライセンサーも同様です。自身が開示するノウハウがどのような性質のものであるかを見極めなければならないでしう。さらに、特許出願の明細書に記載の内容も重要です。特許性が有りそうだからとして、本来開示する必要がない情報(例えば従属項となるような情報)までも開示するよりも、営業秘密として管理する方がよい場合もあるでしょう。技術情報を特許出願をすると公開されるので、再び秘匿化はできません。この認識は強く持つ必要があるかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年10月25日日曜日

情報の集合体に対する有用性判断

既知の情報は、営業秘密で言うところの非公知性を喪失しているため、営業秘密としては認められません。
一方で、既知の情報であってもそれが多数の集合体であれば、その集合体には非公知性と共に有用性が認められ営業秘密としての保護を受けられる可能性が有ります。その典型例が顧客情報でしょう。

しかしながら、分類、区別、加工等が行われていない単なる情報の集合体に対しては、営業秘密で言うところの有用性が認められない可能性が有ります。
例えば、東京地裁平成27年10月22日判決(平26(ワ)6372号)では、名刺帳の営業秘密性について、裁判所は以下のように判断しています。なお、本事件では、原告会社の元従業員が被告であり、この名刺帳を不正に持ち出したと原告会社は主張しています。

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本件名刺帳に収納された2639枚の名刺を集合体としてみた場合には非公知性を認める余地があるとしても,本件名刺帳は,上記認定事実によれば,被告Aが入手した名刺を会社別に分類して収納したにとどまるのであって,当該会社と原告の間の取引の有無による区別もなく,取引内容ないし今後の取引見込み等に関する記載もなく,また,古い名刺も含まれ,情報の更新もされていないものと解される(甲16参照)。これに加え,原告においては顧客リストが本件名刺帳とは別途作成されていたというのであるから,原告がその事業活動に有用な顧客に関する営業上の情報として管理していたのは上記顧客リストであったというべきである。そうすると,名刺帳について顧客名簿に類するような有用性を認め得る場合があるとしても,本件名刺帳については,有用性があると認めることはできない。
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このように裁判所は、情報の集合体には非公知性が認められるとしても、事業活動に利用可能な程度まで名刺を区別していたり、情報の追加や更新等がなされていなければ、有用性は認められないと判断しているようです。
一方で、原告会社が別途作成及び管理していた顧客リストについては、その有用性を認めていますが、被告はこの顧客リストは持ち出しておりません。


ちなみに、名刺そのものは一般的に入手が難しいものであり、そのものが非公知性を有しているとも考えられます。しかしながら、この裁判例では名刺の営業秘密性についても以下のように判断し、その営業秘密性を否定しています。

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原告は,本件名刺帳に収納された名刺に記載された情報が原告の営業秘密に当たる旨主張するが,名刺は他人に対して氏名,会社名,所属部署,連絡先等を知らせることを目的として交付されるものであるから,その性質上,これに記載された情報が非公知であると認めることはできない。
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以上のように、単なる情報の集合体であって、そのままでは利用価値がないようなものは、営業秘密としての有用性が認められない可能性が有ります。

では、技術情報でもある実験結果の生データはどうなるのでしょうか?
一般的に生データを処理することで実験結果が判断されます。すなわち、生データそのものだけでは、例えば不要なデータが含まれている等して実験結果を判断することができない場合があり、事業活動に有用とは言えないかもしれません。
また、ビッグデータと呼ばれる情報はどうなのでしょうか?
たとえば、多数の自動車の走行履歴は、それから分類や区別等の処理が行われることで、事業活動に有用なデータが抽出されるものでしょう。

このように、多数の情報の集合体であっても、処理(加工)後では事業活動に有用と判断されても、処理(加工)前では事業に有用でないと判断されてしまう余地があるようにも思えます。
しかしながら、処理(加工)前の情報の集合体であれば、それを処理(加工)することで有用な情報にすることができます。そうであれば、情報の集合体であって非公知であれば、その有用性が認められてもよい気がします。

結局、当該情報の集合体がどのようなものなのか、どのような利用価値があるのかによって、すなわちケースバイケースで判断が変わるとは思いますが、今後、このようなことが争われる可能性もあるかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年8月8日土曜日

判例紹介:契約書に秘密保持の条項が設けられていても、秘密管理性が認められなかった裁判例

契約書の秘密保持条項が営業秘密で言うところの秘密管理性の認定に大きく寄与しますが、今回紹介する裁判例(東京地裁令和2年1月15日判決  事件番号:平28(ワ)35760号 ・ 平29(ワ)7234号)は、秘密保持条項を有する契約によっても秘密管理性が認められなかった事例です。

本事件は、被告らが原告を退職した際に原告から持ち出したパソコン内に保存されている資料(原告がいうところの営業秘密)を使用し、被告会社の代表取締役又は従業員として被告会社の業務を行い、原告の営業上の利益を侵害している、と原告が主張したものです。典型的な営業秘密侵害のパターンですね。 
なお、原告が営業秘密であると主張する情報(本件各情報)は、「原告において過去に実施した企画又はイベントの成果物(企画書,シナリオ等),顧客からの受注金額,外注業者への手配金額,粗利並びに顧客及び外注先の担当従業員の連絡先」です。 

そして、原告は、被告らが原告に在籍中に秘密保持条項等が記載された書面を原告に提出したことにより、原告と被告らそれぞれとの間において秘密保持等契約が成立し、本書面の第3条には原告の「取引先や仕入先および資料」は全て原告に帰属する旨を定めている、と主張しています。さらに、本件パソコンには,パスワードが設定されており,第三者が本件パソコン内のデータを自由に閲覧することはできないし、原告の電子メールサーバーもパスワードで保護されており、原告代表者以外の者がこれを閲覧することはできないため、以上のことから、本件各情報は秘密として管理されていると主張しています。


これに対して裁判所は、以下のように判断しています。
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本件各情報のうち原告の顧客及び外注先といった取引先の担当従業員の連絡先については,・・・これらの取引先の住所や電話番号と一緒に,お歳暮,お中元,年賀状等の送付先として管理されるとともに,原告代表者及び被告Y2らは,いずれも自身が契約を締結して使用している携帯電話に,これら取引先の担当従業員の連絡先を登録し,これを業務に利用していたことが認められる。そうすると,原告において,その取引先の担当従業員の連絡先につき,秘密管理措置が施されていたとは認め難い。
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さらに、裁判所は以下のようにも判断しています。
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別紙契約書書式第3条には,原告が「過去に取引をしたことがある取引先や仕入先および資料」が全て原告に帰属する旨記載されているところ,前記(2)のとおり,原告において,その取引先や過去の取引等に関する情報につき,十分な秘密管理措置を執っていたものとは認め難く,また,別紙契約書書式の全ての記載に照らしても,上記「資料」が具体的に何を指すのかは明らかでないといわざるを得ないことに照らせば,別紙契約書書式に上記のような定めが置かれていることをもって,本件各情報につき,原告の秘密管理意思(特定の情報を秘密として管理しようとする意思)が具体的状況に応じた秘密管理措置によって原告の従業員等(被告Y2ら)に明確に示されていたということはできないし,原告の従業員等(被告Y2ら)においてそのような原告の秘密管理意思を容易に認識できる状況にあったものということもできないものというべきである。
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なお、裁判所は、秘密管理性の定義として、「本件各情報が不正競争防止法2条6項にいう「営業秘密」に当たるというためには,原告が本件各情報を秘密情報であると主観的に認識しているだけでは足りず,原告の秘密管理意思(特定の情報を秘密として管理しようとする意思)が,具体的状況に応じた秘密管理措置によって原告の従業員等に明確に示され,原告の従業員等においてそのような原告の秘密管理意思を容易に認識できる必要があるものと解するのが相当である。」としています。

すなわち、本事件では、いくら原告が被告との間で、秘密保持条項を有する契約を結んだとしても、秘密管理の実態がなく、原告の秘密管理意思が従業員等に明確に示されていなければ、秘密管理性は認められません。
また、秘密保持の対象が「資料」のように包括的な表現となっていると、秘密保持の対象も不明瞭であり、これも原告の秘密管理意思が従業員等に明確に示されていないことになります。

このように、必ずしも、契約又は就業規則等に秘密保持条項や秘密管理規定が設けられているとしても、実態が伴っていなければ、秘密管理性は認められないという認識が企業には重要です。
弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年7月30日木曜日

判例紹介:営業秘密(技術情報)の特定について

本ブログでは、度々、営業秘密はまずその特定が重要であることを述べてきました。
特に、技術情報を営業秘密とする場合において、当該技術情報が特定されていないと、秘密管理性、有用性、非公知性の判断が裁判所が行うことなく、原告(営業秘密が侵害されたと主張する者)が敗訴する場合が散見されます。

今回紹介する裁判例(大阪地裁令和2年3月26日判決 平30(ワ)6183号 ・ 平30(ワ)9966号)もそのようなものです。


本事件は、原告は被告との間でOEM販売契約を結んでいましたが、原告は被告に対して同契約の解除に伴う原状回復請求権に基づき、支払い済み代金の一部の返還等を求めたものです。これに対し、被告は反訴として特許権の侵害や不競法に基づく損害賠償を求めました。すなわち、本事件は、被告が原告による営業秘密の不正使用等を主張しています。


被告は、自身の保有する営業秘密として「本件OEM契約では,「製品に関する技術情報」についての秘密保持が規定され,第三者への秘密漏洩を禁止し(16条),被告の同意なき成分分析も禁止されている(15条)。セルフィールの成分,成分の含有割合及びそのバランス(ただし,本件特許の特許公報記載のものを除く。)は上記情報に当たる。」とのように主張しています。


なお、セルフィールは、天然土壌由来の無機化合物(鉄化合物,アルミニウム化合物,カリウム化合物,チタン化合物)を含有する無色透明・無臭の水溶液です。
そして、原告は、被告から本件OEM契約に基づきセルフィールを購入し、これを繊維関連の顧客に原液のまま販売したり、繊維に加工するために必要な調合を施した水溶液を販売したり、セルフィールを使用して原告が加工した繊維製品を第三者に販売したりしていたようです。



このような被告の営業秘密に対する主張に対して、裁判所は以下のように判断しています。
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被告は,営業秘密の内容として,本件特許の特許公報記載のものを除くセルフィールの成分,成分の含有割合及びそのバランスであると主張するものの,その具体的内容は明らかにしない。この程度の特定では,当該情報の有用性その他「営業秘密」の要件の有無や,当該情報と原告が取得等したとされる情報との同一性等を判断することは不可能又は著しく困難である。その意味で,被告の主張は,不正取得等されたという情報の特定の点で十分とはいえない。したがって,被告主張の情報が営業秘密に該当するとは認められない。
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被告としては、特許公報にセルフィールの成分が公開されているため、セルフィールの成分が営業秘密であると主張しても、非公知性を満たさないと判断されるであろうから、「特許公報記載のものを除く」セルフィールの成分が営業秘密であると主張したのだと思われます。
このような主張は、やや苦し紛れにも思えますが、やはりこの程度の主張では営業秘密の具体的内容は明らかにされていない、との裁判所の判断は妥当であると思われます。

この裁判例のように、営業秘密はその具体的な内容は特定されなければなりません。換言すると、具体的な内容が特定されていない情報は、営業秘密とはなり得ません。
情報を営業秘密とする場合には、このことを常に念頭に置き、当該情報の具体的な内容が特定できているかを意識する必要があるでしょう。
弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年5月28日木曜日

-判例紹介ー 取引先に営業秘密を開示したものの、その非公知性が否定された裁判例 その2

前回紹介した、取引先と秘密保持契約を締結して情報を開示したものの、その情報は営業秘密ではないとされた裁判例(東京地裁 令和2年3月19日 平成20年(ワ)23860号)の続きです。
本事件において原告は、シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の原材料として「 東レ(株) DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤 」を用いることを営業秘密であると主張しました。しかしながら、裁判所は当該情報について営業秘密性を認めませんでした。

一方で原告は、さらに、被告が被告製品のPMDA申請に際してシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの端部を丸みを帯びた形状とするという情報を開示した行為が本件秘密保持義務違反に該当するとも主しました。
確かに、秘密保持契約を締結していれば、秘密保持の対象とする情報が営業秘密でなくても、秘密保持契約に違反した使用をしていれば民事的責任を問えるでしょう。しかしながら、これについても下記のように裁判所は認めませんでした。

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皮膚バリア粘着プレートの原材料にシリコーンゲルを用いるという情報が,本件契約前の交渉段階から既に公知の情報であったことは上記(第4の1)認定のとおりである。また,その端部を丸みを帯びた形状とするという点も,絆創膏などの代表的な皮膚保護剤や原告製品に先行して販売されていたシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの形状からも明らかなように,その端部は角張った形状か丸みを帯びた形状の製品が多く(公知の事実及び前記認定事実1(1),シカケアの説明文書においても角を丸くした形でシカケアを切って手術痕等に貼付する方法が説明されていること(前記認定事実1(1)ア)などに照らすと,皮膚バリア粘着プレートの端部を丸みを帯びた形状とするという情報は,本件契約前の交渉段階から既に公知の情報(本件契約の契約書第9条③の4)といえる。そうすると,原告が指摘する情報は,いずれも「相手方の技術上及び取引上の情報」(同契約書第9条①②)に該当するとは認められない。
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ここで、原告と被告とが締結した秘密保持契約は下記のものです。

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第9条(秘密保持義務) 甲(原告)と乙(被告)は、事前に相手方の書面による承諾を得なければ、次の情報を第三者に開示または漏洩してはならない。   
① 本件契約及び個別契約の締結前に行われた交渉の段階において、図面・仕様書・資料・材料・型・設備・見積依頼・口頭の説明、その他により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報。   
② 前項のほか、本件契約及び個別契約により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報   
③ 前項の規定は、次の各号に定める情報には適用しない。 
 1 相手方から知り得た時点で,既に保有している情報 
 2 独自に開発した情報 
 3 秘密保持義務を負うことはなく,第三者から正当に入手した情報 
 4 公知になった情報
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すなわち、裁判所は、秘密保持契約にも「公知となった情報」は秘密保持を適用しないとの規定が設けられているために、公知であるとして営業秘密と認められなかった情報も、秘密保持の対象とはならないと判断しました。

このような事例は、本事件だけではありません。以前に紹介した攪拌造粒機事件があります。
この事件では原告が被告に攪拌造粒機の製造を委託し、秘密保持契約を締結して図面を被告に開示したものの、委託契約が終了した後に被告が当該図面を使用して攪拌造粒機を製造販売したというものです。この事件では、原告製品は所謂リバースエンジニアリンが可能でり非公知性を喪失していることを理由に、裁判所は原告製品図面を営業秘密とは認めませんでした。
そして、原告は、被告による秘密保持契約違反も主張しましたが、この秘密保持契約も公知となった情報を秘密保持の対象から除外する規定が設けられていたために、認められませんでした。

このように、秘密保持契約を締結していても、公知となった情報は秘密保持の対象から除外する等の規定が設けられていれば、非公知性が喪失しているとして営業秘密と認められなかった情報は、秘密保持の対象からも除外されることになります。

これは、特別なことではなく、上記のような除外規定が設けられていれば当然のことです。
今回紹介した事件では、原告は既に非公知性を失っている情報であるにもかかわらず、当該情報が営業秘密のみならず、被告との間で締結した秘密保持の対象になると考えていました。その結果、不要な争いとなってしまいました。
このようなことから、自社が秘密と考える情報は、秘密保持の対象となり得るのかを十分に検討し、相手先と契約を締結する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2020年5月22日金曜日

-判例紹介ー 取引先に営業秘密を開示したものの、その非公知性が否定された裁判例

今回は、取引先と秘密保持契約を締結して情報を開示したものの、その情報は営業秘密ではないとされた裁判例(東京地裁 令和2年3月19日 平成20年(ワ)23860号)について紹介します。

本事件において、原告と被告は、平成27年10月8日に原告が被告に対して皮膚バリア粘着プレートの製造を委託することなどを定めた製造委託契約(以下「本件契約」という。)を締結しました。
この本件契約の契約書第9条には以下の記載があります。

第9条(秘密保持義務)
甲(原告)と乙(被告)は、事前に相手方の書面による承諾を得なければ、次の情報を第三者に開示または漏洩してはならない。  
① 本件契約及び個別契約の締結前に行われた交渉の段階において、図面・仕様書・資料・材料・型・設備・見積依頼・口頭の説明、その他により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報。   
② 前項のほか、本件契約及び個別契約により知り得た相手方の技術上及び取引上の情報  
③ 前項の規定は、次の各号に定める情報には適用しない。
    1 相手方から知り得た時点で,既に保有している情報
    2 独自に開発した情報
    3 秘密保持義務を負うことはなく,第三者から正当に入手した情報
    4 公知になった情報

そして、原告は、平成27年11月17日に独立行政法人医薬品医療機器総合機構に対し、皮膚バリア粘着プレート「マムズケア(Mom’s Care)」の一種で、帝王切開用の「マムズケア 16(Mom’s Care 16)」(以下「原告製品」という。)について、医療機器製造販売届(以下「PMDA申請」という。)をしました。また、被告も、平成27年12月28日に被告製品のPMDA申請をしました。

原告は、平成28年1月18日に被告に対し、東レ・ダウコーニング社(訴外東レ)が製造・販売する、粘着面の原材料として記載されている「DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤」(本件東レ製品)を原告製品の粘着面に用いることを提案し、原告と被告は原告製品について、原材料として粘着面に原告が支給する本件東レ製品を使用し、非粘着面に「Mom’s シリコーン」を使用することを合意しました。

なお、原告製品は、皮膚に接する粘着性のあるシリコーン面と、粘着性のない面からなる伸縮性に富んだシリコーンシートであり、帝王切開手術専用の皮膚バリア粘着プレートであり、原告製品は、帝王切開手術の手術痕に貼付することにより皮膚バリアとして外部からの刺激等を和らげるとともに、手術痕が瘢痕やケロイドになるのを予防するものです。

原告は平成28年2月24日から現在に至るまで原告製品を販売し、被告は平成28年2月22日から同年6月20日までの間、本件契約に基づいて原告製品を製造して原告に納品したものの、本件契約は平成28年10月8日に終了しました。

そして、被告は、遅くとも平成29年12月1日には被告製品の販売を開始しました。この被告製品は、粘着性のあるシリコーン面と粘着性のないシリコーン面からなる伸縮性のあるシリコーンシートであり、切開手術、腹腔鏡手術の手術痕などの皮膚部位を保護し、手術痕が肥厚性瘢痕やケロイドになるのを防止する皮膚バリア粘着プレートであり、その粘着面には本件東レ製品が用いられています。



このような経緯の元、本事件において原告は、シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の原材料として「 東レ(株) DOW CORNING MG7-9850 A剤・B剤 」を用いることを営業秘密であると主張しました。
そして、原告は、帝王切開手術の手術痕の保護に適したシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートという原告のアイディアを被告が模倣し、原告製品のPMDA申請から約1か月後に、原告に何らの説明もなく被告製品のPMDA申請をしただけでなく、平成28年8月以降、本件東レ製品を用いて原告製品と同じ形状・サイズの被告製品を製造・販売したことが、被告が「不正の利益を得る目的」(不正競争防止法2条1項7号)をもって本件情報を使用したと主張しました。

 これに対して裁判所は、以下のようにして原告主張の営業秘密の非公知性を否定しました。「手術痕や傷痕を保護するためのシリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートが本件契約の数年以上前から複数の会社から製造,販売されていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤の粘着技術が遅くとも平成元年頃からは傷の治療に用いられていたこと,シリコーンソフトスキン粘着剤である本件東レ製品が遅くとも平成20年12月頃には販売され,同時期に発行された業界雑誌において製品の特性等も踏まえて紹介されていたことのほか,訴外東レが,本件東レ製品について,瘢痕治療を含む皮膚への付着を対象とする製品であること及び日本国内だけでなく海外にも広く供給することが可能であることなどを自社のウェブサイトにおいて紹介していることが認められる。
 (2)  以上によれば,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面に本件東レ製品を用いることができるという情報は,平成27年7月までには,広く知られていた情報であったといえる。本件東レ製品はそのような用途で用いられる汎用品であるから,少なくとも,原告が,原告製品の製造等を依頼するためにエフシートを持参して被告を訪問した平成27年7月16日時点において,シリコーンゲルを用いた皮膚バリア粘着プレートの粘着面の材料として本件東レ製品を用いるという本件情報が非公知の情報であったとは認められない。

一方、原告は、本件東レ製品は医療用に開発された特殊素材の製品で、医療品への使用用途以外にはメーカーに卸してもらえない製品であり、一般に市場に出回っている原材料ではないと主張しました。しかしながら、これに対しても裁判所は、本件東レ製品を使用するのに一定の手続を要したとしてもそれは本件情報の非公知性に影響しないと判断しました。

このように、本事件では、原告が営業秘密であると主張する情報に対する非公知性が否定され、当該情報は営業秘密ではないとされました。
これにより、原告と被告とで締結した秘密保持契約の対象となる情報から、当該情報が除外されることとなります。

次回に続きます。

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