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2021年9月5日日曜日

自社製品のリバースエンジニアリングによって喪失される営業秘密としての非公知性

情報が営業秘密として認められるためには秘密管理性、有用性、非公知性の3要件が全て認められなければなりません。特に技術情報を営業秘密として管理する場合には、留意するべき点がいくつかあります。自社製品のリバースエンジニアリングによって非公知性が失われる場合があるということもこの留意点の一つです。

すなわち、技術情報を営業秘密として管理していたものの、この技術情報が使用された自社製品が販売され、リバースエンジニアリングによってこの技術情報の非公知性が喪失し、営業秘密として認められなくなる可能性があります。なお、非公知性の判断の基準時は、情報を営業秘密管理したときではなく、不正行為がおこなわれたときです。このため、上記のような技術情報を営業秘密として管理していても、非公知性が失われた後に持ち出された場合には営業秘密侵害とはなりません。

では、どのようなリバースエンジニアリングによって非公知性が失われたとされる技術情報にはどのようなものがあるのでしょうか?下記の表は、そのような裁判例の一覧です。


ここで、リバースエンジニアリングによっても公知性が失われないとする判断基準は、セラミックコンデンサー事件において「専門家により,多額の費用をかけ,長期間にわたって分析することが必要である」と判示されており、他の裁判でもこの基準が用いられています。

すなわち、下記3つの要件が判断基準とされています。
①特殊な技術を要するかどうか(特殊技術基準)
②相当な期間が必要かどうか(相当期間基準)
③誰でも容易に知ることができるかどうか(情報取得容易性基準)

そして、上記一覧から分かるように、機械系に関する技術情報はリバースエンジニアリングによって公知となったとされる可能性が高いかと思います。
この理由は、当該製品を寸法を測定することにより、技術情報を容易に知り得る場合が多いためです。しかしながら、セラミックコンデンサー事件や半導体封止機械事件では、営業秘密としている図面等の情報量が多く、それをリバースエンエンジニアリングで知り得ることは上記3つの要件を満たさないため、非公知性は喪失していないと判断されました。

また、化学系に関してはあまり裁判例も多くありませんが、日本ペイントデータ流出事件と錫合金組成事件が参考になるでしょう。この2つの事件は、日本ペイントデータ流出事件が非公知、錫合金組成事件が公知とのように真逆の判断となっています。
この理由には、日本ペイントデータ流出事件ではリバースエンジニアリングされる技術情報が塗料を構成する原料及び配合量、より具体的には塗料を構成する樹脂や顔料の原料や配合量であり、この情報をリバースエンジニアリングにより知り得ることはやはり難しい一方、錫合金組成事件では錫器の製造に使用する合金の組成がリバースエンジニアリングされる技術情報であることから、比較的容易に知り得るという判断のようです。
なお、これらの事件では、リバースエンジニアリングに用いられる技術としてXRD(広角X線回析法)やICP発光分光分析法といったような、一見すると特殊な技術が用いられていると思われます。しかしながら、これらの技術は当該分野では一般的な分析技術であり、”特殊”という位置付けではないでしょう。そのように考えると、特殊技術基準はリバースエンジニアリングの対象となる技術情報毎に異なると思われます。すなわち、特殊技術水準は、リバースエンジニアリングの対象となる技術情報において”特殊”であるか否かで判断されると考えられるでしょう。

技術情報を営業秘密管理するか否かは上記のことを考慮するべきであり、自社製品のリバースエンジニアリングによって容易に知り得る技術情報はそもそも営業秘密となり得ないことを正しく認識しなければなりません。したがって、このような技術情報は営業秘密管理を視野に入れずに特許出願してもよいし、自社製品が販売されるまでは営業秘密管理する一方で、販売される直前に特許出願又は実用新案出願することもよいでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2021年8月16日月曜日

特許の宣伝広告機能

製品の売り文句として、特許取得、特許出願中、実用新案登録、・・・とのようなものを度々見かけます。多くの人は漠然と”特許=何だかすごい”という印象を持っているので、特許取得といったことがやはり宣伝広告として一定の機能を有しているのでしょう。
しかしながら、このような売り文句が一体どの程度売り上げに貢献できているのかは特許業界からはさっぱりわかりません。

ここで、本ブログではアサヒビールの生ジョッキ缶に関して幾つか記事を書いており、このアクセス数が非常に多くなっています。しかも、知財戦略と題してることからも、専門的な記事であることが分かるにもかかわらずです。

このうち、特にアサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)については、今まで書いた他の記事に対して圧倒的に多いアクセス数となっています。

下記はアサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)のアクセス数のグラフです。そもそも、本ブログは、一日のアクセス数が平均すると数十程度ですので、一つの記事で一日のアクセス数が500近くになることは過去にありません。


なお、赤丸で示した部分は、生ジョッキ缶の販売休止や再販等の報道が行われたときであり、生ジョッキ缶の報道に合わせてこの記事へのアクセス数が増加していることがわかります。

この記事への流入元はグーグル等による検索からだと思われます。”生ジョッキ 特許”とのようなキーワードで検索するとトップの方に本記事が現れます。実際、この記事を書いた後から、グーグル検索からのアクセス数が増加しています。
すなわち、消費者の一部には、アサヒビールの生ジョッキ缶に特許技術が用いられているという印象が強く根付いているのではないでしょうか。そのうちの一部の人が販売停止や再販といってニュースに触れると、検索しているのだと思います。
この記事に多くのアクセスがあった理由は、アサヒビールが生ジョッキ缶の販売当初に特許出願していると説明し、このことを報じている報道がいくつもあったからだと思います。このため、消費者のうち、少なくない人たちが生ジョッキ缶の特許に興味を持ち、検索によりこの記事を目にしたのでしょう。
このことは、特許が生ジョッキ缶に対する宣伝広告機能を発揮したということになると思います。

では、どのような商品でも”特許”が宣伝広告機能を発揮できるのでしょうか?
必ずしもそうではなく、生ジョッキ缶という商品と特許という宣伝文句は親和性が高く、特許が宣伝広告機能を発揮し易かったのではないでしょうか。
その理由は、生ジョッキ缶が缶ビールでありながら今までにないような泡立ちを生じさせるという、見た目に強いインパクトを与える商品であり、これを生じさせるためには何らかの技術的な背景があることを誰もが容易に想起できるためでしょう。
そのような商品に”特許”という技術的要素を感じさせるキーワードが与えられると、消費者は生ジョッキ缶という商品に対する興味がさらに引き立てられるのではないでしょうか?
このように、商品の特徴の見た目のインパクトとそれを実現させるための技術に特許が用いられる、という商品と特許との組み合わせが分かり易いと特許が宣伝広告機能を発揮し易いと思います。

さらに、知財に詳しくない人であっても、特許は独占的なものであり、他者がそれを使ってはいかないという認識を漠然とながら持っているでしょう。
そうすると今後、生ジョッキ缶と同様な商品を他社が販売すると、それはアサヒビールの模倣品であるという心象を持つ消費者も多く、そのような心象を消費者に持たれてしまうと、他社の製品の売り上げには影響がでるでしょう。その結果、アサヒビールの製品の売り上げは保たれるという構図ができるかもしれません。
このような消費者への心象形成が成功すると、特許というキーワードは、単なる宣伝広告機能以上の効果を与えることができるかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年8月1日日曜日

発明を営業秘密として特定する方法

発明を営業秘密とする場合には、当該発明の特定が必要です。例えば、図面やプログラムのソースコードは、多くはデジタルデータとして記述されているので、あらためて特定に関して意識する必要が無いかもしれません。
しかしながら、発明は技術思想であるため、何らかの形で第三者に理解できるように特定しないといけないでしょう。そもそも、発明を特定しないと秘密管理性、有用性、非公知性も客観的に判断することができません。なお、営業秘密が特定されていないとして棄却(原告敗訴)となった判例には例えば以下のようなものがあります(❝ ❞内は裁判所の判断です)。

(1)セルフィール事件 
  (大阪地裁令和2年3月26日判決 平30(ワ)6183号等)  
❝本件特許の特許公報記載のものを除くセルフィールの成分,成分の含有割合及びそのバランスであると主張するものの,その具体的内容は明らかにしない。この程度の特定では,当該情報の有用性その他「営業秘密」の要件の有無や,当該情報と原告が取得等したとされる情報との同一性等を判断することは不可能又は著しく困難である。❞
(2)小型USBフラッシュメモリ事件
  (知財高裁平成23年11月28日判決 平成23年(ネ)第10033号)
❝そうした寸法・形状での小型化を達成する部品配列・回路構成等との関係でもそれら各要素が両立する事実及びその方法を伝える情報として、全てが組み合わさった情報とはどのような情報なのか不明であり、営業秘密としての特定性を欠くといわざるを得ない。❞
(3)錫合金組成事件
  (大阪地裁平成28年7月21日判決 平成26年(ワ)第11151号等)
❝原告らは、本件合金の成分及び配合比率を容易に分析できたとしても、特殊な技術がなければ本件合金と同じ合金を製造することは不可能であるから、本件合金は保護されるべき技術上の秘密に該当する旨主張する。しかし、その場合には、営業秘密として保護されるべきは製造方法であって、容易に分析できる合金組成ではないから、原告らの上記主張は採用できない(なお、前記のとおり原告らは、本件で本件合金の製造方法は営業秘密として主張しない旨を明らかにしている。)。❞
上記(1)、(2)の事件は、原告が営業秘密であると主張する技術情報が何であるかが特定されていないと裁判所に判断された事件です。
一方で(3)の事件は原告が主張する技術的な効果は、原告が主張する技術情報では得られない効果であり、当該効果を主張するのであれば異なる技術情報(製造方法)を営業秘密として特定するべきであったと裁判所に判断されたものです。すなわち、原告は営業秘密として主張する技術情報を間違っており、本来守るべき技術情報を適切に特定できなかったことを示しています。


では、どのような方法で営業秘密を特定することが好ましいのでしょうか?
不正競争防止法では、営業秘密の特定方法については言及されていません。基本的には第三者(従業員等)が営業秘密であることを認識できるように特定できれば、どのような方法で特定されてもよいと思います。

しかしながら、発明を特定するのであれば、特許でいうところの請求の範囲と同じような形態で特定することが好ましいでしょう。その理由は、現在に至るまで発明を客観的に理解する方法として膨大な知見が得られている方法であり、また、特許侵害の裁判においてもその解釈手法は確立されているためです。
❝そこで、秘密保持契約締結前に自社が保有していた秘密情報のうち特に重要なものだけでも秘密保持契約の別紙において明確に定めておくことが考えられる。 これにより、自社の重要な情報を確実に秘密情報として特定できるとともに、上記リスクを回避することができる。なお、秘密保持契約の別紙において定義をする際には、弁理士に対して、特許請求の範囲を記載する要領で作成を依頼することも考えられよう。
なお、特許請求の範囲と同様の形態で営業秘密とする発明を特定するのであれば、上位概念から下位概念へ段階的に発明を特定することになります。
段階的な発明の特定は、単に営業秘密を特定するだけでなく、発明の重要度を関連付けることができるでしょう。すなわち、上位概念よりも下位概念の方が発明としてより具体的、換言すると実際に製品化する形態に近くなり、第三者による模倣がより容易になるでしょう。
そうであれば、例えば下記のように、営業活動等において先方に開示可能なランク付けにそのまま適用できるかと思います。
・項目1(請求項1)は顧客候補には開示可能。
・項目2(請求項2)は秘密保持契約締結後に開示可能。
・項目3(請求項3)は顧客にも開示不可。
これにより、顧客に開示してもよい技術情報、顧客であっても開示してはいけない技術情報が明確になり、技術情報の不要な開示を防止できるかと思います。

以上のように、発明を営業秘密として特定するためには、特許請求の範囲と同様に特定することが最も好ましいと思います。また、このことを弁理士の業務として広めることによって、弁理士の仕事の幅が確実に広がることになるでしょう。そのためには、弁理士も営業秘密に浮いてより深い理解が必要かと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年7月25日日曜日

特許出願件数と企業の研究開発費の推移

先日、特許庁から「特許行政年次報告書2021年版」が発表されました。
それによると、2020年の特許出願件数は288,472件であり、2019年の307,969件に比べて2万件弱減少しています。これはコロナ禍の影響であると思われ、特許出願をコストと考える側面も大きい現状では特許出願件数が減少することは容易に予想できたことです。

ここで下記のグラフは、近年における国内の特許出願件数と企業の研究開発費の推移を示したものです。

このように、国内の特許出願件数は、2001年をピークに減少傾向を示しており、2009年にはリーマンショックの影響により大きく減少し、2020年は上記のようにコロナ禍の影響により30万件を切ることとなりました。
日本企業の研究開発費もリーマンショックによりいったんは減少しましたが、2018年にはリーマンショックを超える金額にまで回復しています。しかしながら、日本企業の研究開発費も2020年には一時的には減少しているのでしょう。
研究開発費の減少は一時的なものになると思われますが、特許出願件数はどうでしょうか?2021年以降には回復するのでしょうか?

一方で、PCT国際出願件数は、2020年は前年に比べて減少しているものの国内の特許出願件数とは異なる動向を示しています。
下記グラフは、研究開発費、特許出願件数、PCT国際出願件数の1995年を基準とした増減率を示したグラフです。
このように、PCT国際出願件数は研究開発費や特許出願件数の増減とは関係なく、右肩上がりの増加傾向にあります。これは、そもそもPCT国際出願件数が少なかったという理由が大きいのかもしれませんが、国内の特許出願件数と比べて逆の増減を示していることは面白いかと思います。

ここで、国内の特許出願件数の減少をもってして、近年の日本の技術力が低下しているということを主張する人がいるようですが、もしそうであるならばPCT国際出願件数の増加はどのように考えるのでしょうか?本当に日本の技術力が低下しているのであれば、PCT国際出願件数が増加傾向とはなり得ないでしょう。

国内の特許出願件数が減少する一方でPCT国際出願件数が増加する理由は、やはり、国内の特許出願を行うか否かの精査が行われているからだと思います。すなわち、本当に必要な特許出願を行うという傾向の表れではないでしょうか?そこには、コスト意識もあるでしょうし、秘匿化の意識もあるでしょう。
一方で、PCT国際出願にかかる費用は国内の特許出願の比ではありません。このため、よりコスト意識は強くなるはずにもかかわらず増加傾向にあるということは、それだけ価値(技術的又はビジネス的な価値)のある発明が創出されていることを示唆しているとも考えられます。
とはいえ、特許出願はコストやその他の要因により行うか否かが決定されるので、特許出願件数によって日本の技術力を語ることは無意味ではないかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年6月27日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(4 最終回)

前回のQRコードの普及から考える知財戦略(3)の続きです。


前回まではQRコードの知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめましたが、今回はQRコードの信頼性維持のための技術的側面からのブランド戦略について説明します。

QRコードは「誰もが自由に安心して使えるようにする」という事業戦術のもと普及が行われました。しかしながら、もしQRコードの信頼性が低いと「誰もが安心して使える」ものとはなりません。そこで、この「誰もが安心して使える」ものにするために、デンソーは「QRコード」の商標権を取得するだけでなく、技術的側面からもブランド維持を行っています。

そのうちの一つが、QRコードそのものの特許を取得してそれをオープンにする一方で、模倣品や不正用途を行う者に対しては権利行使を行うという方針です。デンソーは実際に一件の警告を行ったことがあるとのことです(参考:QRコードの普及から考える知財戦略(2))。
これにより、信頼性を損ねるような形でQRコードを使用する者を排除し、QRコードの信頼性を保つことができます。


また、デンソーは読取装置に関しても特許権を取得し、ライセンスを与えることにより他社による読取装置の製造販売を可能としています。そして、下記のように(論文のp.27 「議論3 ブランド化について」読取装置に関しても信頼性を損ねる製品が市場に出回ることを防止することを行っています。
もし、デンソーウェーブ以外の製品性能が悪いとQRコードの優れた特徴が発揮できません。そこで、運用に支障を与えない性能や品質が最低限に確保できるよう、読み取り、印字のノウハウ開示をしました。
特許公報に記載されている技術だけでは、製品を製造できず、特許公報に記載されていないノウハウも重要であることはよく知られています。デンソーはそのようなノウハウもライセンス先に提供し、最低限の製品性能を発揮できるように手助けしているようです。デンソー自身も読取装置を販売しているにもかかわらずです。
下手をしたら、ライセンス先企業の読取装置にシェアを奪われる可能性のある行為とも思えます。しかしながら、デンソーは、他社との差別化を図れる画像認識技術については秘匿化することで、自社の読取装置の市場優位性を高めています。

さらに、論文のp.22の左欄「3.4 事業化のシナリオ」には以下のような記載があります。
また、QRコードを進化させる技術とノウハウを活用してユーザの用途開発をサポートすることにより、いち早く市場ニーズを把握でき、競合他社より優位に立てることもできた。
まさに、QRコードの開発企業として、常に他社よりも先に立ち、それを優位性として事業収益に貢献させるということでしょう。
このことは、知財とは直接的には関係ないようにも思えますし、そもそもの開発元であるということを鑑みれば当然の戦略とも思えます。しかしながら、QRコードに関してデンソーは特許権を他社に対する優位性を保つという位置付けとしていないからこそ、どこに自社の優位性を見出すかということを考える強い動機付けになるとも思えます。

以上のように、QRコードの知財戦略について考えてみました。
デンソーの行った知財戦略は、単にQRコード及びその読取装置の特許を取得したというものではありません。事業を意識して特許化又は秘匿化をする技術を選択しています。さらに、特許化しても一部はオープンにしたり、ライセンスしたりし、ライセンス先にはノウハウの開示も行っています。
その結果、事業目的である「QRコードを普及させる」を達成できたことを疑う余地はないでしょう。
まさに、事業と知財との連携が成功した事例かと思います。

一方で、知財が事業を理解していなかったらどうなっていたでしょうか?知財が事業を理解していなかったとしても、QRコードの新規性・進歩性には関係がないため、特許権は取得できます。すなわち、知財単体としてはある意味で成功でしょう。
しかしながら、QRコードの特許権をオープン化やライセンス等せずに、第三者に対して警告等の権利行使を行ったとしたら、QRコードは広く普及せずに、事業目的を達成することはなかったでしょう。
これでは、知財としては成功であるものの、事業としては失敗ということになります。知財は事業を成功させるためにあるものですから、もしそのような結果になってしまったら知財の意味がありません。知財は事業を成功に導くものであり、事業無くして知財はあり得ないと考えます。

このように、デンソーのQRコードの知財戦略は、事業を成功させるための知財の役割を理解するための好例であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年6月20日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(3)


前回は「QRコードそのもの」の知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめて解説しました。今回はQRコードの「読取装置」の知財戦略を自在戦略カスケードダウンに当てはめて解説します。

前々回のQRコードの普及から考える知財戦略(1)において、事業戦術を下記の3つとしました。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

このうち、(3)がQRコードの読取装置を知財とする場合に考慮にすべき事業戦術であると考えます。すなわち、読取装置に対する知財目的は「QR市場に提供することで事業収益を得る」ことになります。
このように、デンソーは、QRコードそのものを無償で誰でも使用できる環境を作る一方で、その読取装置に関しては無償とはせずに、デンソーが有償で提供することで収益を挙げるという事業戦術を立案しました。

では、この知財目的を達成するための知財戦略をどのようになるでしょうか。
上記論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供することにし、QRコードの読み取り装置をクローズにした。
事業収益を得るためには、やはり、QRコードのように読取装置の技術をオープンにすることはできません。 他社が同様の読取装置の製造販売を行い、その結果、QRコードが普及したとしてもデンソーは十分な利益を挙げることができない可能性があるためです。
そうすると、「読取装置の技術をクローズとする」これが読取装置の知財戦略となるでしょう。

技術情報のクローズ化、これは二通りのやり方があります。
特許化と秘匿化です。読取装置の技術と一言で言っても、様々なものが有ります。どのようの技術を特許化又は秘匿化するのか、この選択が知財戦術となります。

これに関連して、上記論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
読み取り装置の核となる画像認識技術は特許出願せずに秘匿化し、それ以外の読み取り装置に関しては特許を取得してライセンス提供する方針を採った。
このことから、知財戦術として下記の2つが選択されたことが分かります。
(1)読取装置の画像認識技術は秘匿化
(2)画像認識技術以外はラインセンスを目的とした特許出願

このように、デンソーは読取装置の技術を見極め、かつ収益の源泉を想定して、技術ごとに権利化、秘匿化を選択しました。特に読取装置の技術は、プログラムに関するものであり、他社によりリバースエンジニアリングが難しいので秘匿化には大きな意味があります。

ここで、プログラムであっても自社で開発した新規技術の多くを特許化するという方法を選択する企業があります。そのときの知財担当者は、特許化したところで他社による侵害発見が困難であることを認識しています。しかしながら、他社に同じ技術を特許化されると困るという理由で特許出願します。その結果、単に自社開発技術を公開しているに過ぎない場合も多いでしょう。
一方で、QRコードの読取装置に関して、デンソーは事業の収益を挙げることを目的として、技術内容に応じて特許化と秘匿化とを選択しており、正に事業を意識した知財といえるでしょう。

また、面白いことに、デンソーは特許化した技術はライセンスするという戦術を選択しています。QRコードそのもを無償としているのであれば、読取装置は自社のみが市場に提供することでより多くの収益を挙げることを選択しそうなものです。

しかしながら、デンソーは読取装置の特許をライセンスしています。なぜでしょうか?
ここからは想像なのですが、読取装置をデンソーのみが製造販売するという市場を形成してしまうと、他社はQRコード市場で収益を挙げることができません。
そこで、QRコードのような2次元コードの優位性を認識した他社は、QRコードとは異なる独自の二次元コードを開発する可能性があると思われます。そうすると、2次元コードの市場がQRコードと他のコードに分裂し、結果的にQRコードの市場が十分に拡大しないということをデンソーは懸念したのではないでしょうか?
一方で、読取装置の特許をライセンスすることで、他社もQRコードの読取装置を製造販売して収益を挙げることができます。そうすると、他社はQRコードとは異なる2次元コードを開発するよりも、デンソーからライセンスを受けることでQRコードの市場に参入する方が低いリスクで収益を挙げることができます。
この結果、2次元コード=QRコードという市場が確立し、QRコードはより普及の度合いを高めることができ、結果的に、デンソーは読取装置による収益増を得られるという、事業戦略だったのではないでしょうか?

また、デンソーは画像認識技術を特許化、すなわちライセンスの対象とせずに秘匿化しています。この画像認識技術は、デンソーが他社に比べて優位性を保つことができる技術という位置付けでしょう。
すなわち、特許化した読取装置の技術は、QRコードを読み取るための最低限の技術であり、ライセンスを受けた他社はデンソーの読取装置よりも優れた読取装置を製造販売することは難しいでしょう。
そうすると、より精度高くQRコードを読み取りたい顧客企業はデンソー製の読取装置を選択することになります。この結果、デンソー製の読取装置は他社製の読取装置と差別化でき、収益にも貢献するのでしょう。

このように、デンソーは、QRコードの読取装置に関して、特許化、秘匿化を巧みに選択し、かつ他社へのライセンスにより読取装置で得られる利益の最大化を図ったと考えられます。

次回は、QRコードのブランドを守るための戦略や、その後の戦略について述べます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年6月13日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(2)


前回述べたように、QRコードは読取装置によって読み取られるものであるため、技術要素としては「QRコード」と「読取装置」とのように2つがあります。
今回は、技術要素としての「QRコード」を知財戦略カスケードダウンにあてはめ、「QRコード」の知財目的・戦略・戦術について述べます。
前回のQRコードの普及から考える知財戦略(1)において、事業戦術を下記の3つとしました。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

このうち、(2)がQRコードを知財とする場合に考慮にすべき事業戦術であると考えます。すなわち、QRコードに対する知財目的は「誰もが自由に安心して使える環境作り」を達成することと考えられます。

では、この知財目的を達成するための知財戦略をどのようになるでしょうか。
上記論文における「3.3 普及のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
誰もが自由に安心して使える環境作りで、上記以外にQRコードの特許を以下のように活用した。QRコードの利用者には特許権利をオープンにし、QRコードの模倣品や不正用途に関しては特許権利を行使して、市場から排除する方針を採った。
上記記載には、QRコードの特許権取得までが記載されていますが、これは後述する知財戦術にあたると考えます。知財戦術として特許権の取得するに至る考えが知財戦略であり、上記記載からは知財戦略として下記の2点が考えられます。

(1)利用者にはQRコードをオープンにする。
(2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。

これにより、知財目的である「誰もが自由に安心して使える環境作り」を達成することとなります。なお上記(1)と(2)は一見して相反するものとも思えますが、これを達成するための具体的な方策がQRコードに対する知財戦術となり、既に述べているように「QRコードの特許権取得」となります。

ここでQRコードの特許権取得は、「QRコードをオープンにする」という知財戦略からすると、特許出願に対する労力や費用、さらに特許権の維持コストを鑑みるとデンソーにとっては無駄なようにも思えます。単に技術をオープンにするのであれば、特許権取得は不要であり、かつ技術をオープンにするだけでは当該技術から直接的な収益を挙げることはできないためです。
しかしながら、上記論文の記載の続きには下記のように記載されています。
また、特許権を取得したことで、他の特許侵害で訴えられない証明となり、ユーザが自由に安心して使える環境を提供した。
このように、デンソーが特許権を取得し、かつその使用をオープンとすることでユーザは安心してQRコードを使用することができるようになります。ある意味で、デンソーがユーザを守ることとなり、QRコードの特許権取得は「誰もが自由に安心して使える環境作り」という知財目的の達成に寄与します。

さらに、QRコードの模倣品や不正用途に対しては、特許権を行使することで排除することが可能となります。これは、知財戦略の「(2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。」を達成することとなります。このようなデンソーによる特許権行使は、QRコードを正しく利用しているユーザにとっても、より安心感のある情報コードという信頼を守ることとなります。このことは、まさにQRコードのブランドを守ることになるでしょう。

なお、上記論文のp.27の議論2に下記記載があり、デンソーは実際に特許権を用いてQRコードの模倣品排除を行っていたようです。
模倣品や不正用途を発見した場合は、当社の特許権利を侵害していると警告し、警告しても止めなければ権利行使することにしていました。これまでに、模倣品で1件だけ警告したことがあります。
以上説明したように、デンソーはQRコードの特許権を取得しました。しかしながら、特許権取得の目的が明確であるため、権利行使を行う相手も明確となっています。もし、特許権取得の目的が明確になっていなかったら、又は特許権取得の目的を理解していなかったQRコードの普及はどうなっていたでしょうか?
同じ特許権の取得であっても、その目的が明確になっている場合とそうでない場合には、その事業が全く異なる結果になるかもしれません。

次回は、QRコードの事業で利益を得るための知財戦略、すなわち知財戦略カスケードダウンにおける「読取装置」の知財目的・戦略・戦術について解説します。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年6月7日月曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(1)

(株)デンソーが開発した2次元コードであるQRコードを使ったことがない、若しくは見たことがないという人はいないでしょう。それくらい、QRコードは広く普及している情報コードです。
このQRコードの普及に関して、「QRコードの開発と普及-読み取りを追求したコード開発とオープン戦略による市場形成-」という論文が発表されています。

今回は、このQRコードに関する知財戦略について、上記論文を参照して知財戦略カスケードダウンに当てはめてみたいと思います。なお、知財戦略カスケードダウンの概要については、パテント誌2021年4月号に掲載の「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」に記載しています。

QRコードの戦略について、その概要が経済産業省のHP「標準化ビジネス戦略検討スキル学習用資料」にある「標準化をビジネスで⽤いるための戦略」の12ページに下記のように端的に記載されています。
・ (株)デンソー(現︓(株)デンソーウェーブ)は、物品流通管理の社内標準であったQRコードを普及させるため、基本仕様をISO化。必須特許はライセンス料無償で提供することで市場を拡⼤。
・QRコードの認識やデコード部分を差別化領域とし、QRコードリーダ(読み取り機)やソフトウェアを有償で販売し、QRコードリーダーでは国内シェアトップを獲得。
・QRコード⾃体が普及すれば収益が上がるビジネスモデルを確⽴。
QRコードは、その読取装置とセットになって初めて機能するものです。
そこで、デンソーは、QRコードを自由技術化し、読取装置の販売等によって利益を挙げるというビジネスモデルを選択しました。このような戦略を実現するために、デンソーはQRコードや読取装置に関する特許権を取得しています。下記の特許権がそれらの基本特許であると思われます。

<QRコード>
特許第2938338号
(出願日:平成6年(1994)3月14日)
【請求項1】  二進コードで表されるデータをセル化して、二次元のマトリックス上にパターンとして配置した二次元コードにおいて、 前記マトリックス内の、少なくとも2個所の所定位置に、各々中心をあらゆる角度で横切る走査線において同じ周波数成分比が得られるパターンの位置決め用シンボルを配置したことを特徴とする二次元コード。
<読取装置>
特許第2867904号
(出願日:平成6年(1994)12月26日)
【請求項1】  2進コードで表されるデータをセル化して、2次元のマトリックス上にパターンとして配置し、マトリックス内の、少なくとも2個所の所定位置に、各々中心をあらゆる角度で横切る走査線において同じ周波数成分比が得られるパターンからなる位置決め用シンボルを配置した2次元コードを読み取るための2次元コード読取装置であって、・・・

このように、QRコードに関する「技術要素」(「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」でその概念を説明しています。)として「QRコード」そのものと「読取装置」のように2つあることが理解できます。
そして、QRコードは、特許権を取得したものの誰でも使えるように自由技術化(オープン)する一方、読取装置は収益をあげるために権利化及び秘匿化(クローズ)しています。このように、QRコードの普及とそれに伴う収益を目的として、オープン・クローズ戦略をデンソーは行いました。

QRコードの普及と収益に関するオープンクローズ戦略は、何もないところからいきなり現れたわけではありません。そこには、事業としてのアイデアがあり、そのアイデアを実現するためにオープンクローズ戦略が選択され、発明に対して権利化、秘匿化、自由技術化(三方一選択)が行われたのでしょう。

その流れがまさに知財戦略カスケードダウンであり、以下ではQRコードの知財戦略をこれに当てはめます。
まずは、事業についてです。
上記論文の「QRコードの開発と普及-読み取りを追求したコード開発とオープン戦略による市場形成-」におけるp.20左欄の「3.1 開発コンセプトと開発目標」には以下の記載があります。
どのようなに優れたコードを開発しても、社会に広く実用化されなければ企業としては成功と言えない。そので、QRコードを世界中に普及させる目標を持ち、以下のコンセプトでQRコードを開発した。
このことから「QRコードを世界中に普及させる」ことが事業目的となるでしょう。

また、上記論文のp.21右欄の「3.3 普及のシナリオ」には以下の記載があります。
どんなに良いコードを開発しても、インフラが整備され、誰もが自由に安心して使えなければ普及しない。特にインフラ整備は当社だけでは困難であり、また普及に時間が掛かると他の2次元コードや新しい技術が浸透する可能性がある。そこで、普及フェーズでは多くの企業にQR市場への参入を促し、インフラ整備に協力してもらい、早期にQR市場を形成させることが鍵になると考えた。
このことから「誰もが自由に安心して使えるようにすると共に、早期にQR市場を形成させる」ことが事業戦略となるでしょう。

そして、上記論文の「3.3 普及のシナリオ」と「3.4 事業化のシナリオ」から事業戦術は下記の3つであると考えます。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう。
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

デンソーは、この事業戦術のうち(2)と(3)に対して知財を用いることでより良い形で実現したと思います。

次回では、知財戦略カスケードダウンにおけるQRコード及びその読取装置に対する知財目的・戦略・戦術について説明します。

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2021年4月25日日曜日

アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(3 最終回)

前々回はアサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)です。

<パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>

ここまでは、”生ジョッキ缶の市場独占”を事業戦術として選択する場合を想定しました。
一方、自社だけでは生ジョッキ缶市場の拡大が難しいと考え、他社に生ジョッキ缶市場の参入を促すことで市場の拡大を図ることを事業戦術とする可能性もあるでしょう。市場拡大によって他社との競争が発生しますが、他社に対して自社の優位性を保つことで、市場独占よりも大きな売り上げの増加を狙います。これがパターン3です。

以下にパターン3における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

・事業
目的:新規な製品により缶ビールの販売増
戦略:缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
戦術:フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
   泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
   他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大     

・知財
目的:他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大
戦略:技術を公開しつつ、自社の優位性を保てる技術は特許権を取得
戦術:自由技術(フルオープン缶の形状、炭酸ガス圧の数値範囲)
   権利化缶内面の凹凸の優位性を保てる数値範囲
他社の参入を促して市場を拡大するためには、知財戦略として発明の”自由技術化”が選択されるでしょう。自由技術化は、換言すると権利化を伴わない技術の開示です。
技術の開示は、経営方針に記載されているような開示やホームページによる開示、自社が発行する技術文献による開示があります。また、特許出願による開示もあります。

特許出願は特許権を取得するために行うものですが、特許請求の範囲の技術的範囲に含まれない技術は他社が自由に実施可能な技術となります。そうすると、自社製品が優位性を保てる技術に対して特許権を取得する一方で、他社が当該製品を製造可能な程度の技術は権利取得しないという選択もあります。
これにより、他社による当該製品の市場参入を促す一方で、自社製品の優位性を保つ技術を権利化して他社製品との差別化を行い、市場拡大による自社利益の最大化に貢献できると考えられます。

これを生ジョッキ缶に当てはめるて考えます。
まず、フルオープン缶の形状は、生ジョッキ缶に必須の形状であると考えられます。これを権利化してしまうと、他社は生ジョッキ缶市場へ参入し難くなるため、権利化は行わずに自由技術化とします。

そして、特許出願によりアサヒビールは自社が他社に対して優位性を保てると考える”缶内面の凹凸の数値範囲”、具体的にはより効果的に泡立ちを発生させることができる数値範囲で特許権を取得することを目指します。
一方で、特許請求の範囲に含まれない数値範囲、すなわちそれなりに泡立たせることができる凹凸の数値範囲は自由技術とし、他社による生ジョッキ缶の市場参入を促します。また、炭酸ガス圧や凹凸を形成するための塗料の組成や焼き付けに関する技術も開示し、より他社が実施し易いようにすることも考えられます。

以上のように、新規な製品カテゴリ(新ジャンル)であれば、敢えて技術情報の一部(他社の市場参入を促す技術情報)を自由技術化することで市場の拡大を図ることが考えられるでしょう。そして、拡大した市場の中で優位性を保てる技術を権利化することで、当該市場に占めるシェアを大きくし、その結果、市場を独占する場合よりも大きな利益を得ることを目指すという知財戦術も考えられます。

なお、このような発明の自由技術化は市場の拡大に役立つと考えられる一方で、他社が自社よりも良い製品を販売することで、自社のシェアが大きくならず、結果的に市場を独占した場合よりも利益が小さくなる可能性も想定されます。このため、自社の技術力及びブランド力等も鑑みて、市場独占又は市場拡大を選択することになるかと思います。


<まとめ>

本ブログではアサヒビールの生ジョッキ缶に対して、市場独占のための特許化、市場独占のための秘匿化、市場拡大のための自由技術化と特許化、とのように3パターンの知財戦術を検討しました。

ここで、発明を特許出願して独占排他権を得ることができれば、事業に対して非常に有益です。しかしながら、特許出願は技術を公開することになるので公開リスクがあります。もし、安易な特許出願を行うと他社に技術を教えることになり、事業戦術(知財目的)とは異なった結果を招く可能性もあります。

一方で、発明を秘密にすることも十分な検討が必要です。自社製品をリバースエンジニアリングすることで容易に知り得る技術は実質的に秘密にできません。また、他社が比較的容易に思い付きそうな発明は他社に特許権を取得される可能性があります。そのような発明に対しては秘匿化よりも特許化のほうが良いでしょう。

さらに、自由技術化は発明を世に広めるためには良いですが、自社開発技術を他社に自由に使用させることになるので、最も慎重になる必要があります。なお、自由技術化にしても、権利を取得したうえで、権利行使を行わないことを宣言することで実質的に自由技術化することもできます。

このように、発明を知財として扱う場合には、権利化、秘匿化、又は自由技術化の3種類しか選択肢はありませんが、その選択を事業に基づいて適切に決定するというものが、このブログで提案している知財戦略カスケードダウンです。

ここで、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術としては、個人的にはパターン2のようなものが適しているのではないかと思います。
アサヒビールの生ジョッキ缶は話題性も高く、すぐに販売中止となるような人気です。おそらく、アサヒビール以外の他社も生ジョッキ缶と同様の製品の販売を目指すことになるでしょう。
その場合、既にアサヒビールが開示している缶内面の凹凸等の技術情報や、今後発行される特許公開公報で開示される技術情報は最も参考になる資料となります。
ところが、特許権は審査を経て取得されるものですので、既述のように最終的にどのような権利を得ることが出来るのかわかりません。そのため取得した特許権が思ったような技術的範囲とならない可能性もあります。

一方で、生ジョッキ缶の凹凸に関する情報を秘匿化しても、遅かれ早かれ他社も同じ技術に達する可能性は高いと思いますが、販売までにそれ相応の時間を要すると思います。このため、他社が同様の製品を販売するまでの間に、”生ジョッキ缶=アサヒビール”とのようなイメージを消費者に植え付け、自社製品の優位性を高めた状態にし、他社が参入したとしても高いシェアを維持するという戦術が取れると思います。
すなわち、生ジョッキ缶で高い利益を維持することを目的として、”技術的優位性”から”ブランド優位性”に知財戦略・戦術を変化させる時間的余裕を得ることができるでしょう。

以上のようにアサヒビールの生ジョッキ缶は、技術的にも興味深いものであり、缶ビールの新しいジャンルとも捉えることができる面白い題材であるので、このブログで提案している知財戦略カスケードダウンに当てはめて検討してみました。
アサヒビールの生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術が一体どのようなものであるのかはわかりませんが、今後、特許公開公報が発行されることで、どのような技術の権利化を狙っているのかが分かり、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術を理解できるかもしれません。また、他社が生ジョッキ缶と同様の製品を製造販売するか否か、それに特許がどのような影響を与えているのかも分かるでしょう。

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2021年4月18日日曜日

アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(2)


<4.知財戦略カスケードダウンと三方一選択のあてはめ>

次に、生ジョッキ缶に関する事業を目的、戦略、及び戦術に細分化し、これに伴う知財の目的、戦略、戦術も細分化し、本ブログで提案している知財戦略カスケードダウンに当てはめます。なお、この細分化は、筆者がアサヒビールが開示している技術情報等に基づいて想像したものであり、実際にアサヒビールがこのように考えているものではなく、アサヒビールの事業戦略や知財戦略とは何ら関係はありません。

今回は、以下の3つのパターンを想定しました。
パターン1:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願
パターン2:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を秘匿化
パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願

パターン1と2は、目的が同じであるものの、知財として実行手段が異なります。
パターン3と1は、知財として実行手段が同じであるものの、目的が異なります。


<パターン1:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>

パターン1では、生ジョッキ缶市場の独占を事業戦術と仮定します。
生ジョッキ缶は、今までにない新しい缶ビールのジャンルとも思われ、素直に考えると、この新しいジャンルを独占することにより利益の向上が可能になると思われます。
そして、知財としては、生ジョッキ缶に関する技術を権利化して排他的独占権を得ることで、市場の独占を実現することになります。
おそらく、このパターン1が、生ジョッキ缶の戦略としてアサヒビールが考えていることではないかと思います。

以下にパターン1における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

・事業
目的:新規な製品により缶ビールの販売増
戦略:缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
戦術:フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
   泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
   生ジョッキ缶市場の独占     

・知財
目的:生ジョッキ缶市場の独占
戦略:公開した技術について特許権の取得
戦術:権利化(缶内面の凹凸や炭酸ガス圧の数値範囲、フルオープン缶の形状)
   秘匿化(凹凸を形成する塗料の成分)

パターン1の知財戦術では、塗料の成分は秘匿化技術としました。
この理由は、前回のブログでも記したように、缶内面の凹凸を実施する方法として様々な方法があり、塗料による凹凸の形成はその一例にしかすぎず、凹凸の数値範囲で権利化を目指すのであれば、塗料の成分まで特許出願によって開示する必要はないと考えたためです。実際、アサヒビールの経営方針等でも、缶内面の凹凸の形成を塗料で実現することは開示していますが、その成分までは開示していません。

<生ジョッキ缶市場の独占に対する特許出願の妥当性>

生ジョッキ缶の事業戦術及び知財目的として、「生ジョッキ缶市場の独占」を仮定した場合、特許出願を行うことは妥当でしょうか?

特許出願する場合には、その明細書に当業者が発明を実施可能な程度に記載する必要があります。すなわち、生ジョッキ缶に関する技術の多くが特許明細書に記載されています。
そして、前回のブログでも記したように、缶内面の凹凸の数値範囲や炭酸ガス圧の数値範囲で特許権を取得したとしても、他社はその数値範囲に含まれない技術を実施可能です。

確かに、缶内面の凹凸によってビールの泡立ちが良くなるという技術は興味深く、製品の宣伝にも使えるかと思います。現に、生ジョッキ缶を紹介する報道においても、缶内面の凹凸に言及したものが多数あります。
しかしながら、缶内面の凹凸に関して特許権を取得したとしても、その技術的範囲を回避することは比較的容易と思えます。一方で、凹凸を形成する塗料の成分を秘匿化ではなく、特許化することも考えられますが、塗料の成分までも公開してしまうと、この特許権に含まれない塗料の成分を探し出すこと、これも容易かもしれません。
また、炭酸ガス圧の数値範囲を特許化したとしても、特許権に含まれる技術的範囲の回避は容易でしょう。

そうすると、缶内面の凹凸や炭酸ガス圧に関する技術を特許化したとしても、生ジョッキ缶の市場を独占することできないかもしれません。

では、フルオープン缶の形状の権利化はどうでしょうか。
アサヒビールは、経営方針において「高価格帯の食品缶詰等で採用実績はあるが、飲料缶では初採用。」と述べていますが、権利化については言及していません。

ここで、通常の缶ビールで採用されているプルタブ缶では、フルオープン缶で実現できる泡立ちのインパクトは得られません。このため、フルオープン缶は生ジョッキ缶において必須の技術要素とも考えられます。しかも、フルオープン缶はビール缶の飲み口である上面を全開にするという単純な技術です。もしフルオープン缶を権利化できた場合、これを回避する方法はあるのでしょうか?この回避技術の開発は難しいようにも思えます。
そうであれば、フルオープン缶の権利化によって、生ジョッキ缶市場への他社の参入を阻害できるのではないでしょうか。

しかしながら、フルオープン缶は既に食品缶詰等で用いられているので、特許出願しても進歩性をクリアできず、特許権を取得できない可能性が高いと思われます。

一方で、実用新案や意匠による権利化はどうでしょうか?
実用新案であれば、進歩性の判断基準が特許に比べて低いため、フルオープン缶をビール缶に適用したという点をもって、技術評価書で”進歩性あり”と判断される可能性もあるのではないでしょうか(実用新案は無審査で登録されますが、技術評価書を提示して警告した後に権利行使が可能となります。)。また、意匠であれば、創作非容易性の判断基準が特許の進歩性に比べて低いため、これも登録となる可能性があるのではないでしょうか。

このようにフルオープン缶の形状を実用新案登録又は意匠登録できれば、他社による生ジョッキ缶の製造販売を十分に阻害でき、市場を独占できる可能性もあると考えます。

以上のように、缶内面の凹凸等を特許化したとしても、その特許権の技術的範囲の回避が容易であれば、特許化は生ジョッキ缶市場の独占という目的には有効ではないように思えます。もし、フルオープン缶の形状を権利化できない場合には(実際にはこの可能性の方が高いかもしれません。)、缶内面の凹凸等の特許出願によって技術を他社に開示したに過ぎない結果になるかもしれません。
もし、そのような結果になれば、事業戦術及び知財目的である生ジョッキ缶市場の独占どころか、特許出願による技術開示が市場独占の真逆である他社参入を促すことになりかねません。


<パターン2:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を秘匿化>

では、缶内面の凹凸等を特許出願せずに秘匿化、すなわち企業秘密としたらどうでしょうか?それがパターン2です。

ここで、あらためて、特許等の権利化と秘匿化の違いについて簡単に説明します。
特許等の権利化には技術の開示が必須ですので他社に技術を知られます。これが権利化のリスク(公開リスク)となります。一方で、秘匿化はその名の通り技術を開示しないので、他社に技術を知られません。
しかしながら、特許は独占排他権ですので、他社が自社の特許権の技術的範囲に含まれる技術を実施していたら、この他社は当該特許権の権利侵害となります。もし、他社が自社の特許権を知らずに、同じ技術を自社で独自開発したとしてもです。一方で、秘匿化した自社の技術は、独占排他権ではないので同じ技術を他社が実施していても他社は権利侵害とはならず、自由に実施できます。
このように秘匿化は、特許のように自社の技術を開示しないので公開リスクはありませんが、同じ技術を他社が独自開発しても何もできません。これが秘匿化のリスク(秘匿化リスク)となります。

以下にパターン2における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

・事業
目的:新規な製品により缶ビールの販売増
戦略:缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
戦術:フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
   泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
   生ジョッキ缶市場の独占     

・知財
目的:生ジョッキ缶市場の独占
戦略:公開した技術について特許権の取得
戦術:権利化(フルオープン缶の形状)
   秘匿化(缶内面の凹凸や炭酸ガス圧の数値範囲、凹凸を形成する塗料の成分)

パターン2では、缶内面の凹凸等を秘匿化するので、事業戦術として技術アピールは行いません。このため、他社は生ジョッキ缶が開封時に泡立つ原理を容易には知り得ません。

フルオープン缶の形状は、パターン1でも述べたように見た目で容易に理解でるので、秘匿化はできません。このため、フルオープン缶の形状は、パターン1と同様に権利化を目指します。
パターン1でもパターン2でも、フルオープン缶の形状を権利化できれば、他社による生ジョッキ缶市場の参入に対して、大きな阻害要因となると思えます。しかしながら、プルオープン缶の形状を権利化できない可能性もあります。
すなわち、フルオープン缶の形状を権利化できなかった場合、もしくは権利化をしなかった場合に、パターン1とパターン2とでは市場の独占可能性について大きな違いが出てくると考えます。

<缶内面の凹凸等に対するリバースエンジニアリングの可否>

技術の秘匿化を検討する場合、当該技術を使用した製品をリバースエンジニアリングすることで、他社が当該技術を容易に知り得るか否かが重要になります。
リバースエンジニアリングによって容易に知り得る技術は、公開リスクが実質的にないとも考えられ、積極的に権利化のための出願を行ってもよいでしょう。この考えに基づいたものが、フルオープン缶の形状の権利化です。

では、缶内面の凹凸等が容易にリバースエンジニアリングが可能であるか検討してみましょう。
下記写真のように缶内面の凹凸は視認により確認できず、指で触っても凹凸を感じることはできませんでした。


そのため、缶内面の凹凸の技術が秘匿化されると、泡立ちの仕組みが缶内面の凹凸にあることを容易に知ることはできないようにも思えます。従って、他社は泡立ちの仕組みを試行錯誤して自ら知り得る必要があります。
そのためには、他社は、生ジョッキ缶の内面をSEM等で観察することで凹凸に気づき、さらに内面に凹凸を形成した缶ビールを製造し、アサヒビールの製品のように泡立ちが発生するか否かを確認する必要があるでしょう。
なお、凹凸が泡立ちに影響を与えることは周知のようですので、缶内面の凹凸が秘匿化されても、他社が生ジョッキ缶の凹凸がその仕組みであることには気付くかもしれません。しかし、凹凸が泡立ちの仕組みであることの確信は実際に凹凸を形成した缶ビールを製造するまでは得られないでしょう。

また、他社は凹凸を確認しても、それを再現する方法も試行錯誤する必要があります。いったいどうやって缶内面に凹凸を形成するのか?缶内面には、缶の内容物であるビールに悪影響を与える処理は行えません。アサヒビールは、この技術的な課題を、焼き付け塗装によって解決しました。
凹凸の形成方法は幾つもあるでしょうが、アサヒビールからの技術開示が無ければ、他社は独自で凹凸の形成方法を見つけ出さねばなりません。生ジョッキ缶を製造するためには、これが一番難しいでしょう。
もしかすると、缶内面の凹凸が泡立ちの仕組みであることに気が付いたとしても、焼き付け塗装による凹凸の形成という技術に気が付かず、生ジョッキ缶の再現ができない他社もあるかもしれません。

次に、炭酸ガス圧についてですが、これはどうでしょうか?
アサヒビールの生ジョッキ缶の炭酸ガス圧を、直接的に測定することは難しいのではないでしょうか?その理由は、炭酸ガス圧を測定するためには、生ジョッキ缶を開封する必要があるでしょうが、開封すると同時に炭酸ガスは大気中に開放されるので、生ジョッキ缶内の炭酸ガス圧を測定することは困難なように思えます。
しかしながら、炭酸ガス圧が泡立ちに影響を与えることも周知のようですので、炭酸ガス圧の調整にも他社は気が付くかと思います。

以上のように、アサヒビールが缶内面の凹凸等の技術情報を秘匿化しても、他社はリバースエンジニアリングと試行錯誤により、生ジョッキ缶に使用している技術を知り、生ジョッキ缶を再現するできる可能性があるかと思います。しかしながら、他社が実際に試作品を作るまでには、直感的に数か月~1年以上の期間が必要なのではないでしょうか?そして、販売に至るまでにはさらに時間を要するでしょう。
さらに、言うまでもなく、生ジョッキ缶の技術を再現できない他社は生ジョッキ缶への参入ができません。

<特許出願した場合と秘匿化した場合との違い>
パターン1でも述べたように、缶内面の凹凸を特許出願することにより、他社は生ジョッキ缶を製造するための技術情報を得ることができます。しかしながら、特許権の技術的範囲が他社の市場参入を阻害できるほど広ければ、アサヒビールが市場を長期間に渡って独占できる可能性が高いでしょう。
一方で、特許権の技術的範囲が狭く回避が容易であれば、当該特許権は他社による市場参入の阻害要因となりません。さらに、フルオープン缶の権利を取得できなかった場合には、他社による市場参入の阻害要因はほとんどないようにも思えます。

このように、缶内面の凹凸等の情報を特許化できれば市場を独占できる可能性もありますが、その権利範囲が狭ければ参入障壁とはならないばかりか、開示した技術によって他社参入を促すことにもなり得ます。なお、権利範囲が狭くても、他社が生ジョッキ缶市場に参入するまでは相応の時間を必要とするので、権利範囲が狭くてもある程度の期間は市場を独占できると思われます。


一方、上記のように缶内面の凹凸等の技術を秘匿化したとしても、他社も生ジョッキ缶を再現して製造販売できる可能性はあるかと思います。しかしながら、他社が生ジョッキ缶を試作するまでに要する時間は相当程度必要で、販売するまでには年単位で時間がかかるようにも思えます。すなわち、狭い権利範囲の特許権を取得した場合に比べて、その独占の期間は長くなると考えられます。

以上のように、権利化は審査があるので権利を取得できたとしても、その技術的範囲によっては、市場の独占という当初の目的を達成できない可能性があります。一方で、技術を秘匿化した場合、他社は自力で生ジョッキ缶を再現する必要があります。生ジョッキ缶を再現するための技術の中でも、缶内面の凹凸を形成するための技術開発は難しいことが予想されます。
そのため、たとえ他社が生ジョッキ缶を再現できたとしても、それ相応の期間で市場の独占が可能となるでしょう。もし、生ジョッキ缶を再現できる他社がなければ、半永久的に市場を独占できるかもしれません。

パターン1による権利化とパターン2による秘匿化のどちらが良いのかはわかりません。
しかしながら、重要なことは権利化又は秘匿化により、各々事業に与える影響を正しく理解して判断することにあると思います。

次回は<パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>について説明し、<まとめ>で終わります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年4月13日火曜日

アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)

先日、アサヒビールから缶ビールでありながら、サーバーから注いだ生ビールのように泡立つ生ジョッキ缶が販売されました。
アサヒビールは特許出願も行ったとのこともあり、このビールを購入しました。私は家で酒類を飲まないのですが、開封直後の泡立ちはインパクトがあり、直感的に面白い商品だなと思いました(ビールは妻が飲みました)。


実際に、この生ジョッキ缶は注文が想定を上回り出荷を一時停止するほどの反響があったようです。このため、他のビールメーカーもこのような泡立ちの良い缶ビールの製造販売に追従する可能性があるのではないでしょうか。

そこで、このブログで提案している「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」にアサヒビールが公開している生ジョッキ缶の技術内容を当てはめ、この生ジョッキ缶に対する知財戦略を数回に分けて考えてみたいと思います。

なお、このブログにおける見解は筆者個人の見解であり、アサヒビールとは何も関係ありません。従ってアサヒビールが「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」を行ったものではありません。

参考:報道
参考:アサヒビール


<1.知財戦略カスケードダウンと三方一選択>

まず、知財戦略カスケードダウンと三方一選択について簡単に説明します。
三方一選択は、発明に対して権利化(特許出願等)、秘匿化、又は自由技術化を事業に基づいて選択することをいいます。


知財戦略カスケードダウンは、事業を「事業目的」、「事業戦略」、「事業戦術」に段階的に考えます。そして知財における目的を事業戦術に基づいて決定し、知財戦略を知財目的に基づいて決定し、知財戦術を知財戦略に基づいて決定します。
知財戦略では、事業に使用する技術要素群(関連する複数の発明)毎に、知財目的に基づいて権利化、秘匿化、又は自由技術化を選択します(三方一選択)。
また、一つの技術要素群に含まれる発明であっても、知財戦略で決定した選択が合わない発明もあります。そこで、知財戦術では、個々の発明毎に権利化、秘匿化、又は自由技術化を選択します。このようなカスケードダウンによって、発明毎に事業に基づいた三方一選択が行われます。

これが、知財戦略カスケードダウンと三方一選択の概要です。なお、この考え方の重要な点は、知財の大目的として「事業により得られる利益の最大化、又は企業価値の向上」があります。このため、知財戦略カスケードダウンと三方一選択には、単に発明届出が提出されたや、出願件数ノルマ達成のための特許出願等の「理由のない」権利化業務は含まれません。


<2.生ジョッキ缶に関する技術と想像される特許出願の内容>

アサヒビールは、生ジョッキ缶におけるビールを泡立たせる技術について既に多くを開示しています。そして、この技術は特許出願中とのことですので、明細書でも当業者が実施可能な程度に泡立たせる技術が開示されることとなります。なお、今現在、本出願の特許公開公報は発行されいないようなので、以下で説明する特許出願の内容はアサヒビールが現状で開示している技術情報に基づいて筆者が想像したものです。

下記は、アサヒビールの経営方針(p.6~p.7)から分かる生ジョッキ缶の技術内容です。
1.フルオープン缶
2.缶の内面にカルデラ状の凹凸
3.炭酸ガス圧が通常缶よりも高く、サーバーと同等の圧力

このうち、フルオープン缶は「食品缶詰等では採用実績はあるが、飲料缶では初採用」とのことです。
また、グラス等の内面の凹凸により泡立ちの程度が変わることは周知のようです。さらに炭酸ガス圧によっても泡立ちの程度が変わることも周知のようです。
このように、1~3の一つずつを取ってみるとさほど新しいことなないようにも思えます。

しかしながら、特許権を取得するためには、新規性・進歩性が必要です。
では、何が新しいのか?
1~3(又は1と2)の技術を組み合わせて缶ビールに適用し、開封直後のビールの泡立ちが良いという効果が得られたということでしょう。なお、今までのビール缶では、泡立ちの良さよりも開封したときにビールの泡が缶からこぼれないようにすることが念頭に置かれていたとのことです。

一方で経験上、1~3の構成だけでは特許権を取得することは難しいように思えます。
特許権を取得するためには、おそらく、缶内面の凹凸の表面粗さの数値(下限値~上限値)、炭酸ガス圧力の数値(下限値~上限値)を請求項に入れる必要があるでしょう。
いわゆる数値限定により、特許権が取得できると思われます。そして、この数値範囲は特許出願の明細書に記載されていることでしょう。

なお、この生ジョッキ缶に用いられている技術要素として不明なことは、凹凸を形成するための塗料の成分です。アルミに焼き付け処理を行うことによってビールに融解しない塗料のようですが、その成分はなにであるかは経営方針にも記載されていません。
この塗料の成分は、特許明細書にも記載されていない可能性が考えられます。
その理由は、缶の内面に凹凸が形成されていれば、泡立ちを実現できるためであり、例えば、アルミの表面加工により凹凸が実現できるかもしれません。すなわち、塗料による凹凸形成は、凹凸を形成するための複数の手段のうちの一つに過ぎないように思えます。そうであれば、わざわざ特許明細書に塗料の成分を記載する必要はないようにも思えます。


<3.特許権で技術を守れるのか?>

上記のように、特許権を取得するためには数値限定が必要に思えます。
数値限定は、その数値範囲が特許権に係る技術的範囲となります。このため、特許請求の範囲で示される数値範囲に含まれない形で他社が生ジョッキ缶を模倣した場合には、特許権の侵害にはなりません。

このことから、特許権を取得する数値範囲、特に缶内面の表面粗さの数値範囲が重要になるかと思います。もし、消費者に対して訴求力のある泡立ちを実現するための表面粗さの全域を特許権でカバーできれば、他社は生ジョッキ缶を模倣することが難しくなるかもしれません。

一方で、多少泡立ちの度合いは小さいものの製品として許容できる範囲を特許権でカバーできなければ、他社は特許権でカバーされていない技術的範囲で製品を製造販売する可能性もあるでしょう。もしそうなれば、特許権では生ジョッキ缶の技術を十分には守れないこととなります。

以下、次回に続きます。

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2021年2月28日日曜日

「知的財産に関する新型コロナウイルス感染症対策支援宣言」のいま

知的財産関連のコロナ対策として「知的財産に関する新型コロナウイルス感染症対策支援宣言」があります。

今現在(2021/2/28)において、宣言者数(企業)は101に達し、対象特許数は927,897とのことです。
企業等が何時この宣言を行ったのかに興味が有ったので、これをグラフにしたものが下記です。
なお、この宣言には、権利不行使の範囲を制限することもできるので、制限なし(赤色)、制限あり(青色)で分けました。
制限なしで宣言を行った企業は50社であり、制限ありで宣言を行った企業は51社であるように、制限ありの方が多くなっています。

グラフから分かるように、宣言が始まった当初は制限なしで宣言を行う企業が多かったものの、日数が経つと制限ありを選択する企業が多くなり、最近では制限ありで宣言を行う企業しかありません。
なぜこのような傾向にあるのかは、それぞれの企業によって考え方等があるでしょうから何とも言えませんが、面白い傾向であるかと思います。


では、この宣言を行った企業の技術を他社が使った事例はあるのでしょうか。
私が知る限り、日産が宣言に基づいて他社に対して無償で利用許諾を行っています。

宣言に基づいて利用許諾したというニュースは、ライセンサーとライセンシーの二者による合意が必要でしょうから、実際には利用許諾したものの、一方が合意しなかったためにニュースになっていないものもあるかと思います。
また、許諾したものの、未だ製品化に至っていないためにニュースになっていないものもあるかと思います。

とはいえ、現に少なくとも1つはこの宣言に基づく無償許諾による製品化が行われたということは、この宣言の目的を少なからず果たしていると思います。
また、コロナウイルスの終息は未だ見えていない現状では、宣言に基づく利用許諾を希望する企業も増えるかもしれません。そうすると、この宣言の有効性がより明確になるかもしれません。

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2021年2月15日月曜日

<特許出願件数の月別平均から考える特許出願の弊害>

下の図は特許出願件数の2014年~2019年の月別平均です。
2020年の月別出願件数も特許庁から発表されていますが、コロナの影響が大きいのでコロナの影響のない2019年以前の数年間の月別出願件数を平均しています。


3月の出願件数が他の月に比べて多く、次に9月、12月の順となっています。
この理由は、特許業界の人ならすぐにわかるかと思います。
3月は年度末、9月は半期末、12月は年末、これらの月末までに発明者や開発部が出願件数のノルマを達成しないといけないタイミングです。

さらに、下記の図は各月の出願件数を中央値で割った値です。
ノルマが課されていないであろう実用新案登録出願を特許出願と共に示しています。


上記図から3月、9月、12月の特許出願件数が他の月に比べて多いことがよくわかります。特に3月は中央値の1.6倍以上となっています。
一方、実用新案に関しては3月の出願件数が多いようですが、6月や7月も同様に多いように、突出して出願件数が多い月はなく、中央値に対して±10%の範囲でばらついているように思えます。このことから、やはり実用新案に関してはノルマがあるから出願するという知財活動の意識は低いように思えます。

ノルマがあるから特許出願件数が期末に多くなることはこのようなグラフを示すまでもなく、知財業界では当たり前という認識でしょう。
しかしながら、ノルマを解消するための特許出願はいわゆる戦略的な出願ではなく、結果的に、自社で開発した技術情報を不必要に公開することとなる出願も多く含まれていると考えられます。

すなわち、本来であれば秘匿化した方が良い技術情報まで、ノルマ達成という知財戦略にとって本質的でない理由で特許出願し、その技術を公開しているのではないでしょうか。
このような出願は、わざわざ自社でコストをかけて、他者に技術情報を教えることとなり、自社にとってメリットよりもデメリットが大きい出願となる可能性があります。

日本の技術系の企業、特に大企業はこのような出願を以前から現在に至るまで行い続けています。果たして、このような特許出願のやり方が正しいのか、非常に疑問に思います。

では、どうするのか?
やはり、特許出願件数のノルマはやめるべきではないかと思います。特許事務所はこのノルマが有るので期末は忙しくなり、売り上げも伸びるのですが。
しかしながら、ノルマによって上述のように技術を公開するというデメリットが大きい特許出願が生じてしまいます。
このため、ノルマを撤廃し、秘匿化する技術を選択してそのような技術は特許出願しないという選択を行うべきでしょう。
一方で、特許出願は発明者に対する評価対象という側面もあり、特許出願のノルマがなくなれば、発明者は評価を得る機会を失うという懸念もあります。
このため、発明を秘匿化した場合であっても、特許出願と同様の評価を与えるという社内制度の創設が必要でしょう。

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2020年12月13日日曜日

判例紹介:特許権ラインセンスと共に開示した技術情報について

今回は、特許権を他社にライセンスすると共に当該特許権に係る製品を製造するために開示した技術情報の取り扱いについての裁判例(大阪地裁令和1年10月3日判決(平成28年(ワ)3928号))です。

被告は、原告のトランスに係る特許権のライセンス(本件各基本契約)をノウハウ(本件技術情報)の開示と共に受けました。そして、被告は、特許権が消滅したため本件各基本契約は終了し、本件技術情報にはWBトランスを分解すれば誰でも知り得る情報しか含まれておらず、すでに公知であることを理由にロイヤルティの支払を拒む旨を原告に通告しました。

これに対して原告は、被告らは本件技術情報に対するロイヤルティの支払義務を負っているのに、ロイヤルティの支払を予め拒絶しているとして催告を経ず、被告らの債務不履行を理由に本件各基本契約を解除した旨を主張し、ランニングロイヤルティの不払いその他本件各基本契約の債務不履行があったと主張しています。

具体的には原告は、本件技術情報である技術資料中に、トランスの製作品を用いて計測した実測値が記載されており、「WBトランスの設計作業において,最低限,①一次巻数,②二次巻数(一次巻数に特定の数値を乗じた数値),③一次巻線径,④二次巻線径を算出する必要があるところ,これらは,原告から開示された数値(本件技術資料中,電気設計一覧表及び電気設計書に記載。)がなければ被告らにおいて算出することができない」と主張しました。


これに対して裁判所は、以下のように判断しました。
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本件技術資料中の電気設計一覧表及び電気設計書において開示された数値は,試作品における実測値にすぎず,被告らにおいても,独自に計測・算出したり,製造元に問い合わせて確認したり,WBトランスの完成品を用いて測定したりすることが可能であったものであるから,原告からの開示がなければWBトランスの設計・製造が不可能であったものとはいえない。
・・・
コイルボビン及びWBトランスの外径寸法や重量は,パンフレットを参照したり,WBトランスの完成品を測定したりすることにより容易に得られる値である(甲57,乙3)。
巻線計画等についても,原告から開示された数値によらなくても,被告らにおいて,使用するコイルボビンの凹状溝の幅と,選択した銅線の径から巻数を算出し,上記のとおり算出された一次巻数及び二次巻数まで,整列巻で巻き回していくことは可能であると考えられる。
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そして、裁判所は以下のように「まとめ」ています。
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(イ) ・・・、本件技術情報の開示を受けなければWBトランスを製造することができないといった事情までは認められず,本件技術情報がWBトランスの製造に必須であることを前提に,本件各基本契約の性質を考えることはできない。
(ウ) また,本件技術情報に記載された数値は,物理的に測定したり,計算によって求めることができるものと考えられるから,WBトランスが市場に出回り,リバースエンジニアリングを行って計測等ができるようになった段階で,公知になるといわざるを得ない。
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このように、裁判所は、特許権のライセンスと共に原告から被告に開示された技術情報は、既に公知である又は製品をリバースエンジニアリングによって知り得る情報であるとして、その営業秘密性を認めず、これにより原告の主張を認めませんでした。

一方で、裁判所は下記のようなことも述べています。
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本件各特許権の明細書等を参照し,流通に置かれたWBトランスに対するリバースエンジニアリングを行ってもなお解明することができず,原告よりその開示を受けない限り,WBトランスの製造はできないというようなノウハウが,本件技術情報に含まれていると認めるべき証拠は提出されていない。
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すなわち、製品のリバースエンジニアリングによってもノウハウが非公知性を喪失せず、当該ノウハウを用いないと製造できないようなノウハウは、特許権が消滅しても保護の対象となり、ロイヤリティの対象となる、ということでしょう。

一般的に、特許権をライセンスする際には、当該特許権に係る製品の製造のためのノウハウも開示することが多いかと思います。
その際、ライセンシーは、開示されたノウハウが一体どのような性質の情報であるのか?もしかしたら、特許権が消滅した後でも、ライセンサーがノウハウに対して継続的にロイヤリティーの支払いを求める可能性が有る情報であるか否かを見極める必要があるかと思います。

また、ライセンサーも同様です。自身が開示するノウハウがどのような性質のものであるかを見極めなければならないでしう。さらに、特許出願の明細書に記載の内容も重要です。特許性が有りそうだからとして、本来開示する必要がない情報(例えば従属項となるような情報)までも開示するよりも、営業秘密として管理する方がよい場合もあるでしょう。技術情報を特許出願をすると公開されるので、再び秘匿化はできません。この認識は強く持つ必要があるかと思います。

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