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2021年12月12日日曜日

発明の経済的効果 発明の普及と発明による他社との差別化

新規な発明を行うと、それをどのように管理(知的財産管理)するのかを選択する必要があります。知的財産管理としては、自由技術化、特許化(権利化)、又は秘匿化の何れしかないでしょう。
ここで、知的財産管理は、発明の独占度のコントロールであるとも考えられます。それを示した図が下記です。


この図にあるように、秘匿化は発明を公開しないので発明を自社で実質的に独占する行為であり(排他権はない)、発明の独占度は100%となります。秘匿化した発明を相手方と秘密保持契約を締結してライセンスすることもできますが、自社による独占度は高い状態が保たれます。
また、特許化は特許権者が絶対的独占権を有します。絶対的独占権とは、客観的内容を同じくするものに対して排他的に支配できる権利です(特許庁ホームページ)。特許権は、他社へのライセンスの有無により、この絶対的独占権をコントロールすることが可能です。例えば、ライセンスを一切しないのであれば独占度は100%です。一方で、ライセンスを無償で誰にでも行うとすれば独占度は0%です。なお、特許権は、基本的に、出願から20年後に誰でも実施可能な自由技術となります。
自由技術化は、何らかの形で発明を公開し、誰もが自由に実施可能とするものであり、独占度は0%です。

ここで、発明の経済的効果として、事業利益の視点からは以下の2つを挙げることができるでしょう。
①製品をより魅力的なものとし、市場を大きくすること。
②他社製品と差別化すること。
この2つを発明の普及貢献度と他社に対する差別化貢献度とのように考え、上記図に当てはめると以下のように考えることができるでしょう。


まずは、発明の普及貢献度について考えます。
秘匿化は発明を公開しない行為なので、その発明の存在そのものが知られることはありません。このため、秘匿化によってその発明が普及することは考え難く、秘匿化による発明の普及貢献度は低くなります。
特許化は発明が公開されるので、発明の内容は万人が知るところとなるものの、特許化された発明はライセンスされない限り他社は実施できません。このため特許化は他者にライセンスをしないと発明の普及貢献度は低いようにも思えます。しかしながら、発明を特許出願すると公開されるので、その内容は万人が知るところとなり、改良発明を行なったり、当該発明の権利範囲に含まれない別の発明を行う者もいるでしょう。そうすると、発明を特許出願するだけで、ある程度高い普及貢献度を有していると思われます。また、特許化しても、特許権者が誰にでも無償ライセンスをすることでも、当該発明の普及貢献度は高くなります。
自由技術化は、誰もが自由に実施可能であるため、発明の普及貢献度は当然高くなります。

次に、他社に対する差別化貢献度はどうでしょうか。これは発明の普及度貢献度と真逆になると考えられます。
発明を自由技術化すると当該発明は誰もが自由に実施できるため、他社に対する差別化貢献度は当然低くなります。
特許化した技術は、上記のように、有償又は無償のライセンスの有無により、差別化貢献度をコントロールできるでしょう。すなわち、特許権を誰にでも無償ライセンスをしたら差別化貢献度は低くなる一方、誰にもライセンスしなければ差別化貢献度は高くなります。
そして、秘匿化した技術は他社が実施できません。このため、秘匿化した技術は、差別化貢献度は最も高くなると考えられます。秘匿化した発明をライセンスしたとしても、当該発明は公開されないので、ライセンスした場合でも差別化貢献度は高いままでしょう。

このように、発明の自由技術化、特許化、又は秘匿化によって、当該発明の独占度は異なり、これに伴い、発明の普及貢献度、他社に対する差別化貢献度も異なります。そして、発明の独占度と差別化貢献度は正の相関がある一方、発明の独占度と普及貢献度は負の相関があり、発明の普及貢献度と差別化貢献度とはトレードオフの関係があるでしょう。

ここで、特許化は、秘匿化と自由技術化に比べて、ライセンスの有無によってその独占度をコントロールし易いという特徴があります。上述のように、ライセンスしなければ独占度は100%であり、誰にでも無償でライセンスすれば独占度は0%です。これは、秘匿化及び自由技術化にはない特徴であり、メリットといえるでしょう。一方で自由技術化は他者へのライセンスという概念が当てはまりません。このため、自由技術化は実質的に独占度は0%であり、これを選択すると独占度のコントロールは不可能となります。秘匿化は他者へのライセンスが可能ですが、ライセンスしても発明そのものは秘匿化されたままですので独占度は高い状態であり、誰にでも無償でライセンスするという概念もありえないでしょう。

以上のように、発明を用いた製品をより多く販売するために市場を大きくしたいと考えた場合、当該発明を自由技術化したり、特許権を取得したとしても他者にライセンスすることで、当該発明を他社にも実施してもらうことが考えられます。これは当該発明が魅力的なものであれば、市場拡大の効果はより大きくなるでしょう。
しかしながら、発明を自由技術化等するだけでは、自社製品は他社製品と差別化し難く、自社製品の売り上げが伸びない、とのような事態に陥る可能性があります。そのリスクを考えると、発明を秘匿化又は権利化しても他者にライセンス化せず、自社だけで発明を実施することが考えられます。これにより、消費者に対して自社製品を購入する動機付けとなります。ところが、自社だけによる発明の実施では、市場が大きくならずに売り上げが伸びない可能性があります。当該発明が今までにないような新たな市場を生み出すものであり、自社がその市場を十分に成長させるほどの規模(実力)がない場合には、良い製品であるものの、思ったほど売り上げが伸びない、となるかもしれません。

このため、発明に対して、秘匿化、権利化、又は自由技術化を選択する場合には、上記のような市場予測(事業予測)を立て、当該発明の経済的効果を何とするかを明確にするべきでしょう。経済的効果とは、当該発明を普及させて市場規模を大きくするのか、他社製品との差別化に用いるのかということです。
市場に投入する製品に用いられる発明は、ほとんどの場合において一つではなく、複数の発明が用いられます。このため、発明毎の経済的効果を見極め、その経済的効果を発揮するように発明毎に秘匿化、特許化、自由技術化を選択するべきです。
すなわち、例えば、ある発明は自由技術化又は権利化しても広くライセンスする、として発明を普及させて市場を拡大させるという経済的効果を発揮させることを目的とし、他の発明では秘匿化又は権利化してもライセンスしない、として他社製品との差別化という発明の経済的効果を発揮させることを目的とするのです。
このように、製品に用いられる複数の発明を適切に知的財産管理することで、市場を拡大しつつ、製品を他社と差別化して自社製品の利益を最大化することが最も好ましい知財戦略と言えるでしょう。

参照:江藤 学 著 標準化ビジネス戦略大全 p.317
❝秘匿化、特許化、開放化を活用して、技術の独占度をコントロールし、その製品から得られる利益を最大化する事がビジネスの基本である。❞

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年12月5日日曜日

光触媒市場の成長と粗悪品排除のための規格化から考える知財戦略(その2)

前回のブログ記事で説明したTOTOの戦略もあり光触媒市場は成長したのですが、やはり粗悪品が発生しました。

ここで、特許の視点からすると、粗悪品の発生は技術を公開する特許出願もその原因の一つとも思われます。
前回のブログ記事で説明したように、TOTOは網羅的な特許出願によって超親水性の光触媒に関する多くの技術を公開しました。おそらく他社もTOTOに対抗するために多くの特許出願を行ったことでしょう。そうすると、第三者は、特許公開公報等を参考にして超親水性の光触媒を製造するための知識を得ることができます。
さらに、数値限定の特許権であれば、当該特許権に係る技術的範囲を比較的容易に回避することができ、それにより特許権に係る超親水性の光触媒の性能に近い製品を製造できる可能性が有ります。このようなことは、網羅的な特許出願がまねくデメリットとなります。

例えば、出願日が平成9年12月10日であり、超親水性光触媒に関するTOTOの特許第4011705号の請求項1は下記のとおりです。
【請求項1】
  基材と、表面層とを少なくとも有してなる、前記表面層が親水性でかつ自己浄化能を備えてなる、表面に時折雨が降り注ぐ環境において大気中の窒素酸化物、アンモニア、および/または二酸化硫黄を削減するために用いられる複合材であって、
  前記表面層が、
  成分(i)光の照射を受けると触媒として機能する光触媒と、
  成分(ii)A1、ZnO、SrO、BaO、MgO、CaO、RbO、NaO、およびKOからなる群から選択される少なくとも一の金属酸化物と
  成分(iii)SiO、ZrO、GeO、およびThOからなる群から選択される少なくとも一の金属酸化物と、
  成分(iv)AgおよびCuからなる群から選択される少なくとも一の抗菌性を発揮する金属と
を含んでなり、
  前記成分(iv)が前記(i)の光触媒に担持されてなり、前記成分(iv)の重量をc、前記(i)の光触媒の重量をbと表したとき、c/bが0.00001~0.05である、複合材。
上記特許権の技術的範囲を回避しつつ親水性のある光触媒機能を有する複合材を製造しようとしたら、成分(i)から成分(iv)は上記特許権と同じとし、例えばc/bを0.051とすればよいのです。これにより、親水性の程度は当該特許権の技術的範囲の複合材よりも悪いかもしれませんが、TOTOの特許権を回避しつつ、親水性のある複合材を製造できるでしょう。

このように、数値限定で発明を特定した特許権の技術範囲を回避して製品を製造等することは比較的容易ではないかと思います。その結果、粗悪品が市場に流通し、当該市場の信頼感を毀損する場合もあるでしょう。

そこで、粗悪品を排除することを目的として、TOTOを含む複数社によって光触媒のセルフクリーニング機能の存在を確認するための試験方法が規格化されました(参照:江藤学「標準化ビジネス戦略大全」日本経済新聞出版社 p.341 )。
例えば、日本工業規格 JISでは、JISR1701~JISR1711に光触媒に関する試験方法等の規格が定められています。

ここで、規格化するにあたり、特許がその障害となる可能性があります。いくら規格化したとしても、規格の中に他社の特許権が含まれている場合には、多くの企業はこの規格の使用を躊躇するどでしょう。さらに、複数社の協力で規格をまとめるのであれば、そもそも規格をまとめることが困難となる可能性があります。
そこで、TOTO等は規格中に存在する特許を無償開放したとのことです(参照:江藤学「標準化ビジネス戦略大全」日本経済新聞出版社 p.341 )。

例えば、日本工業規格 JIS R1703-2:2014として、「ファインセラミックス− 光触媒材料のセルフクリーニング性能試験方法− 第2部:湿式分解性能」といったものがあります。この規格のまえがきには下記の記載があります。
❝この規格に従うことは,次に示す特許権及び出願公開後の特許出願の使用に該当するおそれがあるので,留意すること。 
− 発明の名称 光触媒活性の測定方法及び光触媒活性評価フィルム 
− 設定の登録年月日 2003年7月11日  
− 発明の名称 光触媒活性の測定方法およびその装置 
− 設定の登録年月日 2001年11月2日❞
すなわち、当該規格に従うためには、この二つの特許権に係る発明を実施することになります。この2つの特許権は、1つ目が特許第3449046号(権利者:TOTO株式会社 )であり、2つ目が特許第3247857号(権利者:宇部エクシモ株式会社等)です。

規格に含まれる特許権を無償開放することにより、当該規格を誰もが使用して、規格に従った光触媒の製品を製造販売でき、粗悪品の排除につながったのでしょう。なお、上記2つの特許権は規格化に伴いその権利が放棄されたわけではなく、権利は維持されていました。

このように、知財は、事業動向や事業環境に応じて柔軟に変化させるべきと考えます。
その考え方が、下記のような、発明に対して秘匿化、権利化、自由技術化の何れか1つを選択する三方一選択の継時変化です。

今回の例では、自社による製品の製造販売の他にも、特許権をライセンスすることで市場の拡大と事業利益を得ることを事業戦略・戦術としていましたが、その後、粗悪品を排除するために敢えて特許権を無償化して評価方法を規格化しました。
これは、特許権のライセンス(クローズ)からその一部ですが自由技術化に変化させたことになります。
もし、ここで、ライセンスビジネスにこだわってしまうと、評価方法の規格化は達成できなかったかもしれません。その結果、粗悪品の流通を阻止できなくななり、市場そのものが失われたかもしれません。

このように、特許出願等により多くの技術を公開すると、技術分野によっては粗悪品の流通によって市場の信頼性が損なわれる可能性があります。もし、そのようなことが想定される場合には、光触媒市場が試験方法を規格化しすることで粗悪品を排除したように、対応策を考える必要があるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年11月28日日曜日

光触媒市場の成長と粗悪品排除のための規格化から考える知財戦略(その1)

新しい技術分野の事業を起こして市場が拡大すると、他社による粗悪品があらわれることでその市場そのものの信頼性が揺らぐ場合もあるかと思います。
今回は、そのような事例である光触媒(主にTOTO)の知財戦略について考えてみようと思います。

まず、光触媒関連産業の全体動向として、「平成21年度特許出願技術動向調査報告書 光触媒 (要約版)平成22年4月 特許庁」のp. 54には下記のように記載されています。
❝光触媒は、1990年代前半になって蛍光灯等の微弱光でも有機物を分解することが見出され、同時に酸化チタンの薄膜コーティング技術が開発されたことにより、室内用抗菌タイルが開発された。1990年代後半には、酸化チタンの光励起親水化効果が、自動車ミラー、交通標識の防曇機能付与に極めて有効であることが見出された。また、光触媒による汚染物質の酸化分解機能と雨水等による洗い落としの複合効果としてセルフクリーニングが注目を集め、この分野における研究開発、事業化が加速した。❞
さらに、上記調査報告書のp.63における下記記載のように、日本は光触媒の特許権を多数取得しています。
❝光触媒の重要な2つの性質である光酸化力と超親水性のうち、超親水性についてはわが国のTOTOが基本特許・重要特許を押さえている。TOTOは、国内外の企業 90社以上に対して、基本特許・重要特許のライセンス供与を実施している。❞
以下では、TOTOの知財戦略が記載されている"オープンイノベーションによるプラットフォーム技術の育成 ー光触媒超親水性技術のビジネス展開のケースー"を参考にして、超親水性光触媒を発見したTOTOの知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめます。

<事業>
事業目的:
 光触媒を用いた製品の普及
事業戦略:
 TOTO研究者が発見した光触媒超親水性現象は下記の機能を有しており、この機能は広範囲なものであるため潜在的市場まで含めて機会を最大限活用する。
  ①水滴が残らない(流滴性)
  ②曇らない(防曇性)
  ③汚水で汚れが落ちる(セルフクリーニング性)
  ④水洗いで汚れがすぐ落ちる(易水洗性)
事業戦術:
 ・自社によるタイルビジネス、フィルムビジネスに超親水性の光触媒を使用。
 ・超親水性の光触媒に関する特許権を他社へライセンス。(技術を公開してビジネスパートナーを募り、共同開発により新規分野を開拓)

<知財>
知財目的:
 他社にラインセンスを行うための特許権の取得。
知財戦略:
 超親水性の光触媒に関する技術に対して、パテントマップを作成して網羅的に出願。
知財戦術:
 パテントマップに基づいて網羅的に特許出願を実行(2007年発表の上記論文によると特許出願件数450件)

このようにTOTOの知財戦略・戦術として、他社へのラインセンスを目的として、超親水性の光触媒に関する技術を網羅的に特許出願しています。また、その権利内容は技術的な特性から具体的な物質名や数値を含むものも多いようなので、技術を秘匿化するということもあまりなかったのでしょう。

TOTOのように自社開発技術について網羅的に特許出願するという企業は少なからずあるでしょう。網羅的な特許出願を行う場合も、その目的を明確にする必要があると思います。上記例においてTOTOは、"潜在的市場まで含めて機会を最大限活用する”という事業戦略のために”技術を公開して他社へライセンスする”という事業戦術を立案し、この事業戦術を知財目的として、網羅的な特許出願という知財戦略・戦術となります。
一方で、このような目的無く網羅的に特許出願すると、他社への牽制力というメリットよりも技術開示というデメリットの方が大きくなる可能性もあるでしょう。

なお、TOTOによるライセンス契約は2011年には国内81社、海外19社にまでなったとのことです。(参照:我が国ベンチャー企業・大学はイノベーションを起こせるか?~『戦後日本のイノベーション100選』と大学発イノベーションの芽~ 光触媒のイノベーション Innovation of Photocatalysis p.6の"TOTOの光触媒展開の経緯")
また、このライセンスには、”1業種につき1社だけが光触媒を利用した製品を販売できる”(参照:江藤学「標準化ビジネス戦略大全」日本経済新聞出版社 p.212 )という条件があったようです。この条件は、同様の製品を複数社が製造販売することで価格競争が生じることを防ぐ目的であろうと思われます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年11月14日日曜日

営業秘密と特許の先使用権

営業秘密と特許の先使用権とはセットで語られることがあります。
それは、前回のブログ記事で述べたように、自社開発の技術を営業秘密とすると他社が同じ技術を開発して特許権を取得する可能性があるためです。このような場合、他社の特許出願時に当該技術を実施等していたら先使用権を主張でき、その実施を継続できる可能性があるためです。

ここで、先使用権は特許法79条に下記のように規定されています。
❝(先使用による通常実施権)
第七十九条 特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。❞
特許法79条にあるように、先使用権を有するためには、❝特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者❞という要件を満たす必要があります。しかしながら、自社が他社の特許権について先使用権を有していると考えていても、この要件を満たしていることの証明に苦慮する企業は多いようです。
先使用権の主張を行う場合における他社の特許出願は既に数年~十数年前の場合であり、現時点において、そのときに当該事業又は事業の準備を行っていたかを証明する資料が自社内で散逸したり、失われている場合もあるためです。

そしてこの先使用権と営業秘密との関係についてですが、発明を秘匿化した場合に秘密管理措置が上記要件を満たす証拠となり得るのではないかと考える人もいるかもしれません。
しかし、発明に対する秘密管理措置と上記要件とは基本的に何ら関係はありません。
まず、発明が完成してそれを秘匿化するタイミングは、当該発明の実施又は実施の準備を始めたタイミングよりも数か月から数年前になるでしょう。このように、一般的に発明の秘匿化のタイミングと事業の開始又は準備のタイミングは異なります。

また、自社の発明をわざわざ秘密管理するのであるから、それは事業の準備に相当するのではないか、と考える人もいるかもしれません。ここで、事業の準備とはどのようなものであるかは、ウォーキングビーム事件最高裁判決で下記のように判示されています。
❝法七九条にいう発明の実施である『事業の準備』とは、特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が、その発明につき、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されていることを意味すると解するのが相当である❞(下線は筆者による)
上記のように、「事業の準備」とは、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、「即時実施の意図を有しており」かつ「その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されている」ことをいいます。本判決では、見積仕様書及び設計図の提出が、即時実施の意図を有し、それが客観的に認識される態様、程度であるとして、事業の準備と判断しています。

このように、事業の準備は「即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識され」なければならず、発明を単に秘匿化するという行為は、それを持って即時実施の意図とは認められない可能性が相当高いと思われます。
なお、秘匿化した図面に発明の内容が化体されており、当該図面を事業に用いる予定であれば、それを持って事業の準備であるとも考えられますが、その場合は秘匿の有無は先使用権の発生とは関係ありません。

以上のようにに、特許法の規定からして発明を秘匿化したからといって、当該発明に対する先使用権が発生するものではありません。従って、発明を秘匿化した場合には、別途先使用権主張ができるように、関連する資料の保存・収集を行う必要があります。


また、発明を秘匿化した企業の中には、他社の特許権を侵害した場合に先使用権の主張ができるように、当該発明を用いた事業又は事業の準備をしたことを証明する資料を予め公正証書として保管することを行っています。

では、このような公正証書の作成は営業秘密の秘密管理措置にもなり得るのでしょうか?
公正証書は資料等を封筒に入れて閉じて確定日付印を押します。これにより、その中身は開封しない限り分からず、”秘密”の状態にあるとも言えます。
しかしながら、個人的には、このような公正証書が秘密管理措置となる可能性は低いと考えます。その理由として、秘密管理性要件の主旨は以下のように考えられているためです。
❝秘密管理性要件の趣旨は、企業が秘密として管理しようとする対象(情報の範囲)が従業員等に対して明確化されることによって、従業員等の予見可能性、ひいては、経済活動の安定性を確保することにある。❞(経済産業省発行 営業秘密管理指針) 
上記のように、先使用権の証拠としての公正証書は、封によって閉じられているためその中身が分かりません。また、こうような公正証書は、企業の知財部で管理・保管されるでしょうから、一般の従業員はその存在すら知らないでしょう。
そうすると、当該公正証書では、企業が秘密として管理しようとする対象が従業員に対して明確化されているとは言い難いでしょう。このため、当該公正証書に発明の内容があったとしても、当該発明に対する秘密管理措置とはなり得ないと思われます。

以上のように、発明を営業秘密としたからといって、先使用権の主張が可能となるわけではありません。先使用権を主張するためには、それを満たすための証拠が必要であり、それがなければ先使用権の主張ができません。また、先使用権主張の準備は秘密管理措置とはなり得ないと思われます。
このため、発明を特許出願しない場合には、まず、当該発明を秘密管理し、当該発明を使用した事業の準備を開始すると共に、万が一の場合に先使用権主張ができるように準備を行うことが最も望ましいでしょう。
このように、発明を営業秘密とすることと先使用権主張の準備とは別物であることを正しく認識し、万が一に備えるべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年11月7日日曜日

自社による技術情報の秘匿化と他社による特許出願

技術情報を秘匿化することは、当該技術情報を他社に知られるないという大きなメリットがあります。
しかしながら、技術情報を秘匿化すると、当該技術情報と同じ技術を独自開発した他社によって特許出願される可能性があります。この可能性が一体どの程度のものであるかは、定かではありませんが、確かにその可能性はあるでしょう。

もし、自社で営業秘密とした技術情報が他社によって特許出願されると、まず公開公報の発行によって非公知性が失われるので、当該技術情報は営業秘密ではなくなります。これは、技術情報を秘匿化した意味が根底から失われます。

さらに、他社によって特許権が取得されてしまうと、当該技術情報を自社で使用(実施)すると他社の特許権の侵害になりますので、使用できなくなります。すなわち、営業秘密としていた技術情報を自社製品に使用しているものの、当該技術情報に係る発明の特許権を他社が取得すると、この自社製品は製造・販売できないこととなります。このため、多くの企業は少なくとも自社製品に使用する技術情報(発明)について特許出願、すなわち自社実施のための出願を行います。

なお、上記のような他社特許権の侵害に自社が陥ったとしても、特許法には先使用権(特許法79条)の規定があります。このためこの先使用権の要件を満たしている場合、自社は通常実施権を有していることとなり、所定の範囲内で実施が可能となりますので、必ずしも自社製品の製造・販売を停止しなくてもよい可能性があります。


一方で、自社実施のための出願は、安心感や保険のために必要かと思いますが、本来であれば秘匿したい技術情報をこのために特許出願するか否かはよく考えるべきであると個人的には思います。

まず、①特許出願したからと言って、さらには特許権を取得したからといって、必ずしも他社の特許権を侵害していないことにはなりません。
当然、自社の特許出願前に同じ技術が特許出願や権利化される場合もあります。さらには、自社で取得した特許権に係る発明が他社の特許権に係る発明を利用している場合もあります。この場合には、自社の特許権に係る発明を実施すると他社の特許権を侵害することになります。
このことから、特許出願をしたからといって、当該特許出願に係る発明を安心して実施できるとは限りません。特許出願前に先行特許調査を行って他社の特許権の有無を調べることで、このような事態を回避できる可能性があります。
なお、既に他社によって特許出願されている技術は、自社で秘密管理していても非公知性を失っているために営業秘密とはなり得ません。このため、自社開発技術を秘匿化する場合にも、不必要な秘密管理措置を防ぐ目的でも先行特許調査をするべきであると考えます。

さらに、②本当に同じ技術を他社が特許出願する可能性があるのか?ということも熟考えする必要があるでしょう。
例えば、自社の技術力が他社よりも高く、自社製品のリバースエンジニアリングによっても知られる可能性が低いにもかかわらず、秘匿化したい技術情報を安心感を得るために特許出願すると、他社は当該技術情報を知ることとなり、他社の技術力アップに貢献してしまう可能性もあります。このような場合に、自社実施のための特許出願は極力行わないほうが良いかと思います。
また、自社の工場内でしか使用しない技術や、自社製品に特有の技術で他社が当該技術を使用する可能性が相当低いような技術を特許出願することも考えものです。このような技術を特許出願することは単に技術の開示にしかすぎない可能性が高いためです。

しかしながら、特許出願によって一定の安心感を得られることも事実かと思います。
そこで、安心感を得るために特許出願しても、他社が自社の技術に追いつかないという確信がある場合には、公開公報の発行日前、具体的には公報発行の準備がなされる前である出願から1年3ヶ月より少し前に出願の取り下げを行うという方法があります。そして、取り下げの直後に再び出願します。一方、他社が自社の技術に追いつく可能性を感じた場合には、出願を取り下げずに特許権の取得を目指します。
これは、何れ特許出願を行うことを考えると、取り下げ→再出願毎に要する費用も特許庁費用で1万5千円(事務所費用も安いでしょう。)であり、繰り返し取り下げと再出願を行ったとしてもコスト的には問題ないかと思います。一方で、他社の技術動向の見極めが必要であるため、知財部としては難しい判断を要します。
なお、特許出願しても公開されるまでは、自社で当該技術情報を秘密管理することはいうまでもありません。

このように、技術情報の営業秘密化は他社に特許権を取得されるリスク(秘匿化リスク)があり、特許出願は他社に技術を知られるリスク(公開リスク)があります。一方で、営業秘密化は他社に技術を知られないというメリットがあり、特許出願には独占排他権を得ることができるというメリットがあります。
営業秘密化と特許化とのメリット、デメリットを見極めて、自社の事業の利益を最大化することができる方策を立案することが知財活動の本質の一つでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年10月24日日曜日

オープン・クローズ戦略の”コア領域”について

知財戦略の一つにオープン・クローズ戦略があり、知財においてこの概念は広く使われています。

しかしながら、オープン・クローズ戦略は法的な定義があるわけでもなく、人によってはその解釈が若干異なる可能性があります。その一つに、”オープン”と”クローズ”の意味があります。

上記図では、"オープン"を自由技術化や標準化、他社へのライセンス等としており、自社開発技術を他社も使用可能とするものとしています。一方、"クローズ"を自社開発技術の秘匿化や権利化による占有としています。
すなわち、上記図では、自社開発技術を他社にも使用可能とすることを"オープン"とし、自社だけで独占することを"クローズ"としています。

他方で、これとは違う解釈もあります。それは、技術情報の開示の視点によるオープン、クローズの解釈です。すなわち、特許等のように技術を開示する場合を"オープン"とし、秘匿化のように技術を開示しない場合を"クローズ"とします。

このように、オープン、クローズには2種類の解釈があります。しかしながら、オープン・クローズ戦略の解釈としては、上記図のように自社開発技術を他社にも使用可能とすることをオープンとし、自社だけで独占することをクローズとする解釈が主流かと思います。

また、オープン・クローズ戦略を実行する上でコア領域(コア技術)の見極めが必要となります。では、コア領域とはどのような概念でしょうか?

ここで、QRコード技術を例にコア領域を考えてみたいと思います。

上記note記事では、QRコード技術を「QRコードそのもの」(以下単に「QRコード」といいます。)と「読取装置」とに分けて考えています。QRコード技術は、QRコードと読取装置の2つがないと意味を成さないでしょう。そして、これら2つはデンソーによって新しく開発された技術要素です。
そうすると、QRコード技術のコア領域はQRコードと読取装置の2つであるとも思えます。また、QRコードはそれまで普及していたバーコード(1次元コード)に対して記録できる情報量が多くできる2次元コードであり、その読取装置はQRコードという技術がなければ生み出されなかった付随的な技術である、とのように考えると、コア領域はQRコードのみである考える人もいるでしょう。逆に、読取装置のみをコア領域と考える人は少数派でしょう。

しかしながら、QRコードの知財戦略において、デンソーはQRコードの特許権を取得していますが、それを無償ラインセンスして誰でも使用可能としています。すなわち、QRコードはオープンにされています。一方、読取装置は特許権の有償ラインセンス及び秘匿化されています。すなわち、読取装置はクローズにされています。
このことから、QRコードの知財戦略では、QRコードを非コア領域とする一方で、読取装置をコア領域としています。

この違いはどこから来るものでしょうか?
それは視点の違いです。
QRコード技術を技術的側面からみると、少なくともQRコード(及び読取装置)がコア領域と特定されるでしょう。一方、QRコード技術を事業的側面からみると、読取装置のみがコア領域と特定されるのです。

上記の図が記載されている経済産業省 2013年版ものづくり白書 第1部 ものづくり基盤技術の現状と課題 p.107  には以下のような記載があります。
❝知財マネジメントの基本は、知的財産の公開、秘匿、権利化を使い分ける「オープン・クローズ戦略」である。オープン・クローズ戦略とは、これらの知的財産のうち、どの部分を秘匿または特許などによる独占的排他権を実施(クローズ化)し、どの部分を他社に公開またはライセンスするか(オープン化)を、自社利益拡大のために検討・選択することである(図132-4)。アップル・インテル・ボッシュなどの欧米企業は、オープン・クローズ戦略を駆使し、オープン化により製品を広く普及させる仕組みを作ることに加え、自社のコア技術(差別化部分)をクローズ化することで、製品市場の拡大と競争力の確保を同時に実現することを図っている(図132-5)。❞

上記記載のように、他社と差別化できる部分をコア技術とします。この差別化部分とは、すなわち、自社が利益を挙げることが可能な技術です。換言すると、利益を上げることができない技術は技術的に優れていても、コア技術とはなりえません。

一方で、QRコードからも収益を得るという事業戦略(戦術)もあり得ます。具体的には、QRコードの特許権に基づいて、QRコードの使用を自社又は有償のライセンシーに限定するというものです。こうすると、QRコードはクローズ化された技術、すなわち、コア技術となります。このように、事業戦略によって、オープン・クローズ戦略で言うところのコア技術及び非コア技術は変化するでしょう。

以上説明したように、オープン・クローズ戦略では、事業を理解して上でその事業において利益を上げることができる技術をクローズとしなければなりません。事業によっては、オープン化を行わない場合もあるでしょう。一方で、事業としてオープン化だけを行うことは基本的にあり得ないと考えられません。上述のように、オープン化した技術からは利益を得られないためです。
このため、技術をオープンにする場合にはクローズ化させる技術もセットになるべきです。もし、事業戦略(戦術)から導き出された知財戦略(戦術)が技術のオープン化だけになる場合は、その知財戦略が誤っているか、そもそもの事業戦略が誤っている可能性があるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年10月3日日曜日

知財戦略カスケードダウンから三位一体へ (その2)

前回のブログでは、知財戦略カスケードダウンにおいて知財部から事業部又は技研究開発部へフィードバックや提案を行うことで、三位一体を実現する例を示しました。
知財部からフィードバックや提案を行う場合とはどのような場合でしょうか?それは様々な場合があると思いますが、前回のブログでは自社の秘匿化技術が他社でも独自開発されそうな状況になった場合を例に挙げました。
この他にも、ビジネスに必要とする特許権等の権利取得の可否もそれに含まれるでしょう。そのような例を以前、知財戦略カスケードダウンに当てはめたQRコードの例を参照して考えてみたいと思います。

参考ブログ記事:

まず、QRコードの事業目的、戦略、戦術は下記でした。
事業目的:
  QRコードを世界中に普及させる
事業戦略:
  誰もが自由に安心して使えるようにすると共に、早期にQR市場を形成させる
事業戦術:
 (1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう。
 (2)誰もが自由に安心して使える環境作り
 (3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

そして、QRコードは技術要素として「QRコードそのもの」と「読取装置」に分けることができます。
「QRコードそのもの」の知財目的、戦略、戦術は下記でした。
知財目的:
  誰もが自由に安心して使える環境作り
知財戦略:
 (1)利用者にはQRコードをオープンにする。
 (2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。
知財戦術:
  QRコードの特許権取得

このように、QRコードのビジネスには、QRコードそのものの特許権の取得が必要になります。実際にデンソーはQRコードの特許権を取得しています。
❝特許第2938338号
(出願日:平成6年(1994)3月14日 登録日:平成11年(1999)6月11日)
【請求項1】  二進コードで表されるデータをセル化して、二次元のマトリックス上にパターンとして配置した二次元コードにおいて、前記マトリックス内の、少なくとも2個所の所定位置に、各々中心をあらゆる角度で横切る走査線において同じ周波数成分比が得られるパターンの位置決め用シンボルを配置したことを特徴とする二次元コード。❞
また、Wikipediaを参照すると、1997年10月にAIM International規格、1998年3月にJEIDA規格、1999年1月にJISのJIS X 0510、2000年6月にISO規格のISO/IEC 18004となっています。以上のように、実際のQRコードに関しては特許権の権利取得や規格化も順調に行われたのでしょう。

一方で、出願日から登録まで5年以上を要しており、QRコードの開発から事業に至るまで比較的余裕を持って行われたのかなとも思えます。QRコードの開発が現在から30年近く前であり、ビジネススピードの感覚も現在に比べて緩やかであったのかもしれません。
現在では、新規の事業であり速いビジネススピードを求められたら、特許出願から特許権取得までに5年もかけていられないでしょう。

仮に権利取得が新規事業の前提となっているのであれば、事業の開始は特許権の取得如何によって左右されるかもしれません。そして、技術開発から事業開始までのスピードを求められていたら、特許権の取得までに数年単位をかけることはできないでしょう。特許権を取得する業務はまさに知財部の業務です。研究開発部でもなく、ましてや事業部でもありません。
もし、研究開発部が当該事業に用いる技術開発が終了した時点で発明届け出を知財部に提出すると共に、「半年後には市場にリリースすることが事業部との間で決まっている。それまでに特許権を取得してほしい。」といわれたらどうでしょう?
急いで特許事務所に明細書作成依頼を出して、現時点から出願まで1ヶ月とし、早期審査請求により特許庁から特許査定通知がでるまで出願から2~3ヶ月、上手く権利化できても現時点から3~4ヶ月です。もし拒絶理由があると、さらに特許査定までの期間を要するため、半年後のリリースには間に合わないでしょう。このような状況になると、知財部としてはもっと早く発明届け出を出して欲しかったとなるでしょう。しかしながら、このような状態に陥る知財部があるとすると、この原因は知財部の姿勢が「待ち」であるためとも考えられます。

ここで、知財戦略カスケードダウンでは知財部が事業に基づいて知財目的・戦略・戦術を立案するものです。このため、知財部は事業に関する情報を積極的に取得する必要があります。このため、例えば、知財部が事業部等に出向き、今後の事業計画や現在の事業動向等の情報を取得し、知財部でこれに応じた知財目的・戦略・戦術を立案します。これが知財戦略カスケードダウンの肝でもあります。

事業部からの情報収集の過程で新規事業の情報も知財部は取得するでしょう。その場合、知財部は、当該新規事業に用いる開発段階の技術情報を研究開発部から取得する必要性に気が付くはずです。そうすると、その後に実行するべきことは容易に理解できます。
新規事業に用いる技術開発の動向をウォッチし、製品に用いる状態にまで開発が進むのを待つことなく、特許として出願できる状態(実施可能要件を満たす状態)にまで開発が進んだときに特許出願を行なえばよいのです(秘匿化を選択するのであれば、早期に適切な秘密管理を行います)。

このように、知財戦略カスケードダウンの考え方によると、知財部が事業を理解することによって、知財部が自発的に技術からも情報を取得し、特許出願等を行うことになります。その結果、特許取得が待ちの状態とはならないため、事業のスピード感にも合わせた権利取得等が可能となります。また、拒絶によって権利取得できない場合、その対応策を講じる時間的余裕も出てくるでしょう。
QRコードの例において、仮にQRコードそのものの特許が取れないとしても、他社の特許権を侵害していないという確証があれば事業を予定通り行い、特許権による権利行使はできないものの、QRコードを不正使用している他社に対しては商標権による権利行使を行うという知財戦術を立案することもできるでしょう。

さらに、権利取得の過程で、新規事業に使用する技術の特許権を他社が既に取得していことに気が付くかもしれません。そのような場合には、事業部及び研究開発部に他社特許権の侵害リスクを伝え、事業の戦略又は戦術の見直し、研究開発部には他社特許の回避策の検討を促すこともできます。また、他社の特許権の譲渡又はライセンス取得の可否、無効理由の検討等も行えるでしょう。

このように、知財部が事業を理解して自発的に行動することで、事業及び研究開発にフィードバックや提案を行なえます。その結果、三位一体が実現できると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年9月26日日曜日

知財戦略カスケードダウンから三位一体へ (その1)

前回のブログ記事では、秘匿化している生産方法について他社の技術動向(特許出願動向)によっては権利化に移行することも検討することを述べました。
生産ノウハウをライセンスしている状況において、他社の技術がこの生産ノウハウのレベルに達して他社によって特許取得される可能性が生じた場合に、この生産ノウハウを秘匿化から自社による権利化へ移行するという例です。

これは、三方一選択の継時変化に相当します。
上記図では、事業に応じて秘匿化、権利化、自由技術化を変化させることを記載していますが、事業に限らず、外部環境に応じて変化させることもあるでしょう。外部環境とは上述のような他社の技術動向です。
この他社の技術動向は事業部よりも知財部又は技術部の方が把握し易いでしょう。もっというと、知財部が自社の秘匿化技術を把握することで、当該秘匿化技術の関連技術に対してて他社による特許出願の有無を定期的に調査するという作業を行うべきかと思います。
特に、ライセンスのように直接的に利益を生み出している秘匿化技術に対しては、他社の技術動向は当該利益に与える影響が甚大です。当該秘匿化技術と同じ技術を他社が権利化すると、当該ライセンスは意味を成さなくなる可能性があります。そうであれば、このような秘匿化技術に対してはより積極的に他社の技術動向、特に他社の特許出願動向を把握する必要があるかと思います。

このため他社の技術動向に応じて、例えば秘匿化から特許化に経時変化させると、これに応じて事業形態も変える必要が生じる可能性があります。このような場合は、知財部から事業部へ他社の技術動向及びそれに伴う発明の形態変化、すなわち事業形態の変化の必要性を提案しなければなりません。
これを示した知財戦略カスケードダウンが下記図です。

上記図では、知財から事業へ向かった矢印が存在します。この矢印は知財部から事業部へのフィードバックや提案となります。
上述の秘匿化技術のライセンスの例では、この知財部からの提案により、事業部は当該ラインセンスの見直しをする必要があります。例えば、秘匿化から権利化へ移行したほうが良いのか?移行するのであればライセンス契約はどのように改定するのか?また、権利化するのであれば、秘匿化技術のうちどこまでを開示するのか?開示せずに秘匿化を保てる技術情報は存在するのか?様々なことを検討する必要があるでしょう。この検討には当然、知財部も加わることになるでしょう。
さらに、知財部から研究開発部へも他社の技術動向をフィードバックします。また、他社の技術動向から新たな技術的課題が得られたら、その提案を知財部から技術開発部へ行ってもよいでしょう。
まさに、これは事業、研究開発、知財が相互に連携し合った三位一体となります。

このように、知財戦略カスケードダウンという取り組みを知財部が行うこと、すなわち知財が事業を理解して発明に対して三方一選択を行うことで、知財から事業又は知財から研究開発へ適切な提案又はフィードバックを行うことが可能となり、その結果、三位一体を実現することが可能となるでしょう。

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2021年9月20日月曜日

生産ノウハウのライセンスから考える知財戦略

製品の生産方法について特許出願している企業もあるかと思いますが、生産方法は工場等の自社内でのみ実施するものであり、外部にその技術が知られることはないので秘匿化している企業も多いかと思います。
一方で、生産方法を他社にライセンスするのであれば、秘匿化と特許化どちらがよいでしょうか?

そのような事例を知財戦略カスケードダウンに当てはめてみました。
事例として参考にしたのは、特許庁発行の「経営における知的財産戦略事例集」のジーンテクノサイエンス社の事例(p.40)です。ジーンテクノサイエンス社は、現在はキッズウェル・バイオ株式会社に社名を変更しており、事例集によると下記のように紹介されています。
❝北海道大学発のバイオ系のスタートアップである。バイオ新薬・バイオ後発品(バイオシミラー)の開発を行い、再生医療分野を中心とした新規バイオ事業の立ち上げにも注力している。❞
そして、事例集における戦略の要諦には以下のようにあり、結論から言うと、同社は生産ノウハウを秘匿化しています。
❝自社に充分なノウハウがあるバイオシミラー事業に関しては、競争力の源泉である製造ノウハウの部分を徹底的にブラックボックス化して、社外で容易に模倣できないないようにしている。具体的には、ノウハウの利用者(製造委託先)に依頼する際には製造工程を切り分け、委託先が製造工程の一部しか見えないようにしている。また、同社はバイオシミラーの一部の生産ノウハウを、製造委託先以外にもライセンスすることで、知的財産を軸とした収益を計上できている。❞
なお、私はバイオ関係の技術知識は皆無であり、バイオシミラーも初めて知ったのですが、同社のホームページによるとバイオシミラーとは下記のもののようです。
❝バイオ医薬品の新薬(先発品)と同じ効果効能・安全性を国によって保証された薬をバイオシミラーと呼びます。❞
また、同社はプロテインエンジニアリングを用いてバイオ医薬品を製造しているとのことですが、プロテインエンジニアリングは同社のホームページで下記のように説明されています。
❝プロテインエンジニアリングとは、私たちの体内で重要な役割を果たす酵素や抗体などの天然のタンパク質に、新たな機能を付加したり、タンパク質自体の機能を向上させた新しいタンパク質を人工的に作る方法です。❞
以上のようなことを踏まえて、同社ホームページの「事業内容」及び「特長・強み」も参照して、同社の生産方法について知財戦略カスケードダウンに当てはめます。


同社の事業目的、事業戦略、事業戦術を下記のように抽出しました。

事業目的:
プロテインエンジニアリングによって、従来のバイオ医薬品よりも治療効果や持続性、安全性の高い、改良型バイオ医薬品の開発

事業戦略:
バイオ新薬の後続品(ジェネリック)であるバイオシミラーの開発でより多くの患者様に安価で高品質な医療を届ける。

事業戦術:
①開発した薬品の製造販売
②製薬企業とのアライアンス
③製造設備を持たない
④生産ノウハウをライセンス

事業目的と事業戦略はホームページの「事業内容」から抽出しています。
事業戦術のうち「②製薬企業とのアライアンス」はホームページの「ハイブリッド事業体制」から抽出し、「③製造設備を持たない」はホームページの「バーチャル型事業開発・プロジェクトマネージメント力」から抽出しています。
また、「①薬品の製造販売」と「④生産ノウハウのライセンス」は、同社の収益にかかわる要素であり、これは事業戦術に当然含まれるかと思います。

次に、バイオシミラーの技術要素を生産方法として、これの知財目的、戦略、戦術を下記のように考えました。完成品である薬品も技術要素の一つですが、今回は薬品については省略します。なお、同社は、発明の名称に”抗体”を含む特許出願を複数行っていることから、薬品については特許取得を知財戦術としているかと思います。

知財目的:
製造設備を持たず、生産ノウハウのライセンスによる収益確保のための知財保護

知財戦略:
自社開発プロテインエンジニアリングの長期的かつより確実な模倣の防止
→生産方法の秘匿化

知財戦術:
①生産方法の秘匿化
②製造工程の切り分けによる生産方法全体の漏えい防止

知財戦略としては、長期的かつより確実な模倣の防止するために生産方法の秘匿化を選択しています。この理由は、同社の選択が秘匿化であるという実体に合わせたものですが、製薬において生産方法は重要であり、ライセンスにより収益の源泉ともなりえるため、出願から20年で自由技術となる特許よりも秘匿化を選択する方が事業を守れると考えたためです。
また、生産方法の知財戦術は、知財戦略を踏襲して秘匿化としています(生産方法の具体的な内容は当然分からないためでもあります。)。
さらに、自社で製造設備を持たないことから、薬品の製造を他社に依頼しないといけません。このとき、一社に全ての工程を依頼するとこの依頼先から生産方法が漏えいする可能性があります。そこで、②のように製造工程を複数の企業に切り分けて依頼することも知財戦術として選択すべき事項でしょう。

ここで、生産方法を秘匿化することは常とう手段とも思えますが、「生産ノウハウのライセンスによる収益確保」という知財目的を達成するためには、生産方法の特許化も検討する必要があります。
一般的にライセンシーとしては、秘匿化された技術よりも、特許化された技術の方が安定しており、好ましいと考える場合も多いのではないでしょうか。確かにノウハウを秘匿化し続け、他社も実施できなければ、当該ノウハウを半永久的に独占できるので、メリットは大きいです。
一方で、秘匿化技術は、他社が権利を取得する可能性もあり、もしそうなると秘匿化技術のライセンシーは特許権侵害となる可能性があります。そのようなリスクを考慮に入れると、ライセンシーは特許化された技術をライセンスしてもらうほうが安心感があるでしょう。その結果、秘匿化よりも特許化した方がライセンシーの数も増え、ライセンスによる事業収益も多くなるかもしれません。
一方で、ライセンサーとしては、特許化は技術を公開することになりますし、出願から20年後には存続期間満了のために特許権が失われ、ライセンシーが競合他社になる可能性もあります。その結果、特許権満了後には、収益が一気に悪化する可能性もあります。

このように、秘匿化のメリット・デメリットと特許化のメリット・デメリットを考慮して、他社へのライセンスも収益とするための生産方法を秘匿化又は特許化を選択する必要があります。
この選択を行うための判断材料としては、開発した生産方法と同じ技術を他社が想到する可能性や、他社が生産方法に関連する技術について特許出願して程度、というような他社の動向も考慮に入れることになるでしょう。

これに関して、例えば、プロテインエンジニアリングとの文言を含む日本の特許公報は、最初の公報が1987年に発行されてから160件程度しかなく(2021年と2020年は1件、2019年は7件、件、2018年と2017年は6件)であることから、プロテインエンジニアリングの技術分野の特許は少ないとの判断ができるのかもしれません。
一方、バイオシミラーとの文言を含む日本の特許公報は、最初の公報が2009年に発行されてから489件であり、2021年は17件、2020年は26件ですが、2019年は121件、2018年は112件とのように、バイオシミラーの特許出願は必ずしも少なくないのかもしれません。

なお、上記件数は、プロテインエンジニアリングやバイオシミラーの特許出願状況をざっくりと知るために出した数字ですが、これらの文言が含まれているに過ぎない公報の件数なので直接的にはこれらに関係ないかもしれませんし、同意義で異なる文言が使われている他の特許公報もあるでしょう。このため、秘匿化又は特許化の選択のための参考程度にはなるでしょうが、より詳細にはFIやFターム等の特許分類を参考にしなければなりません。また、国外の特許出願状況や、特許出願されていない技術も多数あるでしょうから論文やその他の情報を集め、自社の技術水準を的確に判断する必要があるでしょう。
おそらく、同社は、上記のようなことを総合的に判断したうえで、ライセンスする生産ノウハウに対して特許化よりも秘匿化を選択したと想像します。

しかしながら、秘匿化している生産方法と同様の技術を他社が現在は開発できていないとしても、他社の特許出願動向やその他の情報に基づいて、今後、同様の技術を開発する可能性が生じれば、秘匿化から特許化に移行するべきかもしれません。もし、そのような選択を行う場合には、事業戦術である「④生産ノウハウをライセンス」についてもライセンシーとの契約の見直し(秘匿化技術から特許技術に基づくライセンスへの移行)、さらにはライセンスビジネスによる収益の見直しといったことも必要になるでしょう。

このように技術を秘匿化する場合には、当該技術を取り巻く事業環境や他社の技術力等を注視して必要に応じて権利化へ移行するというような対応を取れるようにすることも考慮に入れるべきかと思います。

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2021年8月16日月曜日

特許の宣伝広告機能

製品の売り文句として、特許取得、特許出願中、実用新案登録、・・・とのようなものを度々見かけます。多くの人は漠然と”特許=何だかすごい”という印象を持っているので、特許取得といったことがやはり宣伝広告として一定の機能を有しているのでしょう。
しかしながら、このような売り文句が一体どの程度売り上げに貢献できているのかは特許業界からはさっぱりわかりません。

ここで、本ブログではアサヒビールの生ジョッキ缶に関して幾つか記事を書いており、このアクセス数が非常に多くなっています。しかも、知財戦略と題してることからも、専門的な記事であることが分かるにもかかわらずです。

このうち、特にアサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)については、今まで書いた他の記事に対して圧倒的に多いアクセス数となっています。

下記はアサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)のアクセス数のグラフです。そもそも、本ブログは、一日のアクセス数が平均すると数十程度ですので、一つの記事で一日のアクセス数が500近くになることは過去にありません。


なお、赤丸で示した部分は、生ジョッキ缶の販売休止や再販等の報道が行われたときであり、生ジョッキ缶の報道に合わせてこの記事へのアクセス数が増加していることがわかります。

この記事への流入元はグーグル等による検索からだと思われます。”生ジョッキ 特許”とのようなキーワードで検索するとトップの方に本記事が現れます。実際、この記事を書いた後から、グーグル検索からのアクセス数が増加しています。
すなわち、消費者の一部には、アサヒビールの生ジョッキ缶に特許技術が用いられているという印象が強く根付いているのではないでしょうか。そのうちの一部の人が販売停止や再販といってニュースに触れると、検索しているのだと思います。
この記事に多くのアクセスがあった理由は、アサヒビールが生ジョッキ缶の販売当初に特許出願していると説明し、このことを報じている報道がいくつもあったからだと思います。このため、消費者のうち、少なくない人たちが生ジョッキ缶の特許に興味を持ち、検索によりこの記事を目にしたのでしょう。
このことは、特許が生ジョッキ缶に対する宣伝広告機能を発揮したということになると思います。

では、どのような商品でも”特許”が宣伝広告機能を発揮できるのでしょうか?
必ずしもそうではなく、生ジョッキ缶という商品と特許という宣伝文句は親和性が高く、特許が宣伝広告機能を発揮し易かったのではないでしょうか。
その理由は、生ジョッキ缶が缶ビールでありながら今までにないような泡立ちを生じさせるという、見た目に強いインパクトを与える商品であり、これを生じさせるためには何らかの技術的な背景があることを誰もが容易に想起できるためでしょう。
そのような商品に”特許”という技術的要素を感じさせるキーワードが与えられると、消費者は生ジョッキ缶という商品に対する興味がさらに引き立てられるのではないでしょうか?
このように、商品の特徴の見た目のインパクトとそれを実現させるための技術に特許が用いられる、という商品と特許との組み合わせが分かり易いと特許が宣伝広告機能を発揮し易いと思います。

さらに、知財に詳しくない人であっても、特許は独占的なものであり、他者がそれを使ってはいかないという認識を漠然とながら持っているでしょう。
そうすると今後、生ジョッキ缶と同様な商品を他社が販売すると、それはアサヒビールの模倣品であるという心象を持つ消費者も多く、そのような心象を消費者に持たれてしまうと、他社の製品の売り上げには影響がでるでしょう。その結果、アサヒビールの製品の売り上げは保たれるという構図ができるかもしれません。
このような消費者への心象形成が成功すると、特許というキーワードは、単なる宣伝広告機能以上の効果を与えることができるかもしれません。

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2021年6月27日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(4 最終回)

前回のQRコードの普及から考える知財戦略(3)の続きです。


前回まではQRコードの知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめましたが、今回はQRコードの信頼性維持のための技術的側面からのブランド戦略について説明します。

QRコードは「誰もが自由に安心して使えるようにする」という事業戦術のもと普及が行われました。しかしながら、もしQRコードの信頼性が低いと「誰もが安心して使える」ものとはなりません。そこで、この「誰もが安心して使える」ものにするために、デンソーは「QRコード」の商標権を取得するだけでなく、技術的側面からもブランド維持を行っています。

そのうちの一つが、QRコードそのものの特許を取得してそれをオープンにする一方で、模倣品や不正用途を行う者に対しては権利行使を行うという方針です。デンソーは実際に一件の警告を行ったことがあるとのことです(参考:QRコードの普及から考える知財戦略(2))。
これにより、信頼性を損ねるような形でQRコードを使用する者を排除し、QRコードの信頼性を保つことができます。


また、デンソーは読取装置に関しても特許権を取得し、ライセンスを与えることにより他社による読取装置の製造販売を可能としています。そして、下記のように(論文のp.27 「議論3 ブランド化について」読取装置に関しても信頼性を損ねる製品が市場に出回ることを防止することを行っています。
もし、デンソーウェーブ以外の製品性能が悪いとQRコードの優れた特徴が発揮できません。そこで、運用に支障を与えない性能や品質が最低限に確保できるよう、読み取り、印字のノウハウ開示をしました。
特許公報に記載されている技術だけでは、製品を製造できず、特許公報に記載されていないノウハウも重要であることはよく知られています。デンソーはそのようなノウハウもライセンス先に提供し、最低限の製品性能を発揮できるように手助けしているようです。デンソー自身も読取装置を販売しているにもかかわらずです。
下手をしたら、ライセンス先企業の読取装置にシェアを奪われる可能性のある行為とも思えます。しかしながら、デンソーは、他社との差別化を図れる画像認識技術については秘匿化することで、自社の読取装置の市場優位性を高めています。

さらに、論文のp.22の左欄「3.4 事業化のシナリオ」には以下のような記載があります。
また、QRコードを進化させる技術とノウハウを活用してユーザの用途開発をサポートすることにより、いち早く市場ニーズを把握でき、競合他社より優位に立てることもできた。
まさに、QRコードの開発企業として、常に他社よりも先に立ち、それを優位性として事業収益に貢献させるということでしょう。
このことは、知財とは直接的には関係ないようにも思えますし、そもそもの開発元であるということを鑑みれば当然の戦略とも思えます。しかしながら、QRコードに関してデンソーは特許権を他社に対する優位性を保つという位置付けとしていないからこそ、どこに自社の優位性を見出すかということを考える強い動機付けになるとも思えます。

以上のように、QRコードの知財戦略について考えてみました。
デンソーの行った知財戦略は、単にQRコード及びその読取装置の特許を取得したというものではありません。事業を意識して特許化又は秘匿化をする技術を選択しています。さらに、特許化しても一部はオープンにしたり、ライセンスしたりし、ライセンス先にはノウハウの開示も行っています。
その結果、事業目的である「QRコードを普及させる」を達成できたことを疑う余地はないでしょう。
まさに、事業と知財との連携が成功した事例かと思います。

一方で、知財が事業を理解していなかったらどうなっていたでしょうか?知財が事業を理解していなかったとしても、QRコードの新規性・進歩性には関係がないため、特許権は取得できます。すなわち、知財単体としてはある意味で成功でしょう。
しかしながら、QRコードの特許権をオープン化やライセンス等せずに、第三者に対して警告等の権利行使を行ったとしたら、QRコードは広く普及せずに、事業目的を達成することはなかったでしょう。
これでは、知財としては成功であるものの、事業としては失敗ということになります。知財は事業を成功させるためにあるものですから、もしそのような結果になってしまったら知財の意味がありません。知財は事業を成功に導くものであり、事業無くして知財はあり得ないと考えます。

このように、デンソーのQRコードの知財戦略は、事業を成功させるための知財の役割を理解するための好例であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年6月20日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(3)


前回は「QRコードそのもの」の知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめて解説しました。今回はQRコードの「読取装置」の知財戦略を自在戦略カスケードダウンに当てはめて解説します。

前々回のQRコードの普及から考える知財戦略(1)において、事業戦術を下記の3つとしました。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

このうち、(3)がQRコードの読取装置を知財とする場合に考慮にすべき事業戦術であると考えます。すなわち、読取装置に対する知財目的は「QR市場に提供することで事業収益を得る」ことになります。
このように、デンソーは、QRコードそのものを無償で誰でも使用できる環境を作る一方で、その読取装置に関しては無償とはせずに、デンソーが有償で提供することで収益を挙げるという事業戦術を立案しました。

では、この知財目的を達成するための知財戦略をどのようになるでしょうか。
上記論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供することにし、QRコードの読み取り装置をクローズにした。
事業収益を得るためには、やはり、QRコードのように読取装置の技術をオープンにすることはできません。 他社が同様の読取装置の製造販売を行い、その結果、QRコードが普及したとしてもデンソーは十分な利益を挙げることができない可能性があるためです。
そうすると、「読取装置の技術をクローズとする」これが読取装置の知財戦略となるでしょう。

技術情報のクローズ化、これは二通りのやり方があります。
特許化と秘匿化です。読取装置の技術と一言で言っても、様々なものが有ります。どのようの技術を特許化又は秘匿化するのか、この選択が知財戦術となります。

これに関連して、上記論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
読み取り装置の核となる画像認識技術は特許出願せずに秘匿化し、それ以外の読み取り装置に関しては特許を取得してライセンス提供する方針を採った。
このことから、知財戦術として下記の2つが選択されたことが分かります。
(1)読取装置の画像認識技術は秘匿化
(2)画像認識技術以外はラインセンスを目的とした特許出願

このように、デンソーは読取装置の技術を見極め、かつ収益の源泉を想定して、技術ごとに権利化、秘匿化を選択しました。特に読取装置の技術は、プログラムに関するものであり、他社によりリバースエンジニアリングが難しいので秘匿化には大きな意味があります。

ここで、プログラムであっても自社で開発した新規技術の多くを特許化するという方法を選択する企業があります。そのときの知財担当者は、特許化したところで他社による侵害発見が困難であることを認識しています。しかしながら、他社に同じ技術を特許化されると困るという理由で特許出願します。その結果、単に自社開発技術を公開しているに過ぎない場合も多いでしょう。
一方で、QRコードの読取装置に関して、デンソーは事業の収益を挙げることを目的として、技術内容に応じて特許化と秘匿化とを選択しており、正に事業を意識した知財といえるでしょう。

また、面白いことに、デンソーは特許化した技術はライセンスするという戦術を選択しています。QRコードそのもを無償としているのであれば、読取装置は自社のみが市場に提供することでより多くの収益を挙げることを選択しそうなものです。

しかしながら、デンソーは読取装置の特許をライセンスしています。なぜでしょうか?
ここからは想像なのですが、読取装置をデンソーのみが製造販売するという市場を形成してしまうと、他社はQRコード市場で収益を挙げることができません。
そこで、QRコードのような2次元コードの優位性を認識した他社は、QRコードとは異なる独自の二次元コードを開発する可能性があると思われます。そうすると、2次元コードの市場がQRコードと他のコードに分裂し、結果的にQRコードの市場が十分に拡大しないということをデンソーは懸念したのではないでしょうか?
一方で、読取装置の特許をライセンスすることで、他社もQRコードの読取装置を製造販売して収益を挙げることができます。そうすると、他社はQRコードとは異なる2次元コードを開発するよりも、デンソーからライセンスを受けることでQRコードの市場に参入する方が低いリスクで収益を挙げることができます。
この結果、2次元コード=QRコードという市場が確立し、QRコードはより普及の度合いを高めることができ、結果的に、デンソーは読取装置による収益増を得られるという、事業戦略だったのではないでしょうか?

また、デンソーは画像認識技術を特許化、すなわちライセンスの対象とせずに秘匿化しています。この画像認識技術は、デンソーが他社に比べて優位性を保つことができる技術という位置付けでしょう。
すなわち、特許化した読取装置の技術は、QRコードを読み取るための最低限の技術であり、ライセンスを受けた他社はデンソーの読取装置よりも優れた読取装置を製造販売することは難しいでしょう。
そうすると、より精度高くQRコードを読み取りたい顧客企業はデンソー製の読取装置を選択することになります。この結果、デンソー製の読取装置は他社製の読取装置と差別化でき、収益にも貢献するのでしょう。

このように、デンソーは、QRコードの読取装置に関して、特許化、秘匿化を巧みに選択し、かつ他社へのライセンスにより読取装置で得られる利益の最大化を図ったと考えられます。

次回は、QRコードのブランドを守るための戦略や、その後の戦略について述べます。

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2021年6月13日日曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(2)


前回述べたように、QRコードは読取装置によって読み取られるものであるため、技術要素としては「QRコード」と「読取装置」とのように2つがあります。
今回は、技術要素としての「QRコード」を知財戦略カスケードダウンにあてはめ、「QRコード」の知財目的・戦略・戦術について述べます。
前回のQRコードの普及から考える知財戦略(1)において、事業戦術を下記の3つとしました。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

このうち、(2)がQRコードを知財とする場合に考慮にすべき事業戦術であると考えます。すなわち、QRコードに対する知財目的は「誰もが自由に安心して使える環境作り」を達成することと考えられます。

では、この知財目的を達成するための知財戦略をどのようになるでしょうか。
上記論文における「3.3 普及のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。
誰もが自由に安心して使える環境作りで、上記以外にQRコードの特許を以下のように活用した。QRコードの利用者には特許権利をオープンにし、QRコードの模倣品や不正用途に関しては特許権利を行使して、市場から排除する方針を採った。
上記記載には、QRコードの特許権取得までが記載されていますが、これは後述する知財戦術にあたると考えます。知財戦術として特許権の取得するに至る考えが知財戦略であり、上記記載からは知財戦略として下記の2点が考えられます。

(1)利用者にはQRコードをオープンにする。
(2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。

これにより、知財目的である「誰もが自由に安心して使える環境作り」を達成することとなります。なお上記(1)と(2)は一見して相反するものとも思えますが、これを達成するための具体的な方策がQRコードに対する知財戦術となり、既に述べているように「QRコードの特許権取得」となります。

ここでQRコードの特許権取得は、「QRコードをオープンにする」という知財戦略からすると、特許出願に対する労力や費用、さらに特許権の維持コストを鑑みるとデンソーにとっては無駄なようにも思えます。単に技術をオープンにするのであれば、特許権取得は不要であり、かつ技術をオープンにするだけでは当該技術から直接的な収益を挙げることはできないためです。
しかしながら、上記論文の記載の続きには下記のように記載されています。
また、特許権を取得したことで、他の特許侵害で訴えられない証明となり、ユーザが自由に安心して使える環境を提供した。
このように、デンソーが特許権を取得し、かつその使用をオープンとすることでユーザは安心してQRコードを使用することができるようになります。ある意味で、デンソーがユーザを守ることとなり、QRコードの特許権取得は「誰もが自由に安心して使える環境作り」という知財目的の達成に寄与します。

さらに、QRコードの模倣品や不正用途に対しては、特許権を行使することで排除することが可能となります。これは、知財戦略の「(2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。」を達成することとなります。このようなデンソーによる特許権行使は、QRコードを正しく利用しているユーザにとっても、より安心感のある情報コードという信頼を守ることとなります。このことは、まさにQRコードのブランドを守ることになるでしょう。

なお、上記論文のp.27の議論2に下記記載があり、デンソーは実際に特許権を用いてQRコードの模倣品排除を行っていたようです。
模倣品や不正用途を発見した場合は、当社の特許権利を侵害していると警告し、警告しても止めなければ権利行使することにしていました。これまでに、模倣品で1件だけ警告したことがあります。
以上説明したように、デンソーはQRコードの特許権を取得しました。しかしながら、特許権取得の目的が明確であるため、権利行使を行う相手も明確となっています。もし、特許権取得の目的が明確になっていなかったら、又は特許権取得の目的を理解していなかったQRコードの普及はどうなっていたでしょうか?
同じ特許権の取得であっても、その目的が明確になっている場合とそうでない場合には、その事業が全く異なる結果になるかもしれません。

次回は、QRコードの事業で利益を得るための知財戦略、すなわち知財戦略カスケードダウンにおける「読取装置」の知財目的・戦略・戦術について解説します。

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2021年6月7日月曜日

QRコードの普及から考える知財戦略(1)

(株)デンソーが開発した2次元コードであるQRコードを使ったことがない、若しくは見たことがないという人はいないでしょう。それくらい、QRコードは広く普及している情報コードです。
このQRコードの普及に関して、「QRコードの開発と普及-読み取りを追求したコード開発とオープン戦略による市場形成-」という論文が発表されています。

今回は、このQRコードに関する知財戦略について、上記論文を参照して知財戦略カスケードダウンに当てはめてみたいと思います。なお、知財戦略カスケードダウンの概要については、パテント誌2021年4月号に掲載の「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」に記載しています。

QRコードの戦略について、その概要が経済産業省のHP「標準化ビジネス戦略検討スキル学習用資料」にある「標準化をビジネスで⽤いるための戦略」の12ページに下記のように端的に記載されています。
・ (株)デンソー(現︓(株)デンソーウェーブ)は、物品流通管理の社内標準であったQRコードを普及させるため、基本仕様をISO化。必須特許はライセンス料無償で提供することで市場を拡⼤。
・QRコードの認識やデコード部分を差別化領域とし、QRコードリーダ(読み取り機)やソフトウェアを有償で販売し、QRコードリーダーでは国内シェアトップを獲得。
・QRコード⾃体が普及すれば収益が上がるビジネスモデルを確⽴。
QRコードは、その読取装置とセットになって初めて機能するものです。
そこで、デンソーは、QRコードを自由技術化し、読取装置の販売等によって利益を挙げるというビジネスモデルを選択しました。このような戦略を実現するために、デンソーはQRコードや読取装置に関する特許権を取得しています。下記の特許権がそれらの基本特許であると思われます。

<QRコード>
特許第2938338号
(出願日:平成6年(1994)3月14日)
【請求項1】  二進コードで表されるデータをセル化して、二次元のマトリックス上にパターンとして配置した二次元コードにおいて、 前記マトリックス内の、少なくとも2個所の所定位置に、各々中心をあらゆる角度で横切る走査線において同じ周波数成分比が得られるパターンの位置決め用シンボルを配置したことを特徴とする二次元コード。
<読取装置>
特許第2867904号
(出願日:平成6年(1994)12月26日)
【請求項1】  2進コードで表されるデータをセル化して、2次元のマトリックス上にパターンとして配置し、マトリックス内の、少なくとも2個所の所定位置に、各々中心をあらゆる角度で横切る走査線において同じ周波数成分比が得られるパターンからなる位置決め用シンボルを配置した2次元コードを読み取るための2次元コード読取装置であって、・・・

このように、QRコードに関する「技術要素」(「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」でその概念を説明しています。)として「QRコード」そのものと「読取装置」のように2つあることが理解できます。
そして、QRコードは、特許権を取得したものの誰でも使えるように自由技術化(オープン)する一方、読取装置は収益をあげるために権利化及び秘匿化(クローズ)しています。このように、QRコードの普及とそれに伴う収益を目的として、オープン・クローズ戦略をデンソーは行いました。

QRコードの普及と収益に関するオープンクローズ戦略は、何もないところからいきなり現れたわけではありません。そこには、事業としてのアイデアがあり、そのアイデアを実現するためにオープンクローズ戦略が選択され、発明に対して権利化、秘匿化、自由技術化(三方一選択)が行われたのでしょう。

その流れがまさに知財戦略カスケードダウンであり、以下ではQRコードの知財戦略をこれに当てはめます。
まずは、事業についてです。
上記論文の「QRコードの開発と普及-読み取りを追求したコード開発とオープン戦略による市場形成-」におけるp.20左欄の「3.1 開発コンセプトと開発目標」には以下の記載があります。
どのようなに優れたコードを開発しても、社会に広く実用化されなければ企業としては成功と言えない。そので、QRコードを世界中に普及させる目標を持ち、以下のコンセプトでQRコードを開発した。
このことから「QRコードを世界中に普及させる」ことが事業目的となるでしょう。

また、上記論文のp.21右欄の「3.3 普及のシナリオ」には以下の記載があります。
どんなに良いコードを開発しても、インフラが整備され、誰もが自由に安心して使えなければ普及しない。特にインフラ整備は当社だけでは困難であり、また普及に時間が掛かると他の2次元コードや新しい技術が浸透する可能性がある。そこで、普及フェーズでは多くの企業にQR市場への参入を促し、インフラ整備に協力してもらい、早期にQR市場を形成させることが鍵になると考えた。
このことから「誰もが自由に安心して使えるようにすると共に、早期にQR市場を形成させる」ことが事業戦略となるでしょう。

そして、上記論文の「3.3 普及のシナリオ」と「3.4 事業化のシナリオ」から事業戦術は下記の3つであると考えます。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう。
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

デンソーは、この事業戦術のうち(2)と(3)に対して知財を用いることでより良い形で実現したと思います。

次回では、知財戦略カスケードダウンにおけるQRコード及びその読取装置に対する知財目的・戦略・戦術について説明します。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2021年4月25日日曜日

アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(3 最終回)

前々回はアサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略(1)です。

<パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>

ここまでは、”生ジョッキ缶の市場独占”を事業戦術として選択する場合を想定しました。
一方、自社だけでは生ジョッキ缶市場の拡大が難しいと考え、他社に生ジョッキ缶市場の参入を促すことで市場の拡大を図ることを事業戦術とする可能性もあるでしょう。市場拡大によって他社との競争が発生しますが、他社に対して自社の優位性を保つことで、市場独占よりも大きな売り上げの増加を狙います。これがパターン3です。

以下にパターン3における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

・事業
目的:新規な製品により缶ビールの販売増
戦略:缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
戦術:フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
   泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
   他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大     

・知財
目的:他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大
戦略:技術を公開しつつ、自社の優位性を保てる技術は特許権を取得
戦術:自由技術(フルオープン缶の形状、炭酸ガス圧の数値範囲)
   権利化缶内面の凹凸の優位性を保てる数値範囲
他社の参入を促して市場を拡大するためには、知財戦略として発明の”自由技術化”が選択されるでしょう。自由技術化は、換言すると権利化を伴わない技術の開示です。
技術の開示は、経営方針に記載されているような開示やホームページによる開示、自社が発行する技術文献による開示があります。また、特許出願による開示もあります。

特許出願は特許権を取得するために行うものですが、特許請求の範囲の技術的範囲に含まれない技術は他社が自由に実施可能な技術となります。そうすると、自社製品が優位性を保てる技術に対して特許権を取得する一方で、他社が当該製品を製造可能な程度の技術は権利取得しないという選択もあります。
これにより、他社による当該製品の市場参入を促す一方で、自社製品の優位性を保つ技術を権利化して他社製品との差別化を行い、市場拡大による自社利益の最大化に貢献できると考えられます。

これを生ジョッキ缶に当てはめるて考えます。
まず、フルオープン缶の形状は、生ジョッキ缶に必須の形状であると考えられます。これを権利化してしまうと、他社は生ジョッキ缶市場へ参入し難くなるため、権利化は行わずに自由技術化とします。

そして、特許出願によりアサヒビールは自社が他社に対して優位性を保てると考える”缶内面の凹凸の数値範囲”、具体的にはより効果的に泡立ちを発生させることができる数値範囲で特許権を取得することを目指します。
一方で、特許請求の範囲に含まれない数値範囲、すなわちそれなりに泡立たせることができる凹凸の数値範囲は自由技術とし、他社による生ジョッキ缶の市場参入を促します。また、炭酸ガス圧や凹凸を形成するための塗料の組成や焼き付けに関する技術も開示し、より他社が実施し易いようにすることも考えられます。

以上のように、新規な製品カテゴリ(新ジャンル)であれば、敢えて技術情報の一部(他社の市場参入を促す技術情報)を自由技術化することで市場の拡大を図ることが考えられるでしょう。そして、拡大した市場の中で優位性を保てる技術を権利化することで、当該市場に占めるシェアを大きくし、その結果、市場を独占する場合よりも大きな利益を得ることを目指すという知財戦術も考えられます。

なお、このような発明の自由技術化は市場の拡大に役立つと考えられる一方で、他社が自社よりも良い製品を販売することで、自社のシェアが大きくならず、結果的に市場を独占した場合よりも利益が小さくなる可能性も想定されます。このため、自社の技術力及びブランド力等も鑑みて、市場独占又は市場拡大を選択することになるかと思います。


<まとめ>

本ブログではアサヒビールの生ジョッキ缶に対して、市場独占のための特許化、市場独占のための秘匿化、市場拡大のための自由技術化と特許化、とのように3パターンの知財戦術を検討しました。

ここで、発明を特許出願して独占排他権を得ることができれば、事業に対して非常に有益です。しかしながら、特許出願は技術を公開することになるので公開リスクがあります。もし、安易な特許出願を行うと他社に技術を教えることになり、事業戦術(知財目的)とは異なった結果を招く可能性もあります。

一方で、発明を秘密にすることも十分な検討が必要です。自社製品をリバースエンジニアリングすることで容易に知り得る技術は実質的に秘密にできません。また、他社が比較的容易に思い付きそうな発明は他社に特許権を取得される可能性があります。そのような発明に対しては秘匿化よりも特許化のほうが良いでしょう。

さらに、自由技術化は発明を世に広めるためには良いですが、自社開発技術を他社に自由に使用させることになるので、最も慎重になる必要があります。なお、自由技術化にしても、権利を取得したうえで、権利行使を行わないことを宣言することで実質的に自由技術化することもできます。

このように、発明を知財として扱う場合には、権利化、秘匿化、又は自由技術化の3種類しか選択肢はありませんが、その選択を事業に基づいて適切に決定するというものが、このブログで提案している知財戦略カスケードダウンです。

ここで、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術としては、個人的にはパターン2のようなものが適しているのではないかと思います。
アサヒビールの生ジョッキ缶は話題性も高く、すぐに販売中止となるような人気です。おそらく、アサヒビール以外の他社も生ジョッキ缶と同様の製品の販売を目指すことになるでしょう。
その場合、既にアサヒビールが開示している缶内面の凹凸等の技術情報や、今後発行される特許公開公報で開示される技術情報は最も参考になる資料となります。
ところが、特許権は審査を経て取得されるものですので、既述のように最終的にどのような権利を得ることが出来るのかわかりません。そのため取得した特許権が思ったような技術的範囲とならない可能性もあります。

一方で、生ジョッキ缶の凹凸に関する情報を秘匿化しても、遅かれ早かれ他社も同じ技術に達する可能性は高いと思いますが、販売までにそれ相応の時間を要すると思います。このため、他社が同様の製品を販売するまでの間に、”生ジョッキ缶=アサヒビール”とのようなイメージを消費者に植え付け、自社製品の優位性を高めた状態にし、他社が参入したとしても高いシェアを維持するという戦術が取れると思います。
すなわち、生ジョッキ缶で高い利益を維持することを目的として、”技術的優位性”から”ブランド優位性”に知財戦略・戦術を変化させる時間的余裕を得ることができるでしょう。

以上のようにアサヒビールの生ジョッキ缶は、技術的にも興味深いものであり、缶ビールの新しいジャンルとも捉えることができる面白い題材であるので、このブログで提案している知財戦略カスケードダウンに当てはめて検討してみました。
アサヒビールの生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術が一体どのようなものであるのかはわかりませんが、今後、特許公開公報が発行されることで、どのような技術の権利化を狙っているのかが分かり、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術を理解できるかもしれません。また、他社が生ジョッキ缶と同様の製品を製造販売するか否か、それに特許がどのような影響を与えているのかも分かるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信