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2024年2月13日火曜日

判例紹介:高裁で無罪判決となった営業秘密侵害事件(刑事事件)その2

前回のブログ記事で紹介した高裁で無罪判決となった事件(札幌地裁令和5年3月17日判決 事件番号:令3(わ)915号)、札幌高裁令和5年7月6日判決(事件番号:令5(う)74号))の続きです。

この事件では、地裁において肯定したものの高裁では否定された秘密管理措置が複数あります。前回のブログでは、本件情報(販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元)を管理する△△システムのIDやパスワードを、地裁では本件情報に対する秘密管理措置として認めたものの、高裁ではそれを認めなかったということを解説しました。

上記の他にも△△システムの画面には「出力データの取扱注意事項」と題する警告画面が表示されており、本事件ではこの警告画面の表示も秘密管理措置となり得るのかが争点となっています。なお、警告画面の表示は以下のようなものであり、「同意します」と記載されたボタンを押下しなければ、情報を出力できない仕組みになっていたようです。
株式会社eが提供するデータの利用範囲は、データ入手元から使用を認められている範囲に制限され、貴社内における経営分析等、通常業務の範囲内に制限されます。したがって、第三者へのデータ提供等は『契約違反』に該当します。
以下の制約事項を遵守することに同意しますか。 
1.貴社内における通常業務の範囲を超えて利用しないものとします。 
2.第三者に開示しないのはもちろんのこと、目的を果たすために必要最低限の役員及び従業員以外には開示しないものとします。
「警告画面」の表示に対して被告の弁護人は以下のようにa社(被害企業)とe社(△△システムのメーカー)との秘密保持契約を示していると主張しました。
前記警告画面の文言と、a社とe社の間で締結された秘密保持等確認書の文言において、第三者へのデータ提供等は「契約違反」に該当するとされており、a社とe社の間の契約を念頭に置いていると考えられること、テキスト形式で出力され、データの加工が可能になる場合に限って前記警告画面が表示される仕組みになっていることなどを理由として、e社がa社の従業員に対して、e社の「秘密情報」の不正使用等を禁止したものと解釈すべきという。
一方で、「警告画面」の表示に対して地裁は以下のように判断し、弁護人の主張を認めませんでした。
得意先電子元帳の情報を出力する際の仕組みについて検討すると、前記前提事実のとおり、出力する際には警告画面が表示され、「制約事項」に同意するかどうかの確認が求められていた。このことは、アクセスする従業員に対し、△△システムの情報の中でも、本件情報を含む得意先電子元帳の情報が、特に厳重に管理されるべき秘密であることを認識させるものであったといえる。

しかしながら高裁はこのような地裁の判断を否定し、以下のように警告画面を秘密管理措置として認めませんでした。この高裁の判断は、弁護人の主張と同様であると思われます。
・・・警告文の主語は、「株式会社eが提供するデータの利用範囲は」となっており、第三者への情報提供等の制限の対象は、△△システムを提供するe社が提供するファイルレイアウト等の秘密情報と解するのが文面上自然であるし、文末が「第三者へのデータ提供等は『契約違反』に該当します。」となっており、ここでいう「契約」は、e社とa社との間の契約を指すとみるのが自然である上、警告画面末尾には、「※詳細については、締結致しました『秘密保持等確認書』をご確認ください。」と付記されていることから、a社からe社に提出された「秘密保持等確認書」(原審甲31添付資料4)をみてみると、その1条2項1号において、第三者への情報提供等が制限される秘密情報の範囲から、a社が△△システムの使用を通じて自ら入力・作成・登録等した純粋な同社固有のデータを明確に除外しており、これに該当する同社固有のデータであると解される本件情報は、前記警告画面が第三者への情報提供等を制限する対象とはなっていないものと認められる。したがって、前記警告画面の趣旨は、所論がいうようにe社のファイルレイアウトなどの秘密情報を保持するところにあるものと解されるから、これをもって、a社自身の秘密管理意思の現れとみることはできないといわざるを得ない。前記警告画面の趣旨がこのように解される以上、確かに、原判決のいうように、同警告画面を見たa社従業員が、本件情報を含め得意先電子元帳機能から出力しようとしている情報を社外の者に漏洩することが禁じられている旨の警告と誤解する場合があることは想像するに難くないところではあるが、そうだかからといって、上記結論を左右するものではない。
このように高裁は「誤解」が生じる可能性があることを認めつつも、警告画面の内容を文字通りに解釈し、本件情報に対する秘密管理措置とは認めませんでした。このような高裁の判断は、秘密保持の対象となる情報が何であるかを厳密に判断した結果であり、妥当なものであると思われます。

なお、本事件において高裁は、被害企業であるa社が各従業員の入社時に誓約書を提出させていることも秘密管理意思の根拠として考え得る、とのように指摘しています。この誓約書について地裁では指摘していないものの、高裁では以下のように誓約書に基づく秘密管理性も否定しています。また、就業規則における秘密管理の規定についても、高裁は下記のように秘密管理措置とは認めていません。
・・・現に被告人Y1がa社に対し提出した平成24年6月6日付誓約書には「貴社の諸規則や命令を必ず遵守します。」「貴社の利害に関する機密、取引先の内情等は一切他言いたしません。」(原審甲21)、被告人Y2がa社に対し提出した平成5年3月21日付誓約書にも「貴社の諸規則や命令を必ず遵守致します。」「貴社の利害に関する機密、取引先の内情等は一切他言致しません。」(原審甲23)との記載が認められる。しかしながら、これらによっても本件情報が上記誓約書における守秘義務の対象か否かその範囲は客観的に明らかになってはおらず、これらをもってa社が、本件情報について秘密として管理する意思を表示していたと認めることは困難である。
さらに、a社の就業規則においては、その9条において、「(27) 会社内外を問わず、在籍中又は退職後においても、会社、取引先等の秘密、機密性のある情報、顧客情報、企画案、ノウハウ、データ、ID、パスワードおよび会社の不利益となる事項を第三者に開示、漏洩、提供しないこと。また、コピー等をして社外に持ち出さない事。」(原審甲4)との規定があり、この点に照らすと、本件情報が社外への持ち出しを禁止されるいずれかの情報に当たると解されるところであるが、a社の従業員に対する就業規則の周知等の手続が適正になされていたかについては疑義が残るところであるし、その他、a社において、営業秘密の取扱いについて、従業員に注意喚起をしていたような事情もうかがえないことにも照らせば、この点をもって秘密管理措置が十分であったということもできない。
以上のように、本事件は、本件情報の有用性及び非公知性、被告人による本件情報も持ち出しも認められているものの、本件情報の秘密管理性は認められず、高裁において被告人は無罪となっています。
一方で、本件情報に対して適切な秘密管理措置さえ行われていれば、被告人は有罪となった事件であると思われます。適切な秘密管理措置とは、決して難しいことではなく、例えば、△△システムを用いて本件情報を表示する際に、本件情報が営業秘密であることを明確に認識させる表示を行う、とのようなことで足り得るものだったと考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2024年1月28日日曜日

判例紹介:高裁で無罪判決となった営業秘密侵害事件(刑事事件)

営業秘密侵害の刑事事件でも、まれに裁判において無罪判決となる場合があります。
今回紹介する事件は、地裁判決(札幌地裁令和5年3月17日判決 事件番号:令3(わ)915号))において有罪であったにもかかわらず、高裁判決(札幌高裁令和 5年7月6日判決(事件番号:令5(う)74号))において無罪となった事件です。

本事件の概要は高裁判決文において以下のように記されています。
本件は、自動車部品の仕入れ及び販売等を業とするa社(以下、略称等は原判決のそれに従う。)の従業員として、同社から同社の営業秘密である同社の販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元帳を示されていた被告人Y1が、(1)Aと共謀の上、不正の利益を得る目的で、令和2年10月27日、被告人Y1が同社の前記得意先電子元帳を管理する同社サーバコンピュータにアクセスし、同得意先電子元帳の、得意先b社及び仕入先c社に係る本件情報①を記録したファイルをa社から貸与されていたパーソナルコンピュータに保存し、その複製を作成する方法で同社の営業秘密を領得し(原判示第1)、(2)被告人Y2と共謀の上、不正の利益を得る目的で、同月28日、被告人Y1が同社の前記サーバコンピュータにアクセスし、同得意先電子元帳の、得意先d社に係る本件情報②を表示し、SNSアプリケーションソフトLINEの画像キャプチャ機能を利用して本件情報②を画像ファイルとして記録してその複製を作成する方法でa社の営業秘密を領得した(原判示第2)という事案である。原判決は、いずれの事実についても有罪と認め、被告人両名をいずれも罰金30万円に処した。
このように、被告人Y1,Y2は、被害企業であるa社の販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元帳のb社、c社、d社の情報(本件情報)を持ち出しています。このように企業の得意先の情報の履歴は一般的には公知とされず、秘密として扱う企業も多いかと思います。
なお、被告人Y2はa社の元従業員であり、その後にf社を設立しています。また、上記で登場するAもa社の元従業員であり、その後にf社に入社して営業を担当していました。そして、被告人Y1,Y2及びAは「f社」という名のLINEトークグループを作成し、データのやり取りをしていたようです。

ここで、地裁、高裁共にa社の本件情報に対する有用性、非公知性を認めているものの、地裁と高裁とでは本件情報に対する秘密管理性の判断が異なるものとなりました。

まず、地裁による秘密管理性の判断は以下のようなものでした。
△△システムへのアクセス方法について検討する。本件情報は△△システムで保管されていて、本件情報にアクセスするためには、a社共通のアカウントに加え、個々の従業員のログインID及びパスワードの入力が求められる仕組みとなっていた。△△システム起動のためのUSBキーは従業員用パーソナルコンピュータに事実上挿したままの状態であったとはいえ、アカウント等の管理により本件情報にアクセスできる者を従業員に限定していたといえる。実際には、a社のアルバイトや委託業務者も△△システムを使用していたが、△△システムを立ち上げる際には従業員がIDやパスワードを入力しており、アカウント等を用いた本件情報へのアクセス制限の実効性が失われていたとはいえない。また、アルバイトらが△△システムを使用し本件情報にアクセスすることができる状態にあったとしても、これらの者はa社の指揮監督に従って同社の業務に従事している点では従業員と同様の立場であり、また、これらの者が△△システムを使用するのは伝票再発行等の業務上必要な場合であった。
以上のような△△システムへのアクセス方法は、△△システムで保管されている本件情報が秘密であることを十分認識させるものであったといえる。
地裁では、本件情報へアクセスするためには△△システムにIDとパスワードを入力しなければならず、それを持って本件情報の秘密管理性を認めたようです。


一方で、高裁による秘密管理性の判断は以下のようなものです。
まず、本件情報は△△システム内の得意先電子元帳内に保管されていた情報であるところ、△△システムにアクセスする際には、原判決が適切に認定しているとおり、USBアクセスキーを挿入し、企業認証ログイン画面において、a社共通の企業認証アカウントを入力し、更に従業員ログイン画面において、各従業員に付与されたIDとパスワードを入力するといった手順が要求されている。もっとも、△△システムには、本件情報のような営業秘密にかかわるものに限らず、在庫数や日報といった機能も搭載されており、上記の手順は、本件情報を含む営業秘密に属する情報へのアクセスのみならず、△△システムに搭載された諸機能を利用するために要求される手順にすぎないとも考えられる。また、△△システムは、上記のように多岐にわたる機能が搭載されているため、a社の従業員であれば、自己に付与されたID及びパスワードを用いてアクセスすることができ、得意先電子元帳自体にアクセスする際に新たにパスワード等の入力を求めるなどといった制限は設けられていなかった。そうすると、本件情報を含む得意先電子元帳に記録されている情報に接する従業員において、a社が当該情報をその他の秘密とはされない情報と区別し、特に秘密として管理しようとする意思を有していることを明確に認識できるほど、客観的な徴表があると認めることはできず、△△システムにアクセスする際に、IDやパスワード等を入力するなどの手順を要するということのみでは、a社が十分な秘密管理措置を講じていたと認めることはできないというべきである。
このように高裁では、△△システムにアクセスするためにはIDとパスワードの入力が必要であることを認めているものの、△△システムは本件情報だけでなく在庫数や日報といった機能も搭載されていることをもって、本件情報の秘密管理性を認めませんでした。
すなわち、△△システムを用いて従業員がアクセスできる情報には、本件情報だけでなく様々な情報が含まれるため、△△システムのIDとパスワードは本件情報に対する秘密管理措置とは認められないと判断したようです。
このように、営業秘密と主張する情報とその他の情報が混在して管理されていたために、営業秘密とする情報に対する秘密管理性を従業員等が認識できないとして、当該情報の営業秘密性が認められなかった例は他にもあります。

例えば、民事事件である接触角計算プログラム事件 (知財高裁平成28年4月27日、事件番号:平成26年(ネ)10059等、東京地裁平成26年4月24日判決等)です。
この事件は、被控訴人(一審原告)が営業秘密と主張する原告アルゴリズムが表紙中央部に「CONFIDENTIAL」と大きく印字され,各ページの上部欄外に「【社外秘】」と小さく印字された本件ハンドブックに記載されていました。このような措置は一見、原告アルゴリズムに対する秘密管理措置とも思われます。
しかしながら、本件ハンドブックは、公知の他の情報も記載されており、また、本件ハンドブックを顧客にも見せていたため、従業員は本件ハンドブックのどの部分の記載内容が秘密であるかを認識することが困難であった、として本件アルゴリズムの秘密管理性が否定されました。

今回の刑事事件は、まさに接触角計算プログラム事件と同様の判断であり、過去の判例に基づくと、無罪判決とした高裁の判断は妥当であるとも思われます。
このように、営業秘密とする情報は、それが秘密であることを従業員が認識できるように直接的な秘密管理措置を行う必要があります。本事件の例では、△△システムで営業秘密とする本件情報を管理するのであれば、△△システムを介して本件情報にアクセスして場合にはに、本件情報が秘密であることを認識させるためのアラート等を発したり、画面の分かり易い位置に秘密であることを示す表示を行う等の措置が必要であったと思います。

なお、地裁において被告人の弁護人は、下記のように高裁の判断と同様の主張を行っていました。しかしながら、地裁は弁護人の主張を認めなかったという経緯もあります。すなわち、高裁は、地裁のこのような判断を真っ向から否定したものとなります。
弁護人は、各従業員に割り当てられていたIDとパスワードは、在庫数や日報といった機能を含めた△△システムのシステムを使用するためのものにすぎず、得意先電子元帳にアクセスするためのものではないから、本件情報を秘密として管理しているとはいえないと主張する。しかし、△△システムへのアクセスを制限することは、本件情報も含めて△△システムで管理されている情報についてアクセスを制限していることにほかならない。弁護人の主張が、本件情報のみに限定して管理する措置が必要という趣旨であるとすれば、そのように限定する理由はないというべきであり、前記のとおりの本件情報の性質や後記の警告画面等の事情と相まって、本件情報の秘密管理性を十分根拠付けるものというべきである。
弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2024年1月18日木曜日

判例紹介:従業員が会社に秘密保持誓約書を提出しなくても秘密管理性が認められた事例

所属している会社から秘密保持誓約書の提出を求められる場合があるかと思いますが、秘密保持誓約書を提出しなければ、会社の営業秘密を持ち出しても大丈夫なのでしょうか。
東京地裁平成14年12月26日中間判決(事件番号:平12(ワ)22457号)はこのような事例について争った裁判例です。

本事件は、人材派遣事業等を行う原告会社の元従業員であった被告A及びBが人材派遣事業等を行う被告会社を設立し、被告A及びBが原告の営業秘密である派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報を被告会社に不正に開示したというものです。なお,被告A及びBは各々、原告会社の取締役営業副部長、原告会社の取締役営業部長でした。

まず、裁判所は、派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報が原告会社においてコンピュータとスタッフカード(帳簿)によって管理されており,その両方において下記のように秘密管理性を認めました。
本件においては,上記ア(ア)~(ウ)に認定のとおり,派遣スタッフ及び派遣先の事業所の情報が様々な形態で存在するが,このうち,上記情報のコンピュータにおける管理状況は,ア(ア)に認定したように,秘密であることの認識及びアクセス制限のいずれの点でも,秘密管理性の要件を満たすものと認められる。・・・
これらのスタッフカードについては,利用の必要のある都度,コーディネータあるいは営業課員により複写機でコピーが作成されて,営業課員がこれを持ち歩くこともあったというのであるが,これらのコピーの作成とその利用は,スタッフカードのうちの数名分について一時的に行うものであって,・・・,業務の必要上やむを得ない利用形態と認めることができる。また,営業課員が自分の手帳等に自己の担当する派遣スタッフや派遣先事業所に関する情報を転記して携帯していたことも認められるが,・・・,その必要上やむを得ない利用形態と認められる。他方,前記ア(エ)において認定したとおり,原告会社では,派遣スタッフや派遣先事業所の情報の重要性やこれらを漏洩してはならないことを研修等を通じて従業員に周知させていたうえ,該当部署の従業員一般との間に秘密保持契約を締結して秘密の保持に留意していたものである。

一方で被告A及びBは、原告会社から求められた秘密保持誓約書を提出していませんでした。このため、被告A及びBは、原告会社が一部の従業員から秘密保持誓約書を徴していたとしても、派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報を秘密と認識できた根拠とはならない、とのように主張しました。被告A及びBが秘密保持誓約書を提出しなかった点に関して、裁判所は下記のように判断しました。
なお,被告B及び被告Aは,誓約書を差し入れていないが,他の従業員との間に秘密保持契約を締結した当時,被告Bら両名は既に取締役であったためにたまたま誓約書を差し入れていないというにすぎず,上記情報の重要さについては一般の従業員以上に知悉していたというべきであるから,このことをもって秘密として管理されていないとはいえない。
そして裁判所は、原告会社が保有する営業秘密を被告A及びBが使用して被告会社に開示した行為、及び被告会社が被告A及びBから各情報の開示を受け、これを取得して使用した行為はいずれも不正競争行為に該当すると判断しました。

本事件では、被告A及びBが秘密保持誓約書を提出していなかったものの、原告会社に所属していたときの被告A及びBの役職(取締役営業副部長又は取締役営業部長)も考慮にいれて、被告A及びBは原告会社が保有する派遣スタッフ等に関する情報が秘密であると認識できたと裁判所は判断しています。

このように,営業秘密とする情報に対する秘密管理措置が適切であれば,秘密保持誓約書を提出しなかったことをもって秘密の認識が否定されることはないと考えられます。一方で、下記のブログ記事で紹介したように、秘密保持誓約書の提出を拒否しても、会社が情報の秘密管理をしていなければ、当然、当該情報は営業秘密とは認められません。すなわち、情報の秘密管理性は、当該情報に対する秘密管理措置の実態に基づいて判断され、秘密保持誓約書のみをもって秘密管理性が認められる可能性は低いでしょう。


弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年12月26日火曜日

判例紹介:元勤務先企業の立場で秘密管理の認識が異なる?

所属している会社が従業員に秘密保持誓約書の提出を求める場合は少なからずあると思います。今回紹介する裁判例(東京地裁平成14年12月26日中間判決 東京地裁平成15年11月13日判決 事件番号:平12(ワ)22457号)は、そのような誓約書を提出しなかったことを持って被告が秘密管理性を否定する主張を行った事件です。

本事件は、原告会社及び被告会社共に一般労働者(人材)派遣事業等を主たる営業目的として設立された株式会社です。被告会社は、原告の取締役営業副本部長の地位にあった被告Bが設立して設立と同時に代表取締役に就任し、原告の取締役営業部長であった被告Aは被告会社営業部長に就任しています。
そして、原告会社は、原告の営業秘密である派遣労働者の雇用契約に関する情報及び派遣先の事業所に関する情報を、被告B及び被告Aが不正の目的で使用あるいは被告会社に開示したと主張しました。

本事件において、原告は被告は原告の各種情報の秘密管理性に対する否定において、原告が従業員に求めていた秘密保持の誓約書について下記のように主張しています。
エ 誓約書について
 原告会社は、従業員全員から誓約書を徴していたことをもって、秘密として管理していたことの根拠の一つとしているようであるが、甲61の誓約書の束に被告小野及び被告大湊のものがないことから、少なくとも被告小野ら両名が誓約書を提出していなかったことは明らかである。このように、従業員全員が誓約書を提出していたわけでないから、一部の従業員から誓約書を徴していたとしても、被告小野ら両名が当該情報を秘密と認識できた根拠とはならない。

そして、裁判所は原告会社の派遣スタッフ名簿と被告会社の派遣スタッフ名簿との記載内容について以下のように認めています。
これらを比較すると、まず、被告会社の別紙「日本人材サービス株式会社登録派遣スタッフ名簿」は、4頁からなり、被告会社への登録順に第1頁~第3頁に各頁62名、第4頁に34名の合計220名の派遣スタッフの氏名等が記載されているところ、このうち原告会社の名簿にも登録されていた者は、第1頁に47名、第2頁に22名、第3頁に5名(第4頁は0名)の合計74名である。このように、始めに近い頁ほど重複者が多い、すなわち被告会社に初期に登録した者ほど重複が多いのは、被告会社が設立当初は、原告会社に登録していた派遣スタッフを移籍ないし重複登録させることで自己の派遣スタッフを集め、その後事業の進展とともに、徐々に原告会社と関わりのない新たな派遣スタッフを募集したためと認められる。
また、上記によれば、被告会社の派遣先の事業所は全部で26社であるところ、うち原告会社の派遣先と重複しているものは23社に及んでいる。
さらに、裁判所は、原告による「派遣スタッフ及び派遣先の事業所の情報」の秘密管理性について、コンピュータによる管理とスタッフカード(帳簿)による管理の両方に対して、その秘密管理性を認め、被告が主張する誓約書については以下のように判断しました。
なお、被告B及び被告Aは、誓約書を差し入れていないが、他の従業員との間に秘密保持契約を締結した当時、被告Bら両名は既に取締役であったためにたまたま誓約書を差し入れていないというにすぎず、上記情報の重要さについては一般の従業員以上に知悉していたというべきであるから、このことをもって秘密として管理されていないとはいえない。
このように、営業秘密とする情報に対する秘密管理措置が適切であれば、秘密保持の誓約書等を提出しなかったからといって、非提出者に対する秘密の認識が否定されることはありません。さらに、本事件では、原告会社に所属していたときの被告A,Bの役職も考慮にいれて裁判所は判断しているようです。
なお、本事件では、被告らは各自6269万円の損害金を原告に支払え、という判決となっています。

本事件からわかることは、秘密保持の誓約書等の提出の有無にかかわらず、営業秘密とする情報の秘密管理措置の実態を鑑みて、当該情報の秘密管理性が判断されるということです。
すなわち、会社が従業員に対して秘密保持の誓約書等を提出させていたとしても、秘密管理措置が適切でなければ当該情報の秘密管理性は認められません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年12月10日日曜日

秘密管理性の判断基準が低い情報(ソースコード)

前回のブログでは、営業秘密における秘密管理性の判断基準を緩和してもよいのではという個人的な意見を述べました。とはいえ、実際には秘密管理性の判断が緩いと思える裁判例も存在します。

・Full Function事件
(大阪地裁平成25年7月16日判決 平成23年(ワ)第8221号)
この事件は、原告の元従業員であった被告P1及び被告P2が原告の営業秘密である本件ソースコード等を被告会社に対し開示し、被告会社が製造するソフトウェアの開発に使用等したと原告が主張しました。

そして、本件ソースコードに対する原告主張の秘密管理措置は以下のようなものです。
(ア)保管場所
本件ソースコードの保管場所である原告の開発用サーバには,開発担当者のみがアクセスできるようになっており,従業員ごとにID,パスワードが設定されていた。
(イ)従業員の秘密保持義務
原告の就業規則には秘密保持条項が設けられ(甲2),同就業規則は従業員に周知されていた。
(ウ)原告の情報管理体制
原告は,従業員個人所有のパソコンへのデータコピー禁止,電子メールの監視,ファイルサーバでのデータの一元管理などの措置を執っていた。
(エ)秘密であることの表示について
本件ソースコード自体に秘密であることの表示はされていなかったが,ソフトウェア開発に携わる者であれば,ソースコードを秘密にすることは常識である。
(オ)顧客に対する関係について
原告ソフトウェアの顧客の環境にdbMagicの開発環境及び本件ソースコードが保存されることはあるが,その場合,顧客には開示されないパスワード設定がされていた。
 なお,原告ソフトウェアの以前のバージョン(V8)で,パスワードが設定されないものもあったが,その場合も,大多数の顧客が閲覧可能な状態であったことはない。
上記(エ)で原告自ら主張しているように、本件ソースコード自体に秘密であることの表示はされていませんでした。(オ)に関しては、原告と顧客との関係なので、これが原告と従業員との間における本件ソースコードに対する秘密管理措置となりえるかは微妙なところです。このため、原告は(ア)~(オ)のような秘密管理措置を主張していますが、(ア)と(イ)が本件ソースコードに対する実質的な秘密管理措置とも思われ、そうであれば本件ソースコードに対する秘密管理措置の程度は低いと考えられます。


このような原告主張の秘密管理措置に対して裁判所は、下記のようにソースコードの一般的な認識を示したうえで、ソースコードに対する秘密管理措置を認めました。
一般に,商用ソフトウェアにおいては,コンパイルした実行形式のみを配布したり,ソースコードを顧客の稼働環境に納品しても,これを開示しない措置をとったりすることが多く,原告も,少なくとも原告ソフトウェアのバージョン9以降について,このような措置をとっていたものと認められる。そうして,このような販売形態を取っているソフトウェアの開発においては,通常,開発者にとって,ソースコードは営業秘密に該当すると認識されていると考えられる。
前記1に認定したところによれば,本件ソースコードの管理は必ずしも厳密であったとはいえないが,このようなソフトウェア開発に携わる者の一般的理解として,本件ソースコードを正当な理由なく第三者に開示してはならないことは当然に認識していたものと考えられるから,本件ソースコードについて,その秘密管理性を一応肯定することができる
このように、本事件では、ソースコードは一般的に営業秘密に該当するという原告の主張を認める形で、裁判所は、本件ソースコードの管理は必ずしも厳密ではないとしつつも、本件ソースコードの秘密管理性を認めました。

一方で、本事件は顧客情報についても争われています。顧客情報の秘密管理措置に対して原告は下記のように主張しています。
(ア)保管場所
本件顧客情報は,原告のサーバの販売管理システム上の情報であり,従業員ごとにID及びパスワードを設定していた。
(イ)従業員の秘密保持義務
原告の就業規則には秘密保持条項が設けられ(甲2),同就業規則は従業員に周知されていた。
(ウ)原告の情報管理体制
原告は,従業員個人所有のパソコンへのデータコピー禁止,電子メールの監視,ファイルサーバでのデータの一元管理などの措置を執っていた。
上記(ア)~(ウ)は、本件ソースコードの秘密管理措置と同じであり、本件顧客情報と本件ソースコードの秘密管理措置との違いは、本件ソースコードの(エ)、(オ)がないことです。これに対して、裁判所は、下記のようにして本件顧客情報の秘密管理性を認めませんでした。
本件全証拠をみても,原告主張にかかる原告の販売管理システムについて,秘密の管理に関する具体的機能,内容,運用方法(どの職種の従業員にいかなる権限を付与しているのか等)を明らかにする的確な証拠はなく,結局,具体的な秘密管理の方法は不明であったといわざるを得ない。
このように、同じような秘密管理措置を行っていても、ソースコードの秘密管理性は認められる一方で、顧客情報の秘密管理性は認められないという裁判所の判断となっています。この理由は、❝開発者にとって,ソースコードは営業秘密に該当すると認識されていると考えられる。❞からのようです。一方で、顧客情報に対しては、営業秘密に該当すると認識はされていないとの裁判所の判断なのでしょう。

なお、本事件では、本件ソースコードの営業秘密性は裁判所において認められたものの、被告による使用は認められず、被告らが本件ソースコードを開示,使用して不正競争行為を行ったとは認定されませんでした。

また、本事件と同様に、ソースコードの一般的な認識として❝ソフトウェアのソースコードは,一般に非公開とされているもの。❞と認定した裁判例として、大阪地裁平成28年11月22日判決(事件番号:平成25年(ワ)第11642号)もあります。

このように、ソースコードに対しては、❝ソースコードである❞という理由によりその秘密管理性を認めた裁判例があります。これは例外とも思え、Full Function事件では、ソースコードと同様の秘密管理を行っていた顧客情報の秘密管理性は認められていません。
個人的には、積極的に公開しない限り、顧客情報も一般的には秘密とされる情報であると思うのですが、顧客情報の秘密管理措置が認められない理由は判然としません。しかしながら、ソースコードのように❝一般的❞な認識によって秘密管理措置が認められる情報が存在するのであれば、ソースコードと同様に秘密管理措置が認められる情報(例えば顧客情報や非公知の技術情報等)の幅が広げられてもよいのでは無いかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年11月27日月曜日

秘密管理性の判断基準を低くしてもよいのでは?

今回は個人的な意見なので、営業秘密を理解するうえであまり参考にはなりません。

営業秘密は、秘密管理性、有用性、非公知性の三要件を満たした情報です(不正競争防止法第2条第6項)。訴訟となった場合には営業秘密であると主張した情報であっても、その秘密管理性が認められないとして、裁判所によって当該情報の営業秘密性が認められない場合が多々あります。

この秘密管理性の程度としては、例えば、営業秘密管理指針では下記のように説明されています。
秘密管理性要件が満たされるためには、営業秘密保有企業の秘密管理意思が秘密管理措置によって従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思に対する従業員等の認識可能性が確保される必要がある。
すなわち、営業秘密とする情報に対しては、㊙マークを付したり、パスワード管理等を行うことにより、当該情報が秘密であることを従業員等に明確に示す必要があるとされています。そして、裁判所における秘密管理性の判断もこれと同様となっています。

しかしながら、秘密管理性に対するこのような判断基準は妥当なのでしょうか。
例えば、一般的に企業の顧客情報等は秘密とされる情報であると多くの人は認識しているかと思います。特に、顧客情報として管理されている個人情報はなおさらのことでしょう。また、自社サービス等の料金表も公にしていない情報であれば一般的に秘密とされる情報と認識されるでしょう。
ところが、このような情報であっても上記のような秘密管理措置がなされていない情報は営業秘密として認められません。このため、秘密管理措置が認められない情報を持ち出して転職等したとしても、不正競争防止法で定められた責任を負うことはありません。

例えば、サロン顧客名簿事件(知財高裁令和元年8月7日判決 平成31年(ネ)10016号)では、裁判所は「前記前提事実のとおり,被控訴人は,退職後,控訴人従業員から,顧客2名の顧客カルテの施術履歴が記載された裏面部分を撮影した写真を送信させた(施術履歴の入手)」とのように、まつげエクステサロンを営む控訴人(一審原告)から被控訴人(一審被告)が顧客カルテの施術履歴を持ち出したことを裁判所は認めながらも、当該顧客カルテの秘密管理性を認めなかったため、控訴人の損害賠償請求も差し止め請求も認められませんでした。

一方で、上記のような施術履歴も個人情報であり、自由に持ち出してよいものではなく、「一般的に秘密とされる情報」とのように考える人が多いかと思います。また、被控訴人は退職後に当該施術履歴を入手したわけですから、ビジネス的に重要な情報であると認識していたとも考えられます。
また、同様に例えば取引先から提出された見積もりや料金表等も一般的には秘密とされる情報と考えられ、このような情報を他の取引先に開示等することは妥当ではないと考える人も多いでしょう。また、自社開発した化学製品の組成等も、企業が自ら公知にしていなければ一般的には秘密とされる情報でしょう。
しかしながら、現在の不正競争防止法では、上記のように営業秘密としての秘密管理性を満たすためには「営業秘密保有企業の秘密管理意思が秘密管理措置によって従業員等に対して明確に示される」必要があり、仮にこのような秘密管理措置が取られていなければ、当該企業に許可なく持ち出したり、開示しても不正競争防止法違反とはなりません。

ところが、多くの企業、特に規模の大きい企業は無数の情報が常に発生し、そのような情報の全てを精査して「秘密管理措置」を行うことは難しいでしょう。また、作成途中の情報に関しては、秘密管理の対象にならず、秘密管理措置も行われていない場合も多いかと思います。
その結果、本来は営業秘密とするべき情報が秘密管理の対象から漏れ、退職者等によって許可なく外部に持ち出されている可能性があります。そして、退職者等によって許可なく外部に持ち出されれた情報の存在を検知しても、秘密管理措置がなされていないために、何ら対応できないということもあるでしょう。


ここで、上記のように秘密管理措置が比較的厳密に判断される理由として、営業秘密の不正な持ち出し等は民事的責任だけでなく、刑事的責任も負う可能性が考慮されているからだと思います。すなわち、民事的責任は主に損害賠償や差し止めであるものの、刑事的責任は禁固刑となり得る可能性もあり、また、メディア等によって不正に持ち出し等した者の個人名が明らかにされることで社会的制裁を受ける可能性があり、刑事的責任は民事的責任よりも重いものとなり得ます。
このように、営業秘密の不正な持ち出し等は刑事的責任も負う可能性があるため、営業秘密とする情報は従業員等が明確に認識できなければならない、ということです。
一方で、企業にとっては、不正取得等した者に対して刑事罰が与えられるよりも、当該営業秘密の使用差し止めや当該営業秘密の不正使用による損害賠償等の方が重要とも考えられます。

そこで、上記のことを鑑みると、民事的責任を負う場合における営業秘密の秘密管理性の判断基準を緩和してする一方で、刑事的責任を負う場合における営業秘密の秘密管理性の判断基準を現在のとしてもよいのではないかと思います。もっというと、不正競争防止法において、民事的責任を負う営業秘密と刑事的責任を負う営業秘密とを区別する規定を設けてもよいのではないかと思います。
これにより、秘密管理措置が甘いものの「一般的には秘密とされる情報」を許可なく持ち出し等した者は民事的責任を負う一方で、刑事的責任は負わないこととなります。その結果、企業にとって自社が秘密としたい情報が守られる範囲も広くなります。
一方で、不正な持ち出し等が行われた場合により重い責任である刑事罰の適用をも視野に入れた営業秘密に関しては、従業員等に対して明確な秘密管理措置を行う、ということになります。

仮に営業秘密の秘密管理性を上記のような判断基準とすると、営業秘密性の判断において非公知性が相対的に重要になるかと思います。すなわち従業員等にとっては、非公知の自社情報等を許可なく持ち出したり使用等してはいけない、という一般的に秘密とされる情報の考え方がそのまま不正競争防止法における営業秘密の概念となり得ます。このような考え方は、現在のように秘密管理性を重視した営業秘密の概念よりも、理解しやすい概念のようにも思えます。

上記のように、「一般的には秘密とされる情報」まで営業秘密の概念を広げると、「一般的」の解釈が議論となるでしょう。また、営業秘密の開示が先従業員の場合と取引先の場合とでは「一般的」の解釈が異なるかもしれません。仮に取引先に開示した情報であり、かつ非公知の情報のほとんど営業秘密になり得るとしたら、情報の開示先企業は取引先等から開示された情報に対して必要以上に神経を尖らせる必要が生じるかもしれません。
このように「一般的には秘密とされる情報」まで営業秘密の概念を広げることで、その解釈が争点となり得ますが、現在の不正競争防止法における営業秘密に対する秘密管理性の判断基準が未だ厳しい一方で、情報の持ち出しが容易である現状を考慮すると、「営業秘密」の概念を広げる必要があると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年11月9日木曜日

判例紹介:「営業秘密の不正使用」という虚偽の流布

今回紹介する裁判例(東京地裁令和5年3月23日判決 事件番号:令3(ワ)7624号)は、被告が取引先等に対して原告会社が被告の製品を模倣した製品を販売するという虚偽の事実を流布したとして、原告が被告に謝罪広告文の掲載や損害賠償を請求したものです。

原告会社は、被告の取締役であった原告Bが代表取締役を務め、硬度計等の工業用試験機の開発、販売等をおこなっており、被告とは競争関係にあります。そして、原告会社は、自社製品のラインナップの一部として台湾企業であるKYF社から同社製品の硬度計を輸入販売しようとしていたところ、被告が原告に対して警告文を送りました。
警告文の内容は、KYF社が違法にコピーした被告の硬度計と酷似の硬度計の輸入販売を行うことは不正競争防止法に違反するとのようなものです。
さらに、被告は、1000社を下らない取引先に対して「上記の様な事情・経緯をご賢察の上、今後Bより取引の依頼等ございましたら、何卒適切にご対処頂きますよう、切にお願いする次第です。」とのような文章を電子メールに添付して送付しました。

そして、被告は、本裁判において下記のように主張しましたが、被告の主張を裁判所は認めることなく原告が勝訴し、被告に対して原告会社への770万円の支払い等を命じています。
KYF社製の硬度計は、被告がKYF社に示した営業秘密である被告製品情報を使用して製造された物であるから、不正の利益を得る目的等によりこれを使用したKYF社による製造行為は不競法2条1項7号の不正競争に当たり、原告会社がKYF社製の硬度計を輸入する行為は同項10号の不正競争に当たる。本件文書はこの事実を摘示したものであり、虚偽の事実の流布には当たらない。
なお、裁判所は「原告会社が輸入販売しようとしたKYF社の製品が被告製品情報を使用して製造された物であると認めるに足りる証拠はない。」とのように不法行為が確認されなかったことを明確に述べています。


そもそも他社が自社の営業秘密を不正に使用しているとの文章を取引先に送付することに意味があるのか疑問に思います。
このような文章が送付された取引先は、本当に営業秘密が不正使用されたことを確認することはできません。どのような技術情報が営業秘密であるかを知る術がないからです。また、仮に営業秘密とする技術情報を取引先が知った時点で、当該技術情報は公知となり営業秘密ではなくなります。そのような事態は営業秘密の保有企業が最も望まない事態でしょう。そして、本事件のように、虚偽の流布となれば自社が大きな損害を負うこととなります。

また、本事件では、被告が主張する被告製品情報の秘密管理性も認められていません。被告は、被告製品の秘密管理性について複数の主張を行っていますが、その全てが裁判所によって否定されています。
そのなかで、被告が定めた秘密区分規定に基づく主張があります。それに基づく被告の主張は以下のようなものです。
被告は、社内文書に関する秘密区分規定(以下「被告規定」という。)において、技術的ノウハウを具体的に示したものは社長の許可なく社外に提示してはならない秘密に当たると定めている。被告製品情報1は、成文化こそされていないが、技術的ノウハウに相当する情報であるから、被告規定に照らし、被告製品情報1が秘密として管理されていることは被告従業員にとって明らかであった。
これに対して、裁判所は「被告が被告規定を従業員に周知していたことを示す的確な証拠は見当たらない。」と認定したうえで、下記のようにも述べています。
仮に被告が被告規定を従業員に周知していたとしても、証拠(乙14)によれば、被告規定の適用範囲が「当社で発行および受領する文書」に限られること(1項)、社外秘扱いの対象となる情報は「技術的ノウハウを具体的に示したもの」であること(2項2)が明記されている。そうすると、成文化されていない調整方法である被告製品情報1は、これに当たらないこととなる。そのため、被告製品情報1については、これに接した被告従業員が被告規定に照らして秘密として管理されていると認識できたとはいえない。
裁判所が述べているように、企業が従業員に対して規定(就業規則等)を定め、その中でどのような情報を秘密とするかを定めているのであれば、企業はそれを守らなければなりません。そうしないと、裁判所が述べているように従業員が秘密として管理されていることを認識できないためです。
企業が就業規則等の規定を無視して、所定の情報を一方的に営業秘密であると主張することは本事件のように認められることはないため、企業が就業規則等の定めに従って秘密管理を行う必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年6月25日日曜日

判例紹介:退職時の秘密保持誓約(合意の拒否)

近年、従業員の退職時に秘密保持誓約書への合意(サイン)を求める場合が多くなっているようです。しかしながら、本ブログでも度々述べているように、営業秘密とする情報に対して秘密管理措置の実態が伴っていなければ、秘密保持誓約書をもって秘密管理性が認められる可能性は低いと思われます。また、退職者が秘密保持誓約書の合意を拒否したとしても、それは情報の秘密管理性とは関係がありません。

今回は、退職時に秘密保持誓約書の作成を退職者から拒否された裁判例(大阪地裁令和5年4月17日 事件番号:令3(ワ)11560号)を紹介します。
本事件は、被告P2が被告P1の指示の下、被告が原告の契約するクラウドに記録されていた営業秘密である取引先及び取引内容に係る情報(本件情報)を窃取して被告会社に開示した等を原告が主張した事件です。なお、被告P1,P2は共に元原告の従業員です。
被告P1,P2は、原告への入社時に秘密保持義務が記載された誓約書を締結した一方で、退職する際に誓約書を締結するよう原告から求められたものの拒絶しています。

なお、本件情報が記載されたファイルや書面には営業秘密である旨の表示がなく、ファイルにはパスワード等のアクセス制限措置が施されておらず、原告の全従業員がアクセス可能なクラウドに保存されていました。このような管理に対して裁判所は、適切に秘密として管理されていたとはいえず、また、秘密として管理されていると客観的に認識可能な状態にあったとはいえない、と裁判所は判断しています。


そして、入社時の誓約書を用いた秘密管理性の有無について、裁判所は以下のように判断しています。
❝③通信・運用管理規程や入社時の誓約書には、本件情報1及び2を営業秘密として管理する旨の記載はなく、他人の個人情報をみだりに開示しないことと他人の個人情報が原告の営業秘密であることとは関係がない。❞
さらに、退職時に要求した誓約書について、裁判所は以下のように判断しています。
❝④原告が被告P1及び被告P2の退職時に要求した誓約書は、原告の事業に関する価格、取引情報のみならず、商品、サービス、財務、人事等に関する広範な情報を秘密情報とし、理由の如何を問わず、自己又は第三者のために開示、使用することを無期限に禁じ、退職後、2年間もの間、競合企業への就職等を一切禁止する内容であり(甲37)、仮に合意されたとしても明らかに公序良俗に反し無効なものであり、被告P1及び被告P2がこれを拒否するのは当然であって、むしろ、原告において本件情報1及び2を適切に営業秘密として管理していなかったことを窺わせる事情といえる。❞
このように、誓約書に対しては、本件情報を営業秘密とすることを記載したものではなく、包括的なものであるとして、誓約書によっても本件情報の秘密管理性は認められないと判断しています。
特に、退職時に要求した誓約書に対する合意の拒絶が被告P1,P2にとって不利となるようなこともなく、裁判所は❝仮に合意されたとしても明らかに公序良俗に反し無効である❞とまで認定しています。

以上のように、情報に対する秘密管理措置の実態が伴っていなければ、従業員等との間で包括的な秘密保持誓約書等を締結していても、この誓約書には秘密管理措置としての意味はありません。また、秘密管理措置の実態がなければ秘密保持誓約書の合意を退職者が拒絶したとしても、それによって退職者が不利となることはないでしょう。

秘密保持誓約書のみならず就業規則等は、主に包括的な秘密保持義務を従業員等に課すものです。このため、それのみで秘密管理措置と認められる可能性は低く、裁判においてはあくまで秘密管理措置の主張を補強する程度のものと考えるべきでしょう。
なお、仮に秘密保持誓約書の合意を拒絶したとしても、営業秘密を不正に持ち出して使用等したら、それは営業秘密侵害となります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年4月18日火曜日

判例紹介:特許に包含される技術情報の秘密管理

ある技術の特許が取得されると特許公報が発行されます。第三者はこの特許公報を参照して当該特許に係る技術を知ることができます。しかしながら、特許公報に記載内容だけでは、当該技術を再現することは難しい場合が多々あり、特許公報に記載されていないノウハウが必要だったりもします。そのようなノウハウも重要であるにもかかわらず、ノウハウが適切に秘密管理されていない場合は多々あると思います。
今回はそのようなことに関連した裁判例(大阪地裁令和5年1月26日 事件番号:令2(ワ)8168号)を紹介します。

本事件は、原告が美容院、ビューティーサロン、エステティックサロンの経営等を会社であり、被告(P1~P3の3名)はこの会社の元従業員であり、まつ毛エクステンションの施術担当者であったものの、原告会社を退職後にまつ毛のエクステンションの施術を行う店舗を開業しました。

また、原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を主力商品としており、P7は発明の名称を「まつ毛エクステンション人工毛の装着方法」とする特許出願(特願2019-123)を行い、この特許出願は権利化されており(特許第6957040号)、現在も権利は存続しています。
なお、当該特許権の請求項1は下記の通りであり、従属項として請求項2~6があります。
❝【請求項1】
  二本又は三本のエクステンション用人工毛と一本の支持用人工毛を用意する第一のステップと、
  前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第一のエクステンション用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第二のステップと、
  前記第一のエクステンション用人工毛の付け根をまつ毛の上方からまつ毛の付け根の左右いずれか寄りに固定する第三のステップと、
  前記二本又は三本のエクステンション用人工毛のうちの第二のエクステンション用人工毛の付け根を前記まつ毛の上方から前記第一のエクステンション用人工毛が固定されていない左右いずれか寄りに固定する第四のステップと、
  前記一本の支持用人工毛の付け根に球状に接着剤を付ける第五のステップと、
  前記第一のエクステンション用人工毛と前記第二のエクステンション用人工毛が固定された前記まつ毛の上方から、前記まつ毛の付け根に一回接着剤を付ける第六のステップと、
  前記まつ毛の略真下に前記一本の支持用人工毛を回り込ませ、前記支持用人工毛の水平面との角度を前記まつ毛の水平面との角度に略一致させた状態にて、前記まつ毛の下方から前記まつ毛の付け根のみに前記支持用人工毛の付け根のみを固定する第七のステップ
を含む、まつ毛エクステンション人工毛の装着方法。❞
裁判所は、この特許(本件特許情報)を❝主に美容目的でまつ毛のボリューム感を増大させ目を大きく見せるためにまつ毛に装着されるまつ毛エクステンション人工毛の装着方法であって、人工毛を装着する位置や順序(請求項1~4)、使用する人工毛の形状(請求項2)、接着剤の付け方(請求項1、2、5、6)などの情報からなる。❞と認定しています。

そして、P7及び原告と被告らは下記のような秘密保持契約を結んでいました(甲がP7及び原告であり、乙が被告です。)。
❝第1条(定義)
 「本件の商標・特許」とは、本件製品の名称及び施術に関して、甲が所有している次の商標及びこれについての特許技術をいう
 登録商標
 【ロングキープラッシュ/Longer Keep Lash】
 役務の区分
 第3類及び第44類に属する
 第2条(使用の範囲)
 ●乙は甲の指定業務以外で、本件の商標・特許の使用は一切できないものとする
 ●乙は甲の承諾なくして、退社後も本件の商標・特許について、【入社時の機密事項承諾書・私は、貴社就業規則および秘密管理規程に従い、業務上の機密は在職中は勿論退職後といえども一切漏洩いたしません】に基づく技術漏洩を一切禁止する❞

ここで、本件秘密保持契約上の債務不履行について、被告は被告店舗において「ロングキープラッシュ」とは異なる「バインドラッシュ」というまつ毛エクステンションの装着方法を実施しており、これは本件特許情報とは異なる装着方法である、として認められませんでした。
なお、本件特許情報の装着方法である「ロングキープラッシュ」は、地まつ毛の上部に2本又は3本の断面が扁平で付け根に凹みのある人工毛(フラットラッシュ)を装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する装着方法とのことです。
一方、「バインドラッシュ」は、「ロングキープラッシュ」において使用するものとは形状の異なるフラットラッシュ1本を装着し、地まつ毛の下部にフラットラッシュ1本を装着して地まつ毛を挟んで固定する装着方法とのことです。


次に、原告が営業秘密であると主張する情報(本件手技情報)は、下記の通りです。
❝本件手技情報は、本件特許情報を実施するために必要とされる手技であり、使用する人工毛の形状、接着剤の付け方及び人工毛を装着する位置や順序に係る情報である。❞
また、本件特許情報と本件手技情報とが異なる点は、下記であり、本件手技情報は本件特許情報に包含される関係にあるとされています。
①本件特許情報では接着剤を「球状に付ける」とされているところ、本件手技情報では「球状にすくい」とされる。
②人工毛(フラットラッシュ)2本で地まつ毛を挟み込む手技(本件付加情報)については、本件特許情報にはなく、本件手技情報のみにある。

原告は被告らの原告在職中、本件特許情報を利用した「ロングキープラッシュ」と称するまつ毛エクステンションの装着方法をまつ毛エクステンションの施術を担当する従業員に教示し、原告の経営する各店舗において一般顧客に対し施術をする際に利用していたものの、原告は被告らに対し、本件手技情報のうち本件付加情報を教示したことはなかった、とのことです。

そして、原告は、このような手技の秘密管理性について下記のように、手技に関して文章化は行っていないものの、講習によりマスターさせて非公開としていたと主張しています。
❝原告は、原告所属のP7が発明した「ロングキープラッシュ」という名称の長持ちするまつ毛エクステンションを主力商品としており、本件特許出願以前から「ロングキープラッシュ」を営業秘密と指定し、従業員との間で秘密保持契約を締結してきた。
「ロングキープラッシュ」の技術は、本件特許出願において文書化されているものだけで習得できるものではなく、実際に施術できるようになるためには、原告において講習を受けて手技をマスターしなければならないが、その手技は非公開である。❞
上記原告の主張に対して裁判所は下記のように判断しています。
❝本件では、本件秘密保持等契約書以外に営業秘密を具体的に明示した文書はなく、原告が被告らに対し「ロングキープラッシュ」の施術方法を教示するに際して本件特許出願の願書や明細書その他の添付書類等を示しておらず、まつ毛エクステンションの装着方法に関して具体的にいかなる範囲が秘密とされるのかを明らかにした書面もない。しかも、「ロングキープラッシュ」は、被告らの原告在職当時、原告の各店舗において、不特定多数人に対して何らの制限もなく公然と施術されていた。また、まつ毛エクステンションの業界においては、まつ毛エクステンションの装着方法が全て秘密にされるわけではなく、新規の装着方法であっても、公開され、他のアイリストに教授されることもあり、装着方法を秘密とするか否かや装着方法のうち具体的にどこまで秘密にするかは、自明なものではない。
そうすると、本件秘密保持等契約書に規定された「特許技術」以外の本件特許情報及び本件手技情報は、原告において適切に秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったといわざるを得ない。また、原告は、被告らに対し、「ロングキープラッシュ」を教示したのであって、本件特許出願に係る願書等を示したわけではないから、本件秘密保持等契約書の「特許技術」は、その文言どおり、「ロングキープラッシュ」についての本件特許情報、すなわち、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報を意味するものと解される。
そして、当該情報は、不特定多数の顧客に対して公然と施術される装着方法であり、施術を受ければ視覚的に認識できるものであるから、やはり秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されているとは認識できない状態であったということになり、結局、本件秘密保持等契約書上の「特許技術」も、不正競争防止法上の営業秘密とはいえない。❞

また、文書化されていない非公開の手技について、それを含めて営業秘密と指定し、秘密保持契約を締結したので秘密管理性があるとの原告の主張に対しては、裁判所は下記のようにして認めませんでした。
❝原告の主張する文書化されていない非公開の手技については何ら具体的な主張立証がなく、前記イのとおり、本件秘密保持等契約書の対象は、本件特許情報のうち、地まつ毛の上部に2本又は3本のフラットラッシュを装着し、地まつ毛の下部に1本のフラットラッシュを装着する実施例に係る情報であって、文書化されていない非公開の手技や本件付加情報は含まれないから、採用できない。❞
結局のところ裁判所は、原告が主張する非公開の手技等は、文章化もされていないし、それが秘密であることを従業員に認識させていなかった、ということで手技等の技術の秘密管理性を認めなかったことになります。また、特許権についても、被告は特許権の技術的範囲に含まれない技術を実施したのであるから、秘密保持契約の債務不履行にはならないとされています。

この裁判例における手技のように、自社開発技術について文章化等せずに従業員に実施させる一方、当該技術は秘密であるとの認識を持っている会社は多いと思います。
しかしながら、本ブログでも度々述べているように、文章化等しなければ秘密として管理もできず、裁判において秘密管理性が認められることは無いと考えられます。
このように、営業秘密とする情報は、営業情報や技術情報にかかわらず、文章化、リスト化、その他の手法によって従業員が認識できる形とし、それを秘密管理する必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年4月10日月曜日

判例紹介:営業秘密の管理規定と秘密管理性

秘密管理規定を定めている企業は少なからずあるかと思いますが、秘密管理規定に規定されていない方法(主張)による秘密管理性は認められるのでしょうか。
今回は、このような裁判例(東京地裁令和4年8月9日判決 事件番号:令3(ワ)9317号)について紹介します。本事件は、知財高裁(知財高裁令和5年2月21日判決 事件番号:令4(ネ)10088号)でも争われましたが、地裁及び知財高裁共に一審原告の敗訴となっています。なお、下記の内容は、主に地裁の判決文を参照しています。

本事件は、原告の従業員であったBが被告Aが設立した被告会社に転職した際に、Bが作成した本件データを被告会社に持ち出したというものです。被告Aは、原告の元代表取締役でもあり、その後に被告会社を設立しています。

まず、裁判所は、本件データはその内容がウェブで公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであり、そもそも秘密情報として管理されるべきものではなかった、と判断しています。このため、本件データと実質的に同一である被告ら作成データも営業秘密に該当するものとはいえない、とされています。
このように、原告が営業秘密であると主張する本件データは、Bによって持ち出して被告会社で使用等されたようですが、営業秘密ではないとされています。

本件データに関しては、裁判所において営業秘密ではないと判断されていますが、その裁判の過程で当然、原告は秘密管理性についても主張しており、下記がその主張内容です。
❝原告は、フォルダ構成図(甲16)を提出した上で、本件データが格納されたフォルダへのアクセス及び変更の権限はBを含むIT担当者3名のみが有し、アクセス及び参照の権限は経営会議の構成員のみが有していたのであり、情報管理規程(甲17)等においても、秘密情報の漏洩を禁じていたなどと主張する。❞
これに対して、裁判所は以下のように原告の主張を認めませんでした。
❝上記フォルダ構成図は、平成30年2月27日に作成されたものであり、Bが被告Aに対して被告ら作成データを送信した平成30年1月22日よりも後に作成されたものであることからすると、「AI」フォルダにアクセス権限や閲覧制限を個別に設定しなかったとするBの陳述の信用性を直ちに覆すものとはいえない。仮に、原告の主張を前提としても、前記認定事実⑷ア及びイの原告の在籍状況等を踏まえると、相当数の者が本件データにアクセスすることができたと認められる上、そもそも、本件データには個別のパスワードが設定されず、しかも、「機密情報」、「confidential」という記載もなかったのであるから、客観的にみて、本件データの内容に照らしても、本件データにアクセスした者において当該情報が秘密情報であることを認識できなかったことが認められる。❞

また、原告は、上記のように情報管理規定を定めており、この9条3項には下記のように規定されています。
❝第9条(秘密情報の保管)
 3 電子データの秘密情報は、サーバに保存し、アクセス権者以外の者がアクセスできないようにフォルダ・ファイルにパスワードによるアクセス制限をかけなければならない。❞
裁判所は、このような規定があるにもかかわらず、❝本件データには、そもそもパスワードが設定されていなかったことが認められるのであるから、上記情報管理規程を前提としても、本件データが原告において秘密として管理されている情報であると認められないことは、明らかである。❞とも判断しています。

このような、情報管理規定との兼ね合いから秘密管理性を否定した裁判所の判断は、当然とも思われますが、この判断は秘密管理性について重要なことを示唆しています。
すなわち、秘密情報を何とするかを規定した秘密管理規定を会社が定めていたならば、会社もそれに縛られるということです。
今回の例のように、電子データの秘密情報には❝アクセス制限をかけなければならない❞と規定したのであれば、アクセス制限をかけていない情報を営業秘密であると主張することは難しいということです。

そもそも、営業秘密とする情報に秘密管理性が必要とされる理由は、営業秘密保有企業の秘密管理意思が従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思を従業員等に認識させるためです。
このために、情報管理規定において、秘密情報に対してアクセス制限をかけるといった方策を従業員に示し、それを会社がそれを実行することで従業員に当該情報が営業秘密であることを認識させます。それにもかかわらず、情報管理規定で規定していない方法によって、当該情報を営業秘密であると会社が主張しても、従業員は当該情報が営業秘密であると認識できません。このため、会社側がこのような方法による秘密管理性を主張したとしても、それは認められないこととなります。

このように、秘密情報管理規定等によって、秘密情報の管理方法を規定しているのであれば、従業員だけでなく会社も当然この管理方法を守る必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年10月31日月曜日

判例紹介:見積書の営業秘密性

一般的に見積書は同業他社に知られたくない情報と考えられ、不必要に第三者に開示したりするものではありません。では、見積書というだけで、その営業秘密性は認められるのでしょうか。

これに関して争われた民事事件として、大阪高裁令和4年9月30日判決(令4(ネ)574号)があります。この事件は下記ブログ記事で紹介した事件の控訴審であり、一審では原告敗訴となっており、控訴審でもそれが維持されています。

本事件は、元従業員である被告P1(被控訴人P1)が不正の手段により原告(控訴人)が営業秘密と主張する見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告会社に開示し、被告会社がこれを使用したことが不競法違反に当たる、とのように原告が主張したものです。
しかしながら、裁判所は、見積情報の営業秘密性を認めず、さらに被告P1による見積情報の不正取得や使用、開示行為も認めませんでした。

そして控訴人である原告は、控訴審において当該見積情報(本件見積書)の秘密管理性を下記のように主張しました。
❝被控訴人P1 は、競業会社である被控訴人会社の代表者であって、本件見積書に記載された本件顧客情報及び本件価格情報が控訴人からすれば他社に知られてはならない秘密であることは同業者として十分に知っていたから、それだけで営業秘密であることが客観的に認識可能であったといえるのであり、上記各情報は控訴人の営業秘密に該当する。❞



確かに、見積書には顧客情報や価格情報が含まれており、見積書は他社に知られたくなく、秘密にするべき情報と考えることが一般的と言えるでしょう。しかしながら、裁判所は以下のように本件見積書の営業秘密性を否定しました。
❝しかし、例として対象工事1、3についてみると、これらに関しては、控訴人が本件見積書1、3を提出した元請業者が建物建築工事を受注できないことが確定し、控訴人も同各見積書に基づいては型枠工事を受注できないことが確定した後に、被控訴人会社が同型枠工事に係る見積書を作成したことが問題とされているところ、本件見積書1、3は、競争入札に参加予定の元請業者が入札額を算出するに当たり参考にするために下請業者に作成提出させたものにすぎず、必ずしも被控訴人会社の受注に直結するものではない(補正の上引用した原判決第2の2(3)ウ)。そして、具体的工事を対象として作成される見積書は、その性質上、契約締結に至らなかった場合、そのままでは他に流用できないものであるから、これらの点も併せ考えると、控訴人においては、契約締結に至るか否かを問わず、見積書全般につき、その見積書に記載されている顧客情報及び価格情報について、一律に、営業秘密に該当することが従業員である被控訴人P1 において客観的に認識可能であったとは認められない。❞
少々分かり難いかと思いますが、見積書を取引先に提出したものの受注に至らなかった場合には、当該見積書は他に使用できるものではないから、当該見積書というだけで(㊙マーク等の秘密管理無く)、客観的に秘密であると認識できるものではない、という裁判所の判断だと思います。すなわち、受注に至らなかった見積書は相対的に価値が低い(有用性が低い?)情報であるため、それだけでは秘密であるとは認識できない、ということでしょうか。
そうすると、受注に至った見積書は(価値が高いため?)、それだけで秘密管理性が認められるということになるのでしょうか。また、受注に至るか否か分からない、顧客が判断中の見積書はどうなのでしょうか。

このように、一般的には秘密だと思われる情報であっても、秘密であることを認識可能なように管理していないとして、その秘密管理性が否定され、営業秘密ではないと裁判所に判断される場合があります。一般的に秘密と考えられる情報としては、例えば、顧客情報がありますが、顧客情報に対しても秘密管理性が否定された裁判例が多々あります。
このように営業秘密性が否定されるリスクを避けるためにも、秘密としたい情報は一般論に頼らずに、確実に秘密管理する必要があります。

なお、本控訴審でも被告による当該見積書の不正使用や開示は認めていませんので、当該見積書の営業秘密性が認められたとしても、最終的な結論は変わらないでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年9月18日日曜日

判例紹介:新規製品の開発・製造委託の取りやめ 宅配ボックス事件(秘密管理性)

自社製品の開発・製造を他社に委託することは一般的に行われていることです。しかしながら、実際に製造・販売までに至らず、途中で取りやめになることも少なからずあるでしょう。
今回紹介する判例(東京地裁令和4年1月28日判決 事件番号:平30(ワ)33583号)は、そのような事例についてのものです。

本事件の概要は以下の通りです。
①平成29年5月8日頃に原告が被告から、被告が販売する樹脂製の新規の宅配ボックスの開発・供給の引き合いを受ける。
②初回ミーティング後に、本件新製品の企画が外部漏洩するおそれを極力なくすため、被告は原告に対して機密保持契約の締結を提案し、平成29年5月19日までにその契約書の雛形を電子メールに添付して送信した。その後、被告は被告の押印済みの機密保持契約書を原告に2部郵送し、原告の押印済みのものを1部返送するように依頼した。原告は、原告の押印済みの同年6月20日付けの機密保持契約書を1部保持している。
③平成29年9月4日に原告の従業員Aは、Mタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ1を、同月7日にSタイプの製品に係るCADシステムのデータである本件データ2を、それぞれ被告の従業員Bに電子メールで送信した。
④平成29年7月から9月初めにかけて、被告作成のモックアップの試験が行われ、原告と被告との間で、納期、コスト、仕様等の点で意見の食い違いがあり、仕様変更を含めた本件新製品の製造に関する打合せが繰り返し行われた。
⑤平成29年9月18日に、原告は本件新製品の製造費用についての同月14日付けの見積書を電子メールに添付して送信した。原告と被告とは、本件新製品の組立てに要する費用を原告が負担するか否か等の条件面での意見が一致せず、被告は本件新製品の製造を原告に発注するのを取りやめることとし、原告と被告との間での本件新製品の開発プロジェクトは同月中に終了することとなった。
⑥平成29年10月9日に、原告は本件プロジェクトが終了したことを受けて、被告に対し,本件新製品の「設計費・機会損失額」として合計1699万2800円の支払を求める旨の見積書を電子メールに添付して送信するものの、「設計費・機会損失額」の支払義務の有無及び額については合意に至らなかった。
⑦少なくとも平成30年7月25日頃から令和2年3月末までの間、被告は、被告製品を製造し、被告製品の譲渡を行った。

以上のような経緯があり、原告の営業秘密である本件データ1,2を使用して被告が被告製品を生産、譲渡及び譲渡のための展示を行ったことは、不正競争に該当するとして、原告が被告に対して差し止めや損害賠償を求めました。
この事件の結論からすると、被告による被告製品の生産等は、原告の営業秘密である本件データ1,2を不正に使用したとして、原告による差し止めや損害賠償請求(610万1962円)が認められました。


次に、本件データに対する秘密管理性、有用性、非公知性に対する裁判所の判断についてです。本事件は原告の勝訴となっているので、当然、これらはすべて裁判所によって認められています。

秘密管理性について、裁判所は「原告内部における秘密管理の状況」、「被告との関係における秘密管理の状況」という2つの視点から判断しています。

「原告内部における秘密管理の状況」について、裁判所は下記のことから本件データの秘密管理性を認めています。
①従業員に対して就業規則によって機密保持義務を課していた。
②技術的アクセス制限を含む社内ネットワークを構築していた。
③技術情報をサーバ上の所定のフォルダに保存し、アクセス制限を設けていた。
④本件データも技術部用のフォルダに保管されていた。

次に「被告との関係における秘密管理の状況」についてです。
ここで、本件データに対する「被告との関係における秘密管理」に対して、被告は2つの主張を行ったようです。
①被告は、原告から押印済みの本件機密保持契約書の返送を受けなかったとして、本件機密保持契約は締結されていないと主張。
②本件データには、これが営業秘密であることの記載や閲覧のためのパスワードの設定はされておらず、また、本件データを送付した電子メールの本文にも本件データが営業秘密である旨の記載はされていなかった。

①の機密保持契約についてですが、裁判所は以下のようにして原告と被告との間で機密保持契約は成立していたと判断しています。
❝本件プロジェクトが終了するまでに,被告から原告に対して本件機密保持契約書の返送がないと指摘したり,原告が被告に本件機密保持契約の締結に応じないとの態度をとったりしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,本件機密保持契約は,遅くとも原告が保管する本件機密保持契約書(甲4)の作成日である平成29年6月20日頃までには成立していたものと認めるのが相当である。❞
②については、本件データには確かに営業秘密であることを示す措置は直接的に行われていませんでした。しかしながら、裁判所は、下記のように、原告と被告との間における本件データの秘密管理性を認めています。
❝原告と被告との間でやりとりされた本件新製品に関する企画書,図面,見積書等には秘密である旨が明示されているものとないものがあったところ,前記イ(ウ)のとおり,原告が被告に対して送付したモックアップ用の別の3Dデータについて,秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていたものである。そうすると,前記イ(エ)のとおり,本件データの送付の際にこれが秘密である旨が明示されていなかったことを考慮しても,本件データを受領した被告において,本件データが秘密として管理されていることは容易に認識可能であったというべきである。
なお、上記の「秘密である旨の表示がなくても,これを受領した被告従業員が秘密であることを前提とした行動を取っていた」とは、以下のような行動です。
3Dデータの送信の際に原告はこれらのデータが秘密である旨の表示はしていなかったが,同月27日に送信されたデータを受領した被告従業員Cは,同月29日,原告従業員のAに対し,「頂きました図面データですが,先日のお打ち合わせの際にご説明させて頂きましたIOT化に向け,センサーの組み込みや通信機器の設置場所の検討にあたり,パートナーに共有させて頂いても宜しいでしょうか?/先方とはNDAを締結済みです。」と尋ねる電子メールを送信した(甲6,8,13,乙20,21)。❞
すなわち、秘密であることの表示がない3Dデータに対して、被告従業員Cはそれが秘密であるとの認識のもとにパートナーと共有しているのであるから、この3Dデータと直接的に関係のある本件データに対しても秘密であることは認識できていた、とのように裁判所は判断しています。

営業秘密とする情報に秘密管理性を求める理由は、当該情報の保有者に無断で当該情報を持ち出したり、使用等すると不正競争行為となる、ということを当該情報に触れた者に予測させるためです。
そのように考えると、たとえ、本件データに直接的に秘密である旨の表示が無くても、原告から被告への本件データを送信前後における他のデータの秘密管理の状態を考慮して総合的に判断することは妥当であると思われます。
また、新規製品の開発・製造の委託においては、様々なデータが取引先との間で行われます。その場合に、一部のデータに対して秘密である旨の表示やパスワード管理等が不十分だからとして、当該データの秘密管理性が否定されてしまうと、それは営業秘密の保有者にとって不合理であるといえるでしょう。
とはいえ、やはり、このようなトラブルを未然に防止するためにも、自社の営業秘密を他社に開示する場合には、その秘密管理性が保たれるように十分な注意が必要です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年7月27日水曜日

判例紹介:愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(秘密管理性)

前回紹介した愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(名古屋地裁 令和4年3月18日判決 事件番号:平29(わ)427号)の続きです。本事件は、控訴されなかったため、被告人の無罪が確定しています。

本事件では、下記㋐~㋖である「本件実開示情報」についての秘密管理性の判断をしています。「本件実開示情報」とは、被告人が株式会社dの従業員eに実際に説明した、ワイヤ整列工程に関する情報のうち、検察官主張工程と共通する部分であり、愛知製鋼(b社)が保有するとしている技術です。
❝㋐ チャックがワイヤをつまみ,基板上方で右方向に移動する(前記のとおり,3号機では,ボビンを正転させて,なるべく張力を掛けずにワイヤを送り出しており,チャックが一定の張力を掛けながらワイヤを右方向に移動するとはいえないので,「一定の張力を掛けながら」というのは共通して存在する工程とはいえない。)。
 ㋑ ワイヤに張力を掛けたまま仮固定する。
 ㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ,ワイヤと基板の溝等の位置決め調整を行う(前記のとおり,bのワイヤ整列装置は,本件当時,「仮固定したワイヤを基準線として位置決め調整」を行っていたとはいえない。)。
 ㋓ 基板固定台座を上昇させ,ワイヤを基板の溝等に挿入させ,基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする。
 ㋔ ワイヤを切断する(前記のとおり,3号機では,厳密には基板の左脇で切断していたとはいえないし,機械切断ではない。)。
 ㋕ 基板固定台座が下降し,次のワイヤを挿入するためにY軸方向に移動する。
 ㋖ 以下㋐ないし㋕の工程を機械的に繰り返す。❞
そして、裁判所は、上記本件実開示情報に対して、下記のように「本件実開示情報に非公知性が認められるという見解を採るのであれば」という条件のもと、本件実開示情報の秘密管理性を認めています。なお、裁判所は、本件実開示情報の非公知性は認めていません。
❝以下に述べるようなbにおけるワイヤ整列装置の管理状況,f等との間の秘密保持契約の内容等からすると,bは,本件当時,ワイヤ整列装置に関する技術情報を秘密として管理していたと認められ,仮に,本件実開示情報に非公知性が認められるという見解を採るのであれば,本件実開示情報を秘密管理していたと認められる。❞
ここで、上記ワイヤ整列装置の管理状況は、以下のように認定されています。
 ❝⑴  ワイヤ整列装置に関する管理状況
 本件当時,1号機ないし3号機は,以下のように管理されていた。
 ア 1号機は,br工場技術センターのクリーンルーム内に保管されていた。
 イ 2号機と3号機は,本件工場のクリーンルーム内に保管されていた。
 ウ 上記各クリーンルームには,本件当時,電子錠が設置され,そこに立ち入るには,関係する特定の認証カードが必要とされていた。❞
これに対して、弁護人は以下のように主張しています。
 ❝弁護人は,①本件実開示情報は,経済産業省が作成した「営業秘密管理指針」にも規定される,営業秘密としての保護の対象となる情報とそうでない情報とを明確に区別するための大前提としての紙媒体等による管理がされていない,②bは,「機密管理規程」(弁21)に従った機密管理措置を執っていないなど,本件実開示情報を秘密保持する意思がなかったなどと指摘し,本件実開示情報に秘密管理性はない旨主張する。❞
一方、裁判所は、下記の理由により、ワイヤ整列装置の管理状況の点から本件実開示情報の秘密管理性を認めています。
❝①については,「営業秘密管理指針」の作成主体である経済産業省は,同指針について,一つの考え方を示すものであり,法的拘束力を持つものではないと明言している。・・・bは,1号機ないし3号機をクリーンルーム内に保管し,特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置を講じていたのであるから,「営業秘密管理指針」に照らしても,1号機ないし3号機の秘密管理性が失われるような問題があるとまではいえない。❞

しかしながら、この裁判所による秘密管理性を肯定する判断は甘すぎるように思えます。
営業秘密は必ずしも紙媒体等により管理される必要はありませんが、「営業秘密としての保護の対象となる情報とそうでない情報とを明確に区別する」ことは、従業員等による「予見可能性」の点から必要です。しかしながら、裁判所が認定するような「特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置」程度では、従業員等に「予見可能性」を与える管理とは言えないと思えます。
「予見可能性」を与えるためには、例えば、紙媒体で営業秘密を管理する場合には、㊙マークを付けたり、施錠可能なキャビネットに保管します。また、デジタルデータで営業秘密を管理する場合でも㊙マークを付けたり、パスワード管理を行います。

一方、本事件のワイヤ整列装置そのものは、装置全体が営業秘密であるということはありえず、装置の多くの部分は公知技術で構成されており、その一部が営業秘密とされる技術情報で構成されるものでしょう。さらに、装置が保管されているクリーンルーム内には他の装置等も保管されている可能性があり、そのような状況で、たとえクリーンルーム内の立ち入りを特定の認証カードを所持する者のみに制限したとして、「営業秘密としての保護の対象となる情報とそうでない情報とを区別」して認識できる者が現実的にいるのでしょうか?
せめて、ワイヤ整列装置において営業秘密とする技術が用いられている部分に㊙マークが付されていれば(一般的ではないと思いますが)、営業秘密が用いられる部分を従業員も認識できますが、そのような主張もありません。すなわち、本事件において、営業秘密と主張する情報又はそれが化体する装置そのものに秘密であることの表示はありません。

ここで、民事訴訟ですが生産菌製造ノウハウ事件(東京地裁平成22年4月28日判決 平成18年(ワ)第29160号)において被告は、下記のように秘密管理性を否定する主張を行っています。
❝コエンザイムQ10研究者以外の原告の従業員であっても、本件生産菌Aに容易に触れる機会があり、また、本件生産菌Aが保管されている冷凍庫に内容物が秘密であることの表示がないことなどから、それが秘密であることを認識できる状況にはなく、本件生産菌Aは秘密として管理されているとはいえない❞
これに対して、原告は、本件生産菌Aの種菌は施錠可能な2台の冷凍庫に保管されていることや、「特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置」と同様の管理体制の他、複数の管理体制を主張することで、その秘密管理性が認められました。

一方、「CONFIDENTIAL」等の表記があるハンドブックに記載された原告主張の営業秘密の秘密管理性が認められなかった事件として、接触角計算プログラム事件(知財高裁平成28年4月27日判決 平成26年(ネ)10059等)があります。
この事件は、本件ハンドブックには表紙中央部に「CONFIDENTIAL」と大きく印字され、各ページの上部欄外には「【社外秘】」と小さく印字されていたものの、下記理由(一審判決)により本件ハンドブックに記載の原告アルゴリズムの秘密管理性を認めませんでした。
❝原告アルゴリズムについては,本件ハンドブックにおいて,どの部分が秘密であるかを具体的に特定しない態様で記載されていたことなどからして,営業担当者が,営業活動に際して,本件ハンドブックのどの部分の記載内容が秘密であるかを認識することが困難であったと考えられるのであって,このことからしても,秘密として管理されていたと認めることはできない。❞

このように、本来、営業秘密として秘密管理性が認められるためには、営業秘密とされる情報が従業員等に認識可能なように管理されなければなりません。しかしながら、愛知製鋼磁気センサ事件ではそのような管理はされていないように思えます。

また、裁判所は、下記のように愛知製鋼(b社)と他社(n社等)との間で秘密保持契約を締結したことによっても秘密管理性を認めています。なお、下記の②は、弁護人による「bは本件実開示情報を秘密保持する意思がなかった」との主張に対応します。
❝②については,確かに,bは,ワイヤ整列装置に関する技術情報について,「機密管理規程」に従った機密管理措置を執っていたわけではない。しかし,bは,本件の約2か月前にも,nとの間で,ワイヤ整列装置に関する技術情報について秘密保持契約を締結するなどしていた。また,その技術情報が化体した1号機ないし3号機を,機密管理していた。そうすると,仮に,本件実開示情報に非公知性が認められるという見解を採るのであれば,bにおいて,本件実開示情報を秘密保持する意思があったと認められる。
秘密保持契約は、秘密管理性を裏付ける重要な証拠となり得ますが、秘密保持契約に基づく秘密管理意思は契約締結者に対してだと考えられ、民事訴訟においてそれは厳密に判断されています。

そうすると、例えば、愛知製鋼が他社との間でワイヤ整列装置に関する技術情報について秘密保持契約を締結したとしても、その秘密管理意思は他社に対してのみ示されるものであり、それによって従業員にも秘密管理意思を示したとする裁判所の判断には疑問が生じます。

以上ことから、本事件における裁判所の秘密管理性判断はとても甘いものであり、妥当な判断であったのか疑問に思えます。このため、営業秘密に対する秘密管理がこの程度のもので良いと考えることは非常に危険であり、この判例における秘密管理を参考にしない方がよいでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年7月18日月曜日

判例紹介:愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(技術情報の抽象化・一般化)

愛知製鋼磁気センサ事件の刑事事件判決(名古屋地裁 令和4年3月18日判決 事件番号:平29(わ)427号)について紹介します。本事件は、被告人が無罪となった事件であり、比較的大きく報道された事件でもありました。本事件は、控訴されなかったため、被告人の無罪が確定しています。

本事件は、b株式会社(愛知製鋼株式会社)の元役員又は従業員であった被告人a,cがb社から示された情報を株式会社dの従業員eに対し、口頭及びホワイトボードに図示して説明することでb社の営業秘密を開示した、というものです。
なお、この情報とは、b社が保有する営業秘密であるワイヤ整列装置(1号機~3号機)の機能及び構造,同装置等を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関する技術上の情報とされています。

ここで、検察官は、下記㋐から㋖までの工程(検察官主張工程)であるワイヤ整列工程を被告人がeに説明したと主張し、この㋐から㋖までの工程はb社が独自に開発・構成した一連一体の工程であって、b社の営業秘密である旨主張しました。
❝ワイヤ整列装置が
  ㋐ 引き出しチャッキングと呼ばれるつまみ部分(以下「チャック」という。)がアモルファスワイヤをつまみ,一定の張力を掛けながら基板上方で右方向に移動する
  ㋑ アモルファスワイヤに張力を掛けたまま仮固定する
  ㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ,仮固定したアモルファスワイヤを基準線として位置決め調整を行う
  ㋓ 基板固定台座を上昇させ,アモルファスワイヤを基板の溝及びガイドに挿入させ,基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする
  ㋔ 基板の左脇でアモルファスワイヤを機械切断する
  ㋕ 基板固定台座が下降し,次のアモルファスワイヤを挿入するために移動する
  ㋖ 以下㋐ないし㋕を機械的に繰り返す❞
これに対して、裁判所は下記のように、被告人両名がeに説明した情報のうち検察官主張工程に対応する部分は、アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ、余りにも抽象化、一般化されすぎていて、bの営業秘密を開示したとはいえない、と判断しました。
❝本件打合せにおいて被告人両名がeに説明した情報は,アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関するものではあるが,bの保有するワイヤ整列装置の構造や同装置を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程とは,工程における重要なプロセスに関して大きく異なる部分がある。また,上記情報のうち検察官主張工程に対応する部分は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえないので,営業秘密の三要件(秘密管理性,有用性,非公知性)のうち,非公知性の要件を満たすとはいえない。したがって,被告人両名は,本件打合せにおいて,bの営業秘密を開示したとはいえない。❞

なお、上記の「大きく異なる部分」としては、以下のように挙げられています。
❝工程㋑に関して,bのワイヤ整列装置では,なるべくアモルファスワイヤに応力を加えないようにするために,基板の手前にシート磁石が埋め込まれた溝(「ガイド」)を設置したり,切断刃近くに磁石を設置したりしてワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られている(ただし,3号機では,「ワイヤロック」による挟圧はされている。)。
これに対し,被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,まっすぐにぴんと張る程度に張力を掛けて引き出されたワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものである。この工程は,ワイヤを基板の溝等に挿入して整列させる工程において,「ワイヤ引き出し」,「仮固定」,「切断」といった重要なプロセスに関するものである。❞
また、「一連一体の工程」とのように、例えば、複数の公知情報を組み合わせた場合であっても、その組み合わせに特段の作用効果等がある場合には、全体として非公知性又は有用性が有ると判断される場合があります。
これに関して裁判所は下記のように、検察官主張工程のうち工夫された工程について被告人が開示しておらず、これにより一連一体の工程として見ても、ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまる、として、非公知性を否定しています。
❝すなわち,被告人両名は,前記のとおり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べる上で重要になるはずのbのワイヤ整列装置に備わっている工夫に関する情報,例えば,位置決め調整におけるCCDカメラの活用,ワイヤ引き出し時(送り出し時)におけるモーターの回転方法,ワイヤの仮固定における「ガイド」等の機構,基板上の溝等に仮止めする際の磁石の配置,ワイヤがチャックに付着し続けないようにするための工夫等について,eに対して説明していない。
また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるために重要となるはずの情報がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。❞
以上のように、結論としては、被告人はb社(愛知製鋼)の営業秘密を開示していないので、無罪とされています。このような判断は裁判所が行うまでもなく、技術的な知見を十分に有しているであろう愛知製鋼も行えると思うのですが、なぜ、刑事事件化してしまったのか非常に疑問です。

この理由の一つに、愛知製鋼は営業秘密とした自社の情報(発明)を正確に特定できていなかったのではないかと思います。また、検察(逮捕に携わった警察)もこれを正確に特定できていなかったのではないでしょうか。現に、2017年の2月に逮捕されてから一審判決に至るまで5年もの月日を要しており、これは他の営業秘密侵害事件と比べても非常に長い期間です。営業秘密の特定が不十分であるがために、判決に至るまでの時間を要したとも思えます。
実際、発明を情報として特定することは慣れていないと難しいでしょう。本事件では、検察が「検察官主張工程」として営業秘密を特定していますが、その情報をどのような形態で愛知製鋼が保有していたのかが、少々判然としません。判決では、❝ワイヤ整列装置である1号機ないし3号機をクリーンルーム内に保管し,特定の認証カードを所持する者以外の立入りを制限する措置を講じていた❞、とありますが、これはワイヤ整列装置に対する秘密管理であり、果たして「検察官主張工程」の秘密管理でしょうか。ワイヤ整列装置どこに、どのような形態で「検察官主張工程」を管理していたのでしょうか?

知的財産については、その保有者は自身が有する情報(今回は営業秘密)の権利範囲を広く解釈しがちな傾向にあると思います。そのような傾向にあるにもかかわらず、さらに営業秘密とした技術情報を正確に特定しなかったために、このような結果になってしまったのではないかと思います。

なお、本事件は、例えば転職者が前職で開示された営業秘密に関連する技術情報を転職先等で話す場合についても参考になるかと思います。
前職の営業秘密をそのまま話すことは当然ダメですが、それに関連する技術情報については営業秘密に触れずに「抽象化、一般化」して話すことは問題ないということです。これは当然のことなのですが、本事件によって、前職に関連することを全く話してはいけない、ということではないということが示されたとも思えます。
企業が転職者から前職に関連する技術情報を聞く場合も同様かと思います。前職の営業秘密に関連する部分の説明は「抽象化、一般化」して話してもらうように、転職者を促すことで、不必要に他社の営業秘密を知ることを防止できるでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年5月18日水曜日

ー判例紹介ー 商慣習及び信義則による秘密保持義務は認められるのか?

今回は、取引先に対する商慣習及び信義則による秘密保持義務について争った判例(東京地裁令和3年12月23日判決 事件番号:令元(ワ)18374号)を紹介します。

本事件の原告と被告(被告ベアー等)との関係は以下のとおりです。なお、被告は他にもいますが、今回紹介する内容については直接的な関係はないので省略します。

・原告及び被告は平成23年8月5日に、被告が原告に対し鎖骨骨折の治療に用いるチタン製のインプラント(以下「鎖骨プレート」という。)を販売することとして、鎖骨プレートの取引を開始した。
・原告は、訴外メディカルネクスト社が販売していたリングピンの後発医療機器として「JSピン」と名付けた骨治療用のリングピンを製造販売することについて、平成26年7月31日に厚生労働大臣の承認を受け、被告はJSピンを製造して原告に供給し、原告は同年9月以降、JSピンを医療機関等に販売した。
・被告は、平成29年に自らが製造販売元となってリングピンを製造販売することとし、同年5月8日,その製造販売について厚生労働大臣の承認を受け、同年6月から「STRピン」と名付けた各被告商品を含むその製造や販売を開始した。
・被告は、平成30年6月29日,原告に対して本件鎖骨プレート契約を更新しない旨の申出をし、本件鎖骨プレート契約は同年8月4日に期間満了により終了した。原告と被告は、その後も鎖骨プレートについて現金で決済する取引を継続したが、原告は平成30年11月30日に被告ベアーとの間の鎖骨プレートの取引を中止した。

このような経緯があり、原告は以下のように主張しました。
❝被告は,商慣習及び信義則により原告との間で秘密保持義務を負っているにもかかわらず,原告と取引関係にあった際に知り得た原告の営業秘密である各原告商品に係る製品情報を利用して,各被告商品を製造販売し,原告の取引を妨害した。❞
これに対して裁判所は判断は以下のとおりです。
まず、裁判所は以下のように被告はJSピンの共同開発者であると認定しています。
❝当初のJSピンから各原告商品への変更は原告が得た情報を契機とするものであるが,被告は,各原告商品の形態の開発について,自ら費用,労力等を負担したといえるのであって,各原告商品について,少なくとも共同開発者であったというべきである。❞
そして、裁判所は、被告が共同開発者であると認定したうえで、以下のように原告の主張を認めませんでした。
❝被告は,各原告商品について少なくとも共同開発者の立場にあったものであり,自ら費用と労力を負担して行った上記の開発に基づいて,各被告商品を製造販売しているにすぎないといえる(前記3)し,上記の開発における秘密の保持やその後の製造販売等について,原告と被告ベアーとの間に特段の合意はなかった(前記1⑸)。したがって,被告が,原告の営業秘密である各原告商品に係る製品情報を利用して各被告商品を製造販売しているとは認められないし,原告の取引を違法に妨害しているとは認められない。❞

このように裁判所は、原告と被告との間で特段の合意はなかったとし、原告が主張するような、商慣習及び信義則による秘密保持義務を認めませんでした。


本事件と同様に秘密保持契約を締結しなかったものの、商慣習や信義則といったことに基づいて被告に秘密保持義務があると原告が主張した事件は既にあります。

例えば、上記参考論文にも記載している金型技術情報事件(知財高裁平成 27 年 5 月 27 日判決 事件番号:平成 27 年(ネ)第 10015 号,東京地裁平成 26 年 12 月19 日判決 事件番号:平成 25 年(ワ)第 26310 号)において、原告(控訴人)は以下のように陳述書で主張しています。
❝控訴人の取引する業界では,お互いにそれぞれの有する技術ノウハウを尊重しており,契約の成約時に秘密保持契約を締結していること,成約までの過程で技術資料の交換を行うことはあるが,その際,いちいち秘密保持契約を締結するわけにはいかないため,成約時に契約すること,その間は当事者同士が互いに秘密を守ってきている❞
しかしながら、このような主張に対して裁判所は下記のようにその秘密管理性を否定しています。
❝陳述書の記載は,本件において,控訴人が被控訴人に開示した技術情報について,これに接する者が営業秘密であることが認識できるような措置を講じていたとか,これに接する者を限定していたなど,上記情報が具体的に秘密として管理されている実体があることを裏付けるものではない。❞
このような判断は、今回紹介した事件と同様の判断であり、営業秘密における秘密管理性においては、商慣習や信義則による秘密保持義務といったものは認められないことが分かります。
すなわち、取引先に対する秘密保持義務は、秘密保持契約等による客観的に判断が合意が必要です。この秘密保持契約に関しても、秘密保持の対象となる情報が何であるかが特定できていない包括的な内容であれば、その秘密保持義務の対象となる情報が狭く判断される可能性が有り(秘密保持義務の対象が実質的に営業秘密の範囲内となる)、注意が必要かと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月26日土曜日

判例紹介:治具図面漏洩事件(刑事事件) 秘密管理性

今回紹介する判例は、刑事事件に関するものです。
営業秘密侵害の刑事事件では、その多くにおいて被告人が営業秘密の不正取得等を認め、裁判の争点は量刑であることが多いのですが、被告人が持ち出した情報の営業秘密性等を争う場合もあります。

今回はそのような判例(横浜地裁令和3年7月7日判決 事件番号:平30(わ)1931号 ・ 平31(わ)57号)であり被告人の弁護人は当該情報は不正競争防止法2条6項所定の営業秘密に該当しないと主張しています。
本事件は下記のように報道された事件であり、全国的にはさほど大きく報道されなかったものの、光ファイバーに関する治具図面が中華人民共和国で使用する目的で不正に持ち出されたものです。
本事件の判決は有罪であり、被告人Y1が懲役1年4か月及び罰金80万円、被告人Y2が懲役1年及び罰金60万円とされ、執行猶予が3年となっています。

本事件は、被告人Y1が図面の記載の複製を作成し、被告人Y2にこれを開示したこと、被告人Y2がこれを取得して日本国外で使用したことについては争いがないとされています。なお、被告人Y1は、電気通信機器の製造及び販売等を業とするa社(被害企業)の取締役として光通信部品の設計販売等を統括管理し、a社の営業秘密である測定治具等の設計画面を示されています。また、被告人Y2は、b社の代表者として、光通信部品等の販売を業とするものです。

まず、本事件において営業秘密とされる治具図面に記載の本件治具の構造は、下記のようなものです。なお、MTフェルールとは、光通信において光ファイバーを接続するための装置であるMPOコネクタを構成する樹脂製の部品とのことです。
❝本件治具の構造は,市販のダイヤルゲージの軸部分の先端に測定子を取り付けた上,軸部分及び測定子に筒状のアダプタを被せるというものであった。本件治具による測定方法は,MTフェルールをアダプタ底面の挿入穴に差し込み,これを測定子に接触させて移動させ,その移動範囲をダイヤルゲージに表示させて,MTフェルールの長さを測定するというものであった。本件治具によって100分の1ミリメートル単位の長さが測定できた。❞
そして、この図面の管理状況として下記が挙げられています。
(ア)「設計・開発管理規定」により、治具図面を含む製造図面を顧客へ提出することは禁止。同社の各種管理規定については、社内のウェブサイトに最新版が掲載されており、社員であれば閲覧が可能。
(イ)従業員就業規則において「会社,取引先等の秘密,機密性のある情報,顧客情報,企画案,ノウハウ,データー,ID,パスワード及び会社の不利益となる事項を第三者に開示,漏洩,提供しないこと」とされていた。本社1階事務室には、従業員就業規則のコピーが置かれており、社員であれば閲覧が可能。
(ウ)平成24年10月13日に開かれた事業運営会議において、企業防衛のため社員との機密保持契約を締結することとされ、同会議メンバー等が機密保持誓約書に署名押印して提出。被告人Y1も秘密保持誓約書に署名押印して提出。
(エ)平成27年4月7日付け通知書により、機密保持の観点から、図面、仕様書等の裏紙使用は即日禁止され、それらの書類は裁断して廃棄又は溶融業者に処分を依頼することとされた。

上記のような管理状況では、治具図面そのものにマル秘マーク等を付す等の管理がされておらず、治具図面に対する秘密管理が十分、すなわち客観的に秘密であることが認識可能なような管理状況であったのかについて疑義が生じます。


しかしながら、裁判所は下記のようにその秘密管理性を認めています。
❝a社は,平成28年4月1日の時点で本社役員5名,本社従業員33名とする規模の会社であったところ(甲2。なお,本社以外にも日本国内に複数の工場があったが,本社の規模を考えると,各工場で本件治具図面に類する技術上の情報に接し得る社員は限定的であったと推認される),会社の規模がその程度であったことを踏まえれば,本件当時,同社の役員及び従業員にとって,前記第2の3(3)ウで見た各施策により,同社が本件治具図面について秘密管理意思を有していることは,客観的に十分に認識可能であったものと認められる。❞
このように、裁判所は治具図面の秘密管理性について、a社の規模が小さいことから上記のような管理状況でも客観的に認識可能であったと判断したようです。
このような、会社規模が小さいことが秘密管理性の判断に影響を与えた民事訴訟の裁判例として、婦人靴木型事件(東京地裁平成26年(ワ)第1397号(平成29年2月9日判決))があります。

この事件では、営業秘密である婦人靴の木型(本件オリジナル木型)が持ち出された原告会社は、取締役二名と従業員三、四名という規模の会社です。そして、裁判所は本件オリジナル木型の秘密管理性を下記のように認めました。
❝〔1〕原告においては,従業員から,原告に関する一切の「機密」について漏洩しない旨の誓約書を徴するとともに,就業規則で「会社の営業秘密その他の機密情報を本来の目的以外に利用し,又は他に漏らし,あるいは私的に利用しないこと」や「許可なく職務以外の目的で会社の情報等を使用しないこと」を定めていたこと,〔2〕コンフォートシューズの木型を取り扱う業界においては,本件オリジナル木型及びそのマスター木型のような木型が生命線ともいうべき重要な価値を有することが認識されており,本件オリジナル木型と同様の設計情報が化体されたマスター木型については,中田靴木型に保管させて厳重に管理されていたこと,〔3〕原告においては,通常,マスター木型や本件オリジナル木型について従業員が取り扱えないようにされていたことを指摘することができる。これらの事実に照らすと,本件設計情報については,原告の従業員は原告の秘密情報であると認識していたものであり,取引先製造受託業者もその旨認識し得たものであると認められるとともに,上記〔1〕の誓約書所定の「機密」及び就業規則所定の「営業秘密その他の機密情報」に該当するものとみられ,原告において上記〔1〕の措置がとられていたことは秘密管理措置に当たるといえる。❞
本事件はにおいて裁判所は、誓約書及び就業規則といった程度の秘密管理措置に基づいて本件オリジナル木型の秘密管理性を認めています。この理由は、原告の業務が婦人靴の製造であるように非常に限られた業務範囲であることや、原告企業が従業員三、四名の小規模な企業であったためと思われます。

このように、企業規模が小さい場合には、営業秘密とする情報等(本事件では図面)に直接的に秘密管理意思が示されていなくても、その他の措置によってその秘密管理性が認められる可能性があると思われます。すなわち、規模の大きな企業に比べて、不十分と思われる程度の秘密管理体制であっても、営業秘密で言うところの秘密管理性が認められる可能性があります。

なお、本事件では被告人Y1がa社の取締役であったことも秘密管理性の判断に影響を与えていると思われます。この点について、裁判所は下記のように判断しています。
❝被告人Y1は,本件治具の設計・製造に主導的に関与していた上,本件当時,a社の取締役の立場にあり,既に機密保持誓約書にも署名押印してこれを提出していたのであるから,本件領得行為及び本件開示行為の際,前記1で見た本件治具図面に係る秘密管理性,有用性及び非公知性を基礎付ける事実関係の核心部分については,当然に認識,理解していたものと認められるのであって,本件治具図面が営業秘密に該当することを認識していたことは明らかである。❞
このような判断はあってしかるべきだと思います。営業秘密の不正な持ち出しは、従業員だけでなく役員等が行う場合も多くあります。企業の役員等は営業秘密に触れる機会も多いでしょうし、それが営業秘密であることは従業員よりも強く認識しているでしょう。そうであれば、営業秘密の不正な持ち出しについて、その役職が影響を与えることは妥当であると思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月15日火曜日

判例紹介:秘密管理性と秘密保持の誓約書との関係

企業が管理している情報が営業秘密として認められるためには、当該情報は秘密管理性を有していなければなりません。しかしながら、裁判においてこの秘密管理性が認められず、その結果、当該情報の営業秘密性が認められない場合が多々あります。

今回は、秘密管理性が認められなかった典型例を挙げます。なお、この訴訟は知財高裁でも争われたものであり、秘密管理性に対する地裁の判断は知財高裁でも覆りませんでした。
一審:東京地裁平30(ワ)20127号 ・ 平31(ワ)9638号 ・ 令元(ワ)19525号(令和3年3月23日)
二審:知財高裁令3(ネ)10054号 ・ 令3(ネ)10067号(令和3年11月17日判決)

本件の原告は、生命保険の募集に関する業務等を目的とする会社である原告会社及びその代表者です。そして、原告は、原告会社の従業員であった被告B、C、D、及び原告会社の関係会社の業務委託先であった被告Eが被告会社を設立し、その後、原告に対し継続的に恐喝行為を行って、原告会社取扱いの保険契約を被告会社に移管する合意を強要し、顧客名簿のデータを搭載したパソコンを含む原告会社の備品及び原告の所有物を窃取等した主張したものです。
なお、原告は、被告が不正競争防止法2条1項4号,5号に係る営業秘密の不正取得を行ったと主張しました。この不競法2条1項4号,5号違反の主張はあまり多くありません。多くの訴訟においては、7号違反等です。
4号等は「窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為」であり、その内容からして退職者が行うことがあまり考えられません。一方で、7号等は企業等から営業秘密を正当に開示され、その後、不正の利益を得る目的等で当該営業秘密を使用等する行為です。このため、一般的に退職者による営業秘密の不正使用等は7号違反とされます。
なお、下記のように、原告の顧客情報は営業秘密と認められず、被告による不正取得も認められませんでした。


上述のように原告が営業秘密であると主張した顧客情報はその秘密管理性が認められませんでした。下記が裁判所による判断です。
❝本件顧客情報は,本件申込書控記載の顧客情報及びその一部の情報を電磁的記録の形にして本件パソコン内に保存したもので構成されているところ,本件顧客情報の基となった本件申込書控は,原告会社の営業時間中,施錠されていない書棚で保管され,従業員であれば閲覧可能な状態になっていたものであり,本件各証拠をみても,その閲覧を禁止する旨が原告会社内において明確に告知されていた形跡は見当たらない。また,本件パソコン内の電磁的記録にはパスワードが付されていたとはいえ,原告会社の各営業担当者においては,自らの担当する顧客に係る情報に特段の制限を受けることなくアクセスすることができる状態であったものである。これらによれば,本件顧客情報に係る情報については,アクセスが制限されていた程度は緩く,アクセスした者が秘密として客観的に認識できた状態であったとも直ちには言い難いものである。❞
このように、原告の顧客情報は、誰でもアクセス可能とされており、アクセスした者が秘密として客観的に認識できるような状態で管理されていなかったために、その秘密管理性は認められませんでした。

なお、原告は被告らの誓約書(おそらく秘密保持に関する誓約書)や原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程を元に秘密管理性を主張したようですが、裁判所は下記のように顧客情報に対する秘密管理性を認めませんでした。
❝なお,原告らは,本件顧客情報につき秘密管理性が認められる旨を主張し,被告Bらの誓約書(甲5ないし7),原告会社に備え付けられた個人情報取扱規程(甲9)を提出する。しかしながら,これらの書面の性質・内容を勘案しても,これらの書面自体から直ちに本件顧客情報に係る秘密管理性を肯定できるわけではなく,その要件充足性は,本件顧客情報に係る管理の実態に鑑みて判断すべきところ,上記説示のとおりの管理状況からすれば,その秘密管理性が認められるということはできない。❞
このように、誓約書や個人情報取扱規定、又は就業規則等には秘密管理に関する条項があります。しかしながら、そのような条項は包括的な記載であり、どの情報が秘密管理の対象となっているかは規定されていないでしょう。そうすると、これらの規定等に基づいて、各情報に対する秘密管理性が認められるものではありません。
このような裁判例は複数存在しているため、同様の判断が今後もなされるでしょう。


弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2022年3月7日月曜日

判例紹介:副業で生じ得る営業秘密トラブル

企業において副業が認められつつありますが、副業を認める場合に懸念される事項の一つに営業秘密の流出があります。今回紹介する裁判例は、そのようなトラブルに関するものであり、大阪地裁令2(ワ)3481号(令和4年1月20日判決)です。なお、本裁判は、原告の主張は認められず、被告による営業秘密の不正取得はなかったという判決となっています。

本事件において、被告P1は原告の元従業員であると共に、被告会社(被告ゴトウ)の代表者でもあります。そして、原告は建築工事等を目的とする株式会社であり、被告会社は建築・土木一式工事の設計,施工及び監理等を目的とする株式会社です。すなわち、原告と被告会社とは同業です。なお、被告P1の主張によると”被告P1の原告入社以前から被告ゴトウは存在し、原告も被告P1が被告会社の立場で活動することを許容していた。”とのことです。

そして原告は、元従業員である被告P1が不正の手段により原告の営業秘密である原告の見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告会社に開示し、被告会社がこれを使用したことが不競法違反に当たる、とのように主張しています。

より具体的に、原告は、下記のように主張しています。
❝ (ア)被告P1の行為について
 被告P1は,原告に対する背任行為によって本件見積書を取得したものであり,これは不正の手段により営業秘密を取得する行為に該当する。また,被告P1が不正取得行為によって取得した本件見積書に基づいて被告ゴトウは原告の許可なく利用して自身の見積書を作成したのであるから,この点に係る被告P1の行為は,不正に取得した営業秘密を使用又は開示する行為に該当する(法2条1項4号)。・・・
 (イ)被告ゴトウの行為について
 被告ゴトウは,その代表者である被告P1が原告の作成した本件見積書を不正に取得したことを知りながらそれを取得し,被告ゴトウが受注しその利益を図る目的で,本件見積書記載の情報を利用して被告ゴトウ名義の見積書を作成し,注文者に提出した。これは,営業秘密について,その不正取得行為が介在したことを知ってこれを取得し,取得した営業秘密を使用する行為に該当する(法2条1項5号)。・・・❞
このような原告の主張に対して被告は下記のように反論しています。
❝被告P1の原告入社以前から被告ゴトウは存在し,原告も,被告P1が被告ゴトウの立場で活動することを許容していた。したがって,原告の元請が入札して落札できなかった工事に関し,その後,落札した業者からの依頼で被告ゴトウが受注しても何ら違法ではない。
被告P1は,原告の顧客情報,見積情報を不正に取得しておらず,営業秘密の不正取得をしていない。また,被告ゴトウは,本件見積書の情報を使用(営業・受注)しておらず,発注者からの情報や公開されている入札情報等を基に活動しただけである。❞
被告の反論から分かるように、被告P1が代表者である被告会社は、原告が落札できなかった工事をその後、落札業者からの依頼で受注したようです。そして、原告が営業秘密であると主張する本件見積書を原告代表者が作成し、被告P1にそのデータを送信したとのことです。
このような、事情を鑑みると、原告が落札できなかった仕事を原告の見積書を使用して被告が受注した、とのように原告が考えることも理解できなくはありません。なお、被告P1はその後、原告から解雇されたようです。


しかしながら、裁判所は原告の主張を認めませんでした。
その理由として、本件見積書に対して秘密管理性が認められないため、本件見積書は営業秘密でないとのことです。具体的に、裁判所は下記のように判断しています。
❝これを本件見積書記載の情報について見るに,前記各認定事実のとおり,本件見積書には営業秘密である旨の表示がなく,そのデータにはパスワード等のアクセス制限措置が施されていなかった。また,原告において,業務上の秘密保持に関する就業規則の規定はなく,被告P1との間で見積書の内容に関する秘密保持契約等も締結等していなかった。原告は,発注者との間においても見積書の内容に関する秘密保持契約を締結していなかった。さらに,原告は,見積書記載の情報が営業秘密であることなどの注意喚起も,その取扱いに関する研修等の教育的措置も行っていなかった。本件見積書のデータ管理の点でも,原告は,見積書の使用後にデータを西脇支社のコンピュータから削除するよう指示しなかった。❞
これは、原告が本件見積書に対して、「秘密管理の意思が客観的に認識可能」な態様で管理されていなかったということです。
また、原告は「本件見積書記載の情報につき,原告代表者が一元的に管理し,その了承がなければ従業員や外部業者に対して明らかにされないから,秘密として管理されていた」とも主張しています。この主張を原告が行うということは、原告も本件見積書の秘密管理性が乏しいということを認識していたのでしょう。しかしながら、このような主張も当然裁判所には認められませんでした。
そして、裁判所は、被告P1による本件見積書のデータの取得は不正の手段でもなく、被告会社による本件見積書の不正使用も認められないとのように判断しています。

以上のことから、原告の主張は棄却されたのですが、このようなトラブルは副業が広まると生じるトラブルの典型例であると思われます。(被告P1にとっては原告での就業が副業であったのかもしれませんが。)
そもそも、被告P1が原告の同業他社の代表者であることを鑑みると、見積書という自社の活動にとって重要なデータを原告が被告P1に送信するという行為は好ましくないでしょう。また、被告P1も自身が被告会社の代表であるという立場から、そのようなデータを受け取るべきではなかったのでしょう。もし、原告と被告P1との間で本件見積書のデータの送受信が無ければ、このような裁判には至らなかったはずです。

企業は、従業員に副業を認めるのであれば、もしくは自社を副業先とすることを認めるのであれば、当該従業員の他の就業先との関係で自社の流出が懸念される営業秘密のに関しては当該従業員が取得できないようにするべきでしょう。また、当該従業員も他の就業先との関係で取得してはいけない営業秘密を認識し、もしそのような営業秘密に取得する可能性があれば、申し出るべきでしょう。
副業を認めるのであれば、このようなトラブルを未然に防ぐために企業と従業員共に、営業秘密に対する認識を十分に持つ必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信