前回紹介した新日鉄から韓国のPOSCOへ電磁鋼板に係る営業秘密が流出した事件の民事訴訟の地裁判決(東京地裁平成31年4月24日判決 事件番号:平29(ワ)29604号)の続きです。
本事件は、POSCOへ営業秘密を流出させた元従業員に対して新日鉄が提訴したものであり、新日鉄が勝訴しています。
本事件では、当然のことながら当該営業秘密の3要件(秘密管理性、有用性、非公知性)も裁判所において認められています。
ここで、本事件の秘密管理性に対する裁判所の判断について検討します。
個人的な意見を先に述べますと、本事件における裁判所の秘密管理性の判断は少々甘いのではないかと感じます。
まず、原告である新日鉄の秘密管理性に関する主張は下記の通りです。
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ア 原告独自の電磁鋼板の製造技術・ノウハウは,世界最高品質の電磁鋼板を作り出すために,長年の研究開発によってようやく獲得された,原告にとって特に重要な製造技術・ノウハウである。原告は,機密保持規程(甲3)により,原告の電磁鋼板工場の全設備を社内で最も厳格な秘密管理が求められる●(省略)●このように,原告は,本件技術情報を含む電磁鋼板の製造技術・ノウハウを,極めて秘匿性の高い情報として管理・保持してきた。また,電磁鋼板の製造技術・ノウハウに関する資料に触れることができる者は,原告の従業員の中でも,電磁鋼板の製造や研究開発に関与するごくわずかな従業員に限定されている。
イ 被告は,原告の機密保持規程の内容は形式的なものにすぎず,このような内容の実態を伴うものではなかった旨を主張するが,何ら客観的な根拠がない。むしろ,被告も,公証人の面前でその内容の真正について宣誓した上で作成された被告自身の陳述書(甲59)において,原告の方向性電磁鋼板に関する情報が原告において厳しい管理状況に置かれていたこと,更には,方向性電磁鋼板に関する情報は極めて重要な秘密情報であって,その取扱いにあたっては厳重な管理が要請されることを被告自身が認識していたことを自ら認めている。
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新日鉄は、主として機密保持規定に基づいた秘密管理性を主張していると思われます。また、電磁鋼板の製造技術・ノウハウに関する資料に対して、特定の従業員にしか触れられないように制限を行っていたようです。
ここで、この機密保持規定がどのような規定であるかは、裁判所の判断で下記のように述べられています。
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ウ 機密保持規程においては,●(省略)●電磁鋼板工場に関わる技術情報について,●(省略)●審査を受けなければならず,●(省略)●業務上の必要以外の立入りは原則として認められていない(甲3)。
エ 被告は,原告から,方向性電磁鋼板に関する情報は,極めて重要な秘密情報であるため,一定の者以外は電磁鋼板工場へ入ることはできない等,厳しい管理状況に置かれており,被告が方向性電磁鋼板に関する業務に携わる際に,十分に注意して管理するよう指導を受けていた(甲59)。
そして,被告は,日鐵プラント設計に転籍するにあたり,原告との間で,「●(省略)●」と題する書面を作成して,原告在職中に知り得た業務上の秘密を原告の同意なく第三者に開示又は漏洩しないことなどに同意したほか,日鐵プラント設計との間で,日鐵プラント設計在職中においても,その期間中に知り得た資料・情報について秘密を保持する旨の覚書を締結した(甲63ないし65)。
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個人的には、新日鉄のような大企業として、このような秘密管理は少々甘いのでは無いかと思います。
上記「ウ」のような内容では、具体的にどの技術情報(営業秘密)がどのように秘密管理されているのか判然としません。
また、「エ」の元従業員との間で締結した覚書も包括的なものでしょうから、電磁鋼板に係る技術情報が営業秘密であるのような認識を元従業員に与えるものでしょうか?
ここで、秘密管理性の判断において、秘密保持契約や秘密保持規定、秘密保持義務の項目のある就業規則は、原告企業が小規模の場合にはそれを持って当該営業秘密の秘密管理性が認められる易いと思われます。一方で、膨大な情報を取り扱う大企業が原告である場合、秘密保持契約等を従業員と締結していてもそれが包括的なものであり、秘密保持の対象となる情報が何であるかを特定できていない場合には、秘密保持契約等のみだけでは当該情報に対する秘密管理性は認められ難いのではないかと思われます。
これに対して、被告である元従業員は、以下のように主張しています。
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被告が勤務していた●(省略)●の技術資料保管室には,電磁鋼板以外の部門の資料とともに電磁鋼板に係る資料が保管されており,電磁鋼板の製造や研究開発に関与する従業員以外のどの従業員でも,当該資料を閲覧・入手することが可能な状態であった。また,被告が在籍していた当時から,退職したOBが会社を訪れ,資料を閲覧したいと言って同保管室に入室するケースも散見されていた。さらに,過去の役職が上位であったOBが来社した際には,技術的な議論を行うとともに,在籍している従業員に指示した上で,資料の閲覧やコピーを行っていた。
また,在籍している従業員も,自宅で作業を行う際には,電磁鋼板に係る資料を持ち帰ることがしばしばあり,厳格な管理等が行われておらず,一般的な社内情報と同等の取扱いがなされるにすぎなかった。
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この元従業員の主張で最も気になることは下線部の箇所ですが、このことが事実であれば、機密保持規定により示される秘密管理は形骸化していたと判断され得るようにも思えます。
そして、裁判所は秘密管理性について下記の様に判断しています。
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原告は,機密保持規程に基づき,本件技術情報を含む電磁鋼板工場の全設備について●(省略)●機密性が著しく高い●(省略)●扱いとし,被告に対しても秘密保持の書面を提出させるなどの秘密管理の努力をしてきているのであるから,本件技術情報は,秘密として管理されている技術上の情報であると認められる。
これに対し,被告は,原告の電磁鋼板工場の全設備が●(省略)●これは形式的なものにすぎず,機密保持規程に定められたような内容の実態を伴うものではなかった旨を主張するが,このような事情をうかがわせる証拠は何ら提出されていないから,被告の主張は採用することができない。
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このように裁判所は、まず、原告が「秘密管理の努力」をしたのであるとして、秘密管理性を認めています。
これは少々驚きです。各営業秘密に対して、具体的にどのような秘密管理をしていたのかというよりも、裁判所は、総合的な「秘密管理の努力」を認め、それをもって秘密管理性を認めているようです。
このように裁判所が「秘密管理性の努力」によって秘密管理性を認めた判決が過去にあったのかを「努力」というキーワードでざっと調べました。
そうしたところ、裁判所が「秘密管理性の努力」により秘密管理性を認めた判決はありませんでした。
一方で、秘密管理性に係る原告の主張において「右書類には、部外秘等の表示はなかったが、本件情報の取得方法、競業行為の態様、機密性の認識可能性等の事情に照らすならば、原告は、本件情報の秘密保持のための合理的努力を行っていたといえる。」(平成11年7月19日東京地裁_平成9(ワ)2182号)とのように、原告自身が「秘密管理性の努力」を主張した裁判例はありました(他に1件、京都地裁平成13年11月1日(平成11(ワ)903号))。
しかし、いずれも裁判所は秘密管理性について認めませんでした。
そして、本事件では被告の主張は証拠がないとして採用されていません。しかしながら、裏を返すと「電磁鋼板以外の部門の資料とともに電磁鋼板に係る資料が保管されており,電磁鋼板の製造や研究開発に関与する従業員以外のどの従業員でも,当該資料を閲覧・入手することが可能な状態であった。」等の証拠を被告が提出できた場合には、原告が主張する秘密管理性は否定される可能性があるということなのでしょう。
個人的には、被告の主張は具体的な感じもするので、証拠は提出できないものの事実であったのではとも思えます。
以上のことからすると、本事件は新日鉄の主張が全面的に認められているものの、判決文を読んだ限りでは、秘密管理性について非常に危ういものを感じます。
もしかすると、本事件が新日鉄とPOSCOとの事件でなければ、当該営業秘密に対する秘密管理性は認められなかったのではないかとも思えてしまいます。
弁理士による営業秘密関連情報の発信